「ハッピーヴァレンタイン。」そう言って、ケティは才人にチョコを手渡した。「お…おう。」そのチョコを才人はじーっと見る。可愛い包装とかは一切されていない、パッケージむき出しのそれを。「きなチョコ黒大豆?」「ええ、北海道土産なのです。 ハッピーヴァレンタイン。」「いや…今日、節分の筈なんだが…。」そう今日は2月3日、宮中行事の追儺の儀式が習俗化して出来た節分の行事がある日。鬼は外で福は内。決して恋人たちの愛の日でも、しっと団の活動が一番活発化する日でもない。「チョコでコーティングされていますが中身大豆ですから、食べる用の豆にもなります。 節分用にもヴァレンタイン用にも使えるとか、まさに2月専用お菓子。 素晴らしいですね、きなチョコ黒大豆。」「面倒臭がって一緒に渡すなあああぁぁっ! しかも今サラッと北海道土産とか言わなかったか?」才人の問いに、ケティは目を逸らす。「正確には北海道物産展で買ってきたものなのですけれどもね。」「物産展で買ったチョコをヴァレンタイン用に渡すなよ。 ロマンってもんがあるだろ、こういうのには。 だいたい今年は、チョコだって手に入るのに。」才人はジトーッとした視線をケティに送った。「でも美味しいわよ、このきなチョコ何たら。」才人とケティがやり取りしている間に、チョコのパッケージを開けてポリポリと食べていた。「おま、人が貰ったもんを勝手に…。」「サイトのものはわたしのもの、わたしのものはわたしのもの。 ポリポリ…独特の香ばしさとチョコの甘さが素敵だわ。 しかしアレね、サイトの国のお菓子はいちいち甘くて美味しくて腹立つわね。 トリステインじゃ砂糖が貴重品だから甘草煮詰めてシロップ作ったりしてるのに、こっちじゃ砂糖どばーだもの。 全く腹立つわ…ポリポリ…腹立つけど美味しいわ。」「ジャイアニズムなんて、いつの間に覚えた…。 …ま、いいか、くれ。」才人が手を出すと、ルイズはパッケージを傾けて数粒のチョコを掌の上に落とした。「おお…確かに香ばしさと甘さのバランスが絶妙だな。」「美味しいという事で、これで全部解決で…あいたっ!?」ケティが言い切らないうちに、才人のチョップがケティの頭に決まる。「美味しいけど、男のロマンには届かないんだな、これが。」「なのですかー…まあ、そうですよね。」頭を押さえて、ケティは頷いた。「ま、冗談なのです。 ヴァレンタインにはキチンとチョコ作ります。」「トリステインのヴァレンタインを冗談みたいなお祭りにした張本人の冗談とか、洒落にならねえな。」「い…いや、まあ、何と言いますか、アレはしょうがないのですよ、国威発揚の為とか、まあ、色々と…。」トリステインのヴァレンタインデーなのだが、妙な方向に進化していた。何が妙かって、トリステインのヴァレンタインが近づいた今のトリスタニアを見れば嫌でもわかる。まず市内のあちこちに戦車…チャリオットではなくタンクの方のハリボテが飾られている。「だいたい、祝いの言葉に使われてる『オブイェークト』って何だよ?」「ロシア語で《物体》という意味ですね。 トリステイン語だと《オブジェ》なのです。」「それが何でヴァレンタインの祝いの言葉になってんの?」「いや、戦車教の祈りの言葉ですし、ぴったりかなとあいたたたたたたたた!?」才人はケティのこめかみをグリグリし始めた。もちろん、痛みでケティは悶絶する。「これから伝統行事になりそうなモンで遊ぶなあああああぁっ!」「ちょっとした茶目っ気ではありませんかあああぁぁぁぁっ!?」虎街道における戦いで、水精霊騎士団は3輌のヴァレンタイン歩兵戦車をロマリアからケティが脅…もとい譲られ、即席の戦車部隊を編成してヨルムンガンドと呼ばれるゴーレムなんだかガーゴイルなんだかよくわからない巨大な像相手に戦った。才人達も別に戦っていたのだが、ギーシュ達が乗っていた3輌のヴァレンタイン歩兵戦車も英雄と讃えられており、同じヴァレンタインつながりで戦車の活躍を讃えつつ愛を語る日という、実に変則的な祝祭日と化しつつあった。戦勝を讃える事で、国威発揚を兼ねているとケティが言っているが、絶対に遊んでいる。白状してるし。「ヴァレンタインを鉄と油と硝煙の香りで満たすなっ!」「でもヴァレンタインですし! 8300輌も生産された、大英帝国の軍馬ですしっ!」「全然関係ねええええええっ!」才人は頭を抱えた。ケティは時々こういうとんでもない茶目っ気を出すことがある。主に兵器関連で。ガンマニアなだけじゃなく、兵器関連全般でダメな人のようだ。「先ず戦車がありますし、蒲公英茶で味付けしたお菓子を意中の男性に渡しますし、愛を語りますし、戦車もありますし、万々歳でしょう?」「戦車が要らねえ、まず戦車が要らねえ。 愛を語る日に鉄と油と硝煙要らない、OK?」才人はケティに噛みしめるように伝える。一見優秀だけど、武器関連になると途端にボケだす狸娘に伝える。「そうはいっても、匙はすでに投げられてしまいましたし。」「賽じゃなくて匙かよ、誰が匙投げたんだよ。」「姫様が、もう勝手になさい…と。」国の中枢が、いざって時に止められる筈の人が、盛大に諦めていた。「アカン…。」「まあ、戦車くらい何とかなるわよ。 合わなかったら、そこだけ廃れて無くなるのが伝統ってもんでしょ。」 才人も諦めかけたが、ルイズは案外気にしていなかったようだ。「戦車だけが残るという可能性は…。」「愛を語る日に鉄と油と硝煙なんか残んないわよ、数年で廃れて消えるわよ、そんなの。」ルイズはハンと鼻を鳴らして、ケティの言葉を一蹴した。庶民にとって重要なのは愛や恋であって、鉄と油と硝煙ではない。どう考えても相性が悪い。故にルイズの言うことは至極ご尤もである。「仕方がありませんね…戦車の日は別に作るように、姫様に進言しましょう。」『要らない要らない。』才人とルイズの声がハモったのだった。「まあそれはそれとしてだ…。 今日は節分なんだから、節分らしいことしようぜ。」「…節分らしい事と言いますと?」才人の提案に、ケティは首を傾げて尋ねる。「恵方巻きだ。」「ああ、海苔業界の陰謀に乗るのですか。 それもアリですね…。」ケティはうーんと唸った後、頷いた。「そんなわけで、買って来たぜ!」才人がどーんと置いたのは、何個かの太巻きだった。「これ、何?」「太巻きって言って、寿司の一種。」ルイズの問いに、才人が答える。「日本の風習でな、これを恵方っていって縁起の良い方向に向かって食べきるんだ。」「こんな量を…タバサじゃあるまいし、食べきれるわけないでしょ。」太巻きはフルサイズのものであり、女の子が食うにはちと長すぎる代物であった。「…試してみる、あむ。」不意に、どこからともなく小さな手が伸びて、太巻きをひょいっと持ち去る。『!?』一同が手が伸びてきた方向に振り替えると、蒼銀色の髪の背の低い少女…つまり、タバサがいた。「ごちそうさま。」「…っていうか、既に食べてる!?」ほんの数秒前なのに、タバサの口にはすでに太巻きが無かった。「お寿司、美味しい。」タバサは才人の方を向くと、ビシっとサムズ・アップ。表情は何となくドヤ顔に見える。「タバサ、お前サムズ・アップ好きな…。」「ん、便利。 シャルにも教えた。」シャルことタバサの双子の姉妹であるジョゼットという名も持つ少女は、現在シャルロットの名ごと王位を押し付けられ、夫になったジュリオと共に政務を行なっているらしい。シャルにはイザベラと同じくロッテと呼ばれているらしい。シャルとロッテでシャルロット…双子の姉妹で一つの名前を分け合った感がある。「あー…あのお前とは対照的に、やたらくっちゃべる子な…ジェスチャー要らねえだろ、アレは。」「口と顔に加えて動作も煩くなったという点については否めない。」無表情なまま言うタバサの姿は、少々煤けている。「まさかシルフィードよりも喧しい生き物が、この世にいるとは思わなかった。」「きゅい…。 喧しいとか酷いのね、お姉さま。」タバサの肩に乗る青い猫…シルフィードが落ち込んでいた。「腹黒娘、微笑ましいものを見るような年寄り染みた目つきでこっちを見ていないで、風を統べる者であり大空の王である風韻竜のシルフィの名誉を挽回するような知恵を出しなさい。」「喧しいのです、お喋り竜。 それ以上巫山戯た事を言うと、ロリコン火竜に追いかけられて情けない鳴き声で助けを求めてきた時の話をじっくりとしますよ?」シルフィードのいつも通りのでかい態度に、ケティは笑顔で毒を吐く。「きゅい!? 静かにするから、その話は是非とも止めてくれなさいなのね。」シルフィードにとってはとても恥ずかしい話らしく、そう言って翼を広げると大使館の冷蔵庫の上に置かれた猫用ベッドに逃げ込んだ。「では、話を戻しましょう。」『……………。』にっこりとアルカイックスマイルを浮かべるケティに、3人はコクコクと頷く。腕力では3人ともケティを圧倒的に凌駕しているが、迫力的に逆らうのは無理だった、色々と。「…で、恵方巻きでしたよね。」「お…おう。 実家の近所のお寿司屋さんに頼んで用意して貰ったんだけど、食えないか?」当たり前だが、太巻きは先程と同じくフルサイズのままそこにある。「タバサが食べられるのは当たり前として…さて、私達ができますかどうか? こちらでは魔法もあまり大っぴらには使えないので、人並みにしかお腹が空かないのですよね。」「こっちでも魔法は使えるのに魔法が無いとか、変な世界だわね。」ケティの言葉に、ルイズが同意する。この大使館がある秋葉原なら魔法使ってもあんまし気にされないような気もしないでもないが、たぶんそんな事は無い上に日本政府からも使わないようにお願いされている関係から自重しているトリステイン大使館員の面々である。まあそれはそれとして、大量のカロリーを消費する(といっても、消費カロリー的に等価とは言い難いのだが)魔法を使わないでいるケティにとって、この状況は実に《運動不足》な状況だった。「ものは試し。」「ふむ…そう言われれば、そうかもしれませんね。」タバサが太巻きをケティに差し出したので、ケティはそれを受け取った。「どれどれ…ええと、今年の恵方はこちらですか…もが。」ケティは小さな口を目一杯開いて、太巻きを口に入れた。「もぐ…もが…。」最初は黙々と食べていたものの徐々に頬が紅潮し眉がしかめられ、苦しげな表情に変わっていく。矢張り、女性の胃袋にフルサイズの太巻き一本は辛いようだ。「…それは兎に角として、何で太巻き食べてるケティに妙な視線送ってるのよアンタはっ!」少々頬を赤らめてその姿を見ていた才人の足を、ルイズが思い切り踏んづけた。「ギャース!何すんだよ!? 俺じゃなかったら、足が二度と使い物にならなくなってんぞ!?」「喧しい!変態!変態!変態!」「もが…むぐ!?むぐぐ…!?」才人を凄まじい勢いで踏みつけ始めた光景を見て慌てたのか、ケティの喉に太巻きが詰まったようだ。「むぐぐぐ!?」「変態!変態!変態!」「ギャース!?」「…………。」喉を押さえてもがくケティ、才人を執拗に踏みつけるルイズ、そしてそれを傍観するタバサ。凄くシュールな光景であった。「水。」「もがっ!」タバサがとてとてと水道まで行き蛇口を捻って水をコップに入れケティの元へと持ってきたので、ケティはそれをひったくるような勢いで受け取ったというか奪い取った。「んく…んく…んく…ぷはぁ…幾多の危険を乗り越えてきた私が、危うくしょうもない死因で死ぬところでした。」「命の恩人。」タバサが胸を張っている。たぶん、効果音を次に出来るなら『ドヤァ…』とか、書いてあるだろう。「ありがとうございます…今度、セロリとパセリとゴーヤのサラダ青汁仕立てを用意しましょう。」「それは…至高の味。」タバサはケティの言葉を聞くと、満足そうに頷いて中空を眺める…味を想像してうっとりしているようだ。常人だったら名前を聞いただけで悶絶するくらい苦そうなサラダだが、タバサにとっては至高の味らしい。まったくもって不思議な味覚の持ち主だが、それでいて常人と同じ味覚も持ち合わせているのが、なお不思議である。一番謎なのは、喰ったものが何処に入っているのかわからない点だが。「ところで…。」ケティが足元を見ると、大使館の床に血の花が咲いている。一見すると惨殺死体だが、才人である。「おお才人よ、死んでしまうとは情けない…。」「死んでねえよ…ガク。」久々のフル折檻に再生が追いつかなかったのか、才人は気絶したのだった。「ふーん…。」数日後、ルイズは大使館に届いたベルギーの高級チョコレートを目の前にして、腕を組んでいる。隣には微妙にイラッと来る口のマークの入った段ボール。通販で買ったもののようだ…銀座とかに行けば買えるのに。「これがこの世界のトリステイン相当の国で作られたチョコレート…。 前に食べたポッキーよりも、更に高級な雰囲気ね。」「ゴディバとポッキーを比べたら、流石にポッキーが可哀想なのですよ。 材料もかける手間暇も段違いな代物なのですから。」そこは世界的にも名の知られたブランド。材料工程味付け香りつけ…あらゆる面で最高に気を配って作られた品である故に、相応の美味しさがある。ブランド名の由来がイングランド人である事以外に、特に味への心配も無い。「そうなの?」「そうです…そもそもルイズなら、高級品は見慣れているでしょうに。」『金が無い=権勢が弱っている』という解釈をされてしまうため、貴族は気楽に質素な生活も出来ないのだ。ラ・ヴァリエール公爵家なら本当に金持ちな貴族なので何とかなるが、グラモン伯爵家みたいに中途半端にでかい貴族だと借金で首が回らなくなる一歩手前とか、よくある話である。「確かにトリステインのものなら見分けが付くのだけれども…こっちのは、どれもだいたい高級品に見えるのよね。 普通のと高級品の差が、あっちよりも小さいのよ。 ケティが言ってた『サイトの国は国まるごと貴族のようなもの』って意味が、来てようやくはっきり理解出来たわ…。 差はあれど、世界の水準から言えば一定以上の生活が国単位で出来ている。 階級が無いのじゃあ無い、貧富の差が無いのじゃあ無い…それら全部まるごと他国に押し付ける事で成立している…まさしく、貴族の国ね。」ルイズがそう言いながら、眉間を揉む。才人と暮らしているうちにかなり緩和したものの、身分がはっきりと分かれている社会で生まれ育ったルイズには、理解し難いのは確かなようだ。「国という範囲内を見る限りは、不平等を感じづらいわけなのです。 妬ましい隣人なら奪いたくもなりますが、妬ましい遠い他国の事なら憧れるだけで大抵終わります。 言葉も通じない隣国なんて、別世界ですからね…よく出来た社会でしょう?」「豊かな国と貧しい国に分ければ、国内で感じる貧富の差は最小化するわね、確かに。 しかも、貧しい国は豊かな国に逆らえない、その力もない。 故に逆転も起こりにくい。 こんな悪辣な制度、誰が考えたの?この国?」久々に元々優秀な頭脳をフル回転させつつ、ルイズはケティに尋ねる。「この国に勝利した国々ですよ。 この国はその流れに上手く乗っただけなのです。」「負けた国なのに、よくやるわね。」ルイズは信じられないといった表情で、頭を振った。「それだけ政治家も官僚も優秀な国…ということなのですよ。 私腹を肥やすのも程々に、国を運営してくれているのですから。」「うちの国にも言えるけど、程々にじゃなくて、私腹を肥やすのを止めてくれれば万々歳なんだけどねー…。」紅茶を飲みながら平然と私腹を肥やすとか言い出すケティに、目を細めて愚痴るルイズ。「そもそも、貴方私腹肥やしていないじゃない。」「肥やしてますよー? うちの商会が現在どれだけトリステイン王政府と癒着しているのか、知ったらびっくりしますよー。」ルイズの質問に、紅茶を飲みながら答えるケティ。「例えばオルニエール男爵領に専売権がある、どこから来たのかわからない香辛料やら砂糖やらの流通だって、うちがやってますしね~。」「よく考えたら、これも癒着なのね…はぁ。」トリステインでは香辛料が非常に高価である。砂糖も、香辛料ほどではないが、高価である。そして、日本はそれのどちらもが安価で手に入るのだ。オルニエール男爵領は、それをパウル商会を通して販売することによって、莫大な権益をあげていた。勿論、儲けはオルニエール男爵領が自発的に支払う名誉税とパウル商会に課せられた市民税という形でトリステインに流れ、その金でトリステインはさまざまな政策を行うわけである。「ところでこれ、食べていいの?」「食べた事の無いものを送るわけにはいかないでしょう?」実はケティも食べた事が無かったりする。そもそもケティは料理やお菓子を作ることはあるが、あまりお菓子を食べないのだ。実は、お菓子とか後で食べるたぐいのものは、作ったら満足してしまう性質の娘である。「それもそうね…ぱく。」ルイズはそう言うと、チョコレートを口に放り込んだ。「はぅん、甘い…ポッキーやチロルチョコより複雑な風味があって美味し~い。 こっちのお菓子は、本当に美味し過ぎて困るわ…。」ルイズのチョコの判断基準は、ポッキーやチロルチョコらしい。「…美味しいけど、これをサイトにあげるとか勿体無くない? あいつ、絶対こんな繊細な味わい理解できないわよ。 チロルチョコを代わりに入れといても一緒だわ、わかんないわ、たぶん。」「その意見には頷きたくなる所なのですが、ああ見えてそこそこ繊細な舌は持っている筈ですよ。 才人のお母上、料理上手だったではありませんか。」平賀家に訪問した際、ルイズとケティは才人の母にハンバーグを御馳走になっている。「あー…確かに、あのハンバーグは美味しかったわ。」隠し味にチーズを練りこんだハンバーグで非常に美味しかったのを思い出し、ルイズの口から少し涎が垂れた。「でも、それとサイトの舌に何の関係が?」「美味しい物を食べて育つ事は、味覚を鍛えます。 才人が何を食べても、学食や私が出す料理以外で基本的に反応が変わらないように見えたのは…。」ケティが少々苦笑いを浮かべて口ごもる。そう、サイトはトリステインでは、あまり出された料理を美味いといって食べることがなかった。どことなく和食の味付けがあるマルトーが作る学食の料理と、ハンバーグやサンドウィッチなどのケティの料理は例外的に喜んで食べていたが。「要するに、サイトにはトリステインの伝統的な料理はあまり口に合わなかった…と。 まあ、これだけたくさん調味料があって、何食べても美味しい国から来たんじゃあ、しょうがないわよね。」「醤油や香辛料に慣れていた才人の舌は、塩と香草の組み合わせで作られた料理では若干物足りなさを感じたのでしょうね。」ケティが料理を覚えたのも、そのあたりが理由だったりする。 彼女としては、普通に美味しいものを試行錯誤して作っただけだったのだが、両親は『この子には料理の才能もある』と、大喜びだったとか。タルブでシエスタの曽祖父が起こした食の革命は、熟練した調理師が必要なために、拡散速度が遅かったというのもある。「ま、サイトの舌がどうあれ、これだけ美味しければ大丈夫よね。 …で、ケティは何を渡すの?」ゴディバはルイズが渡すチョコなのだ。何故かといえば、ルイズがチョコ作るとか言い出したためである。ルイズは控えめな言い方をしても死ぬほど不器用な女の子、チョコを作ったが最後、どのような大惨事が起こるかわからない。セーター編むと不気味なヒトデのオブジェをこしらえてしまう彼女が作ったチョコを見て、才人が無神経なことを言って、そして惨事へ…という何時ものパターンは避けたかった。その点ゴディバなら安心である。最後までチョコたっぷりだし。「あー…私ですか?」そう言って、ケティは包みを開けた。「この三方六の三本入りで。」ルイズに見せたそれは、薪みたいな形のお菓子だった。チョコでコーティングしたバウムクーヘンの一種だが、ルイズは勿論そんなお菓子は知らない。「…どこのお菓子?」「この前のきなチョコと同じとこのです。」「北海道土産ね?」「北海道土産ですね。」ケティがそう言った途端、ルイズはそれを取り上げた。「没収。」「では、こちらのロイズのチョコレートポテチで。」「それも北海道土産ね?」「北海道土産ですね。」「没収。」それもルイズに取り上げられた。「横暴なっ!? ロイズコンフェクトのチョコレートは、贈答用にも使われるくらい高級なもので…。」かけてあるチョコレートは高級でも、ポテチはポテチ。こっちはあんまし贈答用にはならない。むしろ、先ほどの三方六のほうが、北海道では贈答用の代名詞である。「北海道物産展で仕入れてきたものを渡す方が、横暴よ! 私は手作りよりも絶対にこっちの方が美味しいからゴディバにするけど、ケティは手作りなさい。」そんなわけで、ケティはチョコを手作りする事になってしまったわけだが…。「さて…ここに、チョコレートがあります…。」湯煎する為に沸かされた鍋のお湯が、湯気を上げている。「おおー…。」それを興味深げに見るルイズ。「…ちょっと聞きたいのだけれども、このチョコレートは北海道土産?」「北海道土産ですね。 六花亭のホワイトチョコレートなのです。 例によって、北海道物産展で買ってきました。」完全無欠に北海道土産だった。「北海道物産展でどんだけ買い込んでるのよ!?」「まあまあ落ち着いて、今回は材料ですし。」怒り出すルイズを、ケティはなだめる。材料といっても溶かして固める作業なので、ほぼ北海道土産である。「それに、日本で始めてホワイトチョコレートを作ったのが、この六花亭というお店でして。 やはり、ホワイトチョコレートならば、ここかなぁと。」「そうなんだ。」ほほーと感心するルイズだが、ケティの説明は実は何が何でも北海道土産を使ってやろうという妙な意地から来たものであり、実は理由は後付けに過ぎない。「では先ず、このチョコレートを、細かく刻みます。 これによってチョコレートに熱が伝わりやすくなり、作業の効率が上がります。」ケティはそう言って、キッチンペーパーの上に乗ったチョコを細かく刻み始める。「はい、やりたい!」「駄目です。」ルイズが勢いよく手を挙げたが、ケティは即却下した。「な、何でよぅ? 自慢じゃないけど砕くとか、破壊するとか、そういうのは得意よ、私。」不満げに反論するルイズだが、本当に自慢にならない。「細かく刻むのであって、砕くのでも破壊するのでもないですから。」「ぐぬぬ…楽しそうだから、やってみたいわ。」にっこりと答えるケティに、ルイズはそう伝える。「…まあ、このくらいならまだ何とかリカバリーは利きますか。 では、やってみてください。」「ふっふっふ、任せときなさい。 虎街道の破壊神と言わしめた私の力、見せたげるわ。」ケティに包丁を手渡されたルイズは、自信満々に不安にしかならない言葉を言い放った。「ちょんわー!」変な掛け声と同時に、ルイズは思い切り包丁を振り下ろす。彼女が手に持つ包丁が、虚無の魔力で光り輝いていた。「ちょ…ま!?」慌ててケティが止めようとするが、間に合う筈も無く…。「…あれ?」光が収まった後、そこには綺麗に細かく分割されたチョコの姿が。「フッ…わたしにかかれば、こんなものよ? いつもいつも台所ごとチョコを砕くような真似を、このルイズ様がするわけ無いでしょ…フフフ。」「まさか、力加減が出来るとは…いつの間に偽者に?」ケティは即偽者と断定した。力加減が出来るルイズとか、そんなものはケティの頭の中にはいないようだ。「失礼ね!私だって全力で力加減すれば、このくらい容易いわよ。」「全力で力加減って…包丁が異常に光り輝いていたのって、ひょっとして…。」ケティがルイズの顔をよく見てみると、顔が少々青い。「破壊力を無理やり抑えたのよ。 まさか、魔力を制御するのがこんなに疲れる事だとは思わなかったわ。」「ち、力技過ぎますよ、それは…。」不器用だが魔力は兎に角いっぱいあるという、ルイズらしい実にアメリカンな力技だった。「…器用なことやって疲れたし、成功して満足だったから、後はお願い。」「はいはい…。」ルイズはそう言って、椅子に座って安静に。その間にケティは、黙々とチョコを刻んでいった。「それでは次はこの刻んだチョコをボールにザラザラーっと入れます。 そして、予め沸かしていたお湯にボールを入れて、湯銭開始です。 お湯の温度は50℃くらいが最適だといわれています。」「何で直接火をかけないの?」ルイズはムクリと起き上がって、チョコの湯銭を始めたケティに声をかける。「風味が逃げてしまうとか、チョコが滑らかに溶けてくれないとか、気泡が入ってしまうとか、そもそも焦げるとか、そういう理由があるからなのですよ。 ゆっくり丁寧に愛情を込めて溶かしていけば良い…と、本に書いてありました。」実はケティの傍らにはバレンタイン用のチョコの作り方の冊子が置いてあった。チョコの販促用に、スーパーで無料配布していたものらしい。ケティにとってもチョコ作りは初めてなので、この手の冊子は欠かせないのだ。「手間がかかるものなのね…。」「美味しいものを作ろうとすれば、手間はそれなりにかかってしまいますよ。 …ま、溶かして固める作業なわけですが、それでもこれだけ面倒とは。」ゆっくりゆっくりと、へらを使いながらケティはチョコを溶かしていく。大使館の中にチョコレートの甘い香りが充満していた。「おおー…なんともお腹が減る匂いだわ。」「確かに…と、これでチョコが溶けましたね。 では次に、水の入ったボウルにこのチョコを溶かしたボウルを入れて、チョコを冷やします。」そう言って、ケティはボウルをお湯から取り出して、別のボウルに入れる。「このまま固めるの?」「幾らなんでも豪快過ぎますよ、それは…。 これはテンパリングといって、出来上がったチョコに光沢を与えるための作業らしいです。」「あら、そのまま固めちゃ駄目なのね。」「私も、そのまま固めれば良いのかと思っていましたよ。 このまま冷やしてしまうと、チョコ菓子特有の光沢が出ないのだとか。 思っていた以上にややこしいのです。」ケティはそう言いながら、ヘラでかき混ぜチョコを冷やす。「これは…私がやったら大惨事だわ。 ゴディバで正解ね、うん。」延々とチョコを練り続けるケティを見て、ルイズがほっと胸を撫で下ろしていた。何度か大失敗して、彼女も流石に自分がえらく手先の不器用な人間である事は理解しているのだ。まあそもそも自分は貴族という主に消費を行うための身分であって職人ではない…と、自分を慰めているルイズであった。「…温度は、これでよしと。 では今度は、もう一度軽く温めます。」「また温めるの!?」「ええ、ややこしいですねー。」日本の女の子は、こんな面倒臭い作業をやってるのかと思うと、ケティは妙に感心してしまった。「いやはや…恋心というものは偉大ですね。」「随分とおばさんくさい発言をするわね…。」「まだ10代後半の乙女になんという事を言うのですか、ルイズ。」ヘラでビシっとルイズを指して抗議するケティ。ホワイトチョコレートが、数滴ルイズの顔にかかった。「Oh…やっちまいました。」おかげでルイズは、色々と事故っちまったヴィジュアルである。え?エロくないかって?エロくないよ、ただのチョコだよ、ホワイトチョコレート。「何するのよ全くもう…おお、美味しいわねこのチョコ。」当のルイズは全く気付いていない。万事問題無しである。「後はコレを型に流し込んで完成ですね。」「なんか凄くいっぱいあるけど、コレ全部サイトにあげるの?」星やらハートやら、様々な形の型を取り上げて興味深げに見るルイズ。「いえ、大使館の皆の分が主ですよ。」「…ひとつ言っておくけど、わたしに遠慮しなくてもいいんだからね?」ルイズがチョコの型から視線を外し、ケティの方を見てからそう告げた。「…さて、何の事やら。 私が本気なら、権謀術数張り巡らしてでも奪いますよ。 トリステインの腹黒狸娘だの何だのと、内外問わず散々言われているのは伊達ではありませんよ?」「ふーん…他の事ならいくらでも強気にも冷酷にもなれる癖に、どうしてわたし達の事になるとこんなにも甘いのかしらね? あら、これは馬車?可愛いわね。」」ケティから視線を外し、ルイズは再び型の観察に戻った。「貴族ならば、恋愛関係がままならない事なんてザラでしょう。 …気にしたってしょうがないのですよ、それは。」「だぁっ!まどろっこしい!面倒くさい! 貴族っぽく遠回しに言うの、物凄く面倒臭い! 前略!あの駄メイドの押せ押せな部分をちったぁ見習いなさい!」型をブン投げて、ルイズはケティをびしっと指差す。。「うっ…いや、しかし、ルイズ。 恋愛系のアレコレは苦手でして…。」「そういえば、ギーシュの時も静か~にフェードアウトして行っていたわね? 遠慮してるんじゃあなくて、本当に苦手なのね…ううむ。」もじもじと赤面しながらチョコを型に丁寧に流し込むケティを眺めつつ、ルイズは感慨深げに唸る。「元々、感情のみに基づいて動くというのは、私の最も苦手とするところです。 まあ、そのうち縁談が転がり込んでくるでしょう、ええ。」「エレ姉さまはそう良いながら結婚適齢期を大幅に通り過ぎたのよ。 …なんか今、マリコルヌに『見つけた!僕の女王様!ぶってください!』とか、熱烈に求婚されているらしいけど。」ドSのエレオノールと超ドMのマリコルヌ。似合いっちゃ似合いのカップルではある。エレオノールはものすごく嫌がっているらしいが、嫌がれば嫌がるほど、罵倒すれば罵倒するほど、マリコルヌの愛は熱烈に深まるのであった…南無。「それの何処に求婚のニュアンスが含まれているのか、理解し難いのですが…かの独神でも何とかなったのですから、私もいつか何とかなりますよ、たぶん。 それともアレですか、私が才人の浮気相手とかになっても良いと?」「う…うーん、それは困るけど。 いやでも浮気で止まるなら良いのかしら? いやいやいや、よくないよくない…。 でもこの子の場合、放って置くととんでもない男に嫁ぎそうだし…。」ルイズは混乱している。「何でうちの国、一夫多妻制じゃないのかしら…頭痛いわ。」「混乱極まってますね、ルイズ。」「恋愛関係の駆け引き能力だけ何故かゼロな貴方が悪いんでしょ! 貴方がしょうもない男に口説き落とされて言いなりとか、恐ろしくて寒気しかしないわ。」ケティはどうやら、ルイズに恋愛関連では欠片も信頼されていないようだ。惚れっぽくて一途だが、一定以上踏み込んでは行かない性格のケティ。逆に踏み込んでいくタイプの男に惚れたら、たぶん呆気無く落ちる。それが例えしょうもない男でも…である。今のところケティの目がしっかりしているので、何とかなってはいるが…ケテイは時々凄いドジやらかす事があるのだ。「その点で、サイトは良いのよね、ボンヤリしてるし。 ぼんやりしてる割に、考えるトコは考えてるし。 あいつならケティを利用するとか、絶対考えないわ。 いやでもあげないけど…何か、最近姫様までサイトの事を狙ってる気がするけど、あげないわよ。」「わかってます、わかってます。」ケティはコクコクと頷く。「不安だわ…この子~。」ルイズにめっちゃ心配されるケティであった。「浮気は駄目だけど、暫くは才人に惚れてなさい! 浮気は駄目だけど、ぜーったいに、駄目だけどっ!」「言いたいことは理解出来ますが、そんな無茶苦茶な…。」ルイズの言葉に苦笑いを浮かべるケティであった。次の日、2月14日ヴァレンタインズデー来たる。「はい、才人。 ハッピーヴァレンタイン。」ケティは少々頬を染めて、才人にチョコの入った妙に大きな包みを渡した。「…また、何かネタを仕込んでるな?」才人が訝しげな表情を浮かべて、ケティを見る。前回ネタを仕込んだせいで、ケティの信用は地に落ちていた。「ひ、酷い、私のありったけの気持ちを込めたのに、よよよ…。」「…………………。」わざとらしく泣き崩れるケティを。ルイズも冷めた目で見ている。「いやまあ嘘泣きですよ、コンチキショー。 でも、ありったけの気持ちは事実なので、開けてみてください。」「どれどれ…。」ケティの言葉を聞いて、才人はごそごそと袋の中をあさる。「おお、これは手作りチョコ。」そこにあったのはハート形の手作りチョコ。「てい。」横から出てきたルイズが、即真っ二つに割った。「ハート形禁止。」「…やると思っていましたよ。 そんなわけで、予備も入っていますのでご安心を。」「お、おう。 準備万端だな…。」「抜かり無いのが私なのです。 ほかにも色々と入っていますよ。」ケティに促されて袋の中を漁ると…。「ロイズ…?」ロイズコンフェクトの高級チョコ詰め合わせが出てきた。「ええ、北海道土産です。」ケティの言葉に悪い予感がした才人は、袋の中を漁る。「やっぱしあったか、きなチョコ黒大豆。」「美味しいですし。 私のイチオシです。」冗談でやっているだけではなく、ケティ的にも気に入ったお菓子らしい。「六花亭のストロベリーチョコもあります。 ミルクチョコよりも、ホワイトチョコをかけたものの方がおすすめです。」「お前は北海道の回し者かァ!?」ドヤ顔のケティに才人はツッコむ。「チョコレートは北海道!北海道をよろしく!」「本当に回し者かよ!?」ケティがボケ倒したので、才人は更にツッコんだ。「…と、まあ冗談はこのくらいにして、本体は手作りチョコですよ。 後はおまけだと思ってください…。」ケティはもじもじと照れる。「照れ隠しにボケるのやめなさいよ。」ルイズはジト目でケティを見ている。「…そもそも、何でルイズが監視しているのか、詳しく。」「サイトが浮気しないか監視…というのは単なる建前で、ケティの可愛いトコ見てみたい。」ルイズは相変わらず正直だった。「複雑極まりない状況ですね、それは。」「ケティはわたしの嫁だし、しょうがないわ。」何か、妙な言葉を覚え始めたルイズである。「日本語勉強中だけど、良い言い回しよね、これ。」「トリステイン語に取り込むのはやめなさい…。」日本語を勉強しているらしいが、かなり脱線しているようだ。「兎に角です…そこの割れたの、せっかくだから食べてみてください。」「私のゴディバも食べなさい。」ケティが差し出す手作り風チョコと、ルイズの差し出すゴディバのチョコ。才人爆発しろといった風情である。そんなヴァレンタインズデー。トリステイン大使館は平和であった。