聖都ロマリア。 かつての大帝国の首都であり、今はロマリア教皇庁を核とした神権国家ロマリア教皇国の首都であり、今もロマリア半島きっての大都市です。 最盛期よりは縮小し、都市としての規模はガリアの首都リュティスよりも下ですが、それでもハルケギニア全土に影響を及ぼす教会の総本山なだけあってヒト・モノ・カネが集積しているため、人口は約28万人にものぼります。 我が国の王都トリスタニアを遥かに凌ぐ規模の都市なのです。 まあ、我が国がハルケギニアの主要国の中で、一番小規模なだけという説もありますが。「ようこそいらっしゃいました、アンリエッタ国王陛下。」「出迎え、感謝します。」 トリステイン国王御座艦になった大型戦列艦デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェンから降りた私達は、緋色の僧衣を身に纏った集団に出迎えられる事になりました。 彼らの格好は、トリステイン王宮に於いては姫様の近くでよく目にすることが出来ます。わかりやすく言うと、マザリーニ枢機卿が着ている僧衣と同じなのです。 そう、彼らが枢機卿・・・この国に於いて貴族相当の階級にある聖職官僚です。「お久しぶりで御座いますな、陛下。」「ピッコロミーニ外務長官も、壮健なようで何よりですわ。」 ちなみに出迎えてくれたのはエネア・ピッコロミーニ司教枢機卿。 アルビオン戦後処理会合の際、ロマリアの全権大使としてハヴィランド宮殿にいらっしゃっていた方で、外務長官という外交関係の長なのです。 国王相手ともなると、出迎えはこのレベルの方がいらっしゃいます・・・ちなみに私は侍女の格好で姫様の後ろをついて行っています。 フフフフフ・・・この身はモブ故に、完璧に背景に紛れ込んでいる筈です。「おや・・・ラ・アロドゥラ殿もいらっしゃったのですな。 歓迎いたしますぞ。」 ファッ!?何かバレてる!? ラ・アロドゥラというのは、ロマリア語で雲雀(ひばり)。つまり私のペンネームであるル・アルーエットの事です。 かなりびっくりしましたよ。やれやれ、表情を変えずに済んでいたでしょうかね、私?「おや。ピッコロミーニ外務長官は、私の事を御存知だったのですね?」「ええ、ジュリオがそちらで度々お世話になっております故に。」 ジュリオから伝わった・・・つまり彼は私がル・アルーエットだという事を知っていたわけですか。 彼とは実名しか教えていない筈なのですが、いったい何処から漏れたのやら? あのペンネームと私が繋がっている事を知っている人は、そんなに多くはありません。 姫様がジュリオの毒牙に引っかかる・・・うーん、無いですね。となると女王付侍女か銃士隊から? 私にはあの珍獣の何が良いのかサッパリですが、女性には何故か異様にモテますからねジュリオ。 しかしロマリア上層部に顔を知られてしまっていますか、私? これは迂闊でした。知っていれば、念入りに変装したのですが。「成程、ジュリオ・チェザーレ殿からでしたか。表には名も顔もあまり出さぬようにしておりましたので、少々驚きました。」「かのラ・アロドゥラ殿がジュリオより年下の少女であったという事を知った時は、大いに驚愕したものです。 きっと始祖の恩寵の賜物に違いないと、教皇猊下も仰っておられました。」 ジュリオの伝手なら、そりゃもう教皇には知られてしまっていますよね~。 あの珍獣めが、こういう仕返しできましたか! ああもう。何で私の書いた本が、ここまでハルケギニア全土に広まってしまったのでしょうね? 恐らくは政治哲学的な本が、数千年間新しいものが出ていなかったせいなのでしょうけれども。 それよりも何よりも、勝手に翻訳して写本作って勝手に売られているという現状が何よりも気に食わないと言いますか。 つまり印税寄越せ、印税!「教皇猊下までそのような事を仰られるとは、恐悦至極に御座いますわ。 本名はケティ・ド・ラ・ロッタと申します。 ラ・アロドゥラはペンネームですので、今後私の事はケティとお呼びくださいピッコロミーニ外務長官。」 私はそう言って、姫様の後ろにスッと下がりました。 奥義、女王陛下シールド!「ケティには私の補佐をして貰っておりますの。 至らぬ所の多々ある私にとって、とても頼りになる臣下ですわ。」「それは羨ましい事でありますな。 私もケティ殿と政治哲学について語りたいものです。」 この出迎えは姫様の為に行っているものなので、私がスッと引っ込んでしまえば、ピッコロミーニ外務長官は姫様と話さなくては非礼になります。 そもそも今、私の格好は侍女です。ざっと見ると、マントをつけてはいるもののメイドっぽいエプロンドレスです。 そんな人物に外務長官が話しかけているという事自体が、ちょっと変なのですよ。「ケティは無理難題と思えるような仕事でも、突拍子も無い手段で解決しますの。 頼りになりますし、とても面白いですわよ。」 無理難題なのはわかった上で無茶振りしていたのですね、姫様。 そして突拍子も無い手段なのは、相手が突拍子も無いからであって、私のせいでは無いのですよ、たぶん。 いやまあ、半ばわかっていた事ではありますし、それは別に良いのですが。「羨ましい限りに御座います。 うちのジュリオも、全く歯が立ちませなんだ。」「ホホホホホ、この娘はうちの秘蔵っ子ですもの。 将来、枢機卿位を賜りに伺わせて戴くやも知れませんわ。」 我が国に限らずガリアやゲルマニア、そして今は亡きアルビオンに於いて宰相は、代々宰相になる際に枢機卿の位をロマリアから賜る事が多かったりします。 宰相位の給料節約という意味もあったりしますが、結構な確率で宰相の権威の底上げが主目的なのです。 まあ我が国のマザリーニ宰相ことジュリオ・マザリーニ司教枢機卿のように、ロマリアから赴任してきて重臣に納まった人も居りますけれどもね。 若い頃に我が国にやって来て、そこで政治の師匠みたいな人に出会い。その人の影響で、トリステインに生涯の忠誠を誓い骨を埋める事にしたのだとか。 私を時々物凄く懐かしそうな視線で見る事がありますが、アレはいったい何なのやら・・・? 出迎えが終わった後、私達は予め貸し切っておいた貴族用の宿に移動しました。 ロマリアはブリミル教団の中枢であり、各国の王侯貴族が訪れる都市です。 そして今回はトリステイン国王の公式訪問の為に取った宿ですから、そりゃもう滅茶苦茶高級な所なのですよ。 泊まる客の格に合わせてあるため、内装はトリステイン王宮と大差ありません。 勿論こういう所を貸し切ると物凄いお金がかかりますが、こういうのは《我が国はこういう高い宿を借りても問題の無い財力があります》というパフォーマンスの場なのでしょうがありません。 姫様自身は別に安い宿でも寝れれば良いって感じの拘らない人なのですが、下手に安い宿などを借りたら、それだけで他国からの信頼と尊敬を失い舐められますからね。 面子をきちんと気にしていれば尊敬され、尊敬は信頼に繋がり、信頼は外交を有利にします。 そして逆の事をすれば、当然真逆の効果が発生します。舐められたら時には《実力行使》という、非常に面倒臭い真似までしなければなりません。 それを防ぐための出費と考えれば、安いものと言えるのですよね。 リスペクト大事、マジ大事。 やっている事がヤクザかマフィアみたいですが、国家間の交渉なんて格式や儀礼などの一皮を剥いてしまえば、ヤクザやマフィアの行うそれと大して変わりはしないのですよ。「あ~・・・数日ぶりに揺れないベッドに寝れるのね。」 数日間の慣れない船旅に流石に疲れたのか、侍女が寝巻に着替えさせ終えると同時に姫様はベッドへと倒れ込んだのでした。 姫様はあまり・・・いや、全然休まない人間なので、眠りが非常に大事だったりします。 流石に眠り慣れていないベッドで、しかも揺れていてでは辛かったのでしょう。 私?私はほら、何だかんだで旅慣れていますから、全然平気です。「ケティ、疲れたわ。 癒されたいから、何件かあんまり考えなくて良さそうな書類を持ってきて~。」「おおう・・・仕事中毒極まれりなのですね、姫様。」 原作の姫様のノリを知る身としては、どうしてこうなったと言わざるを得ません。 原作では恋愛に使う情熱を、仕事に全振りしてますよね姫様。 まあ仕方が無いので、決済が簡単であんまし悩まなくて良いような仕事の書類を渡します。「心を落ち着けるには、いつもやっている事の中で特に簡単な事をする方が良いのよ。 ああこれこれ。あまり考えなくて良いわ~、癒される~。 あ、机こっちに持ってきて。」 寝巻きのまま、ベッドの際に座って執務を始める姫様・・・ううむ、処置無し。「ケティもやってみない?」「私は仕事中毒ではないので、お断りします。 ああそうそう。うちの商会の事務所がこちらにもあるので、行ってこようと思うのですが、宜しいでしょうか?」 実は今、ロマリアにはパウロ達がやって来ています。 やって来ていますと言うか、定期的にハルケギニア中を巡回している彼らに早めにロマリアに来て貰って、ちょっと調べ物をして貰っていた訳なのですが。 何を調べてもらっていたかといえば、やっぱりロマリアといえばロマリアが収集しているオーパーツ。 その横流しルートを探って貰っていました。 大抵は《珍しくて高性能だけど数回使ったら終わりな代物》として出回っていますが、運用法や製造法がわかればこちらでも運用出来てしまう代物も時々ありますしね。 横流しルートを調べて、出来得る限り回収というのが一番良いのです。「わかったわ。ただし、銃士隊の護衛をつけるわよ? もうロマリア側には、完全に顔が割れているみたいだし。」「ああ、それにつきましては心配ご無用と申しましょうか。」 私はそう言いながら、バッグから取り出したサークレットを装着します。「でゅわっ!」「あら、顔と髪の色が変わった・・・変装用サークレットを持って来ていたのね。」 顔の部分に幻惑の魔法をかけて別の容貌にしてしまうマジックアイテムで、しかもこれは髪の色も変えてしまいまう最新型の優れもの。 ちなみに顔のモデルになったのは、アカデミーが募集して身元調査の末に選定されたごく普通のトリスタニアの町娘であり、しかも本人とは違う髪の色に設定した為、概ねこの世には居ない筈の人物になっています。 しかも水の秘薬と水系統の魔法による処理で、容貌のサンプル取得時の記憶を別の全く違う記憶を刷り込む事によって錯覚させてもいるのです。 わかりやすく言うと、容貌からどんなに辿っても、トリステイン人である事までしか辿れません。 ちなみに今の私は、ちょっと派手目な顔の金髪の少女になっている筈です。「はい。では姫様、行ってまいります。」 私はそう言って一礼すると、姫様の部屋から退出したのでした。 さて、ロマリア市は大都市です。そして、私は土地勘が皆無なのです。 つまり不用意に出歩くと、まず間違いなく迷子になるわけなのですが・・・このハルケギニアの都市には公共交通網があります。 勿論、自動車はありません。馬車と人力車がその公共交通を担っています。 そう。一体誰が持ち込んだのか知りませんが、人力車があるのですよね。 馬車だと馬と馬車の維持費がかかりますが、人力車は人力車の維持費だけで済んで安価な為、平民でも然程負担無く運用出来ますから、何時の間にやら瞬く間に普及していたのだとか。 この人力車と市内の定期ルートを周回している大型乗合馬車が、大都市ロマリアの交通網を維持しているのです。「エゼドラ広場まで行けますか?」 私は宿の前に停まっていた人力車の車夫にそう声をかけました。「勿論でさ、お嬢様。今日は観光で?」「ええ、そのようなものです。」 こういう高級な宿の前で待つ事を許されている人力車の車夫というのは、宿の信頼にも関わるので宿ごとにギルドがあり、それによって信頼性を担保しています。 勿論高級宿付なのでそこらの人力車よりも値は張りますが、変な所に連れ去られたりはしないという安心感がありますね。 人力車自体も高級品で、サスペンションが効いているのか乗り心地は良いです・・・おや、何だか眠気が・・・あぅ・・・意識・・・が・・・スヤァ・・・・・・。「おや、寝てらっしゃる・・・。 お嬢様、着きましたぜ!」「はっ・・・!?」 車夫の声で、はっと目が覚めます。慌てて周囲を見渡せば、そこは大きな広場。 流石に長旅で私も疲れていたようで、思わず居眠りをしてしまいました。 おおう、大口開けて寝こけていたっぽいですね。よだれが・・・ジュル。 昔から眠気には、殆ど抗えない私です。眠気が来た時に座っていたり寝転んでいると、ほぼ一瞬で眠りについてしまうのですよね。 ある種の特技ではあるかもしれませんが、起きているか否かを選択出来ないのがちょっと困りものです。「ではこちらが御代です。」「これはちょっと多いですぜ、お嬢様。 銀貨は5枚で結構でさ。」 私が渡したのは、銀貨7枚。まあ確かに、人力車の代金としては高いです。「銀貨2枚は口止め料なのです・・・私が大口開けて居眠りしていた事への。」「そんな事をしなくても、お客の秘密は守るんですがね・・・まあ、貰っておきやしょう。 お嬢様の秘密は、絶対に喋りやせん。」 車夫はそう言いながら、銀貨を財布にしまいます。 ここはロマリアで、人力車ギルドはロマリア教皇国政府公認の組織。 まあつまり車夫も、ギルドを介したロマリアの諜報網の一部な可能性は高いのですよね。 効くかどうかは未知数ですが、口止めしておいて損はありません。「それでは毎度あり、機会があればまたお使いください。」 車夫はそう言うと、人力車を引いて立ち去ってしまいました。「さてと。手紙の内容だと、この辺りにお店が・・・。」 エゼドラ広場にいくつかある商店の看板を眺めます。 うちは万取扱いな商会なので、取り敢えず当家の家紋でもある雀蜂を意匠とした看板を用意したのですが・・・はて、何処でしょう?「あ、あったあった。」 円形の広場をぐるっと回りながらぶらぶらと歩いていると、蜂の意匠の看板と、その下に《パウル商会》の文字が。「たのもーう!」「ようこそパウル商会へ。 メイジのお嬢様、本日の御用件は何でしょう?」 私の挨拶にも動じずに恐らく現地雇用と思しき店員が出迎えてくれました。 何で恐らく現地雇用とわかるかと言えば、見た事が無い顔だからです。 ちなみにパウル商会の初期メンバーは基本的にラ・ロッタ領や周辺領の領民の子弟であり、その教育には多かれ少なかれ私が関わっていたりします。 なので、名前を忘れても顔を忘れる事はまず無いのですよね。 そして初期メンバーでもない現地雇用の身で、早くもこれ程の応対が出来るという事は、この人結構出来ますね。「パウルとキアラが居ると聞いて来ました。 ル・アルーエットが来たと、取り次いでいただけますか?」「ル・アルーエット・・・ケティ様?しかし、肖像画とまるで違うような・・・?」 おおう、訝しげな視線。 見かけが全然違いますから、仕方が無いと言えば仕方がありませんが。 しかし、私がル・アルーエットだと知っていますか。 となると、パウルにはかなり信頼されているのかもしれませんね。「では、これをパウルに渡してください。 これで私とわかる筈なので。」 ここで変装をパッと解くわけにはいかないのですよね。 目の前の人が、味方とは限りません。 今ロマリアでパウル商会が色々とやっているのはロマリアとしても把握済みでしょうし、アジトだからこそ確認がきちんと取れるまで気を抜くのはNGなのです。 信頼に甘えたままでは、いつか関係が破綻しますしね。「これは・・・ナイフですか?」「ええ、ちょっと特殊なナイフですが、これを渡せば私の身分の証明となるでしょう。」 私からナイフを受け取った店員は、私から数歩離れてナイフを引き抜くと、何やら確認しています。 ちなみに数歩離れるというのは、ただちに刺せない位置まで移動する事で、こちらに害意が無い事を表明しています。 まあそのナイフは、ただちに刺せない位置まで移動しても、あまり意味は無かったりしますが。「変わっているナイフですけど、特に家紋などは無いようですが・・・。」「その変わっているという部分が大事なのですよ。 まあ、兎に角見せてみてください。」 多分、この世界にはその特殊性も含めて、恐らくは一丁しか無いナイフですからね。 パウルが《林檎の皮が剥きたくなった時とか、命を狙われた時に使えそうっス》とか言いながら調達してきたものですし、何よりもあんなものを好んで持ち歩いているメイジなんて、まあそうそう居ないのですよ。 ちなみにどういう代物かと言いますと、QSB-91という中国製のガンナイフなのです。「かしこまりました。少々お待ちください。」 店員はナイフを持って、バックヤードに入って行ったのでした。「ぼっちゃあああああああああん!」 そして数分しないうちに、バックヤードからパウルが飛び出してきました。 そして、目の前に変装した私しかいないので、きょろきょろと周囲を見回しています。 面白いので、ちょっと眺めています。「あ、あれ?ケティ坊ちゃんは何処!?」「慌てない慌てない。私はここですよ、パウル。」 私はサークレットを取り外したのでした。 周囲から見ると、いきなり私の容貌が凄く地味になった筈なのです。「うお、マジックアイテムで変装していたんスか。 ああよかった。この髪の手ざわりは、何時ものケティ坊ちゃんっスね。」 パウルはそう言いながら、私の頭をぽふぽふと撫でます。 何だか子供扱いされているような、妙な気分なのです。 まあ幼児の頃からパウルには頭を度々撫でられてきたから、別に良いのですけれどもね。 実際、私よりも3歳くらい年上ですし、親愛の証でしょうから。 そんなわけでナデポとか無いですよ、残念でしたね! ・・・って、いったい誰に言っているのですか、私は。「ええ、どうもロマリアには顔も名前も割れているようでして。 パウルも気を付けてくださいね。」「了解っス・・・ジュリオ・チェザーレ枢機卿っスか?」 パウルは頷きながら、私の顔がロマリアに割れた大本を考えていたようです。 ちなみに私とパウルは定期的に手紙でお互いに動向を知らせ合っているので、お互いが何をしていたのかは大雑把に知っています。「そうなりますね。まあ、向こうも隠してはいませんでしたが。」「隠すまでも無く、公式に会っていますもんねぇ。」 ル・アルーエットの件まで漏れていたのは流石に予想外でしたが、私の名前と顔がロマリアに漏れるのは仕方がありませんよね。「ええ・・・ところで、この店員さんはどなたですかパウル?」 パウルの後からキアラと一緒にゆっくりと出て来た先程の店員さんを見ながら、私はパウルに尋ねたのでした。「あり?イアコポ、まだ自己紹介していなかったんスか?」「すいませんパウル殿。こちらのお嬢様がケティ様であるかどうかの確認を取る事を最優先にしておりましたので。 お初にお目にかかります、ケティお嬢様。イアコポ・フォスカリと申します。」 イアコポと名乗った店員さんは、そう言って一礼します。 その姿はきちんと子供の頃から、上流家庭としての教育を受けた者特有の優雅さがあり・・・要するに、かなりお金持ちで且つ成金では無い家の生まれという事になります。 ついでに言うと、今一礼した際に杖とそれを収めるホルダーが、上着の下からチラリと見えました。 それなりに良い所の生まれで、しかもメイジという事になり・・・つまり、貴族なのです。 そしてフォスカリという家名には、記憶があります。「イアコポ・フォスカリ殿・・・ヴェネッシア共和国頭領(ドゥーチェ)フランチェスコ・フォスカリ様の御親族の方ですか?」 ヴェネッシア共和国はこのロマリアの北東にある都市国家で、この世界では物凄く珍しい民主主義国家です。 元首単独では侵せない独自の憲法を持ち、頭領(ドゥーチェ)と呼ばれる終身独裁権を持つトップと小評議会という内閣のような組織が行政権を仕切り、大評議会と呼ばれる立法府があり、10人委員会という組織が司法権を握っていて、三権分立が確立しています。 そして、それらは小評議会を除くと全て自由な選挙によって選出されているのです。 わかりやすく言うと、下手な地球の国よりも近代的な政治システムの下で国家運営しているという、都市国家ながら恐るべき国なのですよ。 ・・・選挙の時に立候補者が演説しながら聴衆に酒や食事や記念品を振舞ったりするゴリゴリの金権選挙だったりもしますが、これもまだ社会福祉の概念が確立していないこの世界においては、ある意味選挙を口実とした再分配の一環と言えなくもありません。 民主的で自由な商売が出来る国でもあり、ロマリア半島の貿易の要衝であるが故の豊かさもあって、ヴェネッシアはロマリアの次にロマリア半島で栄えている都市でもあります。 まあ都市国家という小さな行政単位である事と、貿易の要衝という豊かさが、この超近代的な政治システムを支える根幹でもあったりもしますが。「おお、父を御存知とは! ヴェネッシア共和国頭領(ドゥーチェ)であるフランチェスコ・フォスカリは、私の父であります。」「えええっ!?」 遠縁の親戚か何かかと思ったら、どストライクで息子だったー!? 何?何なのですか?何でうちの商会はヴェネッシア頭領の息子を店員として雇っているのですかっ!?「パ、パパパパパ、パウル!?」「あっはっはっはっは!ケティ坊ちゃんが驚愕で表情崩すの見るの、久し振りっスねぇ! 本当っスよ。俺も初めて聞いた時は仰天したっス。」 震える声で問い返す私に、パウルは笑いながら答えてくれました。「なんでもヴェネッシア共和国では、例え頭領の息子だろうが然るべきポストに就いていない限りは、平民と同じ扱いなんだそうっス。」「ええ、その通りです。 ヴェネッシアは商人の国。貴族も商いが上手くなければ尊敬を得られぬ国故に、その子息は商いの修行に出るのが慣わしで御座いまして。 この商会に入ったのも、トリステインで現在破竹の勢いで伸長中のこの商会にて勉強する為であります。 ですから、どうか御気になさらずに。」 うーむ、ヴェネッシア人と聞いたら、急に胡散臭く見えてきましたよ。 私が言うのもなんですがね。「ふむ・・・うちの商会のやり方で、何か参考になった事はありましたか?」「ええ、例えばこの商会で使われている独特の数字や計算の際に使う記号は、ヴェネッシアで使われているもの・・・いや、このハルケギニア全土で使われているものよりも、遥かに簡潔で使い勝手が良いですね。」 ハルケギニアの数字は基本的にローマ数字と似たようなもので、大きな数を表記するのにはあまり向いていません。 面倒臭いので、うちの商会では初めからアラビア数字を使っています。 計算時の記号も《+-×÷=》等、地球の数学記号をそのまんま使用しています。 何せ、地球の人類が数世紀かけて集積した知識の成果ですから、使わない手が無いと言いますか。「ここでは取り扱っていませんが、本国で我らが商会が取り扱っている新式大砲、新式銃、火の秘薬コルダイト、畑で作物がより元気に大きく育つ土の秘薬・・・。 どれもとてつもない品々であると聞きます。トリステインだけで消費されるのは、実に勿体無い。」「まあ、あのあたりはトリステインでの需要を満たす量を生産するので精一杯ですからね。 《わざと輸出していない》訳では、無いのですよ?」 とか強がっていますけれども、実際に新式銃と新式大砲、そしてコルダイトに関しては、トリステインの正規軍にすらまだ全然行き渡っていないので、本当にわざと輸出していないわけでは無かったりしますが。 まあ、行き渡っても質の優勢を手放す気は更々無いので、どのみち輸出はしませんけれども。 ちなみに土の秘薬というのは尿素の事です。錬金とウィッチクラフトの組み合わせで、土のドットメイジでも割と簡単に窒素固定が出来るのですよね。 ・・・いずれこれが、火薬の製造にも使えるのが明らかになるでしょうが、まあ仕方がありません。 窒素固定技術は沢山の人を殺しますが、それを遥かに上回る沢山の人を生かしますから。「パウルにも聞いたかもしれませんが、うちは本国以外では武器以外での斬新な商品や、従来通りの食料品をはじめとした物資を提供する商会です。 まだこのロマリアに支店を開いたばかりですが、いずれヴェネッシアの商会とも本格的に取引する事になるでしょう。 その時は、期待していますよ。」「はっ、お任せを。」 ふむ、これでこの話は終わりですね。「さて・・・ではキアラ。例の件ですけど、報告が聞きたいのですが。」「はい!ケティ坊ちゃん。例の件に関しては、調査は大体済みました。」 さっきからイアコポの後ろで報告書と思しき紙の束を抱えてうずうずしていたキアラに声をかけると、素早く返事がきました。 ちなみにキアラの報告というのは、私がここに来た元々の目的の事です。「それは重畳・・・ふむ。イアコポ殿。」「今はいち店員の身にて、イアコポで構いませぬ。」「ではイアコポ、引き続き応対を頼みますよ。 キアラ、パウロ、報告は奥でお願いします。」 ここから先は、商会のちょっとだけ裏っぽい顔になりますからね。 新参者のイアコポは加えられません。 まあそれ以前に、この支店自体は大して大きくないですし、まだ来る客も少ないので実は表に居るのがイアコポだけだったりします。 つまりイアコポまで来てしまったら、カウンターに誰も居ません。 幾ら来客はまだ少ないとはいえ、誰も居なかったらお客さん大困惑なのですよ。「さて・・・と。」 この支店の奥の方にある商会長室に入った私達は、応接用の椅子にそれぞれ腰かけました。「それではまずオーパーツ・・・の前に、以前から開発を進めていた新商品に何とか生産の目途が付きましたので、ご報告いたします。 まずは亜麻による紙の生産が、東トリステインに建設した工場に於いてもうすぐ本格的に始まります。 ケティ坊ちゃんが仰られた通り、製造工程には一切魔法が関与していない技術として完結させました。」「大変結構なのです。」 トリステインのみならず、このハルケギニアには羊皮紙等の動物の皮を加工した獣皮紙はあるのですが、植物で作ったいわゆる紙と呼ばれるものがありませんでした。 地球では中国にあった唐が、アッバース朝イスラム帝国と戦争した時の捕虜から製紙技術が伝わり、それが更に十字軍によって略奪品と共に欧州に伝わったわけですが・・・イスラム帝国的な位置にあるエルフの諸部族国家に欧州的な位置にあるハルケギニアの軍隊が勝ったためしが無いので、全く伝わっていないのですよね、これが。 まあつまり、全ての書類が獣皮紙によって賄われているわけです。 そして家畜というのは、それなりに生産コストのかかる代物であり、ハルケギニアに於いて紙は常に不足しているのですよね。「これで、東トリステインの治安回復に一役買えれば善いのですが。 姫様からも、そういう話で補助金ふんだくりましたし。」「あんまりやり過ぎると、恨まれて首と胴が泣き別れするっスよ、ケティ坊ちゃん・・・。」 一方、東トリステインはゲルマニアから返還して貰ったばかりの土地で且つ治安が悪い為に、トリステイン本国や独立を維持出来たクルデンホルフ公国やゲルマニアに近い地域を除くと碌な産業がありません。 碌な産業が無いと食い詰め者が現れ、食い詰めものは犯罪を犯し、治安は悪化するという負のスパイラルが発生します。 なので、かねてから研究はしていた紙の製造を行う工場を作ってみたというわけなのです。 原料は亜麻で、これを薬品などで漂白したり叩いて繊維を柔らかくしたりして、紙として加工します。 今は亜麻から直接加工していますが、将来的にこの方法だと原材料が不足するので、亜麻から作られた服が駄目になって廃棄された布ゴミなどを回収し加工して紙にする予定なのです。 上手くいけば東トリステインは紙の製造で潤う事になるでしょうし、そうすれば食い詰め者が減って、治安もある程度は回復するでしょう。「やっていることがまるっきり権力と癒着した政商なのは確かですが、事業を上手く回して結果を出せれば地域は色々な意味で豊かになります。 お金が集まれば、いずれは銀行だって作れますし、そうすれば経済活動はさらに活発になってトリステインは豊かになるでしょう。」 まあ富の量は一定なので、トリステイン以外が豊かでなくなりますが、それはおのおの他国の自助努力に任せるしかありません。 私の手を伸ばせる範囲は、トリステイン一国が精々。高望みをすると、全てを救えなくなります。 愛じゃ世界は救えませんし、お金だってモノが無限でない以上、世界を救える力にはなり得ません。 何ものも世界は救えません。救えるのは、自分の手が届く範囲だけなのです。「ではオーパーツについて、何か良いものは手に入りましたか?」「めっちゃ楽しそうな笑顔になったっすね、ケティ坊ちゃん・・・。」 そりゃもう、趣味9割実益1割ですからね、この事業に関しては。「まずですが、毎度お馴染みのAK-47が2丁手に入りました。 ただし弾薬は、弾倉に入っていたものしかありません。」 流石は世界で最も普及した自動小銃と言いますか、既に50~60丁程度はあります。 弾薬もある程度はありますが、1~2丁なら兎に角、ある銃を使って一斉に撃ったらあっという間に底をつく程度ですけれどもね。 弾の無い自動小銃なんて、ただの鈍器でしかありません。「後は・・・たぶん、PTRD1941と同じタイプの銃です。」キアラがそう言いながら、床に置かれたでっかい箱を開けたのでした。「おおう・・・ダネルNTW-20ではありませんか。 無理してロマリアに拠点を構えただけの成果は出ましたね。」 南アフリカ共和国で造られた、20mm機関砲弾を使用する対物狙撃銃です。 家の壁程度なら、まるで障子紙みたいに貫通して目標を粉砕します。 撃ち貫いたりしません。粉砕します。文字通り、木端微塵に。 対物ライフルなので本当は直接人に撃っちゃいけない事になってはいますが、南アフリカ軍はこれで反政府ゲリラを情け容赦なく遠距離から狙撃したのだとか。 恐ろしいですね~、怖いですね~。「ただ、弾薬が20発程度しかありませんでした。」「ううむ。ままならないものですね。」 薬莢の複製は出来る事は出来るのですが、非常に手間がかかります。 まず薬莢の原材料となる金属の板がまだ上手く作れませんし、プレス機も高性能なのはまだまだ作れません。 モシン・ナガン用7.62×54mmロシア弾の薬莢は専用として四苦八苦してでっち上げた今のプレス機でも一応製造可能ですが、それ以外はまだまだといったのが現状だったりします。 20mm機関砲弾用の薬莢とか、土メイジに金属の塊を加工して作って貰わないといけません。トホホな状態なのです。「まあ良し、グッドです。 これは良いものですから、本国に移送してください。 ・・・で、横流ししている連中は、誰かわかりましたか?」「複数人数の枢機卿と・・・ケティ坊ちゃんにとっては、因縁深い方々が関わっているようです。」 何故に私がオーパーツの横流しルートを探っているかと言えば、ハルケギニアへの過度な技術流出を防ぐという思惑があったりします。 単体ではあまり武器と認識されないのか、弾薬が殆ど無い故に何とかなっていますが、何せ武器の技術ばかりです。 工夫すれば決して弾薬が作れないわけでは無い事もわかりましたし、長期的に世界のパワーバランスを崩す要因になりかねません。 ですから、流通の根元を叩き斬ります。 正確に言うと、私の下に出来得る限りの量が流れ込むように調整します。 私は状態の良い銃を整備して並べて飾れて楽しいし、世界のパワーバランスへのこれ以上の影響も抑えられるわけなのです。 まさに損する者無し。Win-Winですね! え?違う?そういう事にしておいてください。「それで、私と因縁深い者たちとは?」「ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド卿です。」 おーう・・・物凄く懐かしいけど、全く聞きたくない名前なのですね。 そしてこの頃には既にロマリアに居たのですか、あの髭帽子。「・・・という事は、《土くれのフーケ》こと、マチルダ・オブ・サウスゴータ殿も一緒ですね。」「はい。彼らが横流しに加担してから、流れるオーパーツの量と質と種類が一気に増しています。 恩恵に与っている我々が言う事では無いのかもしれませんけれども、これは危険であると言えます。」ワルドのメイジとしての腕もさる事ながら、恐らくはマチルダがフーケとして使っていた盗品横流しルートも駆使しているのでしょうね。目的は生活費と活動資金、あとティファニアとウエストウッド村への仕送りといったところですか。「うーん・・・難しいですが、交渉次第といった所ですね。 ワルドは恐らく彼を尻に敷いているっぽいマチルダを説得出来れば、どうとでもなるでしょう。 女癖の悪い男は愛情深き恐妻によって、その性癖に終止符を打たれるものですから。」「可哀想っスね、ワルド卿・・・。」 何だか同情したような声色で、パウルが呟いています。 パウルもあれで結構モテるみたいですし、何か感じるものがあったのでしょうか。 思い返せば、私と出会ってから踏んだり蹴ったりでしたね、ワルド。 最初は気障なルイズの婚約者として登場したのに、いきなり置いて行かれたり、疲労困憊で肝心な場面で起きなかったり、酔い潰された状態で私達に攻撃を仕掛けようとして尽く失敗したりエトセトラ、エトセトラ・・・。 まあ私も殺されそうになったり、ファーストキス奪われたりしたので、おあいこですね。うんうん。 ちなみに私の中の乙女の部分は、ワルドをファラリスの雄牛にでも放り込めと言っていますが、取り敢えずそんなロマンチックな部分は置いておきましょう。「ワルド卿が見るも哀れで可哀想な生き物か否かは、この際どうでも良いのです。 オーパーツの横流しをしている枢機卿達と直接お近づきになるのは避けたいですし、マチルダ殿と話が付けばそれが最善。 接触は出来ますか、パウル?」「勿論っス。ご要望とあらば、枢機卿とも。」 パウルを商会長に据えているのは、何と言ってもその交渉力の高さ故。 時と場所と人に合わせて交渉し、信用を勝ち取るのがとても上手です。 ですから私が居る時以外の総責任者としての権限を持たせたのですよね。「完璧ですね、パウル。」「ふふん、俺に惚れても良いんスよ?」「お断りです。」 私に対しては、何故かきちんと信用を勝ち取れない感じですが。 そもそもパウルは、隣にいるキアラの気持ちに気付いてあげるべきなのですよ。「それで枢機卿に関してですが、どうやら私はロマリアにチェックされているみたいですし、直接会うのは避けましょう。 私を切っ掛けに見つけられて、せっかくのルートを潰されかねません。」「了解。では早速いって来るっスよ」 パウルはそう言うと、会長室を素早く出て行ったのでした。 そして1時間ほどが経過しました。「・・・久し振りね、ミス・ロッタ。 誰かと思ったら、貴方だったのね。」 久々に会った緑色のロングヘア美女に、思い切り睨みつけられてしまいました。 そりゃまあ、警戒しますよね。 隠れ家があっさり見つけられて、近所の貴族用宿に来るように謎の呼び出しの手紙とか貰ったら。「はい、本当にお久しぶりですね。 マチルダ殿とお呼びしても?」「ええ、それで良いわ。」 警戒を解き、交渉を進めるにはまず笑顔。 スマイルはとっても大事・・・なのですが、何か胡散臭いものを見るような目でマチルダはこっちを睨んでいます。「それではマチルダ殿、お話を始めましょうか?」 私がニッコリと微笑みかけたのに、マチルダは更に訝しげな表情になります。「君の裏がわかっているから、笑顔が胡散臭いのだよ。」 実はマチルダの隣に座っていたけど、私に無視されていたワルドがボソッと呟いたのでした。 うっさいわー!