「……終わったのか」
ヘンリーは言った。それまで魔王がいたところには、黒い灰だけが残り、それもまたさらさらとさらに細かく崩れ、消えて行く。
「でも、これが勝ったと言えるのか……リュカ……!」
そう言って、ヘンリーはリュカの身体を抱き上げる。その時、足元が突然ぐらぐらと激しく揺れた。
「なっ、地震……!?」
「違うわ。崩れる。このエビルマウンテン自体が崩壊する……!!」
驚くユーリルに、シンシアが答えた。そう言ってる間に、急に辺りのそれまで強固だった岩盤が、まるで透き通ったように見え、踏みしめる感覚がぐにゃり、と言った覚束無いものになる。
「まずい、脱出しましょう!」
サンチョが言うが、言い終えるより早く、足元の地面が消失する。
「うわあぁっ!?」
「きゃあっ!!」
宙に投げ出される一行。しかし、落下するような感覚はなく、浮遊感が身体を包む。
「これは……」
ヘンリーが上を見上げると、そこには金色の竜がいた。
「マスタードラゴン様!」
ビアンカが叫ぶ。マスタードラゴンは手足の先から金色の光のフィールドを発し、仲間たち全員をその中に保護していた。
「このまま天空城へ向かう。皆、そのままじっと我に身を任せるのだ……!」
マスタードラゴンは翼を羽ばたかせ、魔界の空を高く舞う。眼下で、主を失ったエビルマウンテンは幻のように消滅していった。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
第八十二話 千年の花
天空城、玉座の間。そこに一同は揃っていた。魔王は倒れ、世界は救われた。だが、そこにいる者たちの中に、笑顔を浮かべている者は一人もいなかった。
「マスタードラゴン様……」
ヘンリーは尋ねた。
「リュカを……生き返らせることは……できないのですか?」
皆とマスタードラゴンの間には、寝台に安置されたリュカの亡骸がある。
「それは……できない。我はそこまで万能ではない」
マスタードラゴンは沈痛な声で言った。
「何故です!? 神様なんでしょう、あなたは!!」
サンチョが食って掛かる。とんでもない無礼な態度に、周囲の天空人が流石に色めき立つが、マスタードラゴンは頭を下げた。
「済まぬ……」
その短い謝罪の言葉に、サンチョははっとなった。マスタードラゴンも、リュカの死を心から悼み、できれば生き返らせたいと思っているのは、自分と同じだと悟ったのだ。
「……申し訳ありません」
サンチョは謝り、マスタードラゴンは気にするな、と言うように頷く。そうしたやり取りの横で、ビアンカはそっとリュカの傍にかがみこみ、やはり涙をぽろぽろと流しながら言った。
「バカ……あなたは大バカよ、リュカ。勝ってもあなたがいないんじゃ、誰も笑えないじゃない……!」
ビアンカの涙がリュカの顔にぽたぽたと落ち、彼女の頬にまだついたままの煤を溶かし込んで、黒い筋を作る。それを見て、シンシアが荷物の中から聖なる水差しを取り出した。水をハンカチに含ませ、母親の傍に歩み寄る。
「せめて……お顔だけでも綺麗にしてあげたい」
シンシアの言葉に、ビアンカは頷いて場所を譲る。しかし、その瞬間マスタードラゴンははっとした表情でシンシアの手にある聖なる水差しを見た。
「それは、聖なる水差しか!?」
「え? は、はい……そうです」
シンシアが驚いてマスタードラゴンに答える。それを聞いて、マスタードラゴンは大きく翼を広げた。
「希望はあったぞ。リュカを生き返らせる可能性が……まだ一つだけ残っている」
玉座の間がざわめいた。
「本当ですか!?」
叫んで一歩踏み出すヘンリーに、マスタードラゴンは力強く頷いた。
「本当だとも。エルヘブンへ参ろう。あそこに全ての鍵はある……ユージス!」
「は、ここに」
呼ばれて進み出たユージスに、マスタードラゴンは命令を与えた。
「世界樹の苗木を持って参れ。そなたもエルヘブンへ同行するのだ」
「承知しました」
ユージスが下がり、しばらくして鉢植えを持って現れた。そこには小さな苗木が植わっている。
「それが、世界樹なのですか?」
マーリンの問いかけに、ユージスは頷いた。
「ああ。前の世界樹から取ってきた若枝を育ててきたものだ」
マスタードラゴンは苗木を見て頷くと、目をつぶり、何事かを念じた。玉座の間の屋根がすっと消え、部屋が露天になる。
「では行くぞ。皆、我が背に乗るが良い」
マスタードラゴンの突然の来訪に驚いたエルヘブンのグランマーズ長老は、続けてもたらされた二つの悲報……マーサとリュカの死に、落涙を抑え切れなかった。
「申し訳ございません、義祖母上……オレの未熟故です」
ヘンリーはそう言ってグランマーズに頭を下げた。
「いえ……元はと言えば、ミルドラースのような魔王が台頭したのも、我らエルヘブンの民の責任です。どうか頭を上げてください」
そう言って、グランマーズはヘンリーを責めなかった。その時、マスタードラゴンが言った。
「ならば、エルヘブンの民よ……今こそ、お前たちの本貫に立ち返るべき時だ」
「え?」
顔を上げたグランマーズに、マスタードラゴンはシンシアを呼んで、二つの持ち物を見せた。一つは、かつてシンシアが両親を石から元に戻すために借り受けた、ストロスの杖。そしてもう一つは聖なる水差し。
「まぁ、これは……どうしてシンシアがこれを?」
戸惑うグランマーズに、ユーリルが答えた。
「魔界の街の人から借りたんだよ。その人は、これをお祖母ちゃんから預かったんだって」
「マーサが……そう言うことでしたか」
納得するグランマーズに、マスタードラゴンが言った。
「かつて、そなたたちの祖先に、我は三つのリングと、その水差し、ストロスの杖を預けた。それは、世界樹を守り育み、世話するためのもの……だが、長い歳月の間に、そなたたちはそれらのアイテムが持つ意味を忘れ、散逸させてしまい、結果として世界樹は枯れ果てた」
グランマーズは頷いた。
「仰る通りです……私たちは真に愚かでした」
そう言って項垂れるグランマーズに、マスタードラゴンは面を上げよ、と言った。
「悔いても起こってしまった結果は変えられぬ。改めて、そなたたちエルヘブンの民に、三つのリングと聖なる水差し、ストロスの杖を授ける。そのことを確実に未来に残し、二度と過ちを犯さぬよう」
「はい」
グランマーズは平伏した。それを見届けて、マスタードラゴンは今度はユージスを呼び出した。ユージスが持っているものを見て、グランマーズは驚きの表情を浮かべた。
「マスタードラゴン様、それは……世界樹の苗木ですか?」
「然り」
マスタードラゴンは頷くと、グランマーズ、ヘンリー、ユーリル、シンシアの顔を見る。
「これより、世界樹を復活させる」
マスタードラゴンの言葉に、ヘンリーは頷いた。
「やはりそう言うことですか」
以前、この街を訪れた時に、世界樹がどういうものだったか、ヘンリーたちは聞いている。その葉にはどんな酷い傷や病、呪いをも癒す力があり、千年に一度咲く花には……
「本来、世界樹の世話に使うアイテムは、三つのリングと対になる存在だ。聖なる水差しは水のリングと、ストロスの杖は命のリングと、それぞれ対になっている。聖なる水差しは世界樹を潤し、ストロスの杖は世界樹の命を維持するために使われていた」
その言葉に、シンシアは自分のストロスの杖と命のリングを、ユーリルは母から借りた聖なる水差しと水のリングを、それぞれ見る。
「……すると、炎のリングは?」
ヘンリーは自分の指に填められたリングを掲げて見せた。すると、マスタードラゴンは思いも寄らない事を言った。
「ヘンリーよ、お前がかぶっている太陽の冠……それが、炎のリングの片割れだ」
「えっ!?」
ヘンリーは驚いて、太陽の冠を頭から外した。
「しかし、これはグランバニア王家に代々伝わる宝物ですが……」
サンチョが言うと、マスタードラゴンは頷いた。
「それはもともと、我の以前にこの世界を治めていた神、デニス王の冠なのだ。デニス王の時代に世界を救った偉大な勇者に対し、王が褒美として与えた物ゆえ、我の手元には無かった」
それを聞いたビアンカが、首を傾げた。
「すると、グランバニアと言う国は、その勇者の子孫……?」
「そうかも知れぬな。我の生まれる前の話ゆえ、確かとは分からぬが」
マスタードラゴンはそう言ったが、ヘンリーはきっとそうだと信じることにした。パパスには天空の血筋とは無関係に、偉大な王にして勇者の風格があった。そう言う事情があると思えば、納得もいく。
「ともかく、その三対六個の宝物には、世界樹を成長させる力があるのだ。前に教えなかったか? “炎は死を清め、水は生を育む。命は祝福されて育ち、輪廻を超える”と」
ヘンリーは思い出した。光の教団を滅ぼして、魔界へ行く直前に天空城を訪れた時の事だ。
「ああ、そういえば……それならその時に、そうだと言ってください。何の事か分かりませんでしたよ」
ヘンリーは言った。おかげで、今までずっとその詩のような言葉を忘れていたのだ。
「それは済まぬな。では、始めよう……グランマーズよ。街の者を避難させるのだ」
「わかりました」
グランマーズは頷いた。彼女はこれから何が始まるのか、正確に理解していた。すぐに伝令を走らせ、町の住民を避難させる。もともとたいした人口があるわけではなく、それはすぐに完了した。街が無人になった所で、今度はヘンリーの出番だった。
「……この街を……枯れた世界樹を焼くんですね?」
一応彼はマスタードラゴンに確認した。
「そうだ。“炎は死を清め”るものだからな」
ヘンリーは頷くと、炎のリングを天に掲げ、念じた。
(炎よ……!)
指に填まったリングが一瞬熱くなり、小さな火の玉が打ち出される。それは見た目は大したことが無いように見えたが、エルヘブンの街……世界樹の切り株に当たった瞬間、灼熱の炎よりも凄まじい高熱を発して燃え上がった。
「おお……!!」
長年そこで暮らしてきたエルヘブンの民が、驚きとも悲しみともつかない声を上げてどよめく。やはり特殊な炎であるらしく、世界樹はたちまち全体が燃え上がり、そして焼け崩れて行き、僅かの間に燃え尽きて、後には灰だけが残った。
「子供たちよ……次はそなたらの出番だ」
マスタードラゴンの言葉に従い、ユーリルが掲げた水のリングから吹き出た霧が、焼け跡の熱い灰を冷やし、適度な湿気を与える。さらに、シンシアの命のリングからの光は、灰を豊穣な土へと変化させた。
「これでよかろう。ユージス、苗木を」
「はっ」
マスタードラゴンの命を受け、ユージスが新しく生まれた土に踏み込む。見ていた人々も続き、黒々とした新大地の真ん中に集まった。ユージスはそこにそっと苗木を移した。
「さぁ、再びお前たちの出番だ。ヘンリー、ユーリル、シンシア。お前たちの最愛の人を思い描いて……世界樹に祈りを込めて、力を注ぐのだ。きっと応えてくれよう」
「はい」
ヘンリーは太陽の冠を外し、天に掲げた。
「世界樹……」
ユーリルは苗木に、聖なる水差しの水を注ぎ始めた。
「蘇って……」
シンシアは、苗木にストロスの杖をかざした。
「芽吹け、命の華。あの人を……救うために!」
さらに、仲間たちやエルヘブンの人々が祈る声が唱和する。そして、それは起きた。
太陽の冠がきらきらと輝き、さながら地上に太陽が出現したように、熱く力強い輝きを苗木に注ぐ。聖なる水差しからの水と、ストロスの杖の放つ命の光を受け取り、一瞬にして苗木が倍の大きさに成長した。鉢が割れ、根が力強く大地に潜りこんで行く。
「おお……!」
「樹が……世界樹が!!」
「蘇る!!」
根付いた世界樹は急激に成長し、太く、高く、天に伸びていく。やがてその高さは周囲の山をも越え、枝葉がエルヘブンのある盆地を天蓋のように覆った。
「これが……世界樹」
誰かが半ば呆然としたような声で言った。
「そうだ。うまく行っていれば、花が咲いているはず……ヘンリー、ユーリル、シンシア、我が背に乗れ」
促すマスタードラゴンに、マーリンが言った。
「お待ちください。世界樹の花は、千年に一度しか咲かない、と聞いておりますが」
以前世界樹の花が咲いたと言い伝えられているのは、先代の天空の勇者が活躍した時代……五百年前の話である。しかし、マスタードラゴンは首を横に振った。
「その通り。しかし、それに関係なく花の咲く時期がある。それは、世界樹が成木になった時だ」
「!」
マーリンの顔に驚愕の表情が浮かび、そして笑みで崩れる。
「……そう言うことでしたか」
マスタードラゴンは頷き、背にヘンリーたちが乗り込んだのを確認して、翼を広げた。舞い上がり、枝葉の天蓋を潜り抜けて、樹の頂点を目指す。そこに見えたのは……
「あれか!」
目の良いユーリルが真っ先にそれを見つけた。山のような緑の連なりの中の、淡い紫がかったピンクの点。
「これは……すごく良い香り……」
シンシアが鼻をすんすんと鳴らして匂いをかぐ。何とも言えない妙なる香りが、その点……世界樹の花から漂っていた。
「よし、あそこに降り……おい!?」
マスタードラゴンが降りようとするより早く、ヘンリーはその背中から飛び降りていた。上から子供たちの声が追いかけてくるが、構わず王者のマントを広げ、それで風を受けて速度を殺しつつ、花の傍に着地する。
「……これがそうか。これなら、あの世にも香りが届くかもしれないな」
嗅覚だけでなく、魂そのもので感じられるほどに濃厚な花の香りを吸い込みながら、ヘンリーは剣を抜き、一抱えほどもある花を、根元から切り取った。
(続く)
-あとがき-
PS2版で聖なる水差しを使って世界樹の葉を取る、と言う設定が追加されたのを見て、この展開を思いつきました。
次回、いよいよ最終回です。