1996年12月15日 2130 神奈川県 横須賀
「直衛。 今回の事、原因は判るか?」
手酌で飲っていると兄貴が聞いて来た。
さっきまで幼い甥や姪がじゃれついてきて、遊んでやったのは良いが余りのはしゃぎっぷりに少々ヘタばっていた所だ。
子供のパワー、侮りがたし。 まるで四方を戦車級に集られて必死になって捌いている様な・・・
今夜は呼ばれて、横須賀の兄貴の家にお邪魔している。
先月末の『国防省某事件』(公表名称)で重傷を負った叔父貴は、東京府内の陸軍病院に運ばれたのだが。
一応の安定を見ると即座に海軍側が手を回し、横須賀の海軍病院に移送してしまった。
そしてようやく面会できるようになったのは2日前。
実家から連絡を受けた俺は、半ば強引に外泊許可を旅団本部からもぎり取り(当直は圭介に押し付けた)見舞いの為、横須賀まで足を運んだ。
何分、事が事だけに、最初は陸軍将校が病室内、いや、病院内に入る事さえ鎮守府派遣の衛兵隊(と、特別陸戦隊の分遣隊)が拒んだ。
何しろ、海軍大佐が陸軍中佐に斬られて重体、と言う情報が飛び交った時点で海軍側はかなり激昂したらしい。
聯合艦隊の若手士官などは、『三宅坂(陸軍参謀本部)に戦艦の主砲を叩き込んでやれ!!』と息巻いたとか。
押し問答をしている所へ、偶々兄貴の同期生の海軍少佐(一度会った事が有る。長嶺公子少佐だ)が通りかかり取りなしてくれて。
見舞いに来ていた叔父の家族(叔母と従妹)、それに偶々見舞う日が重なった兄貴を呼んでくれたお陰で、嫌疑は晴れた。
何しろ、最初はかの犯人の同類と思われたのだ。(陸軍軍人だと言うだけで!)―――神経質になるのは無理も無いかもしれないが。
お陰で陸海軍の関係が、急速に悪化している様にも感じる。
『何だ? 直武もそうだが、直衛、お前も。 心配するな、俺はそうそうくたばりはせん』
叔父貴はやつれてはいるが、気力は溢れ余っている様子を見て一安心した。
最も国防省勤務からは外れる様で、怪我から復帰後は艦隊勤務になる内示を受けているらしい。 ほとぼりが冷めるまで、海に出ていろと言う事か。
現在、第8次近代化改修中の戦艦『駿河』艦長の予定でそうで、念願の艦隊勤務復帰に頬が緩みっぱなしだった。―――心配した自分がアホらしく思えたよ。
そして一通り挨拶をして病室を辞した後、兄貴に誘われて家にお邪魔した。 叔母と従妹も大丈夫そうだったし。
兄貴の家に到着して、義姉さんに挨拶すると同時に突進してきた、小さな子供BETA相手の死闘が始まったのはそのすぐ後だ。 ・・・疲れた。
「・・・財閥癒着。 この非常時に軍縮を行う、国家危急の元凶。 その他に・・・ 色々言っていたらしいな」
美味しい酒は、楽しい話題で飲んだ方が美味いんだけどな。 ま、美味い不味いは個人の好み次第だけれど。
何処から手に入れたのか、最近は見かけなくなった『極上黒松剣菱』 一時期、何かと評判落とした酒蔵だし、日本海側にも美味い酒蔵の酒はあるけれど。
この独特の濃厚な味わいとキレは好きだな。 最も『瑞祥黒松』はやり過ぎな感が有るし、『上撰』は淡白な感じで物足りない気もする。
・・・それは置いておいて。
さっきの兄貴の言葉に対して俺の返答。 見方にもよるだろうが、ある角度から見れば表面はそうなのだろうな。
「癒着か・・・ 死んだ永多中将は、どちらかと言うと財閥からは距離を置いていた人だ。 寧ろ革新派の実力官僚達と連携していたのだがな。
原因は諸々あるが、引き金になった事件は2つだ。 直衛、今年度の帝国軍事予算を知っているか?」
俺と違って、淡白な味が好みの兄貴は『上撰剣菱』を、これまた手酌で飲っている。 兄弟そろって行儀の悪い飲み方に、義姉さんは呆れて何も言わない。
にしても、如何にも主計将校的な切り出し方だなと思う。 我が兄貴、周防直武海軍主計少佐の言い方は。
「確か・・・ 415億円(※1)程だったか?」
「正確には415億4500万円。 帝国の昨年度GDP(国内総生産)は3956億6787万円(約1兆906億ドル)だったからな。 GDP比率で国防予算は10.5%。
その内、陸軍予算は37%の153億7165万円、海軍予算は43%で178億6435万円。 残りは航空宇宙軍と、安保関連予算だ。 斯衛軍関連は城内省予算の枠内だから省く」
・・・よくもまあ、こんな細かい数字がスラスラ出るものだ。
桝酒で飲りながら、ツマミを食べる。 義姉さんが作ってくれたのは、豆腐といかの塩から和え。 美味いんだ、これが。
祥子は酒飲まないから、基本こう言うのは作ってくれない・・・ 仕方なしに酒のツマミは自分で作っている次第。
「でだ。 陸軍を例にとると。 昨年度の戦術機甲部隊の部隊数は? 連隊数でも、大隊数でも良い」
「・・・45個連隊。 135個大隊だ」
「そう。 1個大隊36機定数として、必要機数は4860機にも上る。 ところで、戦術機1機当りの調達価格を知っているか?
94式で約1758万円。 89式が1485万円、92式だと輸出効果もあってかなり下る、762万円。 第1世代機の77式でさえ293万円だ」(※2)
その位は大まかに知っている。
我が国の第3世代戦術機、94式『不知火』は、輸出は行われず国内配備のみ故に、生産コストが高い。
『JIS(日本帝国工業規格)』に基づき、細かい部品類まで92式『疾風』と共通化する事でコストを下げる努力は為されているが。
92式自体、元は米国製のF-16C/Dがベースで、初期型は米国工業規格のインチ・フィート単位の治具で生産していたが。
帝国自体はセンチ・メートル単位なので、2種類の治具が生産現場に存在して混乱した時期が有った。
輸出本格化を機に、センチ・メートル単位で再設計し直し、治具も国内規格に合わせた物に変更した。(戦術機と抱き合わせで、治具の輸出も行っている)
お陰である程度は部品の共有化が図れたのだが、それでも94式は高い。(だいいち、全てを共通化する事は不可能だ)
89式『陽炎』は元々少数生産の上に、ライセンス料も高騰した契約が仇になっている。
92式(壱型/弐型)『疾風』は、本来はもっと安いのだが、ライセンス料を加算するとF-16C/Dよりやや高い価格だ。
77式『撃震』は・・・ 捨て値だな。 ライセンス料も最早、殆ど加算されていない。
「でだ。 仮にこの4機種で各々1000機づつを保有しようとする。 ―――総額は?」
―――ちょっと待て。 いきなり言われても・・・ ええと・・・?
「あ~・・・ 不知火が175億8000万、陽炎が148億5000万、疾風で76億2000万、撃震が安くて29億3000万か。 ―――総額、429億8000万也」
「今、軍は急ピッチで戦術機の世代交代を画策している。 が・・・ 直衛、陸軍の戦術機関連予算はどの位か知っているか?」
戦術機関連予算? 確か・・・
「約15億円。 陸軍予算の実に10%近くに達する。 これは多いか、少ないか? ―――多すぎる。 他の予算を圧迫している」
答えるより先に、兄貴が言っちまった。 ―――だったら最初から振るなっ!
軍事予算は、大きく人件・糧食費と物件費に大別されるが・・・ 人件・糧食費で大体35%に達する筈だ。
これに所謂物件費、維持費や研究開発費、装備品購入費、施設整備費、その他諸々・・・
「だが、先程の戦術機調達価格。 例えば全てを94式調達費に回しても、年間85~86機程しか配備できん。 2個連隊程だ。
陸軍、本土防衛軍の戦術機甲15個師団、45個連隊。 このうち1/3を94式に代えようにも、その数15個連隊。
単純計算で7~8年かかる。 実現可能は2003年から2004年頃だが、実際はそんな事は出来ん」
ま、それはそうだ。 そんな事をしたら、じゃその間他の機種の生産は? 保守部品は? つまり、そう言う事だ。
「94式と92式の組み合わせで陸軍部内はようやく統一したが、全てを現在の77式から交替させるのに10年ではきかん。
―――最も、これは海軍も同じだがな。 96式『流星』の輸出話も有るが、未だ実現はしていない。
この機体も高い。 おまけに未だ新造戦艦を、などとほざく大馬鹿者達も居る。
お陰で戦術機甲部隊への配備は『大鳳』、『海鳳』の第1航空戦隊、それに基地隊の第204戦術機甲戦闘団だけだ」
兄貴は嘆息して、そして酒をあおった。 その気持ちは判る。 本当に改めて憂鬱になる。
帝国の国防予算は、同程度の国力の他国に比べれば突出している。(国土を保っている前線直後の国家と言う意味で) それでもこの有様だ。
実は国防予算には、臨時支出予算も特別会計計上枠で国家予算から出される訳だが。 そのほぼ全額が戦術機調達予算に消えている。
それでも94式は制式化から2年10カ月経つが、配備部隊は西部軍管区の第9師団のみ。
92式『疾風』にせよ、低価格故に94式よりペースは速いが、配備部隊は大陸派遣軍の第5師団と、内地の第14、第18師団のみ。(18師団は『壱型』)
残りの戦術機甲部隊は、帝都守備の第1師団と富士教導団に89式が100機ばかりと、30機程の94式が配備されているが、残りは全て77式『撃震』のままだ。
「4年で92式が3個師団、94式が3年で1個師団。 残り11個師団を充足させようとすれば1:3の割合だとしても・・・ 保守生産部品も含めれば12~13年はかかるな。
しかもその11個師団の内、本土防衛軍の10個師団は戦術機甲連隊が完全充足で1個、ないし2個連隊しか存在しないし。
あとは名目上の留守部隊だ、戦力もクソも無い。 ―――くそ、この5年間で戦力を失い過ぎたな、大陸で・・・」
出るのは愚痴ばかりだ。 上級指揮官だけは存在する、名目上の戦術機甲連隊が何と多い事か!
今年の4月時点で、名ばかりの戦術機甲連隊数は17個連隊に上っていた。
何しろ、俺も初陣で経験した92年5月の北満州大侵攻や、92年冬から93年初頭の大規模戦闘(『双極作戦』) それに93年9月の『九-六作戦』
あれ程の規模の大規模侵攻迎撃戦だと、戦術機甲連隊の1個や2個、あっさり消えてしまう。 文字通り、全滅で消滅だった。
前線で小隊や中隊が壊滅、なんてものじゃない。 戦線全体で大隊や連隊が、小隊の如くの勢いで消し飛んで行った。
1個連隊が消えた穴を埋めるのに、一体どれ程の時間と金と手間がかかる事か!
数十億の予算をかけて戦術機を大増産し。 急ピッチで衛士教育の枠を拡大して大量育成して練成し。 その教育訓練予算も馬鹿にならない。
どんなに急いでも最低1~2年はかかる。 そんな大仕事なのに、前線では5、6年分かけて養った戦力が下手をすれば数日の戦闘で消え去ってゆく。
正直、消耗に補充が追いつかなくなってきている。
本土防衛軍がその編成上、穴だらけなのは。 大陸派遣軍への補充兵員(衛士含む)の供給源と化しているからだ。
内地で訓練し、練成した先から大陸へ送り出す。 そして消耗する。 また送り出す。 この悪循環が続いている。
―――師団編成の完全充足など、何処の夢想か。
数の上での完全充足は、甘ったるい最大期待値込みで2008年度。 問題は・・・
「果たして、それまで大陸・朝鮮半島が保つかと言う事だ。
国防省の予想では、満洲失陥は早ければ来年初頭。 朝鮮半島も1年か1年半と言うシュミレーション結果も有る。 これは最悪のケースだが。
軍内部の大方の予想は、帝国本土が最前線になるのは3年から5年以内。 2000年から2002年の内には、本土でBETAと死闘を展開せねばならないとの予想が出ている」
―――それは俺も知っている。
最近の軍内部の研究報告で纏められていた内部情報だ。 無論、非公開。
現在の極東方面の各国戦力を換算すれば、どうしても悲観的な結果しか弾き出されないのだ。
最近はブラゴエスチェンスクハイヴ、ウランバートルハイヴ、そして重慶ハイヴの活発化が懸念されている。
今年に入って九州地方全域に第2種退避勧告が発令されたのも、その結果故だ。
兄貴が独り言のように続ける。
「―――そこで、永多軍務局長が打ち出した策が例の軍制改革だ、主に陸軍のな。
これまでの各兵科毎の編成を止め、完全な諸兵科連合にして継戦能力を向上させる。
甲編成師団は1個戦術機甲旅団基幹(5個戦術機甲大隊)、乙編成師団は1個戦術機甲連隊基幹(3個戦術機甲大隊)。 これに他の兵科連隊と支援部隊を組み合わせる。
甲が8個(陸軍3個、本土防衛軍5個)、乙が19個(陸軍6個、本土防衛軍13個) これで戦術機甲大隊は、これまでの135個大隊から97個大隊まで削減する」
―――約70%強にまで戦術機部隊を削減するのだ。
現在の45個戦術機甲連隊のうち、名ばかりになった17個連隊。 この中の13個連隊、約4個戦術機甲師団の削減である。
無論、戦術機甲戦力を含まない機甲師団、機械化歩兵師団は継続保有する事になるが。
「直接・間接的に浮いた予算を戦術機調達費用に回せれば、12年かそれ以上かかると予想される戦術機甲機更新年数を、2003年の末には完了できる試算が出ている」
一見言い事づくめだが、何処にでも不満を持つ者達はいる。 今回に関しては部隊数削減の結果、『余剰員数』とされた連中だ。
そこで浮いた人員―――主に将校連中―――は、日本全国の初等学校から大学に至るまで、配属将校として再配置される事となった。
主にこれから軍を担ってゆく若い尉官、そして少佐クラスまでを極力削減しない方向でと、永多中将は考えていたのだ。
人員の数を減らさず、しかし質的には早期に充実させて戦力を向上させる。 『軍備の整理』と、国防省では言っていたらしい。
これは世論では賛否両論だったが、だが当人達にとっては左遷以外の何物でもないと感じる者が多かった。
自然、この『軍縮』を否定的に考え、永多中将を恨む声が軍内部に充満した。 実は犯人の相沢元中佐も、配属将校として北海道へ赴任する途上だったのだ。
「おまけに昨年度からは軍事費の特別計上枠が削減された。 国連関連予算を組まねばならないからな。
帝大の小娘も、色々とやってくれているらしい。 あの手、この手で帝国から金を毟り取っている。
計画を誘致したのは政友党だが、議会は大荒れだ。 民政党が批判の手を緩めん。
最も政友党も、在日米軍の不祥事ネタで親米色の強い民政党を攻撃している。 安保関連予算の大幅削減をちらつかせて、軍部の歓心を引こうともしているな」
帝大の小娘と言うのは、世間や軍内部一般へは絶対非公開の国連極秘計画の総責任者。 今は仮設本部の帝大に居座っているらしい。
世間じゃ知られていない。 軍内部でも将校クラスであっても名前が漏れ聞こえる程度。 完全非公開の存在。
―――が、実は俺はある程度推測が出来る。
スコットランドで知り得た情報―――レディ・アルテミシアの情報―――から、帝国大学・応用量子物理研究室の香月夕呼博士。
年齢的に俺と同年代。 そしてこれは推測の域を出ないが、『極秘計画』の内容は、彼女の研究テーマが関わっているのだろう。 正直、これ以上知りたいと思わないが。
いずれにせよ、莫大な予算が帝国政府から国連、そしてその計画に流れているのは確からしい。
お陰で帝国軍は更に貧乏になった。 今年は斯衛軍向け予算を分捕ろうと、国防省と城内省が暗闘しているらしい。
政友党は安保関連予算を削って、それを軍事費特別計上枠に充てる事をちらつかせているが。
あくまで民政党の矛先をかわす議会向けのアピールだろうな。 それと軍部の不満を一時的にせよ逸らす為の。
今の榊是親首相は政友党だが。 大アジア主義者であると同時に、ある種のバランス感覚に優れた人物だと言われる。 内政的にも、外交的にも。
でなくば、国連の計画誘致を党内の反対派を抑え込んでまで、強力に推進したりはしない。
米国や米軍との関係―――安保関係も然りだろうな。 内外に対して、政治的寝業師とも言われる人物だ。
「そしてもう一つの引き金は陸軍教育総監・・・ 間崎大将の更迭事件か」
陸軍3長官のひとつ、陸軍教育総監(他は陸軍機甲総監と、陸軍参謀総長)間崎陸軍大将は、所謂『皇道派』において最大の領袖であった。
そして同時に軍拡推進論者であり、護憲派軍人の筆頭者だった。
『護憲派』は官民に広く存在するが、手っ取り早く言えば『君主主権』で憲法を解釈する人々の事だ。(実は帝国の多数派は、基本的にこの考えなのだが)
『皇道派』の内実は『国粋派』と、『勤将派』に大まかに分けられる。(最も、厳密で無く双方に足を突っ込んでいる者が多い)
そして『君主主権』、その元に『皇帝親政』か、『将軍摂政制』か。 この政治性の差が『国粋派』と、『勤将派』の差異と言っていい。
因みに国家社会主義的な国家統制を主張する人々は、『統制派』(陸軍の中枢に多い)
議会政党主義を奉じる人々が『民主派』、ないし『国連派』と呼ばれる。(海軍、航空宇宙軍に比較的多い)
この民主派(国連派)は更に『欧米派』と、『亜細亜派』に区別される事も有る。 親欧米か、大アジア主義かの差だ。
無論、陸軍にも民主派は存在するし、海軍や航空宇宙軍にも統制派や皇道派もいる。
そして民間・議会勢力も統制派寄り、皇道派寄り、民主派寄りと様々だ。
「間崎大将って、先代の陸軍参謀総長・上ノ原元帥の直系分子だった人だよな? 今の統制派の連中とは、元々水と油か・・・」
この上ノ原元帥と言う人は現役当時、皇道派最大の領袖であった人だ。 同時に大の海軍嫌い、航空宇宙軍嫌い、政党嫌い、そして反米主義者であった。
参謀総長時代の上ノ原大将(当時)は、軍内部の主導権争いで軍事予算の過半を要求する海軍(ちょっと無茶だ)を罵倒し、
政党と財閥の癒着と腐敗(相変わらずの社会問題だ)を面罵した。
そして日米地位協定で護られた在日米軍将兵の犯罪(これも相変わらず)で、米国を盛大に批判した。
そして件の軍制改革を盛大に批判もした。 永多中将を『国賊!』と罵った場面すらあったのだ。
確かに、切羽詰まってきたこの戦況での軍備縮小(実際は軍備整理なのだが・・・)に対して、焦りを感じるのは軍人としては致し方ないかもしれない。
「ああ、それに実の所、上ノ原大将はその剛毅な性格も相まってか、陸軍の若手将校や海軍の艦隊派若手士官、そして一般国民には人気のあった人だ。 それをな・・・」
兄貴が何とも言い難い表情で言った事は、上ノ原大将はその癖の強さ故に、他の軍上層部、そして政党・政府からは嫌われていたと言う事実だ。
それが如実に表れたのが、国防相選出を行う92年の国防省国防会議。 上ノ原大将は国防相候補者として立候補したのだ。
時の政府(正確には組閣をしていた人々)は驚いた。 何せ大将は大の政党嫌いで米国嫌い。 そしてその当時の次期内閣は、親米色の強い民政党が議会与党だった。
政党側から内々に打診を受けた彼を嫌う帝国軍上層部は、その時に一つの慣例を作ってしまった。
『国防相は帝国軍5長官(統合幕僚総監、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、航空宇宙軍作戦部長、前任国防相)の合意の上で選出する』
そしてこれは内規だが、立候補者が5長官職にある場合は、その者は合議に参加出来ない。
更に立候補の時点でその職を後任に移譲する、と言うものだ。
参謀総長に対する人事権は国防相が握っているから(軍令部総長や作戦部長も同様)、上ノ原大将に残された道は勇退しての予備役=軍事参議官入りしか無かった。
これは完全に上ノ原大将への包囲網と言ってよかった。 こうして上ノ原大将は元帥府に列せられる代償として、実権を失い軍事参議官となった。
国防相はいずれの派閥にも属さず、比較的公正明大な林崎詮十郎陸軍大将が就任した。
当時の俺は配属されたばかりの新任少尉であって、初陣の事だけしか頭の中に無かったから考えもしなかった事だが。
改めてみると、ドロドロとキナ臭い事ばかりやっていたのだな・・・
「で、失意と憤怒と共に現役を退いた上ノ原元帥の置き土産が、一の子分だった間崎大将の教育総監就任。
あの人は結構、口が上手いからなぁ。 新米連中だけじゃ無い、俺の同期生にもあの大将の口に乗せられて、皇道派やっている奴もいるしなぁ・・・」
「うん? そうなのか?」
「ああ、同郷の集まりなんかで、僭行社で会合するだろう? 間崎大将は煌武院の産だったか。 で、同郷の連中が最初影響受けてさ。
後は部隊に戻って同僚や後任を紹介したり・・・ 何か、芋づる式だね。 皇道派の中でも『勤将派』の連中って、五摂家の産が多いんじゃないか?」
「一概には言えんと思うが・・・ その傾向も有るかもしれんな」
今言っていた、『~の産』とは?
要は昔の幕藩体制時代、煌武院家85万石、斑鳩家60万石、斉御司家55万石、九條家32万石、崇司家40万石
今の五摂家の大名時代の旧家領出身者と言う意味だ。 元の家臣でも、先祖が『上士』(殿様に会える御目見え身分の上級武士)出身者は『武家』として今に残るが。
それ以外の『下士』、『郷士』や領民層出身だった人々は平民、今の時代は一般市民として兵役では当然国軍に入隊する。
が、大政奉還が成立して130年経った今なお、『我らが殿様』意識は結構残っている。 ―――俺には理解できんね。 我が家は代々、武家は仇敵だったし。
「直衛、阿呆。 そんな事言っているお前の方こそ、旧弊な意識が残っているじゃないか。
困ったヤツだ。 死んだ爺様の影響か? ―――武家嫌いの人だったからな」
兄貴の言葉に、そうかもしれないとも思う。 なにせ古い人だったからなぁ、俺達の爺様は。
先祖が仕えていた公家貴族の家を、ずっと主筋の家と崇めていた爺様だったな。
「・・・それに、摂家全てが現体制を形式上でも、望んでいる訳ではないらしいがな」
「なに?」
「ん・・・ いや、いい。 ここでの話じゃ無いな。 それより話は間崎教育総監だ。
俺は海軍の人間だが、外から見ていても異常だったぞ、あの人は・・・」
間崎大将が教育総監を務めたのは、92年から今年96年まで。
この4年間は陸軍教育の現場は、『精神主義の修行道場』とさえ言われた程だった。
特に陸軍士官学校においては、国家神道の大論者や国粋的歴史学者、武士道崩れの武道家と言った連中が、一般学や武道の教官として登用されていたし。
軍事学教官(これは現役の将校)は、皇道派将校でがっちり固められていた。
お陰でこの時期に教育訓練を受けた連中、今の中尉の2年目から新任少尉達に皇道派的傾向が強いのは、その影響が大きいのだろう。
俺の部下には士官学校卒業生はいないが、以前同期生と話した時、そいつの部下でガチガチの皇道派の部下がいてやり難いと、こぼしていた。
間崎大将の教育総監就任は、陸軍を下級将校のレベルから皇道派へと変貌させようと考えたのではないか?
そんな噂も飛び交っている。 あながち、穿ち過ぎな感想でも無いと思える所が怖い。
最も衛士訓練校はその影響は比較的薄いようだ。
俺の1期下の連中―――美園中尉や仁科中尉にせよ、部下の最上中尉や摂津中尉にせよ、皇道派の欠片も無い。
・・・最も、単にお気楽連中なだけ、なんじゃなかろうか・・・?
「決定打は大陸派遣軍人事に、強力に介入しようとしたんだよな、確か」
「そうだ。 あれは教育総監の職掌範囲を大幅に逸脱していた。 国防省内は大騒ぎだったらしい」
今年の秋に議題に上がった大陸派遣軍上層部の交代人事。
今の派遣軍は陸軍第7軍(第7、第8軍団。 第10軍団は途中撤収・再編成中)だが。
これを第6軍(第9、第11軍団)と年明けにも交替する事が決定している。
間崎大将はその軍・軍団司令官人事に、自分が可愛がっている後輩やかつての部下達を3人捻じ込もうとした。 完全に現在の軍主流派に対する感情的嫌がらせだ。
この3人の将官は確かに出来者ではあるけれど、上ノ原元帥の流れを引く人達で米国・国連嫌い。
そして皇道派的な大日本主義者故に、アジア諸国を低く見る傾向をもっていた。
こんな司令官連中が大陸派遣軍に出張って行ったら―――確実に内輪もめで負ける。
軍部から届いた報告を見た政府は、顔色を失ったと言う。 官僚群―――特に外務省と商務省―――も慌てふためいた。
外務省は主に国連・米国関係の悪化を懸念し、商務省は戦術機輸出の得意先のひとつである、大東亜連合との関係悪化を恐れた。
非公式だが、皇帝陛下や摂政政威大将軍も懸念を示したと言う。
そこで動いたのが、永多中将を筆頭とする国防省の中枢幹部達だった。
彼等は、林崎国防相(人事権を掌握している)に、間崎大将の罷免を迫った。
林崎国防相も、間崎大将の感情的ごり押しを快く思っていなかったか。 あっさり教育総監罷免が決定した。
そして本土防衛軍東部軍管区(関東地区守備)司令官に『左遷』されたのだった。 士官学校の教官団も総入れ替えとなった。
ただそれだと一方的に皇道派の不満が残る。 次善策として皇道派ではないが、彩峰萩閣中将が第11軍団司令官として補せられた。
彩峰中将は派閥には属さない人だが、大アジア主義的な所のある人だから中韓連合軍や大東亜連合軍と協調できる。 米軍とは一抹不安はあるが。
そして尊皇意識も強い所が、皇道派からは好意的に受け止められていた。(学習館で政威大将軍嫡孫の教育担当をしていた時期も有ったから、尚の事だ)
余談だが、中将はそれまで陸軍士官学校の校長をしており、仁徳の人との評価が有る。
陸士卒業生の中には心酔している者もいる程だ。―――本来は、教育者向きの人なのかもしれない。
「―――だが、狂信的な皇道派で間崎大将の信奉者だった相田中佐、いや、『元中佐』か。 彼にはそこの所が理解できなかった。
部隊内では部下の将校や下士官兵想いの、慕われる上官だったらしいが・・・」
「そんなの、近視眼の大馬鹿だ。 兄貴、お陰で俺達は、身内の叔父を危うく殺されかけたんだぞ?」
現在、相田元中佐は警務隊によって逮捕・拘禁され取り調べを受けている。
予定では年明け早々に、第1師団軍法会議が開催される予定だ。 大方の判決予想は―――死刑。 銃殺刑だろう。
「なあ、兄貴。 俺は国連軍時代、米国の大学で社会学を学んだ。 その中には軍事社会学の分野も有った。
その観点から見れば、この国の軍と軍人は少なくとも現代国家の軍や軍人じゃない。 いや、近代に照らし合わせても怪しいものだ。
兄貴、帝国は―――この国は、一体どこへ行こうとしているんだろうな・・・」
―――結局、苦い酒になっちまった。 畜生。
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※1:旧円で設定しています。 レートは架空。
1ドル=2円50~60銭で設定(現実の円想定で、1旧円=277~280円位)
規模は現実のイタリア位の経済規模で想定
※2:現実の航空機での単価(米軍、概算)を参考に設定しています。