「~♪」ケティが緊張した面持ちで歌っている。激しく、それでいてなんとなく物悲しく、異国チックなその曲の名は…。「夜桜お七…。」才人がボソッと呟く。確かにその曲…歌詞はトリステイン語だし、楽器もトリステインで使えるものを使って演奏されているが、まさしく『夜桜お七』だった。「その前に歌ったのは『海雪』で、その前は『恋の奴隷』で、一番最初が『天城越え』…ケティって演歌好きだったのか…?」「~♪」有名な曲とは言え、10代で曲名が全部わかってしまう才人も才人だが。しかも、どれもかなり激しい恋の歌だったりする。「では…これで最後の曲となるのです…。」そう言いながら、ケティは楽団に目配せする。「…曲名は、『空と君のあいだに』」「…って、何でいきなり中島みゆき!?」カオスだった。ちなみに、アンコールでリリーマルレーンを歌って更にカオスな感じになったものの、初めて聴く曲ばかりで『魅惑の妖精亭』の客は大満足だったらしい。「ふぃ~…。」歌い続けて流石に疲れたのか、バックヤードで椅子に座ったケティがたれていた。「お疲れ、水持って来たぜ。」「ありがとうございます…温い。」ねぎらいついでに水を渡したが、ここは良くも悪くも中世ファンタジー世界であり、水は温かった。「いや、魔法も使えない、冷蔵庫無い環境でそんな無茶言われてもだな…。」「冷やしたいものを入れた容器を水を含ませた布で包んで、ひたすら団扇で扇いであげれば、気化熱冷却で飲み物を冷やす事は可能なのですよぅ…。」そう言いつつも、才人から渡された水をごくごく飲むケティ。「そう言いながら、飲んでるし。」「んぐ…とは言え、歌いっぱなしで喉が渇いていましたし、この水は有難く戴くのです…んぐんぐ。 ざっと一時間ほど扇ぎ続ければ、とっても冷たい水が…んぐんぐ…飲める筈なのです…ぷは。」この国の夏は日本に比べると格段に空気が乾燥しているので、水の気化熱冷却でかなり冷やす事が可能だったりする。「ケティちゃん、お疲れ様~。」スカロンが、クネクネしながら現れた。「冷えた水、用意しておいたわよ。」「うぉぅ…これは冷たいのですね。」早速飲んでみたケティだったが、その冷たさに感嘆の声を上げる。才人に教えた方法を、実は既にスカロンに話していたケティだった。「この前、ケティちゃんに言われた方法でやってみたのよ。 魔法も使わずに、ここまで水が冷えるなんて、なんてトレビアンなのかしら。 これでビールを冷やすっていう案、お客さんを喫茶店から呼び戻すいい方法になりそうだわ。」「是非ともやってみてください、ビールは冷や冷やに限るのですよ。」こっちの世界の温いビールもなかなか乙だが、やはりガツンと冷えたビールが飲みたいケティだった。「キャバレーといい、この冷却法といい、ケティちゃんには色々とお世話になってばっかりよね。」「いえいえ、こちらも色々と無理を聞いてもらっているので、お互い様なのです。」王家からの命令とは言え、色々と融通を利かせてくれるスカロン。実に侠気あふれる漢だった…心は乙女だが。「ケティお疲れさま…って、なにその水滴の浮いたコップ!?」「スカロンが用意してくれた、よく冷えた水なのです…飲んでみますか?」そう言って、ケティはルイズに冷えた水を渡した。「んぐ…何これ、凄い冷たい!?美味しい!? よくもまあ、水と風のメイジなんか見つけてきたわね。 タバサでも呼んだの?」「いいえ、それは魔法無しで冷やしたものなのです。 実は…(中略)…と、言うわけでして。」ルイズに気化熱冷却による水の冷却法を伝えたが…。「何でそれで水が冷えるのか、原理を聞いてもさっぱりだわ。」ルイズはちんぷんかんぷんだった。「まあ、百聞は一見にしかずとも言いますし、一度才人にやってみてもらえばいいのですよ。」「それはいい考えね。」わからなかったものの興味はあるらしく、ルイズはゆっくりと頷いた。「え!?俺がやんの!?」「たまには使い魔らしい事の一つくらいして見せなさいよ?」びっくりして自分を指差す才人を、ジト目で睨むルイズだった。「へーい…。」そんなわけで、気化熱冷却の実験が始まったわけだが…。「つまらない…物凄く暇だわ…。」「さっきから延々あおぎ続けているのに、ひでえ…。」まあ、壺に濡れた布を巻き付けてパタパタ団扇で扇ぐだけなのだから、ヴィジュアル的には超地味。なので、ルイズが飽きてしまったのは、仕方が無いといえば仕方が無い。「くー…。」「ケティなんか寝てるし…。」まだ起きているだけ、ルイズの方がましかも知れなかった。「歌った後だし、何だかんだで疲れたんでしょうね。」「なるほど、確かにな。」よく寝てよく食べる、若い証拠である。「寝ていれば、年下だっていうのがよくわかるのにね。 この、無駄な、脂肪の塊二つが無ければ、もっと年下な感じなのにっ!」「くー…にゅ…うにゅ…。」眠りこけて無抵抗なケティの胸をぐわしと掴むルイズ。「うふふふふふ…相変わらず触り心地の良い塊だこと…。 やっぱり無駄じゃないわ、これは無駄じゃないのよ…。」「あー…ルイズ、いくら同性だからといっても、限度ってもんがあるからなー?」そのまま眠りこけるケティに抱きついて胸にすりすりし始めたルイズを、『セクハラだぞー』とか思いつつ、ジト目で見る才人。それでもパタパタと扇ぐ手は止めない。「だって、ケティってすっごい触り心地良いのよ、いっぺん触ってみたらわかるわよ。 触ったら粉砕するけど。」「粉砕するって何をデショウ?」才人の問いに、ルイズはただにっこり微笑むのみだった。「ケティ風の脅し方、やめれ。 怖いから、なんだか想像が膨らんですげえ怖いから。」ナニかを粉砕される想像に、才人は思わず身を震わせた。「にゅ…にゅ!? な、何なのですか、つめたっ!つめたいっ!?」眠りこけていたケティの顔にいきなり滅茶苦茶冷たい水の雫が振ってきた。「うひゃあああああぁぁぁっ!」そして、そのまま悲鳴とともに、座っていた椅子から滑り落ちた。「な…何なのですか…?」いつの間に眠ってしまったのだろうかと思いつつ、立ち上がったケティがあたりを確認すると、悪戯小僧の顔になったルイズと才人が居た。「流石のケティも、眠っていきなり顔に冷水の雫をかけられたらひとたまりもないようね。」「そりゃまあ、私は歴戦の武人じゃあありませんし、常在戦場というわけには行かないのですよ。 先程の感触から察するに、冷水が出来たのですか?」ちょっと怒りたい気分を抑えつつ、ルイズに尋ね返すケティ。「出来たよ…あーごめんな、俺は止めろって言ったんだが。」「な…ちょ!? ノリノリでケティの顔に雫垂らしたのあんたでしょ!?」ルイズが責任を押し付けようとした才人を小突いた。「げふぅ!?」小突いたはずだったが、才人は壁にめり込んだ。「あら、ちょっと強めに小突きすぎたかしら?」「お…おま、ルイズ、これは小突くとかいうレベルじゃねえぞ。 つーか、俺じゃなかったら死んでるぞ、これは。」ルイズの虚無は、今日も絶好調だったようだ。そして、才人も変態的な生命力だった。「ルイズも才人も、修繕代出すの私なのですから、もう少し控えめに。 それで水…は…。」「あらー…。」よく冷えた水はルイズが才人を強めに小突いた衝撃で、見事によく冷えたカーペットの染みと化していたのだった。「ケティ、メイジが足りないわ。」王城に召喚されたケティに、アンリエッタは開口一番そう言った。」「私はドラえもんでは無いのですよ、姫様。」無茶振りされたケティは、思わず青狸の名前をを口走った「ドラえもん?」「あー、才人の世界の物語の登場人物で、色々と便利な道具を出してくれる狸のガーゴイルなのです。」ロボットの説明が面倒臭いので、ファンタジー風に説明するケティだった。「んー…主人よりも使い魔と親しくなるとか、一般的に言っても感心できる事ではないわよ?」「へ?いや、御心配無く、ルイズと才人は間違いなく相思相愛なのですよ。 ただ、ルイズがあまり才人の世界に興味が無いというだけで。」アンリエッタの注意に、ケティは少し面食らったような表情で返した。「それはつまらないわね…。 もっとこう、秘密の寝室で才人殿と抱き合うとか、情熱的にキスするとか、そこをルイズに発見されるとか、そういう泥沼的な展開は無いの?」「姫様は、私とルイズ達に、どうなって欲しいというのですか…。」アンリエッタからの提案は、どっかで聞いたような話だった。「…で、話は最初に戻るけれども、メイジが足りないわ。 新式銃も銃士隊に回すので精一杯、とてもじゃあないけれども量産して兵士全員にってのは無理でしょう? だから、手っ取り早く従来どおりの戦力であるメイジを増やしたいのよ。 何とかする方法を思いつかないかしら?」「メイジの傭兵を雇う以外で?」アンリエッタは、ケティの問いに無言で頷いた。「方法はある事にはありますが…バレたら貴族制度の根幹を揺るがしかねないのですよ? ついでに言うと、ロマリアから破門されるやもしれない上に、戦力化したいなら10年はかかるのです。」それは間違い無く禁忌の方法だと、ケティは思っている。「それはまた、随分と物騒な話ね…で、何?」「平民の子供に、杖との契約の儀式を行わせてみるのですよ。」それは結果如何によっては、貴族と平民の区別がつかなくなる。「平民の子供に杖を? でも、契約なんかできないでしょ、平民だし。」「そうとも言い切れないのですよ。 今まで貴族の御落胤がどれだけ市井に流れたと思いますか? それがざっと数千年…本人が気づいていないだけで、メイジの資質を持った者は結構な数居る筈なのです。」ケティの予感としては、メイジの資質が遺伝するものだとして、おそらく杖と契約をさせたら、かなりの平民の子がメイジになれる筈だという確信めいたものがあった。「素晴らしいわ、すぐやりましょう。」「杖を持たせた殆どの平民の子が杖と契約できたとしても…なのですか?」劣性遺伝なら数はぐっと減るだろうが、優性遺伝ならメンデルの豆みたいに圧倒的多数がメイジの資質を持っている可能性がある。それは、メイジと平民の差というものを決定的に破壊しかねない、危険なものでもあるのだ。「…それは有り得る事態なのかしら?」アンリエッタも流石にびっくりしたのか、眉を顰めてケティを見る「それが有り得るくらい、メイジと平民の血はおそらく混じり合っているのです。 貴族の殿方に麗しい女性と見れば平民も貴族も関係無い方が多いのは、姫様もご存じのとおりですし。 貴族の殿方が始祖以来の数千年間、地位と権力を駆使して平民の女性相手に腰を振りまくりながら過ごしてきた結果なのですよ。」「あー…それを言われて物凄く納得したわ。 でもケティ、10代半ばのレディが腰振るとか言わないで。」アンリエッタは頬を少し赤らめてケティを睨んだ。「うぅ…説目に集中し過ぎて表現が下品に…。 と、取り敢えず、何処かの孤児院を囲い込んで実験してみる必要があるかと。」ケティも表現が下品になっていた事に気付き、顔を真っ赤にしながら話を続けた。「そうね…こっそりやって、まずかったらちょっとずつ増やしていく形で行きましょう。 孤児なら、貴方は実はとある貴族の御落胤だったのよとか言って置けばいいわけだし。 …そっち方面には定評のあるモット伯とかもいるしね。」「…それはモット伯家で流血の惨事が発生しかねないので、是非とも止めて戴きたいのです。」ひっそりと彼の預かり知らない場所で、命の危機が訪れつつあるジュール・ド・モット伯爵…彼の明日はどっちだ!?「それと…姫様に見せたいものが。」そう言って、ケティは古ぼけたレポートをアンリエッタに手渡した。「これは…何? …って、ド・ワルド!?」「ええ、ワルド卿の母君が書かれたレポートの断片です。 書いた本人が発狂してしまって、殆ど散逸してしまっていましたが。」ケティとしても流石に『何で知ってんだ!?』と何度も問われるのが嫌なので、証拠を集めてから情報を伝えることにしている「800メイル以下の地下に風石の大鉱脈が成長中…このままだと、ハルケギニアの各地が浮き上がるですって!?」「いやはや、困ったものなのです。」淡々と語るケティの顔はあんまり困っているように見えなかった。「これ、本当なの?」「間違っていたら、発狂しないでしょうね。 ワルド卿もグレなかったかもしれません。」アンリエッタはケティが騙しているのではないかと思ってよーく見てみるが、やはり嘘を言っているようには見えなかった。「よく冷静にしていられるわね?」「そりゃまあ、ラ・ロッタは浮きませんから。」ひでえ話だった。「…なんで浮かないのよ?」「山の女王が、縄張り一帯の精霊の力を広範囲に少しずつ吸い取って、生きる為の補助としているからなのですよ。 流石幻獣、おかげでラ・ロッタ周辺からは火石も風石も水石も土石も一切産出されません。」何が幸運に転じるのかわからないものである。「まあ、大丈夫なのですよ。 時が来れば、伝説が…虚無が解決してくれるでしょう。 山の女王もそう言っていました。」「う…まあ、そういう事なら、私は私の仕事をするだけだわ。」山の女王のくだりは思い切り嘘だが、今焦ってもどうにもならないのも事実だった。クレイジー・ジョゼフに知れたら、何やらかすかわからんし。「アルビオンみたいに、トリステイン丸ごと浮いてくれないかしら? それなら、統治が楽そうだし。」「その場合、ラ・ロッタだけハブられるのですよ…。」絶海の孤島と化したラ・ロッタ…それはそれでありかもしれなかった。