「・・・これはこれは、このように小さな可愛いレディを捕縛してしまうとはね。」床に転がった幼い少女を興味深そうに見ながら、現在ユルティームと名乗っているケティは頬を掻いた。「ユルティーム坊ちゃま、このように小さな少女を捕縛するなんて変態臭い。」ファンテーヌと現在名乗っているタバサが、そんなケティの言葉に素早くツッコミを入れた。「転かしたのは君だろうファンテーヌ!?」「私は途中で影が小さいのに気付いたから、柔らかく床に転がした。 小さな少女を乱暴に捕縛したのはユルティーム坊ちゃま。」実際、タバサは転がす寸前に人影が小さい事に気付いていたのは事実である。ケティがそれに気付かずに、容赦無くバインドをかけた事も。「へんたい。」「ああ負けだ、僕の負けだよファンティーヌ。 何時もの事だ。僕はどうせ口で君に敵いやしないのだ。 よく出来た従者を持って、僕ぁ果報者だよ!」ユルティームとファンティーヌの凸凹コンビっぷりをノリノリで演じるタバサ。彼女はどうも自分の役にある程度染まる所があるっぽいという事に気づき、ケティは内心でこういうのも新鮮だなと思いつつ、大袈裟に嘆いて見せながら降参した。タバサの新しい部分を新発見といった感じである。「コホン・・・で、村長。この少女は家人かね?」「へ?あ、はい。この娘はエルザと申しまして、ワシの家族に御座います。」ケティの問いに、村長はコクコクと頷く。「では、バインドを解除する。」ケティがそう言って杖を一度振ると、エルザという少女をぐるぐる巻きにしていた縄はするすると解けてケティの手の中に納まった。「すまないね、小さなレディ・・・エルザと言ったかね? 仕事とはいえ、問答無用で捕縛した無礼を許したまえ。」そう言いながら、ケティは村長に十数枚の銀貨を手渡す。「村長。これで行商が来た時に、エルザに菓子でも買ってやると良い。」「へえ、こんなに・・・ありがとうございます。」銀貨十数枚は、明らかに菓子を買うには多過ぎる額である。それはエルザの事だけではなく、これから泊めて貰う事への謝礼も兼ねていた。この村は、それでなくても山奥の寒村であり、更に吸血鬼の被害を受けている。財政は間違いなく芳しくは無い筈だった。「それで村長、貴殿にはもう一つお願いしたい事がある。 念の為に服を脱いで、全身を見せて貰えないかね? 万が一の可能性を排除しておきたいのだ。」「ワシが屍人鬼だと疑っておいでですか。」村長は驚いたようにケティを見た。まさか、そこまで徹底してやるとは思っていなかったのだろう。「飽く迄も万が一であるよ、村長。 前任者が杖を抜く暇も無く殺された以上、かけなくても良い疑念は早めに晴らしておきたいのだ。」ケティはそう言いながら、エルザの方を向く。「エルザ、君も服を脱ぎたまえ。」「へんたい。」ケティの一言に、タバサは即座にツッコミを入れた。ここは絶対ツッコミ待ちだ、そう判断したのだ。何せ事前にケティには自分が持ち上がった雰囲気があったら、落としてくれと言われている。「ち、ちち違うよファンテーヌぅ!? 僕ぁそのようなやましい気持ちで言ったのではなくてだね!」「エルザ。あの変態はさて置いて、隣の部屋で服を脱いで確認させてほしい。」「そうそう、そう言おうとしたのだよファンティーヌ・・・って、頼むから僕に弁解の機会を与える事無く、隣の部屋に消えようとするのはやめたまえ! 待ちたまえ、僕の名誉を挽回する為にも、待つのだファンティーヌ!?ファンティーヌぅ!?」タバサはケティの言葉を無視しつつ、エルザの手を引いて隣の部屋へと消えた。このタバサ、ノリノリである。「・・・村長。言っておくが、違うからな? 僕には年端もいかぬ少女の裸を見て楽しむような、特殊な趣味や性癖は無いのだ。」「も、勿論でございますとも。」村長は頷きながら目を逸らす。恐れられるより侮られろ作戦は上手く行っているが、ケティの心中には寒風が吹きすさんでいる。タバサのナイス演技ではある。しかし芝居とはいえ、ちょっと泣きたかった。「コホン・・・では村長、検めさせていただきたい。」「こんな老いぼれの裸でよければ、存分に御検分下され。」村長は、そう言うと服を脱ぎ始めた。服を着ている間はふっくらとしたお年寄りに見えたのだが、実はこの村長かなりの固太りだったようだ。地位もあってか、村の平均値よりも栄養が良いせいかも知れないが、全身ムッキムキである。「ううむ・・・これはまた随分とガッチリとした体だな。」パンツ一丁になった村長の体を確認しながら、ケティは感心した顔でそんな感想を述べる。ちなみに本心としては男の裸を見るとか正直勘弁して欲しい所だが、今更タバサとキャストを入れ替えるわけにもいかない。「日頃から農作業で鍛えているのと、元々猟師もしておりましてな。 弓の腕なら、まだまだ若い者には負けませぬわい。」「成程、猟師をしているから動物性蛋白質を多めに摂る事も出来るというわけか・・・。」「パンツも脱いだ方が良いですかの?」「・・・いいや結構だ、脱がなくて良い。 見たくないし、何より尻や股間に噛み付いて血を吸う吸血鬼という例は文献にも無いからな。」ケティ的にも爺さんの象さんビローンとかは見たくない。一応これでも、彼女は年頃の乙女なのだ。今は何とか平静を保っているが、あんまり変なものは見たくない。見たくないのだ。「検めさせていただいた。 ご苦労であったね。服を着たまえ。」「疑いは晴れましたかの? では騎士様、宜しくお願い致します。」ケティがOKを出すと、村長は頷いて服を着始めた。それから少しして、隣の部屋のドアが開く。「ユルティーム坊ちゃま。」タバサがエルザの手を引いて現れた。「ファンテーヌ、エルザは大丈夫だったかね?」「ん、問題ない。」タバサもエルザを素っ裸にして検分したが、問題は無かったようだ。「噛み跡どころか、虫刺されひとつ無い。 ただ、怯えられた。」「・・・怯えられた? こう言っては何だが、第一印象でファンテーヌに怯えるというのは少々妙だね。」タバサは体が年齢に比してかなり小さい方だし、全体的に見た目が幼い。少々表情の変化が乏しいが、第一印象ではそれほど怯えられる要因にはならないだろう。「主人が変態だから怯えられた?」「そのネタをまだ引っ張るのかい、ファンテーヌ!? 流石の僕も、いい加減泣いて良いかなと思うのだけれども。」「ああ、それは恐らく違います。 実はエルザは両親をメイジに殺されておるのです。」着々とタバサによって変態を印象付けられるのにケティが抗議していると、村長が口を開いて一言そう言った。「ほほう、両親をメイジに? 親子にしては随分と歳が離れているなとは思っていたが、孫であったのか。」「ああ。いいえ、違います。エルザとワシには血の繋がりはありませぬ。 一年程前、うちの前で倒れておったのです。 村では見ぬ子でありましたので事情を聴いた所、両親をメイジに殺されて、ここまで必死に逃げて来たのだとか。 恐らくは親が行商人だったのでしょうな・・・盗賊化した傭兵メイジか何かに襲われたのでありましょう。」そう言いながら、村長は落ち着かせるようにエルザの頭を撫でる。「何と、それは・・・災難であったね。」「国と領主の不備でもある。申し訳ない。」ケティとタバサは、そう言って頭を下げた。メイジは国または領主の管轄であり、その責任は彼らが負うものだ。ガリア王国の不備をトリステイン貴族であるケティが謝るのも変だが、今のケティはタバサの代わりにガリア花壇騎士ユルティーム・ド・フォーシュルヴァンと名乗っている。故にタバサの分も謝罪したのだ。今のタバサはただの従者を名乗っているから、その代わりとして。「いいえ。森には亜人や妖魔や魔物も多い。虎や熊などの獰猛な猛獣も居ります。 危険は他にもいっぱいありますのじゃ。それがたまたまメイジだっただけに過ぎませぬ。 こんな辺鄙な田舎は嫌だと村を飛び出して、軍で立身出世しようとした息子はとうの昔に戦死。 そして連れ合いもだいぶ前に死んでしまったワシには、養うべき家族も居なかった。 それでエルザを引き取って育てる事にしたのです。」「成程、そのような経緯があったのか・・・良い話ではないかね。」思った以上にヘビーな村長の身の上話を聞かされつつ、ケティは納得したようにうんうんと頷いた。「両親が殺されたのがショックだったのか、あの子は引き取ってからこれまで一度も笑いませぬ。 それにあの子は体も弱いから、外で遊ばせる事も出来ませぬので友達も居ない・・・ワシは、エルザの笑った所が見たいのですがのう。 ・・・この吸血鬼騒ぎを早く終わらせていただいて、あの子の心が安らかに癒えて欲しいものじゃ。」「まあそこは、この僕に任せたまえ。 すっきりと解決して見せるよ、はっはっはっはっは!」ケティの莫迦っぽい笑い声が、村長の家の中に響き渡る。「ほ・・・本当に大丈夫なんじゃろうかのう?」村長は、不安そうにボソッと呟いたのだった。「さて・・・と。」ケティ達は自分達用に宛がわれた部屋に入った。一旦荷物を置く為と、状況整理の為である。部屋は領主かまたはその代官が来た時の為のものらしく、置いてある家具などは村長の家にあった他の物よりも高級そうな雰囲気を放っている。「一休み一休み?」ケティは変わった形のランプを取り出し、それに魔法で火をつけた。まだ日は落ちていないし、窓からも太陽の光が差し込んでいるのにである。「それは、何?」「僕の部屋の中を時折探れなくなるのは、不思議だと思っていなかったかね?」ケティがそう言ったあたりで、外から聞こえて来ていた鳥の鳴き声などの環境音がピタリと聞こえなくなった。「これがその秘密なのですよ。《静寂のランプ》という名前のマジックアイテムです。 一定以下の広さの空間で使った場合に、その中と外の空間の音を完全に遮断します。 明かりが照らしている空間も、外からは闇に閉じます。 つまり外からは一切見えないし、聞こえないというわけなのです。」そしてケティの口調が、静寂と共に元通りになった。更に何となく頭悪そうな良いトコのボンボン風だった表情も、表情豊かなのに考えている事が掴み難いいつもの顔に切り替わる。 「くはぁ~。矢張り自然体が一番ですね。 ギーシュ様の真似みたいな事をずっと続けるというのは、流石に疲れます。」「お疲れ様。」帽子を脱いで背伸びをしたり首を回すケティに、タバサは労いの言葉をかける。ちなみに帽子を脱ぐと、帽子で隠しているケティ本来の女の子っぽい髪形とかが露わになり、どう見ても男装している女の子にしか見えなくなる。それ故につばの広い帽子をわざわざ被って、髪の大部分を隠して男っぽく見せているのだ・・・村人に女みたいな顔の男と言われている感じ、ちょっとした切っ掛けでバレそうだが。「有難う御座います、タバサ。 取り敢えず、報告書の内容は村長の話とほぼ同じであるという事で確認が取れましたね。」「ただグールについては、容易に確認が取れないというのも分かった。」2人はその事を改めて確認し、肩を落とす。そのあたりはパパッと調べ上げるつもりだったのだ。まさか蛭が血を吸った痕と吸血鬼が血を吸った痕がそっくりなどという、面白不愉快な事態になっているとは流石に思っていなかった。「ま、グールを探し出す方法はおいおい考えるとして、取り敢えず・・・事件の現場に当たりましょうか? 現場には、必ず何かしらのヒントが落ちているものですから。」ケティはタバサにウインクしてそう言うと、帽子を被りなおす。そして、2人は捜査を開始した。「・・・きゅい、暇なのね。」一方のシルフィードは、めっちゃ暇である。何せ普通の風竜の真似をしていなければならない。魔法学院では、暇な時には他の使い魔と遊んだりも出来る・・・特にキュルケの使い魔のフレイムは小柄で鈍重ながらも頑丈な為、幼くまだ力加減の苦手なシルフィードのパワーについて来られる数少ない相手なのだ。まあフレイムと遊びに行く時は咥えて飛んで行くので、どう見ても捕えられたサラマンダーが風竜に巣に持ち帰られて食われる図になっているのだが。「くるるるるる・・・風は停滞せず流転するもの。 風の主たる風韻竜のシルフィに、待っているなどという自重を期待するのが間違いです、きゅい。」シルフィードに落ち着きが無いのは、単に幼生体だからとシルフィード自体に落ち着きが無いのが原因であって、風韻竜だからどうこうという事は一切無い。ちなみに現在シルフィードは風竜の言葉で喋っている為、傍目には何か鳴いているようにしか見えないので、幾らでもきゅいきゅい喋って大丈夫である。「風よ、我が身に纏う風の精よ。我が血族と汝らの、古よりの誓約によりて我請い願う。 我が姿を我の願う姿に変えたまえ。風の誓約に記された応分の魔力を、我はそなたらに捧げよう・・・。」そして普段は《くるるるるるきゅるるるるるる・・・》とか表現されている竜の言葉による呪文も、こんな感じに翻訳されるのである。こんな感じで、きちんと呪文は唱えているのだ。決して、決して作者が、面倒臭いから適当に済ませていたなどという事は無い。無いのだ。漸く先住魔法のテンプレ出来た・・・とか、そんな事はどうでも良い。シルフィードの体は光を放つとみるみる縮んでいき、青くて羽の生えた猫になった。「きゅい。」シルフィードが最近よくやるようになった、コンパクトサイズ化の完了である。何せ風竜の図体では、でか過ぎて部屋の中に入って行く事が出来ない。人の生活空間では人型が最適だが、シルフィードは服とかいう変な布が自慢の鱗の上に引っ付く感触が好きではない。だがしかし人という生き物は、服を着ないで外を出歩く事は許されないらしい。前にマリコルヌが全裸で歩いているのを見た事があるからタバサに抗議してみたが、《あれは変態だから》と一言で切り捨てられた。流石のシルフィードも、人間に変態扱いされるのは困る。仕方が無いのでケティの助言で猫になってみたら、これがすこぶる快適だった。服を着なくて良いし、翼は生えているので飛べるし、人の生活空間に入って行っても狭くないどころかむしろ広い。「待っててね、お姉さま。 シルフィもお手伝いに行きます。きゅいきゅい。」シルフィードはパタパタと翼をはためかせて、飛び立った。話はケティ達に戻る。「ふむ・・・どうにも抗えぬ眠気に、襲われたというのかね?」ケティ達は現在、被害者の家を巡って調査の真っ最中だった。「はい。吸血鬼は若い娘の血を好むというので、うちの娘がそんな目に遭わないように毎晩交代で寝ずの番をしていたんでごぜえますが。 明るくて器量良しに育ってくれて、そろそろ何処かへ嫁に出そうかという話をしていた矢先に・・・っ!」被害者の親である男性は、涙を拭う。この男性を含めても、証言は大体共通している。どの家も扉は固く締め、鍵もしっかりかけてあった。その上、娘の部屋には更に追加措置として窓に板を打ち付け、扉には鍵をかけて吸血鬼除けの呪い飾りを飾っていたとのことである。それにも拘らず、吸血鬼はそれらを一切破壊する事無く、被害者の部屋へと侵入して血を吸い尽くして殺してしまう。「眠ってしまったというのは疲労か或いは先住魔法によるものであるとして、状況は密室・・・か。」被害者の部屋に入れて貰ったケティは、内部を調べながらそう一言呟いた。「知っているかねファンティーヌ?」「内容を聞かれる前に尋ねられてもわからない。」「そりゃそうだ。 こりゃ一本取られたね、はっはっはっはっは!」「・・・それで?」かんらかんらと笑い始めたケティに、タバサは訊ね返す。「うむ。被害者はここで殺された。そしてここは密室だ。 相手は吸血鬼である以上、目的は殺人では無く吸血であり、被害者の死はその結果でしかない。 故に吸血鬼は確実に部屋へと侵入し、そして脱出する必要がある。 だというのにファンティーヌ、何故彼女らは密室で殺されているのだろうね? 密室であるという事は、すなわち侵入も脱出も出来ないというのに。」「密室では無かったから。」そしてケティから発された問いに、タバサはバッサリと答えた。「そう、その通り。密室である以上、侵入も脱出も出来ない。 逆に言えば、侵入され脱出されている以上、そこは密室ではない。 つまり吸血鬼にとって、村人がこれならば問題無いと思って用意した密室は、密室では無かったわけだよ。 では、この状況をいかにすれば、密室は密室たり得なくなるのか・・・だ。」ケティ達は密室が密室たり得なくなる状況を丁寧に調べる。前述のとおり窓には板が打ち付けてあるし、当日はドアに鍵もかけてあった。床や壁に何か変な仕掛けが無いか調べてみたが、それらしきものは見つからない。ただ、進入路と思しきものは見つけた。「ほう、これは・・・。」それは各部屋に備えてある暖炉用の煙突だった。この村は山間部にある為、冬はとても寒い。その為、部屋ごとに暖炉が備え付けてあるのだ。ただしあまり大きいものではないし、煙突も小さいが。「まいったな。確かにここからならば出入り出来るかも知れないが、あまりにも狭いぞ。」煙突を覗き込んで、ケティは眉をしかめる。少なくとも、大人だとかなり小柄だろうが通れるような広さではないのだ。「行ってみる。」小柄と言えば、やはりタバサである。なのでタバサはマントを脱ぎ、躊躇無く煙突に頭を突っ込んだ。「何時もの事ながら、思い切りがいいねファンティーヌ・・・で、どうかね?」「不可能ではないかもしれない。けど、困難極まりない。」煙突から顔をズボッと抜いて、灰と煤だらけになったタバサがそう告げる。「かなりの確率で、私でも途中で詰まる。」「ううむ、成程・・・。」その情報が何を指し示すかと言えば、もしもここを通って来たと仮定するのであれば、吸血鬼はタバサより小柄であるという事だろう。タバサは年齢が10代半ばにも拘らず、10歳前後と勘違いされる事があるくらい小柄だ。そのタバサより小柄だとすれば、相手は滅茶苦茶体が小さいという事になる。それはつまり、年齢1桁の子供並みの大きさという事だ。「他の可能性も考慮すべきかなぁ・・・?」「例えば?」タバサより小さい大人というのは、居ないと考えてしまっていい。という事は、可能性はいくつかに絞られるわけである。「そうだね・・・吸血鬼は先住魔法を使える。 という事は、もしや吸血鬼は先住魔法による変身が出来るのやも・・・。」「それは無いのね、きゅい。」ケティが推論を述べようとした所で、そんな声が暖炉の方から聞こえた。ケティ達が慌てて暖炉の方に振り返ると、そこには翼の生えた青い色の小さな猫がいた。煤まみれだが、ドヤ顔でちょこんと座っている。勿論、その正体はタバサの使い魔にして風韻竜の幼生シルフィードである。『シルフィード!?』「きゅい。」ケティ達の驚いた声に、シルフィードは応じて鳴いた。「精霊の力の話をする時に、その専門家であるこのシルフィを置き去りにするというのは良くないのね、きゅいきゅい。」「あー・・・そういやそうだね。 しかし、その姿になる時に誰かに見られていたりしないだろうね?」風竜は珍しいとはいえ竜騎士などが飼っている生き物だが、先住魔法を行使できる風韻竜となると、これは完全に伝説の生き物である。吸血鬼なんかよりもよほどレアだし、吸血鬼も警戒する事だろう。「その点は抜かりないのね。 誰にも見られていないから、大丈夫。 まさかこの姿がシルフィだとは思わない・・・あいた!?」シルフィードはタバサに杖で叩かれた。「ばれたら大変。自重。」「あいたたた・・・きゅいきゅい、ごめんなさい。」叩かれた頭を前足で押さえながら、シルフィードは謝る。猫の体格だったので、いつもよりもかなりそっと叩かれたが、痛いものは痛かった。「ファンティーヌ、そのくらいで良いだろう・・・ところでシルフィード、吸血鬼は変身出来ないのは確かなのかね?」「そうよ。シルフィがホイホイ使っているから簡単に見えるだろうけど、本来変身の魔法はエルフでも使える者が限られる魔法なのね。 エルフでも魔力の強い者か、または韻竜みたいに精霊にとことん気に入られている生き物でないと無理よ、きゅい。 つまりシルフィは凄いんです、崇めなさい。きゅいきゅい。」そう説明して、シルフィードは翼を広げて厳かに胸を張った・・・が、本来の姿なら割と厳かなのかも知れないそのポーズでも、今は青い猫なので可愛いだけである。取り敢えずタバサはシルフィードを抱き上げて喉を撫ではじめた。「きゅい、シルフィは猫では無いのね。 やめなさ・・・やめ・・・ゴロゴロゴロゴロゴロ・・・ブヒュ・・・ゴロゴロゴロゴロゴロ・・・・・・。」シルフィードは目を細めて体を弛緩させ、喉を鳴らし始めた。完全に誰がどう見ても猫である。「しかし、そうなるとだが。 吸血鬼は、この煙突を通る事が出来る体格という事なのか・・・?」ケティは煤けたタバサと彼女に抱えられて喉を鳴らしているシルフィードを見て、通れる大きさを何となく推定すると額を押さえた。「部屋の検分は終わった。御協力感謝する。」部屋の捜査を終えたケティ達は、被害者の親にしてこの家の主である老夫婦に謝意を伝える。普段ならば軽く頭を下げるケティだが、この姿ではむしろ胸を張ってそう告げた。普通の貴族は、平民に頭を下げる事は無いのだ。「お疲れ様でございました。それで、何か見つかりましたでしょうか?」「有益な情報は幾つか見つかったよ。 お蔭で吸血鬼がどういう姿をしているのか、ある程度の推測は出来たね。 これは僅かばかりだが、貴方達への見舞い金だ。取っておきたまえ。」ケティはそう言って、老夫婦に銀貨を数枚手渡した。何せ今のケティは警戒されるよりも舐められろ作戦の最中なので、村人を協力的にさせる短期的な手段はズバリ金しかない。今まで出向いた被害者の家族にも同様に銀貨を手渡したので、そこから村人に《あの騎士様は協力すれば金をくれる》という情報は広がるだろう。信頼は金で買えなくても、短期的ならば協力させる動機は金で買えるのである。「あ、ありがとうございます。」「構わんよ・・・で、外に見えるあの大きな荷車は何かね?」礼を言う老夫婦の後ろにある窓から、荷物を満載した荷車が馬に牽かれて移動していく。上から布を被せてあるが、その隙間から見えるのは、家財道具と思しき品々だった。「あれはこの村から、麓の町に避難する者達で御座います。」「何と・・・領主殿の許可は出ているのか?」領民は文字通り貴族の財産でもあり、貴族は彼らの安全を保障する代わりに居住の自由を制限している場合が多い。生年月日は教会の台帳に記載されているので、調べれば誰が居なくなったのかはわかる。そして勝手に脱走すれば、下手を打つと牢に入れられるという場合もあるのだ。「領主様からも、若い娘のいる世帯は麓の町への避難が許可されておりましてな。 本来であれば、わしらも数日後には避難する予定だったのですが・・・。」「・・・間に合いませんでしたねぇ。」掛け替えの無い一人娘を喪った老夫婦は、そう言って力無く肩を落とすのだった。「早い所何とかしないと、この村から若い娘が居なくなってしまいそうだね、これは。」「そうなると、被害が麓の町に出る可能性もある。」老夫婦の家から出たケティ達一行は、次の目的地を目指して歩きはじめていた。「まあそうなった場合、僕らも干物みたいになって死んでしまっているだろうが・・・それも含めて、これ以上の被害拡大は防ぎたいものだね。」「ん。私もここで果てるつもりは無い。」そんな事を話していると、次の目的地の方角が何やら騒がしい事に気付いた。ちなみに次の目的地は、村外れに住む老婆とその息子の家だ。正直な話、あからさまに怪し過ぎて逆に怪しくないので、今日の探索には入れていなかった場所である。しかし村人に会う度にここを推されるので、安心させる為にも今日の探索の最後に行ってみようという事になったのだった。「まだ然程暗くも無いのに松明か。物騒かも知れないね、これは。」「ん。早く行った方が良い。」時刻は既に夕方も遅く、日は落ちかけてはいるが、まだ夜では無い。いわゆる逢魔が時という奴ではあるが、松明を点けるにはまだ若干ながら明るい時間だった。「やあやあ、これは賑やかなものだ! 松明を持って大挙して集まって、いったいどんなお祭りかね?」老婆とその息子が住んでいると思しき粗末な小屋を松明や農具を持って取り囲む村人たちに近づくと、ケティは出来得る限り明るい調子で彼らにそう声をかけた。話しかける際には先ず相手の調子を崩すのが、ケティのやり口である。「へ!?い、いや、これは祭りじゃありませんぜ、貴族様?」自分達よりも数段上等な生地で拵えられた服を着て帽子を被った少年と、その傍らにひっそりと影のように立つ使用人の格好をした少女。少年は短杖を、少女は長杖を持っているのでメイジとわかる。そしてメイジの少年少女というと、朝に派手な登場をしたおかげか、村の人間には既にある程度知れ渡っているらしい。「ほう、それにしては賑やかだ。 いったいどういう集まりなのかね?」「へ、へえ、実は・・・。」ケティに尋ねられた村人が答えようとした時、他の村人が小屋に向かって怒鳴った。「出てこい吸血鬼め!」「とっとと出てこい!わかってんだぞ!」そんな感じで、粗末な小屋を取り囲んだ村人たちは口々に喚いている。「ほう、吸血鬼だって?」「へ、へい・・・すすすすいません。」思わず若干巣に戻ったケティが《こっちの捜査差し置いて、何でてめえらで勝手にやってんだ?調子こいてんのか?喧嘩売ってんのか?あ?》という意思を込めて笑みを浮かべると、村人は顔を真っ青にしてガタガタ怯えはじめた。笑顔とは本来攻撃的なものだが、だからと言って攻撃全開で笑みを浮かべてはいけない。ダメ、ゼッタイ。「誰が吸血鬼だ!失礼な事を言うんじゃねえよ!」村人の声に耐えかねたのか、粗末な小屋から年齢は40くらいの屈強な体躯の大男が出てきて怒鳴り返した。事前情報と照らし合わせれば、彼がアレキサンドルかとケティは思った。「アレキサンドル!お前たちが一番怪しいんだよ、この余所者が!! 早く吸血鬼を出せ!」「吸血鬼なんか居ねえよ!」「居るだろうが、昼間なのにベッドから出て来ねえ婆が!」「うちのおっかあは、夜もベッドから出て来ねえよ! 寝たきりだっつっただろ!どこの世界に寝たきりの吸血鬼が居るんだよ!」「そりゃそうだ。」村人とアレキサンドルのやり取りに、ケティはコクコクと頷く。同時にアレキサンドルだというのを名前で確認した。「良いから連れて来い!俺達が確かめてやらぁ!」「弱って寝たきりになっている病人を連れて来いとか、お前らは鬼か!?」村人側としては何人も村の娘が殺されて、精神的に限界なのはよくわかる。わかるがしかし、病人相手に無茶苦茶言っているのも確かだった。「もういい!連れて来ないなら、こっちで行って確かめる!」「うちのおっかあに何をする気だ! 乱暴しようってんなら、こっちもただじゃおかねえぞ!」「何だとアレキサンドル、やろうってのか!?」「お前ら、いい加減にしやがれ!」家の前でアレキサンドルと村人が、もみ合いを始めた。アレキサンドルは屈強な体格で見ただけで力持ちなのがわかるが、村人は数人がかりなので、徐々に押し込まれていく。「はい、そこまで! 待ちたまえよ、諸君!」アレキサンドルが押し切られそうになっているタイミングで、ケティは村人の間に割って入った。タバサもアレキサンドルを牽制している。「何だこの女みたいな顔した派手な餓鬼は!?」「僕は花壇騎士。《微風》のユルティーム・ド・フォーシュルヴァンである!」ケティはそう言って、杖を見せた。「騎士様だぁ・・・?こんなに背が低くて、顔も女みたいな餓鬼が?」「お、おい・・・よせよ・・・。」村人の一人がすっかりキレているのか、明らかに貴族とわかるケティ達に喧嘩を吹っかけてきた。あからさまに貴族への侮辱であり、無礼打ちされかねない暴挙である。周囲の村人は、その光景に青くなってその村人を諌める。「あっはっはっはっはっは!そこまではっきり言われると、流石の僕もちょっぴり傷つくではないかね。 その通り。背が低くて顔も女みたいな餓鬼で悪いが、騎士だよ。」ケティが杖を振る。「・・・・・・!?」ざわっと風がざわつき、その直後に村人は突如口をパクパクさせ、首を押さえて声を出さずにもがき始めた。ケティがいつも通り喋りながら呪文を構成し、村人の口の周りの空気が移動しないようにしたのである。「僕は確かに女顔だ。それは仕方が無い故に、その手の侮辱は気にしない。 だが、全ての貴族がそうではない。僕はむしろ少数派と言えるだろう。 貴族に舐めた口をきくというのがどういう事か、それがどんなに危険な事か、身を持って学びたまえよ? 頭に血が上っているとは言え、その行為は君に死をもたらしかねない。とても危険だ。」ケティがもう一度杖を振る。「ぶはぁッ!?」そうすると魔法が解除され、村人は呼吸を再開できた。驚きで村人はストンとその場に座り込む。「僕ら貴族は、舐められては立ち行かない難儀な稼業だ。 誇りと面子を何よりも重んじなくてはならないし、それを侵す者には制裁を加える事も躊躇えないのだ。 僕らに君達を傷つけさせないでくれ。僕らは君達を傷つける為では無く、救いに来たのだからね。」ちなみにこれは、かつてギーシュが決闘で才人にしようとした行為でもある。あの場合はギーシュも悪かったわけだし結局才人が勝ったが、本来平民がメイジに喧嘩を売るというのは、とても危険な行為なのだ。ギーシュにしても、侮辱された腹いせもあるが警告の意味が多分にあった。誤算があったとすれば、才人がガンダールヴだったという点と、絶対に諦めなかったという点くらいである。「頭は冷えたかね?」「へ・・・へい。すいませんでした騎士様。」このような警告は普段のケティならばしないのだが、いつもみたいに笑顔で脅せない上に今は男装である。なので相手へのダメージを最低限に抑えた上で、魔法で軽く脅す事にしたのだった。これであれば、インパクトの割に相手は数分と経たずに調子も元に戻る。「よし。双方ともに落ち着いたな。」「ユルティーム坊ちゃま、えらそう・・・。」うんうんと頷いているケティに、タバサがすかさずツッコミを入れる。「そうだ、その通りだ、僕ぁ偉いのだ。はっはっはっは!」ケティはそう言って、朗らかに笑うのだった。「まあつまり、双方の言い分を聞くとだ。 君達はここに住むお婆さんが吸血鬼なのではないかと疑っていると?」冷静になった村人たちとアレキサンドルの話を聞いて、ケティはウンウンと頷いている。「へ、へい。ここの婆が吸血鬼に間違いないとふんでおりやす。」「よそ者だからって、無茶苦茶言うんじゃねえよ!」アレキサンドルが、村人の言い分に激昂した。「お婆さんが吸血鬼であるか否かを判断するのは僕だ。君達では無いのだ。」「ユルティーム坊ちゃまは領主による王政府への依頼で、この仕事を行っている。 貴方達の判断は王政府により派遣された私達に対する越権行為であり、それは依頼主である領主の面子を潰す行為。」タバサが長台詞を喋っている。世界の法則が乱れかねない事態である。「その通りだ。領主の面子を潰すという事が、すなわちどういう事であるかは・・・わかるね?」領主の機嫌を損ねたら、当然ながらその領民たちにとって良い事は何一つ無い。税が上がる可能性があるし、最悪誰か捕まるかもしれないので、村人たちは青ざめる。完全に脅しだが、パニックに陥り始めている村人の暴走を抑制するには、このくらいは必要だと2人は判断した。「へ・・・へい。」「よろしい。では話を再開するが、アレキサンドル。 君はこの状態の村人に病床の母上を会わせるのは危険だと判断したという事だね?」「へい。今、うちのおっかあは病気で調子が悪い。 しかも、あんないきり立った状態で合わせたら、どんな乱暴を働かれるかわからねえです。 だから何としても帰って貰おうと思ったんでさ。」アレキサンドルは、そう言って頷いた。「成程・・・では、僕達が同伴すれば、会っても良いかね?」「おっかあの身の安全は・・・?」「はっはっはっはっは!花壇騎士ユルティーム・ド・フォーシュルヴァンの名に懸けて、傷1つつけさせない事を誓おうではないかね。」ケティは、そう言って胸を張って見せる。正直な所、サラシでがっちり締め付けてあるので少々胸が苦しい。「おお、騎士様!ここに居られたのですか!」その時、唐突にそんな声が聞こえる。声の主は、実は結構マッチョな爺さんこと、村長だった。「ああ、村長か。何かあったかね? 僕達は村の住人の一部がこの家のお婆さんを吸血鬼扱いしていたから、少々冷静になって戴いていた所だよ。 松明を持ってこの家を囲んでいたから、いったい何事かと思ったよ、はっはっはっはっは!」「仲裁をしていただきましたか。有難う御座います。」村長はケティ達に頭を下げてから、村人達に振り返る。「お前たち、いったい何をやっておるのじゃ! 騒ぎが起きていると聞いて飛んで来てみれば、マゼンダ婆さんを吸血鬼だと決めつけて、世話をしているアレキサンドルを屍人鬼扱いとは!」「集団の人間関係を疑心暗鬼状態に持って行くのは、吸血鬼の常套手段。」村長の言葉に続けて、タバサがそう告げる。「お互いに疑いあった方が、その分だけ自分への疑いが薄まるから。」「・・・という事だそうじゃ。 わしらはすっかりと、吸血鬼の術中に嵌っておるようじゃな。」「すいやせん・・・でも、アレキサンドルの首には、吸血鬼の噛み跡みたいなのがあるんでさ。」村人がそう言うと、アレキサンドルは呆れたように鼻を鳴らす。「だから、これは蛭に食われた痕だって言ってんだろ!」アレキサンドルは首筋を指差しながら、そう弁明する。「ふむ・・・ちょっと見せてくれないか?」「へい。どうぞ。」アレキサンドルは、特に抵抗する事も無くケティ達に首筋の傷を見せる。痕跡は2つあるが治りかけなのか、蛭の吸い痕どころか蚊か何かに刺された痕にしか見えない。「虫刺されの痕と見分けがつかないな。 ファンティーヌはどう思う?」「わからない。 ただアレキサンドルは、屍人鬼にしては堂々としている。」タバサのその一言に、ケティも《まあもっとも、私が屍人鬼でも堂々と誤魔化そうとするでしょうけれどもね》とか思いつつ頷いた。まあつまりタバサもケティも、さも疑っていないような話をしているが、実の所と言えば判断は保留である。「信じて貰えたみたいですな。助かるぜ騎士様。」「さて次は君の母上だね、アレキサンドル。 母上の無実を証明する為だ。会わせてくれるね?」村人よりも立場が上になっているケティ達に認めて貰ったと思い込んだことで、アレキサンドルの機嫌は良くなっている。つまり彼の母親であるマゼンダに穏便に接触するには、このタイミングしかない。なので、ケティはさらっと頼み込んだ。「・・・そういう事なら、仕方がありやせんね。」「御協力、感謝するよ。」ケティの思惑通り、アレキサンドルはあっさりと頷いてくれた。先程までは頑なに突っぱねていたのが嘘みたいだが、それもこれも村人が押し一辺倒で迫っていたお蔭である。完全に村人は利用された形だが、彼らとて当初の目的は達成出来るのだから、これで良い筈だ、たぶん。「おっかあ、入るぞ。」小屋の奥には土間があり、その更に奥にはベッドがある。そしてそこには、誰かが寝ているのが見えた。「あそこに寝ているのが、君の母上かね?」「ああそうだ。」ケティの問いに、アレキサンドルが頷く。「では、うちのファンティーヌに少々身を検めさせて貰っても良いかね?」「なっ!?」「なに、そちらにとっても悪い事では無いさ。 身を検めれば身の潔白を証明できるし、何よりもファンティーヌはこう見えて水メイジだ。」一瞬顔を顰めたアレキサンドルだったが、続いてケティの発した言葉に目を丸くする。水メイジにも色々とあるが、得意な系統の関係から大抵はそれなりの医術の心得がある。そして治癒の魔法で、治せないにしても症状の緩和などが出来たりもする。わかりやすく言うと、タダでこの村では望むべくも無い医者に診せてやると言っているのだ。「ありがてえ!是非ともお願いしやす!」アレキサンドルは、頭を下げて頼み込んで来た。タバサは得意な系統は風系統だが、水系統も出来るので当然使える魔法に応じた訓練は受けていたりする。なのでモンモランシー程では無いにせよ、診察のような事は出来るのだ。「水メイジ様、最近おっかあはどんどん弱って来てるんだ。 診てやってください、お願いします!」「ん。任せて。」頼み込むアレキサンドルに、タバサはコックリと頷いたのだった。