「これが、トリステイン空軍再生の第一歩というわけですわね。」「はい、その通りですわ、陛下。」アンリエッタの隣りで揺れる金色の髪の少女はそう言って頷いた。「クルデンホルフ大公に多額の出資、感謝しますとお伝えください、ベアトリス公女。」「いいえ、当家の出資など微々たるもの。 この艦を、トリステイン空軍旗艦たるこの大型戦列艦を《デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン》と名づけてくださった事、感謝いたしますわ。 我らとトリステインは一心同体、これからもよろしくお願いいたします。」開祖はトリステインきっての豪商であり、その財力を持って貴族の娘を妻に迎え子息をメイジにして爵位を得たという逸話を持ち、今でも東ハルケギニアの金を牛耳る《成り上がり》のクルデンホルフ公国大公の代理としてやって来た、ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフはそう言うと、満足そうに微笑んだ。《デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン》かつてトリステインの東半分が高らかに独立を宣言し七州連合(デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン)と呼ばれたその連合も、既に5州がゲルマニアに切り崩され併呑され、今ではクルデンホルフ公国とオクセンシェルナ公国を残すのみである。「既に我が国でない地域を、何時までも承認しないというのは賢明でないもの。 私達はとうの昔に仲直りしたのよ。 ならば貴方達の出資に応え、この名をつける事にためらいなど感じませんわ、クリスティナ公女。」「はっ、恐縮であります、陛下。」武こそ誉れとし、戦死を名誉とし恐れず、侵攻してきたゲルマニア軍を寡兵で撃退するなどの数々の武勇伝を持つ武の国であるオクセンシェルナ公国大公の代理としてやって来た、クリスティナ・ヴァーサ・リクセル・オクセンシェルナは武人の雰囲気を振りまきつつ、静かに頷いた。「先の戦で失った艦隊を再建し、更には大型戦列艦《ウィーリンゲン》《ウエストディープ》《ワンデラール》《ウエストヒンダー》の建造をも可能としたのは貴国らの出資なればこそだもの。 それを誇りこそすれ、恐縮する必要など無くてよ、クリス。」アンリエッタは幼き頃の友人にそう言うと、微笑んだ。「でも、貴方がすっかりサムライ?とやらになっていてびっくりしたわ。」「はは、陛下も随分とお変わりになられました。」クリスはそう言うと、苦笑を浮かべた。「あら、お2人は随分と仲がよろしいのですわね。」ベアトリスが少し驚いた顔で2人を見る。「ええ、縁がありまして、懇意にさせて頂いております。」クリスはそう言って頷く。「幼い頃に意気投合したの、それ以来の仲なのよ。」アンリエッタもそれに続けた。「羨ましいですわ。 私は幼い頃に体が弱かったせいで、昔からのお友達がいませんの。」ベアトリスはそう言うと、寂しそうに微笑んだ。王族にとって、子供の頃に知り合ったあまりへりくだらない友人というのは貴重なのだが、彼女は幼い頃に病弱だったせいでそういう友人を作り損ねていた。「では、私達が友となりましょう、ベアトリス公女。 良いでしょう、クリス?」「ええ、それはかまいませんが…宜しいのですか?」クリスは頷きつつもベアトリスに問いかける。ぶっちゃけた話、クルデンホルフ公国とオクセンシェルナ公国は隣同士にも拘らず、国の気風が正反対な為に仲があまり宜しくない。「勿論構いませんわ、ありがとうございますクリスティナ公女。」ベアトリスは嬉しそうににっこりと微笑んだ。「…という話があったのよ。」「…そんな話をしにわざわざこんな所まで来たのですか? わざわざ顔まで変えて。」ケティはそう言いながら、貴賓室でくつろぐアンリエッタにワインを注いだ。「ルイズに見つかったら困るじゃない? あの娘、自分が給仕やっている所を私に見られたと知ったら傷つくでしょ?」「それはまあ…そうなのですが。」ケティはそう言うと、溜息を吐いた。「ケティに聞いた、フェイスチェンジを付与したマジックアイテム。 アカデミーに作らせてみたから、実験がてら来てみたのだけれども。 隠密行動がしたい時にはうってつけね。」アンリエッタはそう言って、ケティにサークレットを渡した。「つけてみなさい、面白いわよ。」「わかりました。 どれどれ…デュワッ!」どこかで聞いたような掛け声とともに、ケティはサークレットを頭に装着した。「おおおぉ…これは凄いのですね。」「でしょう?」サークレットを装着した途端に、ケティの顔が別の少女のものに変わる。「…とはいえ、誰がつけてもその顔にしか変わらないから、あまり年取ったら使えないという欠点があるのよ。 きちんと研究すれば、任意の顔に変化できるものも作れるらしいから、研究を進めさせるべきよね。」「これは色々と便利そうですし、それで良いかと。」アンリエッタの問いに、ケティはこくりと頷いた。「それにしても可愛いわね、その格好。」「そもそも、男に可愛いと思わせる為にある服なのですよ…まさか、着てみたいとか思っているのですか?」ケティの問いに、アンリエッタはコクリと頷く。「この身は既に国家の一部とは言え、私だって年頃の女の子なのよ。 …う、そんな怖い顔しないで、わかっているわ…自重するわよ。」目を細めて睨みつけるケティを見て、アンリエッタは溜息を吐いた。「まったく、こんな所に来ている事自体拙いというのに…姫様はもう少し自重すべきなのです。」「そういう細かい事ばかり言って…わかったわよ、わかったから。」アンリエッタはじーっと静かに睨みつけるケティに謝罪した。「しかし、ベアトリス公女がそのような大人しい方だったとは。 情報に拠れば、なかなかに…何というか、活発なお姫様だと窺っていたのですが。」「活発などと柔らかく言わず、我侭だと言えば良いのよ、ここには私と貴方以外は居ないのだから。 そうね、私もそういう話を聞いていたけれども、公の場では大人しい姫なのでしょう。 見た感じ、大人しいのが地のような気がするわ…あら、ここの料理美味しいわね。」ワインを飲みつつ、運ばれてきた料理に舌鼓を打つアンリエッタ。「スカロンは見た目は変態ですし、中身も変態ですが、料理は超一流なのですよね…流石は味皇の弟子といった所なのです。 それは兎に角、大人しいのが地だとすれば、我侭であるとされている姿は虚勢を張った結果であるという事なのですね。 友達が居なくて、周囲の取り巻きは自分の背後にある金にしか興味が無い連中ばかりとなれば、弱みは見せられない、精一杯強がって虚勢を張り続けるしかない…という事なのですか。」金が有り余っているのも難儀なものなのですねと思いながら、差し出された杯にワインを注ぐケティ。「あの娘には友人が必要よ…私も損得勘定抜きで、あの娘とは友人になりたいと思うわ。 本人は何も悪くないのに、立場のせいで友人が一人も居ないだなんて、いくらなんでも寂し過ぎるもの。」「姫様、彼女はクルデンホルフの王太女なのです。 国家の指導者同士に真の友情など…すいません、出過ぎました。」ケティはアンリエッタを嗜めようとしたが、彼女の寂しそうな瞳を見てそれを中断した。アンリエッタが何よりもそれを理解しているという事に気付いたからだった。「わかっているわ、利害が対立しない限りは…よ。 なんともヤクザな家業だと自覚するわね、こういう時。」そう言って、アンリエッタは肩をすくめた。「あとはクリスティナ公女…でしたか? まさにあの武の国を体現するような姫君であるという事は聞き知っていますが。」「そうね、クリスは勇敢な娘よ。 ああそうそう、貴方ワクセイレンゴウって国を知っている? ロバ・アル・カリイエにある国らしいのだけれども。」その名を聞いて、ケティの目が点になった。「わ…惑星連合、なのですか?」「ええ、彼女の師匠がねセッシュウ・ミフネっていう人だったらしいのだけれども…。」ケティがずっこけて椅子から滑り落ちた。「せ、セッシュウ・ミフネ!? …な、なんでそんな超未来の軍人が…まあ、オクセンシェルナ臣民とはとても気が合いそうな御仁ではありますが。」ずっこけたままでケティはブツブツ呟いている。「何をブツブツ呟いているのよ?」「ちょっとした心の整理が必要だったもので…。」そう言って、ケティは起き上がった。「姫様、その国はニホンという国の別名なのです。 そこは才人の故郷なのですよ…で、その方は今もオクセンシェルナに?」惑星連合は日系人が牛耳っていたから似たようなものなのですとか思いながら、ケティはアンリエッタに尋ねる。「いいえ、去年亡くなったそうよ。」そう言いながらアンリエッタは杯を差し出し、そこにケティがワインを注ぐ。「それは、惜しい方を亡くしたのです。」某宇宙一の無責任男について聞いてみたかったと思いつつ、ケティは哀悼の意を表した。「ところで、空軍を再編するのは良いとして、肝心要の人は居るのですか?」「我が空軍の生き残りと、アルビオンの亡命軍人がいるわ、足りないけど。 再編が精一杯で新兵教育する余裕が無いから、オクセンシェルナ軍から教育武官を派遣してもらうという事で話はついているわ。 あそこの正規軍なら、短期間でもある程度動ける人材を叩き上げてくれるでしょう。 まったく、人も時間も足りないったらありゃしない。」そう言って、アンリエッタは溜息を吐く。「アルビオンを攻めるおつもりなのですか?」「敵が立ち直る前にこちらがあちらを叩くか、それとも敵が先に立ち直ってこちらが叩かれるか。 連中は…レコン・キスタは、ブリミルの教えを実践せよといいつつ、ブリミル以来の血の流れを断ち切った莫迦どもよ。 必ずもう一度侵攻してくるのは間違いないわ。 魚の腐ったような目で、己の正義を狂ったように叫びながらね。」ケティの問いに、アンリエッタは頷く。「何より、軍を立て直さないとゲルマニアが侵攻してきかねないわ。 我が国が軍事力を取り戻さないと、軍事的な均衡が崩れてしまう…だからこそ、クルデンホルフもオクセンシェルナも驚くくらい協力的だわ。」アンリエッタは苦笑を浮かべて、ワインを呷った。「我が国の軍事力が弱ったままでは、ゲルマニアからの圧力を押し返す為の後ろ盾が弱くなる…というわけなのですね。 力の均衡と外交努力による平和を保つ為には、今は全力で戦力の回復に努め、終わり次第アルビオンに侵攻するしかないと。」「そういう事、幸い予算は不正と無駄を省いて組み替えれば、増税は最小限で済みそう…いったいどれだけの金が国庫から逃げ出していたのやら、考えたくないわね。 後は、アルビオンの狂信者達に己の犯した罪を償わせれば、取り敢えず一段落よ。」どこかで聞いたような話だと思いながら、ケティは杯にワインを注いだ。「しかし、《デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン》とは、思い切りゲルマニアに喧嘩を売っている艦名なのですよ。」「ゲルマニアへの根回しはしたけれど、まあ良い思いはしないでしょうね。 東方領土はいずれ取り戻すという、決意表明みたいなものだし。 まあ、同盟をやめると言って来ていないという事は、アルビオンの件がある限りそんな事に構っていられないのかしらね?」そう言いながら、アンリエッタは立ち上がってサークレットを頭に装着した。瞬時に顔が、全く別の少女のものとなった。「じゃあ、私はそろそろ帰るわ。 はい、チップ。」アンリエッタはそう言って、ケティに金貨の入った袋を渡した。「やれやれ、こんなに貰ったらチップの相場が鰻登りに上がってしまうのですよ。」そう言って、ケティは苦笑を浮かべる。「私は貴方との会話に、それだけの価値を見出しているというわけよ。 じゃあ、頑張ってね。」「はい、またのお越しを…。」アンリエッタはそろそろ夕暮れ時のトリステインの大通りを、ゆっくりと歩いていったのだった。