「随分長い間忘れられていた気がするわぁ。」エトワールがボソリと呟いた。「いやいや、そう言われましても。 エトワール姉さま自体が、暫らく学院に居なかったではありませんか…。」「仕方ないじゃない、アンリが大怪我してたんだからぁ。」実はエトワールの恋人であるアンリ・ド・ギーズが撤退戦で体のあちこちに大怪我を負い、トリスタニアの軍病院にてついこの前まで治療中だった為、エトワールも一緒に付き添っていたのだった。「良いではありませんか、卒業したら結婚する事になったのですから。」二人とも三か月ほど休んでいたので卒業時期も三か月延びたが、先の戦争でそうなった最上級生は結構な数居るので、同級生が居ないとかいう問題は無い。問題は、男子寮も女子寮もキャパシティを若干オーバーしてしまった事だったりするが、学院のメイジを総動員して学院の門前の道沿いに石で出来た家っぽいものを造らせ、内装を職人たちにそれっぽくでっち上げさせる事で何とか解消に成功した。見た感じ殆どが変な彫刻やら出っ張りやら飾りがあり、謎の古代文明による石造建築物遺構に見えるが、それは建築家を志しているわけでは無い学生のメイジ達に内部構造以外丸投げしたからであって、内部構造は問題ない。入居したのは寮から追い出された最上級生たちで、奇怪な石造の家に始めドン引きだったが、内部は寮よりも広いのでおおむね気に入っているようだ。まあそんなわけで、現在ケティ達が居るのはエトワールが住む新築の家だったりする。「そう言えば、アンリ殿は?」「ド・ロレーヌが遊びに来て、連れて行ったわぁ。」『ド・ロレーヌ』と、級友や割と親しい筈の友人にすら家名しか呼んでもらえない可哀想な人ことヴィリエ・ルイ・ド・ロレーヌは、アンリ・ド・ギーズの従弟であり彼に非常に懐いているらしい。「ド・ロレーヌ殿が…それは良かった良かった。」「?」あいつは気位が高過ぎるせいで友達が居ないから、従兄くらいしかまともに相手にしてくれないんだろうと評判される程のぼっちキャラっぷりに、ケティは密かに涙を拭った。「しゃぎゃー!しゃぎゃぎゃー!」「ヂュヂュヂュ!ダメ!ルナチャンダメデショ!」彼女らの背後ではケティの使い魔であるワイバーンのスブティルと、エトワールの使い魔であるロック鳥のルナが互いに羽を広げて威嚇しあっているが、喧嘩が始まったわけではないので、今の所放っておかれている。「………………………。」「あ、アレン、貴方は無茶しないで~!」ジゼルの使い魔であるバグベアーのアレンも参戦しようとしているのを、ジゼルが必死に止めていたりもするが、それも取り敢えず無視。「それにしても、姉妹三人でまったりするのも久し振りねぇ。」「そうなのですねえ。」「私はまったりしてない、してないから! つーか、二人ともあの喧嘩を止めて! あの怪獣大戦争にアレンが参戦したら死んじゃう!」まったりする二人と、威嚇しあう二体の巨大生物と、必死でアレンを抑えるジゼル。長閑な午後のひとときであった。「…それはそれとして。」「置いておかないで、何とかして!」ジゼルの言葉に、ケティとエトワールは顔を見合わせて、ゆっくりと頷いた。「スブティル。」「ルナちゃん。」『静かにしなさい。』ケティとエトワールの笑顔がそれぞれの使い魔に向けられ、両方とも石化したかの如く動きを止めた。「これで良いですか?」「…どうして私だけ、こういうおっかない笑顔が出来ないのかしら?」ジゼルもしたいらしい。「爽やか系の人間には出来ないのです。」「それはそれで良い事なのよぉ?」ケティとエトワールはそう言って、感慨深げに頷いた。ぶっちゃけた話、二人とも笑顔で脅せるジゼルを想像する事が出来ない。「なによー、それ? よくわかんないわねぇ。」ジゼルはそう言って、首を傾げるのだった。彼女には、何時までも《妹が絡まない限りは爽やか系》の女の子で居てほしいものである。「例の船、手放すんスか!?」「ええ、王家がお金を立て替えてくれる代わりに、東トリステインのアルクマールに全ての施設を移す事になりました。 断る事は出来ません、勅命ですから。 王家から損失補填分のお金も出ますし、それで何とかツェルプストー家と手打ちにしてください。」《魅惑の妖精亭》にて、ケティとパウルとキアラがテーブルを囲んでいた。ちなみにパウルは他の客に《綺麗どころ侍らせやがってこんちくしょー》とか思われていたりする。「それは良かったです。 うちの財務状況はかなり逼迫していましたし、これで何とか持ち直せます。」「そうですね、まさかうちの屋台骨が圧し折れかける程の負担になるとは思わなかったのですよ…。」キアラの言葉に、ケティは溜息を吐きながら頷く。軍の火薬の総コルダイト化で稼いだ分の儲けが根こそぎ吹っ飛ぶどころか、大赤字事業と化す所だった。ツェルプストー家の資金援助が無ければ、危うくモンモランシ家みたいになる所という酷い状況だったのだ。「何だかんだで、うちはまだまだベンチャー企業なのですね。 ツェルプストーみたいな大金持ちには、資金力で全然敵わないのです。」「そのツェルプストーですが、どうなさるおつもりなんですか?」キアラにそう言われ、ケティは机に突っ伏した。「姫様はあの船の現物を渡して、借金分に少し上乗せして払ってやれば手打ちに出来るんじゃあないのかとは言っていましたが…パウル、出来ますか?」「そうっスね…国からだけだと不義理っスねェ。 他にも何かお土産渡せば何とかなるんじゃあないかなと。 金渡しても意味無いですし、そうなるとうちの財産は技術って事になるっスけど…。」パウルは目を泳がせる。「コルダイトは…流石に駄目っスよねえ?」「当り前なのです。 ですけど、確かに何か手土産渡さなきゃ収まらないかもしれませんね。 向こうの技術力でも絶対に量産不可能なものを渡しますか…。」 そう言うと、ケティはポンと相槌を打った。「うん!奮発してメタルストーム機関銃をあげちゃいましょう! あれ、2基あるから1基をデモンストレーションに使って威力を見せ付けてあげれば、喜んで受け取ってくれる筈なのです。」「あれ発射機構が全然わからなくて、あのアンナさんが『この兵器を作った奴を呼べーっ!』とか錯乱して喚いた挙句、匙投げた奴じゃないっスか…ひでえ詐欺っスよ、それ。」メタルストーム社製の兵器はいずれも完全電子制御のハイテク品なので、ハルケギニアの技術力では逆立ちしたって何したって模倣不可能という代物である。やろうと思えば一分間に100万発という凄まじい連射が可能だが…撃ってしまえば、もう再装填すら出来ない使い捨て兵器と化すのだ。そして核でもない限り、単発の兵器に戦況を変える力は無い。「…2丁合わせて1万エキューした代物ですが、コルダイトの技術などを渡す事に比べれば遥かにわが商会の損害は少ないでしょうね。 半ばケティ坊ちゃんの趣味で購入した代物ですが、それで良いというのであれば。」「まあ、惜しいですが仕方が無いです。 祖国の安全保障という観点から見ると、安いものですし。」キアラからの問いかけに、ケティは溜息を吐いて頷いたのだった。「パウル、これを材料にツェルプストーの説得…出来ますか?」「やってみるっス、ケティ坊ちゃんもツェルプストーのお嬢様への働きかけお願いしますっスよ?」パウルはケティの問いに力強く頷いて見せた。「わかりました、こちらからもキュルケに言っておきます。 しかし、キュルケには悪い事をしてしまいましたね…その代り『フォルヴェルツ号』の整備と修理は、あちらの生産技術が整わない限りはいかなる場合でも確実に行う事にしましょう。 例え、ゲルマニアと戦争になっていたとしてもです。」「そ、それはちょっと難しいんじゃないスか?」ケティの言葉にパウルが焦った表情になるが、ケティは首を横に振る。「難しかろうと最低限そのくらいの義理を果たさねば、友人に対する後ろめたさで頭がおかしくなりそうです。 私は度し難い事に、私の友人や仲間を笑顔で裏切る事が出来ない程度には、覚悟を維持出来ない惰弱さを残しているのですよ。」「ケティ坊ちゃん…。」ケティは元々敵と味方をきっちり区切る人間ではあるが、友人や仲間といった味方が敵に回るのに慣れていない。いざそういう状況なると、やはりそれなりに混乱するのである。「…さて、そろそろ食事に戻りましょう。 せっかくのご馳走が冷めてしまいますよ?」ケティは微笑みながらそう言った。彼女は色々な笑顔を使い分ける事を、幼馴染である二人はよく知っている。今のケティの笑顔は、強がっている時の笑顔だという事を。「ケティ坊ちゃん、私達はこれまでも、そしていつまでもケティ坊ちゃんの味方です。」「そうっスよ、だから…飲みましょう!」パウルはそう言いながらワインを自分の杯に注ぎ、一気に飲み干した。「はぁ…どうしてこいつはケティ坊ちゃんにだけは気の利いた事が言えないのでしょうかね? まあ良いです、私も付き合いますから、とことん呑みましょう。」キアラもそう言うと、杯のワインを飲み干した。「二人とも、ありがとう。」ケティまで杯のワインを飲み干す。飲み干した後のケティの目からは涙が零れていた。「笑いながら泣くとか…ケティ坊ちゃんはそういうところが器用過ぎて、却って不器用なんスよねえ。」パウルはすっと立ち上がり懐からハンカチを出して、ケティの涙を拭った。「ちょ、ちょっと、パウル?」「いいからいいから、こういうのは年上のお兄さんに任せるものっスよ。」抗議するケティのほんのりと紅色に染められた頬を、ニコニコと笑いながらパウルが拭う。「………………。」それを見たキアラは一瞬不機嫌そうな表情になったが、すぐに元の表情に戻った。「年上に見えた事は、今まで一度も無いのですが~?」「それは酷いっス!?」実際ケティのパウルに対する扱いは弟みたいなものだったりするし、先程照れたのだって別にパウルを意識したわけじゃあないのだが、キアラとしては気になるものは気になるのである。自分の好きな男が他の女の子が大好きなのを見ているのは、脈が無いとはいえやはりハラハラする。「あっはっは~、酷いと思うならもう少し年上らしくして見せなさいな?」「ふっ…大人の男たる俺の魅力に惑うがいいっスよ。」何せ、ケティはパウルに対して物凄く無防備なのだ。身内には基本的に甘いケティらしいが、特にパウルに対しては甘いとキアラは思っている。…実は、キアラに対する態度もそう変わらないのだが、なかなか自分を客観的にみるのは難しいので、その点には気付いていない。「なーにが大人の男ですか、誰が大人?(…ううっ、ちょっと辛いです)」そんなこんなで、キアラは胸をチクチクさせつつも、二人のじゃれあいに入って行くのだった。命短し恋せよ乙女、頑張れ女の子。