城の屋上で、一人の人間と一体の魔物が対峙していた。人間は剣を、魔物は槍を構え、じっと互いの隙をうかがっている。やがて、風に巻き上げられた木の葉が一枚、二人の間を横切った。次の瞬間。
「はあっ!」
「むんっ!」
人間の側が一挙動で距離をつめ、猛然と斬り込む。それを魔物が槍で受け、刃に挟まれたさっきの木の葉が、幾重にも断ち切られ断片となって飛び散った。
それらの断片をもまた刻み足りないと言うように、剣と槍が風を巻き空を切って交錯する。その動きは互いの技量が達人の域に達している事を物語っていた。
当初互角に見えた戦いは、やがて魔物の側が優勢になっていった。何十合目かの打ち合いで、とうとう人間の手から剣が弾き飛ばされ、槍がその喉元に突きつけられた。
「……参りました」
人間のほうが両手を挙げて降参の意を示し、それに応じて魔物の方も槍を引く。
「いや、いい勝負だった。腕を上げたな、ピピン」
魔物が人間を褒め称えた。そう、彼らは命をかけた真剣勝負をしていたわけではない。模擬戦で腕を磨いていたのである。
「いや、やはりまだヨシュア殿にはかないません。今日は途中まではいけるかと思ったんですが」
ピピンが魔物――金色の竜戦士シュプリンガーであるヨシュアに言う。
「そうでもない。確かに、この魔物の身体の分、私の方が腕力と敏捷性では勝っているだろうが、その私と互角に渡り合えるのだから、武術の技量は、今ではピピンのほうが上だろう。総合的に私を超える日も近いよ」
ヨシュアの評価に、ピピンは嬉しそうな表情を浮かべた。
「ヨシュア殿にそう言っていただけると励みになります。また、稽古をお願いします」
いいとも、と応じてヨシュアは訓練場を後にしようとし、入り口に立っている二つの人影に気がついた。
一人は愛嬌のある丸鼻の下に髭を蓄えた、頑強そうな肉体の男性。その横に立っているのは、もみあげの髪型が鳥の羽のような特長的な形をした、赤毛の美しい女性だった。彼らは嬉しそうに声をかけてきた。
「ヨシュア、久しぶりだ」
「ご無沙汰しております」
ヨシュアも頷き、手を上げて歓迎の意を表した。
「久しぶりだな、オークス、メッキー」
かつて、肩を並べて戦った仲間――オークキングのオークスと、キメラのメッキー。彼らは今、人間の姿になっていた。
ドラゴンクエスト5 ~宿命の聖母~
補遺 罪を負う人、罪を赦す人
城の廊下を並んで歩きながら、ヨシュアは言った。
「また、子が生まれるのか。何人目だ?」
メッキーのお腹が膨らんでいるのを見て、ヨシュアが言う。
「五人目だ。いいぞ、子供は。手もかかるが幸せというものを実感させてくれる」
オークスが言うと、メッキーは顔を赤らめ、「もう、あなたったら」とはにかみながら言う。そう、彼らは今夫婦として、共に人生を歩んでいた。
かつて、ジャハンナ――今はエルヘブンとなっている街の住人である戦士アクデンは、魔物でも人間になる事が出来る、と語ったが、それをリュカの仲間たちでいち早く実現したのが、オークスとメッキーだった。もともとマーサによって魔道から救われた彼らは、人間になりたいという願いを強く持っており、それがかなったのである。
エルヘブンに建立されたマーサとパパスの墓、その番人としてエルヘブンに移り住んだ彼らが人の姿でグランバニアに戻ってきたときは、みんなが騒然となったものである。まして――
「まぁ、メッキーが女性で、しかもそんな美人だったというのが、二番目の驚きだったな」
ヨシュアが言う。それを聞いて、オークスが尋ねる。
「二番目? じゃあ一番目は何だ?」
「もちろん、お前さんたちが結婚した事だよ。みんな言っている。美女と野獣だと」
ヨシュアは答えた。とは言え、もともと彼らは相棒として長らく共に戦ってきた仲であり、結ばれる事自体はそれほど不思議ではないと納得し、みんなでこの新しい夫婦を祝福したものである。
「失礼な奴らばかりだ」
嘆息するオークスの言葉に笑いを漏らしたヨシュアだったが、真顔に戻って尋ねた。
「で、今日は五人目が出来た事の報告かな?」
「ああ、早速リュカ様にお会いして報告しようと思うんだが……お前とピピンが稽古をしてるのを見て、つい足を止めてしまってな」
ヨシュアとオークスはどちらも槍の使い手だ。ヨシュアはデーモンスピア、オークスは雷神の槍。どちらも天下に聞こえた名槍を振るい、魔王との戦いで活躍した。それだけに、お互い他の仲間たちよりも強い友情とライバル心を持っている部分がある。
「そうか。しかし、間が悪かったな。リュカは今不在だ」
「え? そうなのか?」
ヨシュアの答えに驚くオークス。
「何か起きたのですか?」
もしや事件でも、と眉をひそめるメッキーに、ヨシュアは笑ってそうじゃない、と答える。
「オジロン殿の娘のドリス。彼女をヘンリーの弟のデール陛下の妃に、という話があってな。その相談でラインハットに行ってるところだ。まぁ、数日中には帰ってくるだろう」
「ほう、良い話ではないか」
オークスは目を細める。ヘンリーとデールの兄弟仲の良さは有名で、デールも若いが英邁な君主として最近では評価が高い。ドリスはリュカほどの美女ではないが、第一王女の地位にありながら庶民にも親しく交わる、飾り気のない人柄で国民から愛されている女性だ。デールにとっては年上の女性と言う事になるが、良い夫婦になれることは疑いがない。
「私も、話がまとまる事を期待しているよ。皆が幸せになるのは良い事だ」
ヨシュアが言った時、ふとオークスは顔を曇らせた。その変化に気づき、ヨシュアが首を傾げる。
「どうした、オークス」
「皆が幸せに、か。確かにな……だが、お前はそれだけでいいのか? ヨシュア」
「え?」
友の言葉に困惑するヨシュア。ため息をついてオークスは言った。
「おまえ自身は幸せにならなくていいのかと、そう聞いてるんだ」
ヨシュアはいつも、自分を犠牲にして他人を助けてきた。自分が逃げられるのに、その仕込を使ってリュカとヘンリーを助けた。魔物に改造されてでも下級信徒たちを守り、彼らがセントベレスを脱出できる準備を整えた。世界が平和になった時、マスタードラゴンに願えば人間の姿に戻れたかもしれないのに、それを口にせず、ジャハンナの街を救ってほしいという、リュカの願いを優先した。
そんなヨシュアの事を、オークスは心の中でいつも案じていたのだ。
「……ああ、そういうことか」
ヨシュアは友の言わんとするところに気づき、遠くを見る目になった。
「そう言ってくれるのは嬉しい。お前はいい奴だ、オークス。だが……私は自分をまだ許せないのだ」
ヨシュアと妹のマリアは、西の大陸の小さな町に生まれた。生家は教会で、ヨシュアもマリアも、将来は神父、あるいはシスターとして神に仕える修行を積んだが、ヨシュアには騎士になりたい、という夢があった。
だが、父親は厳格な神の使徒で、息子の願いを許そうとしなかった。こっそりと槍の訓練をするヨシュアを叱責し、時には殴ってでも言う事を聞かせようとした。
そんなヨシュアをいつもかばったのが、マリアだった。まじめにシスターの修行をする娘には父も甘く、ヨシュアもそんな妹を愛していた。
そんなある日、街に光の教団の信徒がやってきた。その分かり易くシンプルな教えに、ヨシュアは惹かれた。真の教えを見つけたような気がした。教団の説法に、彼は足繁く通うようになった。
もちろん、父がそんな息子を許すはずもない。異教に傾倒していくヨシュアに、父は激しく怒り、そんなものに耳を貸してはいけない、と説いた。だが、ヨシュアも今度ばかりは父に徹底的に反抗した。そして、兄を案じるマリアに、それならお前も説法を聞いてみろ、と強引に連れ出したのである。
果たして、マリアもまた、教団の教えに惹かれる事になったのである。だが、それが父親に発覚しないわけもなかった。二人の子が新興の異教にそろって心奪われた事に、父はどんな気持ちを抱いたのか――おそらく、絶望的な気持ちだったのだろうとヨシュアは思う。
暗い顔で、破門と勘当を告げた父。だが、当時のヨシュアは愚かだった。父の、その教えの束縛から、これで逃れられる、と考えてしまったのだ。ヨシュアとマリアは揃って教団に入門し、ヨシュアは教団の聖騎士を目指して修行に励み、マリアもまた、教祖の傍で深くその教えを学ぶため、聖地セントベレスへ旅立った。
後は、もう語る必要も無いことだ。彼らが真の教えと信じたのは邪教そのものであり、教団が二人の若い敬虔な信者にもたらしたのは、死とそれよりも深い苦悩と絶望の日々でしかなかった。
それが自分一人の事なら、ヨシュアはまだ耐えられただろう。だが、マリアには――自分が引き込んでしまった妹には、何の罪もなかったはずだ。それなのに、今生きているのは自分で、マリアではない。その事を思うとき、ヨシュアは自分が許されざる罪人であることを、深く意識するのだった。
そこまで深い事情を、さすがに仲間たちに語った事はない。だが、ヨシュアがかつて光の教団の一員であり、それゆえの罪の意識を抱えているらしい、という事は、仲間たちも気づいてはいた。
「ヨシュア、お前もラインハットへ行ってみたらどうだ?」
オークスの唐突な言葉に、ヨシュアは回想から意識を戻した。
「ラインハット? 何故だ?」
首を傾げるヨシュアに、オークスは言った。
「ヘンリー殿の母君……シスター・マリエルも、己の罪と深く向き合ってきたお方だと聞いている。話を聞いてみたらどうだろう。何かの助けにはなるかも知れんぞ」
「行くなら送っていきますよ?」
ルーラを使えるメッキーが申し出る。ヨシュアは少し考え、そして頷いた。
「そうだな……頼んでも良いか?」
「お安い御用ですよ」
メッキーは微笑んだ。その横で、オークスもヨシュアの行く先に救いがある事を祈って笑っている。良き友に恵まれた事を神に感謝しつつ、ヨシュアは二人の手をとった。
海辺の修道院――数多の道に迷える遭難者たちを迎え、導いてきたこの聖地は、魔道に身を墜としたヨシュアにも、その門を閉ざしてはいなかった。見るからに恐ろしい竜戦士が現れた時も、院長のシスター・アガサは慈愛に満ちた微笑を浮かべて、彼を出迎えた。
「迷える子羊よ。お入りなさい」
「……はい」
ヨシュアが僅かに逡巡したのは、遠い昔に一度は捨てた教えを奉じる場所へ踏み込む事への罪の意識だったが、シスター・アガサはそれをも見抜いたようだった。
「安心なさい。神はけっして貴方をお見捨てにはなりません。罪を犯し、道を踏み外したとしても、そこから立ち直ろうとする人には、必ずや恩寵を賜る事でしょう」
その優しい声に、ヨシュアは勇気を得て、建物の中に踏み込んだ。シスター・アガサの前に跪き、望みを言う。
「私は……道に外れた咎人です。このような私にも、新たな道を指し示してくれる方がいるかも知れぬと聞き、こうしてやってまいりました」
シスター・アガサは頷いた。
「シスター・マリエルのことですね? 今呼んで来ましょう」
跪き、地面に視線を向けたままのヨシュアには見えなかったが、気配が去っていくのがわかった。やがて、代わりに別の気配がやってくる。慈愛に満ちたシスター・アガサのそれとは違い、清廉で静かな優しさを感じさせる気配。
「お待たせしました」
その声に、ヨシュアは顔を上げ、そして驚いた。
「……マリア?」
遠い昔に失った妹が、そこに立っているような気がした。だが、その幻は一瞬で消え、代わりに現れたのは、シスター・アガサよりは若いものの、そろそろ中年の域に差し掛かっているであろう女性だった。
「そう……呼ばれていた事もありますね。私がシスター・マリエルです」
「これは失礼を……知っている者に似ていたので」
ヨシュアは頭を下げて詫びた。しかし、内心では思っている。似ている、と。
もちろん、顔立ちはまるで似ていない。だが、マリアとシスター・マリエルの纏う雰囲気は、非常に良く似ていた。きっとマリアがそのままシスターとなっていたら、長じてシスター・マリエルのような人になったのではないだろうか。
「貴方は、ヘンリーとリュカの仲間ですか?」
シスター・マリエルの問いに、ヨシュアは頷く。
「はい、ヨシュアと申します。貴女が私に道を指し示してくれるかもしれない、そう聞いて参りました」
それを聞いたシスター・マリエルは、静かに笑みを浮かべ、首を横に振った。
「私は道を示す事が出来るほど立派な人間ではありませんよ、ヨシュア。自分の歩む道を決める事が出来るのは、自分だけです。ですが、私に話をすることが、道を探す標になるかもしれません。それで良ければお話を聞きましょう」
そう言って、シスター・マリエルは懺悔室へとヨシュアをいざなった。ヨシュアは頷き、彼女に続いて懺悔室へ踏み込んだ。
二人がそれぞれに自分が抱えている罪について語り終えた時、既に太陽は水平線の向こうへと沈んだ後だった。ろうそくの火が揺れる懺悔室の中に、潮騒の音だけが響いている。
しばし無言のときが続いた後、ヨシュアはシスター・マリエルに尋ねた。
「私は、自分の罪を赦す事が出来るでしょうか?」
その問いに、シスター・マリエルは意外に思える答えを返した。
「無理ではないでしょうか」
「え?」
やや戸惑った声を上げてしまったヨシュアに、シスター・マリエルは続けた。
「あなたは赦してほしい、赦されたいと心の中では思っていないのです。ですから……あなたが求めるべきは、罰を与えてくれる存在なのでしょう」
それを聞いて、ヨシュアが真っ先に思ったのは、マリアの事だった。妹にはどんなに詫びても詫びたりない――しかし、すぐにそれが答えではない事に気づく。優しいあの子は、ヨシュアのことを罰したりはしない。ならば……
「ありがとうございます。どうやら、私が行くべき場所がわかったようです」
ヨシュアが言うと、シスター・マリエルは微笑み、あなたに神のご加護がありますように、と言った。ヨシュアは一礼し、海辺の修道院を後にすると、入り江に面した岬の先に立った。夜の海から吹きつける風。それに乗るように、彼は宙に身を躍らせた。
数日後……ヨシュアが辿り着いたのは、故郷の町だった。あまり使った事がないにもかかわらず、背中の翼はここまで彼の身を運んでくれた。初めて魔物の身体に感謝しつつ、街の中に足を踏み入れると、住人たちがぎょっとした表情で彼を見た。
(石を投げられないだけマシか)
ヨシュアは思った。魔王が倒れ、人の魔物の対立がやんだとは言え、数年でその記憶が薄れるはずもない。魔物が人と変わらず暮らせるグランバニアは、まだまだ例外的な存在なのだ。
遠巻きに自分を見る人々の視線を感じつつ、ヨシュアは一度は捨てた故郷の道を踏みしめ、一歩一歩進んでいく。その先に、記憶の中にあるものと変わらない教会があった。足を止め、聖印の飾られた尖塔を見上げたとき、その扉が開いた。
(父さん……!)
ヨシュアは声を上げそうになった。そこに立っていたのは、紛れもなく父親だった。だいぶ老け込み、髪にも白いものが混じっているが、間違えようがない。
だが――自分はあまりにも変わってしまった。もはや人ですらない。そんな自分が、父をそう呼ぶ事が許されるだろうか――そう思った時、父が言った。
「帰ってきたか……馬鹿息子が」
「――!」
ヨシュアは驚きに目を瞠った。なぜ――と聞こうとするが、驚きのあまり声が出ない。そんな彼に、父は言葉を続ける。
「わからないはずがない。子を見誤る親などいるものか」
それを聞いたとき、ヨシュアの中で心の堰が破れた。地面に膝を落とし、手を突いて彼は言葉を漏らす。
「父さん……私は……私は……!」
それから、ヨシュアはここを出てからの事を話した。全てを語り終えた時、父が目の前に歩み寄って来ていた事に気づく。殴ろうと思えば殴れる間合い。ヨシュアは頭を下げ、与えられるであろう罰を待った。だが。
「許そう」
「え?」
父の思わぬ言葉に、ヨシュアは顔を上げた。
「お前が罪を犯したなら、私はその罪を許そう」
そして、父はヨシュアの頭を抱きしめた。
「もう死んだものと思っていた……お前も、マリアも。お前だけでも生きていてくれて、本当に良かった」
それは、かつてヨシュアの聞いた事がない、父親の愛情あふれる言葉だった。
いや、違う。ヨシュアは知っていた。聞いていた。厳しさの底に、この愛情が流れていた事を。彼はただそこから目を背けていただけなのだ。
「父さん……! ごめん、父さん……!!」
ヨシュアは父を抱きしめ返し、そして気づいた。視界がぼやけて、父の顔が良く見えない。
「涙……? 泣いているのか、私は」
涙など流れない魔物の身体のはずなのに。そう思って目を拭おうとした時、ヨシュアはその指がシュプリンガーの鍵爪の生えた三本の指ではなく、人間の五本の指だという事に気づいた。
「こ、これは!?」
ヨシュアは驚きの声を上げ、父親の顔を見る。自分と同じ色の目に映るその姿は――
「にん……げん……?」
改造される前の自分の顔が、そこにあった。父親は頷いた。
「そうだとも。お前は人間だ、我が息子よ。人だからこそ、時に迷いも過ちもする。だが、それを取り返そうと決意したのなら、何時だって遅いという事はない」
そう言って、父親はもう一度ヨシュアを抱きしめた。
「よく帰ってきた、わが子ヨシュア」
ヨシュアはもう一度あふれ始めた涙を拭いもせず、その熱さを心地よいものと感じながら、父を抱きしめ返した。
「はい……ただいま、父さん!」
この日、長い旅の果てに、ヨシュアは人間の世界に帰還を果たした。
―あとがき―
大変お久しぶりです。航海長です。
連載終了後も感想が来ていたようで、ありがたいことです。
今回は補遺ということで、本編中に忘れていたこと……ヨシュアのその後の話です。
原作と違って生き残りながらも、魔物となってしまったヨシュア。彼にもハッピーエンドを、と思っていたのですが、本編中ではそれを描写できませんでした。
今回久しぶりに時間ができましたので、思い立ってこの話を書くことにしました。メインがヨシュアということでリュカとその家族たちは出てきませんが、いずれまた何か別の話で彼女たちのその後に触れられれば、と思います。
また、止まっている他の話も、これを機に再開できればと思います。
お読みいただきありがとうございました。