47話のちょっと前。「国軍がダレているわ。」アンリエッタの執務室に入った途端に、ケティはいきなり一言そう言われた。「また無茶振りなのですか。」ケティはげんなりした表情で呻く。「私は将軍じゃあないのですから、そういう事はラ・ラメー卿かポワチエ卿、もしくはグラモン卿あたりにでも言っていただけませんか? こちらも水精霊騎士団の団員選定で大忙しなのですから。」「あら、よく見たらやつれているわね。」ケティのまぶたの下には、薄化粧では隠しきれないくまが出来ていた。「私が一人で団員を面接して、商会の情報網を使って身分出自趣味嗜好評判を精査して、入団の可否を決定してからグラモン伯爵公子に決済させているのですよ。 こう見えても学生ですから授業を受けなくてはいけませんし、放課後の友人たちとの付き合いもありますから日中はそれで潰れてしまうので、夜に入団希望者の男子を面接しているのですが…あいつら、こっちが女子だからって口説いてきやがったりするのですよ。」「ちょっと、男子と二人っきりって、大丈夫なの?」流石に心配になったのか、アンリエッタは表情を固くする。「その点はタバサにこっそりと守って貰っていますから、不埒な輩は問答無用で殴り倒して貰うので問題ありません。」「魔法は何処に行ったのかしら…? それはそうと、それなら貞操は安心ね。」アンリエッタはほぅっと胸を撫で下ろすが、ケティの表情は憂鬱である。「とはいえ、数人に一人の割合で口説きにかかられるのは、私の精神衛生にかなりのダメージを与えつつあります。 あいつら私が見るからにモブな地味女だからって、私程度なら簡単に口説き落とせるし、口説き落とせば入団出来ると勘違いしていやがるのですよ。」「確かに地味だけど…貴方は十分に可愛いと思うのだけれども。」 性格は腹黒いが、ケティ自身の外見は一見地味ながらも素朴な可愛らしさがある娘でもある。言うなれば、野に咲く一輪の小さな白い花(※毒草)って感じだろうか。「がーん、地味って言われた。」「ふーん、まあ地味なのは化粧と装いでどうにでもなるものよ。 そもそも、言うほど傷ついていないでしょ、貴方。」落ち込むケティをさほど気にせずに、アンリエッタは話を続ける。「確かにその通りですが…まあそんな感じで結構疲れているので、帰っても良いでしょうか? 外にタバサを待たせているので。」いっぽう、王城の駐竜場では…。「もぐもぐ…。」「きゅいきゅい。」タバサ達がケティから報酬として貰った葉野菜とチーズをはさんだベーグルサンドを、一心不乱に頬張っていた。「きゅい、腹黒娘は食べた事もない美味しいものをいっぱい知っているから好きなのね。」「喋っちゃだめ。」「きゅい!?」シルフィードはタバサにぽかりと頭を叩かれたのだった。話はもう一度アンリエッタの執務室に戻る。「それにしても、何で団長でも副団長でもない貴方が人員の選抜なんかやっているのよ?」「ルイズが選んで来るのは脳筋ばっかりですし、才人に寄って来るのは女の子ばっかりですし、ギーシュに至っては団員募集にかこつけて女の子口説こうとしてはモンモランシーにボコられていますし、マリコルヌが連れて来るのを入れたら変態軍団と化してしまいますから。 比較的まともなのを連れて来るのがルイズだけな上に、それが脳筋ばかりだと…騎士団には様々な役目を負うべき人材を選別する必要がありますからね。」今回の件においては、かなりの仕事がケティ一人に圧し掛かって来ていた。そんなわけで、学院内で手伝いができる頭脳タイプの人間大募集中だったのだ。この後すぐ入ってきたレイナールの登場によって、ケティの仕事は大分減る事になるのだが、それはまた別のお話。「それなら…まあ、アイディアだけでも出していってくれないかしら? 今回の戦、我が国は勝ったんだか負けたんだかさっぱりわからない空気になっていて、それが国軍をダレさせる原因になっているのよ。 『アルビオンに負けたと思ったら、何故かゲルマニア領だった東トリステインが手に入った、不思議!』ってね、トリステインの悲願だった東トリステインの奪還を政治だけで決着つけてしまったから、軍が負けて政治が勝ったっていう捩れになってしまったのよね。」「それで一部の軍人が拗ねていると…戦場でああいう負け方をしたからこそ、東トリステインが『偶然』手に入ったというのに、なんとも難儀な。」自分達は負けたのに、自分達の戦略目標だった東トリステインが戦後処理の政治取引で帰ってきたしまったというのが、一部の血気盛んな若手の将校にとっては『文官どもに出し抜かれた』とか『軍の面目丸潰れ』という風に映っているのだ。「国家の為になったのならば、過程なんてどうだって良いでしょうに…。」「私もそう思うんだけどね、若手将校の考えることはわからないわー。 まあどうせ、裏で爺さん方が煽っているんでしょうけれどもね。 『国家が無くなった場合に人が生きていく事は、万民の万民に対する闘争状態を生み出しつつも可能であるが、国家が無くては貴族は存在出来ない。 何故ならば、国家が貴族の身分を保障し、貴族が国家の存在を保障しているという相互関係にあるからであり、どちらかが崩れるとそれは存在し得ないのだ。 故に国家は貴族の身分を保証し、貴族は国家の為に己が血を捧げなくてはならない』 あいつらだってケティの本に軽く目くらいは通しているでしょうに、何でわからないのかしらね?」「…私としては、私の書いた文章が多くの貴族の目に触れているという事実が、いまだに信じられないのですが。」アンリエッタの『改革』を邪魔だと思う貴族は決して少なくない。トリステインが解体しても、領主を続けられると思っている輩が多いのだ。…とはいえ、王を倒した貴族がどうなるかは、このままどんどん酷い状態に成り果てていくであろうアルビオンを見れば気づくかもしれない。アンリエッタがアルビオンをあそこまで酷い状態に仕立て上げたのは、貴族に対する『見せしめ』の意味もあるのだから。「軍人のやる気向上ですか…それでは、軍事パレードなどはいかがですか? 戦術的には負けたけど、戦略的に勝ったんだからそれで良いんだよーってのを一発。 ついでにオクセンシェルナ国軍とクルデンホルフ国軍にも参加してもらえば、東トリステインがトリステインの元に戻り、両大公国がトリステインとより深く結びついた事も理解して貰える筈なのです。 姫様が男だったら、両国の姫のどちらかを娶ってもらって、そのお披露目にー…とかも出来て一石二鳥なのですが、そうそう上手くはいきませんか。」「おほほほ、確かにそう上手くはいかないわね、もしそうなら今頃ケティは私の嫁よ。 学院も辞めてもらって、今頃私の隣で朝も昼も晩も仕事の手伝いね。」アンリエッタはそう良いながら、うんうんと頷いている。「あうあう、姫様が男でなくてよかった…本当によかった…。」ケティは顔を真っ青にしてガタガタ震えていた。「それにしても軍事パレードか、お金かかりそうねー…でも、それが一番無難かしらね。 臣民にキャーキャー言われれば、若手将校も機嫌を直すでしょうし。」「トリステイン人は、兎に角目立つのが大好きな人が多いですからね。 全員とは言いませんが、軍が活躍したからこそ今回の政治決着が可能だったのであるというのをきちんと公表してあげれば、溜飲を下げる人はかなりの数に上がるはずなのですよ。」自分達の闘いは無駄ではなく、国の為になったのだという事を軍人達に理解してもらうのだ。もちろん、それならば恩賞を寄越せという話は出てくるだろうが、土地は東トリステインに大量にあるので問題ない。「ケティにも良い領地あげるわよ…ド・ワルドだけど。」「またド・ワルドですか!?何で私に押し付けようとするのですか!いらんと言っているでしょうに!」そんなこんなで、軍事パレードが決定したのだった。才人たちと闇市から帰ってきた日の夜…。「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…。」ケティは暖炉の上に飾られたパイファー・ツェリスカを眺めて、悦に入りまくっているのだった。目がちょっと逝っていて、どう見ても駄目な人である。「素敵です、素敵ですよツェリスカ。 明後日の方向に進化してしまった感じが、堪らなく素敵です。」「毎度思うけど、奇怪な趣味ね。」ケティの背後から、不意にそんな声がする。「な、何奴!?」「何奴って、ノックしたんだけど…。」「悦に入り過ぎだケティ…。」慌てて振り返ったケティの背後には、ルイズと才人がいた。「しっかし、本当に銃眺めて悦に入っているのね…趣味人の嗜好はわからないわ。」「こう見えても、まともに扱えさえすれば世界最強の拳銃なのですよ。 でかいわ重いわ長いわで、まともに扱える人間が誰一人として居ないであろうという最大の欠点がありますが。」「駄目じゃん。」才人は呆れ顔でツッ込むが…その才人を見て、ケティの瞳がキュピーンと光った。「そうか…才人が、ガンダールヴって手がありましたか。」「え?な、何?」ケティはつかつかと暖炉に歩いて行くと…。「ふんぬっ!」物凄い形相になりパイファー・ツェリスカを持ちあげて、机まで運んだのだった。「よいしょ、ここを引いて…と。」そしてケティは机から莫迦でかい弾丸を取り出し、パイファー・ツェリスカに装填し始めた。「ど…どうしたんだ、ケティ?」「いや、試してみたくなりまして。」急に弾丸を装填し始めたケティに、才人は慌てて話しかけたのだが、不思議な答えが返って来た。「才人、撃ってみてください。」「は?」首を傾げる才人に、ケティはパイファー・ツェリスカを指差して見せた。「これ、撃ってみてください。 これが火を噴く所が見たいのです。 ガンダールヴの力があれば、撃つ事は容易い筈。」「はあぁ!?こんなトンデモ拳銃使えってのか?」「はいっ。」嫌そうな顔をする才人に、ケティはわくわくした表情でコクリと頷いたのだった。「使い勝手が良いなら、貸してあげます。 だから是非是非っ!」「わーった!わーったから!近い!近い!」ケティの顔が鼻息がかかる距離まで接近して来たので、才人は顔を赤くして後ずさった。「…サイトに発情しているわけじゃないから、不問とするわ。」眉を吊り上げつつも、ルイズは踏み止まる。「ガンマニア過ぎる…けどまあわかった、何時も世話になっているしな。」「じゃあ、早速行きましょう! うへへへへへへへ…。」だらしない笑顔を浮かべたケティは、ふらふらと廊下に向かって歩き始めた。「しょうがねえな…んじゃ行くかルイズ。」「もう、しょうがないわね。」二人は苦笑を浮かべつつ、ケティについて行くのだった。「此処なら大丈夫でしょう。」着いた場所は、攻撃魔法の実技で使われる射的場。そこには的が並んでいた…のだが、そこには先客が居たのだった。「あら、ケティ?」「おや、ジゼル姉様ではありませんか。」ジゼルの手にはモシン・ナガン。どうやら、ジゼルもこっそりここで射的を楽しんでいたらしい。「成る程…腕が落ち無かった原因は、これでしたか。」「うん。撃たないと、うずうずするんだもん。 ケティはど…何だサイトか。」ジゼルはがっかりした声で溜息を吐く。「私も居るわよ。」才人の陰からルイズも現れた。「ルイズまで…何しに来たの?」「いや、面白い銃を見つけたのですが、常人には扱えないキチガイ銃なので才人に撃って貰おうかなと。」ケティがそう言うと、才人はジゼルにパイファー・ツェリスカを見せた。「これまた大きな拳銃ねぇ…こんな弾丸を拳銃で撃つの? 重過ぎて照準つけるのもやっとじゃない、これ。 誰よこんなアホな拳銃作ったの、死ぬの?」「ジゼル姉さま、パイファー社の人が可哀想なのでそのくらいに。」パイファー・ツェリスカをけちょんけちょんにけなすジゼルを、ケティがまあまあと宥める。「サイト、貴方これ撃てるの?」「こう見えてもガンダールヴっていう伝説の使い魔なんでね。 こんな変態的な銃でも、問題無く使えちまうのが悲しい所だ。」興味津々に訊ねるジゼルに、才人は軽く肩を竦めて見せた。そして、パイファー・ツェリスカを構える。「撃つぞ…っと!」ドンッ!という音と共にパイファー・ツェリスカが火を噴き、数十メイル先にあった的が消し飛んだ。「凄い!さすがツェリスカ!」「おわっ!何で抱きつく!?」感極まった声を上げて、ケティは才人に抱きついた。『むむっ!?』ルイズとジゼルの声が重なる。「ああん、素敵ですツェリスカ!」「どわー!?ルイズのいる前で頬擦りとか止めて、俺死んじゃう!」ケティは才人にすりすり頬擦りまで始めた。『むむむむむむむっ!?』ルイズとジゼルの声がもう一度重なった。「け、ケティ、お姉ちゃんどんどん撃つわよ、どんどん!」急にジゼルが凄まじい勢いで的を撃ち抜き始める。「さすがジゼル姉さま、セミオート並みの勢いで全部的のど真ん中を打ち抜くとか、無茶苦茶過ぎるのですよっ!」「おほほ、褒めて、そして抱きついて! 頬擦りして、キスしてもいいわよ!」ジゼルはケティに抱きついてキスして欲しいらしい。一方才人は…。「ままままて、どうどう、オーケー落ち着けルイズ。 今ケティが抱きついたり頬擦りしたのは、フェイファー・ツェリスカであって、俺じゃねえ…わかるか?」腰を抜かしてルイズに命乞いをしていたが…。「つまり、話せばわかる!」「問答無用!」台詞が死亡フラグだった。「しまった、ふんぎゃー!?」学院に才人の悲鳴が響き渡ったのだった…。