1997年4月1日 1330 日本帝国 静岡県駿東郡 富士駐屯地 帝国陸軍富士学校
満開の桜。
一面を淡い薄桜色に染めて、舞い散る花びらが美しい。
温かい春の日差しが心地良い晴天の春の一日、駐屯地へと続く道筋は桜で埋め尽くされていた。
「・・・綺麗だな」
思わず声に出てしまう。 それ程にやっぱり美しい。
「そうね、桜は満開で、お天気も良くて。 春らしく暖かくなってきたし・・・」
横を歩く祥子も目を細めながら微笑んでいる。
こんな景色を見るたびに思う、『倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし』
大陸、そして欧州、地中海。 いろんな場所でBETAと戦ってきた。
かつては豊かな自然と、人々の営みが彩なしていたであろう大地。―――既に荒野と化した大地。 人々の悲哀が染み込んだ大地。
「日本に帰って来たんだなぁって、実感するよ。 桜を見るとね・・・」
「? 帰国したのは去年の6月でしょう? 昨年末から今年の初めまでまた大陸派遣だったけど・・・」
「桜だよ、桜。 俺、日本の桜を見たのは・・・ 5年振りなんだ」
「あ・・・」
ちょっと気不味そうな表情をする祥子。 ま、そんなに気を使って貰う事じゃないんだけどさ。
92年の初春に訓練校を卒業して、少尉任官と同時に大陸派遣軍に配属された。
国を出る直前に目にした7分咲きの桜が、以前見た最後の桜だった。
93年の春は大陸に居た。 94年と96年は欧州、95年は米国だった。
「やっぱりいいね、母国の春は。 『乙女子が袖ふる山に千年へて ながめにあかじ 花の色香を』、だなぁ・・・」
「どうしたの、急に? ―――で、その読み人は?」
祥子も余計な気を使うまいと思ったか。 クスクス笑いながら聞いてくる。
「太閤さんだよ、太閤豊臣秀吉。 『太閤記』だったかな? 『天武天皇から千年を経て吉野の花見にやって来たが、桜はいくら眺めても飽きないねえ。 余は満足じゃ!』ってさ」
凄く直截的だけど、正直な気持ちが出ていて良いと思うんだけどな。
「ふふ・・・ 『くやしくぞ 天つ乙女となりにける 雲路たづぬる人もなき世に』―――藤原滋包の娘。 後撰集、定家八代抄。 いかが?」
―――ちょっと、祥子さん。 それって何気にプレッシャーかけているんですかね・・・? 祥子の諳んじた和歌の意味って、意訳すればこうだ。
『五節の舞姫に選ばれて踊った。 ひょっとすると昔の女性のように、そのまま帝に召され妻になれるかと期待したが、そんなことはなくて玉の輿に乗りそこねたわ』
「確かに五節の舞姫は桜の季節だけどさ・・・
『天つ風 雲のかよいじ吹きとじよ をとめの姿しばしとどめん』―――良岑宗貞、古今集、定家八代抄。 如何でしょうか?」
この意味は、『空吹く風よ、雲を吹き寄せて雲の通路をふさいでおくれ。 天に帰る乙女たちの美しい姿をもっと眺めていたいから』
祥子を見ると、吃驚したような表情だ。―――俺が和歌に返歌で返したのがそんなに意外だったのか・・・?
と、急にまたクスクスと笑いだした。
「大丈夫、天になんて帰らないわ。 『山桜 をしむ心のいくたびか 散る木のもとに行きかへるらん』―――周防内侍、千載集。 何度でも、ずっと・・・」
舞い散る桜の花びらが彼女の髪に降りかかる。
その長い髪を掬って微笑むその姿を見ていると・・・
「・・・どうでも良いがな。 こんな公道、それも基地に向かう途中でやられると、後ろを歩いている身にはどうしたらいいか判らんぞ? 周防」
―――この声は・・・
「見て見ぬ振り位できないかよ? 久賀。―――久しぶりだな」
「場所を弁えろって。―――久しぶりです、綾森大尉。 お前の顔は見飽きた、周防」
「久賀大尉? 本当に久しぶりね、93年以来かしら?」
「そうなりますかね。 帝国軍復帰後は、俺は九州の師団配属になりましたから」
―――俺を無視して2人して。 良い度胸だ、久賀め・・・
みるとヤツ一人だ。 確か西部軍管区の第9師団だったな、けど久賀一人って訳じゃあるまい・・・?
「同行者は居ないのか? 第9師団でも該当者はいるだろう?」
俺の問いかけに、それまで祥子と昔話に興じていた久賀が表情を曇らせる。
「―――何かよ、学者だか思想家だかの先生の講演会を聞きに行くとさ。 だもんで、別行動だ」
「お前は?」
「遠慮した。 根は真面目な良い奴らなんだけどな・・・」
久賀がちょっと心配そうな表情をする。
最近は特に国粋主義的な空気が強まりつつある。 2カ月程前の遼東半島で派遣軍が事実上壊滅状態で撤退した事が、さらに拍車をかけている様な気もする。
「ま、着任期日は今日の1700時だ。 それまでに着けば問題無いだろう」
「そうなんだけどな・・・ で? 長門は? 神楽は? 他の先任は?」
話題を変えたかったので、久賀の問いかけは渡りに船だ。
「沙雪がね。 珍しく早めに着任するわよ、って。 長門大尉と神楽大尉を連れて先に行ってしまったのよ」
「三瀬さんと源さんは昨年に受けているから。 だいいち源さんはまだ入院中だし。
木伏さんと水嶋さんも昨年にな。 愛姫はリハビリ中だ、後期組から参加予定だよ」
「ふぅ~ん・・・ へぇ~・・・ ほぉ~・・・」
―――くそ、嫌な笑い方しやがって。
祥子は祥子で、時折見せる天然振りを発揮して理解していないし。
久賀がニヤリと笑って、こうのたまいやがった。
「・・・ま、和泉さんもたまには良い仕事するってか?」
「え? 彼女、あれで良い指揮官よ?」
祥子の一言に久賀が爆笑する。 祥子は祥子でやっぱり判っていない、不思議そうな顔をしている。
―――いいから、もうこの辺で勘弁しろよ、久賀・・・
「くくく・・・ 変わってねぇ、変わってねぇ・・・ ま、これから暫くの間、宜しくお願いしますよ、くくく・・・」
「え? ええ・・・?」
笑いの発作が収まらない久賀と、相も変わらず理解できていない表情の祥子、そして少々仏長面の俺。
3人で営門に続く道を歩き始めた。
97年の春―――まだ国内は表向き平穏さを保っていた。
1997年4月10日 1900 富士学校 幹部学生宿舎 浴場
「・・・うが~・・・」
湯船にどっぷり身を沈めると思わず声が出る。 熱い湯が心地よく、体の強張りが抜けて気も抜ける。
「はぁ~・・・」
「なんて声出してやがるんだ、直衛。 おっさん臭い・・・」
右横で圭介が何かほざきやがる。 タオル頭に載せて、どっぷり湯につかって、府抜けた顔しやがって。
そう言うこいつだって、さっき同じように唸っていやがったのを知っているぞ。
「ま、いいじゃねぇか。 日本人にとっちゃ、風呂は極楽よ」
「・・・良い事言うねぇ、久賀ぁ・・・ ちょっと見ない内に風流でも覚えたか?」
「・・・何かムカつく言い方だな? おい。 周防、お前に言われたかないぞ?」
左横から久賀の抗議の声が聞こえる気がするが、無視だ。 多分幻聴だろう。
何にせよ、どっぷり熱い湯に浸かれる日本の風呂が一番だね。 図演や講義で散々頭を使って、その後で実機での戦闘指揮演習や幕僚演習で散々指摘されて苦労して。
―――1日の終わりはやっぱり風呂だよ。
「ま、それは言えるな。 欧州時代はシャワーしかなかったし、大陸派遣でも同じだった。 やっぱり疲れが取れるな」
圭介が手にすくった湯で顔を洗いながら唸る。
「シャワーが有るだけマシだ、って時も有ったな。 遼東撤退戦の最後なんか10日間、強化装備も脱げなかったし。
そもそも2週間以上風呂はおろかシャワーすら浴びてなかった。 洗面も2人で水1リットルだったしな・・・」
あの時もまいったよ、ホント。 戦場でシャワー何て贅沢言わないが
浴槽の淵に頭を載せて、天井を見上げながら呟く。 立ち上る湯気で電灯がぼやけてやがる・・・
「あ~ん? 『野外入浴セット2型』ってもんが有るだろうが? 師団の支援連隊によ?」
久賀がこれまたのんびりと呟く。 『野外入浴セット2型』ってのは、帝国陸軍の誇る『決戦装備』のひとつだ。
トレーラー搭載のボイラー器材、野外浴槽、業務用天幕なんかがあって、1日で1000人以上が入浴できる!
帝国軍の士気の源泉! 風呂が無いと帝国軍の士気は崩壊する! ローマ帝国だって同じだったんだ! ・・・って、嘘だけど。
しかし久賀の奴め。 内地の部隊って言うか、本土防衛軍に移ってから間抜けやがったか? そんなもの、決まっているだろうに・・・
「・・・入浴はWAC(Women's Army Corps:陸軍女性将兵)が最優先」
「次に階級下の者から。 見栄ってもんが有るしな、中隊長・大隊長クラスが一番後回しだった・・・」
俺の呟きに、圭介の溜息声が重なる。
もっとも、あの南部防衛線崩壊以降はそれどころの話じゃ無かったけどな。
「・・・何にせよ、明日もまた講義に実習が目白押しだ。 風呂くらいゆっくり浸かろうぜ」
「直衛、あと15分しかない」
「長門、現実に戻すな」
気がつけば俺達しか残っちゃいなかった。―――入浴時間は1930まで。 ちょっとのんびりしすぎたか?
仕方が無い、そろそろ上がるとするか。 この後は『自習時間』と言う名の『自由時間』だが、課程を無事終了するには予習も復習も大事だし。
同日 2050 富士学校 幹部学生宿舎 自習室
「・・・何で『経理学』なんて学科が有る? 俺達は戦術機甲科で、主計科じゃないのに」
分厚い経理学関係の参考書と睨みっこしながら悪戦苦闘するも、内容がいまいち掴めない。
一般学なら『高等数学』や『物理学』、『歴史』の方が判る。 『指揮方法論』、『統率学』、『戦術学』なんかの兵学科目の方がまだ身が入るというものだ。
それに俺的には『国際関係学』、『国際法』なんかは馴染みが有る。 こっちの分野は国連軍時代に米国で齧ったし。
もしくは語学。 必修は英語。 第2専攻にドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラブ語からどれか1カ国語を選択。
英語はこれまた国連軍の米国留学時代に叩きこまれたし、ドイツ語とフランス語、それに中国語は日常会話程度なら苦労しない。
何故って?―――アルトマイエル大尉は(今は少佐に進級したそうだ)ドイツ人だし、戦死したニコールはフランス人だった。 翠華は中国人だし。
国連軍時代の公用語は英語だったけど、部隊の連中はまるで万国博覧会だった。 お陰さまで後はイタリア語とトルコ語も何とか理解出来る。
―――こっちはファビオとギュゼルのお陰だけどね。 因みに俺の第2外語専攻はドイツ語。
圭介はロシア語を選択して、久賀はスペイン語だったか。
「でも君は語学関係が強いからなぁ。 羨ましいよ、周防君」
横の席で市川さん―――市川大尉が苦笑している。
2ヵ月前の遼東半島撤退戦。 最後の局面で一緒に戦った人だ。 18師団に所属している。
この人は大学出の特操出身の割には語学が苦手とか言っていたな。 英語は普通に出来るようだけど、第2外語のフランス語に四苦八苦している。
逆に経済学部出身と言っていたから、経理学は馴染みが有りそうだ。
「日常の中で覚えたら、割と覚えられるものですよ。 最も文法なんて知ったこっちゃないですが。
それより自分はこっちの方がさっぱり解りませんよ・・・」
―――ああ、ヤメだ、ヤメ! 解らないものは、どうやっても解らない。
それに自習時間も後10分を切った。 一息入れて手紙でも書くか・・・?
周りを見れば各自が適当に勉強を切り上げて、手紙を読んだり書いたり、或いは私的に読書したりと。
流石に皆、大尉と言う階級に有るから節度をもったサボり方だけどな。
さて、どうしようか? などと思案している内に2100時、今夜の自習時間が終了した。
「それにしても驚いたね。 こんな所で共通の知り合いがいる相手と同室になるとはね」
日夕点呼(2140時)が終わった後の自由時間。 2300時の消灯までは完全にその日の寛げる時間だ。
学生宿舎の居室―――2人1部屋―――で、同室になった市川英輔大尉がグラスをチビチビ飲りながら笑う。
帝国国内ではそろそろ手に入り難くなってきた寿屋の『角瓶』―――ジャパニーズ・ウィスキーの逸品。
軍内部ではまだ手に入る。 ある所にはあると言う事か。
「こっちも驚きですよ。 まさか市川さんが愛姫・・・ 伊達大尉と知り合いだったとは」
俺も相伴に与ってロックで飲っている。 つまみのビターチョコレートを口に放り込みながら。
―――ウィスキーにチョコ。 奇妙な取り合わせだと? そう言う奴は判っていないな、意外に相性が良いんだ、これが。
「―――確か94年だったかな・・・ うん、そうだ、『大陸打通作戦』が失敗した時だったら、94年の11月だよ。
伊達大尉には色々と世話になったよ。 お陰で僕は生き残る事が出来たし、部下も自分を見失わずに済んだ・・・」
彼の元部下で、もう1人の共通の知人―――なんと、神宮司まりも中尉だった。 今は国連軍か。
世の中狭いものだ、軍隊社会は尚更狭い。 以前の同僚、部下、上官と別の配置でばったり、何て事も良くある話だしな。
「伊達大尉は負傷したと聞いていたが・・・ 具合は良いのかな?」
「伊達大尉ですか? 戦傷は単純骨折だけでしたから、既に軍病院を退院しています。
今は負傷後のリハビリを兼ねた休暇で、実家の方に居る筈ですが・・・」
2月の遼東半島撤退戦で負傷した3人の大尉。 その内、木伏大尉と愛姫は比較的軽傷で済んだ。
2人とも既に退院して、特別休暇で実家の方に居る筈だ。 木伏さんは大阪に、愛姫は仙台に。
源さん―――源大尉は重傷だった。 全治4カ月で未だ陸軍病院に入院している。 入院、リハビリ、そしてその後の練成で復帰には1年はかかりそうだと言う。
「残念だね。 彼女にちゃんと礼を言っていなかったんだ。 もしかしたら、今回の課程受講で同じになるかもと思ったんだけどね・・・」
「仕方ありませんよ。 ま、あいつは7月からの後期組には参加するでしょうから。 3カ月程ダブる事にはなるでしょうね」
そう。 俺達はこの富士学校に24週間―――4月初旬から9月末までの6か月の間、缶詰め状態になるのだ。
『幹部上級課程(Advance Officer's Course:AOC)』―――この課程受講を命じられている。
この教育課程は少尉任官後、概ね5~6年を経た若手大尉が中級指揮官や幕僚として必要な知識と技能を修得する為の課程だ。 教育期間は24週。
中尉に進級した時に受講する課程が『幹部初級課程(Basic Officer's Course:BOC)』
これは初級幹部将校(小隊長)として必要な知識と技能を修得するもので、AOCは言ってみればそれの上級編だ。
この『AOC』までは全将校が受講を命じられる。 言ってみれば将校としての『義務教育』の最後になる。
俺達将校はこれを『徴兵される』と言っている訳だ。
その先は部隊推薦を受け、試験に合格した者だけが受講する教育体系になる。
『幹部特修課程(Functional Officer's Cource:FOC)』―――訓練校出身将校の『最終学歴』になる場合が多い。 古参大尉か少佐で受験資格が得られる。
旧陸軍大学校の『専修科』の流れを引いている課程で、これを修了すると原則として中佐までの昇進が保証される―――優秀な者は大佐まで昇進する。
ただし、その前に戦死しなければの話だが。
『指揮幕僚課程(Command and General Staff Course:CGS)』―――ここは士官学校卒業生でも、選ばれた一部の者しか入れない。
こちらも古参大尉か少佐が受験資格だが、恐ろしく超難関の狭き門だ。 将官へ昇進する為の最低条件でもある。
同じ格付けの課程として、『技術高級課程(Tactical Advance Course:TAC)』があるが、こちらは技術畑の研究開発・行政職での上級指揮官や幕僚の育成を行う。
―――因みにこちらも将官への昇進条件の一つだ。
他に『幹部高級課程(Advanced Command and General Staff Course:AGS)』や、『統合幕僚学校(Joint Staff College:JSC)』の一般課程なんてのもあるが・・・
こっちの学生は『指揮幕僚課程』や『技術高級課程』を修了した秀才揃いの大佐や中佐。―――俺には無縁の世界だな。
士官学校や訓練校が『将校の小学校』だとしたら、『幹部初級課程』は将校の中学校、『幹部上級課程』は高校と言った所か。
『幹部特修課程』は短期大学、『指揮幕僚課程』と『技術高級課程』が大学で、『幹部高級課程』や『統合幕僚学校』は大学院の修士課程や博士課程と言った所だ。
因みに、指揮幕僚課程以上が『陸軍大学校』と通称される。
「何にせよ、6ヶ月間よろしく。 周防大尉」
「こちらこそ、市川大尉」
―――2245時 そろそろ寝るか・・・
夜半、ふと目が覚めた。―――0130 なんだ、まだ2時間程しか眠っていなかったのか。
暫くして歌声が聞こえてきた。 どうやら練兵場辺りで歌っているのか・・・?
『汨羅の淵に浪騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く』
『汨羅の淵』か。 中国は春秋戦国時代、楚の屈原は祖国の滅亡の危機を憂いながら汨羅の淵に身を投げた。
・・・楚はやがて秦に滅ぼされたんだったか。
『権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う情なし』
『嗚呼人栄え国亡ぶ 盲たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり』
政治家の無為無策を非難し、官僚の思い上がりを非難し、財閥の強奪を憤る。
政官財の党利党略、無為無策、私利私欲。 ・・・そして国民の無関心はどうした事か。
・・・にしても、何て歌を歌っていやがる。 『青年日本の歌』―――別名、『昭和維新の歌』
60年以上前にできた歌だが、その内容の為に『反乱をあおる危険な歌』として一般はもとより、軍内部でさえ歌唱が禁じられた歌だ。
それを今時、歌うヤツが居るとは・・・
『天の怒りか地の声か そも唯ならぬ響きあり 民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ』
・・・この、出口の見えないBETA大戦。 俺も見れるものなら『明るい朝』を見たいものさ。
『功名何か夢の跡 消えざるものはただ誠 人生意気に感じては 成否を誰か論う』
『止めよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ 吾等が剣今こそは 廓清の血に躍るなり』
「成否」では無く、「正否」ではなかったか。 かの漢が望んだ事は。
例え屈原の如き悲曲の今の世界だとしても。 自分を・・・ 己が正義と言い切れるのか?
歌声が止んだ―――それにしても不思議だ、あの歌は今でも歌唱が禁止されている筈なのに。 富士学校の連中、誰も止めに入らなかったな・・・
「・・・醒めよ、日本の、朝ぼらけ・・・」
気がつくと俺も呟いていた。―――くそっ! 何て事だ。
駄目だ、駄目だ、駄目なんだ。 心情は判る。 判るがそれは駄目だ。
それはパールマターの唱える『衛兵主義(プリートリアニズム)』、そのものになる。 いや、ファイナーか? 団体性が無い革命的軍人の類型だ。
2年前のN.Y―――NYUで学んだ記憶が蘇る。 あの時感じた不安がよぎる。
「・・・嫌な歌だ」
誰が歌っていたか判らなかったが、その歌は俺を酷く不快に、そして不安にさせた。
そう―――まるで瞑い海に漕ぎ出すかのような。