ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの朝は、そんなに早くない。「むにゃ・・・。」そんなに早くないというか、あまり早くても困るのだ。早起きされると困るのは誰かと言えば、それは当然使用人である。主人が毎日早く起きているならば、当然のごとく使用人は主人の用事を手助けする為に、それよりも予め早く起きていなければならない。主人が朝日の前に起きて来て夕日の前に寝てしまう人ならあまり問題は無いかもしれないが、3時間くらいしか寝ない主人だったりすると、もう使用人にとってそこはまともに睡眠時間が取れないブラック職場と化す。勿論主人がそんな人の場合は交代要員やら、長い労働時間を慰撫する為の手当てが必要になる。賃金も無しに働く使用人など、このハルケギニアには基本的に居ない。使用人の忠誠とは、賃金によって維持されるものなのだ。もちろん例外はいるが、そういう者たちは普段から主人に賃金以外の何かを受け取り、それを忠誠の糧としているが故の行為である。「んむ・・・んむふふふふ。」ルイズは今日も、寝惚けつつ抱き枕の匂いを嗅ぐ。何せこの抱き枕、結構良い匂いがするのだ。石鹸の香油の匂いと、若干の汗の香り。今のルイズが一番安心する香り。「んむ~・・・ふがふが。」ぶっちゃけた話、抱き枕というのは才人で、抱き枕の香りというのは才人の香りである。才人は日本人の風習として毎日風呂に入り、全身をピカピカに洗い上げる。その為、毎日洗いたての香りがするのだ。普通の抱き枕だとこうは行かない。そのうえ適度に鍛え上げられた才人の体は、堅過ぎず柔らか過ぎず適度な感触で抱き心地が良い。寝惚けた頭でルイズは、その抱き枕に顔を埋めふがふがと匂いを嗅いでいるのだ。「ふがふが・・・はっ!?」そして我に返る。男に抱きついて更に匂いを嗅ぐだとか、大貴族ヴァリエール家の息女たる己のやる事ではない。じゃあ才人を抱き枕にするのは良いのかよという疑問もあるが、ルイズ的には《それはそれ、これはこれ》な話らしい。毎朝やらかしては、寝惚け頭がある程度醒めた時点で我に返っているルイズである。「顔、洗って来よ・・・。」目を覚ますついでに赤くなった顔を冷ますなら、冷たい井戸水が一番である。ルイズはガバッと起き上がり、そのまま女子寮の井戸へと向かう為に部屋を出て行く。そしてバタン・・・とドアが閉まり、静寂がやってくる。「ふう・・・やれやれ。」ルイズが出て行ったのを見計らって、才人が起き上がった。その表情はまさに明鏡止水。悟りを開いたが如しである。才人だって年頃の男子なれば、劣情の1つや2つや3ダース程度は浮かぶものだが、今はそれに耐えている。抱き枕にされるようになったのは、才人の記憶が確かならばアルビオンで一回死んで返ってきた時から。初めて抱きつかれた時は《オッケーなのか?これオッケー?オッケーだよな!?》とか思ったものだが、安心しきった表情を浮かべて眠りについたルイズを見て、《これは俺を心配しているんだ》と気づき、それ以来ずっと耐えている。もしも手を出したら・・・いつぞやみたいにボコボコにされて、鎖で繋がれる未来が待っているに違いないと思ったというのもある。そして耐えているうちに、次第にその環境に体が順応して、割と普通に眠れるようになってしまった。勿論、起きている間は乙女の良い香りと柔らかい感触の刺激から生じる劣情に、グッと耐えねばならないわけだが。「さてと・・・準備準備。」才人はベッドから出ると、ルイズの箪笥を開けて制服一式を取り出す。ブラウス、スカート、オーバーニーソックス、マント。それらに妙な皺や解れなどが無いかどうかチェックし、綺麗に畳みなおしてベッドの上に置く。「うむ・・・完璧だ。我ながら惚れ惚れするぜ。」最初は何でこんな事を俺がやらなければいけないんだと思っていたが、ルイズが実はかなり身なりに大雑把なのに気付いて、それ以来きちんと用意する事にした。正確に言うとルイズも自身である程度までは出来るのだが、元々大貴族の娘でそういう身なりを整えるのは全部使用人にやって貰っていた為なのか、もしくはセーター作ったら謎のヒトデ型クリーチャーを作ってしまう程不器用だからなのか、どうしても上手くいかないのである。それでも外を歩いても大丈夫な程度には何とかでっちあげる事には成功していたのだが、矢張り貴族の目はそういう身なりに敏感であり、そこもルイズが莫迦にされていた理由の一つだったりする。才人はそれに気付いたので、以来ルイズの着替えを手伝ったりまではしないものの、着替える前の服の細かい管理をやっていた。可愛い自称ご主人様には、成るべく可愛くしていて貰いたいが故である。そして更に、今は頼りになる助っ人も出来た。「おはようございま~す・・・。 あ、サイトさん、おはようございます!」そろーっとドアを開けて入って来たシエスタが、才人の姿を確認すると元気に挨拶をする。「ああ、おはようシエスタ。」助っ人ことシエスタに、才人はのんびりと挨拶を返した。才人は事前に服のチェックをするなどのサポートは出来るが、ルイズの服を着替えさせる事は流石に出来ない。そしてこれは才人を抱き枕にしているルイズ的にも何故かアウトらしく、着替えの手伝いをしろとは言ってこない。抱きつくのは良いが、服を脱がされるのは駄目らしい。乙女心は複雑である。まあそこで必要になるのが女手であり、手近で声をかけられるのはシエスタであった。それに今はシュヴァリエである才人専属にして唯一の使用人となったという事もあり、手伝って貰うのも割と気安い。「ミス・ヴァリエールは、いつも通り井戸ですか?」「ああ、いつも寝惚けた頭をスッキリさせに行くからな。 ・・・でも時々、寝惚け過ぎて井戸の縁に登った挙句、落ちるけど。」ちなみに最初に井戸に落ちた時は、脱出する為に井戸を消し飛ばしてから歩いて出て来た為に大騒ぎになった。そしてしこたま怒られた・・・何故か才人が。更に才人は使い魔なのに何故か《監督不行届》という理由で。世間的にはルイズが才人を使い魔として世話しているのではなく、使い魔である才人がルイズを世話して日々の生活を監督している事になっているらしい。大体あっているとは言え何となく釈然としない才人だが、まあそういう事になっているなら仕方が無いと諦めた。その為ルイズには『脱出する為にいちいち井戸を破壊するな、何故か俺が監督不行届で怒られるから』と堅く言い聞かせており、その為か最近は井戸の壁面を三角飛びで登ってくるようになったらしい。何で井戸に落ちたのかわかるかと言えば、当然井戸に落ちるとズブ濡れになるからである。「・・・ただいま。」水も滴る良い女と化した、ズブ濡れのルイズが帰って来た。ボケる余地があれば外さない。しかも天然。それがルイズである。「また落ちたわ。 ここの井戸危ないわね、井戸の縁に登ったら落ちるだなんて。 いつか誰かが私みたいに落ちるわ。安全対策が必要だわね。」「また落ちたのか。 あと、お前以外の人間は意味も無く寝惚けた状態で井戸の縁に立ったりしないから安心しろ。 それで、井戸は・・・。」濡れて体の線がくっきりと浮かび上がるルイズを、あまり見ないようにしながら才人は尋ねる。何せルイズは身長低目な割に、意外とでかい。ケティ程ではないが、でかい。何処がとは言わないが、彼女が物凄く気にしていてかつ贅沢な願いを抱いている箇所である。普段は制服とマントの下だが、薄着でしかもズブ濡れだとはっきりとわかるのだ。つくづく思春期の少年には、刺激のきつい環境である。「破壊していないわ。 今回は垂直跳びで脱出したもの。」既に三角飛びも必要無いようだ。「まあ大変!すぐにお拭きいたしますわ!」シエスタはズブ濡れのルイズに駆け寄ると、木綿の布でルイズを拭きはじめた。ちなみにこの世界にはまだタオル織りの技術も機械も無いので、和手拭みたいな感じの布である。「シエスタ、着替えは万事抜かりなく用意しておいたから、ルイズの着替えは任せた。」「はい、それじゃあサイトさんは、いつも通り部屋から出ていてくださいね。」「おう。」こんな感じで、ルイズと才人の朝は始まるのである。さて、食事も済みルイズ達が講義を受けている最中、才人は暇である。貴族の身分になったのでルイズ達と一緒に講義に出席する事も許されてはいるが、何せカリキュラムはメイジ用である。魔法が使えない才人にとって、正直何も出来ないので死ぬほど暇な代物だった。そもそも貴族の子弟は基礎学科は全て実家で親や家庭教師から教わるものなので、いきなり応用から始まる。そう、基礎がわからないのだ。文字すらわからない。これでは講義を受けても無駄でしかない・・・なので、才人はとある所に来ていた。「おはようタバサ。」図書館にやって来た才人は、のんびりと読書をしていたタバサに声をかける。「ん。おはよう、サイト。 それじゃ、始める。」「きゅい。」頭の上に翼の生えた青い猫を乗せたタバサは、自分が読んでいた本を栞の所まで戻した。何を始めるかというと、才人はタバサに文字を教わっているのだ。「おう、今日もお手柔らかに頼むぜ。」何故、才人がタバサに文字を教わっているのか?遡る事数か月前、場所は同じく図書館にて、才人は頭を抱えていた。彼がハルケギニアの文字を覚えるには、色々と問題があったのだ。「文字を覚えようと思って図書館まで来たのは良いが・・・。 良く考えたらだ。辞書も無いのに、どうやって文字覚えるんだよ?」トリステインの言葉は何故か中世後期のフランス語そっくりなのだが、才人はそもそもフランス語なんて《ボンジュール》くらいしか知らない。そして知らないと、才人の脳内で勝手に日本語に翻訳されてしまう。才人の日本語も相手が日本語を知っている者でない限りは、勝手にトリステイン語に脳内で翻訳されてしまうのだ。そして文字というのは、言語の発音を記号で表記する技術である。「そもそも日本語にしか聞こえないのに、単語も文法も覚えられるわけがねえ・・・。」元々英語の授業とか大嫌いな才人だったが、こっちの世界で使われている文字が読めないと色々と不便でならないから結構やる気だったのだ。しかし折角やる気なのに、ゲートをくぐった際にかかったと思しき翻訳魔法が高性能過ぎて、文字を覚えるとっかかりすら掴めなくなる有様だった。何とも皮肉な状況に、才人は陥っていた。「ケティに教わるか・・・。」ケティは日本語を話す事が出来る。つまり翻訳魔法の範囲外に飛び出す事が出来る上に、日本語とトリステイン語の両方の言葉が話せる。なのでどういう綴りでどういう言葉なのかを教わる事が出来るというわけだ。「コココココココココ・・・。」頭を抱える才人の背後から、謎の変な笑い声が聞こえてきた。「その言葉を待っていましたよォ、才人。」振り向いた才人の視線の先には、胡散臭い笑みを浮かべる狸っぽい少女の姿。「何処の秦の怪鳥だお前は・・・で、教えてくれるのかケティ?」「勿論です。才人がやる気になるのを待っていました。 放って置けば、文字がさっぱりわからない事の不便さに気付いて、やる気を出してくれると思っていたのです。」狸っぽい少女ことケティはそう言って、ニッコリと微笑んだ。そんなケティに、才人はジト目になって問い返す。「あー・・・ケティ。俺がやる気になる前に教えようという気にはならなかったのか?」「やる気になる前に中途半端に教えたら中途半端に満足して、習得度も中途半端になる可能性がありましたから。 文字に対する飢餓感が限界を超すのを待っていたのですよ。 勉強というものは対象への知的欲求に対する飢餓感が強ければ強い程、早く深く憶えられるというのが私の経験則なのです。 逆に、憶える気がさっぱり無い物を教えても、大して憶えられません。」ケティはそう言ってから、にんまりと笑った。「・・・まあ、文字情報を当たり前のように受け取って暮らしていた人間が、急にそれから遮断された環境に放り込まれた場合、どのくらいまで耐えられるのかという学術的興味もありましたが?」「実はそっちが本音かっ!?」「ほほほほほほ・・・。」才人のツッコミをケティは笑顔で受け流した。「宜しい。私が教えましょう・・・と、言いたい所ですがネ。」語尾が弱々しくなると同時に、ケティの表情が煤けた。「王城から召喚命令が来ていまして、そっちの仕事で手が離せません。 これから先に必要な事ではあるのですけれども・・・ネ。」この時トリステインは軍の装備やら編成やらを近代化している真っ最中。そして無煙火薬のコルダイトを取り扱えるのはパウル商会しかないというか、パウル商会の工房でしか同じものを作れない。射程・威力共にガリアのものを凌駕するダルグレン砲もどきの技術は軍伝いに大砲を製造している各工房へと流しているが、肝心要の火薬をパウル商会は握っているという寸法である。正直な話、ケティとしては自分が引っ張り出した全ての技術を独占してコントロールしたいのだが、それはパウル商会の規模的に無理。その為に行われている苦肉の策だったりもする。まあそんなこんなで、実はケティもパウル商会も死ぬほど忙しい。表向きは空賊化した旧アルビオン空軍艦艇への対処だが、内実は軍拡著しいガリアへの準備である。「うげ。じゃあ、俺に教えられる人いないじゃん・・・。」「大丈夫ですよ。才人の翻訳魔法が私の思っている通りのものなら、私が代役を頼んだ人物でも何とかなります。」ケティはそう言ってから、図書館の片隅で黙々と本を読んでいるタバサの所に歩いて行く。「そんなわけでタバサ、お願いします。」「ん。お願いされた。」タバサはこっくりと深く頷いたのだった。ちなみに対価は、食堂のハシバミ草サラダを特盛にする事。友情は見返りを求めないが、タダより恐ろしいものもまた無いのである。そんな感じで始まったタバサの文字講座は、タバサがガリアで幽閉された期間中に一度中断されたものの、現在は再開していた。「そういやタバサ、授業には出なくて良いのか?」「その為にケティが、王城で色々とやってくれている。 実は・・・。」ちなみに現在ケティがやっているのは、タバサの身分について教皇の身分保障を得る事だったりする。大国であるガリアに対して、トリステイン単独ではあまりにも不利である。そこで先ずはゲルマニアに行った際に、選帝侯であるツェルプストー辺境伯の支持を得る事により、いざという時にゲルマニアが動く《可能性》を作った。とは言え、ゲルマニアでは力の後ろ盾があっても権威が足らない。そこで権威という事に関しては有り余っているロマリア教皇の支持を取り付ける事にしたのだ。表からはマザリーニ枢機卿伝手にロマリア教皇領の有力者であるピエトロ・ジュリアーノ司教枢機卿という重力に勝て無さそうな人に渡りをつけ、裏からはジュリオ・チェザーレ助祭枢機卿こと珍獣ジュリオに手を回して教皇の面会とタバサへの身分保障の内諾を取り付けられるところまで話が行っていた。「誰が珍獣か!?」「急に怒鳴るなど、一体何があったジュリオ?」「え?あ、ああ、申し訳ありません猊下。 何やら僕を不当に貶める気配が・・・。」なかなか鋭い奴である。まあそれはさて置き、ケティはトリステイン女王アンリエッタとロマリア教皇エイジス32世の公式会談を開き、教会の権威でタバサの身柄をトリステインが確保している事に対してガリアに有無を言わせない状況を作ろうとしているのだ。勿論これにはかなりの金がかかったし、何よりトリステインがロマリア教皇に大きな借りを作る事になるが、やらないとタバサを口実に戦争が起きてしまいかねない。束の間の平和をちょっとでも長引かせる為のコストであると、割り切るしかないだろう。「・・・という具合。」「内容はわかったけど、タバサって今喋ったか?」納得しつつ納得いかない表情を浮かべる才人。「ん。長く喋ったから、世界の法則がちょっと乱れた。」「そうか、世界の法則が乱れたんなら仕方が無いな。」才人は納得する事にした。納得しないともっと怖い事になりそうだったから。「そんなわけで、今の私は宙ぶらりん。 学籍復帰していないから、暇。」「そういう事なのね。 お姉さまは今、暫定無国籍なので暇です、きゅい。」タバサの言葉を肯定するように、青い猫と化したシルフィードがコクコクと頷いた。ちなみにシルフィードは最近すっかり猫の姿である。何故かと言えば、服を着なくて良いのと話せるを両立出来る形態だからだ。何せ犬猫の使い魔には人語を話せる者がそれなりに居るので、シルフィードが話してもそんなに違和感は無い。問題があるとすれば、学院の皆の認識が《タバサの使い魔は風竜》から、《タバサの使い魔は時々風竜っぽい姿に変身する事のある喋る猫》になってしまった事だろうか。餌も大きな牛肉から魚に代わり、散歩していると生徒から猫じゃらしでじゃらされる。そして猫じゃらしにじゃれる猫(風竜)・・・もはやすっかり猫扱いのシルフィードである。「暇だから、貴方の勉強には付き合える。」タバサはそう言いながら、才人の語学勉強用に用意した本をすっと開いた。「今日は文字の練習もする。 それと・・・貴方の祖国の話、今日も教えて。」「うーん、そんなに俺の公民の教科書のうろ覚えが面白い?」「貴方の祖国の制度の話とか、とても興味深い。」そして今日もタバサの知識欲を満たしつつ、才人の語学授業が行われるのだった。・・・そして、時系列は前話の最後まで進む。「あがが!?」「何があががよ。」水精霊騎士団の本部出入り口を臨める場所にて、キレるモンモランシーをルイズが宥めているつもりだが全く宥めていないという状況が発生していた。具体的に言うと、ルイズは騎士団へと突撃をかまそうとしたモンモランシーの腕を取り、頭を下げさせて足を引っ掛け、卍固めをしている。「そもそもわたしは怒る方であって、冷静に宥めるとかはケティとかモンモランシーの役割じゃない? なのに何でモンモランシーがキレて、それをわたしが宥めているのよ。」「コレの何処が宥めているのよ! 痛い痛い、何か首が痛い!?腕も胴も!?息がちょっと苦しい!?」それほどガッチリと固めているわけでは無いが、抜けられない程度には固められている。虚無の魔力で腕力が増強されているルイズ相手では、腕力で強制解除というのも無理。そしてそんなに体が柔らかいわけでは無いモンモランシーにとっては、これが結構痛かった。どうでも良い話だが、ルイズは猫並みに関節の柔軟性が高いので、ストレッチ系の技があんまし効かない上にするっと抜ける。「うーん、どうすれば良いのかしら? 本当に、これ以上どうやって宥めたら良いかわからないわ。 ぶん殴って気絶させれば良いかしらね?」「この上で殴るの!? あと何度も言うけど、これは絶対に宥めてないから!」モンモランシーは、悲鳴のような声を上げた。「大体ね。あの程度にいちいち怒ってたら、これから身が持たないわよ。」「あいたたた!な、何で私達の中で一番怒りっぽい貴方がそんなに冷静なのよ!?」ギリギリと腕と頭を極められつつ、モンモランシーが問い返す。「だってサイトは既に英雄扱いだから、あの手のには慣れっこだもの、わたし。 いちいちあの手の女を排除していたら、その代りに殴られるサイトの精神に重大な傷が残りかねないわ。 勿論、わたしがあいつの目の前にいる場合は、舐められないようにガツンと行くけどね。 軽い浮気はしても本気にはならないと信じて、遠くから監視しつつ泳がせる度量も、女には大事なのよ?」「言っている事は良くわからないけど、兎に角凄い自信ね! もう落ち着いたから、そろそろ解放して!」モンモランシーの懇願を受けて、ルイズは卍固めを解いた。「フンガー!」途端にダッシュでギーシュに向かってモンモランシーが走り出したが・・・。「ああもう・・・落ち着きなさいって、言ってるでしょ!」「ムガー!!?」ルイズは走るモンモランシーの背中に飛びつくとキックで膝カックンをしつつ、ふくらはぎの膝近くを踏んづけ膝まづいた状態にしてから、仰向けになるように上半身を素早く引き寄せ両膝を背中に押し付けて、顎を両手で持ち後ろに引き倒して固定した。「ムガ!?ムガガガガガガガガガ!!!!?」モンモランシーは何が何やらわからないうちに呼吸困難になり、自分の背骨がミシミシ音を立てるのを聞く羽目になった。これはカベルナリアというメキシカンプロレス(ルチャリブレ)発祥の技だが、何でルイズがこんな技を知っているのかは謎である。ちなみにこの技、滅茶苦茶痛いし苦しいが、腕をちょっとしか動かせない上に顎を極められるので唸るくらいしか出来ないという悶絶不可避の技なので、素人は決してやらないように。「落ち着いた?」「これ以上はっちゃけたら、次は貴方に背骨折られて殺されそうな気がして、恐怖で落ち着いたわ・・・。」カベルナリアで呼吸を阻害され落ちる寸前までいってから解放されたモンモランシーは、窒息しかけて頬を紅潮させつつも疲れた表情を浮かべる。どうやら、本当に落ち着いたようだ。「さっきも言ったけど、こういうのってルイズが真っ先に飛び掛かっていく事案じゃない。」 「あいつの目の前にわたしが居たら、そりゃやるわよ? そうで無いなら、やらないの。 《暴力は将来の行動への抑止の為に、抑止したい相手に分かりやすく使うべし》って、ケティの本にも書いてあったし。 ある程度殿方を泳がせる余裕と度量も大事よ。」「ケティの本って、政治とか思想関係の本じゃない・・・?」モンモランシーは首を傾げた。ケティは男女関係の本なんか出していないし、そもそも男女関係に関しては物凄く奥手なので書くわけがない。あの娘に関しては出し抜くとか抜かれるとか、その点を全く心配しなくて良いレベルと言って良い。謀略だったら鼻歌交じりにやってのけるのに、世の中ままならないものねとモンモランシーは思った。「政治も恋も、結局は人心を制御する術がモノを言うのよ。 あと政治関係の人心制御術は殿方に効くわよ、たぶん。 だって政治は普通、殿方がやるものだもの。 ケティとか姫様とか見てると、そのあたりの認識がぐらつくけど。」「時々思うけど、意外と頭良いわよねルイズ。」ルイズの話を聞いたモンモランシーは、感心したようにそう言った。「何故か皆が悉く忘れているけど、私座学でずっとトップだったでしょ! 昔の私の数少ない取り柄で、誇りの拠り所だったのに!」モンモランシーの言葉と態度に、ルイズが顔を真っ赤にして地団太踏みながら抗議する。「あー・・・普段の行動の脳筋っぷりですっかり忘れていたけど、そうだったわね。 うんうんあったあった、そういう死に設定。」「むきー!」ルイズ的には結構頭にくる事態らしく金切声を上げて腕を振り上げるが、モンモランシーを殴ったりはしない。口での侮辱には口で返すのがルイズの本来の流儀である。才人は良くも悪くもルイズの特別なのだ。とは言え・・・とは言えである。ルイズは座学は出来るし頭も回るが、いざ口を開くとフィーリングで喋る人間な上にあまり人を罵倒するような環境に無かった為か、罵倒表現のボキャブラリーが貧弱だった。自分に対して性的狼藉をはたらこうとした才人を散々《犬》呼ばわりしたことがあるが、実のところあの時も犬以外の罵倒表現が特に浮かばなかった結果だったりする。才人を犬呼ばわりした時のルイズの動きはこうである。《こ・・・この・・・(特に罵倒表現が思い浮かばない)犬!そ・・・そそそそそう、犬・・・犬よ犬ええっと・・・(追加の何かを言おうとしたが特に思い浮かばない)ええっと・・・このバカ犬!》こんな感じで、この時はバカと犬しか浮かばなかった。そんなルイズがモンモランシーを罵倒しようとすると・・・。「ばーか!ばーか!守銭奴ー!縦巻きー!金髪ー!背が高いー!」結果として、この有様である。莫迦と守銭奴呼ばわり以外は、特徴の羅列しか出来ていない。モンモランシーの特徴に胸が貧しいというのもあるが、ルイズ的にはそれを言うと自分にもダメージが来るので言えなかった。「水の秘薬の実験が趣味ー!」口喧嘩の際には優雅に苛烈に罵倒しあうのが普通のトリステイン貴族相手にこんなでは、もちろん幼児だって泣かせられない。「ほほほほほほ・・・。」当然の如くモンモランシーは、そんな小動物染みたルイズを微笑ましく見守っていた。全然効いていないどころか、半泣きのルイズの頭をポンポンと撫でている。勝敗は、誰の目にも明らかであった。「あ、ルイズにモンモランシー、ここに居たのね。」そんなグダグダな二人に声をかけて来たのは、キュルケだった。キュルケは最近暇である。何故かというと、コルベールへの攻勢が尽く頓挫して戦線が完全に膠着化している上に、最近タバサが構ってくれない。構ってくれないというか才人の近くによく居るのを見かけるようになったので、《あの子にもついに春が来たのね・・・》とか早合点し気を回している現状である。タバサとしては才人が自分が仕えるべき勇者(イーヴァルティ)であるのか見極めたいのと、才人の話してくれる知識が下手な本より面白いのでくっついているだけなのだが・・・今の所は。「あら、どうしたのキュルケ?」半泣きのルイズの頭を撫でながら、モンモランシーがキュルケに尋ねる。「あら、楽しそうねモンモランシー?」「楽しいわね。貴方がどうしてルイズをおちょくるのか、ちょっとわかった気分だわ。」キュルケもルイズの頭をぽふぽふと撫ではじめた。『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』モンモランシーとキュルケが、暫く無言でルイズの頭を撫で続ける。何か凄く楽しそうである。「ええい!鬱陶しいからやめなさい!」暫くなされるがままだったルイズだが、正気に戻ったのか二人の手を振り払った。「で、何しに来たのよキュルケ?」「実家に頼んでおいたものが届いたのよ。」キュルケはそう言って、ニッコリと微笑む。その笑みをルイズとモンモランシーは良く知っていた。何せそれはケティがろくでもない事を考えている時に浮かべる笑みにそっくりなのである。「何か悪い予感がするから、聞かないでおくわ・・・。」「ルイズに同じく、ろくでもない事が起きそうな予感がするわ・・・。」ルイズとモンモランシーは、きっと想像した以上にろくでもない出来事が自分達を待っている気がしたので断る事にした。ケティと付き合っていると、そういう感覚が無駄に磨かれる。「そ、そんなつれない事言わないでよ!? 別に取って食うわけじゃないんだから。」「仕方が無いわね・・・何が届いたの?」ルイズにとってキュルケは何だかんだで不本意ながら親友の一人であるからして、あまり邪険にするのも忍びない。そんなわけで、聞くだけ聞いてみる事にした。「ほら、うちの晩餐会で貴方達の体のサイズをしっかり測ったじゃない?」「んぁ?ああ、ドレスが無いから仕立て直して貰った時のアレね。」思い出すかのように中空に視線を漂わせるルイズ。実はツェルプストーの城館に居た時に、歓待の晩餐会が開かれていた。その際にルイズ達は城館にあったキュルケのお古のドレスを仕立て直して貰って晩餐会に出席していたのだ。お蔭で女性陣は物凄く派手なドレスを着る羽目になったのは言うまでもない。胸を強調したデザインのドレスを着せられたケティは、危うく精神的死を迎える所だったとまで語っている。「あの時にちょっと気づいたことがあって、うちの御用仕立て屋に頼んで色々と仕立てて貰ったのよ。 貴方達の装いに関する事ならって、御父様も喜んでお金を出して下さったわ。 うちからの細やかなプレゼントってとこね。」「服を仕立ててくれたの!? 助かるわ、うちは御用仕立て屋を用意するお金も無いし・・・。」キュルケの言葉に、モンモランシーは素直に喜ぶ。モンモランシーは胸以外はスタイルが良い部類に入るので、割とどんな服も似合うのがちょっとした自慢である。「ええ、服も仕立てたわ。」「キュルケがこんなに良い奴ぶるとか、何か引っかかるわね・・・。」ルイズ的にはあの女好きでモット伯の上位種みたいなツェルプストー辺境伯が、喜んで金を出したという点が特に引っかかっている。良い予感がまるでしなかったが、モンモランシーはタダで服が手に入ると聞いて喜んでいるので、それ以上突っ込めない。何よりギーシュの件を忘れてくれている事だし、黙っている事にした。キュルケの事だからろくでもない案件だろうが、ケティの持ってくるろくでもない案件に比べれば、ちょっとした悪戯みたいなものだし・・・と。ルイズはキュルケを舐めていた。キュルケはケティとはまた別方面で、特にケティが得意では無い方面で、割とえげつない人物であったという事を忘れていた。『何よこれー!?』取り敢えず着てから叫ぶというお約束を、ルイズとモンモランシーはやる事になったのだ。ちなみにルイズとモンモランシーは今、キュルケの部屋でスッケスケで際どい下着を着ている。「ななななな、何なのよこの破廉恥な下着は!?」「破廉恥?違う違う(Nein Nein)《オトナの下着》よ。 だって貴方たち、地味なのしか持って居なかったじゃない。 お父様にそれを伝えたら《うむうむ。清楚なのも良いが、女は矢張り色気だな》って、ポンとお金出してくれたわ。」ルイズの悪い予感は、カチンと音を立ててピースが嵌った。そう、あのツェルプストー辺境伯が、純粋な善意でポンと金を出すわけが無いのである。「何て・・・何てしょうも無い理由で、こんな物を・・・。」ルイズは額を押さえる。「しょうも無くなんて無いわよ、ルイズ。 貴方本当に、そういう所はお子様よね・・・。 だから、サイトと毎晩一緒に眠っているのに、一切手を出されないのよ?」「な、ななな、何でそれを知っているのよ!? そ、そそそ、それにね。手を出された事ならあるのよ、これでも!」ルイズは慌てながらも、胸を張ってそう返した。そう、手を出された事ならあるのだ。最初の頃に一回きり。その時はブッ飛ばして首輪つけて廊下に叩き出したわけだが・・・。「へー、ふーん、ほーぉ? 初耳初耳!・・・で、何処まで行ったの?」「む・・・胸を・・・さわ・・・触られ・・・。」取り敢えずハッタリ効かせてみたルイズを、モンモランシーが問い詰める。「貴方、体格の割にはそこそこあるものね・・・ケティ程じゃないけど。」「私もせめて、あのくらいは欲しいわ・・・なむなむ。」ちょっと神様に祈ってみるルイズ。「まあ良いわ・・・で、胸を触られてどうしたの?」ルイズとモンモランシーが始めた胸談義を遮って、キュルケが尋ねる。キュルケは胸的な意味で持てる者なので、胸の小ささで悩む者の気持ちはあんましわからない。しかも巨乳である事を積極的に利用するタイプなので、胸が大きい事で悩んだ事も無いのである。己にあるものを最大限に活かし、どうやって目的を達成するかが彼女にとって一番大事な事である。「む・・・胸を触られて・・・揉まれて・・・ええと・・・ブッ飛ばしたわ。」『はぁ・・・。』ルイズの言葉を聞いて、キュルケとモンモランシーは肩を落とす。「はい、解散。」「所詮ルイズはルイズね~・・・期待して損したわ。」「な、何よう!乙女の純潔は安くないのよう! いきなり襲って手に入れようだなんて、そんなの許されにことだわ!」心底残念そうな二人に、ルイズは腕を振り上げて抗議する。「・・・それで、以降は?」「改心したみたいよ。それ以降、何も無いわ! かくして私達は、お互いに節度を持った信頼関係を築けたのよ。」『はぁ・・・。』きっぱりと宣言したルイズに、キュルケとモンモランシーは溜息を吐いた。「貴方それ、女として扱って貰っていないんじゃあないの?」「がーん!?」キュルケの一言にルイズはショックを受けたが、いやいやそんなわけがないと首を振る。「だだだ、大丈夫よ!この前もキスしたし!」「キスして、それから?」「御父様に見つかって、二人で脱兎の如く逃げたわ! 勿論、手を繋いで!」「それからは?」「な・・・何もないわよ。何なの?何か文句あんの?」キュルケとモンモランシーは顔を見合わせた。「ねえモンモランシー、サイトって不能なの?」「直近では確認していないからわからないけど、前に健康チェックでサイトの体内の水の精霊の流れを調べた時には、そういう兆候は無かったわよ?」モンモランシーはそう言ってから、ふと気づいたようにキュルケに話しかける。「私はギーシュしかわからないのだけれども・・・殿方って、そういうのを抑えられるものなのかしら?」「そう言えば、昔サイトを試しに一度誘惑した時には、何とか耐えていたわ。 普通の殿方はちょっと難しいかもしれないけれども、サイトには出来るのかもね?」「そうよ、サイトはやれば出来る子なの!」二人のやり取りに安心したのか、ルイズがうんうんと頷く。主人と使い魔としての絆と、お互いを大切にする愛が合わさって最強に見えるわ・・・とか、ルイズは思っていた。「いや、それにしても毎晩一緒で耐えられるってのは、あんまり無いと思う。」「そうよね。」しかしキュルケとモンモランシーは、首を横に振る。そう、常識的に考えて、何日も女に抱きつかれながら一緒のベッドに居て何もしないなんてのは、この2人にとって《有り得無くね?》という事態だったのだ。「やっぱり貴方、女として扱って貰っていないんじゃないの?」「がーん・・・がーん・・・。」ルイズはショックで真っ白になった。煤けるどころか、燃え尽きた感がある。「だからこその色気よ・・・ルイズ?」「だから・・・こそ?」キュルケの甘い囁きによって、ルイズは再起動した。「ええ。殿方を再びその気にさせるには、何か斬新な感動を呼び起こす必要があるわ。 普段の清楚な出で立ちとはちょっと違う貴方をサイトに見せて、貴方という存在が女であると見直させてあげたくはなくて?」「お・・・おおう・・・。」救いの神よと言った感じで、ルイズは震える手をキュルケに伸ばす。「フフフ・・・貴方を妖艶にコーディネイトしてあげるわ、この私がね。」思い切り吹き出しそうになるのを堪えながら、キュルケは慈母の表情を浮かべてルイズを見るのであった。「うわぁ・・・まあ、新鮮さは確かにスパイスになりそうだし、私も乗っておきますか。」ケティは居ない。キュルケはルイズで遊ぼうとしている。モンモランシーは止める気ナッシング。「う・・・うーん。学院で妙な事が起きていなければ良いのですが・・・。」不意に襲った寒気に、王城のケティは身を震わせる。そんなケティにアンリエッタが声をかけた。「取り敢えず手続きは終わったし、そんなに心配なら一度学院に戻って身支度しなおしてきなさいな。 出発は三日後だしね。」「わかりました。一度帰りますね。」そんなわけで、ケティは久々に学院に帰れることになったのだった。「帰りますよ、スブティル! 何か面白酷い事になっていそうな予感がします!」皆がすっかり忘れていたであろうケティの使い魔、飛竜のスブティルに乗って彼女は飛び立つ。ケティはルイズを救えるのか、それとも崖から突き落とすのか?次話を待て・・・待ってくださいプリーズ。