夜の空を一匹の風竜の幼生が飛んでいく…二人の少女を乗せて。「逃げなくて、良いの?」ミョズニトニルンこと高凪 千秋が、タバサを気遣うように声をかける。「ん。」その問いにタバサは小さく頷く。いつも通り手には本、題名は《大王ジュリオ・チェザーレの帝国》。タバサは基本的に物語系の本が好きなのだが、ケティに『歴史は最高の物語ですよ、救いが無いという意味でも』と、この本を渡されていた。ロマリア半島中部にあった都市国家エトルリアの王、ジュリオ・チェザーレという男がロマリア半島の都市国家をその類稀なる軍才と謀略の才によって一つに纏め、始祖の血を受け継ぐ三王国を平らげ、ゲルマニアを征服してハルケギニア統一帝国を作った物語。そして、その帝国がエルフとの壮絶な武力衝突を繰り返し、負担に耐え切れなくなった地方からの叛乱の頻発と財政破綻によって解体するまでの壮大な失敗の物語である。「逃げたらお母様の命が無い。」「そう…だよね。」千秋としては、タバサに恨みは無い。仲が良いわけではないが見知った仲だし、ケティ達に捕まった時の記憶をギアスの効果で思い出せない千秋としては、タバサは自分を助けてくれた恩人でもあるのだ。ルーンによって殺人などへの抵抗感が薄れているとは言え、知った顔でしかも恩人が処刑されるというのは決して良い気分ではなかった。「私からも、あんたへの助命嘆願はしてみる。」「貴方も処刑される。」千秋の言葉に、タバサは首を横に振ったのだった。まあ、タバサとしてはケティ達が救出に来るという事がわかっているので、関係の無い人間が勝手に頑張って勝手に死んだりしたら夢見が悪いのだ。「う…いや、やっぱそう思う?」「ん。」上目遣いで訊ねる千秋に、タバサは首を小さくコクリと縦に振った。「はぁ…アルビオンでは、結構上手くいっていたのになぁ。 何であの子狸みたいな娘が関わると、片っ端から失敗するのかしら。」「致命的に相性が悪い。」千秋が得意とするのは、マジックアイテムを使った人海戦術。そしてケティが得意とするのは、多人数の有象無象が集まった所を薙ぎ払う対集団用魔法。千秋が数を用意しても、密集すると《あ~っはっはっはっは~!火砲は戦場の神なのです!》とか言いながら、ケティが火メイジによくいるパイロマニアの本性丸出しにして焼き払うだけなのだ。はっきり言って、数を用意してもケティの撃破数を増やすだけである。ケティを撃破するには、メンヌヴィルがそうだったように、質の高い一騎当千タイプの戦力を用意するしかない。「致命的…どうすれば勝てるってのよ?」千秋は頭を抱えた。「諦めると、楽になれる。」そんな千秋の肩を、タバサはポンポンと叩きながらそう言った。「慰めて無いから、絶望だからそれ…って、サムズアップして言っても無駄だから! 引き攣った笑顔でウインクしても怖いからっ!?」「残念。」タバサは無表情に戻ると、読書を再開する。彼女が読んでいるのは丁度、前期ガリア国王ヴェルサン1世がアリーズ・サント・レーヌの戦いでエトルリア帝国軍に敗れるシーンであった。この戦いで前期ガリア王国は完全に滅び、王族は始祖の血統の持ち主という事でエトルリアに送られ、エトルリア貴族として生きる事になる。「ガリアが滅ぶ所読むとか、意外と悪趣味ね?」「大昔の話。」ガリアとしては屈辱の歴史なのだが、数千年も前の先祖の話なので、タバサ的にはどーでも良かったりする。そもそも、現在エトルリアはトスカーナと名前が変わりロマリア教皇庁領の属領の一つされているし、ロマリア統一時に火の系統を受け継いでいたエトルリア王家も既に無い。ロマリア教皇領内で細々と生き残っているという噂もあるが、噂は噂に過ぎないのだ。「何か、私の世界の欧州史と若干似ている感じなのがアレよね。」「…貴方の世界?」タバサは首を傾げて千秋に聞き返した。「ししししまった、私とした事がっ!?」「気にしない。」慌てる千秋をタバサはポンポンと撫でて宥める。「貴方は何時も迂闊。」「ぐは…慰めになって無いわ。」千秋はがっくりと肩を落とした。「慰めていない、宥めただけ。」「ですよねー…わかっちゃいたけど、私って、私って…しくしく。」千秋はシルフィードの背に蹲ると泣き始めた。「それで、貴方の世界って?」「誰か私を慰めてよコンチクショー…。 まあ、聞かれちゃったから話すけど、私が元々居たのは此処とは違う世界なのよ。 私は地球っていう世界の、日本っていう国に住んでいたの。 もう一つ言えば、ガンダールヴのサイトっていう奴も、私と同じ世界の人間よ。」その言葉にタバサは目を大きく見開いた後、本に栞を挟んで閉じた。「サイトも…?」「うん、サイトも。」タバサの問いに、千秋はコクリと頷く。「ケティはサイトを東方の出身だと言っていた。」「ケティって、あの子狸?」タバサはケティの顔を思い出し、確かに狸っぽいかなーとか思い出しながら、コクリと頷いた。「ん。ケティは東方の文字も読める。 ケティが才人と同じ国の出身だった人のお墓の字を読んでいた。」「日本語が読める…って、マジ?」千秋はそれを聞いて驚愕する。何せ、この世界には殆ど日本語の文献など無いというのは、マジックアイテムを多数取り扱う千秋にとって既知の事なのだ。この世界に送られて来るものは兵器と、兵器に積載されているものだけである。だから、文献となると乗っていた軍人たちが持ち込んだものくらいしかない…ガリアにあるオーパーツを確認したが大半がエロ本ばかりだったので、千秋自身ゲンナリした記憶があったりする。何でBL本が無いのかと。「ん。本当。 これは報告済み。」「わけわかんない奴ね…あの子狸。 実はこの世界最大の不審者なんじゃないの?」だいたい合っているような気がしないでもない。千秋はこのよくわからない件を、取り敢えず心の中で保留しておく事にしようと決めた。ジョゼフに伝えるにしても、どう伝えれば良いのか分からないからだ。「ん。」タバサはコクリと頷いたのだった。タバサ的にもやはりケティは不審らしい。「拙いわ…。」プチトロワでタバサからの手紙を読んだイザベラは、額に汗をびっしりと浮かべていた。タバサがミョズニトニルンとの共同任務を失敗したらしい。このままでは帰還したタバサに父王から処刑の命令が出てしまう。そもそも、父王に利用価値があるからコキ使おうという理由づけをして、何とかタバサを助命していたのはイザベラなのである。「何で逃げないのよ…理由は分かっているけれども、どうして逃げてくれないの、ロッテ?」イザベラは呟くように独り言を言う。もしタバサが逃げたとしても、心を病んだ女性一人くらいならイザベラの判断でどうにでもなる。いくら元オルレアン大公妃とはいえ、狂ってしまっていては政治的に利用するのはほぼ無理。こっそりカステルモールに引き渡してしまうという手もあるのだ…心を病んでいるとはいえ、自他共に認める人妻好きに未亡人を引き渡すというのは、色々な意味で心配だが。「まあそれが、シャルロット様の良いところであり、欠点でしょうな。」そんな声とともに、イザベラの額が不意に拭われる。「うひゃあああああぁっ!?」思わず悲鳴を上げたイザベラの視界に入ってきたのは、カステルモールだった。何時も通り小洒落た格好、端正なマスクに気障っぽい笑みを浮かべている。「おや、ガリアの姫君ともあろうものが、大声を出すとははしたない。」「いきなり乙女の額を拭う行為は、はしたなくは無いのかしら?」顔を真っ赤にして、イザベラはカステルモールを睨み付ける。「悩める乙女の一助となるのは、貴族の務め。 額に汗かき悩む殿下の御一助になればと思ったのですが?」「二枚目ならではの自信ね…。」まあ確かにカステルモールの場合、見た目故に何をやっても様になってしまうのだった。貴族とは名ばかりの赤貧伯爵家出身とはいえ、出世頭でかつ二枚目とか、人妻好きとかロリコンとか変な性癖でもないとバランス取れないわよね~とか思いつつ、イザベラは更に目を細くしてカステルモールを睨み付ける。「怖い目つきですな…。」「生憎、目付きの悪さには自信があるのよ。」それもこれも、タバサに味方だと気づかれない為に、精一杯意地悪そうな表情を練習した成果だったりする。イザベラ自身も鏡の前でやって、その意地の悪そうな顔にドン引きしたほどなので、タバサにはバレていない。「それにしても、いったい何をお悩みで、まこと麗しき殿下?」「読んでいいわよ、ロッテからの手紙。」イザベラはそう言って、タバサからの手紙をカステルモールに手渡す。渡された手紙を一目見て、カステルモールの表情はほんわかとした笑顔に変わった。「おお、シャルロット様直筆の…これは家宝にせざるを得ない。」「一応機密文書なんだから、あげるわけ無いでしょう。 良いから、さっさと読みなさい。」感激に打ち震えるカステルモールに釘を刺しつつ、イザベラは読むように促した。ちなみにタバサからの手紙は全部、イザベラの部屋の宝石が散りばめられた箱に大事にしまわれている。機密、そんなのは方便に過ぎない。「なんと…これは、殿下が?」内容を読んだカステルモールが驚愕の表情でイザベラを見るが、イザベラは首を横に振る。「私がロッテと仲が良いあの豆狸をさらって来いなんて命令を、よりにもよってあの子に出すわけが無いでしょう。 私がやるなら元素のデコボコ兄弟とか、他の騎士に頼むわよ。 大方お父様が、ミョズニトニルン経由で伝えた命令だわ。」そう言うと、イザベラは頭を抱えた。何てったって、賽は既に『そぉい!』とブン投げられているのだから、過程の話をして現実逃避してもしょうがないのである。「誰か、ロッテには助けに来てくれる王子様が居ないものかしら?」とはいえ、どう考えても現実逃避な考えしか浮かんでこない。事ここに至ってはタバサを母親ごと亡命させなければどうにもならないが、それができれば初めっからこんな苦労はしていない。「それならば私が白馬にの…。」「白馬に乗った莫迦じゃあ、ロッテがかわいそうでしょ。 大体貴方、家はどうするのよ、家は? 若さとは振り向かない事だとは言え、一族纏めて粛清されるわよ?」「愛とは躊躇わない事…とは言え、今この段階でそれは拙いですな。」ジョゼフを王位から引き摺り下ろす為に影で動き回っているカステルモールが、ここで居なくなるというのはかなり拙いというのは、彼自身も重々理解してはいる。いるが、ここでタバサが処刑されてしまっては元も子もない。「しっかし、あの惚けた豆狸がル・アルーエットだったとはね。 随分とロッテと親しい感じだったけれども…そうだわ、豆狸がいたわね。」イザベラがぽんと手を打った。そしてガサゴソと机の中を探り始める。「殿下、何を?」「前に、ロッテ経由で入手した水の秘薬があるのよ。 モンモランシ家の娘が作って、豆狸の伝手で売っているらしいわ…よし、有った。」イザベラが持っている小瓶には、モンモランシ家の渦巻家紋とラ・ロッタ家の雀蜂家紋の書かれた瓶が握られていた。「北花壇騎士団があちこちてんでバラバラに散っている北花壇騎士に命令を下せるのはね。 騎士達がそれぞれ持っている魔力を、伝書用ガーゴイルに覚えさせているからなのよ。」「ほほう、それは便利ですな。 しかしそれは、御禁制の品では?」カステルモールは、感心しながらも聞き返す。ガリアの法には、《特定のメイジの魔力を感知する機器を作ってはならない》という条項があるのだ。「御禁制だからこそよ、北花壇騎士団にはぴったりでしょう? それで、このガーゴイルに…。」イザベラは小鳥型のガーゴイルを取り出すと、それにモンモランシーが作った水の秘薬をかけた。「記憶せよ。」そして一言、魔力を込めながら発動ワードを唱える。「これで、モンモランシ家の娘の魔力を感知して、飛んでいくようになったわ。」「いや、本当に便利ですな。」「便利だから禁止しているのよ。」感心しきりどおしなカステルモールに、手紙を書き始めながらイザベラは言う。 「こんな便利なものがおおっぴらに存在したら、貴方みたいな反乱分子が楽出来てしまうじゃない? 叛乱分子が楽になれば、治安を預かる側は面倒になる。 ならば面倒臭い事が出来る様な手段は、まとめて非合法化してしまうのが道理というものだわ。」「成る程、それは道理。 これは確かに便利過ぎる。 我々のような叛乱分子としましては、当局の目を逃れながら陰謀を練る楽しみが減ってしまいますな。」カステルモールは大げさに肩を竦めながら、そう言って苦笑を浮かべた。「そうそう、叛乱分子が楽できるような国じゃあ、末路が見えているわよね。 それはそうとカステルモール卿、北花壇騎士団長として東薔薇騎士団長の貴公に一つお願いがあるのだけれども、聞いてくださるかしら?」「シャルロット様に関わる事であれば、何なりと。」そう言って、カステルモールは恭しく礼をしたのだった。「こ、これは何というカリカリモフモフ…。」トリスタニアの王城で、ルイズに電撃走る。「こんな美味しいものがロマリアから伝わって流行っていただなんて、自分がド田舎暮らしだったのを今更ながらに思い知らされるわ…。」「最近喫茶店で流行りだしたばかりですしね~、仕方が無いのですよ。」蒲公英茶を飲みながら、ケティがのんびりとした口調でそう言った。ちなみにルイズが今食べているのはマカロン。アンリエッタが才人と一緒にカップル喫茶に入った時に食べたものを気に入り、導入したものらしい。気に入った理由は例によって《執務中の片手間に食べられるお菓子》だからという、色気の欠片も無いものだが、そのカリカリモフモフしっとりとした食感をルイズはいたく気に入った模様だ。「それにしてもまあ…とんでもない軍艦が出来たものね。 フォルヴェルツ号だったかしら?百聞は一見にしかずだわ 大型戦列艦並みなのに、あんなに速度が出て小回りが利くとか、戦争の常識が変わるとか言って空軍首脳が右往左往しているわよ。」スレイプニィルの舞踏会が表向き無事に終わった後に、公試が終わったフォルヴェルツ号がキュルケやコルベールと一緒に学院にやってきたのだった。そのあとトリスタニア近郊でデモンストレーション航行を済ませていた。「我が国は、アレを量産するわけね…もふもふ。」「もう少し機関を改造して、小型化する予定もあります。 まあ、我が国はどうしても寡兵になりますから、せめて質くらいは充実させておかないと…もふもふ。」アンリエッタとケティはマカロンを食べつつ、そんな会話をしていた。「さすが王城、砂糖いっぱい使っているわね。 素晴らしいカリカリっぷりだわ…もふもふ。」「貴族なのに、いちいち言う事が貧乏臭いなモンモン…もふもふ。」ルイズの横に座る才人が、視点がちょっと違うモンモランシーの発言にツッコミを入れ…はたと気づいた。「…って、こんな事をやっている場合じゃねえだろ!?」「いくら絶対王政で決断が速いとはいえ、手続きにはそれなりのアレコレが必要なのですよ。」立ち上がって現状にツッコむ才人に、ケティは冷静に返す。「そうそう、せめてこのくらいは持って行きなさいな?」アンリエッタがそう言って手渡した文章には《これを持つ者の海外に於けるあらゆる活動に対する責任をアンリエッタ・ド・トリステインが負う事とする。期限は任務終了まで》という一文が花押入りでしたためてあった。「最終的には、我が国の外交が貴方達の身分を保証すると思ってくれていいわ。 公女の命までは無理だけれどもね。」「…それって、大事じゃね?」アンリエッタの言葉に、才人は恐る恐る聞き返すが…。「大丈夫よ、もしもの時ははみ出ているラ・ロッタ家の領地で手を打つから。」「ぶーっ!?」のんびりお茶を飲んでいたケティが、思い切り口から茶を噴いた。「そそそそんな事を山の女王が聞き入れるわけがないのですよ!?」「この作戦を提案したのは貴方でしょう? ならばそれくらいの対価は支払いなさい。」慌てて抗弁するケティに、アンリエッタは鋭い視線を送る。「失敗すれば蜂の餌ですね…とほほ。」何としてでも作戦を成功させないといけないと、改めて気を引き締めるケティであった。「でも、どうやって侵入するわけ? この時期にトリステイン貴族の子女が侵入したら、たちどころにあちらにばれるんじゃあないの?」モンモランシーがそう言った時、一羽の小鳥がモンモランシーの前の降り立った。「あら…この小鳥、ガーゴイルだわ。」色が特に塗ってあるわけではない陶器製のガーゴイルの為、普通の小鳥との見分けは一瞬で付いた。そしてその小鳥の口には、手紙が挟まっていた。「どれどれ…豆狸へ? 豆狸って…ケティの事かしら?」「ええ、その通りです。 迷わず一瞬で当てやがりましたね、コンチクショー…。」周囲を見回し、ケティを見てそう言ったモンモランシーに、ケティは頬をピクつかせながら返事をした。「誰から?」「デコからですよ。」「それってひょ…。」それに反応して何かを言おうとした才人を、ケティは掌で制した。「勿論データ○ーストではありませんよ。 私の事を豆狸呼ばわりしやがるのは、あのデコ以外に有り得ません。」ケティはそう言うと、ふっと笑う。「あのデコって?」「あのデコはあのデコです。 すいません、全てが終わってから話しますから、取り敢えず追求は無しで。」アンリエッタからの問いにもケティは言葉を濁した。「…わかったわ、それじゃ頑張って公女を取り戻してらっしゃい。 馬車は用意してあげる。」そう言って、アンリエッタは微笑んだのだった。「…僕達が、全然目立っていないような気がするのは何でかね? 我が友マリコルヌ、君は知っているかい?」そんな光景の外れの方で、いじけている男が一人。その名もギージュ・ド・グラモンという。「そりゃま、僕らが絡むとギャグで尺が伸びるからね。」したり顔でマリコルヌがそう言う。「メタいな、それは。」「僕らはある程度、そういうのが許されたキャラなのさ。 もはや選ばれた存在と言えるね。」それは無い。