労働は素晴らしいああ働いて日々の糧を得る、素晴らしき労働の日々よ…なのです労働は全ての基本働かざるもの食うべからずなのです労働は君を自由にする某強制収容所の門に掲げてある言葉、意味深過ぎるのです「よく来たわね、ケティ。」目の前に居るのは姫様で、ここは王城の執務室。私は呼び出されて来たわけですが…。「この城の環境、どう思うかしら?」「すごく…涼しいのです。」女子寮は連日の猛暑で熱されて、オーブンのようだというのに。キュルケなんか部屋の中ではパンツ一丁なのですよ。才人というノックせずにドアを開ける輩が居るというのに、不用心な…キュルケの事だから嫌がるというよりは才人の反応を面白がるでしょうけれども。「この城の真ん中に塔があるでしょう? あそこに氷を配置するとね、城中が冷えるようになっているのよ。 貴人用の牢屋なんて無駄なものがあったから、取り払って水と風のメイジに氷を作らせたらご覧の通り。」姫様ってば、涼しさを満喫しているのです。そして姫様ってば、貴人でも関係無く地下牢にブチ込むつもりなのですね…外交問題が起きたりしませんように。「暑いし汗の湿気を吸い込んで紙が重いしで、いい加減イライラしてきて城の構造的に風通しを良く出来ないかと調べさせたら…瓢箪から駒だったわ。」「しかしこれは素晴らしいのです。 学院の寮も探したら有るかも…。」氷冷房とはやりますね、誰だか知りませんがこの城の設計をした人。「それはそうとケティ、ルイズと才人の事なんだけれども。 貴方と引き離して、ちょっとした任務を経験させてみたいと思うのよ、どうかしら?」「それは名案だと思うのです。」才人とルイズの私への依存度が高過ぎると、いざって時に何も出来なかったりする可能性がありますからね。「貴方が居るせいで、あの聡明なルイズが最近すっかり弛んでいるみたいだし。 ちょっとした困難が必要よね、うふふふふ。」姫様がにっこり微笑んだのでした。「なーにを考えているのですか、姫様?」絶対に良い事なんて考えていませんね、ええ。「500エキューで一ヶ月トリスタニア情報収集生活…なんてのはどうかしら?」「…貴族用でも安めなら、何とか生活できると思うのですが?」というか何なのですか、その『黄金○説』っぽい任務は?「甘いわね…これが独身の女性貴族がトリスタニアに一ヶ月滞在した場合にかける金額の平均値よ。」そう言って姫様から手渡された資料を見ると。「何で1200エキューもかかるのですか…。」「ケティ、貴方と違って普通の女性貴族は見栄を張るものらしいわよ。 安宿で寝起きしているなんて知れたら、社交界で陰口を叩かれるらしいの。 だから最高級の宿で、最高級の暮らしをして、目一杯見栄を張るらしいのよ。」何というお金の無駄…まあ、それで潤っている宿があるのだから、これも経済というやつなのでしょうが。全部伝聞のようですが、姫様の身分上仕方が無いのですね。「そこまで行かないにしろ、いくら安くても貴族用の宿に長期間逗留するなら食事無しで300エキューぎりぎりはかかるらしいわ。 それじゃあ、情報収集なんて出来ないでしょ? …だから、ルイズ達がどう考えどう行動するのか、見守る必要があるのよね。」成程、確かに…見張りをつける必要がありますか。何だかんだ言って、ルイズの身柄は大事ですし。「見守る必要があるのよ。」姫様はもう一度そう言ってから、にっこり微笑んで私を見たのでした。「…ひょっとして、私に言っているのですか?」「ええ、貴方にはうってつけの仕事でしょう?」姫様はニコニコ微笑んだままでこくりと頷いたのでした。「ええと…姫様が何を勘違いされているのかは知りませんが、私はそういうのは苦手…。」「あの《オレンジ》の構成員でしょ、貴方? ワルド卿を翻弄した手腕、今こそ見せる時だと思うわ。」ぬぁ…今ここでそのネタが出て来ますか!?しかもニンマリ笑っている所を見ると、レコン・キスタを混乱させる為に言ったただのブラフだと見破っていやがりますね、この性悪姫っ!「人を呪わば穴二つ…。」「うふふ、どうしたのかしら?」敵を混乱させる為の情報は、同時に自らにも降りかかってくるのは必定なのですね、ううっ。「はぁ…わかりました。 何とかするのです。」「おほほ、頑張ってね。」ああもう、何が悲しくて顔見知りを尾行せねばいけないのか。「貴方の寝泊まりする場所は確保しておいたわ。 貴方にまで500エキューで一ヶ月生活しろとは言えないもの。」「おお、それはありがたいのです。」姫様ふとっぱら、流石姫様。高めの宿屋でただ飯三昧万歳なのですよ。「…スカロン。」「ケティ・ド・ラ・ロッタ様ですのね。 私の名前はスカロン、ミ・マドモワゼルと呼んでいただければ嬉しいですわ。」そこに居たのはマッチョな身体に乙女の心を持つオッサン…間違い無くスカロンなのですね。「彼は酒場を経営しているの、店の名前は《魅惑の妖精亭》。」「…ええと、そのお店は確か、女の子がお客さんと同席してお酒を注いだりするお店だった気が。」運命の女神が目の前に居たらブン殴りますよ、いやマジで。…というか、こっそり見張るとか絶対無理な環境なのですよ。「そうよ、さすがケティ、よく知っているわね。」「ええと、何故姫様がスカロン殿とお知り合いに?」顔が引き攣りそうになるのを抑えつつ、姫様に尋ねます。「実はね、お父様が生前足繁く通っていた店だったらしいのよ。 ツケ払いが残っていたのを発見してね…国王が何をやっているのよ、もう。」そう言う姫様は軽く煤けているのです。そして顔も知りませんが前国王、そこらのオッサンじゃあないのですから、国王が酒場にツケ残して死んだりしないでください…。「まあ、そんなこんなで顔見知りになっちゃってね。 市井の協力者になってもらっているのよ、こっそりと。」「陛下の為なら、何だっていたしますわ。」そう言いながら、くねっとしなるスカロン…。「店はトリスタニア市街地の中央近くにあるから、ルイズ達を観察するには便利でしょう?」「確かにそれはそうなのですが…。」姫様、そこに居ると間違い無く才人達とはち合わせるのですよ。言いたいけど言えない、何というジレンマ。「酒場で働けとは言わないわよ?」「わかりました、ではそこに滞在させて戴くのです。」才人達を自立させる計画、始まる前に頓挫。仕方が無いので、なるべく干渉しないという方向でやりましょう。「では、よろしくお願いします、スカロン殿。」「そんな堅苦しい呼び方は無し、ミ・マドモワゼルって呼んで。」うわ、超呼びたくないのですよー。「…ではよろしく、ミ・マドモワゼル。」「よろしくね、ケティちゃん。」ちゃん…。「はあぁ…。」ルイズ達の監視任務に就く前に、シエスタに髪の毛先を揃えて貰っていたのですが…。「………。」「はあぁぁ…。」溜息…。「………。」「はああぁぁぁぁぁぁ…。」溜息…。「………。」「はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…!」「シエスタ、言いたい事があるのであれば、はっきり言いなさい!」溜息がウザいのですよ、シエスタ。「だって、だって、サイトさんとのせっかくの夏休みが…めくるめく退廃的な夏休みが…。」めくるめく退廃的な夏休みって何なのですか、シエスタ…。「ミス・ロッタ、裏から手を回してサイトさんを取り戻してください。 学院の使用人の給料は結構高いんです…お金なら実家から借りてでも出しますから、裏から手をまわして…。」「無理なのです。 錯乱しないでください、シエスタ。」というか、私をいったい何者だと思っているのですか。「私の夏休みが…既成事実の夏が…うっうっう。」才人がこっそり危機一髪だったのです。いやはや、一歩間違えれば『思わぬ新しい命、シエスタとワイナリー』エンドに向かって一直線だったのですね。「今回は一人で里帰りなさい、シエスタ。 村の復興も完全では無いのでしょう?」「ええ、だからこそ《新しい》男手が欲しかったんですよぅ。」ううむ、まさしく肉食系女子、危うし草食系ウサギ才人なのですよ。「最近、サイトさんはミス・ヴァリエールと…ミス・ロッタにデレデレですし。」耳元で鋏を《ジャキンジャキン》と鳴らさないでください、シエスタ…。「才人は私には頼っているだけで、デレデレというわけではないのです。」「鈍い…まあ、才人さんに関しては鈍くてかまいませんけれども。」私が鈍いのではなく、シエスタが過敏過ぎるのです。「…ところで、ミス・ロッタは今年の夏はどうするつもりなんですか?」「折角、思いがけない収入が溜まりまくった事ですし、トリスタニアで優雅な夏でも過ごそうかと思っているのですが。」そう、私の表向きの夏休みの日課は『トリスタニアでゆっくり過ごす』。なんというセレブな夏休み、これで泊まっているのが《魅惑の妖精亭》でさえ無ければ完璧なのですが。ちなみに姉さまたちは実家に帰ってしまっているので、私一人きり。案の定ジゼル姉さまがゴネましたが、今回の件は一応姫様から受けた任務なので、何とか言いくるめて帰ってもらう事に成功したのでした。「…怪しい。」「な…何故なのですか?」シエスタが訝しげな視線で、私を見たのでした。「ミス・ロッタは『お金が儲かったから豪遊する』という性格では無いですわ。 むしろ、『お金が儲かったから、これをどういう風に増やそうか考える』筈です。」意外と人の事を良く見ていますね、シエスタ。「確かに…ですが、今回に限って言えば、少々儲かり過ぎたのです。 お金というものは溜め込んでも、経済を鈍化させるだけで良い事などありません。 目的無き貯蓄は悪、消費によって市場に回ってこそお金なのですよ。 自分だけ溜め込んで、消費行動は誰かがやるだろうなどという甘ったれた考えを私は持っていません。 だから、貯め過ぎたお金はきちんと市場に吐き出す…と言う訳なのです。」「話が難し過ぎてついていけませんわ…。」まあ、シエスタに言った事は嘘ではなく、ある程度はぱーっと散財するつもりでいます。ルイズにチップあげるもよし…以前から考えていた才人ちょこっと強化計画の為に買う物もあり、意外とお金がかかるかもしれないのですよ。「つまり、『金持ちは破産しない程度に豪遊するのが義務』であり、私はこの夏にその義務を実行すると言っているのですよ。」「お金を使うのが義務だなんて、理解し難い世界ですわ…。 でも、そういう事なら何となくわかりました。」シエスタは額を押さえつつも、頷いたのでした。では取り敢えず、すぐ出来る散財をしてみましょうか。散財その壱、氷の魔法が付与された魔法のフライパンという、とてもレアな上に物凄く意味が無いものを買ってみたりしました。意味がありませんが、部屋に冷気をばら撒くので、クーラーの代わりになったりするのです。これを灼熱地獄と化していた私の部屋に設置したところ、窓を開けっ放しにしないと暑くて眠れなかった部屋が、逆に窓を開けっ放しにしないと寒くて凍死しかねない部屋に変貌したのでした。涼しいのは良いのですが、調整が聴かない上に、スイッチを切れないのが難なのです…。「ありがとうケティ、危うく火メイジの蒸し焼きになる所だったわ…。」キュルケがフライパンの冷気が強い場所に行って、嬉しそうにここ最近の猛暑で火照った体を冷やしているのです。「涼しい…。」タバサはいつもどおりの涼しい表情でしたが、心なしかほっとしたような表情なのでした。「今年の夏はトリスタニアのとある場所に逗留するので、魔法のフライパンは自由に使ってもらってかまいません。」「やったー!持つべきものはやはり友よね。」そう言いながら、キュルケが抱きついてきたのでした。散財その弐、才人に強度を上げる魔法やら切れ味を上げる魔法やらを大量に付与した、果物ナイフほどの大きさの小型ナイフを買ってあげたのでした。「俺に…これを?」才人はびっくりしたように私を見るのでした。「ちょ、ちょっと、私の使い魔に勝手に物を買い与えないでよ!」ルイズはその才人の前に立って、私を《がるるるる》と睨みつけてくるのです。「お金が溜まり過ぎたので、現在散財中なのです。 常々、才人には普段から持ち歩ける小型の武器も要るのではないかなと思っていたのですよ。 デルフリンガーは大きいし目立ちますから、常に持ち歩ける武器ではありませんし。」「成る程、これなら確かに目立たず持ち歩けるな。」鞘からナイフを抜いて、才人が逆手に構えます。「確かにこの大きさでガンダールヴの力が使える武器があるってのは大きいな…ありがとう、ケティ。」「…私だってそういうの買うつもりだったわよ。」眉をピクピクさせながら、キレる寸前のルイズなのです。「だから、そのナイフはケティにかえ…。」「そうであるのならばルイズ、そのナイフは貴方に差し上げるという事でどうでしょう?」返されても困るので、ルイズが言いきる前に提案してみるのでした。「そのナイフはルイズ、貴方のものです。 ですから使い魔に渡すなりなんなりしてください。」「ぐ…セコいわよケティ。」ルイズは私を睨みつけますが、私はにっこり微笑んでみたりするのです。「返されても使い道が無いのですよ。 ルイズお願いします、受け取っていただけませんか?」ルイズのメンツを潰さないように、才人にナイフを渡さないと…。「そこまで言うのであれば、仕方が無いわ…。 才人、ケティから貰ったナイフを貴方に預けるから、大事にしないさいよね。」「おう、わかった。」才人はしかめっ面でそう言うルイズを見て、苦笑しながら頷いたのでした。散財その参、金にあかせてオーパーツ購入。「うふふふふふふふふふふふふ…。」私は闇市で購入したそのブツに頬ずりするのでした。「まさか、まさか、モーゼルC96M1932の完動品が闇市に出回っていようとは。 しかも20発用弾倉とストック付きで、弾薬200発…貴方は実に美しいのですよ、うふふふふふふふふ。」この無骨でありつつ美しいフォルム…素晴らしい、実に素晴らしいのです!闇市で物欲しそうにし過ぎて3000エキューとかなり吹っ掛けられましたが、即金で購入。分解して確認したところ、モシン・ナガンと違って複製は不可能ぽいのです。これは才人にはあげません、私のものなのです。「貴方の為に革細工の職人に頼んで、専用のガンホルダーを発注しましょう。 あと、予備の弾薬も作らねば…夢が広がりまくりなのです、うふふふふふふふ。」こんなお宝を手にしたからには、射撃の腕も磨かねばなりませんね。「ケティ、君の部屋が涼しいと聞いてやって来…何をやっているのかね?」「ケティの表情が最高に危ないわ…。」いきなりドアが開いて、恍惚の表情で銃に頬ずりしている場面をギーシュとモンモランシーにばっちり目撃されてしまったのです…。「はわっ!?こ、これは…ですね、何というか、ですね。 …というか、ノックぐらいしてくださいっ!」「ノックなら、何回かしたわよ。 返事がないけど貴方の声が中からしたから開けたの。」モーゼルに夢中になるあまり、ノックの音を聞き逃していたようなのです。「何それ、銃?」「ええ、東方の進んだ銃なのです。 闇市で苦労して手に入れたものなのですよ。」二人とも、私が何で銃などに恍惚としているのか、理解できずにきょとんとしています。「変わった形の銃なのはわかるけど、そんな恍惚とするようなものじゃあ…。」「うむ、魔法と違って連射も効かないだろうに。」甘い、砂糖に蜂蜜かけるくらい甘いのですよ、二人とも。「この銃は連射式なのですよ。 論より証拠、ちょっと試し撃ちしてみましょう。」そんなわけでヴェストリの広場に簡易的な射場を作ったのでした。「では取り敢えずセミオートで…。」パンッ!パンッ!パンッ!という音と共に、的に3つの穴が開いたのです。「た、確かに連射出来るのだね。 これを持った兵を敵に回すのは、少々辛いかもしれない。」「凄い銃だわ、こんなものが東方にはあふれているというの…?」この程度で驚いてもらっては困るのですよ。「では、今度はフルオートで…。」モーゼルを水平に構え、引き金を引くとパパパパパパン!という音と共に、横に薙ぎ払うかのように弾が放たれたのでした。「きゃぁっ!?」これぞ馬賊撃ち、モーゼルC96M1932の真骨頂なのです…が、予想以上の衝撃だったのです。「な…ななななななんだね、今の速射は。」「こ、腰が抜けたわ。」撃った私もびっくりしたのですよ。「素敵です、素敵過ぎますよ、モーゼル…。」素晴らしい威力なのです。これからはいざという時のサイドアームとして、存分に活躍してもらいましょう。「何というか、今のケティはちょっぴり気持ち悪いわ。」「じゅ、銃にうっとりするのは止めた方がいいと思うのだよ…?」ううっ、二人の視線が突き刺さる…同好の士が居ないというのは辛いものなのですね。「そんなわけで、今日から貴賓室に泊まる事になったケティちゃんでぇ~す。 うちの店を色々と助けてくださっている方の代理だから、皆粗相の無いようにね。」『はい、ミ・マドモワゼル。』スカロン、貴方の存在自体が粗相なのですが…まあ、その点にはツッコまないでおきましょう。「ご紹介に預かりました、ケティと申します。 故あって家名は名乗れませんが、皆様どうか宜しく。 ああ後、スカロ…ミ・マドモワゼルはああ言いましたが、私の事は普通に扱っていただいて構いません。 こちらの手が開いている時には、言っていただければ手伝わせていただきますので、遠慮なくどうぞ。」「あら、良いの? …まあ、あの方の使わした貴方が、普通の貴族の娘さんなわけがないわね。」スカロンが、不思議そうに私を見て少し考え、納得したように頷いたのでした。「ええ、暫くマントをつけるのも止めるのですから、他の平民と同じ扱いで構いません。」「あのー…質問!」店の女の子の一人が手を上げたのでした。「はい、何でしょう?」「私達が忙しい時も手伝ってくれるの?」『貴族様に出来んのか?』という心の声が聞こえてきそうなのですよ。「ええ、給仕が忙しいというのであれば、お手伝いいたします。」「え、やるの…?本当に?」私に質問した少女がびっくりした顔で私を見ているのです。「まあ、上手には出来ないかもしれませんが。 習うより慣れろで何とかします。」「で、でもね、お尻とか触られたりするのよ、大丈夫なの?」スカロンは私に恐る恐る尋ねてきます。「嫌なことは嫌ですが、触られて減るものではないでしょう?」「意外と度胸あるわね、貴方…。」スカロンの横に立っていた黒髪の少女…恐らくジェシカが、感心したように私を見るのでした。まあ相手は酔っ払いですし、学院長のセクハラ耐久訓練だと思えば何とかなる…筈。「…とまあ、口ではこう言っていますが、いざとなったら悲鳴を上げるかもしれないので、その時は助けてくださいね、皆さん。」そう言って、皆に深々と頭を下げる私なのでした。その晩の事…。「な…な、な…。」ルイズが口をパクパクさせています。「何でケティが…?」才人も驚愕で目をまん丸にしているのです。「あら、ひょっとしてお知り合い?」スカロンはルイズたちの事は聞いていなかったのですね…まあ、姫様もまさかこんなバッティングが起こるなんて思わなかったのでしょう。「ええ、知り合いなのです。 しかし、どうして彼女らが?」「実はね、通りでものご…。」事情を語ろうとするスカロンの口をルイズが大慌てで塞いだのでした。「ま、まあ色々あったのよ、そうよねサイト!?」「お、おう、まあアレだ、色々あったんだよ。」ごまかし笑いを浮かべながら、2人とも必死で取り繕うように笑うのでした。…仕方が無い、助け舟を出しますか。「成る程、あなた達も酒場で情報収集という結論に至ったわけなのですね。」私は納得したといった感じにうんうんと頷いたのでした。「そ、そうなの、そうなのよ!」少々わざとらしいですが、ルイズは気付いていないようなのですね。「つーか『あなた達も』って、ケティもそうなのか?」私の言葉に気付いたのか、才人は聞き返してきたのでした。「ええ、あの御方の命令で。 聞いていませんでしたか?」「姫さ…あの御方はそんな事は言っていなかったわよ?」ルイズはそう言って、眉をしかめたのでした。「まあ、本来はこんな風に会う事が無かったわけですしね。」「あの御方ってば、忘れていたわね。」そういう納得の仕方をしてくれると助かるのですよ。「ああそうそう、私は貴族だとばれているので、これから暫くはあまり親しげにしない方が良いと思いますよ。」「…何でばらしているのよ?」ルイズが何を考えているんだといった風に、私を半眼で睨みます。「そもそも私はここの貴賓室に滞在していますし、ばらそうがばらさまいが無駄と言いましょうか。」「わたし達500エキューしかもらえなかったのにっ!?」ルイズが顔を真っ赤にしてムキーッと叫びます。「私は最近、少々儲け過ぎたので、実はこの任務はそのついでなのですよ。」「格差だ、俺達とケティの間に格差がありやがる…。」才人ががっくりと肩を落としたのでした。「ぬぅ…これは。」ルイズ達の紹介も済んでいざ本番…なのですが、なかなか恥ずかしい格好なのですね。「ケティ、胸結構あるんだから、強調しないと…ね?」スカロンの娘…なのに結構美人という、遺伝学上の奇跡を体現した娘であるジェシカが、私の服を選んでくれたのでした。「確かに、役立つならば使うべきなのは確かなのです。 女は度胸、恥ずかしさはこの際置いておきましょう。」「その意気よ、ケティ。」そう言って、ジェシカはにっこり笑ったのでした。「それじゃあケティ、早速だけどあっちのお客さんにこれ持って行って。」「はい、喜んで!」それではいっちょ行きますか!「お待たせしました、ご注文の品お持ちいたしました。」「おう、元気良いな、姉ちゃん?」どっかの商家の旦那らしき身なりの男性が、笑顔で話しかけてくれたのです。「はい、ありがとうございます。 お酒、お注ぎしても宜しいですか?」「随分丁寧だな、姉ちゃん。」男性の持つカップにラム酒を注いでいると、そんな事を言われたのでした。「あはは、それではこれでどうですか?」角度を急にして、どばどばとラム酒をカップに注ぎ込むようにしたのでした。「おう、これだ、ラム酒を注ぐときはこうじゃなきゃいけねえ。」「勉強になります。」相手にも拠りますが、ここは居酒屋とスナックの中間みたいな店なのですから、こういうほうが良いのですね。「姉ちゃん、生まれはどこでぇ?」「ラ・ロッタです。」「あの蜂の!?」…等と他愛もない話をした後、立ち去ろうとしたら。「姉ちゃん、俺の話をじっくり聞いてくれて嬉しかったぜ、これもって行け。」そう言って、チップを渡されたのでした。「ありがとうございます…成程、こういう風にチップを貰うのですね。」他の人は褒めたり惚れさせたりしてガンガンチップを貰っていますが、別に私はチップが欲しいわけじゃなし、ルイズの手伝いもかねてじっくりと話させてもらうのですよ。「…と、思っていたのに。」「ううっ、ケティ坊ちゃんの酌で酒が呑めるなんて感激っす。」なぜか感涙に咽び泣くパウルが目の前に…。「何でパウルがここに来ているのですか!?」「トリスタニアの寂しい男は、ここで乾いた心を慰めてもらうものなんすよ。」そう言いながら、パウルは私の前にカップを差し出したのでワインを注いであげました。「貴方はラ・ロッタの男でしょう。」「ケティ坊ちゃんの指図のせいで、既に一年の半分以上はトリスタニア暮らしっすよ。 ああ、森深き蜂の羽音響くラ・ロッタが懐かしいっす。」ぬぅ、私のせいなら仕方が無いのかもしれないのです。「そんなわけで、今夜はとことん付き合ってもらうっす。」「チップを払わない客からは、にっこり笑って別れるのがこの店の流儀なのですよ。」私がそう言った途端に、パウルがチップを懐から取り出して見せたのでした。「30エキュー、チップとして払うっす。 だから俺を褒めて甘やかして甘い言葉を囁きかけて欲しいっす。」「それはかなり虚しくありませんか、パウル?」周囲の娘達がパウルが取り出した30エキューという、チップどころではない大金に目を丸くしているのです。「元々ここはそういう場所っすよ、ケティ坊ちゃん。」「はぁ…仕方がありませんね。 ここは夢を売る場所ですから、せいぜい幸せな夢を見れば良いのです。」そう言って、私はパウルにしな垂れかかったのでした。「うっうっうっ、感激っす。 ぶっちゃけこの幸せのまま、コロリと逝きたいっすよ。」「ここは料理屋であって、葬儀屋では無いのでやめなさい。 ほら、冷めてしまいますよ?」スープを匙ですくい…。「あーんしなさい。」「感激で死ねそうっすよ、あーん。」口の中に匙を入れてあげます。「美味しいですか?」「夢のようっす!」まあ、日頃お世話になっていますし、あれだけのチップを払ったのですから、きちんとそれに見合うサービスは必要なのですよ。ちなみに現在の私は、羞恥心が振り切って限りなく心が平静なのです。「まさか、こんなしょうもない事で明鏡止水の境地に辿りつくとは…。」頭痛いのですよ。「何か言ったっすか?」「いいえ…パウル、この果物も甘くて美味しいのですよ、食べなさい、あーん。」まあ取り敢えず、今はパウルに夢を見させる事に専念しましょう。《才人視点》「んなっ!?」ケティが茶髪の男にしなだれかかって、ご飯を食べさせてあげているだと!?「あのお客さん凄いのよ、ケティへのチップに金貨を懐からジャラジャラ出したの。 あれは凄いわ、私でもあれだけ貰えば、あのくらいのサービスをせざるを得ないわね。」俺の視線を追って確認したのか、ジェシカがそう言った。「んー、才人ってルイズとケティのどっちが好きなの?」「へ?いや、俺はそういうんじゃ…ルイズとは兄弟だし、ケティは今日知り合ったばっかだぜ?」俺がそう言うと、ジェシカは肩をすくめて見せた。「見え見えだから、それ。 皆にばれているから、その設定。」うん、確かにどう見たって無理があるよね、わかっちゃいるんだ。「でもまあ、素性に関して深く詮索しないってのはこの業界の流儀だから、こういうのは本当は駄目なんだけどね。」そう言いながら、ジェシカは俺に近づいてくる。「でもそういうの、知りたくなるのが人情じゃない…だから、私にだけ教えてよ、ね?」「あ…や、それは…だな。」キスできそうなくらい顔を近づけて、ジェシカがおねだりする様に俺に囁きかけて来た。駄目だ…こいつは元々こういう職業で、こういう仕草に慣れてんだ、こんなの御茶の子さいさい。つまり俺は騙されているわけだからして…。「ねえ、教えてよ…ね?」騙されたいけど、駄目だぞ俺。「はいはい、何れ教えてやる時が来るかも知れねーなっと。 仕事は他にもあんだろうが、そっち行けよ、そっち。」「ちぇ、残念。」つーか、今のでまた皿割っちまったじゃねーか。「ちょっとくらいなら全然問題無しよ。 私、ここで一番稼いでいるし、何よりスカロンの娘だし。」「遺伝子の悪戯とかいうレベルじゃねーぞ。 メンデルもびっくりの大発見だろ、これは…。」さすがファンタジー世界、魔法にも空飛ぶ島にもびっくりしたが、こりゃそれに次ぐレベルの無茶苦茶だ。「ルイズはどうしているかな…と。」視線をルイズに移したら、ケティのサービスっぷりをポカーンと見ていた。そして、何か決心を固めたように頷く。「おっ、ケティのを見てやる気出したのか?」先程キレそうになって、引っ込んで周囲の子達が頑張るのを見ていたルイズだったが、やっとやる気になったらしく、厨房から酒を受け取って客の所まで持っていく。「おお、ぎこちないけどきちんと笑顔で応対してら。」客がルイズの尻を触ろうとした瞬間…ルイズの片手が一瞬ぶれた。「ん…?」先程まで酔ってはいたものの、まだまだ大丈夫そうだった客がいきなりテーブルにバタンと突っ伏した。ルイズはそこから無言で立ち上がると、カウンターから酒を受け取って他の客の所へ行く…あ、また客が突っ伏した。ルイズが行く、客が倒れる、ルイズがその客を放って、また他の客の所に行く、その客が倒れる。一緒に飲んでいてルイズに手を出さなかった客も、何でルイズが相手をしていた人間が急に気絶するのか理解していないけれども…アレだ、ルイズは自分に触ろうとした客とトラブルになる前に、客を気絶させてるんだ。ケティから貰ったナイフの柄をこっそり握ってちょっとだけ引き抜き、ガンダールヴの力を発動させてから見ると、案の定だった。目にも見えない早業で頭部をぶん殴って気絶させていやがる…なんという力業、そしてその方法じゃセクハラ回避できる代わりにチップ貰えないだろルイズ。ルイズが立ち去った席は屍累々…なんだか既に店の半分くらいの客が気絶しているような…。「ジェシカ、気付いているか?」「うん、今日は随分酔い潰れる客が多いわね。」気付いていないか…まあ、仕方が無いわな。「…ルイズが潰してんだ。」「あら、あの子お酒呑ますの意外と上手いのね。」ルイズはアルコールではなく物理的な手段で潰しているんだが…まあ、そういう事にしておいてくれ、ジェシカ。まさかあんな小柄で華奢な美少女が、酔っ払いとは言え大の男を一撃で昏倒させているとか、常識の範囲外だろうしな。「このままじゃあ店の客の殆どが潰されるから、連れ戻した方が良いぞ。」「そうね、あれじゃあチップも貰えないだろうし、連れ戻してくるわ。」ジェシカがルイズをバックヤードに連れ戻してくるまでに、更に数人の犠牲者を出したのだった。虚無に目覚めてからも、順調にグラップラーへの道を歩み続けるルイズ…ガンダールヴの力を使わないと見えないとか何なんだよ。「参ったわ、あれじゃあチップが貰えやしない。」「俺は、お前を地下格闘技場あたりに送り込んだ方が、手っ取り早く資金を稼げたんじゃあないかと後悔している所だ。」案外、良い所行くような気がするんだよな、俺。《ケティ視点》「んーっ!終わったのですね。」とは言え、私はずーっとパウル専属でやっていたわけなのですが。たった数時間で最初の30エキューに追加30エキューで60エキュー、まだ始まっていませんでしたが、チップレースの時期にパウルを呼んだら圧勝できるような気がします。…とはいえ、そのお金はパウル商会で稼いだお金なわけで。「身内でお金を還流させてどうするのですか、私は。」言い含めて置きはしましたがパウルがこの件を身内の誰かに話したら、潜伏する意味が無くなるのですよ。パウルはジゼル姉さまの子分でもありますし…口を割ったらどうしましょう。「あふぅ…そろそろ太陽が昇る頃でしょうか、流石に眠いのです。」しかし、酔い潰れる客の多い店なのですね、いつもこんな感じなのでしょうか。「さて、そろそろ部屋に帰りましょうか…おや?」私の部屋の前にルイズと才人が立っているのです。「どうしたのですか?」「い…いや、ルイズが宛がわれた部屋じゃあ眠れないとか言い出して。」才人が苦笑いを浮かべています。「部屋は貸せませんよ。 私とあなた達の関係がバレバレとは言え、今回の任務では私と貴方達は別なのですから。」「そ、そんな、助けてケティ、あんな所じゃあ眠れないわよ。」涙目でルイズが私に迫ってきますが、ここは心を鬼にしないと…。「駄目です…借金だけは私が立て替えてあげますから、何とか稼げるようになって、その部屋から抜け出す努力をなさい。」「…だそうだルイズ、良かったな。 わかったらちゃっちゃと帰って寝るぞ、俺は疲れてんだよ。」そう言って、才人はルイズの腕を掴むと引き摺るように連れて行くのでした。「いやー、貴賓室が、ふかふかのベッドが、私を待っているのぉー…。」「今回は馴れ合っちゃ駄目なの、確かにケティの言うとおり俺達甘いから。 借金分だけは助けてくれるって言っているんだから、いつも頼ってばかりいないで、自分達で何とかしようぜ。」才人、何時の間にやらちょっぴり成長していたのですね…媚薬の時は本当に申し訳が無くて、今でも土下座したい気分なのですが。やはり、苦労は人を成長させるものなのですね。翌日、才人達を見守りながら店の手伝いをしていると、開店直後に一人の少年貴族が店に入って来たのです。そして、私を見つけると静かに歩いて来ます。「…な、な、な。」流石に引き攣った顔が直らないのです。「こんな所で何をなさっているのですか、ケティ姉さまっ!」私の目の前に居るのは、茶色の真っ直ぐな髪に、ライトブルーの瞳の誠実そうな少年。「アルマンっ!?」私の弟にして、ラ・ロッタ家の後継ぎ…そう、アルマン・ド・ラ・ロッタなのでした。「…で、説明してもらいますよ、姉さま?」「ううっ。」スカロンに断って貴賓室に戻り、しかめっ面のアルマンと二人きりになったのでした。「落ち着いてくださいアルマン、これはとある方からの命令で行っている任務なのですよ。」「…陛下ですね? 僕は今日、学院への入学手続きに関する書類を取りに、トリスタニアまで来たんです。 そうしたら知らせても居ないのに、陛下からの王城への召喚状が届きました。 断るわけにもいかないので行ってみたら、陛下にここへ行くように命ぜられたのです。 しかしまさか…ケティ姉さまが酒場の給仕に扮しているとは。」いくらアットホームなノリが売りのラ・ロッタ家とはいえ、水商売は流石にというのも確かなので、アルマンがしかめっ面なのも当然と言えるのです。「陛下から手紙です。」「手紙?」アルマンが一通の手紙を取り出して、私に渡したのでした。早速封を破って開けてみると…。《びっくりしたでしょう?可愛い弟さんよね。 まあそれはそうとして、追加の任務を伝えるわ。 徴税官アンリ・ド・ラ・チュレンヌ子爵を生け捕りにしなさい。 その店に月に何度か来る客らしいから、探さなくても勝手に網にかかってくれる筈よ。 裏口まで連れて行けば、銃士隊が待っているようにしておきます。》「裏から裏へ…というわけなのですか、成程。」徴税官を逮捕しろということは、財務卿関連ですか。そろそろ『詰み』という事なのですね、姫様?「姉さま…真黒な笑みを浮かべないでください。 姉さまは僕の目標なのですから、もっとこう爽やかに…。」アルマンが引き攣った笑みを浮かべながら私にそう言ったのでした。「アルマン、現在私は陛下の命令で汚職官吏の摘発等を行っている最中なのです。 この件は内密に…できますね?」「はい、もちろんです姉さま。 トリステインの御為ならば。」アルマンは力強く頷いたのでした。「わかったら、急いでラ・ロッタに戻るのです。 あそこならば、誰も手出しできませんから、あなたの秘密も守られます。」「はい、姉さまこそ、お体にはお気をつけてください。」そう言って、アルマンは帰っていったのでした。「さて、大筋はルイズたちにやってもらうとして…。」チュレンヌ卿には、せいぜい面白おかしく踊っていただきましょうか。