ケティ達がトリステインに帰還して一週間と数日が過ぎ、トリステイン魔法学院の施設を間借りした水精霊騎士団の本部では・・・。「酒だぁ~!」『ヒャッハァ~!』授業と訓練を終えた団員達が、夜な夜な宴会を繰り広げていた。「かぁ~っ!訓練が終わった後の酒は美味ぇ~!」授業はやってるし訓練もこなしているが、それらをそこそこに切り上げての宴会である。正直言って規律はグダグダ。どうしてこんな事になっているかと言えば・・・。「鬼のラ・ロッタ団長代行が居ぬ間の命の洗濯・・・ってかぁ!」順番を追って話そう。先ず、ケティの肩書が帰ってからたったの1日で、副団長補佐代理心得から団長代行というものになった。かなりの出世だが、これには色々と理由がある。ケティ自身は副団長補佐代理心得という肩書を非常に気に入っていたらしいが、長過ぎて呼びにくいからという理由で、主にルイズが舌噛むし呼び難いから変えてくれと暴れたという理由で、無理矢理変更するという事に相成ったのだ。「代行殿が居ない、すなわち・・・フリーダム!」『フリーダム!フリーダム!フリーダム!』しかも何かいつの間にか《代行殿》なんていう、更に縮めた呼び方まで定着しつつある。吸血鬼の軍団でも率いていそうな呼び名になってしまったが、長いからね、面倒臭いよね、仕方ないね。『ヒャッハァ~!』現在ケティはアンリエッタがロマリアに視察の旅に出るという事で、その準備で連日王城に出かけている。ケティもロマリアについて行く事になっているので、おそらく学院にはしばらく帰って来られないだろう。そんなわけでケティが現在居ない。団長のギーシュは何か派手ならそっちの方が喜ぶし、副団長の才人は基本的に団の運営には興味が無い。同じく副団長のルイズは、今日も才人とシエスタに丁寧に手入れをして貰ってピカピカのふわふわで授業に参加したり、塀の上を散歩したり、ジャンプで屋根の上に飛び乗ったり、そのままそこで丸まって昼寝したりしている。マリコルヌは平団員な上に変態なので期待するだけ無駄だし、モンモランシーとジゼルに至っては団員ですらないので我関せずである。キュルケとタバサは外国人なので、勿論ノータッチ。早い話、水精霊騎士団は何だかんだで組織運営と事務仕事が出来るケティが居ないと、日常の運営がままならない組織になっていた。団員が全員上級貴族で学生という能天気な環境なので、締める人が居ないと組織が締まらないのが泣き所な水精霊騎士団。もう何というかアレである、アレ。《実質取り仕切っているケティが団長で良くね?》という、そんな空気と《代行や代理であれば、騎士団に於ける肩書は性別を問わず設定して良い》という本来は騎士団長が倒れた時などの非常措置に使われる法律が相まって、ラ・ロッタ団長代行が爆誕したのだった。まあそんなわけで書類上のギーシュは意識不明の重体という事になっていて、査察の時にはモンモランシーが薬で気絶させる手筈になっていたりする。意識偽装とか、酷い話である。「・・・さて、次の書類・・・と。」とはいえ真面目なレイナールだけは、淡々とケティに言われた書類仕事をこなしていた。レイナール君偉い。ひょっとするとジゼル向けの点数稼ぎかもしれないが、偉い。だが恐らく、いくら頑張ってもケティの好感度しか上がらないだろう。しかも恋愛面では無い好感度だけ。「あっはっは!あの可愛いケティを鬼だなんて、君達は酷いなぁ!」《意識の高い学生》ならぬ《意識不明の学生》と化したギーシュが、盛り上がる団員達の言動を聞いてかんらかんらと笑う。「グラモン団長、俺たちは団長が帰って来るまで、ラ・ロッタ団長代行がこっそり根回ししていた銃士隊のブートキャンプにブチ込まれていたんですよ?」「そうです!あの泣いたり笑ったり出来なくなるほどの訓練・・・地獄だった。」「でも銃士隊のお姉さま方、皆スタイル良かったなぁ・・・ぐへへ。」水精霊騎士団員たちは、地獄の特訓を思い出して涙して・・・ちょっと頬を赤らめた。そりゃもう、きちんと鍛えている人たちなので間違いなくスタイルは良い。たぶん腹筋が6つに割れている。「微妙に楽しかったような感じを受けるがね・・・。」少々呆れたような表情で、ギーシュはワインを飲む。「まあ兎に角です、地獄のような訓練の後には休養も必要って奴ですよ。 秘密任務ですしグラモン団長がラ・ロッタ団長代行にブチ殺されかねないので聞きませんが、団長も過酷な任務の心の垢を落としましょう! ほら飲んで飲んで。」「僕が聞かれたら一瞬で任務の内容を漏らすという、その確信めいた信頼感に泣けてくるよ!」ヤケクソ気味に、ギーシュは更にワインをグイッと飲む。「漏らしませんか?」「むさ苦しい男相手なんぞに、誰が秘密を話すものかね。 むしろ聞き出そうとしようものならば、このワインボトルでしこたま殴るだろうさ、常識的に考えてもね。」真顔でそう話すが、女相手なら話は別らしい。実にわかりやすかった、これぞギーシュである。「おーいギーシュ・・・おわ、酒くさ・・・。」そんな騎士団の事務所に、才人がやってきた。「おおサイト、よく来たね。 じゃあ早速、駆けつけの一杯。」ギーシュはそう言って、木のコップにワインをダバダバと注ぐ。野郎がベロンベロンに酔っぱらうようなむさ苦しい場に、ワイングラスなどという上品な器は無いのだ。正確に言うとグラス自体はある。あるのだが・・・。以前酒盛りをしてグラスを大量に割ってしまった時に「騎士団には国から決まった額の予算が支給されていますが、逆に言うとそれ以上出ません。もしも割と高価なグラス類をこれ以上不用意に沢山割ったりしたら、貴方達の頭をこの石と同じように割りますからね?」と、ルイズに石を握り潰させながらケティがにこやか宣言し、それに皆震えて涙目で抱き合いながら何度も頷いて以降は誰も使っていない。《愛とか友情などというものはすぐに壊れるが、恐怖は長続きする。byスターリン》といった感じである。「んぐんぐ・・・カーッ、うめえ! ルイズん家のワインも美味いなぁ。」ちなみにラベルに書いてあるのは《ラ・ヴァリエール》。まあつまり、ヴァリエール公爵家の荘園で作られたワインである。先日ルイズの実家に行った時、一行が乗った帰りの船便にたっぷりと載せてあったのだ。これはルイズ達への褒美の副賞であり、アンリエッタの王都への極秘帰還を誤魔化す工作でもあった。表向きはパウル商会が買って、水精霊騎士団に寄贈した事になっているこの大量のワイン・・・団員たちに飲み放題という事で開放してあったので、非常に好評である。「・・・で、君はいつもの愚痴を言いに来たのかね?」「おう。団長の権限で、姫様にガリアとの開戦を進言してくれ。 俺はどうしても、タバサとタバサの母さんに酷い事をしたガリアのジョゼフ王が許せねえ。」滅茶苦茶過激な言葉が、才人の口から出た。「団長としては、副団長の意見には反対である。 なんたって僕ぁ意識不明の団長であってだね、進言に出向く事なんか出来ないさ。」「そこは、ケティが《適当な藪水メイジに金握らせて、時々意識が戻る謎の病気になったという診断書を書かせておいたから大丈夫》って言っていただろうに。」「あっはっはっはっは!ケティも良い事考えるよねぇ!」良い事どころか滅茶苦茶酷い扱いなのだが、当人が欠片も気にしていないどころかむしろ満足しているので、まあ良いのだろう。「まあそれはそれとしてだ、何度か説明したがトリステインには現在金が足らない。 一部とは言えこの小さな我が国内を戦場にしてしまった上に、寄せ集めとは言え10万もの兵員を動員したのだからね。 そして借金も返しきっていない。借金は怖いよ、借金は平民も貴族も関係無く追い詰めるものだからね。」「どうせ、ケティの受け売りだろ?」「当たり前だろう。本来こんなのは会計士の領分だよ。本来僕達貴族は、あまり考えなくて良い事の筈なのだ。 それではいけないと、トップがある程度数字を把握している事が大事だと、ケティには言われてはいるがね。 とは言え、僕にだって戦争に金がかかるのはわかる。 戦争には食い物が要る。そして食い物を運ぶ輸送隊が要る。兵員に払う給料だって要る。おまけに武器や弾薬も消費分を調達する必要がある。 これらがきちんと維持されないと、僕ら貴族やそれに従う兵隊はまともに戦う事が出来ない。 まあ僕ら貴族はある程度までならば誇りや名誉で戦えるかもしれないが、平民出身の兵士にまでそれを強いるのは酷というものだからね。」「それも、ケティの受け売りだろ?」「勿論だとも。こんな事を僕が自力で考えつけるわけが無いではないかね。」「ハァ・・・。」えへんと胸を張るギーシュに、才人は大きく溜息を吐いた。「全部受け売りかよ・・・。」「そうは言うがな、我が友よ。確かに僕はかなり能天気であまり深く物事を考えない性質だ、それは認める。 しかしだね。これは僕の頭が悪いというよりは、彼女が特殊なだけだぞ、絶対に。 こんなのは本来、ある程度経験を経た軍人や政治家が思いつく類の事柄だよ。 僕らのような若輩者の貴族や、まして16歳の少女がポンと思いつけるものじゃあない。」ギーシュの言葉をケティが聞いたとしたら、照れるフリをして内心冷や汗をかく事だろう。元々ギーシュはあまり深く物事を考えない性質というだけで、別に莫迦ではない。深く考えようと意識すれば、ちゃんと出来る子なのだ。逆に言うと、意識しなければ出来ないのだが。「まあ、それは確かにな。ケティが言うには、実家の書庫の御蔭らしいけど。 何でも、ハルケギニアに始祖が降誕して現在の3王国が出来上がった頃からの書物が、教会や時の権力者からの焚書などの憂き目に遭わずに比較的良い状態で残っているらしいな。」これはケティが才人に言い含めたカバーストーリーでもあるのだが、実は概ね事実だったりもする。ラ・ロッタ家の書庫にはガリアやロマリアの大図書館にすらない貴重な古文書の類が、きちんと《固定化》のかかった状態で保管されているのだ。それは教会から焚書指定の出ている本であったり、既に外では資料が失われた過去の戦記であったり、単なるマナー本であったりと様々。そしてその中には、異世界から武器と一緒に飛ばされてきた書物の類もある・・・という事にしていた。「古代の智者の智慧を借りていると常日頃彼女は言っているが、僕ぁ彼女の資質によるものがかなり大きいと思っているのだがね。 彼女は僕らとは、物事を見る視点とかが全く違う気がするんだ。 遥か天空から俯瞰的に物事を眺めているというかだね・・・まあ、これに関しては姫様も似たような感じなんだが。 その点で彼女は、ある意味君よりも遠い世界の人間に見える事がある。」「そういう事を目の前で言うなよ、泣くぞケティ。」「泣くかね?怒るような気がするが・・・。」「いや、ケティは仲間だと思っている人間には割と無防備なとこが結構あるから、そういう時に繋がりが遠くなるような事を言われると間違いなく泣く。 とは言え、百科事典みたいな奴だからなぁ。そういう知識を根っこに敷くと、色々と視点が変わってしまうのかもな。 まあこの話はこのくらいにして、話を戻そうぜ。」こんな感じで実は才人も、ケティの正体が露見しないようにこっそりフォローしていてくれたりもする。「うむ、そうしよう。 話を戻すが受け売りでも、これを覚えているのといないのとでは戦争に対する見方がガラッと変わる。 杖を振り銃を撃つだけでは戦争には勝てないという事を、予備知識として知っておけたというのは貴重だよ。 知識は道具と同じで持っているだけでは役に立たないが、持っていなくては使いようが無いからね。 しかし道具と違うのは、頭の中に沢山詰め込んでおく事が出来るという点だよ。 ああ、これも勿論受け売りだがね、はっはっはっはっは!」「お前も微妙に凄い奴だな、ギーシュ。」才人は饒舌に難しい事を話すギーシュに、素直に感心していた。ギーシュは確かに単純なのだが、単純明快に物事を素直に吸収して行く所がある。そういう所は王者の気質というか、リーダー向きな気がする才人だった。「しかし彼女が男であったならば、ひとかどの将軍になったであろうになぁ、残念なことだ。」「それ言ったら、ケティ絶対に嫌がるからやめとけよ。 姫様に将来宰相にするからと言われた時に、顔引き攣らせて泣きそうになっていただろ。」「彼女はあれだけ腹黒・・・もとい、権謀術数に長けておきながら、立身出世とかの欲望が全く無いからねぇ。 不思議なものだ、ああいうのは本来出世欲の強い人間とかにこそ備わっているものだと思うのだが。」「そこは確かに、不思議だよな。」まあ不思議なのも当然というか、彼女の権謀術数は半ば趣味である。腹黒というか、露悪趣味というか、偽悪者というか。そして好きこそ物の上手なれで、下手の横好きにならなかったが故というか。かくして狸娘は、狸娘なのだ。「シャルロット王女の件は、女王陛下がより良いようになさってくださるだろうさ。 陛下がわざわざ救出作戦にあそこまで協力してくださり、救出したシャルロット王女に歓迎すると仰られたのだから、何か考えていらっしゃられるのだろう。 僕ら軍人は、高度に政治的な事柄には首を突っ込まない方が良いのさ。」そう言いながら、ギーシュは空になった才人のコップにダバダバとワインを注ぐ。「まあ、取り敢えず呑みたまえ。 身動きが取れぬ憂さは、取り敢えず酒で流すのが一番さ。」「おう。」才人はコップに満たされたワインを、グイッと飲んだ。飲み干しはしない。才人は飽く迄も体そのものは普通の日本人であり、日本人の平均として酒にはあまり強くないのだ。そして酒は武器ではないので、才人の肝臓にガンダールヴのルーンが働きかけて酒を異常に早く分解してくれるとかそういう効能も無い。つまりこの騎士団の中で、才人は一番酒に弱かったりする。「かくして、僕たちはとある城に現れたエルフを撃退したのさ! 僕は見ていただけだがね!」「凄いですわ、マリコルヌさま。 女の後ろに隠れて見ていただけなんて、クズ過ぎます!」「はっはっはっはっは!」「見事に何もしていませんでしたのね、この役立たずの穀潰し!」「んほぉ!良いよ良いよ、もっと罵ってくれ!」才人とギーシュの耳に、ふとそんな色んな意味でとんでもない会話が入ってきた。会話の方向を見ると、マリコルヌが数人の貴族の少女に囲まれて罵られている。勿論マリコルヌは、凄く悦んでいた。貴族の少女たちにもマリコルヌの性癖は有名らしく、彼を罵る事で才人達の武勇伝を聞き出すのに成功したらしい。「ふむ・・・これはどうすべきだと思うかね、我が友よ?」「見ての通り、あいつにはありとあらゆる女の攻撃は効かないからな・・・ギーシュがやるか?」「いや、僕ぁ意識不明の団長だからね。 君に任せる事にしたいのだが、お願いできるかね?」ギーシュのその言葉に才人は無言で頷き、すっと立ち上がる。「何なら踏んでく・・・ぶべらっ!?」才人は顔を紅潮させているマリコルヌにすたすたと歩み寄ると、無言で飛び膝蹴りを鳩尾に叩き込んだ。そして、そのままグリッと顔を踏みつける。「・・・これで良いのか?」「い、良いわけがあるか!? 僕には男に踏みつけられて悦ぶ趣味は無い!」「ほう、そうか。」才人は更にマリコルヌの顔を踏み躙った。「ギャース!」「まあつまりアレだ。いい加減にしておけよ? 前回のアレは《秘密の任務》だから、バラすと洒落にならんぞ? 俺やギーシュでも庇い切れない。」才人は殺気を込めてマリコルヌを睨みつけた。「だ、大丈夫だよ。地名とかは完全にボカしておいたから。」「本当か?」マリコルヌの弁明に、才人は少女達の方に振り返って訊ねる。「は、はい。何処なのか誰なのかは知りませんわ。」「んー・・・ならいいか?」才人が足を離すと、マリコルヌは素早く立ち上がった。鳩尾に飛び膝蹴り食らった上に顔を思い切り踏まれたのに、まるで無傷である。「俺が言うのもなんだが、出鱈目な回復力だなマリコルヌ。」「フフフ。先程から乙女達に散々寄って集ってなじられた僕にとって、そのくらいのダメージならば瞬時に回復出来るだけのエネルギーが充填しているのだよ。」謎のエネルギーがマリコルヌに充填されたらしい。たぶん《変態力》とか、そんな感じのが。「あんまし調子に乗ってると、ケティに消されるぞマリコルヌ?」「あのケティに《貴方には失望しました・・・心底ね》と、ゴミを見るような視線を浴びせられながら殺されるとか、最高の死に方だろう。 常識的に考えて。」マリコルヌ的には問題ない展開らしい。そしてたぶん死なない。変態力がリミットブレイクして、華麗に復活するだろう。「お前の常識はおかしい・・・で、君達。 俺達の秘密を聞き出してどうする気?」少女達の方に振り返り、才人はそう尋ねた。「秘密を聞きだしたいわけではありませんわ、サイト様。 私達は、飽く迄もサイト様の活躍を聞きたかったのですから。」そう言ったのは、前にうどんを作っていたケティの級友であるクロエ・ド・エノー。少女達の中に彼女が居たのだ。「迷惑・・・でしたでしょうか?」「そ、そうそう。だから僕は地名とかは全部伏せているよ。 僕が説明しているのに、女の子たちはサイトばかりを褒める。 その主役になれない疎外感がまた快感でね・・・。」クロエの言葉に、マリコルヌが少々弁明染みた補足を加え始めた。「誰を助けに行ったのか、とか。何処に行ったのか、とかは全部伏せた。 その上で更に僕が罵られるように、若干改変して伝えたのさ。」「罵られるように・・・。」「そこ大事、超大事。」考えれば考える程、この目の前のぽっちゃりさんを理解出来ないどころかSAN値が下がりそうなので、才人はマリコルヌについて考えるのを止めた。そして、クロエの方に振り返る。「んー・・・で、クロエ。ケティは何て?」「な、何でケティが?」クロエは少し頬を引き攣らせて問い返す。「ケティのテストだろ、これ?」才人はクロエにそう言ってニヤリと笑って見せた。「うっ・・・流石はサイト様、鋭いですわね。」「ケティとかルイズには、よく鈍いって言われているけどな、俺。」才人はそう言って苦笑する。「ケティが自分1人で出かけるのに、何も仕掛けてこない気がしなかったんだよ。 それに情報の漏洩とか、気にしそうだしな。」「うーむ、良くわかってますわね・・・ちょっとジェラシー。 では正解という事で、こちらをどうぞ。」クロエはそう言って、袋をサッと取り出した。袋からは焼き菓子特有の甘い香りがする。「これは?」「貝殻の器で焼いたケーキですわ、ケティに教わりましたの。」才人が袋を覗き込むと、そこにはマドレーヌっぽいお菓子があった。「実は・・・このお菓子の作り方を教わる代わりに、水精霊騎士団の方々を女子がおだてに行って変な事を喋らないか調べる・・・という工作をしてくれと頼まれましたの。」クロエはそう言って、袋を覗き込む姿勢になっているせいで自分に凄く近づいている才人の頭を見ながら頬を染めた。さて、ケティとクロエにどういうやり取りがあったのかと言えば、時は数日前に遡る。「わ、おいしい!」クロエはそのお菓子を口にすると、驚きの声を上げた。そのお菓子は丁度手に持って食べられる程度の大きさで、二枚貝のような形をしていた。「それに1つがあまり大きくないのが素敵かも。」「最近、お菓子も料理もさっぱり作らずに、陰謀練ったり裏工作したりと生臭い事ばかりでしたからね。 いい加減女の子っぽい事がしたくなったので、作ってみたのですよ。」ケティ自身も《最近の私、黒い事ばっかやり過ぎじゃね?》みたいな気持ちはあったらしい。「そんだけで新しいお菓子発明しちゃうんだから大したものね・・・モグモグ。」ケティの級友であるジェラルディン・ド・パヴィエールも、美味しそうにお菓子を食べている。「貝の器で焼いたカトル・カールのようなものですから、別に目新しいと言うほどでもありませんよ。」ケティが作ったのは、マドレーヌのような小さいケーキである。まあぶっちゃけた話、マドレーヌパクった御菓子だったりするのだが。「そもそもが才人の国のお菓子の話を、聞き齧って作ったものだったりしますしね。」ケティはそう言うと、蒲公英茶を啜った。「その話、詳しく。」「やっぱり食いつきますか、クロエ。」クロエ・ド・エノーは、才人に憧れている。ギーシュと才人が決闘したあの日の雄姿が、目に焼き付いて離れないのだ。あの日。何故か血塗れで顔真っ青のギーシュが杖を振り、複数のゴーレムで才人を翻弄し追い詰めた。それは時々ある事だ。そして確定された運命だ。平民はいくら頑張っても、ドットメイジにすら手も足も出ないのだ。いずれは少々傾きかけたエノー伯爵家の為に、誰とも知れない男を婿に迎えねばならない自分と同じく、その運命は変えられないのだ。そうクロエは思っていた。しかし・・・才人は剣を握った途端に、全てをひっくり返して見せた。剣を握り運命に抗い、そして逆転して見せた。その姿はクロエの心に強く響いたのだ。彼を見ていたくなったのだ。それは恋かもしれないが、今は憧れである。そしてそれは、たぶん、ずっと・・・。「余裕だよね、ケティは。」「うーん、余裕というわけでは無いのですけれどもね。 私はひょっとすると、女としては何物にもなれないのかもしれません。」クロエの言葉に、ケティはちょっと困ったような苦笑を浮かべると、首を傾げた。「何か寂しい事言ってるわよね、ケティ?」「残念ながら、私はそれが寂しい事なのではないかと分かりつつも、ちっとも寂しい実感が湧かないのですよ。 困ったものですね、これは・・・とまあ、その話はこれくらいにしまして。」ケティの苦笑が、いつも通りの何を考えているのだかちょっとわからない笑顔になる。「クロエ、教える代わりにちょっとしたお使いを引き受けてくれませんか? いえいえ、大した事ではありません・・・。」クロエはこの時、ケティってやっぱり黒い事考えている時が一番キラキラしてるわね・・・とか、そんな事を考えていたのだった。「・・・と、こんな感じでケティに頼まれたのですわ。」「成程、それでマドレーヌか。」才人はそう言いながら、紙袋の中に入っていたマドレーヌもどきを掴んでひと口齧った。「うん、こりゃうめえ。」「まだまだありますわ。」久々に食べるマドレーヌの味に笑顔を浮かべる才人に、クロエは更にお菓子を勧める。「あーっ、クロエばっかりずるい。」「私もこんな薄汚い豚を相手にするのでは無くて、サイト様に何か差し上げたいわ!」「ぶひいぃぃ!ありがとうございます!最高です、僕の女王様!踏んで!踏み躙って!」クロエ以外の女生徒達が、不満げな声を上げる。何せ才人は4万もの軍を一人で撃退したことになっているトリステインきっての大英雄。その勇名は、全盛期の烈風カリンと比べても遜色無いものである。そして女王陛下の覚え目出度く、いずれはトリステインの歴史において初めて男爵位を賜る平民となるのではないかという話まである。まだ結婚相手の決まっていない貴族の娘にとっては、稀代の英雄の妻としての名誉と男爵夫人の地位が一気に手に入る超優良物件なのだ。才人の隣にはルイズが居たりするけど、そんなの関係ねえのである。貴族の娘にとっては夫がどの地位にあるかでその後の生活が決まる故に、優良物件には人が集中する。数が極めて少ない上にそれぞれの枠はたったの一つ。ある意味就活よりも過酷かもしれない。・・・あと、最後に何か変なのが混ざっているが、ただの変態だから気にしない気にしない。一応、グランドプレ伯爵家の嫡男だから、優良物件なんだけどね、変態だけど。「私も、私もクッキーを焼いてきましたの!」「私・・・ええと、ええと、私はこの飴ちゃんあげますわ!」「へ?あ、ああ、うん、どうも。」才人の手の上にドサドサと御菓子が積み上げられていく。お近づきになる為には、この機会は逃さない手は無いのである。「おお、凄いね我が友サイトよ。 君がそれだけモテるとは、我が友として誇らしいよ。」ギーシュはそう言いながら、嬉しそうにうんうんと頷いている。「いや・・・こういう女の子にモテるのって、お前の役目じゃね? もともと女たらしだよな、ギーシュ?」「ふっ・・・女の子に何度も何度も声をかけては、モンモランシーに何度も何度もフラれて幾つか学んだ事があるのだよ。 結局、僕はモンモランシーが居ればそれだけで良いのだ。 僕はモンモランシーがどの女の子よりも好きなのだ。 そして浮気は絶対に・・・絶対に・・・うーん・・・そう、絶対に目の届かない所で用法容量を守って正しくやればよいのだとね。 そもそもだよ。こんな狭い学院内で女の子に次から次へと声をかけたら、どう隠してもたちどころにバレるではないかね。 それに気付かずに我が可憐なる蝶であるモンモランシーを悲しませるとは、何と浅はかな事であったか!我が身を恥じ入る他は無い・・・。」ギーシュは大袈裟によろめいた。それを見た才人も頭が痛くなって、大きくよろめいた。「ギーシュお前ソレ、いま思いついただろ。 あとあの日、俺が香水の瓶を拾う前に、そこに気付けば良かったのにな・・・。」「はっはっはっは、これはしたり! あれはあれで、君と僕とが出会い親友となる為の偉大なる試練だったのだよ。」ギーシュは背中を才人のバンバン叩きながら、快活に笑って見せる。お莫迦で尊大で女たらしだが、御人好しで暢気で常に前向きなのがギーシュの良い所だ。「ま、あのお蔭で、俺はガンダールヴだって事に気が付けたしな。 そう考えるとギーシュ、お前は俺の恩人でもあるのかもな。」「ふっ・・・感謝したまえよ。」「おう。」気取ってポーズを決めるギーシュに、才人は苦笑しながら頷く。・・・と、その時、ドアが開いた。「失礼します・・・あ、サイトさん。」「お、シエスタ。」開いたドアの外に居たのはシエスタと、学院のメイド達だった。「サイトさん、丁度良かったです。」「どうしたんだ?」才人の問いに、シエスタは口を開く。「この事務所を見て、どう思います?」「どう思うって・・・。」才人は事務所を見回してみる。団員たちはワインを飲んでビンをあちこちにとっ散らかし、食いカスが床に落ちている。そしてマリコルヌは床に四つん這いになって、女生徒の椅子になっている。事務所の奥ではレイナールが淡々と事務仕事をこなしているが、仕損じの書類が整然と床に置かれて積み上がっていた。現在この事務所内には貴族しか居ない。しかも皆領地持ちの上級貴族の子弟たちである。彼らにゴミを片付けるとか整理整頓するとかいう概念は無いのだ。何故ならば、それらは彼らにとって全て使用人がやる仕事だからである。「・・・ばっちいな。」才人は一言、そう呟いた。まあつまり、以上のありさまというわけだ。「そうでしょう?なのに、皆酔っぱらっているせいで、私達メイドが片付けようと近づくと胸とかお尻とか触ってくるらしいんですよ。 私は現在サイトさん付きなので、本来ここの担当では無いんですけど・・・。」そう言って、シエスタは額を抑える。思春期の少年も酔っぱらってタガが外れたら、やる事は酔っぱらったオッサンと一緒らしい。まあ襲い掛かったりしない分だけ、生まれが上品だからと言えるかもしれない。「・・・サイトさん付きである私なら、酔っぱらった団員を説得出来るかも知れないという事で、連れて来られちゃいました。」シエスタも才人の威を借りるのは出来得る限り避けたいのだが、同僚たちに懇願されたとあっては断りきれなかったらしい。《英雄というのは利用されるものだ》と、ケティやアンリエッタから言われた才人だったが、まさかこんな形で利用されるとは思っても居なかったので、ちょっと呆気にとられている。「出過ぎた真似なのは重々承知しております。 ですがこのままでは、私達は騎士団事務所の掃除が出来ません。」 「私達は酒場の給仕をする娘では無いんです。 触られたりするのは、完全に給料の範囲外なんですっ!」『そうですそうです!』「お、おう・・・。」ドアから出て来た才人は、詰め寄って来るメイドたちに引き攣った顔で応じる。訴えてくる理由もよくわかるし、兎に角凄い迫力なのだ。怒っているルイズやケティ程ではないが、怒っているメイドたちも十分に怖かった。「流石は我が友サイト、メイド達にもモテるねぇ。 あっはっはっはっはっは!」「これがモテているように見えるとか、すげえポジティブシンキングだなギーシュ・・・。」隣のギーシュは、メイド達の迫力に全く気付いていないようだが。「仕方ない・・・俺の言う事を聞くかはわからないけど・・・。」そう言いながら、才人は酔っぱらっている仲間たちの居る事務所へと戻って行った。「おーい、みんな!ちょっと聞いてくれ!」「んぁ?」「お、何ですか、サイト副団長?」事務所内に戻った才人が声をかけると、酔っぱらいながら談笑していた団員達が、一人残らず一斉に才人の方を見る。ちなみに水精霊騎士団結成時に、才人がメイジでは無いのにシュヴァリエで副団長である事に対して不満を表明した者たち全員と決闘して一人残らず叩き伏せた結果として、全員の《説得》に成功し敬意を得ていた。何せ皆が騎士団に参加する程度には自分の腕に自信があり、そして何より血気盛んな少年達である。《俺より弱い奴には従わねえ!》の気概を持つ彼らが、ぐうの音が出ないくらい強い相手に叩きのめされた時、そこに生まれるのは敬意だったのだ。何より才人は《いつでも再挑戦は受ける》とまで宣言していて、実に男らしかった。そのため才人に《くぅ~アニキ!ついて行きますぜ、地獄の果てまで!》的な忠誠心まで持っている者すらいるのだ。まあつまり才人が普段特に何も言わないだけの話で、騎士団内に於ける才人の影響は非常に大きい。「メイドさん達からの嘆願が来ている。 お触り禁止だそうだ。」『え~!?』才人がそう言うと、団員達から不満の声が上がった。「酒ときたら女じゃないですか!そんな殺生な!」「サイト副団長には専用の可愛い巨乳のメイドさんが居るのに!」「俺たちは何もメイドさんを食っちまおうってわけじゃないんです!ただちょっと景気付けに触りたいだけなんです!」「横暴だ、断固抗議する!」幾ら人望と影響があっても、駄目なモンは駄目らしかった。「いやしかしだな。学院のメイドさんは普通のメイドさんであって、エッチい仕事は契約外なんだぞ? そういう事がしたいなら、王都に行けば幾らでもあるだろうに。」「ひっく・・・サイト副団長。 俺たちは貴族だけど、やっぱり学生なんですよ。」「そーですそーです!あの有名な《魅惑の妖精亭》とか行きたいけど、あんなトコに何度も通えるほど俺達は豊かじゃあない!」学生の小遣いで、何度もは無理でもあの手の店に行ける程だという時点でかなりのものだが、まあそれでもきついものはきついのである。ちなみに才人は《魅惑の妖精亭》で、常連になれる程度の給料は貰っている。シュヴァリエとしての給料に加えて《英雄》の肩書で発生する手当は伊達ではないのだ。そんな所に行ったらルイズが怖いし、そもそもルイズは誰かを抱き枕にしないと眠れないので、遅く帰るとか無理なのである。「よしわかった・・・こうしよう。 今度その《魅惑の妖精亭》で、パーティーをやる! もちろん、店の女の子フル出動で借り切ってだ!」「ヒューっ!太っ腹!」「流石はサイトのアニキ!話が分かる!」才人の言葉に、団員達は歓声を上げた。「そうだろう、そうだろう。 その代り、メイドへのセクハラ禁止! もしも、それでもやらかした莫迦が居たら、やめる。 だからお互いを監視して、莫迦な真似をしようとしたら止めさせるんだ。良いな?」『うっス!』団員達は、目をギラギラさせながら頷いた。「・・・だ、大丈夫なのかい、我が友サイト?」才人の言葉を聞いていたギーシュが、青い顔でこっそりと聞いてきた。「あの店を借り切るとなると、物凄い額になるのではないかね?」「あの店には多少顔が利くから、ある程度は料金には融通が利く・・・後は、そうだな。 足りなかったら、その分はケティから借金するさ。」ケティならにっこり笑って《トイチです》とか言いながら貸してくれる事だろう。たぶん本当に利子をかけたりはしない。たぶん、きっと。「しかしだね。絶対に毎回は使えないぞ、その方法。」「大丈夫。一回だけで全て事足りるのさ。」そう言って、才人はニヤリと笑う。「考えてもみろよ?あのケティが、この手の行為について報告を受けて、黙って笑って見逃すと思うか?」「ふむ・・・?」才人の言葉を聞いて、ギーシュは宙に目を泳がせ少々考え込む。ギーシュの脳裏に浮かんだのは、笑顔の大魔王と化した狸っぽい少女の姿だった。そもそもケティは、セクハラの類が大嫌いで《断罪の業火》などという、もう一つの通り名まで持つ少女ある。苛烈な罰則を伴う禁止と、その代償として何らかの楽しみを用意する事だろう。「あっはっは、まあまず無いね。彼女であれば、何か対策を考えるだろう。 成程、一度限りの出費であれば、これで十分に抑えられるというわけか。」「そういう事。俺達であいつらを抑えきれないというのは、実に困った事態ではあるんだが。 まあ・・・俺達みたいな青少年の欲望は、禁止だけじゃ止められないからな。」年頃の青少年にとって、規則なんてのは破ってナンボな所がある。しかも止めると更に燃え上がり、抜け道を求めて暴走しかねない危うさも・・・正直な話、止めるだけで止まるものではないのだ。「・・・さて、シエスタ。 取り敢えずこれで、メイドへのお触りは収まると思う。」「サイトさん。こ、こんなで大丈夫なんですか?」シエスタは心配そうに才人を見る。「ああ、取り敢えず《魅惑の妖精亭》に連れて行くまでは、これで収まる筈だよ。 だから・・・シエスタからも、スカロンとジェシカへの口添えを頼む。」「あ、はい。スカロン叔父さんとジェシカには、私からも手紙を送っておきますね。」シエスタはコクコクと頷いた。そして、ドアの外で遠巻きに見守っていたメイド達の方に歩いて行く。「皆、サイトさんのお蔭で解決したわよ!」シエスタがそう言うと、メイド達がどっとドアから事務所内に雪崩れ込んできた。「ありがとうございます。これでやっと掃除が出来ます・・・。」「助かりました、この御恩は忘れませんわ!」メイド達は安心した笑顔を浮かべて、口々に感謝の言葉を述べる。実はこの学院では、事情がどうあれ担当区画の状態が一定期間悪化すると、職務怠慢という事でメイド達の給料査定に響くシステムになっている。メイドもなかなか大変なのだ。才人と、たまたま隣にいるだけのギーシュはメイドたちに囲まれている。そんな光景を遠眼鏡で見ながら、ブチ切れている人が居た。「ぐぎぎぎぎぎ・・・。」ルイズ・・・ではなく、モンモランシーである。「ギーシュの奴、メイドに囲まれてヘラヘラしてぇ・・・っ!」ギーシュはメイドに囲まれなくてもいつも大体ヘラヘラしている感があるが、恋人が浮気の常習犯であるモンモランシーには、そうは見えないらしい。「モンモランシー、貴方ね。ちょっと落ち着きなさいよ?」そんなモンモランシーをルイズが宥めている。普段ならモンモランシーと同様に大噴火しているような気がするルイズだが、近くに冷静でない人間がいる為に却って冷静になっているらしい。「ギギギギギ・・・また浮気して!絶対に許さないんだから!」「わたし、人を宥めるのって凄く苦手なんだけど・・・。」才人の隣にたまたま居て突っ立って笑っているだけなのに、いつの間にか風前の灯火な命になっているギーシュの明日はどっちだ!?以降次話を待て!