「う…うん?」才人は目を覚まし、周囲を見渡した。「…何処だよ此処?」見た事が無い部屋だったが、暖炉の火は赤々と燃えており、部屋は暖かい。確か自分は泉のほとりで気を失ったのだったよなと、才人はのんびり思い出しつつあった。「アルビオンだよ、お前さんが戦ってた丘の近くだ相棒。」「凄いわよね、あのカムランで四万相手に生き残っただなんて。」その声に振り向くと、そこにはデルフリンガーとゆったりしたデザインの服を着た少女が居た。「目を覚ましたのね、サイトーさん…で、良いかしら?」「ええと…トの後は伸ばさないで、名前の意味がガラッと変わるから。 あと、呼び捨てで良い。」才人にはどう聞いてもそれが『斎藤さん』と聞こえた。誰だ斎藤さん、謎の斎藤さん、取り敢えず才人自身ではない。紛らわしいから、才人的にはその伸ばし方はNGだった。「んで、君は誰?」「はぅ、あぅ、すいませんごめんなさい。 そうよね、私はデルフさんに貴方の事を聞かされていましたけど、サイトは知らないよね。 私ティファニアっていうの、よろしく。」そう言って、ティファニアは才人に微笑みかけた。サラサラの金髪で、ルイズに匹敵する美少女…才人的にはルイズを筆頭とする学園の美少女たち、ジェシカ達妖精亭の面々と来て、この目の前の美少女…。。「…俺には、事ある毎に美少女と出会う運命でもあんのか? いやまあ別に損するわけじゃなし、むしろ素敵なんだが…。」素敵だが、少年時代に一生分の女運を使い切っているような気がする才人だった。「ふぇ? ど、どうしたの?」ブツブツ呟く才人に、ティファニアは首を傾げた。「ああいや、君みたいな可愛い娘に目覚めに会えてラッキーって話。」才人は妙な感想を打ち消すように首を横に振りつつ、取り敢えず思った事を言ってみたのだった。「え!?ふぇ!?か、可愛いだなんて、そんな!?」顔を赤くして恐縮するティファニア。「カカカ、ロマリア人みたいだな、相棒。 な?言っただろ?俺の相棒はエルフくらいじゃ驚かないって。」その様子を見て、デルフリンガーは鍔を震わせて大爆笑している。デルフリンガーの『エルフ』という単語を聞いて、才人はティファニアと名乗った少女の容姿をもう一度見てみる。「おー、そういや耳が長いな…。」「ひぅ!?」才人に指摘されて、ティファニアは慌てて耳を隠した。「あああの、怖く、怖くない?暴れない?」「へ?何で耳が長いくらいで怖がらにゃあいかんの?」エルフと聞くと、昔読んだ本の貧乏なハーフエルフしか思いかばない才人。ぶっちゃけ欠片も怖くないというか、むしろケティが居たらレアの焼き鳥を注文したい気分だったりする。ケティならノリノリで『ティンダー』とか言って、焼き鳥を作ってくれる筈だという確信があったりする才人だった。「ふぇ!?な、何で!?」「何でもなにもだな…むしろつまませてくれ、その耳を。」良く見れば、感情に反応してピコピコ動くのが面白いティファニアの耳を、触ってみたくなった才人だった。「えぇ!?つ、つまんじゃ駄目!」「それは残念。」残念と言いつつも、耳つまませろとかどう考えても失礼なので、特に残念じゃない才人だったりする。「ほ…本当に、怖くないの?」「いや、そんなに怖がって欲しいなら、期待に応えるのもやぶさかじゃねえけど?」怖がらないとティファニア的に何か困る事でもあるのだろうかと、才人は首をかしげる。その割には怖がられるのを嫌がっている雰囲気もあるので、自分が鈍い人間だという自覚もある才人にはさっぱりだった。「え、えと、そういうわけじゃなくて…はぅ。」ティファニアとしても、村の人間以外では今まで自分の耳を見ると命乞いを始めたり泣きだしたり殴りかかって来る者しか見た事が無かったので混乱していた。「ほほ、本当に…怖く無いの?」丸腰で出て行った母にさえ執拗な攻撃を加えて殺害する程、人間の世界ではエルフは恐怖の存在なのだ。なのに、目の前の少年は怯える素振りさえ見せなかったのだった。「怖くねえって。 言ったろ?君みたいな可愛い娘に出会えてラッキーだって。」びくびくおどおどした小動物みたいな態度の少女を安心させる為に、才人は微笑んで見せた。「はぅ、可愛いだなんて、そんな…。」頬をぽっと赤く染めて恥じらうティファニア。ちなみに才人はちょっと寝ぼけているので、自分の台詞がまるで口説いているのと一緒だという事に気づいていない。ルイズもケティも居ないとこでニコポとか何やってんだ、この野郎爆発しろ。「…ところで、俺ってばなんで此処に居るの?」「ええとね、サイトはこの西の森にある泉のほとりで倒れていたのよ。」そのティファニアの事場に才人は首を傾げる。「スゲエな俺、さすが俺、水源の近くまで逃げ遂せるとは。 全然記憶に無いけど。」「いや、相棒じゃないから、そこまで連れて行ったの俺だから。」才人の言葉にデルフリンガーがすかさずツッコんだ。「へ?お前がどうやって?」「ほら、戦う前に話しただろ、ついこないだ思い出した俺の機能。 魔法吸い込んだ分だけ、俺を握った者を意識無い時限定で操れるって。」そういえば、そんな妖刀丸出しなデルフの特技を聞いたような気がすると才人は思い出していた。「成る程、じゃあ俺って何処で意識を失ったんだ?」「戦場のど真ん中。 まともに動ける奴は残っていなかったとは言え、よくもまああんな死人と半死人があちこちに転がっている場所で寝る気になったもんだ、おでれーたぜ。」「そんな気色悪い場所で寝る趣味はねえよ。」デルフリンガーの軽口に、才人も軽口で返して苦笑いを浮かべた。「センキューな、デルフ。 ところで、体と頭が滅茶苦茶重いんだが、俺はどのくらい眠ってたんだ?」「2週間ってとこだな。」才人の問いに、デルフからとんでもない答えが返ってきた。「2週間飲まず喰わずって、よくもまあ干物にならなかったもんだ…すげえな俺。」「いや、それも相棒じゃないから。 そこのエルフの娘っ子に頼んで定期的に俺を相棒に握らせてだな、相棒の体を俺が動かして飯喰ったり水飲んだり便所行ったりしてたんだよ。」点滴なんて便利な物は無いこの世界、2週間も何もせずに眠っていたらその間に死ぬ。デルフリンガーは体はティファニアの指輪で殆ど治った才人の体を操り、相棒の体を死なないように維持していてくれたのだった。「お前は俺の命の恩人って事か…。」「いいって事よ! 普段出番が無いからな、時々このくらいやらないと完全に忘れ去られちまう。」才人は何かメタりつつも悲しい事言っているデルフリンガーに感謝した。「それに命の恩人てぇなら、そこのエルフの娘っ子が一番の大手柄なんだぜ? 何せ、死にたての新鮮な死体だった相棒を生き返らせたんだからな。」「…とうとう死んだのかよ、俺。 それはそうと、有り難うなティひゃ…あぐ!?」お礼を言おうとして、才人は思い切り舌を噛んだ。「あががががが…。」そしてそのままうずくまる。「テファって呼んでくれて良いわ。 私の名前ってちょっと言い難いから、他の子たちもそうしてるのよ。」「う、うん…有り難うな、テファ。 …うーん、どうにもしまらねえ。」才人は照れたように頭を掻く。「あ、そうそう、水を持って来たんだけど、飲む?」「あー、そういや喉がカラカラだ。」デルフリンガーが摂取していたのは、体を維持する上で必要最低限の量だけだったらしく、才人の喉は乾いていた。「はい、どうぞ。」「お、センキュー。」才人はティファニアが差し出したコップを受け取ろうとしたのだが…。「おろ?」「きゃ、危ない!?」二週間も眠っていたせいで体の制御がいまいちなのか、才人の手からコップが滑り落ち、それに反応してティファニアがそのコップを受け取ろうとし…。「ひぅ!?」「ふが…。」ティファニアは胸元に思いきり水を浴びた挙句、才人を下敷きにしてしまったのだった。ゆったりしていた服は濡れて肌に張り付き、そこに体温が移り、生々しい感触と温度で才人の顔を塞いだ。「ふが!?」その質量と触感と温かさに才人は驚愕する。でかい、兎に角でかい。これに匹敵するとなるとキュルケだろうが、間違い無くキュルケよりもでかいという確信が才人にはあった。「ああっ、コップが落ちちゃった。」壁とベッドの間に落ちてしまったコップを拾う為に手を伸ばすティファニアの胸が才人の顔面に押し付けられる形になった。もの凄くでかいものが、むにゅむにゅと形を変えながら才人の顔にぐいぐいと押し付けられる。「ふが、ふが。」「あっ…サイト動かな…んっ。」人類の到達し得ぬ至高の楽園がそこにはあった。才人はそれに酔いしれる…が、息が全然出来ないという事実に気付く。「ふが!ふんが!?」「あんっ…も、もうちょっと…。」苦しいが、離れられない。離れられないが、苦しい。それは極楽な地獄だった。「ふが!ふが!ふが!」「んぁっ…さ、サイトもうちょっとっ…だから、あまり動かな…あんっ!?」酸素的に限界なので、才人はティファニアを押し退けようとしているのだが、有らん限りの力を振り絞っているにも拘らず、何故か全然押し退ける事が出来ない。極楽な柔らかさに翻弄されながら、才人は気を失った。「ふ…が…。」「や、やっと取れた…あら?サイト?」ティファニアは才人を呼ぶが…へんじがない、ただのしかばねのようだ。「きゃあ!ご、ごめんなさーい!?」「カカカカカカ!すげえなエルフの娘っ子! お前さんの胸は、アルビオン軍4万を蹴散らした男に何もさせずに倒しちまったぞ!」慌てて気絶した才人を揺すり始めるティファニアを見て、デルフリンガーは爆笑していた。「あー…サイトもテファお姉ちゃんの犠牲になったのね。」12~3歳くらいの金髪の少女が、皿にスープを注いで才人の前に置きながらそう言う。「も?」ひょっとして君もそうなのかという意思を込めて、才人は少女の目を見た。「うん、ニノンもテファお姉ちゃんにやられた事あるもの。」「ひぅ。」ニノンという名前らしい少女の言葉に、部屋の隅で体育座りをして小さくなったティファニアが、か細い声で鳴く。「ニノンの場合はテファお姉ちゃんに抱きしめられて、そのまま気絶したのよ。 危うくパパとママンの所に逝っちゃうところだったわ。」「ひぅ。」少女の言葉を聞いて、一段と小さくなるティファニアだった。「そんな申し訳なさそうにしないでよ、テファお姉ちゃん。 アレはこの村に入る時の儀式みたいなものでしょ?」「ひぅ、違うもん、儀式じゃないもん。」儀式って、テファの巨乳に、あの革命的な巨乳に窒息死させられそうになるのがこの村の掟なのかよとか思いつつ、才人はスープを飲み始めた。「眼鏡のお姐さんに連れられてこの村に来た子供はね、まずテファお姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられるの。 そしてテファお姉ちゃんの胸で気絶するか気絶しそうになるのが恒例なのよ、にひひひ。」ニノンはそう言いながら、いじけるティファニアを見て笑った。「子供というにはちょっと大き過ぎるような気もするけれども、儀式もきちんと受けたわけだしね。 ようこそウエストウッド村へ、テファお姉ちゃんの犠牲者という同士として、私達は貴方を歓迎するわ。」 「ひぅ、犠牲者とか言わないで! ニノンったら、いつもいつも私を困らせて面白がるんだから!」ティファニアはそう言うと、頬を可愛らしくぷぅっと膨らませた。「あっはっはっはっは! じゃあニノンはお風呂の準備してくるね。 二週間殆ど寝たきりだった才人はちょっと臭うから、特別にハーブ入りのお風呂にしてあげる!」「俺…臭いのか。」デルフリンガーは生命維持の手伝いはしてくれたが、風呂には入ってくれなかった。そして少年の新陳代謝は活発である…しょうがない事だが、ちょっぴり傷ついた才人だった。「ごめんねサイト、ニノンってよく気がつく娘なんだけど、ちょっぴり言葉に配慮が足らないの。」「いやまあ、風呂に入っていないんだから臭いのは仕方ねえよ。 …ところで、窓の外を見ても大人が一人も居ないんだが、何処行ったんだ?」才人はティファニアと二人きりになったので、先ほどまで気になっていたが聞きづらかった事を聞いてみた。「このウエストウッド村はね、元々廃村だったのよ。 そこにニノンみたいな戦災孤児や、私みたいなちょっと訳有りの孤児が連れて来られて、孤児院みたいな子供だけの村になったの。」「そうだったのか…。」今まで内戦続きだったのだから、当然の事ながら大量の戦災孤児が発生する。此処に子供がたくさん居るのは当然なんだなと才人は思った。そしてその戦乱に自分が加担している事を思うと、胸がズキリと痛む。自分が無造作に切り捨てた兵士や士官にも家族が居た事を思うと、そして彼らの残された家族が今後辿る運命の事を思うと気が狂いそうになる。自分が生き残る為に、他人の人生を破壊した事が果たして正しいのか、それに才人は確信を持てない。ルイズに相談すればわかってくれるような気がするが、答えが《ズギャーン》とか《シュビビーン》とかになるような気がする。しかもボディランゲージがヒートアップして、肉体言語に変わる可能性がある。ケティは味方と敵をきっちりと選り分けて、味方には基本的に甘く敵は徹底的に排除するというタイプの思考をする女の子なので、そういう相談をしても理解して貰えないかもしれない。「どっちに聞いてもまともな答えは聞けそうにねえなぁ…。」才人はちょっと遠い目になった。「それともう一つ、何で俺助かったんだ? そりゃまあ4万追い散らした記憶はあるけど、ぶっちゃけ普通に死ねるレベルの怪我を負っていた筈なんだが…。」才人には大河の向こうから、おいでおいでと手を振る人々の姿も見えたような記憶もある。どう考えても臨死体験だった。「つーか、泉に着いた直後にとうとう心臓も止まったしな。 そのせいで体を操る事も出来なくなっちまって途方に暮れていたら、このエルフの娘っ子が来たって訳だ。」「あれ本当に臨死体験だったのかよ…貴重な体験しちまった。」これからは《死後の世界を見てきた男》とでも名乗ろうかとちょっと考えてしまった才人だった。「あ、うん。 あのね、この指輪で治したの。 お母さんの形見なんだけれども、強力な水の精霊の力が詰まっているのよ。」ティファニアが見せた指輪の台座には、蒼い綺麗な宝石がはまっていた。「死にたての活きの良い新鮮な死人なら、これで甦らせる事も出来るの。」「Dr.ミ○チか…。」某竜退治に飽きた人用のRPGで、お馴染みの博士を思い出した才人だった。…と、ふとどっかで聞いた事があるような話だなぁと思い出す。「ひょっとしてこれ、《アンドバリの指輪》とかいう名前か?」「ううん、違うわ。 《マソドパリの指輪》っていうの。」パチモノブランドみたいな名前だった。「微妙だ…何か、生き返れたのは素晴らしい事なのに、物凄く微妙な気分だ…。」「ど、どうしたの?」微妙な表情になった才人に、ティファニアが心配そうに声をかける。「いや、大丈夫。 そうか…テファは命の恩人だったんだな、本当にありがとう。」「ううん、道具は使ってこそ道具だって、お母さんは言っていたわ。 人を生き返らせる事が出来る指輪があるなら、死んだばかりの人にそれを使うのは当然だもの。 才人が恐縮する必要は無いのよ。」名前がパチモノブランドみたいでアレだが、母の形見で死んだばかりの人間なら甦らせてしまうようなレアなマジックアイテムを、見ず知らずの人に躊躇無く使ってくれたというティファニアに対して、才人は感激していた。「そうか…使ってこそか…そうだよな、俺もこのルーンの力で…って、ルーンが無いー!?」才人の左手にあったガンダールヴのルーンは、漂白剤でも使われたかの如く綺麗さっぱり消えてなくなっていたのだった。「ああ、言い忘れていたけどな。 相棒一度死んだから、契約解除されちゃったんだZE☆」「《契約解除されちゃったんだZE☆》じゃねえええぇぇぇぇっ!」ルーンが無ければ、才人は大量殺戮の経験があるだけの何処にでも居る至って普通な高校生でしかない。「コントラクト・サーヴァントは、基本的に主人と使い魔のどちらかが死ぬまで効果が続く魔法だからな。 相棒ちょっとの間だけど完全無欠に死んでいたから、契約解けたんだよ。」「いやだって、生き返っただろ?」一度死んだって、今は生きているわけなので、才人的にはどうにも腑に落ちなかった。「相棒、幾らこの世界が魔法に満ち溢れた不思議魔法世界(マジカルワンダーランド)だからって、死んだ生き物はそうそう甦らねえ。 しかも生き返っても大抵はアンデッドすなわち生ける屍で、相棒みたいに完全に生き返るなんて例は滅多にねえんだよ。」「つまり、どういう事だってばよ?」才人は理解出来ないのか理解したくないのかわからないが、兎に角首を傾げている。「どんな契約にも落とし穴の一つや二つはあるんだっつうこったな。 つまり相棒は奇跡的に生き返る事は出来たけど、それはコントラクト・サーヴァントによって結ばれる魔法契約の想定外だったってこと。 結論、相棒はもうガンダールヴじゃありません。」「ま、まじかよぉ…。」才人はその場にへなへなと座り込んでしまったのだった。「え…ええと…えと、えと。」完全に話に置いて行かれたティファニアは、落ち込む才人を見てただただおろおろとし続けるのだった…。デ・ハヴィランドことハヴィランド宮殿は、アルビオンの首都ロンディニウムの郊外に構えられた宮殿であり、旧アルビオン王家も偽皇帝と呼ばれるようになった故オリバー・クロムウェルも、この宮殿を行政府の中心として使用していた。ここはつまりアルビオンの権力の象徴なのだが、今その権力の象徴に集う人々はその殆どがアルビオン人ではなかった。ゲルマニアによって手傷を負わされ、トリステインによって致命傷を負い、ガリアに止めを刺されたアルビオンをどう扱うかを決めようとしている人々が集っている。「こうしている間にも私がすべき仕事はどんどん溜まっていくのよね。 ダンスパーティーやら前泊者晩餐会やら、経費と時間の無駄だからとっとと始めてくれないものかしら?」アンリエッタは、全身黒尽くめの喪服姿で憂鬱そうに愚痴る。「いやしかし陛下、まだお二方が来られていないのですからどうにもなりますまい?」隣の席に座るマザリーニが、そう言って肩をすくめた。「あの下半身だけは元気そうな中年とずっこけ色男も、私と同じく昨日来たんでしょ? わざわざ外国まで来てベッドで愛人相手に腰振ってる暇と元気があるなら、とっとと来なさいってのよ。」「陛下、そのような下品な物言いは…おっと、噂をすれば影ですな…。」マザリーニの言葉を聞いたアンリエッタが入り口の方に目を向けると、がっしりとした体格の男がこちらに向かって歩いてきていた。「ごきげんようアンリエッタ姫殿下。 喪服姿がこれほど似合うとは思いませんでしたぞ。」彼の名はアルプレヒト三世、ゲルマニア帝国の国王にして皇帝にしてライン選帝侯というとても長い肩書きの持ち主だった。アンリエッタが『下半身だけは元気そうな中年』と呼んだのは彼であり、その評価通りアンリエッタの全身を舐め回すように見続けている。「アルプレヒト閣下の愛人は無能ですわね。 自分の仕事も満足にこなせないだなんて。」アンリエッタは自分の体に向けられる視線に気づいて、嘲るように笑って見せた。ちなみにアルブレヒト3世が連れて来たのは現在彼のお気に入りの愛人で、しかも現在彼の後ろに立っていた。勿論彼女はプライドを傷つけられ、顔を真っ赤にして怒り狂っている。「なっ!? 幾ら陛下でも言って良い事と悪い事がありますわ!」「減らず口を叩く前に、アルプレヒト三世の愛人として出来る限りの仕事をなさいな。 じゃないと、ゲルマニアの女全てが莫迦にされますわよ? 『ゲルマニアで一番いい女は、皇帝一人ろくに満足させられない』ってね。」アンリエッタは彼女の抗議の声を相手にせずに一蹴する。「な、な、な、なんですって!?」この段階で皇帝と直接口論するわけには行かないアンリエッタは、取り敢えず皇帝の後ろに居た愛人を血祭りに上げたのだった。「ま、まあまあ、アンリエッタ陛下。 わしが悪かった。 一国の元首に対してあまりにも無礼であった、この通り謝る。」「閣下がそう仰られるのであれば。」アンリエッタはアルプレヒト三世の謝罪を受け入れた。「しかし、奴はまだ来ぬのか…?」奴とはこのロンディニウムに最も早くやってきた男にして、未だに会議場に現れない男の事だった。「遅いですわね、ジョゼフ陛下。」「ふん、実の弟を殺して王位を奪う男など…。」そう憤るアルプレヒト三世を『あんたも自分の親戚に散々酷い事をしているじゃないの』と、冷めた目で見るアンリエッタ。しかし、何故にこんな面倒臭くて実質的な権限が大した事無い癖に責任だけが重いという野暮な事極まりない仕事をする為に血道を上げて頑張るのか、アンリエッタにはさっぱり理解できなかった。ルイズがこのくらいがっついてくれたら、とっとと押し付けて楽隠居できるのに、ままならないものだわと溜息を吐く。「ハァ…王座を欲しがる人間なんて、所詮莫迦か間抜けか、あるいは莫迦と間抜けを抉らせたどうしようもないダメ人間か、もしくは底抜けのお人よしだけなのよ。 本当に頭の良い人間は、そんな莫迦から美味しいとこだけ貰って楽しく生きるのだわ。」溜息を吐いてから、アンリエッタは近くにおいてあったプリオッシュに手を伸ばす。「ああ、政務ダイエットし過ぎちゃったから、ここらで体重を増やしておくのも手よね、暇だし…もむ。」アンリエッタがもきゅもきゅとプリオッシュを頬張っている間も、アルプレヒト三世はいかにジョゼフが酷い人間であるのかを夢中になってつらつらと語り続けている。どうも、ジョゼフがイケメンなのが気に入らないらしい。「陛下、暇なら皇帝閣下の話を聞き流さずに聞いてあげていただけませんかな?」「枢機卿、知っている話を延々とされるくらい眠くなる事も、なかなか無いのよ?」ジョゼフの話は、ガリア貴族なら誰でも知っている話である。だから少し調べれば、アルプレヒト三世の話と同じものは、より精度の高い情報としていくらでも聞けるのだ。そんなのを隣でどや顔で語られるのを聞くくらいなら、飯でも食っていた方が遥かに有益だった。「…というわけなのでありますぞ、アンリエッタ陛下!」「それはそれは、興味深い話でしたわ、アルプレヒト閣下。」全く興味が無い顔でアンリエッタは頷いたのだった。皇帝という地位に群がって来る女ばかりを相手にしてきたアルプレヒト三世には、アンリエッタの絶対零度な態度は物凄く新鮮に映った。しかも母親から受け継いだ背徳的なまでの色気を無意識に発しているので、アルプレヒト三世としては『全然相手にして貰えなくて悔しい!でも感じちゃうビクンビクン…』といった風情だったりする。「あぅん、ひどぉい…でもそれがいい!」妙なものに開眼したかもしれない、ゲルマニアはもう駄目かもしらんね。「はっはっはっはっはっはっは!」アルプレヒト三世が屈辱と快感に塗れていたまさにその時、ドアがバァンと開いて空色の髪のイケメン中年が入って来て…。「はっはっは…はぅ!?」…何も無い所で右足に左足を引っ掛けて『どんがらがっしゃーん!』と、思いきりコケた。そしてそのまま動かなくなる。「ガ…ガリア国王陛下御成り!」律儀な衛兵である。ケティと才人が居たら『ドジっ子美中年って、誰得!?』とか、心の中でツッ込んでいた事だろう。そのくらい盛大なこけ方だった。「はっはっはっはっは、これはとんだ失敬! 皆揃っておるな、結構結構。」ジョゼフは元気に何事も無かったかの如く起き上がり、つかつかとアルプレヒト三世の元に歩いて行く。「これはこれは親愛なる皇帝閣下、いつぞやの戴冠式の時には出席出来ず失礼した。 ご親族は元気かね? 閣下が城を一つ与えたにも関わらず、いまだに清貧なる暮らしを続けるあの立派な方々だ。」アルプレヒト三世の親族に清貧な人間などいないが、食うや食わずの生活をしている者達ならばいる。彼がライン選帝侯の地位を手に入れる時に蹴落とした親族たちである。「ええ、御陰様で相も変わらず清貧に生きておりますぞ。 必ずや神の御許へと召されることでしょう。」まあ、生きている時にこの世の地獄を味わっているのだから、死んで天国へと召されるのが妥当であろうよと思いつつ、ジョゼフに笑顔で返すアルプレヒト三世。さすが陰謀でのし上がってきただけの事はあるわねと思いつつ、アンリエッタは彼らを見ていた。「おお、アンリエッタ陛下もお久しぶりですな! 大きくなられた、そして美しくなられた!」「はい、お久しぶりでございますジョゼフ陛下。 相変わらずお元気なようで、何よりですわ。」ジョゼフはアルプレヒト三世に話しかける時とはうって変わって、恭しく話しかける。「うむうむ、美人には黒が似合いますな、実に素敵だ。 出来ればずっとそのままで居て貰いたい。」「それは残念ですわ、生憎喪服の持ち合わせは余りありませんの。」あまりにも無神経な物言いに怒鳴りつけたい気持ちを抑えながら、微笑んでジョゼフに謝辞を述べるアンリエッタ。「それではジョゼフ陛下、早速ですが会議を始めましょう。 話というものは、食べながらでも出来るものですわ。」こうして、アルビオンを腑分けする会議は始まったのだった。