時は数ヶ月前に遡る。「ギギギギギ…。」悔しいのう悔しいのうといった風情で、イザベラが歯軋りしながら水晶玉の中を覗き込んでいた。水晶玉の中に映っているのは、ケティに抱きついてすやすや眠るタバサ。ケティの胸に顔を埋め、涎を垂らしていた…人間、寝顔だけはどうにもならないものである。「はぅん、ロッテ可愛い。 でもなんで、そんな娘に抱きついて寝てるのよ!? きぃ、私もロッテを抱っこして寝たい~。」「ほほう、出歯亀ですな?」「あひゃう!?」後ろから不意に聞こえた声に、イザベラは思わず身を竦み上がらせた。慌てて後ろを向いたイザベラの視界に入ったのは、いつも通りの伊達男。「夜分遅く失礼いたします、まこと麗しき殿下。」そう。カステルモールこと、シャルル・ド・バッソ・カステルモール・ダルタニャン伯爵公子だった。シャルロット派の影の主催者であり、隠れ反ジョゼフ派である彼が何故にジョゼフの娘であるイザベラとこんなに親しげであるのか?既に番外編を呼んでいる方々にとってはご存知の事と思われるが、イザベラも隠れた親シャルロット派であるが故である。「あ、あなたね、何で何時も何時も私の視界の外から不意打ちで登場するのよ!?」「私が殿下が一番麗しいと感じる瞬間は、ハッと驚いた顔とその後の慌てている表情にございますゆえ。 いわば、愛でしょうか?」あたふたしながらカステルモールを怒鳴りつけるイザベラに、カステルモールはしれっと笑顔でそんな事を言ったのだった。「な、な、な、な、な…な?」イザベラはそう言われて顔を真っ赤に赤らめたが、ふと正気に戻る。「《お前はからかうと面白い顔をする》っていうのを、わざと口説き文句的な修辞を散りばめて言うなー! 愛って言うのもアレでしょう、突っついて遊ぶ的な話でしょう!?」「はっはっは!流石はまこと麗しき殿下、実に聡明でいらっしゃる。 我が愛が通じたようで何よりですな。」ムキーと怒るイザベラを見て楽しそうに笑いながら、カステルモールは投げつけられたペンや文鎮をヒョイッとかわした。「しかし、あのシャルロット様とこれほど親しげになさるとは。 いったい何者ですか?」そしてそのままイザベラの元へつかつかと歩み寄ると、水晶玉を覗き込んでイザベラに訊ねる。「ケティ・ド・ラ・ロッタ。 6000年間領地を拡げもせず狭めもせずにやってきた、家系の古さだけならハルケギニア屈指の家の娘ね。」「ラ・ロッタといえば、我が国の領土を6000年くらい不法占拠し続けている家ですな。 ほほう、これがかの一族の娘ですか…。」イザベラの言葉を聞いて、カステルモールは興味深げにケティの寝顔を見る。前ガリア王国の時期も含めて6000年も占拠しているなら不法もクソも無いような気がするが、ガリア的にはどうしても認めたくないらしい。「そう、ガリア貴族なら家系の中に一人は先祖が餌にされた事があるとか言われている、あのラ・ロッタよ。 別に領主一族が食べたわけじゃなくて、彼らの領地を守護している蜂が勝手に迎撃して勝手に餌にしているのだけれども。」「まあ確かに、領主一族は実質蜂の縄張りを許可を得て間借りしているだけですからな。 外交儀礼上致し方無いとは言え、我が国から数十年に一回の割合で宣戦布告されても、迷惑なだけかと。」エトルリア帝国時代のラ・ロッタに於いても何度か帝国軍が大規模侵攻を行い、そして誰一人として二度と帰って来なかったと言われている。その為に補給線が妙な形に延びてしまい、前トリステイン王国はそれを利用しトンヘレンにおいてエトルリア帝国軍に対して大勝利を収めたり、怒り狂ったエトルリア帝国軍の大軍勢によって逆襲されてコテンパンに滅ぼされたりという歴史の一因ともなったのだ。「…困るのよね。」「はあ、困ると言いますと?」溜息を吐くイザベラを見て、カステルモールはそう問い返す。「あの娘、最近ロッテの任務について行っているのよね。 よりにもよって北花壇騎士の任務に、他国の貴族の子女が。 しかも、解決に協力したりしているから、ロッテからの信頼も鰻登り。 私は恨まれ役なのに…ううっ、私もロッテを抱っこしたりすりすりしたいぃ。」「はっはっは、一番最後のが本音ですな。」「うっさい!」朗らかに笑うカステルモールを、イザベラは顔を赤くして怒鳴りつけた。「た、確かにそうだけど、実際うちの任務で他国の貴族の子女が怪我なんかしたら、大事なのは間違いが無いのよ。」「…つまり、あのラ・ロッタの呑気そうな娘にひと泡吹かせて手を引いて貰いたいと、そういうわけですか。」カステルモールは、そう言うと考え込んだ。そして、ポンと相槌を打つ。「おお、良い事を思いつきましたぞ。 シャルロット様もまこと麗しき殿下も、そして何故か私も得をするという妙案が御座います。」「何で貴方が得をしなければいけないのかがよくわからないけれども…まあ良いわ、聞かせて頂戴。」半眼でカステルモールにジトーっとした視線を送りつつ、イザベラは頷いた。「では、お耳を拝借。」「良いけど、いきなり息吹きかけたりしたら、これで殴りつけ…。」そう言って、イザベラは近くに置いてあった人形を手に取り…止めた。何故ならば、それが魔法の人形だったからだ。魔法の人形は高いので、鈍器代わりにしてブン殴ったりホイホイあげたりするようなものではない。「コホン…スキルニルで殴ると勿体無いから、こっちで。」イザベラは気を取り直すように咳払いをして、棚から文鎮を取り出した。「…先程も文鎮が飛んで来たような気がするのですがな?」「こっちは予備用よ。 癇癪持ちの王女という表向きの姿ってのもあるし、投げるものは用意しておかないといけないの。」苦笑を浮かべながら、イザベラは文鎮をふらふらと振って見せる。癇癪持ちのフリするのも、結構大変らしい。「どっち向きであれ、体面を維持するというのはなかなか大変なものですな。 悪戯はしませんから、ご安心あれ…文鎮で殴られると痛いですし。」「やる気だったのね…。」イザベラは文鎮をぎゅっと握りしめると、カステルモールを半眼で睨みつける。「はっはっは、それはどうで御座いましょうや? では気を取り直して、お耳を拝借…。」「取り敢えず腕は振り上げておくから…ふむふむ?」カステルモールから悪巧みを聞かされたイザベラの顔が、ゆっくりとにんまりしたものに変わっていった。「ふぅん…成る程。 私はお前を見ているぞっていうのを、あの娘に知らしめるわけね。」「はい、左様にございます。」イザベラとカステルモールは、顔を見合わせてにんまりする。「まあ、貴方がロッテの味方だというのを、教えてあげるっていうのも悪くは無いわ。 適当な貴族を見つくろって…面白くなりそうね。」「そして私のシャルロット様へのつかみもバッチリと。 いや、一石二鳥ですなぁ、はっはっは。」「そーね、そのとーりね、おっほっほっほっほ!」イザベラは『いや、それは無い。無いというかもしそんな事になったら潰す』とか内心で思いつつも、笑顔で頷くのだった。「くっくっく、見ていなさいあの豆狸。 …先祖代々の恨みもちょっぴり込めて、追い払ってくれるわ。」「おお、何というか、実に悪役らしい表情と台詞ですな。」カステルモールは微笑ましいものを見る視線をイザベラに送りつつ、パチパチと拍手する。「勿論、だって私は悪役だもの☆」そう言って、イザベラは何処にともなくウインクして見せるのだった。朝、カーテンから漏れ降る太陽光と鳥の声、ケティはベッドの中で目を覚ます。「ん…むぅ。」ケティはむくりと起き上がろうとしたが、重くて起き上がれない。そして、何か異常に暑い。「ぬ…?」よく見ると、何時の間にやらタバサが抱きついていた。「杖…杖…あった。」枕の下に置いてある杖を取り出すと、ケティはタバサにレビテーションをかけて浮かび上がらせる。筋肉が無くても魔法があるのは便利だなぁと思いつつ、ケティはタバサを隣にふわりと下ろして寝かせると起き上った。「今日も良い天気みたいですね。」ケティはベッドから降り、カーテンを一気に開ける。「おお、今日はかいせ…ぬ?」遠くから、何か黒い塊が猛スピードで突っ込んで来る。それの弾道は、どう見てもケティの部屋の窓に向けられたものだった。「な、何なのですか、アレは…?」そのでかい塊を見て、ケティはとっさに横向きにジャンプした。「うひゃああああああぁぁぁぁぁぁッ!?」それと同時に窓を思いきり突き破って何かが突入して来る。窓硝子や窓枠が砕ける音が部屋中に響き渡り、破片が飛び散った。「な、な、ななな…。」寝起きにあんまりと言えばあんまりなハプニングに、ケティは呆然とした表情で腰を抜かしている。びっくりしたせいなのか、髪の毛もいつになくボンバーな状態になっていた。「…………おはよう。」流石の轟音にタバサも目を覚ましたらしく、ムクリと起き上がった。こちらはびっくりしたとかは全く関係無く、いつも通りボンバーな髪形である。癖の無い直毛なせいなのか、夜寝ると重力から解放された髪が逆立つらしい。「お、おはようございます、タバサ。 あ、あれ、何ですか?」タバサの挨拶に返事をしながら、ケティは黒い塊を指さした。「…ん?」タバサはベッドに立てかけてあった杖を持ち、ぽそぽそと小声で呪文を詠唱する。「フライ。」杖に腰かけてフワリと浮き上がり、硝子等の破片が散らばった床に足をつけないようにして、その黒い塊に近づく。そして試しにちょいちょいと人差し指で突いてみた。「ん。」動いたりしないのを確認して、タバサはそれをひょいっと持ち上げる。黒い塊は黒い革製の袋だった。「プチ・トロワからの速達便。」「貴方の国は速達送る度に、恐怖新聞みたいに人の部屋の窓をブチ破るのですかぃ!?」あまりの理不尽さに思わずツッコむケティ。「リュティスではよくある事。」「ンなわけあるかぃ!?」ボケ倒そうとするタバサに、ケティは再度ツッコんだ。「冗談…でも、かなり急ぎ?」そして、皮袋をごそごそやって、その中から林檎を取り出す。「林檎?」それを見てケティは首を傾げる。「まだある。」次に出て来たのは小麦粉の入った袋、卵、砂糖、バター…。「アップルパイが作れそうですね。 つーか、材料にわざわざ強化をかけて送るとか…。」「まだある…?」タバサが最後に取り出したのは、手紙であった。「任務。」そう言って、タバサはケティを見る。「アップルパイ作って。」「ええと、何故?」ケティは任務とアップルパイが結びつかずに首を傾げる。「任務に来る前に、アップルパイを作って食べるように。 でも、料理作れない貴方には無理かもね…嫌がらせだけど、命令。」「…随分と地味な嫌がらせなのですね。」ケティはあまりにもアホな命令に口の端を痙攣させた。天下の北花壇騎士にアップルパイ作れとか、無茶苦茶である。「でも、確かに私は料理を作れない。 たぶん作っても酷い事になる。 そして、この種類の林檎は酸っぱくてそのままじゃあ食べるのが難しい…的確。」「あー…だから、私に頼んだと。 確かに私が作ってはいけないとは書いていませんね。 わかりました、作りましょう。」ケティは送られてきたものに《大きくなれよ~》的なものを感じたが、《まさかな~》と流す事にした。まさかまさか、ケティもイザベラが悪人のフリをしつつもタバサを見守っているとは思いもよらない。原作知識がある故の盲点だった。「どうも、皆さん知ってるでしょ~? ケティ・ド・ラ・ロッタでございます。」その日の夕方、厨房からちょっとやつれたケティが現れた。朝から延々と授業の合間を縫ってパイ生地やリンゴの砂糖煮を作り、ようやくアップルパイを焼き上げたのだ。なんてったって、タイムリミットは今晩まで…かなりの無茶が必要だったようだ。「おい、パイ食わねぇか?なのですよ。」「ん。 あむ…もぐもぐ。」タバサは差し出されたパイを口に頬張る。「かなりの突貫でしたが…どうですか?」「もぐもぐ…美味しい。」味を訊ねるケティに、タバサは行儀良く口の中のものを飲み込んでから返答した。「あ、ずるい。何でタバサだけがアップルパイ食べているのよぅ?」そこにやって来たのはピンク色。みんなの剛拳、ヒロインのルイズである。「ああ、これはタバサの親戚筋からパイを作って喰えと送られて来たものでして…。 タバサは今日の晩に一度リュティスに戻るので、その前に作らなきゃいけなくて…いやはや、テンパりました~。」「ふーん…タバサが作れるわけが無いし、ケティに対する嫌がらせみたいな贈り物ね。 あむ…ん~、甘酸っぱくて美味しい~。」ルイズは一切れつまみ食いをすると、幸せそうにふにゃっと顔を緩ませる。「……………。」そんなルイズを静かに睨みつけるタバサ。「そんなに心配しなくても、これ以上は食べないわよ。」「ん…あむ。」苦笑いを浮かべて首を横に振るルイズに、タバサはコクリと頷くとアップルパイを食べるのに戻った。「タバサって、確かに大食いだったとは思うけれども、こんなに食い意地張っていたかしら?」「…まあ、食べるのもお仕事の一つなのですよ。」困惑した表情を浮かべて訊ねてきたルイズに、ケティは苦笑を浮かべてそう言った。あまり詳しく言うわけにはいかないのだ、タバサの身分は。「ああ、例の騎士団の…って、やっぱりこれ、ケティに対する嫌がらせないんじゃあないの?」「ほよ?」ルイズからのそんな指摘に、ケティは首を傾げた。「タバサは自分でパイのようなものを作って不味そうに食べても、あんまり気にしない性質のような気がするのよね。 ついでに言うとね、私達貴族は作って貰うのに慣れているから、作って貰う事が迷惑だなんて思う人はまあまず居ないわよね。」「まあ確かにそうですが、そう言われると何気に駄目人間集団ですね、私達…。」ルイズの台詞を聞いて、ケティはガクリと肩を落とす。「となると、誰が一番迷惑するかといえば、アップルパイを作る人間でしょ? んで、迷惑を迷惑とも思わずに、友達とか身内だと思う人の為なら頑張ってしまう人が居るわけ…ケティの事よ。」そう言って、ルイズはケティをびしっと指差した。「つまり、これはケティを狙い撃ちにした作戦なのよっ!」「な、なんだってー!?」ケティはひとしきり仰け反ってから、元に戻った。「ううむ…まあ、考えられなくもありませんか。 分かりました、警戒はしておきます。」ケティも、ガリアの諜報能力の高さは知っている。自分が本来の《原作》に潜り込んだ異物故に、相手にも何か波乱を引き起こしている可能性はある。とは言え、ガリアで襲撃者をホイホイ迎撃して殺すわけにもいかない。何せ火系統は、手加減に向いていない事には定評がある系統なのだから。「そういや、アレが何個かありましたね…念の為に持って行きましょう。」「アレって…?」ルイズが独り言を口走ったケティに聞き返す。「不意を打てば、ドラゴンどころかルイズだって倒せる道具です。」 「何でわたしがドラゴンより上になっているのか、理解し難いわ…。」「理解し難いルイズが理解し難いのです…。」ルイズの認識ではドラゴンというのは腕利きの戦士が苦労してたやっと倒せるものだと思っているが、ケティの認識ではルイズはドラゴンの炎も全部魔力の保護膜で跳ね返した揚句、ドラゴンをフルボッコに出来ると思っている。お互いの認識にはかなりのギャップがあった。そんなこんなやっていたケティのマントが、くいくいと引っ張られる。「おやタバサ、食べ終わりましたか?」「ん。」コクリと頷きつつ、タバサは口の周りをハンカチで拭いている。そして、空になった食器を待機していたメイドが素早く片付けて行く。何せ、そろそろ夕食の時間なのだ。「ねえタバサ、晩御飯は食べるの?」「ん。」ルイズの問いに、当然という表情でタバサは頷く。「晩御飯は別腹。」斬新な別腹だった。「…じゃ、行く。」「きゅい。」夜中、厩舎にやって来たタバサが、シルフィードに声をかける。そしてシルフィードに乗ろうとして、背中に誰かいるのに気づく。「そう、私なのです。」「ケティ?」タバサの任務には強引について行かないと連れて行って貰えないので、任務を受けたことを確認した時には先回りして待っている事にしているケティだった。「きゅいぃ~。」「シルフィードが困った声を出していますが、空気など読まないのですよ。 さ、行きましょうか、タバサ。」そう言ってケティが差し出した手をタバサはぎゅっと握り、引っ張り上げて貰ったのだった。「目をつけられている可能性がある。」「ええ、ルイズの指摘はもっともだと私も感じました。 まあそんなわけで、どの程度目をつけられているのか確認しようかなと思いまして。」タバサの警告にケティはそう返答する。この頃のケティは自分の命を軽く見積もるところがあり、まだそれは改められてはいなかった。「ん、わかった。」タバサも復讐以外の事に関しては割と淡白なので、あっさりと頷く。とは言え、ケティを失うわけにはいかないので、何かあったらきっちり守ろうとは思っていたが。「じゃ、行く。」「きゅいいいいぃぃぃっ!」シルフィードは大きく翼を広げ、夜の空に向けて飛び立った。「命を狙われている可能性がある?」上昇中の風に吹かれながら、タバサはケティに聞き返す。「幾ら北花壇騎士団とは言え、目障りな相手を片っ端からホイホイ殺していたら警戒され過ぎます。 まあ、目障りだと思うなら、殺す前に何らかの警告をして追い払おうとするでしょうね。 タバサはどう思いますか?」「ん、同意。」タバサとしても、ケティが目障りとイザベラが思おうが、直ぐに殺すという判断はしないと思っている。どういう意図なのかわからないが、タバサは誰かを暗殺しろなどといった北花壇騎士に依頼される本当の意味できつい任務を命令された事が無いのだ。例外的なのは、最初のキメラドラゴン退治くらいだろうか。そんな理由もあって、イザベラはタバサを精神的に追い詰め過ぎる気は無いというのをタバサ自身把握してはいた。だから、ケティをいきなり殺害したりする事は無いだろうというケティの論理に同意したのだった。…まあ、実際にはキメラドラゴン討伐の件の時にすら、イザベラがこっそりと自費で元素の兄弟を影で護衛として派遣していたり、色々と裏でフォローはしていたらしい。悪人のフリしつつ、従妹にベタ甘なイザベラであった。タバサの立場、身分の関係上、彼女がプチ・トロワに到着するのは常に夜である。「じゃ、行って来る。」プチ・トロワの駐竜場に到着したタバサは、早速プチ・トロワに向かって歩いていく。「はいはーい、行ってらっしゃい。」「きゅい!」ケティとシルフィードはそれぞれ手と翼を振って、それを見送った。「…腹黒娘、お姉さまが気づくまで黙っていてあげたんだから、いつものブツを寄越すのね。」「はいはい、すっかりセコい方向に狡賢くなってしまって…誰から学習したのだか。 天下の風韻竜が泣きますよ?」そう言いながら、ケティは皮袋の中からザリガニを取り出す。出発時にケティが背の上に居たにも拘らず、タバサが乗ろうとするまでそれを知らせなかったのは、裏取引だったらしい。「絶対、目の前の腹黒娘のせいなのね。 お姉さまからの影響を受け続けているなら、シルフィは絶対にもっとピュアな韻竜だった筈です、きゅい。」シルフィードはそう言うと、ザリガニを殻ごとバリバリと噛み砕き始めた。「莫迦は休み休み言え~なのですよ。 狡っからくなって来たのは兎に角、セコいのは間違いなく生まれつきの性分なのです。」「世界最強の生き物のドラゴンに対して何たる無礼者、本当なら頭から丸呑みにしているところなのね。 でも、ザリガニが美味しいから…バリバリ…許してあげます。 きゅいきゅい、ザリガニは石の下とかに隠れていて滅多に見つけられないけど、美味なのね~♪」幼生と言えど竜の顎にとって、ザリガニの殻など良い感じの歯応えにしかならないらしい。そう考えると、頭から丸呑みは決して出来ない事ではないのだろう。言っているだけで、やる気は全く無いだろうけれども。 経費節減で普段は消してある灯りを全て灯し、いつもはビシッと着こなしているドレスを脱いで下着をいかにもだらしなく気崩し、イザベラはベッドにごろりと転がった。「よし、これで何処からどう見ても駄目で癇癪持ちなイザベラね。」「姫様、そんなに演出なさらなくても…。」メイドの一人がそう声をかけるが…。「ハッ、あたしはこれで良いのさ。 敵はわかりやすく敵であるに限るってね。」イザベラは口調もだるそうで乱暴なものへと変わり、怠惰に濁った瞳でメイドを見た。そしてベッドに寝そべると、普段は一滴も飲まないワインをグラスに注いで口に含む。「北花壇騎士七号、御成り。」「通しなさい。」イザベラの言葉と同時に王女執務室の扉が開き、タバサが入って来た。「…よく来たね、人形。」「……………。」イザベラの言葉に、タバサは静かに頷く。「それで、パイはきちんと作って食べてきたんだろうねェ?」「…………ん。」タバサはコクリと頷く。「さぞかし不味かっただろうねえ。 あんたも私も王族暮らし、料理なんか作った事すらない…まともなものなんか、作れる筈が無いんだから。」実際はケティが作ってタバサに食べさせるのを、『きぃ、羨ましい』とか歯軋りしながら見ていたのだが、イザベラはそんなのおくびにすら出さずに嘲弄してみせる。「意外と、美味しかった。」「ふぅん、そう…そりゃ良かったね。 ま、味音痴のあんたなら、それもあり得るか。」イザベラはタバサが黙々とパイを食べていた光景を思い出し『やっぱりロッテは食べている姿が最高に可愛いわね』とか思いながら、タバサの味覚を莫迦にしたのだった。「さて、シャルロット大公女殿下? 貴女に任務を与える前に、まず準備してもらうとするわ…この人形を風呂に入れ、磨き上げなさい!」『はい、かしこまりました。』次女達が一斉にタバサに群がると、持ち上げてわっせわっせと風呂に運んでいく。「ではシャルロット様、お召し物を脱がさせていただきます。」「………………………。」タバサは為すがままに服を脱がされ、浴場で全身泡に包まれる。いきなりのわけがわからない展開に、タバサは何時もの表情を崩さないながらも、額に一筋汗を浮かべていた。「をう?またもやタバサがマッパに…。 今度はお風呂に入れるのですか。」何時ものようにゴキブリゴーレムで事の次第を見ていたケティも、来る度に何らかの理由をつけて素っ裸にされるタバサを可哀相に思いつつ、その状況を見守っている。「お姉さま、また服脱がされているのね?」「脱がされているどころか、お風呂で体を洗われているのです。」タバサは全身をくまなく丁寧に洗われ、香油でマッサージされ、爪を整えられ…兎に角、今まで結構無造作だった外見上の手入れを一気に施されていた。髪もかなり無造作に切られていたものが、違和感無いように整えられていく。「人間の考えている事は、わけがわからないのね…。」「人間の私ですら意味が不明なのですよ…。」ケティといえど、タバサが何でこんなに念入りに洗い整えられているのかさっぱりである。例えばどこかの貴族に嫁に出すつもりならば、事前に何らかの動きが起きるのでケティの情報網にも引っかかる筈なのだが、その兆候は全く無い。そもそも魔法学院に行っている間は、縁談話とかは普通は入ってこないのだ。「おおう、今度は化粧なのですか…。」「化粧って、あのパタパタ~って、顔に粉を塗ったくるやつなのね。 泥浴びみたいで楽しそう、きゅい。」シルフィード的に、化粧はアリらしい。タバサは念入りに髪を梳かれ、化粧を施され、綺麗なドレスを着せられた。そうなると矢張り王族であり、しかも美形揃いと評される当代ガリア王家の人間だけあって、何時もを更に上回り気品すら漂う美少女となったのだった。「何となく、何をするのかわかってきたような~? まあそれは兎に角、人が風呂に入るのを始終見るとか、これではまるっきり…。」「変態ですなぁ。」ケティの背後から、不意に男のそんな声がしたのだった。