「ん…。」タバサはベッドの上で目を覚ました。「ここは…?」タバサは起き上がり周囲を見回してみる。流行からは外れているが、豪奢な家具がしつらえられた部屋の中にタバサはいた。彼女自身も高級な寝巻きに身を包んでいる。王族とはすなわち国家の肖像。王族を見る事で、国家はその格を計られる。廃止されたとはいえ王族ともなれば、それなりの待遇が必要となるのだ。そして王族として遇されているという事は、北花壇騎士を解任されたという事でもある。あの裏の部隊は、王族が所属して良い部隊ではない。「眼鏡、眼鏡…。」実はそんなに目が悪いわけではないタバサだが、この境遇になってからずっと一緒にやってきた相棒みたいな眼鏡である。かけなくてはどうもしっくり来ない為、ベッドの横を探るときちんと置いてあった。勿論、何か仕掛けを施した痕跡も無い。「ゴキブリ、ゴキブリ…。」タバサはケティと別行動をとる時は何時も渡されていたゴキブリゴーレムを探す。ぶっちゃけ、気持ち悪いから捨てられている可能性が高いが、取り敢えず探してみる。「あ、あった…。」ゴキブリゴーレムもきちんと取ってあった。しかも宝石箱の中に入っている。「何故…。」ひょっとして装飾品かなんかと勘違いされたのかしらとか思い、タバサは気が重くなった。いくら復讐に燃えているとは言え、彼女だって年頃の女の子である。ケティから預かっているものとは言え、ゴキブリで身を飾っているだなんて思われたくない。蝶々とかだったら良かったのにとタバサは思ったが、ケティは『それじゃあ強度が』とか言い出すだろうと思い至り、溜息を吐いた。あの娘は一見可愛いのに、何処か乙女力が足りない…薄笑いを浮かべながら、銃なんかにスリスリしている事があるし。自身の女らしくない所は取り敢えず棚上げして、タバサはもう一度溜息を吐く。「目覚めたか?」そんな声がしたので振り返ると、そこにはのんびりと本を読んでいるエルフが居た。読んでいる本のカバーには覚えがある。それも当然で、タバサの愛読書である『イーヴァルティの勇者』だったからだ。のんびりと本を読んではいるが、それも当然。タバサの本気中の本気で放った魔法を容易く弾き返すという、とんでもない芸当を難なくやってみせたエルフである。タバサなどはなっから敵だとすら認識していないのだろう。視線だけで杖を探すが、当然無かった。杖が無ければ魔法だけではなく、タバサが得意とする近接戦闘技の長杖術も使えない。どうにもならない状況だったので、タバサは開き直ってエルフを指差し口を開く。「耳の長い人。」「エルフだ。」「ん。良い反応。」間髪いれずに訂正を入れてきたエルフに、タバサはわかっているといった風情で頷く。敵対者は取り敢えずおちょくって反応を見るケティの真似をしてみたタバサだった。悪い傾向である。「私はタバサ。」「シャルロットという名だと聞いているが?」「それは世を忍ぶ仮の名。 本当はゴンザレス。」「最初に名乗った名が、跡形も無くなったんだが…。」エルフの顔に困惑が浮かぶ。そんなエルフの顔を茫洋とした表情で眺めるタバサ。シュールな空気が場を支配し始めていた。「場を和ませるためのジョーク。 タバサと呼んで。」「全く和んでいないような気がするが、それが人間のやり方ならば仕方あるまい。 あの王も良くわからない事をするしな。」エルフは異文化交流に於ける齟齬だと勘違いしたらしい。鷹揚に頷いてみせた。「私は名を名乗ってみせた。 今度は貴方の番。」「ふむ…これは双方共に変わりない礼儀のようだな。 我はネフテス老評議会議員…いや、今はただのビダーシャルだ。 サハラのビダーシャルと呼ぶがよい。」タバサはビダーシャルと名乗るエルフの態度がやけに偉そうなのが若干気になったので、椅子の上に立って胸を張る。それでも背の低いタバサよりもビダーシャルの背丈はなお大きかったが、視線はある程度対等のものとなった。「…何をしている?」「そっちに合わせてみた。」「視線をか? それは痛み入る。 あのままだと、少々首が痛かったからな。」遠まわしにチビだと言われて軽くグサッと来たタバサだったが、表情には出さずに言葉を続ける。実は少し眉の端が上がっているが、ビダーシャルには気づけない変化だった。「ここは何処?」「アーハンブラ城だ。」「ずいぶんあっさり。」「我が居る。 そなたは母を置いてはいけぬとも聞いている。 その上この地はサハラの手前であり、乾燥地帯で身を隠す森すらない。 故に逃げる事は叶わず、場所をばらしたとて何が出来るわけでもないからな。」ビダーシャルは自分の力に自信を持っているし、その力は紛れも無く他者を圧倒しているのもタバサには理解出来た。恐らくは『破壊神』とか呼ばれている烈風カリンでも、対抗は困難ではなかろうか?タバサはそう予測している。「母が居るの?」「ああ、隣の部屋だ。 今は眠っている。」ビダーシャルの言葉を聞いてタバサは隣の部屋に向かい、ドアを開けた。「お母様…。」そこには蒼銀色の長い髪をした、美しい容貌の女性が眠っている。謎の水の秘薬によって心を喪ってしまったタバサの母である。「……………。」タバサは母の頬に手を伸ばし…母の頬をつつく。「…それは、蛮人特有の愛情表現なのか?」「ん、ぷにぷに。」不思議そうな表情を浮かべるビダーシャルに、タバサはサラッと嘘を吐いた。タバサなりの愛情表現であって、人類特有のものでは無い、多分。「そうなのか…。」「ん。今度あの王にもやってみると良い。 頬ではなく、首に力強く思い切りやるときっと大層喜ぶ。」「わかった、感謝する。 蛮人の風習とは、なかなか変わっているな…。」そしてあっさり騙されるビダーシャル。タバサみたいな淡々とした表情の少女が、サラッと嘘を吐くとは思ってもいないようだ。ビダーシャルに会うなり、いきなり思い切り地獄突きされたジョゼフがどう思うのであろうかと、タバサの口元が軽く緩んだ。「それで…。」「何だ?」タバサは母の頬をつつくのを止めると、立ち上がってビダーシャルの方に振り向いた。「私達はどうなるの?」「ふむ…。」ビダーシャルの表情が殆ど消え、目に憐みが浮かぶ。「守れと言われている。 ガリア王家の正統は、もはやそなたとあのおでこの広い娘のみである故にな。 ただ、そなたには心を喪ってもらう。」「つまりそれは…。」タバサは母を見ながらビダーシャルに尋ねる。「私も母と同じになるという事?」「その通りだ。」タバサの問いに、ビダーシャルはゆっくりと頷いた。「という事は、母をこんな風にした薬も?」「ああ、そなたら蛮人では、これほど長い間心を停滞させる秘薬は作れぬ。」「そう…。」モンモランシーなら何かの偶然でやらかし…もとい、作ってしまうんではないかな~とか思いながら、タバサは頷く。「羽も生える…。」「羽?いや、そんなものは生えないが…?」この前モンモランシーの実験台になった先生が翼生やして《シャギャー!》とか雄叫び上げながら東の空に消え、後にケティが笑顔で『無事発見されて、現在アカデミーで《治療中》です』とか言っていたのを思い出し、思わずそれがタバサの口から漏れ出てしまったようだ。「何でもない。」「そうか。」あの先生、《治療》は終わったのだろうかとか思いながらタバサが首を横に振ると、ビダーシャルは特に問いただす事も無くそのまま鷹揚に頷いた。ちなみにその先生の名前はギトーとかいう、風最強理論を提唱していた先生だ。モンモランシーの話によると、彼女が魔力を強化する薬の実験をしていたのを聞きつけてやってきて、まだ準備段階だった薬を思いっきり飲んでしまったらしい。『私は無罪よ』とか、そんな事をモンモランシーは言っていた。風系統の得意なタバサには凄く優しい人だったので、良い人を亡くしたなーと心の中で祈ったのを思い出した…死んでないけど。「何で母がこんな穏やかな表情で眠っているの?」薬に侵されてからというもの、タバサの母は眠っている間も悪夢にうなされているのだ。このような安らかな寝顔を見るのは、恐らく母が心を喪う前の事だろう。だからこそ、タバサも少し心に余裕がある。「倒れたそなたを見たら半狂乱になって暴れてな。 心を停滞させている筈だが、それでも何か感じる所があったのであろう。 母親というのは凄まじいものだな。 仕方が無いので、眠って貰う事にした。 今は夢を見る事も無い深い眠りについている。」 「今は夢なんか見ない方が良い。 どうせ悪夢にうなされるだけ。」そう言ってから、タバサは周囲を見回す。「私の使い魔はどうしたの?」「あの韻竜なら『ええい、この野郎め!覚えてやがれなのね!』とか、捨て台詞を残して逃げた。」表情を変えずに裏声でシルフィードの声真似をきっちりやってのけるビダーシャルに、タバサは無表情のまま軽くよろける。このおじさん変だ、エルフとかそういうレベルじゃなく変な人だと確信した。後、シルフィードに変な捨て台詞を覚えさせたのは、紛れも無くケティだろうな~とも思ったのだった。「私は何時、母と一緒の状態になるの?」「我の渾身の声真似への感想は、いかに…?」「私は何時、母と一緒の状態になるの?」「無視か…そうか…。」全力でスルーする事にしたタバサにビダーシャルは少し肩を落とし、言葉を続ける。「あの秘薬は我らでも調合が難しい代物でな。 10日ほどかかる。」「そう…。」10日のうちにケティ達が来ないと、自分も母と一緒の状態になってしまう。とは言え、この状況で逃げるのは無理だろう。ビダーシャルはちょっと変なおじさんだが、滅茶苦茶強力な魔法を使う耳の尖ったちょっと変なおじさんである。いくらケティ達でも、このちょっと変なおじさんに勝つのは困難だとタバサは思う。とはいえ、ケティは部外者には鬼のように冷たいが、身内には物凄く優しい人間である。来てしまうのだろう、そしてビダーシャルと戦う事になるのだろう。その時、自分はどうすれば良いのか、覚悟を決めよう。そうタバサは思った。「10日は短いようで長い。 そなたは本を読むのが好きだと聞いたゆえ、そなたの屋敷の書庫から本を持ってきた。 好きなのを読むがよい…ふむ、バタフライ伯爵婦人の気まぐれな午後?」「その本は読まない方が…。」本屋に行ったらベストセラーシリーズという事で積まれてあったので一冊買ってみたのだが、自分には理解不能な表現が多かったのでそっと本棚にしまっておいた物である。何故にトリスタニアでは本屋の正面にエロ小説のシリーズものが積まれているのだろうと、それだけがひたすら不可解なタバサだった。「…蛮人。」「ごめんなさい。」パラパラと流し読みした後、頬を赤らめて抗議の視線を送るビダーシャルに、タバサは人類の代表として謝る事にした。変なおじさんの癖に初心だな~、この変なおじさんとか思いながら。「これはそなたにはまだ早い、没収。」『バタフライ伯爵婦人の気まぐれな午後』を大事そうに懐に仕舞いながら、ビダーシャルは他の本を手に取る。「『イーヴァルディの勇者』か。 これは我も何度か読んだことがあるが、実に興味深い物語だ。」『イーヴァルディの勇者』とは、このハルケギニアにおいて最もポピュラーな英雄譚だ。それと同時に最も不可解な英雄譚でもある。何故か?それはこのイーヴァルディの勇者が始祖ブリミルからの加護を受けた勇者でありながら、メイジでは無いという点にあった。イーヴァルディの勇者は始祖の加護を得た光る左手を持ち、剣と槍を自在に操って竜を倒し、魔物を倒し、亜人を倒し、時には悪逆非道な領主のメイジさえも倒しているのだ。この世界に於いて、メイジとは始祖ブリミルからの加護を受け、系統魔法が使えるようになったとされている。魔法とは始祖の権威と加護の象徴でもあるのだ。故に始祖ブリミルの血がどれだけ濃いかという点が、王家の正統性として最重要視されている。だからこそ虚無の系統に目覚めたルイズは、アンリエッタに次の王はお前だという宣告をされてしまった。そんな世界に於いて『光る左手』という、教会の唱えない始祖の加護が描かれているのだ。「これと同じような伝承は、我らエルフにもある。 聖者アヌビスと言ってな、シャイターンを打倒し《大災厄》によって危機に陥った我らが大地を救ったと、そう記されている。 このイーヴァルディと同じように、我らがアヌビスも同じ聖なる光る左手を持っていたとされているのだ。 何故エルフと蛮人が非常に似通った伝承を受け継いでいるのか、これは非常に興味深い。」教会の唱えない始祖の加護など、まさに異端としか言いようが無い代物である。実際、教会からは何度も異端と認定され、そのたびに焚書の憂き目に遭って来た物語でもある。しかしそれでも消えていないのは、この物語の主人公がメイジでないという、まさにその点にある。イーヴァルディの勇者は魔法を使えない主人公であり、つまり平民の物語なのである。故に平民からの支持が凄まじく、弾圧は平民への過剰な弾圧とまで受け止められ反乱の芽となる。領主は領主で、たかが物語で領民のガス抜きが出来れば安いものであるから、賢明な領主はそれほど熱心には弾圧や焚書などを行わない。ラ・ロッタ家とかになると、そもそも教会中枢と仲が悪いので何もしない。必然的に物語は残り、弾圧の季節が過ぎれば再生産された物語が世間に広がっていって元の木阿弥となる。それどころか、弾圧の度に色々な解釈が行われた物語が増えていくのだ。そうして物語が色々と脚色された結果としてイーヴァルディは男であり、女であり、大人であり、子供であるという、千変万化な平民の物語となった。そして今、トリステインでは才人をイーヴァルディと重ねて見る人も少なくない。「我らエルフからそなたら蛮人に伝わった物語である…とするのが我らの解釈だが、何分大昔の話だからな。 今となってはそなたら蛮人よりも長寿命の我らですらわからぬ。」「これの解釈をしている人を知っている。」「ほう?」イーヴァルディの研究は全くと言って良いほどされていなかった。それが何故かといえば、研究などを行える知識階級がメイジな為、メイジを否定するような研究をしたがるものがいなかった事、弾圧が何度もされた事により再生産や多岐にわたる解釈がなされた為に原典がどれなのか判らなくなってしまったという点などがある。しかしタバサはケティからこんな話をされていた。『イーヴァルディは世俗化されたガンダールヴの伝承なのです。 しかも一人ではなく、数人の虚無とガンダールヴの物語なのですよ。』と。また、こんな事も言っていた。『新解釈で増えたものもあります。 その方が圧倒的に多いのも確かです。 ですが、いくつかのイーヴァルディには己が何なのであるのか理解出来ていない虚無系統と思しきメイジの姿も見えるのですよ。 有名な伝説や伝承には、必ずといって良いほどその元になった歴史的な事実が存在します。 例えばイーヴァルディの中でも名作とされるこの本なのですが・・・。』それは偶然なのか必然なのか、ビダーシャルがタバサに渡した本と同じ物語であった。「光る左手は、即ちガンダールヴの証であると。」「しかしそれでは、我らの聖者アヌビスの伝承はどうなる? ガンダールヴはシャイターンの僕の筈だが、アヌビスはそのシャイターンを倒した者とされているのだぞ。 我らはエルフだし、そなたらの使い魔は主人を害せない筈だ。」「エルフがガンダールヴになれない、などという法は無い。 人とエルフが接触しない、などという事も無い。 現に私達は、こうして話をしている。」「!?」「そして、命令すれば使い魔は主人を殺す事が出来るようになる。」使い魔は主人に対して殺意を抱く事が原則的に出来ない。出来ないが、主人が自分を殺せと命令した時はその命令が優先され、一時的に主人を殺す事が出来ないという原則が停止するのだ。勿論、殺すか殺さないかまでを主人が限定する事は出来ない。殺すか殺さないかは、飽く迄も使い魔の意思による。「とはいえ、これは飽く迄も解釈のひとつ、あまり深く考えてもしょうがない。」「…興味深い話ではあったと言っておこう。 それではしばし休むが良い。 私は退出するが、逃げようなどとは考えない事だ。 そなたが母を置いて逃げるとは思えぬがな。」タバサにそう良い含めると、ビダーシャルは部屋を出て行った。部屋に残ったのは数冊の本。『バタフライ伯爵夫人』はビダーシャルが大事そうに持ち去ってしまったので、あるのはいくつかの専門書と『イーヴァルディの勇者』の物語。タバサは取り敢えず手近にあった『イーヴァルディの勇者』を手に取り、母の眠るベッドに腰掛ける。ビダーシャルに渡されたその本は何度も読んだ事があり、そして母に読み聞かせて貰った事のある本であった。そして、声を出して本を読み始める。かつて、母がそうしてくれたように。「昔、もうどれだけ昔なのかすらわからぬほどの昔、とある山奥の村に領主の代官がやってきました。 代官は領主の娘でたいそう美しい容貌の持ち主でしたが、とてもわがままで気まぐれで癇癪持ちでした…。」タバサが幼い頃は母親に物語を読み聞かせて貰いながら眠りについた記憶を思い出しつつ、本を母に読み聞かせるように読み続ける。それは数あるイーヴァルディの勇者の伝説の中でも有名な話である。何故有名かと言えば、この話がイーヴァルディの勇者がその力を目覚めさせるという、ちょっと変わった『目覚め編』と呼ばれる話のひとつだからだ。この手の解釈がされるイーヴァルディの勇者の物語に於いて、イーヴァルデイは人の名では無く力であり称号である。ケティはこれらが過去に目覚めずに一生を終えた虚無の使い手とガンダールヴの物語なのではないかと推測していた。昔、もうどれだけ昔なのかすらわからぬほどの昔…イーヴァルディは何時もここから話が始まる。山奥の村に何故か代官としてやってきた美しい領主の娘の僕として働く事になった少年が主人公。彼は娘の我侭と癇癪に振り回されながら毎日を送っていたが、ある時領主の娘の重大な秘密を知ってしまう。秘密とは彼女が殆ど魔法を使えない事、それが原因で親である領主に疎まれ半ば厄介払いで村の代官として派遣された事。それを知った彼は領主の娘に彼女が使える数少ない魔法で、秘密を絶対に漏らさない事を誓約させられた。秘密を共有した事で2人の距離は徐々に近づいていったが、ある日領主の娘に領主からの手紙が届いた。父からの手紙だと喜びながら領主の娘が封を開けたそれは、とある町の大商人の下へと嫁げという領主からの命令。《無能で役立たずな御前が我が家の為に出来る事は、商人の下に嫁いで金を持って来る事くらいだ》そんな残酷な言葉と一緒に来た命令。『魔法もロクに使えず、魔法学院も退学になってしまった。 その後はあたり構わず周囲に当り散らす、ただの出来損ないな私。 そんな、今まで御家の為になる事が何一つ出来なかった無能な私には、これしか出来ないもの。 ありがとう、そしてさようなら…我侭な私に優しくしてくれた貴方の事は忘れないわ、ずっと。』領主の娘は命令に従い大商人の下へと嫁ごうとしたのだが、その嫁入り行列が竜に襲われてしまう。嫁入り行列の護衛をしていた少年は、娘を助けようと剣を抜いた時に己の左手が光り輝いている事に気づいた。光る左手より勇気と力がさながら泉の清き水の如く無限に湧き出てくる。そう、彼は始祖ブリミルの加護持つイーヴァルディの勇者の血統だったのである。彼はその力で竜を斬るが、力一歩及ばず竜は領主の娘を連れ去ってしまった。イーヴァルディの勇者として目覚めた少年は、領主の娘を助けに行こうとするのだが…。「イーヴァルディはシオメントをはじめとする村の皆に止められました。 村の皆を苦しめていた領主の娘を助けに、イーヴァルディが竜の洞窟へ向かうと言ったからです。」タバサがそこまで読んだ時、ふと自分に誰かの視線が向いているのを感じそちらに目を向けた。「お母様…?」何時の間にか、タバサの母が目を覚ましてタバサを見ていた。「すいません、今シャルロットを取ってきます…お母様?」何時もであれば自分と名前を交換したあの人形が無ければ取り乱す筈のタバサの母だが、何故か取り乱す事無く驚いたような表情でじっとタバサを見つめている。何かが、エルフの作った水の秘薬を凌駕する何かが、一時的に若干ながら表出しているだけなのだろう。それはひょっとすると、タバサが幼かった頃の思い出であろうか?そうかもしれないが、だがしかし誰にもわからない事でもある。ただひとつわかる事は、タバサが本を読み聞かせるとタバサの母はタバサを認識してくれていると言う事。希望と言うにはあまりにも淡い光だが、タバサはそれでもその光に縋りたかった。あまりにも淡い希望だが、それは優しい希望でもあったから。「シオメントは言いました。『おお、イーヴァルディよ。 そなたは何故に竜の住処へと赴くのだ? あの娘はお前をあれほど苦しめたではないか?』 イーヴァルディは答えます。『わからない。 でもありがとうと、あの娘は最後に言ってくれたんだ。 僕の事をずっと忘れないと、言ってくれたんだ。 だからかもしれない、僕の中にいる何かが僕をぐんぐん引っ張っていくのは。』」