「吸血鬼では無かった。」 アレキサンドルの家から出た後に、タバサはケティにそう告げた。「寝込んでいた原因は、老衰による食欲の極端な減退。 お腹に治癒の魔法をかけてみたけれども、あまり効果が無い。 血を吸うどころか、恐らく今年中に食べられなくなって亡くなる筈。」「成程、それは吸血鬼ではありえないね。 吸血鬼は別に人間と同じ食事を摂れないわけでは無い。 まあもっとも、全く美味しくないらしいが。」 タバサは診察と魔法で簡単な治療を施しつつ、吸血鬼かどうかを見極めたらしい。「さて、吸血鬼の当ては無しと。 あっはっはっはっは、困ったね。 このままでは、この村の問題を解決出来ない。」「まだ初日だから、しょうがない。 あと、困っているように見えないから、そういう時は笑わない方が良い。」 タバサはケティを慰めつつツッコミを入れた。「忠告感謝するよ、ファンティーヌ。 話を戻すが村のこの状況だと、時間は僕らに味方しないだろうね。 さて、取り敢えず出来る事は・・・。」「村の娘の安全確保。」「そうだね。先ずそこからだ。」 タバサの言葉に、ケティはうんうんと頷く。「どうすれば安全を確保出来ると思う?」「それならば僕に良い考えがある。」 ケティが良い笑顔でそう一言告げた。 絶対何か良からぬ事を企んでいると、タバサは思ったのだった。 ケティが行ったのは、この村の若い娘を全員村長の屋敷の広い部屋に集めるという事だった。 村長に依頼した上での花壇騎士からの《要請》という事で、村の娘は程無く全員集合した。「やあやあ、お嬢様がた。お集まり頂き感謝の極み。 僕は花壇騎士ユルティーム・ド・フォーシュルヴァン。 こっちは従者のファンティーヌだ。 今日よりは僕達2人が、君達の身の安全を守らせていただく事になった。」 ケティはそう言いながら、優雅に一礼。 タバサも静かに一礼した。「き、騎士様達に守って戴けるんですか?」 村娘が恐る恐るといった感じに、挙手してケティに尋ねてくる。「その通りだ。安心したまえよ。 君達は今日から、眠る時は一つの部屋に集まって眠って戴く。 これで当面の問題は、ある程度先延ばしに出来る筈だからね。」 ケティはそう言って胸を張るが、村娘達の視線は何となく疑わしげである。 まあ仕方が無い。 何せ彼女らの目の前に居る騎士様は、男にしてはかなり背が低くて華奢で顔は整っているが凛々しさは無く、何処からどう見ても可愛い女顔である。 もう何というか、その姿には頼もしさの欠片も無かった。 何人かは「可愛いショタ騎士・・・ぐぇへへへへへ・・・・・・」とか笑っていて、ケティの心胆を寒からしめていたが。「で、でも。1つの部屋に集めたら、一網打尽にされるような・・・・・・。」 先程とは違う村娘が、ケティにそう質問してきた。「ふむ・・・ではお嬢さん? 君は自分の好物が普段食べる量の十数倍あったら、どうするかね? しかもそれが、保管しておけるものであるのならば、どうかね? 全部、食べるのかね?」「保管しておけるのであれば、食べる分だけしか食べませんけど。」 ケティの質問に、村娘はそう返答する。 その答えを聞いて、ケティも大きく頷いた。「そうだね。僕だってそうするし、たぶん誰だってそうする。 さて話は変わるが、今まで集めた情報によれば吸血鬼はね。 今の所、狙った相手以外には、一切手を出さずに行動しているように見える。 家人の監視の目を潜り抜け、何処からともなく侵入し、血を吸い尽くして殺しているのだよ。 眠りの魔法で家人を眠らせている場合もあるが、かなりの確率でこっそり進入してこっそり仕留めるという方法にこだわっている。 それは何故か、わかるかね?」「ええと・・・魔法をなるべく使いたくない?」「素晴らしい(C’est excellent)!」 問いかけられた村娘が答えると、ケティはそれを大袈裟に褒め称えた。「賢き者は正しき選択をし、幸いを招くものだよ。 そう。吸血鬼は、なるべく先住魔法を使いたくないのだ。 回数制限があるのか?はたまたヒースクリフのように眠りの魔法が苦手なのか? それはわからないが、目撃者を最小限度に抑えようとしているのがわかる。」 タバサ以下全員が《ヒースクリフって誰だ?》と首を傾げつつも、ケティの説明に耳を傾ける。「もしもここのお嬢様がたが集まっている部屋に現れた場合、今までにない数の相手を一気に眠らさねばならない。 それが出来ないのであれば、全員の血を吸ってしまうしかない。 だが、吸血鬼は一人なのだよ。そしてその吸血鬼は、数週間に一度の頻度でしか血を吸っていないのだ。 つまり相手は我々に比べて食い溜めが出来るが、一度に食える量には限度はある・・・という事になる。」「つ、つまり・・・私達が集まっていると、吸血鬼は物凄くやりにくいという事?」 村娘が軽く挙手して、ケティに質問してきた。「その通り。あの恐ろしい吸血鬼であっても、限度はあるという事なのだ。 一気にここに居る15人ものお嬢様がたの血を吸うなどという事は出来ない。 いかに吸血鬼と言えど、それは流石に食べ過ぎにしても度が過ぎた事になるだろうからね。 これで吸血鬼は迂闊には動けんよ、はっはっはっはっは!」 ケティは朗らかに笑い始めるが、その笑いを遮るようにタバサが言葉を続ける。「ユルティーム坊ちゃんは詰めが甘いから、私が補足。 今回が選んだ部屋には、吸血鬼はドアから招かれない限りは入れない。 確実に安全とまでは言い難い。でも、これでかなり安全にはなる。」「入れないって、そんなのどうやって保証するのよ!?」 タバサの言葉を村娘の一人が問い詰める。 彼女がメイジだろうが、お構い無しのようだった。 そう、お構いなしなのだ。構っていられないくらい怖いのだ。 命の危険が迫る身としては、居ても立っても居られないくらいの恐怖なのだろう。「詳しくは言えない。ただ幾つか仕掛けをさせて貰った。」「どんなよ?」「秘密。吸血鬼が何処から聞いているのか、わからないから言えない。 ただ一つ言える事は、たかが吸血鬼如きが、この罠を突破出来るわけが無い。」 タバサは周囲にはっきりと聞こえる声で、そう言って口を閉じた。 勿論『吸血鬼』が聞いているのを見越した上だし、言い回しでわかると思うが挑発でもある。 何せ自信満々で言っているメイジ二人は、娘たちを集めた部屋の外なのだ。 これでターゲットは、より狙いやすいタバサとケティになる筈である。「・・・さて、餌と竿は用意した。あとは釣り糸を垂らすのみですね。」 ケティは小さな声で、そっとそう独り言を漏らすのだった。 そして数時間後・・・・・・。「あばばばばばばばばばばば!?」 深夜にのんびりと眠っていたケティ達の居る部屋の煙突から、妙な悲鳴が聞こえてきた。 煙突の中は狭く音が反響しやすいので、大音量ではっきりと聞こえてくる。「かかった?」「あの安っぽい挑発に引っ掛かっちゃったみたいなのですね。」 ケティ達が仕掛けたのは、以前他の場所でも使った電撃が流れる罠である。 何せ電撃罠は生きとし生けるものになら大体効く。その上、この世界なら大体初見である。 なので罠だとすらもわからずに触って、見事に引っかかるのだ。「これで戦いは回避?」「まあ多分、きっと、恐らくは。 どちらにせよ何事も愛と平和(Amour et Paix)にて解決が一番ですよ。」「胡散臭い。」 タバサの放った容赦のない無い一言に、ケティはうぐっと胸を押さえる。「ぐはっ!?容赦ありませんね貴方は。 私は何事においても平和的にかつ、こちらが有利に物事を解決する事を第一にしている生粋の平和主義者だというのに。 それはさておき、吸血鬼は誰でしょねー・・・っと。」 ドスンと落ちてきた煤塗れの物体を、ケティは覗き込んだ。「ふむ・・・予想通りといいますか。 この大きさの《通路》を通れる体格で、かつこの村へ比較的最近やって来た者となると、まあ・・・彼女しか居りませんよね。」「きゅう~・・・。」 煤塗れの物体は、村長の養女であるエルザだった。 将来はたいそう美人になるであろう可愛らしい容姿の幼女だが、ケティ達は現場の状況証拠から恐らく彼女が下手人であると判断していたのだ。 吸血鬼が小柄な体格の子供の姿である事がわかってしまえば、小さな村でかつ騒ぎで何世帯もが逃げている状況で、絞込みは難しくなかったのだ。 子供でもかなり小柄でないと通れない煙突と、1年ほど前に村長に拾われたという《余所者》である点が合致した子供は、村でエルザただ一人であった。「さて・・・と。あったあった。 貴方の出番ですよ《地下水》。」 ケティはそう言いながら、以前鹵獲したマジックアイテムにして己の柄を握った者の体を乗っ取る知性ある短剣(インテリジェントナイフ)の《地下水》を取り出す。 体を乗っ取られる危険性があるので、柄は握らずに鞘を握っている。 何せこの《地下水》、裏の世界では名の知れた暗殺者でもあり、決して油断は出来ない相手なのである。 ・・・まあ色々とあった結果、ケティには基本的に逆らわないようになってはいるが。「お、御主人。俺の出番ですか?」「ええ、貴方の一番得意な仕様の出番です。 吸血鬼相手ですが、出来ますよね?」 ケティはそう言いながら、電撃で気絶して動けないエルザの手に《地下水》を握らせた。「勿論ですよ。俺を握った者は、例え強い力を持つエルフであろうが逆らえやしません。 俺は元々《そういう用途》で作られたわけですしね。 魔法はただの付録でしかないというのをお見せしましょう。」「上出来です。」 エルザの声と《地下水》自身が放つ声が重なり、それを聞いたケティは満足そうに頷いた。「では《地下水》、体の自由は奪ったままでエルザの意識を戻してください。」「御意・・・・・・な、何!?何がどうなってるのこれ!? 何?何で?体が動かない!?」「おはようございます、エルザ。 ご機嫌如何ですか?」 いきなり全身が痺れて気を失い、気がついたら獲物にする筈だった者達に見下ろされているという己の境遇に混乱しているエルザに、ケティはにっこりと微笑んだ。「・・・やっぱり女だったのね、貴方。」「おや、気づかれていましたか?」「乙女の血は私の好物よ。 そんな美味しそうな匂いをプンプンさせておいて、気づかないわけが無いじゃない。」 ケティを見ながら、苦々しく言葉を吐くエルザ。 今のケティは纏めていた髪の毛を下ろし、薄着にして胸を押さえていたさらしも外しているので、どう見ても少女である。「それは残念。こう見えて男装には、それなりに自身があったのですけれどもね~。」「もう少しで、干乾びた死体に変えてあげたのに!」「おお、怖い怖い。」 エルザは牙を剥いて威嚇するが、残念ながらケティを怖がらせる事は出来なかったようだ。「それで、どうする?」 タバサは、そうケティに声をかけた。「殺す?」「そうですね。それが一番後腐れが無いのですが・・・はて?」 そう言って、ケティはエルザを見下ろす。 その顔は笑顔なのに、目が全く笑っていない。その事にエルザは気が付いた。 笑っていないどころか、それは生き物に向ける視線では無かった。 これから処遇を決めるのはただの物であるという、そういう感情の籠らない視線であった。 何の躊躇いも無く、一片の慈悲すらかけられずに、自分はこれからただ殺されるのだ。 それにエルザは気付いてしまった。「貴方、ここで死にますか?」「い、嫌・・・嫌よ・・・。」 エルザはガタガタ震えはじめる。 彼女の両親を殺したのはメイジであるとエルザは村長に告げたが、これは嘘ではない。 彼女の両親は実際にメイジの騎士達によって発見され、そして道端の虫ケラを踏み潰すが如く討伐されたのだ。「吸血鬼が血を吸って何が悪いのよ! 私達は人間の血を吸わないと生きてはいけないの! 貴方達が野菜を食べるように、木の実を食べるように、家畜を食べるように、食べなきゃ死んでしまうように! 私達は人間の血を吸わないと死んでしまうの! それが悪いと言うの?それは殺される程の罪だというの!?」 エルザは自分が常々から思っていた疑問を、ケティにぶつけた。 それは彼女が生きて行く為の言い訳でもあったから、言わずにいられなかったのだ。「そうですね、生きる為の糧を得る。 必要な事ですね、それは罪ではないでしょう。 別に構わないのではないでしょうか。」「えっ?」 そしてそれをケティはあっさりと肯定され、エルザは呆然とする。 今までこれを問いかけた者は、恐慌の中でそれを否定したからだ。 立場が真逆とは言え、それをあっさりと肯定する者が居るなど思ってもいなかった。「でもですね。家畜とて殺される時は必死に抵抗します。準備を怠れば、こちらが殺されます。 同様に人の血を生きる糧とするのであれば、人の反撃を受けるは必至というわけなのです。 それにですね。悪く無くても、罪が無くても、生き残る為で無くても、糧を得る為で無くても。 それ自体に何の意味も意義も無くても、死ぬ時は死ぬし、殺される時は殺されるのですよね、これが。」 ケティがそう言うと同時に、彼女の杖から赤い魔力の光が放たれる。 それがブレイドという、使い手によっては鉄扉をも切り裂く強力な魔法だという事をエルザは知っていた。 何故ならば彼女の両親も、ブレイドによって彼女の目の前で斬り捨てられたからだ。 別の地方で吸血鬼討伐の任に就いていた、眉目秀麗なる花壇騎士ローラン・ド・ラ・パラティーヌによって。「貴方がこれから死ぬ理由は、先ず第1に逃げなかったから。 第2に花壇騎士を殺害してヴェルサルテイルのメンツを潰したから。 第3に今迄と同じ方法が何時までも通用すると思っていたから。」 ケティはひのふのみと指を1つずつ立てながら、エルザに説明する。「そして最後に何より運が悪かったからなのですよ。 そう、運。たまたま私が来たから、タバサが来たから、シルフィードが居たから、通りすがりに死ぬだけ。 ただそれだけ。別に吸血鬼でなくとも訪れる。よくある不運な死なのです。残念でしたね。」「い・・・いや・・・いや・・・・・・。」 疑問であり生きる意味であった事をあっさりと肯定され、その上で自分が無意味に死ぬ事をエルザは悟った。 だがそれでも彼女は死にたくなかった。 村人の命を奪い、花壇騎士の命を奪った己が身だが、それでも死にたくはなかった。「助けて・・・嫌・・・死にたくない・・・何でもするから・・・・・・。」「うん?今、何でもするって言いましたか?」 涙を流し必死で命乞いをしたエルザに、悪魔が微笑んだのだった。 数日後、ユルティーム・ド・フォーシュルヴァンの姿で、ケティは村長の家に村人を集めて告げた。「吸血鬼だがね、何とか退治出来たよ。」 数日間、ケティ達は引き続きタバサと漫才染みた会話をしつつ、吸血鬼を警戒するフリをしていた。 《この村を襲っていた吸血鬼は無害化出来ましたけど事情は話せません》では誰も納得しない。 だから川口浩探検隊のようなノリで慎重に吸血鬼を探すフリをしつつ、時々吸血鬼の襲撃に遭った風の芝居もしつつ、ちょっとシルフィードでひとっ飛びして適当な吸血鬼候補を見つけて持って来たのである。「して、吸血鬼は・・・・・・?」「これだよ。」 ケティがレビテーションで異臭のする袋を持って来た。 焦げた肉の臭いが漂ってくるそれに、村長たちは顔を顰める。「まさか、これが・・・?」「激しい戦いの結果として、ちょっとばかり焦げてしまったがね。 私が戦った時は吸血鬼だったよ。」 袋を広げるとそこにあったのは、辛うじて人の形をした消し炭だった。「牙は・・・牙はあるか?」 ここは狩猟なども良くやる村で、村人は死体など見慣れている。 とは言え流石に消し炭になりかけた人型の死体は初めてだったが、村人達は慎重にそれの頭を調べた。「駄目だ、歯も物凄い温度で焼かれちまって、すっかり炭だ!」「いやぁ、吸血鬼は強敵だったね。 ちょっとばかり手加減を誤ってしまったよ、はっはっはっはっは!」 ケティはそう言って、能天気に笑う。「ファンティーヌ様、本当に吸血鬼は倒したんですかい!?」 ちなみにだがタバサは、ここ数日は毎日のように探索に出ていたケティとは違い、この村で様々な手伝いなどもしていた。 表向きは村を吸血鬼に襲われないように監視する為であるが、勿論彼らを脅かす吸血鬼などもう居ない。 なので魔法で村の仕事を手伝うなどして、村人の信頼を集めていたのだ。 寡黙ながらもメイジなのに偉ぶったりはせず、しかも村の様々な仕事を手伝ってくれる人。 今やすっかりファンティーヌことタバサは、村人達に信頼されていた。 勿論この行いも、今日のこの瞬間の為ではあったが、タバサはタバサなりに精いっぱい手伝ったと思っている。「ん。私もユルティーム坊ちゃんが吸血鬼を倒すのを見た。間違いない。」 そんな寡黙で信頼出来る人が頷いたので、村人達も納得したのだった。『ファンティーヌ様がそう言うなら、間違い無いか・・・。』「はっはっはっはっは!ファンティーヌの良さを皆に分かって貰えて僕ぁ嬉しい限りだよ。 ちょっとで良いから、僕にもその信頼の眼差しを向けてくれると更に有り難いな!」 何か損な役回り請け負っちゃったなーとか思いつつ、ケティは快活に笑って見せる。「しかし花壇騎士様、貴方は確か風の系統ではありませんでしたか? 二つ名が確か《微風》と・・・。」「僕が何時、風の系統だと言ったのかね?」 そう言いながらケティが杖を振ると、上空に巨大な火球が形成された。「自己紹介の時に言い忘れたが、僕は火のトライアングルだ。 憶えておきたまえ。」「いやでも二つ名が・・・。」「そりゃ君、僕は火の方が得意なのだから風の方は微妙という事だよ。 火に比べると微妙な風。略して《微風》のユルティーム・ド・フォーシュルヴァンである。 ちょっとした引っ掛けのある面白い二つ名だろう?」 それを聞いていた村人達が《詐欺だ・・・》とかいう気持ちでいっぱいになったのは、言うまでも無い。「まあ兎に角だ。僕の華麗な活躍によって、吸血鬼はこの通り消し炭となった。 安心したまえ、この村は救われたのだ。はっはっはっはっはっはっはっは!」 村始まって以来最大の危機をこんなアホボンが解決したのかと思うと、ちょっと暗澹たる気分になる村人たちである。 アレキサンドルはあれ以降、疑いが晴れたのが良い切っ掛けになったのか、矢鱈と快活に村人と接するようになって行った事で『あいつ話してみれば良い奴じゃねえか』と村人のそれなりの数と仲直りしていた。 そして村娘を一か所に集めたのが大正解だったのか、このアホボン花壇騎士が来て以降は犠牲者が一人も出ていない。 むしろ従者のファンティーヌが害獣駆除の手伝いとかもしてくれたので、以前よりもやりやすくなったくらいであった。 そんなこんなで大過無く吸血鬼退治は終了してしまったのである。 村人達は思った『この花壇騎士は実は有能だったのだ。見た感じアホだけど、アホだけど』と。「それとだが、もう一つ知らせがある。 エルザの両親の身元が判明した。」「な、何ですと!? それは本当で御座いますか?」 村長が仰天した声を上げた。「このような幼い時から、これほど麗しい容姿の娘というのは、そうそう居ない。 それに両親がメイジに問答無用で襲われ殺害されるというのも、珍しいと言えば珍しい。 なので悪いとは思ったが、無断でエルザの身元を調べさせていただいた。 貴族の関係者である可能性が高かったのでね。」 ケティは胸を張り、少々口調を変えつつ眉1つ動かす事無く告げた。 騙されているとは言え、エルザを大事に保護してきた村長の気持ちを思うと頭を下げたい所ではあったが、貴族というのはそうそう頭を下げてはいけないものなのだ。「そういう事で御座いましたか・・・して、結果は・・・?」「貴族の醜聞故に何処の家門かは話せぬが、とある大貴族の跡取り息子が、使用人の娘と身分違いの恋に落ちて出奔してね。 まあそれだけならば二人は幸せに暮らしましたとさで終わったのであろうけど、生憎彼には兄弟が無く、そして当主には数人の兄弟が居たのだ。 そして当主が亡くなった・・・それならそれで兄弟の誰かが継げば目出度し目出度しだったのだが、跡目争いで生き残った者が猜疑心の強い男でね。 自分の兄弟を皆殺しにした後、跡取り息子が帰って来やしないか心配になったらしい。 刺客を差し向け、跡取り息子だった男は妻と娘を引き攣れて逃げ惑い、この村の近くの森で最期を遂げたというわけだ。」 ケティはそんな話をしながら、紋章が刻印された指輪を取り出した。 ちなみにその指輪は豪華なものに見えはするが、ケティが誰かの身分を騙る時用にでっち上げておいた紛い物である。 紋章の形を覚えていても、恐らく何処にも辿りつけはしない。「男女と見られる白骨死体と、その近くに指輪があった。 これから辿って、先程話した案件に辿り着いたというわけだよ。」「そういう事だったとは・・・。 して、エルザはどうなるのですかな?」 村長の問いに、ケティは顔を顰めてみせる。「それなのだが・・・ふむ。この話はこの場では相応しく無いな。 村の皆、集まって戴いてご苦労であった。 先程話したように、吸血鬼は僕が完全に消し炭にした。 この後の話は村長とエルザの話になる。解散したまえ。」「へ、へえ・・・。」 村人達がゾロゾロと帰って行くのを見ながら、ケティは数日前のエルザが『何でもする』と言った時の事を思い出していた。「助けて・・・嫌・・・死にたくない・・・何でもするから・・・・・・。」 恐怖で引き攣った表情で、エルザは泣きながら命乞いをする。「うん?今、何でもするって言いましたか?」 ケティはそんなエルザに、ニッコリと微笑みかけた。「物わかりの良い子は大好きですよ。 やはり何事も、話し合いで解決するのが一番なのです。」「話し合い?」 ケティの言葉に、タバサは首を傾げる。 そりゃそうだろう。誰がどう見ても、脅迫の現行犯である。「タバサ、話し合いの極意を知っていますか?」「極意?何?」 ケティの言葉に、悪い予感がしつつもタバサは聞き返す。 タバサにとってこの友人は、頼もしいが時々発想が怖い。「それは『相手がどうしてもこちらと話し合いたい気分になった時に話し合う』なのですよ。」「人、それを脅迫という。」 泣いて命乞いをする相手に交換条件を持ちかける。 どう見てもそれは話し合いでは無く、脅迫というべきものだった。「うーん、見解と認識の相違ですね。 元々問答無用でこちらを殺しに来ていたのですから、こうやって殺し殺されるわけでは無い状況で話し合いが出来るようになっただけ上等というものですよ。 それとも、真っ向から殺しあった方が良かったですか?」「確かに、そこに異論は無い。」 確かに争う手間が省けたのだから、これはこれで良いのかもしれないなと考えるタバサ。 まあ殺し殺される関係から、吸血鬼の側が一方的に殺される関係になっただけなのだが、そこは深く考えなくても良いかとも思った。 自分一人で対応していた場合は、間違いなく殺していただろうから。「でしょう?平和主義とはかくあれかし、ですよ。」 それは流石に世の平和主義者が泣くんではなかろうかとタバサは思ったが、ケティの真っ黒ボケ倒しが止まらなさそうなので言わないでおいた。「さてと、貴方はエルザ・・・で、良いですか? それともそれは偽名?」「いいえ、本名よ。」 今の茶番というには少々どす黒いもので少し気がほぐれたのか、ケティの問いにエルザはしっかりとした口調で返答した。「そっちこそ、その丁寧な口調が本来のものなの?」「自分でもよく分かりませんが、たぶんそうなのです。」 ケティとしても、時々自分が何処まで演技していて何処からが自分なのか若干わからなくなる時もある・・・が、そこも纏めて全部自分であると考えていた。 人は場面や立場で変わるものだから、それらで変わる自分は全てが自分であり、偽りの自分など存在せず、逆に本当の自分なんてものも無いのだと、そう思っている。「まあそんな些細な事は置いておいて、死にたくないのであれば私と契約して貰います。」「契約って・・・使い魔にでもなれというの?」 エルザは首を傾げる。 メイジが使う使い魔契約の魔法《コントラクト・サーヴァント》は、呼び出した動物や幻獣に対して行うものであって、吸血鬼のような亜人に行う魔法ではないからだ。「それでも良い気はしますが、コントラクト・サーヴァントが馴染むまでに、私は物言わぬ死体と化すでしょうね。 まあそんなわけで、虎の子を用意してみました。」 そう言いながらケティは、恐ろしさすら感じる程の綺麗な青い宝石の嵌め込まれた指輪を取り出した。「これは《告発されし者の指輪(アキューズド・リング)》という、素敵な魔法の指輪なのですよ。 刻印されている文字や付与されている魔法の強力さから見るに、エルフが作ったマジックアイテムなのでしょうね。 ちなみにエルフの文字で《これを以って汝、告発されし者の死の運命を猶予する》と刻印されています。 エルフの世界では、貴人などに対しては特別に死刑に対しての執行猶予が発生する場合があるらしく、この指輪を身に着け様々な条件を誓約する事で釈放されるらしいのですよね。」 そしてその指輪を、体を動かせないエルザの指に嵌める。「ちなみにですが、死刑を猶予する代わりとして、この指輪は誓約によって結ばれた契約を破った者に、死よりも惨たらしい罰を与えます。」「し、死よりも惨たらしい罰?」 今すぐ死なない代わりに、とんでもない契約をしなくてはならなくなった事に気付き、エルザは青ざめつつも尋ねた。「ええ、契約が破られかけている場合、若しくは契約をかけた者に危害を与えようとした場合、まず警告としてこの青い宝石が赤く変わっていきます。 それでも契約を破り続けた場合、全身が徐々に引き裂け、最終的に砕け散ります。 しかも間違いなく致命傷なのに死には至らず、発狂する事も出来ず、全身を隈なく覆い尽くす激痛にのたうちまわる事すら出来ないまま蹂躙されます。 それから暫く経った後に、その砕け散った体から新たな体が再生されます。 見るも醜い姿のヒキガエルとなって、本来の寿命で死ぬその日まで、一生を過ごす運命になります。 寿命の長いエルフだと、死刑以上の地獄でしょうね、これは。」「そ、そんな・・・嘘よ・・・。 そこまで強力な魔法のアイテムが、そんなに出回っている筈が・・・。」「ところがどっこい・・・嘘じゃあありません。 現実・・・これが現実なのです。」 ケティの表情は笑顔だが、それには有無を言わせぬ迫力があった。「私が貴方に求める誓約は2つ。以後私とタバサの出す指示には一切逆らわない事。 タバサを決して害さない事。 簡単でしょう? さてエルザ、最後の選択機会を貴方にあげましょう。 前言撤回して死を選ぶというのであれば、この場でそうして差し上げます。 どうしますか?」 ケティの問いに、エルザは考える。 どうしても死にたくはない。いつか死ぬその日まで、生きてはいたい。 しかし、この交換条件はあまりにも厳しく、単純明快にして変則的だった。、 そしてエルザは口を開く。「そ、それでも私は生きていたい。」 まだ生まれて然程も生きていない。 死にたくないからこそ、逃げて逃げてこの村まで逃げて、村長に取り入ったのだ。 だからエルザは、契約を承諾した。「わかりました。それでは《告発されし者》よ、汝に誓約を求める。 1つ。私、ケティ・ド・ラ・ロッタとシャルロット・エレーヌ・ドルレアンの命令に逆らわぬよう。 2つ。シャルロット・エレーヌ・ドルレアンことタバサの命を害さぬように。 誓約を以って契約は結ばれる。応や否や?」「誓います。」 エルザがそう言って頷くと同時に指輪の内側が棘のように伸び、指輪を嵌められていたエルザの指に突き刺さった。 植物の根のようにズブズブと入り込んで行くが、しかし血も出ず痛みも無い。「これで契約は結ばれました。 《地下水》も、ご苦労様でした。」「やれやれ、今回は縄代わりとは。 もうちょっと俺向きの仕事もあると思うんですがね?」 少々不満そうに、今までエルザの体の自由を奪っていた知性ある短剣(インテリジェントナイフ)の《地下水》が愚痴る。 エルザの口で。「吸血鬼は怪力な上に、先住魔法だって使えます。 それらを全て封じるならば、貴方の力が一番なのですよ。 《地下水》。少々目的外でも、道具として使われる事に喜びを見出しませんか?」「いやしかしですな。他人の体を乗っ取って色々と小細工するのが俺の・・・。」「な、なにこれ、何で私の口が勝手に動くの?」 まだ動かない己の体という状況に、勝手に喋る自分の口という状況も加わって、エルザは混乱している。「・・・存在意義というものでしょう?」「それよりも、何この短剣!? 口の自由を取り戻したかと思ったら、今の続きを喋り出したわ、怖い!」 エルザが口の自由を取り戻すとともに、自分で喋りはじめた《地下水》に怯えるエルザ。 得体の知れないものに自分の体を勝手に操られていたのがわかれば、それはもう怖いし怯える。「その短剣は《地下水》。知性ある短剣にして、ケティの裏の下僕その壱。」 特技はこの通り、人の体を乗っ取る事。」「下僕とは恐れ多い。俺はただのコレクションですよ。 まあそれは兎に角として、今度使う時は何か戦う任務が良いですね。 短剣と言えど、矢張り命のやり取りあってこそです。」「デルフリンガーみたいな事を言いますね。 わかりました。考えておきましょう。」《地下水》はエルザの体を勝手に動かし、ケティが渡した鞘に自分を納める。「お願いします。 それではおやすみなさい、御主人。」 エルザの体で優雅に一礼した後、《地下水》は自分をケティに手渡した。「あ・・・か、体が自由になった。」 体の自由が戻ったのをを確認するように、エルザは手を握ったり開いたりさせている。「それで、私はこれからどうなるの?」「取り敢えず貴方は、私の友人の《とある御方》に引き渡します。 吸血鬼には便利な能力がいくつもありますからね。 これからは人間に追われる事無く血が吸える環境になると保証しましょう。」 エルザの問いに、ケティはそう言ってにっこりと笑った。 その笑顔を横目で見ながらタバサは、トリステインの黒女王に引き渡して何か黒い事やらせるんだろうなーとか思ったが、ガリア政府に引き渡す義理は特に無いしそんな命令も受けていないので放って置く事にした。 プチ・トロワからの命令は飽く迄も吸血鬼の無力化であり、要するに殺せって事だろうが、明確に殺せとも言われていないのだ。 このエルザは何人もの村人を殺した吸血鬼だが、こうして村に危害を加えられなくなったわけだし、任務は達成したと考えているタバサである。「特に、一人とは言え誰かを操れる能力は便利ですよね。 色々と活躍していただけそうなのです。 《あの御方》も、喜ばれるでしょう。 ・・・ああそうそう、貴方が操っていた相手は誰ですか? 村長かアレキサンデルだとは思っていますが。」「アレキサンデルよ。最近この村にやって来て、御誂え向き(おあつらえむき)な怪しさだったから、血を与えて操る事にしたの。 案の定、村人はあっちに目が向いて、私を警戒する事が無かったわ。 なのに貴方達はまるで私が吸血鬼だというのがわかっていたみたいに解決してしまったわ、どうして?」 この件は時間をかけてエルザがゆっくりと行ってきた計画で、前任の花壇騎士も自分が吸血鬼だとは最後まで気付かぬままに死んだ。 それなのにケティ達は、朝にやって来て夜中には解決してしまったのである。 エルザ的には問い質したくもなるだろう。「ああそれは・・・貴方も罠に引っかかった事でお判りでしょうけど、侵入経路がわかったからなのですよ。 あんな小さくて狭い進入経路、タバサでも通れません。」 そう言いながらケティは煙突を指差し、タバサはコックリと頷きながら言葉を続ける。「ん。侵入者の体格は、必然的に私より小さいという事になる。 つまりそれは、かなり小柄な子供という事。」「体格を変化させた可能性というのもありましたが、吸血鬼には体格を変化させるような魔法は使えないという情報がありましてね。 タバサより小柄な体格で、外から入って来た存在というと、ざっと調べても貴方だけでした。 ま、そんなわけで大体特定は終わり、娘達が襲われないように対策も打ち、安っぽい挑発をしてから寝たわけですが・・・まさか1日で捕まるとはね。」 罠は仕掛けておいたものの、流石に1日目で侵入して来てくれるとは思っていなかったケティである。 釣り糸を垂らしたら即大物が連れてしまった感じで、実は彼女的にも少々予想外の出来事だったのだ。「そ、それは貴方が莫迦っぽそうだったから、つい・・・。」「あー・・・引っ掛かっちゃいましたか。」 恥ずかしそうに呟くエルザに、合点がいったようにケティは頷く。 幾ら慎重にやっていたとは言え、エルザは見た目通り子供である。 村人も見抜けなかった莫迦っぽいボンボンの真似を、子供に見抜けというのは無理があった。「幾らモデルが居るとは言え、上手な物真似だった。 正直、感心した。」 前にアルトーワ伯の所に行った時もそうだったが、ケティは何かになり切るのが非常に上手いなとタバサは感心していた。 それと同時に、あまりにも変わってしまうその有様に、今のケティは彼女の《本当》なのだろうか?とも思ってしまう。「それは重畳、ギーシュ様もこれで浮かばれる事でしょう。」「ギーシュを勝手に殺してはいけない。」 こういう風にさらっと毒のある冗談を言う姿を見ると、何時ものケティだと安心してしまうタバサである。「さてと、我々は貴方をこの村から連れ出さなければいけないわけですが、その為には理由付けが必要になります。 なので貴方がこの村に入り込む為に作った嘘を、利用させて貰う事にしますね。 とは言え、準備には一週間程度は必要・・・取り敢えずアレキサンドルに対して、今までよりも積極的に周囲と関わるように操って下さい。」「な、何でアレキサンドル?」 工作とアレキサンドルの繋がりが、エルザにはよく分からないので質問してみる。「そりゃもう決まっているでしょう。 貴方が村を離れる時に、アレキサンドルの支配を解いて元に戻すからですよ。 彼の母親もそう長くありませんし、村から孤立する状態に追いやっておいて、あのまま放って置いたら流石に可哀想でしょう? 貴方が操ってあんなに孤立させたんですから、貴方が操ってある程度関係改善させなさいという事です。」「え、いやでも、あそこまで孤立した状態から、仲直りさせるのは・・・。」 エルザとしても、操って疑心暗鬼を生み出すというのは良くやって来たが、操って仲直りさせるというのはやった事が無かった。 やっても意味が無いから、やらなかったわけだが。「やりなさい。罵られても笑顔でニコニコ友好的に根気強く接していけば、何れ誰か何人かは折れます。 貴方がやるわけでは無く、アレキサンドルにやらせるんですから、上手く操って何とかしなさい。 でなけりゃ指示に従えなかったという事で、貴方の体はバラバラに弾け飛びますよ? ほら貴方が愚図るから、指輪が青から紫色に・・・。」「ひいいぃぃぃぃ!?わかりました!決死の覚悟であたらせていただきます!」 《告発されし者の指輪(アキューズド・リング)》の宝石の鮮やかな青が、警告色の赤色に変わる過程でゆっくりと紫色に変貌しつつルのを見て、エルザは顔面蒼白になってコクコクと頷いた。「はあはあ、青に戻った。宝石が青い!私生きてる!素晴らしい! よーしエルザ、頑張ってアレキサンドルを仲直りさせちゃうぞ!友達百人出来るかな!? ではご主人様、早速アレキサンドルを再調整して朗らか爽やか愛され系好青年にしてきますね、じゃ!」 急にハイテンションになったエルザはそう言ってドアを開けると、風のように駆け抜けて行った。「なんか、やけくそ?」「・・・まあ任務失敗しても爆発四散するだけですし、精々頑張って貰いましょう。」 コホンと1つ咳払いをして、ケティは気を取り直す。 ちょっと薬が効き過ぎたかもなーとか、内心思っていた。 こんな事があってから一週間が過ぎ、そして元の時間軸に戻る。 人払いをした為に村長の家からはすっかり村人が立ち去り、今はケティとタバサ、エルザと村長の計4人しかいない。 ちなみにシルフィードは、ご褒美に羊と豚をそれぞれ一頭ずつ食べた後、馬小屋で爆睡中である。 寝る子は育つのだ。「エルザだが、我々が引き取らせていただく。 村長には悪いが、ここもいずれエルザの叔父に感づかれる可能性が高いのでね。 そうなったら、この村は更なる危機と悲劇に見舞われかねない。 それは村長としては、望ましからざる事だろう?」「それは・・・はい。仕方が無いのですなぁ・・・して、エルザはどうなるのでしょうか?」 村長は心底寂しそうに同意した。 彼にとってエルザはとても大事な存在だが、それ以上に領主からこの村の管理を命ぜられたこの村の村長なのである。 村とエルザを天秤にかけた場合、村を取らねばならない立場であった。「御家騒動や親の犯罪などで顔も名も世に出せなくなった貴族の子弟を入れる修道院がある。 そこでは新しい名を与えられ、俗世との繋がりを断ち切って、神と始祖に祈る穏やかな生活を送る事が出来る。 あそこならば、たとえこの国の大貴族であろうが手は出せぬからね。安心したまえ。 一生殺される事に怯えながら暮らすよりも、遥かに良い暮らしが出来る筈だよ。」「おお、それならば。それは良う御座いました。」 村長は嬉しそうに、涙を流してうんうんと頷く。 エルザの身が安泰と聞いて、本当に嬉しいのだろう。 それは仮初で、幻惑魔法などによって作られた愛情ではあったが、村長にとってそれは真実なのである。 ならばそのままにして置いた方が、お互いに幸せというものである。「急な話だが、事態は一刻を要する。 これから夜になってしまうが、すぐさま出発する事とする。」 明日の朝って手もあるのだが、それだとエルザが太陽光で塵になってしまう。 今は黄昏時。急いでいる事にして、すぐさま出発してしまうのが一番良いのだ。「そ、それは急な話ですな。」「花壇騎士としては、当主からの依頼でも無い限りは貴族家内の紛争には介入出来ぬのだ。 もしも今、彼らがやって来てエルザの引き渡しを求められた場合に、僕は彼女を引き渡すしかなくなる。 緊急措置故に、容赦願いたい。」 そう言って、ケティは頭を下げた。「き、貴族のお方がワシのような者に頭を・・・恐れ多い事でございます。 それ程の事であれば、納得せざるをえますまい。」「理解、感謝する。 エルザ、荷物を纏めてきたまえ。」「はい、騎士様。お爺さん・・・短い間でしたが、お世話になりました。」 エルザは村長に、ぺこりと頭を下げた。「良いんじゃ良いんじゃ。ワシも一時ながら、久々に家族が居る温もりを思い出せた。ありがとうよ。」 村長はエルザに歩み寄り、ぎゅっと抱きしめる。「達者に暮らすんじゃぞ?」「はい。お爺さんもお達者で。」 エルザも村長をぎゅっと抱き返す。 騙した者と騙されている者。奪った者と奪われた者。 だが、一緒に過ごした月日は、お互いにそれなりの絆を作っていたのかもしれない。 こうして、ケティ達一行はサビエラ村から飛び去った。 その姿を見送る者は、村長ただ一人。 彼はエルザを乗せてシルフィードが飛び去った空を、ずっと見つめ続けるのだった。 ずっと、ずっと・・・・・・。