「呼ばれた。」タバサは厩舎にやって来てそう一言呟く。「きゅい!」シルフィードは出向いてくれた主人に、嬉しそうな声で応えた。「ん、行こ。」タバサは、魔法学院からしょっちゅう姿を消す事で有名な少女である。有名ではあるが、タバサにその理由を聞く者は居ない。それは親友のキュルケでさえもだ。何故か?魔法学院が原則男爵以上の所謂上級貴族の子弟が通う場であるが故。各国の魔法学院が上級貴族の子弟がメイジとして、貴族としての統合的な学習を行う場であるというのは、実のところ建前に過ぎない。ここは一人前の貴族になる前の猶予期間(モラトリアム)を提供する場所なのだ。ここは男性の貴族にとっては人脈を作る事によって将来の栄達の肥やしとする場であり、女性の貴族にとっては決められた相手に嫁ぐ前に束の間の恋愛ごっこを楽しんだり、あるいは将来の伴侶を見つける場でもある。故に生徒の出自身分は、何処の生まれか、どういう血統であるか、家の伝統がどうであるかまではっきりしているという訳だ。それにも拘らず、時折名前も出自身分もあやふやな者が入学する事がある。すなわちそれは《わけあり》という事。どこぞの王族か大貴族の御落胤か、はたまた御家騒動の中心人物か。表に出せないが、身分的に魔法学院に通わせないと家のメンツが立たない…そんな人物が、名前も出自身分も何もかもあいまいにして他国の魔法学院にやって来る事がある。彼らも身分を曖昧にしたまま、元の惨めな立場に戻るまで前述のようなモラトリアムを楽しむか、あるいは何時の間にか魔法学院から《居なくなって》いるか。タバサもそういう一人だと思われていた。「飼葉桶からこにゃにゃちわ~。」大きな飼葉桶から出てきた娘が、折角久々にシリアスに進行していた導入をぶち壊す。長い地の文だって書こうと思えば書けるんだよとか主張しようとしていた作者の薄汚い思惑も、そのライトな雰囲気でぶち壊されてしまう。「行こ。」「きゅい!」タバサはその娘を完全スルーしてシルフィードに合図する。「ちょっと待ってください! 無視されたら、カモフラージュにわざわざ大き目の飼葉桶を用意して入っていた私がまるっきり莫迦みたいなのですよ!?」飼葉まみれなその娘…ケティは悲鳴のような声でタバサに抗議したのだった。「知ってた。」「知っていたとは…やりますね。 一応、大きくなり過ぎないように作ったものに、この身を限界まで縮ませて入っていたのですが。 いや~、全身の間接がすっかり固まってしまいましたよ、おほほほほ。」ストレッチをしながら、ケティはシルフィードにまたがるタバサに話しかける。「でもそれなら、声をかけてくれれば良かったのに。」「放置するのが、人情。」タバサは、いつものように茫洋とした瞳のまま、その視線をケティに向けてそう言った。「その手の悪戯は、放って置かれるのが一番辛い。」「た、タバサってば、何時の間にそんなにドSに…。」驚愕した表情で、ケティは2~3歩後退ったのだった。「用?」「…ボケ放置ですか、やりますね。 いやなに、ちょいとヴェルサルテイル見物に行きたいなーと。」ケティはタバサが任務でガリアに帰るつもりな事に気づいたらしい。自分どんな任務についているのか、ケティは興味があるのかなとタバサは思った。「見たい?」「ええ、勿論。 かの新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)もかくやといった絢爛さなのでしょうねえ。」タバサは勿論新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)なんて宮殿は知らない。たぶん、ゲルマニアの何処かにある宮殿なのだろうと彼女は推測する。ケティが本音と建前とハッタリをごちゃ混ぜにして喋るという、下手すりゃ詐欺師一歩手前な人物であるのはタバサも良く知っているから、プチ・トロワを見に行きたいだけという彼女の発言をはじめから信じていなかった。「乗って。」「おお、それではお邪魔します。」ケティはほくほく顔でシルフィードのよじ登り始める。パンツ丸見えだが、男の視線が無いので気にせず登って来た。「ああそうそうシルフィード、飼い葉桶に隠れていたのを黙っていてくれたから、約束の報酬です。」ケティは袋から何かを取り出し、シルフィードの頭に向かって投げた。「きゅい!」シルフィードはそれをパクッと口に入れる。「おおお美味しいのね、これが高級なお肉…きゅい!?」タバサは杖でシルフィードの頭をポカリと殴った。タバサの杖はでかくて重くて硬いという殆ど鈍器だったりする。人間なら思い切り殴られれば目を剥いて悶絶するし、風竜といえど殴られたら拳骨されたくらいの衝撃を与える代物なのだ。「話しちゃ駄目。」「いあいあ、お構いなく。 私がシルフィードの事を知っているのは、タバサもご存知でしょう?」シルフィードを叱るタバサに、ケティはニコニコ顔でパタパタと手を振る。「でも、まだ地上だから。」「ああ、確かに。 でもまあ、大丈夫ですよ…たぶん。」ケティが物凄く身内に甘い性格だというのを、タバサは既に把握している。敵に対しては情けも容赦も躊躇すらも一切しない性格だと知っているが故に、彼女の甘さがどうにも不思議なタバサであった。なにせ自分は悪名高きガリア北花壇騎士なのだから、それを知った上で何故に優しくしてくれるのかが不思議でならないのだ。「じゃあ、行く。」「はい、宜しく。」「きゅいいいいいぃぃぃぃぃぃぃっ!」タバサとケティを乗せた風韻竜(シルフィード)は一声鳴くと、翼を広げて学院から飛び立った。月夜に一匹の竜が飛んでいく、目指すはヴェルサルテイル宮殿のプチ・トロワ。さて、この先何があるのやら?それはプチ・トロワで待つデコ姫のみが詳しく知っていた。「ふおおおおおぉぉぉぉ、これがヴェルサルテイル宮殿のプチ・トロワですか、大きいですねー。 わわ、あの彫刻素晴らしい。」「ん。」無邪気に珍しがるおのぼりさんの田舎者丸出しなケティを見て、ひょっとして本気でヴェルサルテイル見物に来たのかなーとか思いながらタバサは頷いた。タバサからケティを見ていると、物凄く年上に見えることもあるし、年相応に見えることもある。陰謀家の狡猾で容赦無い面があるかと思えば、優しく素直な面も持っている。敵と味方で対応を完全に切り替える性格なのだろうが、それにしたって極端だなとタバサは思っている。実は彼女自身の従姉のイザベラもある意味裏表の凄くはっきりした人なのだが、タバサはそれに気づいていない。イザベラ自身が親シャルロット派の者達に口外せぬよう働きかけるなどして巧妙に隠しているというのもあるが、彼女自身の復讐心故という所が大きい。「待ってて。」「中に入るわけにはいきませんか…分かりました、シルフィードと一緒に待っていますね。」「きゅい。」手を振るケティに軽く手を振ってから、タバサはプチ・トロワにあるイザベラの執務室目指してつかつかと歩いて行き、その前に立つとドアが勝手に開いた。ドアの形をしたガーゴイル…つまり、魔法の自動ドアである。「よく来たねぇ、人形。」執務机に足を投げ出して座っていたイザベラがそう言うと同時に、周囲からいくつもの卵やソーセージが飛んで来る。「ん。」タバサはそれを両手を使って次々とキャッチし、腰の防水魔法がかかったポシェットに入れた。「…明日の朝ご飯ゲット。」タバサは無表情ながらも仄かにドヤ顔で直立不動の体制に戻る。「甘い。」イザベラが天井から不自然にぶら下がっている紐をくいっと引くと、大量の水がタバサにざばっとかかった。時間差で、金ダライが降ってきてガインッ!と頭に当たるが、タバサ無反応。「あっはっはっはっはっはっはっ! 罠ってのは回避に成功したといい気になった所で、追撃をかけるもんだ。 見なさいあの姿、濡れ鼠で金ダライまで当たって、みっとも無いッたらありゃしない! みんな、あの哀れな人形を笑っておやり、あっはっはっはっはっはっ!」イザベラは完全に引きまくっている周囲の視線をものともせずに、腹を抱えて笑う。「あっはっはっはっはっはっは…ほら、お前達も笑うんだよ、指差してっ!」「あ…あは…は。」イザベラ様そこまで悪役やんなくてもとか周囲の者は思いつつ、ええいままよと仕方なしに引き攣った笑い声を上げた。イザベラに笑われているが、勿論タバサの表情は落ち込んだり辛そうには見えない。何とも思っていない筈は無い、殺されるならせめて恨まれて恨み抜かれて殺されたいものだと思いつつ、イザベラは笑い続け…唐突にキレてみせる。「何か言いなさいよ、悔しいとか、悲しいとか泣き喚いてさ!」「……………。」勿論タバサはそんな事は言わない。悔しさも悲しさも、全ては復讐の糧となる…だから、心を凍らせ心に湧いた滓をその氷の中に閉じ込めていく。来るべき日に爆発させる為に。故に怒りも悲しみも無い、無機質な瞳でタバサはイザベラと視線を合わせた。「フン…本当にガーゴイルみたいな瞳だねえ、何考えているんだか分かりゃしない。 魔法がさっぱり使えないこのあたしに何言われようが気にならないっての?」心底気持ち悪そうな表情を作り、イザベラはタバサから離れる。「そのガラス玉みたいな目をこっちに向けるんじゃないよ、気持ち悪い!」そう言いながら、イザベラは金属製の文鎮を何時も通りタバサに当たらないように投げつけた。それはタバサの髪を掠めて飛んで行き、床に落ちる。「それと、そんな濡れ鼠な汚い格好で王女に謁見し続けるだなんてどんな料簡だい! お前達、とっととその人形の服を剥ぎ取りなさい!」『は、はい!』使用人達は、タバサが着ている服を手早く脱がせていき、タバサはあっという間に下着一丁になってしまった。「服を剥げって言っただろう、下着もだよ!」「は、はい!」イザベラに怒鳴られた使用人がタバサの下着を脱がせ、とうとう全裸にしてしまった。雪のように白い肌に、15歳とは思えないほどのすとーんとした幼児体系である。「相変わらずちっとも欠片もこれっぽっちも成長しないねぇ…ちゃんと食べてんのかい、人形?」最初に投げつけさせた生卵とソーセージで足りるかしら、もっと量を増やすべきかしら、牛乳かけるわけにもいかないしとか思いつつ、イザベラは訊ねる。「………………。」勿論、タバサは何も答えない。「口を開けな、人形。」そう言われて、タバサは黙って口を開けた。「そんな発育不良のチビな人形には、あたしの食べ残しの食いカスをあげるよ、食いな。」イザベラはフォークに刺したケーキをタバサの口の中に放り込んだ。確かに食べ残しの食いカスなのではある…ワンホールのケーキの中のカットされた分の一切れをイザベラが食べた残りを食いカスと言うのであれば、だが。「口の中に入れっぱなしにしとくんじゃないよ、汚いね! 咀嚼して、飲み込むんだ。」イザベラの言葉に、タバサはそれを黙って咀嚼して飲み込んだ。「ふん、いい気味だね。 あんたはあたしの残飯でも漁っているのがお似合いさね。 …残飯はまだ残ってんだ、もう一回口を開けな。」そんなやり取りが何度か繰り返され…。「…けぷ。」「…ふん、素っ裸のまま残飯をこれだけ食うだなんて、なんて意地汚い人形なんだろうねえ。」イザベラが食べた一切れ以外のワンホールほぼ全てがタバサの胃に収まっていた。ちなみにイザベラは内心『はぅん、黙々と咀嚼するタバサ、小動物みたいで可愛い』とか思っていたりする。「服を着なよ、王女の前で裸だなんて不敬極まりない。 服を投げてやりな。」イザベラがそう言うと、すっかり綺麗に洗濯されてきっちりとアイロンまでかけられた服が、タバサの足元に投げてよこされる。ちなみにタバサは服を脱がされる時に全身をくまなく拭いてもらい、髪も乾かしてもらっていたりする。「着な、その貧相な体を見ていると目が腐りそう。」「……………。」タバサは無言のまま、その服を着込んだ。「ふん…北花壇騎士7号(シュヴァリエ・ド・ノール・ヴァルテル・ヌメロ・セット)、これがあんたの任務。」イザベラは机から書類をつまみ上げて、タバサの足元に放った。「受け取ったらとっとと出て行きな。」「………………。」タバサはその書類を受け取ると、そのまま部屋を後にしたのだった。