「ケティ様、クッキーを焼いてまいりましたの。」「あはは…ありがとうございます。」男装の少女…ケティが、少し引き攣った顔で少女からのクッキーを受け取った。「ずるいわクロエ、そうやってケティ様の気を引くつもりなのね。 ケティ様、ケーキを焼きましたの、一緒にいかがかしら?」「何よジェラルディン、貴方もケーキ焼いているじゃない!」クロエとジェラルディンという名の少女達は、互いに睨みあった。「二人とも、これはどういう罰ゲームなのですか?」ケティは溜息を吐きながら、二人を見た。ちなみにクロエことクロエ・ド・エノーと、ジェラルディンことジェラルディン・ド・パヴィエールはケティの同級生だったりする。現在居るのは、ケティ達が何時も授業を受けている教室である。「だって、いつもケティが座っている席を見れば美少年。」「男装のケティだっていうのはわかるけれども、現在爺とコッパゲ以外の殿方が居ないこの学園で、美少年枠は貴重よ。」『ねー。』二人は声を合わせてうなずきあった。「ど、どっかで聞いたような話なのですよ。」ケティは頭を抱えた。ちなみに何でケティが男装なのかというと、朝起きたらいつも着ている制服が無くて、男子用の制服が置いてあったからだ。犯人は十中八九ジゼルだが、見当たらない。「それは良いとして、何でクッキーだのケーキだのを焼いてあるのですか?」ケティが男装で来るという情報は、二人とも知り得なかった筈なので、そこが疑問だった。「殿方は居ない、授業は自習。 暇で死にそうだから、お菓子作りが流行っているのよ、今。 生地を捏ねている間は時間を忘れられるし。」そう言って、捏ねる動作をするクロエ。「せっかくおいしいお菓子が焼けても、肝心要の食べさせる殿方が居ないんだけれどもね。」ジェラルディンは溜息を吐くと、机に突っ伏した。「作っては食べ…なんてやっていたら、流石に太っちゃいそうだしーなんて思っていたら丁度良い所に生贄が来たのよ。」ケティを指差すジェラルディン。「そんなわけで、私たちの行き場の無い彷徨える愛を受け取ってもらえるかしら?」「私だって、ぽっちゃりさんは御免なのです。」クロエの頼みをきっぱり断るケティだったが…。「…いや、その手がありましたね。 良いでしょう、お茶会をしましょうか?」『本当に!?』返事がケティの全周囲からきた。「へ…?」周囲を見ると、お菓子を持ったクラスメイト達が、ケティ達三人を取り囲んでいたのだった。「いやー、私もお菓子作ったのは良いものの、食べ切れなくて困っていたのよ。 これも食べて。」「私も私も!」どんどん積み上がるケーキ、クッキー、マカロン、etc.etc.…。全部合わせたらフードファイターでも無理そうな量なのは間違いない。「デジャヴが…なんでしたっけ…ええと、七つの大罪?」目的を果たすより前に、飽食の罪で死ぬかもしれない現実に、ケティは恐怖した。「ぜ、全部食べるのは無理なので、皆で持ち寄って御菓子パーティーにしませんか?」赤信号、皆で渡れば怖くない。お菓子を食べてぽっちゃりさんへの一歩を踏み出すなら、クラスの皆も逃がさず道連れにしようとケティは決めた。「そ、そうね、それは良い考えだわ。」「せっかくの美味しいお菓子だもの、みんなで食べましょ、みんなで!」お菓子の山に戦慄したクロエとジェラルディンもそれに同意する。「まあ、確かにねえ。」「この量を三人で食べろというのも酷よね。」全員の視線が交錯する…。女子特有の奇妙な牽制と連帯感が働いた結果、お菓子パーティーが決定したのだった。「これは…この学院始まって以来、かつてない規模のお菓子パーティーではないでしょうか?」食堂には、お菓子の甘ったるい香りが充満している。あの後、『お菓子を持ち寄ってパーティーをやる』という話が学院中に広まり、お菓子を作ったのは良いものの持て余していた女子生徒が、これ幸いとどんどん集まり始めたのだ。最終的には、全学年の殆どの女子が食堂に集合するという事態になったのだった。「はい、ケティ様、あーん。」「あーん…むぐむぐ…さすがクロエ、虚無の曜日にトリスタニアでお菓子屋巡りしているだけではないのですね。 はい、次はジェラルディンの番なのですよ、あーん。」ケティはというと、椅子に座ってクロエとジェラルディンに挟まれ、お菓子の食べさせあいをしている。「むぐむぐ…でも、本当にこんな事でケティのお姉さまが現れるのかしら?」「ジゼル姉さまの習性は知り尽くしているのですよ。 5・4・3・2・1…。」ケティがカウントダウンを始めた。「ゼロ。」「きしゃー!きしゃー!」ジゼルが現れた、しかも何か威嚇している。「出ましたね、ジゼル姉さま?」「きしゃー!」ジゼルは、クロエとジェラルディンを威嚇しているようだ。「うふふふ…ジゼル姉さま、あーん。」「あーん…むぐむぐ…ぐふぅ!?」ケティがジゼルに食べさせたケーキには、ハシバミ草のペーストがぎっしり詰め込まれていた。苦く青臭いそのあまりの衝撃に、ジゼルは気を失った。「何という処刑。」「な、情け容赦ないわね。」クロエとジェラルディンが恐れ慄いたようにケティを見た。「さて、目的も果たした事ですし、私は一旦部屋に戻るのです。 …バインド。」ケティが隠し持っていたロープが生き物のように蠢き、ぐったりしているジゼルをぐるぐる巻きに縛り付ける。「レビテーション…それでは御機嫌よう。」『ご…御機嫌よう。』にっこり微笑んで立ち去るケティを、二人は引き攣った顔で見送ったのだった。「あら、ケティ?」ジゼルを自室へ搬送中のケティの前に、キュルケとタバサが現れた。「おや、キュルケとタバサもお菓子パーティーに?」「そのつもりだったけれども…何やっているの? あと、何で男装?」キュルケは訝しげにぷかぷか浮かぶぐるぐる巻きのジゼルを見た。「ジゼル姉さまが、私の制服を男子用の物とすり替えてくれやがったのですよ。 それで、お菓子パーティーでおびき寄せて、捕えたのです。」「成る程、お菓子パーティーは貴方の仕業だったのね。」キュルケは納得いったように頷いた。「いや、最初はお茶会程度で済まそうと思っていたのですが…皆暇らしく、あれよあれよという間にパーティーに。」ケティは首を横に振ってから、溜息を吐いた。「殿方は居ないし、授業は開店休業状態だしでする事無いものね。」「そういう事なのです。」肩をすくめて苦笑するキュルケに、ケティは頷いた。「どうするの?」タバサがぐるぐる巻きに縛られたまま、ふよふよ浮いているジゼルを見ながらケティに尋ねた。「まあ取り敢えず『おはなし』を。」「ん。」ケティの表情を見る限り、なのは的な意味での『おはなし』っぽい。「お手柔らかに。」「素直に話せば、何事も無い筈なのです。」ケティはそう言うと、にっこり微笑んだのだった。「ジゼル姉さま、ジゼル姉さま~?」「う…ううう…口の中苦い…生臭い…。」ケティの部屋で、ジゼルは呻きながら目を覚ました。「はい、口直しにクッキーでもどうぞ。」「うう…はぐはぐ…ああ甘い、香ばしい、癒されるわ。」クッキーを頬張り、ハシバミ草の香りを中和させるジゼルだった。「喉が…喉がカラカラだわ。」「はい、香草茶なのです。」ケティの手渡した温めの香草茶を、ジゼルは一気に飲み干した。「ふぅ…。」「姉さま、まったりモードの所を失礼しますが、制服を返してください。」ケティは笑顔でジゼルに尋ねた。「だ、だって、この前の買いものの時は、結局丸二日倒れたままだったし。 看病中、女の子の格好に戻っていたじゃない?」「だからと言って、妹の部屋にわざわざ忍び込んで『はっはっはっはっはっ、制服を男物とすり替えておいたのさ!』とか、やらなくても良いと思うのですよ?」ジゼルの弁解に、ケティは溜息を吐いて肩をすくめた。「ケティの男装がもっと見たい!」「現在進行形で見ているではありませんか。」ケティのツッ込みは情け容赦無かった。「制服は返して貰います。 それと、姉さまには罰ゲームなのです。」そう言って、ケティはにやりと笑ったのだった。「をを、まさかここまで似合うとは…。」ケティは少しびっくりした表情を浮かべてジゼルを見ている。「美青年だわ、美青年が居るわ。」キュルケは少しぽーっとしている。「予想以上。」タバサはいつも通り無表情だが、予想以上ではあったらしい。「背が高くてすらりとしているだけあって、そういう格好似合うわねえ。」モンモランシーの眼はきらきらしている。「うぅモンモランシー、悲しくなるからあまりそういう事言わないで。」わかりやすく言うと、ジゼルはポニーテールの髪を後ろで束ねる形に変えて、男子の制服を着ている。一見すると中性的な美青年が誕生したわけだが、自分の外見が可愛いというよりはかっこいい系に属する事を良く知っていて、しかもそれがコンプレックスなジゼルにとってはちょっとした悪夢だった。「さて、これで学院中を練り歩きましょう!」「いや、それだけは勘弁して。」ジゼルはケティに頼み込むが…。「却下、なのですよ。」「いやー!」この後、学院では何故か女生徒の男装が流行った。男装したジゼルがあまりにも格好良かったから、というのが原因だとか、そうでないとか。「遅れて申し訳ない、ケティ殿。」「こんばんは、お待ちしておりましたよアニエス殿。」ここは《魅惑の妖精亭》の貴賓室、本来ならば横に座り酌をする筈の娘たちは人払いされて居らず、ケティとアニエスのみである。「さて、まずは料理を用意させたのです。 ここの料理は美味しいので、味わいながらお話しましょう。」「う…うむ、いや、こちらから呼んだのに、これほどの歓待をしていただけるとは…。」アニエスは少し戸惑っている。「日頃、からかわせて戴いているお代だと思っていただければ。」「…これは私がアホな目に遭わされる対価、というわけか。」アニエスは、かなり複雑な表情になった。「ちなみに、これを食べなくても私は容赦しませんよ?」「これ自体、からかわれている気がする…。」その通りである。「それでは、乾杯。」「乾杯。」二人はゆっくりと杯を掲げた。「むぐ…うん、確かに美味いな。」「でしょう?ここの主人であるスカロンの料理の腕は一流なのです。」アニエスが食べ始めたのを確認して、ケティも食事を始めた。「見かけは正真正銘の変態ですが。」「そ、そうなのか。 ま、まあ、料理人の見かけは料理には関係ないしな。」食べながらからかわれているアニエス…ちょっぴり可哀想でもある。「それで、私に尋ねたい事とは…ダングルテール?」「お見通し過ぎて少し怖いな、貴方は。 剣と銃以外では、太刀打ち出来そうに無い。」アニエスは、そう言ってフッと笑った。「ダングルテールの虐殺に関わった連中の情報が欲しい。」「それならば、お手頃なのが一人居りますよ。」ワインを一口含んでから、ケティは言った。「例の情報に居たうちの一人。 白炎のメンヌヴィルは実験小隊に所属し、ダングルテールにおいて、かなり積極的かつ面白半分に虐殺行為を行いました。 これが、彼の当時の行動の問題点を上層部に伝えた隊長の報告書なのです。 とは言え…こんな物を読まなくとも、彼の性癖は貴方も聞き知っているでしょう?」「白炎のメンヌヴィル、あいつが…。」アニエスはぎりっと歯ぎしりをした。彼女も幾多の戦場を駆け抜けた元傭兵、勿論白炎のメンヌヴィルの事は当然聞き知っていた。「とは言え彼への対処は、当初の打ち合わせ通り我々メイジが行います。」「な…何故だ!?」アニエスは、激昂して立ち上がった。「彼は死にそうになったからといって、後悔する性質じゃありません。 己の死すらも楽しむ、正真正銘の変態です。 敵を討っても、何の達成感も無いでしょう。」そう言いながら、ケティはワインを口に含む。「そもそも、リッシュモンを討った時点で貴方の復讐の半分は終わっています。 貴方もご存じのとおり、軍人は任務に服するものであって、彼らに責任を取らせることは妥当ではありません。 しかもあの任務は、彼ら実験小隊に伝えられた時点で故意に歪められていたのですから尚更。」「歪められていただと!?」自分の知り得ない情報がポンポン出てくるのに驚愕して、アニエスは思わずケティに詰め寄る。「それはどういう事だ!」「アニエス殿、落ち付いてください。」今にも斬りかかって来そうな剣幕のアニエスを、やんわりと宥めるケティ。「ダングルテールの虐殺命令はリッシュモンの手によって、当時軍とは違う指揮系統を持っていたアカデミー実験小隊へと伝えられたものなのです。 その命令内容とは、《致死率の極めて高い疫病が発生したダングルテールを炎によって焼き払う事》なのですよ。 その為特別に、小隊は火メイジばかりの編成でダングルテールに向かったのです。」「な…ダングルテールに疫病など発生していないぞ!」激昂するアニエスを静かに見つめ続けるケティ。「ええ、ですから故意に内容が歪められた任務と言いました。 リッシュモンはアカデミー実験小隊に偽りの目的を与え、虐殺させたのですよ。 その後の展開は、おそらく貴方も知る通り…。」「では、私の憤りは、私の嘆きは、私の誓いは…いったい、いったい何処にぶつけろというのだ!」自分の家族を殺戮した者達が騙されてやっていたという事実は、アニエスを打ちのめした。「ですから、リッシュモンを討った時点で半分と言ったでしょう? 貴方のもう半分の敵はロマリアに居ます…が、こちらはまだ調べていません。」やるとすれば、武器の横流しルートの伝を辿って生臭坊主に袖の下を渡しながらコツコツと…と言う事になる。電子媒体も無い時代、20年前もの記録ともなると、なかなか見つけ出せるものではない。まして相手はロマリア、一筋縄でいきそうに無いとケティは考えていた。「調べて欲しい、金ならいくらでも払う。」アニエスの眼は復讐者の目、そのものだった。「わかりました…ですが、数年は覚悟していただきたいのです。」「ああ、20年待ったんだ。 あと数年くらい待つさ。」そう言って、アニエスは頷いた。「あと、事は信仰に関わる話なので、これも覚悟していただきたいのです。 貴方にとっての悪魔が、万人にとっての悪魔とは限らない…善意と信念の塊である可能性もあるのですよ。」地獄への道は、善意で敷き詰められているものだ。本当に怖いのは悪意と悪人ではなく、善意と善人であると昔から決まっている。虐殺をリッシュモンに依頼したのは信仰心篤く熱心な善意に満ちた高位の司祭で、おそらくはロマリアの民からも日頃慕われている者なのではないかとケティは考えている。「そして、貴方にとっての悪魔を討った時、その悪魔の関係者にとっての悪魔に、貴方自身がなってしまうという事も肝に銘じてください。」「ああ…その覚悟なら、出来ているさ…。」アニエスは呟く様に言うと、拳をぎゅっと握り締めた。「世の中、ままならないものなのですね…。」ケティは誰に言うとでもなく、そう呟いたのだった。