カーンカーンカーンと、甲高い鐘の音が鳴り響く。「んぁ?」才人がパンを咥えたまま顔を上げた「あら?」スープを飲んでいたルイズが、匙を止める。「こんな朝早くから?」自分の分のパンを炙っていたシエスタが、眉をひそめた。「やれやれ、予定は未定ってか? …腹減りそうだなおい。」才人は溜息を吐いて椅子から立ち上がった。鐘の音はヴュセンタールからの敵襲の知らせ。同時に作戦予定繰り上げの合図でもあった。「朝食時に来るだなんて、さすが叛乱するだけの事はあるわ。 貴族なのに、食事中に場を騒がしてはならないっていう、ごく基本的な礼儀も知らないのね。 王家を滅ぼした件と言い…聖地奪還の前に、貴族としての礼儀の勉強をした方が良いんじゃないかしら?」口をナフキンで拭き取りつつ、ルイズが静かに立ち上がる。「行ってらっしゃいサイトさん、行ってらっしゃいませミス・ヴァリエール。」「おう、行って来る。」「後はお願いね。」部屋から出る二人に手を振りつつ、シエスタは手早く食卓を片づけ始めた。「実はあたしね、朝ご飯をきちんと食べないと、その日一日とっても期限が悪くなるの。」しかめっ面のルイズが、蒼莱に向かって歩きながら才人に話しかける。「へいへい知ってるよ、体に叩き込まれたからな…。 ルイズに朝ご飯を食べさせないとか、知らないとはいえレコン・キスタの連中も随分と命知らずな真似をするぜ。」俺にとっても迷惑千万極まりないんだが…とか思いつつ、コックピットに乗り込む才人。「ダーダルネスまで飛んで、幻影を作って帰って来る…だったか?」「うん、ケティ曰く『戦う時にはこっちは楽で、相手だけ消耗するような方法を考えられれば最高なのです』ってね。 幻の艦隊で右往左往するアルビオン軍…うふふ、策謀を巡らせるのは姫様やケティばっかりじゃないのよ。 あんたには、あたしの間近で策士ルイズ様の真髄を見せたげる。」うわぁ、なんだか知らんがそこはかとない駄目臭がするのは何でだろう…とか、才人は失礼な事を考えつつ、ルイズの脇の下に手を入れヒョイと持ち上げて後部座席に乗せる。何だかんだでこっそりやっているトレーニングと日々の雑用が、才人を鍛えていた。「あんた、ひょっとして『何言ってんだ脳筋思考の癖に』とか、酷い事考えていないかしら?」ルイズは微妙な感じになった才人の表情から読み取ったのか、訝しげな視線を才人に向ける。「そこまで思わねーよ。 何時も策謀とは縁の無い直線思考なルイズに、策謀なんて慣れない事出来んのかなぁと…ぐふぅ。」「こう見えても頭脳労働は得意なのよ、あたしは。 魔法はスカだったけれども、座学だけはトップだったんだから。」頭の良い悪いじゃなくて、性格の問題なんだがとか思いつつ、才人は一瞬気を失った。「っと、気絶している場合じゃ無かった。 ルイズ、プロペラ回してくれ…爆発したら作戦そこでパアだから、勘弁な?」「コモン・マジックは完璧! この前実際に回して見せたでしょ!?」系統魔法は相変わらずだが、コモン・マジックは9割方成功するようになったルイズだった。「レビテーション!」ルイズはレビテーションでプロペラを回転させる。「おおっ、ルイズの魔法が成功して…いて!?」ルイズの魔法が成功したのに毎度毎度感動する才人の座る操縦席の背中を、ルイズは軽く蹴り飛ばした。「いいから、さっさとエンジン始動させなさいよ、爆発させるわよ!」「そいつは勘弁…ポチッとなっと。」始動ボタンを押すと、快調にエンジンは始動し、特徴的な二重反転プロペラが物凄い勢いで回り始める。「んじゃ、いくぜ!」軽いアイドリングの後、才人はスロットルレバーを全開にした。蒼莱のエンジンが凄まじい爆音を発し、滑走路を進む機体が見る見るうちに加速していく。「毎度毎度の事ながら、この体を後ろに押し付けられる感じが何とも言えないわ。」「この感じが良いのになぁ…。」加速感に少し不快感を覚えるルイズとは対照的に、加速感を愉しんでいる才人だった。「う…ふわっと来た、ふわっと。」「んじゃいくぜ…って、なんじゃありゃ?。」離陸して周囲を見回すと、遠くから火に包まれた船が艦隊に向かって特攻してきているのが見えた。「取り敢えず、あれ潰して! それから作戦開始よ!」「合点承知!」蒼莱は火船を撃墜する為に上昇し始めた。「…行っちゃいましたね。 それじゃ、こちらも隠れないと。」一方筏では才人たちを見送ったシエスタが、とある装置を操作していた。「なるほどなるほど、ここに水石と風石を入れて…と。 絵で操作方法を示してくれたのが、わかりやすくて良いです。」その装置には『戦場の霧君一号』と書いてあった。ネーミングセンスで何となくわかると思うが、ケティ発案でコルベールが作った装置である。「それで、このレバーを引く…と。 これで良いのかしら?」シエスタがレバーを引いた直後、筏のあちこちから霧が噴出し始める。霧はあっという間に筏を包み込み、ヴュセンタールをも巻き込んで大きな雲となった。木を隠すなら森の中、空飛ぶ船を隠すなら雲の中というわけだ。「うわ、凄いです。 これなら確かに隠れられるかも。」ミルクみたいに濃い霧に包まれた外の風景を見て、シエスタが感嘆の声を上げる。「サイトさん、頑張って…私、祈っています。」ルイズは居ないことにされたのだった。「くっちゅん!」「お?風邪か?」後部座席でくしゃみしたルイズに才人が声をかける。「うー、何だか誰かに思い切り無視された気がするわ…。」「何だそりゃ?」ルイズの言葉に、首を傾げる才人。「きっとあのバカメイドね、サイトだけ心配して、私の事なんかすっかり頭の中から零れ落ちているのよ。」「そんな莫迦な、シエスタは良い子だぞ。」だがしかし、ルイズの予感がぴったり当たっていたりするのがこの世知辛い世間の常というものである。「はいはい冗談はいいから、あの火船落とすわよ。」ルイズは上部構造物が壊滅して停船中の味方艦に向かってまっすぐ進む火船を指差す。「へーい。」才人の気の抜けた返事と共に、火船の上まで移動していた蒼莱が鋭く旋回して急降下を始めた。エンジンと二重反転プロペラのパワーに重力も加わり、加速度計がぐんぐん上昇していく。「そんなわけで、吹っ飛べ!」『ドン!ドン!』と蒼莱の機関砲が火を吹き、57㎜機関砲弾が火船を撃ち抜いた。「本当に吹き飛んだわよ!?」火船の中に満載されていた黒色火薬に引火し大爆発したのを見て、ルイズが目を剥く。「近づき過ぎるとマジで危ねえな、こりゃ。」才人もそれを確認して、たらりと汗を一筋垂らした。「あばばばばばばば…。」停船中だった味方艦…レドウタブールの甲板上ではマリコルヌが、矢みたいな勢いで突っ込んできた蒼莱が火船を大砲で吹き飛ばした衝撃波でひっくり返っていた。「た…助かった…けど、なんで?」ひっくり返ったまま、一瞬安堵の表情を浮かべたが、横を見て震え上がる。「テーブルが、何でこんなに深く船に突き刺さるんだよ!?」黒光りする重そうで立派なテーブルが、マリコルヌのすぐ横に突き刺さっていた。「後1メイルほどずれていたら…。」テーブルに潰されて、たぶん自分は挽肉にされていただろうという事に思い足り、マリコルヌはそこから逃げ出すことにした。そして空を見ると…ルイズの使い魔が乗っていた鉄の風竜が、火船を次々と屠っているのが見えたのだった。「あいつに助けられたのか…今度ルイズ共々お礼言わなきゃな。」親には『恩を受けたら必ずお礼を言う事』と、日頃教え込まれていたマリコルヌは、素直にそう思った。「じゃあ、次はあの船!」「合点承知!」ルイズが次に指差した船に向かい、才人の操縦する蒼莱は戦場を飛び回る矢のようになって飛んでいくのだった。「虚無殿、火船を全て駆逐しました。」「数分とかからずに全滅させたというのか!? 凄まじいな、あのソウライとかいう鉄の風竜は。」通信参謀からの報告を聞き、目を剥くド・ポワチエ。「は、続いて現れたアルビオンの風竜隊と交戦状態に入った模様ですが…既に数十騎を一方的に撃墜している模様です。」「ははは、流石は虚無殿とその使い魔。 まるで物語に出てくる英雄の如き戦いぶりだな。 楽に戦えるのは良い、非常に良い…が、楽過ぎて少々不安になる。」そう言いながら、ド・ポワチエは航空参謀に向き直った。「こちらの風竜隊はどうしたか?」「は、後数分で会敵する模様…ですが、虚無殿が既に敵風竜隊を壊乱状態に陥れている模様でして、さほど苦労することもないかと。」航空参謀は、少々戸惑った表情で報告した。「虚無殿様々ではないか、これでは全く頭が上がらぬわ。 私より権限が上だけのことはあったか、まさかたった二人の大艦隊だったとはな。」先ほどの艦隊の奇襲と火船で隊列はかなり乱れており、ここで敵風竜隊の攻撃を受けていれば流石にただでは済まなかったのだが、それを蒼莱が壊乱状態に陥れていたため、被害は数隻に留まっている。「これ以上、虚無殿に遅れをとるなよ。 貴官らもそうだろうが、私は上司に怒られるのが大の苦手なのだ。 そうしない為には、少々積極的になるしかあるまい? せっかく虚無殿が作戦を遅らせてでも時間を稼いでくれたのだ、敵艦隊の残党を掃討せよ。 面倒事はさっさと片付けるのも、消極的にやる秘訣だぞ?」そう言って、ド・ポワチエはにやりと笑った。「結構撃ち殺しちまったなぁ…。」ガンダールヴのルーンの影響なのか、人が柘榴みたいに弾けるのを見ても芋の皮を剥いているような感覚しかないのだが、人を殺しているという実感はあるので、才人の心は憂鬱に包まれている。「相手も殺す気で来てんだ、仕方があるめぇよ、相棒。」それを慰めるデルフリンガー。12.7㎜機銃ともなると、掠っただけで体がごっそり抉り取られるので、手加減しようにも如何ともし難いのだ。「う…人の胴体が…頭が…。」ガンダールヴ補正で大丈夫な才人とか、そもそも武器のデルフリンガーとかとは違い、ルイズの顔は真っ青である。「…敵とは言え、何度見ても慣れないわね、これは。」前回も後部座席で散々人と風竜が砕け散る様を見せられたルイズだが、今回も特等席で延々とスプラッタを見続ける破目になってしまった。それでも才人を見ると心が落ち着いて勇気が湧いてくるので、何とかなっているのだが。「お、味方の部隊がやっと来たか。」味方の風竜隊が来たのを確認して、才人が安心したように息を吐く。一騎の竜騎士が蒼莱に近づいてきて、手鏡で発光信号を送ってくる。「『コ・コ・ハ・マ・カ・セ・テ・サ・ク・セ・ン・ク・ウ・イ・キ・ニ』…ここはあっちに任せて、ダータルネスに行けですって。 あら、そういえばあいつ、ヴュセンタールにいたルネ・フォンクじゃない?」「へ?お、確かにルネだな。」ルネ・フォンクは蒼莱を見に一度筏の方にやってきた竜騎士たちの一人だった。「俺も頑張るから頑張れって、返信してくれないか?」「うん、わかったわ。」ルイズは手鏡を出すと、『コレヨリサクセンクウイキニムカウ、キコウノブウンヲイノル』と、ルネに送った。ルネは兜の下から見える口をニヤリと笑みの形に変え、蒼莱から離れていった。「しかし、単機突入して、敵のど真ん中で幻影見せて帰ってくるなんて言うのが策なのか?」「うっさいわね、この蒼莱に追いつける風竜なんて居ないんだから、それが一番手っ取り早いでしょ?」生物としては反則に近い時速500㎞以上を出せる風竜だが、蒼莱は最大速度時速760㎞なので、速度ではまるきり相手にならないのだ。「そりゃまあ、そうだな。」「マジックアローですら追いつけない上に、風竜じゃあ到達不可能な高高度を飛ぶのよ。 無敵にも程があるわよ、このソウライ。」元々が高高度戦略爆撃機迎撃用の機体なので、仕方が無い。「まあ、幻影の魔法使う時には、そこそこの高度まで落として速度も落とさなきゃいかんがな。」「じゃないと凍え死にそうになるしね…。」一回試しに高高度で少しだけ窓を開けて、危うく死にそうな目にあった経験がある二人だった。偵察カラスのフレディ君の朝は早い。彼の任務は、ダータルネスに近づく敵を発見する事。今日も朝早くからダータルネス周辺を偵察飛行中で、帰ったら美味しいミミズを沢山貰う事になっている。敵を見つけて報告すれば、ダータルネスに駐留する風竜隊が駆けつけて敵を迎撃するそんな手筈にもなっている。本来長時間の飛行には向かないカラスだが、使い魔になった事による身体強化によって、長時間の飛行を可能にしていた。そんなフレディ君の遥か頭上を、一筋の飛行機雲が通り過ぎていく。んがしかし、フレディ君も彼のご主人も、飛行機雲なんてものは知らない。『変な雲だなぁ』とは思うが、そもそもあんな高いところを飛べる生き物は竜を含めてもいないのだ。虫の羽音みたいな音はするが、何で空にそんな変な音が鳴り響いているのかもさっぱりわからず、ポカーンと見ているのみだった。彼らにとって、蒼莱はUFO(未確認飛行物体)だったのだ。そんなわけで、偵察網は蒼莱によって豪快にスルーされたのだった。「敵が…皆無だな。」才人としては雲霞の如く押し寄せる敵をスピードで振り切りつつ…とかいう展開を予想していたのだが、それは完全に裏切られた。「言ったでしょ、高いところを飛べば、敵は何が何だかさっぱりだろうって。」才人がケティを乗せて、遊覧飛行中に高高度を飛ぶ蒼莱を見ていた事をルイズは思い出してヒントにしたのだった。「そろそろダータルネスの真上ね、高度下げて。」「了解、高度下げる。」才人が操縦桿を下げると高度が徐々に下がっていき、ダータルネスの風景が良く見えるようになって来た。「よし、じゃあ窓開けるぞ。 あまり時間がないから手早くな?」こんなところでふらふら飛んでいたら、あっという間に気づかれるのは間違いない。「任せなさい、あたしに抜かりはないわ。 じゃあ行くわよ…。」ルイズはそう言って、始祖の祈祷書を開くと詠唱を始める。「イリュージョン!」才人はこっちの世界に引っ張られてくる前にニュースで問題になった、エロゲメーカーを思い出した。「出血大サービスよ、じゃんじゃんばりばり大放出なんだから!」空に凄まじい数の軍艦が浮かび上がる。明らかに、出航前に見たアルビオン遠征艦隊の数よりも多い。多いというか、数十倍の規模だ。「えーと、出しすぎじゃね?」「大は小を兼ねるって言うでしょ? 多ければ多いに越した事はないわよ。」やっぱり直線思考じゃねーかとか、才人は思った。「何か、失礼な事を考えていないかしら?」「いや、今回に限ってはありじゃねーか?」多分、敵がアレを見たら腰抜かすなとか思いつつ、才人はその光景を見ていた。「た、たたたたたたた大変です!」ロサイスに向かっていたアルビオン軍のホーキンス将軍の下に、伝令が慌てて駆け込んできた。「ダータルネスに空前絶後の大艦隊が出現しました!」「何だと!?」ホーキンスは慌てて聞き返す。「ダータルネスの空を敵艦隊が埋め尽くしています。 その割合、空1に敵9、空1に敵9です!」その報告を聞いた側近たちの顔も、思わず引き攣る。「そんな大艦隊だとは聞いていないぞ!?」「ですが、事実です! ダータルネス守備軍はその光景だけで壊乱状態になり、兵士も竜騎士たちも任務を放り出して我先にと逃げています!」アルビオン竜騎士の質は、内戦の影響もあってかなり落ち込んでいる。そこに到底対抗出来ない数の艦隊が突如出現したりしたら、逃げ出すのは仕方が無い、仕方が無いが…。「何たることだ、アルビオンはここまで堕ちたか。」アルビオンの空の防人達は、もう何処にも居ないのだとホーキンスは理解した。「どうなさいますか、将軍?」「どうするもこうするも無かろう、やらねば我が祖国は蹂躙される。」ホーキンスは悲壮な覚悟を胸に、針路変更を決断した。「ダータルネスに急ぐぞ。」「は、了解いたしました。」こうして、ダータルネス守備軍は勝手に壊滅し、アルビオン軍も全軍ダータルネスに誘引される事になってしまったのだった。この間にゲルマニア軍がロサイスに上陸、守備軍をあっという間に駆逐し、港を占領した。こうして、連合軍はあっさりと橋頭堡を確保する事に成功したのだった。「フ…この策士ルイズ様にかかれば、ざっとこんなもんよ。」殆ど無傷で占領されたロサイスを眼下に眺めながら、ルイズが何処で用意したのか扇子を片手に持ちながら薄い胸を張る。「あーすげーすげー。」何か、この蒼莱のせいで色々と感動の場面を見逃したような気がするとか思いつつ、才人は適当に相槌を打った。「まあ、取り敢えず筏に戻りましょ。 燃料も少なくなってきた事だし、シエスタがご飯用意していると思うし。」「…朝飯食ってないのにもう昼過ぎとか、ひでえ労働条件だったな。」才人とルイズのお腹がグーと鳴る。「あんなスプラッタ見たのに、よく腹が減るな?」「あんたもでしょ? アレは思い出さないようにして、ご飯食べましょう。」ちょっぴり思い出したのか、ルイズは少し顔を青ざめさせながら、それでもお腹を押さえていた。「そんなんでも食いたいのか…?」「虚無使うと、半端じゃないくらいお腹が減るのよ…ああ、お腹減ったとかいっていたら、力が抜けてきたわ。」ルイズはへにゃっと垂れていた。「ご飯…ご飯…がぶ。」「ぎゃー、頭に噛み付くな! 俺は愛と勇気だけが友達なわけじゃねえ!」空腹が限界に来たのか、才人に噛み付き始めたルイズを押さえつつ、才人は筏に向かって飛んでいくのだった。