酒場は大人の社交場酒を飲んで、いい感じに緩くなった頭で楽しく話すのが酒場の流儀酒場で恋の花咲く事もある大抵、ディスプレイ用の造花なわけなのですが酒場の女に気をつけろじゃないとカモられるのですよー?「キャバレー?」スカロンが不思議そうに私に尋ねてくるのです。「はい、歌やダンスやショートコントを披露する酒場の事なのですよ。」「それは興味深いわ…確かに、この店が喫茶店から客を取り返すには、今以上の何かが必要よねえ。」興味深そうにうなずくのは良いのですが、目の前でクネクネしないでください、スカロン。「でも歌や踊りって言ってもねえ…。」「ここには見目麗しい少女が沢山いるではありませんか? 彼女達が歌って踊れば、必ず客は増える筈なのですよ。」最初は少々拙くても仕方がありません。それでもこの店の女の子のレベルなら、十分話題は集まるでしょうし。「最初は旅芸人達に来て貰って、やってもらうのも良いのです。 ついでに皆に歌や踊りを多少でいいから仕込んでもらうのですよ。」彼らだって、トリスタニアに来た時に定期的に公演させてもらえる場所があるならば、断れない筈なのです。「成程、良い考えだわ。 貴方の商会に仲介をお願いできるかしら?」「はい、すぐにでも手配するのです。」毎度あり、なのです。目指せ、《シャ・ノワール》なのですよ。「ルイズ、何を読んでいるのですか?」仕事が終わったあとで、貴賓室に遊びに来たルイズが読んでいるのは、茶色い表紙の本。愛読書なのか微妙にヘタっているのですが、大事に読んでいるのがよくわかるのです。「んー、私の行動規範の指南書みたいなもの。 昔、姫様から貰った本でもあるのよ。」「ほほう、何の本なのですか?」ルイズと、ひょっとすると姫様の行動規範になっているのかもしれない本であるのならば、知っておいて損は無いのですよ。「《貴族たるもの》って本。 政治書というか、貴族の規範書というか、そういう本よ。」ええと…タイトルにすっごい覚えが…。「ひょっとして、著者のペンネームは《ル・アルーエット》…とか?」「あら、ケティも読んだ事あるの?」顔を上げたルイズが、笑顔で私を見るのでした。「読んだ事があると言いますか…。」「うんうん、ケティも読んだ事があるならわかると思うけど、貴族たるものの精神が詰まっているわよね、この本。」ああ、そう言ってもらえると非常に嬉しいのですよ。「…実はその本の《ル・アルーエット》というのは、私のペンネームなのです。」とは言えその本、民主主義的な価値観という第三者的な立場から、貴族が貴族たるにはどう在れば良いのかという事を書いた本なのです。「ほへ?」ルイズの目が点になったのでした。「え…いや、だって、《ル・アルーエット》って言ったら、5年位前から何冊か政治関連の本を出している作家よ?」「ええですから、その本は私が10歳の時に書いた本なのです。」最近こそパウル商会の活躍で持ち直しつつある当家の家計ですが、昔から万年貧乏が常だったのです。《貴族たるもの》は、私の書いた考察を父様が素晴らしい素晴らしいとやたらと褒めちぎるので、『それなら本として売ってみてはいかがでしょう?』と、冗談で言ったら本当に出版して、しかもそこそこ売れたという嘘みたいな話だったのですが。多少なりとも家計の助けになったので、その後も政治書のような思想書のようなものを何冊か書いて出版したりしましたが…。「姫様なんか、枢機卿から《ル・アルーエット》の『君主考察』を貰って、暇があれば読み返しているんだから。 こここ、こんな本をケティが書いたって言うの?」「ええ、実家に帰れば原稿もありますけれども…。」『君主考察』は、ル・アルーエット名義で去年出版した、私なりに君主の在り方を考察してみた本なのですが…。…そうですか、姫様が真っ黒になった原因の一端は私にもあるというわけなのですね。あの本、私なりに消化したマキァベリズムをガッツリ盛り込んで書いた本ですから…真っ黒なのは私ですか、そうですか。「…ひょっとして姫様は、私が《ル・アルーエット》だと知っている?」「流石に知らないと思うわよ。 知っていたら姫様の事だから、サイン欲しがると思うわ。」私の独り言にルイズはそう答えて、溜息を吐いたのでした。「10歳って言ったら、私と姫様なんか泥だらけで遊びまわっていた頃よ。 何なの、何なのこの差は…天才と凡人の差?」10歳でも知識の蓄積量が+20年ですから、天才では無く単なるチートなのです。「いや、私も領民の子供と一緒に泥だらけになって遊びまわっていたのですが。」「政治指南書の著者が、領民の子供と一緒に野遊び…。」そう、知識があっても精神がお子様なので、遊びが最優先なのでした。まあ、遊びの中でパウル達に文字を教えたり、算数から中学生レベルの数学を教えたり、基礎的マーケティング論を含めた経営学を憶えている限り叩き込んだわけですが…あの時ほど自身が基本的に文系人間だった事を恨めしく思った事は無いのです。算数は兎に角、数学は上手く教えられるようになるまで四苦八苦しましたから。まあ、その甲斐あってか彼らはパウル商会の主戦力で、その活躍によって軍需部門でかなり食い込んだので結果オーライのような、そうでないような。『情報を把握し分析し、それに合わせて売れるものを売れ』と教えはしましたが、本来の主力商品である農畜産物や雑貨がいまいちなのをどうにかできないものか…。「《ル・アルーエット》の本といったら、この国の貴族にとっての政治指南書なのよ。 そ、それが10歳の頃のケティが書いた本…。」ルイズ、そんなキラキラした目で見られても…と言いますか、「…わたしね、貴方の本を読んで、自らの地位に支払わなくてはいけない対価の存在を自覚出来たのよ。 貴族は誇り高くあれというのがトリステイン貴族の教えだけれども、ではその誇りの対象とは何であるのか、それを教えてもらったの。 『国家と領土を守る事は王や貴族と臣民の間にある最低限の契約であり、これすらも履行できない王や貴族は統治者足り得ない。 故に王と貴族が、この契約を守る為に自らの命を差し出す事は、避け得ぬ絶対の義務なのである。 つまり、《地位の対価は血で購え》という事である』この文節、何時でも何処でもそらで言えるわよ、わたし。」どうりで、フーケのゴーレムと戦った時に、どこかで聞いたようなフレーズをルイズが言うなぁと思ったのですよ…。「ぬぅ…。」しかしまさか、私が森の奥でのんびり生活している間にそんな事が起きていたとは…。「だ・か・ら…サイン頂戴☆ ル・アルーエットより、ルイズへって。」「友人からサイン貰ってどうするのですか?」ルイズのきらきらした視線が…。「決まってるじゃない、姫様に自慢するわ。」「胸を張って言う事ではないのですよ、ルイズ。」自慢する事大前提なのですか…と言うよりも、サインなら後書きに入れていたような記憶があるのですが。写本する際に自動筆記の魔法で模造されたものですけれども。「後書きのサインで良いではありませんか?」「はぁ…本人の直筆である事が大事なのよ。」わかっていないなぁという風に、ルイズは私を見ます。「お願いよ、ね?」「まあ、悪い気はしませんし…良いのですよ。」ルイズから手渡された本にさらさらっとル・アルーエットとして使っているサインと花押を書き込んで…と。「はい、どうぞ。」「わ、ありがとう…姫様に自慢しようっと。」ルイズの可愛さにほだされて、特大の墓穴を掘ったような気がするのは気のせいでしょうか?「ついでにもう1つお願いがあるの。」ルイズはそう言うと、もじもじしながら上目遣いで私を見るのでした。「な…何なのですか?」くっ…凶悪に可愛いっ!「ベッドで一緒に寝ても良い?」「ぐはぁっ!?」鼻血が出るかと思ったのですよ!?ど、同性にすらこの威力…流石はヒロインにして、絶世の美少女。「だ…駄目なのです。」そんなに自室のボロベッドが嫌ですかルイズ。まさか、こんな手を使って来ようとは…。「ひ…卑怯ですよルイズ。」「ケティ、貴方が小柄で体の起伏の乏しい女の子に甘いのは、まるっとお見通しよ…って、自分で言っていて、ちょっと傷ついたわ。」自分で言ってくず折れるその姿もラブリー…ですが、心を鬼にしなければ。「なんという策を使うのですか、貴方は。 …で、でも、駄目なものは駄目なのです。」「ふっ、一見ちょい地味な癖に実は可愛いものが大好きな、貴方の趣味を呪うが良いわ。」ちょい地味とか何気に酷い事を言われたのですが…ルイズが発する可愛いものオーラが…オーラが…。「にゃー。」「くっ!?」ルイズはいきなり猫耳ヘアバンドを頭につけると、そう鳴いて見せたのでした。「…し、仕方が無いのです。 今夜は一緒に寝ましょう。 でも、今夜だけなのですからねっ! 勘違いしないで下さい、私は可愛さに屈してなどいないのですっ!」「そういう事にしておいてあげるわ。」その夜はルイズと一緒に眠る事になったのでした。確かにルイズは慣れない硬すぎるベッドで寝ていたせいか、かなり寝不足気味でしたし、体力を回復させる為には熟睡が必要でしょう。…ええ、自己欺瞞の極みなのですよ、どうせ。可愛いものが大好きで悪いかー!「ぬぅ…。」何故私は床に転がっているのでしょう?確かルイズと同じベッドで寝ていた筈なのですが。「…まさか、寝床を乗っ取られるとは。」傾国の美女に籠絡されて国を滅ぼした古代の王も、きっとこんな気分なのですよ。「すぴー。」「気持ち良さそうに、寝息をたてやがっているのですね。」やはり、明日からは断固として断らないと、私が寝不足になってしまうのです。「んぅ…喉が渇いたのですね。」貴賓室と言えど、蛇口を捻れば水が飲めるというわけにはいかないのですよ。つまり、水を飲みたければ井戸まで行くしかないというわけなのです。「お、ケティ?」「おや、どうしたのですか、こんな時間に?」台所の裏にある井戸に向かおうとしていたら、才人に会ったのでした。「ケティこそ、どうしたんだ?」「私は水を飲みに来たのです。」あまり飲み過ぎると別の欲求で目が覚めそうですから、口が湿る程度に抑えるつもりですが。「才人は…つまみ食いなのですか?」「大当たり。」そう言うと、才人はにかっと笑ったのでした。育ち盛りの男の子ですし、お腹も減るでしょうが、しかし…。「…ああでも、あまり何度もつまみ食いするとミ・マドモワゼルからきつーいお説教があるそうなのですよ。 才人は二人っきりでミ・マドモワゼルと数時間一緒に居られる自信があるのですか?」「それは無い、断じて無いっ!」才人は胸を張ってきっぱりと言い切ったのでした。「うぅ…でも、腹減った。」「貴賓室にはいくつか果物も置いてありますから、それで我慢するのです。」しかも貴賓室の果物は、無くなればその都度補充されるのです。ビバ貴賓室、ビバタダメシ…まあ、そんなに果物を食べているわけでも無いのですが。「果物…オッケー、それで良いや。」才人は嬉しそうに頷いたのです。「鍵はかけていないので、先に行っていてください。」「わかった、センキューケティ。」才人はそう言うと、貴賓室に向かって歩いていったのでした。「さて、水を飲んだらさっさと帰ります…か!?」台所に人影が見えたのでした。「何者っ!?」即座に杖を抜いて、人影に向けます。「わっ!?ちょっと待って、あたしよあたし。」「ああなんだ、ジェシカでしたか…。」そう、慌てて明るい所まで出て来たのは、ジェシカなのでした。「『鍵はかけていないので、先に行っていてください』ねぇ…意味深よね?」探るような笑みを浮かべつつ、ジェシカが話しかけてきたのでした。「確かに、そこの部分だけを抜き出すとかなり意味深なのですねぇ。」隠れていた理由は盗み聞き…まあ、予想の範囲内ではあるのです。「面白くないわねぇ、もうちょっと驚くとかうろたえるとかしてよ?」ぷくっと頬を膨らませて、つまらないと言った感じに眉をしかめるジェシカなのでした。「そりゃまあ、ルイズは私のベッドで熟睡中なのですから、そんな部屋で浮気もへったくれも無いのですよ。」まあそもそも、浮気なんて私の趣味じゃあな…あれ?何か今『嘘だっ!』とか聞こえたような気が…。「浮気ってことは、やっぱりあの2人付き合っているの?」「いいえ…でもまあ、付き合っているようなものなのです。」ジェシカのキラキラした瞳が…こういう話題が大好きなのですね。「でも、ルイズってどう見ても貴族でしょ?」本人達はああ見えて隠そうと頑張っているのですから、そっとしておいてあげて欲しいのです。「…もし仮にそうだとして、身分違いだろうと言いたいわけなのですね?」私の問いに、ジェシカはコクリと頷いたのでした。「大丈夫なのですよ、才人は必ず大出世しますから。 それこそルイズが思わず躊躇するくらい。」「この国で、平民がそこまで登れるわけないでしょ。」馬鹿にするなといった感じで、ジェシカが私を睨みつけます。「法も常識も人が作るもの…であるならば、人が変われば法も常識も変わっていくものなのですよ。 貴方も聞いた事があるでしょう?メイジ殺しの平民が、陛下の銃士としてシュヴァリエになった事を。」「『鉄の塊』アニエスが、貴族になったというのは知っているけど…って、ひょっとして才人もメイジ殺しなの? あの間抜けそうな、お人よしそうな、鈍そうな顔で?」その通りではありますが、ズバリ言い過ぎなのですよジェシカ。「ああ見えて、才人は剣を握ればかなり強いのですよ。 私も命の危機を救ってもらったことがあるのです。」「…それが原因で惚れちゃったと。」意地悪そうな笑みを浮かべながら、ジェシカが私を見ているのです。「さ…才人にそういう感情は無いのです。 私達は親友みたいなものなのですから。」押し倒されたりしましたが、あれはノーカウント。媚薬にやられている間の…うわぁぁぁぁ!?それは考えるべきではなかったのです!「その割には顔が赤いけど?」「そ、そそそそういう体質なのです。」あ…相変わらず精神的ダメージの大きい体験なのですよ、あれは。「ケティなら、簡単に取っちゃえるような気がするんだけど? 新進気鋭の商人で、今まで浮いた噂の一つも無かったパウロさんがメロメロじゃない。」あいつは元からああなのですよ、ジェシカ。「才人の好みはズバリルイズなのですよ。 私は元々髪の色を含めて全体的に地味ですし、洒落っ気が少ないですから。」「黙っていれば清楚な感じよね、ケティって。 化粧を殆どしていないくせにこの可愛らしさ…やっぱり貴族は素が違う感じがするわ、うん。」いやジェシカ、私の話をスルーした上に顔をペタペタ触られても。「最近、貴方の指名が増えて来ているの、知っているでしょ? 何というか、貴族のオーラみたいなものが黙っていても出るのよね、貴方もルイズも。」まあ確かに、パウル以外の指名もついてはいますが。「基本的な仕草が洗練されていて綺麗なのよ。 もっともあの子は貴方みたいに、上手くやれていないけれどもね。」体を絶妙にずらして絶対に触らせず、それでも触られそうになったら昏倒させていますからね、ルイズは…。酒場で色気では無く格闘スキル上昇とか、プ○ンセス○ーカーもびっくりの展開なのですよ。「彼女は本来かなりやんごとない身分ですからね…これは戯言なので、さらりと流してください。」…それでも固定客がつき始めているのが何といいますか。世の中には変な人が居る者なのです。「ところでそんな事をあたしに話しても良いの?」「貴方自身と、何より貴方の大好きな父上が、どうなっても良いというのであれば、お好きにどうぞ。」にっこりと微笑みながらジェシカの瞳を見つめるのです。見た目は変態、中身も変態なスカロンですが、同時に子煩悩な父親という面もあるのです。そしてジェシカも年頃の娘なのに父親が大好きという、少し変わった娘だったりします。私なんか父親の匂いにそこはかとない不快感を覚えるのは近親相姦を防ぐフェロモンのせいだと知っているにも拘らず、父様の匂いがちょっと駄目なのですが。「う…。」「脅しではありませんよ? 身分の貴賤に関わらず、面子に傷をつけるものに情け容赦無いのが国家と言うものなのです。」 いや、自分で言っておいてなんですが、まるっきり悪役なのですね。「秘密は隠しているから秘密なのです…分かってただけましたか?」「わ、わかったわ。」いや、そんなあからさまに怯えられても困るのですが…ちょっと脅し過ぎましたか?「…ケティって、実はかなり怖い人?」「いえいえ、何処にでもいる貴族の小娘なのですよ。」何なのですか、その『それは無いわ』と言いたげな目つきは。「…では、私は水を飲んだら部屋に戻ります。 ジェシカは?」「あたしもとっとと寝るわ、今夜の事を忘れる為にもね。」それは良い選択なのです。「おかえりー、ケティ。」「あ、帰ってきたのね。」水を飲んでから部屋に戻ると、果物を頬張る才人とルイズが出迎えてくれたのでした。「ルイズも起きたのですか?」「うん、いつの間にかケティが居なくなっていたから目が覚めたのよ。」貴方に寝床から突き落とされたのが原因なのですが…。「違うだろ?聞いてくれケティ、こいつ俺が剥いた果物の匂いにつられて起き…ふげぉっ!?」「五月蝿いわよ、この駄犬!」才人の鳩尾にルイズの拳がめり込んで、そのまま才人は崩れ落ちたのでした。「程々にしておかないと、いつか才人をその手で葬る破目に陥りますよ、ルイズ。」「ちょ、ちょっと叩いただけじゃない…何で気絶するのよ。」明らかに殴っていましたし、私にはルイズの拳が見えなかったのですが…。「ええと、虚無に目覚めてから強くなりましたねルイズ。 魔法では無く腕力の方向で。」「ふふふ…何故だか知らないけれども、虚無に目覚めてから体のキレが以前とは段違いなのよね。 私はいったいどういう方向に変化して逝くのかしら?」その方向に進み続けると、ガンダールヴがいらない子と化しかねないので、エクスプロージョンをもう少し使うとかすれば良いと思うのですよ…面白いので教えてあげませんが。「…で、これどうしよう?」気絶したままの才人をルイズが指差しているのです。「取り敢えず床に転がしておくのもなんですし、ソファにでも運びましょう。」才人を二人で持ち上げて、ソファまで運びこんだのでした。「…ルイズ、何度も言いますが、もう少し自分を抑えて欲しいのです。」「うぅ…反省しているわよ。」しゅんとしたルイズもラブリーなのはいいとして、才人の体が持つかどうか心配になってきたのですよ。この《魅惑の妖精亭》が出来たのは400年前のアンリ三世の御世。このアンリ三世は《魅了王》と呼ばれ、周囲にいる異性も同性も全部ひっくるめて魅惑していったという、生ける惚れ薬みたいな王様だったらしいのです。正妻との間に残した子供は2人ですが、言い寄ってきた異性に片っ端から手をつけた結果、庶子も含めると300人以上の子供を残して死後に《血塗れの20年》と呼ばれるお家騒動を引き起こし、後々東トリステインの各公国が独立する原因を作った実に迷惑な王様でもありました。おかげで裏では《絶倫王》とか《種馬王》とか《下半身王》とか呼ばれている御仁なのです。そんな最低男がある時この店にお忍びでやってきて、例の如く給仕の娘と恋に落ちたのですが、その娘が余程気に入ったらしく一着のビスチェを贈ったのだとか。それが今、スカロンが着ている《魅惑の妖精ビスチェ》、魅了の魔法と伸縮の魔法が付与された逸品なのです。おかげでスカロンはいつも以上に変態度が上がっているにも拘らず、全く気持ち悪く感じないという不思議現象が発生中。もしここでルイズがアレに向かって《解呪》の魔法をかけたら、皆一斉に吐くでしょう。「このチップレースに優勝した妖精さんには、この《魅惑の妖精ビスチェ》を一日着用する権利が与えられちゃいまーす!」アレを、現在スカロンが着ているというアレを着る権利…何という罰ゲーム。酒場の女の子はアレで更にチップがいっぱい貰えるから、嬉しいかもしれませんが…。「まあ、テキトーにやりましょう、テキトーに。」勤労意欲が一気に萎えたのです。「じゃあ皆、グラスを持って! チップレースの成功と商売繁盛! そして女王陛下の健康を祈って、乾杯!」『乾杯!』ううむ…何度聞いてもこの乾杯の時の掛け声は慣れないのですよ。麗しい少女達が一斉に『チンチン!』、日本語を知っている身だと実にシュールな風景なのです。さて、そんなこんなでチップレースが始まったわけなのですが、ルイズは相変わらず自分に触れる客を昏倒させているのです。とは言え、かわし方がかなり上手くなり、今では客に一切触らせずにその場を乗り切ってチップをもらう事も可能になっているのですが。…格闘スキルはグイグイ上昇しているようなのですね。「結構頑張っているわ、あの子。」ルイズの働きっぷりを観て、満足そうにジェシカが頷いています。「ジェシカが発破かけてくれたのでしょう?」「まさか、私のは売り言葉に買い言葉よ。」そう言いながら、ジェシカはニヤリと笑っているのです。「…貴方の話術なら、ルイズを怒らせる事無く言いくるめるくらい容易いでしょう。」「まあね、でもそれじゃあ楽しくないでしょ?」うわ、こんな所にキュルケ二号が。「しかし酔い潰すの上手いわね、あの子。」ルイズの肩に触れたお客さんが、唐突にテーブルに突っ伏したのでした。アレは酔い潰しているのではなく、殴り倒しているわけですが…まあ、わからなければ別に良いのですよ。「実はね、面倒臭い客をあの子の所に回すと潰してくれるから、最近はあの子も結構頼りにされているのよ。」「そ、それは、どちらかと言うと用心棒の仕事では?」まあ実際殴り倒しているわけですから、用心棒で間違いは無いような気もするのですが。ちなみに私は給仕お休み、台所で皿洗いと調理の手伝い中なのです。私が給仕に出るとその度に何処からともなくパウルがやって来るので、情報収集が出来ないどころか周囲に誰なのかばれそうになったのですよ。「あいつはこの任務が終わったら、制裁なのです…。」商会の情報網をしょうも無い事に使って…有能なのですが、時々悪乗りしすぎるのが玉に瑕なのですよ。「ひょっとして貴方の正体って…。」「食材の仕入先は、是非とも蜂印のパウル商会を。」まあ、ジェシカにならバレてもいいでしょう。「商会の事実上のオーナーをしている貴族に、営業かけられたのなんて初めてよ…。」「平民も色々、貴族も色々なのです。」そう言って、ジェシカにウインクしてみました。「ウインク、下手ね。」「放って置いてください…。」そう言いながら私は、ジェシカにチップを手渡したのでした。「ケティ、チップがさっぱり集まらないのよ。」「えーと、私にどうしろと?」深刻な表情でルイズが私の部屋にやって来て、開口一番そう言い放ったのでした。「何か、いい知恵は無いかしら? このままだとあの胸が大きいだけの馬鹿女に負けそうなのよ。」「ケティ、俺からも頼む。 こいつ、俺がアドバイスすると殴ってくるんだよ。」ボロボロになった才人が、懇願するような表情を浮かべて私を見ているのです。だから、肉体言語で返事するのは止めなさい、ルイズ。「生憎政治的な事なら兎に角、男女の心の機微はさっぱりなのですよ。 あと、ジェシカはこの事に限って言えば、私よりも遥かに上手なのです。」持って生まれた才能がある上に、陰での努力を惜しまなさそうな性格ですからね、彼女。「う…例えば、私がケティにお酒を注いで、ケティがどーんと200エキューくらいチップをくれれば…。」「確かにそのくらいは出せますが、ルイズはその為にどれだけの事をしてくれるのですか?」私はパウルでは無いのですから、そんな事に200エキューも出したりはしません。「お…お触り自由で。 ななな何だったら、私を好きにしても良いわよ。」「却下。 私は可愛いものが好きではありますが、同性愛趣味は無いのです。」ルイズがもじもじしている姿は可愛いですが、飽く迄もそれは子猫などを見た時に感じる感情であって、性的な欲求では無いのです。「それに、もしもそういう趣味があったとしても、ルイズの場合いざとなったら殴って昏倒させられそうですし。」「う…やっぱり駄目よね。」そう言いながらも、ホッとしたようにルイズは胸を撫で下ろしたのでした。「残念だ…。」こっそり何を呟いているのですか、このエロ使い魔。「うーん…方法があるとすれば…。」チップレース後半にルイズが思いついた方法をルイズに話してみました。「成程、優雅に礼をして、何を聴かれても切なそうに微笑みながら黙っていれば良いって事ね。」「うん、確かにルイズは黙っていれば可愛いけど、口を開いたら終わりだからな…って、なにするやめ…へぷろぱ!?」余計な事を言って、才人がルイズにぶっ飛ばされたのでした。「確かにわたしは平民に対してだと、どうしても口調が横柄になるわね。」ルイズは眉をしかめながら頷いたのです。「み…認めてるなら殴るなよ。」「だからと言って、あんたに指摘されると腹立つのよ。」倒れたまま抗議の声を上げる才人に、ルイズはそう返します。「まあ兎に角、裕福そうな人に礼儀正しく挨拶をすれば、上流階級の環境に居たものであるという事はわかりますから、あとは相手の妄想に任せて、噴きそうになってもぐっとこらえて切なく微笑み続けるのです。」「わかったわ、それで行ってみる。」ルイズは力強くうなずいたのでした。「サイト、早速練習よ!」「えー、俺眠いんだけど? …ちょ、おま、待て、眼覚めた、覚めたから殴らな…ぷぎゅっ!?」例によってぶっ飛ばされる才人なのですよ、やれやれ…慣れていく自分がちょっぴり怖かったりするのです。翌日、いつも通り皿を洗っていた私の所へ、ジェシカがやって来たのでした。「何か教えた?」「ええ、少しばかりの助言を。」まあ、ジェシカの腕前の前には、屁の突っ張りにもならないでしょうけれども。「ありがとう、あれなら普通の戦力としても何とか使えるわ。」「何とか…なのですか。」まあ、その程度なのはわかっていましたが。何というか、酒場の給仕というのは、ルイズとの相性が絶望的なくらい悪い職業なのですよ、間違いなく。「でもよく考えたわね、仕草一つでお客さんを泣き崩れさせるだなんて、なかなか出来る事じゃあないわ。」「ルイズは演劇好きなのです。」私はこの世界の演劇を見て、役者のオーバーアクション過ぎる身振り手振りなくせに台詞は棒読みという驚愕のコラボに思わず噴きましたが。悲劇でお腹を抱えて笑い転げ、周囲から白けた視線を送られて『二度と来ない』と心に誓ったあの日の事…忘れはしないのです。「そんなわけで、特訓したようなのですよ、徹夜で。」才人の事ですから、殴られながらも遠慮無く感想を言ったのでしょう。最近ではボコボコにされても数分で復活するようになったのです…強くなりましたね、才人。間違った方向に。「あれなら、結構良い所いけるかもよ?」「ルイズは貴方に勝つ気でいるわけなのですが。」さっき厨房にやって来た時も、やっとチップがまともに貰えるようになったと喜んでいましたし。「私に勝とうだなんて、千年早いわね。」「御尤もなのです。」まあ、常識的に考えて無茶に過ぎるのですね。「ケティ、御指名よ?」給仕娘の一人…確か、アゼルマとか言いましたか。彼女がやってきて、私に声をかけてくれたのでした。「パウルだったら『帰れ』と伝えてあげて欲しいのです。」「ううん、違うわよ。 立派な貴族の男の人。 ジュールが合いに来たと伝えてくれって。」ジュール…ああ、モット伯なのですか…って、何でばれているのですか!?「わかりました、貴賓室に通してあげて欲しいのです。 あと、美味しい食事とワインも。 最後に…彼と目を合わせた娘は妊娠するので、目を合わせないようにしておいた方がいいのです。」モット伯は最近、悪い癖が再発したらしいのですよ。彼の暴走する下半身はいつ落ち着く事やら…。「そ、そんな男と一緒で大丈夫なの、ケティ?」ジェシカは心配そうに私を見ているのです。「…まあ、姉の夫ですし。 姉にベタ惚れですから、その妹に手を出したらどうなるか…くらいはきちんと考えられる人の筈なのですよ、たぶん。」ちょっぴり自信ありませんが、たぶん大丈夫なのです。「わかったわ、用意するように言っておく。 …気をつけてね、危なくなったらサイトを呼ぶから。」「そこまで心配しなくても、私だって貴族のはしくれなのですよ?」そう言いながら、ジェシカを安心させる為にこっそり杖を見せてあげたのでした。「つるつるぴかぴかで固い…変わった材質の杖ね。」「もとはジャイアント・ホーネットの針なのですよ。」まあ、なかなかありませんよね、キチン質の杖なんて。「ジャイアント・ホーネット!? 成程、流石は蜂のラ・ロッタといったところかしら。」「まあ、そういう事なのです。 では、行ってきます。」エプロンを脱いで、モット伯の居る貴賓室に向かったのでした。「やあ、久し振りだねケティ。」モット伯はにこやかに出迎えてくれたわけなのですが…。「お久しぶりです、モット伯。 …悪い癖が再発なされたとか?」勿論、私の対応は絶対零度なのです。