「申し訳ありませんでした、ジョゼフ様。」グラン・トロワの玉座の間で、ミョズニトニルンはジョゼフの前でひざまづき頭を垂れ、いつ首を刎ねられても良いかの如くいつまでも上げようとしない。「ふむ…。」それを興味なさげに見ていたジョゼフは、玉座の上から不自然にぶら下がっている紐をくいっと引く。「あひゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ…。」突如床が開いてミョズニトニルンは真っ直ぐに落ちていく。「ハハハ、落ちた落ちた…さて、次の使い魔を召喚する準備でも…。」「な、なななな何も言わずにいきなり紐を引かないで下さいっ!? あと、まだ死んでないっス!」途中で何かの魔道具を使ったらしく、ミョズニトニルンは燦然とデコを光らせながら涙目になって穴の中からフワフワと浮かび上がって来た。「ハハハ、そなたが言ったのではないか、失敗した者はこの紐を引いて穴に落とすものなのだと。」「それは最後だとも言ったでしょう、いきなり部下を穴に落とすってドンだけ冷酷非情なんですか!? あと、光っているからって笑わないで下さい!」ミョズニトニルンは涙目のままでジョゼフに抗議する。「王弟派を散々粛清して残虐なことには定評のあるこの無能王がどれだけ冷酷非情であるか…試してみるか?」「いいいいいいいえ!謹んでお断りいたします!」ミョズニトニルンは真っ青になって全力で首を横に振る。頷いたら本当にさらっと処刑する人なので、ジョゼフの生き死にに関する冗談は聞き流せなかった。「大体、陛下が王弟派を粛清した理由は…。」「余計な事を言う必要は無い、わかるな? 余は自らを祝ってくれた弟さえも手にかける、どうしようもない無能なのだ。」ジョゼフはワインを持っている方の肘を肘掛けに乗せようとして失敗し、ワインがグラスごと宙を舞って床に落ち割れ零れる。メイド達が素早く駆け寄って目立たぬようにかつ素早く後始末をし、ワイングラスを持たせワインを注ぐ。「今回の件は私の失策でした…あの程度では足りなかったようです。」ミョズニトニルンはその面白風景に噴き出さないように全力で我慢しながら、ジョゼフに詫びた。「そなたはスキルニルをあとどのくらい持って行けば、妥当であったと思うのだ?」「ハッ…あの100倍もあれば十分であったかと。」ミョズニトニルンは《戦いは数だよ兄貴》を地で行く人海戦術主義者らしい。「成る程…。」ジョゼフは紐を引いた。「わひゃああああああぁぁぁぁぁぁぁ…。」ミョズニトニルンはまたしても床に開いた穴に落ちていく。「ハハハ落ちた落ちた…では次の使い魔を…。」「だから死んでいません!」穴から這い出ながら、ミョズニトニルンは抗議する。「スキルニル一体作るのに、いったいいくらかかると思っているのだ。 お前にかかる経費は全て北花壇騎士団とプチ・トロワの運営経費から出ているのだぞ。 イザベラを餓死させるつもりか? ふむ…餓死する王女か…まあそれも面白いかもしれぬな、ハハハハハハハハハハ!」ジョゼフは笑ったのであった。いっぽうプチ・トロワでは…。「へくちょん!」ガリアのデコ姫ことイザベラが真っ暗なプチ・トロワの中で、一本の蝋燭の明かりを頼りに代筆の内職に勤しんでいる。彼女はとても流麗かつ詩的な表現で文章を書く才能に恵まれており、その点に関してだけは貴族達からの評価もとても高い。その為、デコと文章の輝きだけは一級品などと揶揄されている彼女だった。ガリアの貴族にはいかに風雅な表現をもって文章を書けるかで、その文章の価値を評価するところがあるといういささか困った風習が存在し、その風習は貴族ではない富裕層にも浸透している。そのせいで、大商人同士では契約書などもやたらと詩的表現に溢れていて、かつはっきりとした契約内容である必要があるという、それはそれは面倒くさいこと極まりない状態になっている為、貴族に代筆を頼み料金を支払うという商売の風習がある。その中でもイザベラの代筆は非常に評価が高い為、商人達がここぞという時の文章をイザベラに依頼し、彼女はそれを代筆する事で大金を手に入れていた…全部、北花壇騎士団とプチ・トロワの運営費に消えるが。「うー、やっぱり冬なのに暖房無しは寒過ぎるかしら?」北花壇騎士団とプチ・トロワの運営費はきちんと出ているのだが、何故かジョゼフの使い魔であるミョズニトニルンの経費もそこに全部かかって来るのだ。そしてミョズニトニルンは高価な魔道具をガンガン使うというとってもアメリカンな性格なので、経費は羽がついたみたいに飛び去って行く。恐怖心を押し殺してジョゼフにもっと予算を増やしてくれと直談判しに行った事もあるが、ジョゼフには『ハハハ』と笑って誤魔化された。流麗風雅な代筆技術は、彼女が成すべき事を為すために手に入れた技術なのだ。「まったく、見栄張るにも苦労するわ…。」そう言いかけた時、置時計がくるくると回り始める。それはとある人物の魔力に反応して起動する魔道具だった。「ロッテ…。」親の諍いに巻き込まれて、人形のようになってしまった従妹にして幼馴染の愛称を呟いて、イザベラは立ち上がる。親の事も自分の事も殺したいほど恨んでいるであろう従妹、シャルロット。魔法の腕に於いては親に似たのか、ドットの端くれもいいところな自分とは違いトライアングルであり、なおかつ利発に成長した。何時か自分は父共々彼女に殺されるだろうが、もしそうなったならばそれも運命だと半ば諦めている。「王とは、国家の頭脳であり象徴であり権威であるが、究極的には国家を構成する換えの聞く部品の一つに過ぎない。 権威を持つのは国王では無く血統であり、それさえ維持されれば貴族も臣民も基本的には気にしないのだ。 気にするとすれば、それが自分の生活にどう関わるか否かであり、正義や大義はそれを誤魔化す為の言い訳に過ぎない…ね。」ル・アルーエットの本の一節を口ずさみながら、イザベラは呼び鈴を鳴らす。呼び鈴を鳴らしながら王の交代がただの部品のすげ替えに過ぎないのならば、それにこだわって相争った父と叔父の争いは一体何だったのだろうと思いを馳せるが、その答えは見つからない。「暖炉に火を灯しなさい、明るく輝かせなさい! 『人形』が来るわ、せいぜい煌びやかに歓待なさい!」自分は親の敵の娘であるのに、その娘がみすぼらしくてはシャルロットも立つ瀬が無いとイザベラは思っている。「ロッテにとって復讐こそが生きる糧なら、私はせいぜいその為の悪役になるまで。 悪役は豪奢でなければいけない、悪役は辛辣でなければいけない、悪役は意地汚くなければいけない。 その為の努力なら、何でもして見せるわ。」それのみが溺愛する従妹に出来る最大の思いやりであると、イザベラは思っていた。父が弟に歪んだ愛情を抱いていたが為に、その娘の愛情も歪んだ表現にせざるを得ない。6000年の時を誇るハルケギニアきっての大国は、その時の分だけの歪みをヴェルサルテイルの内側に溜め込んでいた。舞台は隣のグラン・トロワに戻る。「はうぅ…すんません、もう落とさないでください…。」ずぶ濡れになったミョズニトニルンが穴から這い出てきた。「飽きた。」そう言って、ジョゼフは立ち上がる。「何か面白い事は無いか…ふむ?」玉座の回りをウロウロとうろつきながら、ジョゼフは考え込む。「始祖の祈祷書は、ルイズとかいう虚無の娘が持っているのであったな?」「はっ。」ミョズニトニルンは畏まって頷く…ずぶ濡れだが。「渡して貰えないのならば、娘ごと連れてくればよかろう?」「はっ?」ミョズニトニルンは首を傾げた。「ふむ…虚無の娘と会ってみるも良かろう。 余と気が合うかもしれぬしな?」ジョゼフにとって、弟が居ないこの世など全てが虚構。何もかもが戯れに過ぎない…故に、どんな思い切った策でも平気で使う事が出来た。「ええええええっ!? あの直進娘を捕まえろって、そんな無茶な。」この道化な使い魔(ミョズニトニルン)は自己裁量で動くととても面白い事ばかりをするので、ジョゼフのお気に入りだった。ジョゼフは既に何人かの使い魔(ミョズニトニルン)を始末したが、今回のが一番面白いと思っている。「王命である、やるがよい。」「わ、わかりました…頑張るっス。」肩を落としながら、ミョズニトニルンは玉座の間から立ち去ろうとしたのだが…。「まあ待て、目標をもう一つ与える。」「も、もう一つ!? 虚無の娘だけでも正直無理っぽいのに、もう一つ!?」ミョズニトニルンはもう泣きそうである。「彼らの中に『ひばり(ル・アルーエット)』がいたであろう?」ガリアは既に、ケティがル・アルーエットである事を掴んでいたのだった。「はい、あの爆弾娘め、人が口上述べる暇無くボカスカ撃って来て…。 ただの政治思想家(ませガキ)じゃ無かったんですね。」何人かやられても大丈夫なように用意しておいた影武者用のスキルニルを、纏めて吹っ飛ばされたというのは結構衝撃だった。「虚無の娘が駄目なら、あれを攫って来るがよい。」「はあぁ!?そんな無茶な、ふっ飛ばされちゃいますよ。」ミョズニトニルンの脳裏には、妙に爽やかな笑顔でバカスカ炎の弾を撃ち込んで来るケティの姿が蘇った。何人ものスキルニルの目から同時に飛び込んで来たその光景は、ちょっとしたトラウマになっている。「あれは普通のメイジだ。 虚無の娘よりは楽であろう?」「は…はあ、まあ、そう言われればそうなんですけれども。」それでも怖いものは怖い。ミョズニトニルンは元々後衛タイプであり、ガンダールヴやヴィンダールヴのように打たれ強くは出来ていないのだ。ふっ飛ばされたら普通に死ぬ。「謎の知識と知恵を持つ娘…。 あれを妻に出来れば、俺の人生はもう少し面白いものになるやもしれぬな?」「……………はっ。」よし殺そう、そう心に誓うミョズニトニルンだった。「それでは早速参ります、陛下の御為に。」そう言うと、ミョズニトニルンは霧のように消えた。「…あの道化め、本気になりおったか。 殺すつもりならば、それもまた良い…さて?」ワインを一口、口に含むジョゼフ。「ふむ…悪くないな。」ジョゼフはニヤリと笑って、グラスの中のそれを一気に飲み干したのだった。「ポワチエ卿、私達の英雄が生きていたわ。」「ほう、彼が生きていたと。」ハルケギニアの王城にある女王の執務室に入ったド・ポワチエは王宮で一番殺風景な室内を見回しつつ、相変わらず喪服のアンリエッタの発言に少し驚いたような口調で頷いた。「ええ、ケティが連絡用の魔道具で伝えてくれたわ。」それは何処に居ても一瞬で持ち主として登録された者の元に戻るという魔道具で、一方通行だが情報の伝達速度は非常に速い。「それは良かった…彼は無事なのですな?」「莫迦みたいに無事だって書いてあるわ。 あの娘は口調が丁寧なだけで、毒舌よね。」貴方も似たようなもんです陛下とは言えないド・ポワチエ。「そこで、貴方には旗艦を率いてサイト殿を迎えに行って欲しいの。 貴方好きでしょ、安全な仕事。」「はっ、安全かつ名誉に満ちた仕事は、小心かつ平凡な小官の得意とする所であります。」アンリエッタの問いに、ド・ポワチエはニヤリと笑ってみせる。「ならば向かいなさい、一番良い船でね。」「御意、一番良い船で英雄の帰還を彩りましょう。」そんなやり取りがあった数時間後…。「ぬわんですってえええぇぇぇぇぇっっ!?」アンリエッタはケティからの返事を見て悲鳴を上げた。その手紙には『すぐは無理☆(要約)』と書いてあったからだ。そして彼女の前には山のような書類があり、マザリーニは床に倒れたまま微動だにしない。執務室は修羅場を越えて、既に阿鼻叫喚の様相を呈していた。「背に腹は代えられないわね…応援を呼びましょう。」アンリエッタは2通の文を侍女に渡した。「ありとあらゆる手段を用いて最速で渡しなさい、わかったわね?」「はい、陛下。」侍女が出て行って数分で、2人の男がやってきた。有り得ないほどの速さなので、おそらく2人とも城内のどこかに居たのだろう。「陛下、私をお呼びになられるとは光栄のいた…り?」「私めに出来る事であれば何なり…と?」モット伯とパーガンディ伯の二人は、執務室の惨状に言葉を止めた。「よく来たわね、モット伯、パーガンディ伯。 手伝いなさい。」アンリエッタはそう言ったが…。「おおっと、今日は子供達が親元に帰っているから妻とイチャイチャする日でした…。」「くっ…またかっ!?この右手の暴走さえなければ、陛下のお助けが出来るものを…っ!」二人とも急に用事が出来たっぽい話を口走ったあと、くるりと背を向ける。「モット伯、その日は確か4日後よ、間違えてはいなくて?」「あ…あれ?そうでしたかな?」モット伯はそう言うと、誤魔化すように口笛を吹き始めた。「パーガンディ伯…わけのわからない事をしていると、王命で今の奥さんと別れさせてヴァリエール家の長女と結婚してもらうわよ?」「い…嫌だなぁ陛下、ただの冗談ですよ、冗談。 あはははははは…はぁ…。」パーガンディ伯は力無く肩を落とす。「ケティがまだアルビオンから帰って来ていないのよ。 だから、ケティの親戚の貴方達が頑張るのよ…わかるでしょ?」「何で我々だけなんですか!?」モット伯は抗議するが…。「貴方だけじゃないわよ? ねぇ?ジゼル?」「ううぅ…私はケティと違って書類仕事苦手なのに…。」銃士隊の制服が異常なくらい似合っているジゼルが、書類に埋もれながらチェックをしていた。「ど、どうしたのかね、ジゼル? その服は…。」「この娘、メイジなのに銃の扱いが異様に上手いのよ。 だから、魔法学院が再開するまで銃士隊に体験入隊してもらったの。」「学院が再開したのに、この仕事が終わらないと帰れませんけれどもね…。」ジゼルはケティに付き合っていろいろやっているうちに、銃の撃ち方分解整備の仕方などの諸々を覚えてしまっていた。「まことにもって情けない話ながら、銃において銃士隊でジゼルの右に出るものはおらぬ。 よりにもよってメイジに銃で負けるなどあってはならぬ話だと、皆が発奮してくれているのは大変良い事ではあるが…。」アニエスは未だに信じられないのか、軽く頭を横に振っている。「私、子供の頃からあれの原型になった銃で、野山を箒で駆け巡って狩りしてたんです。 知ってます?ケワタガモって結構撃ち落すの大変なんですよ?」実はそれでモシン・ナガンの弾が尽きかけたのに慌てたケティが銃と弾の複製を企画したのが、パウル商会が武器に本格的に手を出した原因であったりする。「はいはい、無駄話はそれくらいにして、皆仕事に戻ってね。」『はーい。』ケティ達が来るまでの辛抱だと、皆はアンリエッタの手伝いを始めたのだった。ちなみに、マザリーニは2日後に戦線復帰したらしい。