1998年1月10日 朝鮮半島 光陽 東地区防衛陣地
目前で数機の戦術機が穴を掘っている。 いや、何と言うか・・・ 自分でさせておいて何だが、実にシュールな光景だと思う。
『・・・ったく、俺達は戦術機甲部隊だっての! 工兵隊じゃないんだぜ!?』
『全くだ。 ここに着いて以来2週間近く、毎日、毎日、土木作業だぜ・・・』
『ぼやかないでよ、仕方無いでしょ・・・ それより、中隊長に聞かれるわよ? また周防大尉のカミナリ、喰らいたいの?』
部下達の愚痴が聞こえる。 愚痴である間は放置するに限るか、余り締め付けるのは考えものだしな。
それに愚痴のひとつも言いたいのは俺も同感だ、立場上言えないだけで。
それよりも、ヘッドセットのオープン通信は中隊通信系だ、当然俺にも聞こえると思っていないのか? あいつ等は・・・?
「新米共、そろそろ悪い意味で緊張感を持続出来なくなっていますよ。 どうします、中隊長?」
傍らからC小隊長兼任の中隊副長である最上中尉が渋い顔で聞いてくる。 とは言え、俺にもなかなか良い考えが無い事は事実だ。
いつ戦闘参加が有るか判らないこの状況では、アラート待機がメインになって通常の訓練などなかなか出来るものではない。
かと言って待機ばかりでは部下達―――特に新米達の技量の低下が深刻になってしまう。
せめて戦術機を『動かす』勘を鈍らせない為に―――そう言う理由を付けて、なかば中隊全員にやらせている目前の土木作業。
何の事は無い。 駐留陣地、そしてその背後に控える臨時難民キャンプの防衛用に対BETA用地雷を敷設する為の塹壕を戦術機で掘らせているのだ、この2週間の間。
敷設作業自体は韓国軍の戦闘工兵連隊がやってくれる。 が、その地雷を埋める為の穴を掘る重機が殆ど無い―――撤退途中で失われた。
そこでウチの大隊戦闘団と交渉の結果、穴掘りは俺達戦術機甲部隊が。 地雷の敷設は戦闘工兵連隊が行う事になった。
で、この2週間の間に幅20km、縦深5kmの地雷原の大半を構築したと言う訳だ。
当然、俺もその中に入っている。 日がな一日中、追加装甲を使って戦術機で土木作業。 だが大隊本部での会議や連絡業務などで、毎日部下達の面倒を見るとはいかない。
そう言う訳で、今日も『土木作業指揮』はB小隊長の摂津中尉に任せて大隊の会議に出ていた。 その帰りに最上に捕まって、苦情半ばで要請された訳だ・・・
「・・・致し方が無い、当分は今の作業を継続する。 『畳の上の水練』だ。
大隊本部に掛け合って、明日は谷城(コクソン、光陽北西50km)辺りまで偵察哨戒に出して貰う事にする」
「お願いします。 古参は良いですがジャク(若手、新米)の連中、そろそろ緊張感の持続が怪しくなっています。
このままじゃ、下手すると『途切れて』いざって時に使いものになりません。 摂津も、四宮も頭を抱えていますよ・・・」
全州から防衛線が後退した今じゃ、たった80km北の任実(イムシル)=長水(チャンス)防衛線が最前線だ。
西部は光州(クァンジュ)から40kmしか離れていない井邑(チョンウプ)が最前線になっている。
偵察・哨戒行動と言っても流石に最前線まで出る事は禁止されている、谷城(コクソン)は戦場を感じる意味でも、周りへのポーズとしても丁度良い塩梅か。
臨時に配属となった第8軍団司令部からは、大隊戦闘団の主任務は難民キャンプの守備、そして光陽の港湾施設の防衛を言い渡されている。
積極戦闘参加?―――無論、厳禁されているよ。 ある程度予想していたが、ここまでキッパリ命令が下るとはね。
「ここ数日、最前線で取りこぼした小型種BETAが少数だが谷城辺りで補足されている。 咄嗟戦闘も十分あり得る、心しておけよ?」
「了解です。 作業をあと30分で終了させて、兵装チェックを行わせます。
最近突撃砲なんて触っていませんからね、整備を疑う訳じゃないですが、自分の目で確認しておかないと・・・」
「当然だ、しっかりやらせろ。 ところで、四宮は?」
最上、摂津と一緒に留守を任せた筈の、中隊副官をしている四宮杏子中尉の姿が見えない。 事務関係で頼む事が有ったのだけどな・・・
「ああ、四宮は『キャンプ』の方ですよ。 韓国軍の朴大尉(朴貞姫大尉)が先程来られまして。 大尉が不在でしたので、四宮が代わりに」
「・・・厄介事か?」
「それ以外に何が有るってんです? 毎度の事ですよ、今更脱出しない、ここに残るって連中が騒ぎ出しまして。
重傷の身を押して中国軍の周少佐(周蘇紅少佐)が説得にあたっていたらしいですが、それが災いして少佐が倒れたと」
―――周少佐も無茶をする。
そうか、少佐の大隊は残り2個中隊を美鳳(趙美鳳大尉)と文怜(朱文怜大尉)が率いて今は谷城(コクソン)に張り付いている。
少佐が倒れたから・・・ この場の最上級指揮官は俺だ。 俺が最先任者になる。
同じく光陽の東地区防衛部隊に指名された韓国軍の朴大尉(朴貞姫大尉)と、李大尉(李珠蘭大尉)は、年齢は俺より1歳上だが大尉昇進は俺の3カ月後。 後任になる。
難民の説得・・・ 正直気が重い。 92年の北満州、そして94年のイベリア半島。 成功した時と、失敗した時。
成否の分かれ目がもたらした結果、それと俺自身の内面の問題。
結局俺は翠華を支え切れたのかどうか判らないままになったし、リュシエンヌ・ベルクール少尉は俺が初めて喪った部下だった。
はっきり言おう―――俺は怖がっている。
「・・・四宮を呼び戻す、俺が代わりに行こう。
ああ、そうだ。 もうじき大隊G4(兵站担当幕僚)が来る。 要求物資リストは四宮に作らせてあるから、それを渡してくれ」
「了解です」
―――何時まで怖がっているのだ、俺は。
毎度同じ結果になるとでも? 自惚れるな、周防直衛。
翠華は彼女自身の意志で選択したのだ。 リュシエンヌは自分の意志で戦い、散って行ったのだ。
そこにお前の存在は一因として存在したとしても、全てじゃないんだ。 それは彼女達の意志であり、彼女達の物語だ。
お前は、お前の意志で自分の物語を書いて見せろ。
「―――いい加減に気付けよ。 この馬鹿者が・・・」
俺の小さな呟きに最上が一瞬不思議そうな表情を見せたが、気のせいかと思った様だ。 何も言わず敬礼してその場を去って行った。
さて・・・ 内心嫌で仕方が無いが、何時までも後ろを向いている訳にもいかない。 そうだろう?
「あ、中隊長」
キャンプに入って暫くすると、ちょっとした広場―――と言うより、何も無い空き地がある。
そこに人だかりが出来ていて、その中に四宮の姿を見つけた。 朴大尉と李大尉もいる。
「四宮、ご苦労だった。 俺が代わる、お前は陣地に戻れ―――大隊G4が来る、最上と2人で受領物資の確認を頼む」
「あ、はい! ・・・しかし、この場は・・・」
「俺の仕事だ。 早く行け、お前しか書類の詳細説明が出来ないからな?」
一瞬で俺と、朴大尉に李大尉、そして避難民たちに視線を走らせた四宮だったが、自分の仕事を理解したようだ。
敬礼して素早くその場を離れて行った―――理解が早くて助かるよ。
「で、朴大尉、李大尉。 こちらの方々は何と?」
「・・・本貫の地は離れたくないって」
朴大尉がどこか投げやりな口調で言う。 少し様子が変だな、この人はもっと血の熱い人だと思ったが・・・?
「ここで逃げ出したらご先祖様に申し訳が無い、そう言っているのよ。 韓民族としてはね、気持ちは判るのよ。 でもね・・・」
李大尉の口も歯切れが悪い―――溜息が出そうだ。
噂には聞いていたし、この2週間で既に何度かお目にかかった光景と台詞だ。
東アジア系に似通った事だが兎に角、血縁・地縁に対する時に異常なまでの拘り。 そして土地に対する拘り。
特にこの地に来て実感したのが、一族の土地―――『本貫』に対する執着心。 これは苦労しそうだ。
「・・・気持ちは判る。 ええ、そうだ。 日本人の自分でもそれは同じく。 しかし現実はそれを許さない、判りますね? 朴大尉、李大尉」
「それは・・・ 判るわ。 判っています、周防大尉。 貴官に言われるまでも無く」
―――少し怒ったか? いや・・・ 自覚して恥じたか、そんな所か。
李大尉はそれまで戸惑う韓民族女性から、韓国軍将校の顔に変わって言った。
朴大尉と言えば・・・ どうもおかしい、相変わらずどこか投げやりな表情のままだ。
俺と2人の会話(英語だ)を語学が出来る者から聞いたのだろう。 年配の男性が厳しい表情で目の前に出てきて、何かしゃべり始めた。
だが生憎と俺は韓語を解さない、そこで李大尉に通訳をして貰う事にした。
『儂等はこの地を死に場所にしたいのだ。 先祖代々、この地で生まれ、この地で暮らし、この地で眠ってきた。
今更余所の土地に行く気も無いし、行った所で難民キャンプなど一族の者達に困窮を舐めさせるだけだ』
正直どこの土地でも聞かされる台詞だった、別段珍しくも無い。
そしてそんな場合に対する『模範解答』は、軍は既に用意しているものだ。
「失礼ですが、BETAを見た事は? 無い?―――宜しい、あなた方は幸運だ」
『何が幸運なものか! 何を言うのだ、このイルボン(日本野郎)め!』
瞬間沸騰したその男性を、李大尉が慌てて宥めている。
言葉は理解できないが、結構無茶苦茶な罵倒を受けている気がする―――構うものか、話を続けよう。
「ご家族がBETAに食い殺される情景を想像してみてください。 ご一族の皆さんが食い殺される情景を。
男も、女も。 老いも若きも、そして幼子も。 生きたまま体をバラバラに喰い千切られ、言語を絶する苦痛と恐怖に苛まれながら食い殺される様を」
一旦言葉を切る、我ながらあざとい言い様だ。
だが実際にBETAを見た事の無い民間人には、こうでもしないと万分の一の実感も与えられない。
「我々軍人はその恐怖を、身をもって知っています。 そして、守るべきあなた方にその恐怖を与えたくないのです」
『だが儂等は・・・! 儂等はここを動きたく無いんじゃ! 死ぬのなら一族の皆が一緒に死にたい!
もう、家族の誰かが、どこか見知らぬ場所で独り寂しく死ぬなどと・・・ そんな目に、一族の者を会わせたく無いんじゃ!』
―――堂々巡りになりそうだな。
「であれば尚の事、ここを脱出して新しい土地に行かれるべきでしょう。 未だBETAの侵略に遭っていない土地は有ります。
そこで一族の方々と暮らすべきなのでは? 見ればまだ幼い子供さん達もいらっしゃる、あの子達の為にも」
『・・・国を、土地を喪った民がどれ程悲惨なものか、儂等はよく知っておる。 ここにも少し前まで中国人の難民キャンプが有ったのじゃ。
悲惨じゃった、悲惨じゃったよ。 今にして思えば儂等は見下しておったわい、あの者達の事を。 内心で嗤っておったわい、あの連中の事を。
怖いんじゃよ、余所の土地で儂等がああなる事が! どこでも同じじゃないかね? お若いイルボンの軍人よ?
お前さんの国に行けば、儂等はあの中国人同様に悲惨な境遇に落ちるわい・・・』
感情論で頑なに拒む相手に理屈は通らない、一旦キャンプを辞して陣地に戻る事にした。
李大尉が話しかけてきたのはその途中の事だ。
「周防大尉、実際の所どうする気なの?」
どうする? どうするって?―――決まっている。
「―――強制執行。 歩兵部隊に協力を願う事になりますが」
勿論、俺に最終決定権が有る訳ではない。 最後は大隊本部での承認と軍団司令部の命令を貰う事になる。
だが基本的に現地指揮官の『要請』は通るだろう、特にこの手の問題に関しては。
本音を言えば、もう民間人がBETAに食い殺される姿を見たくない。
随分と甘いな、そう思う。 我ながらそう思う。 だけど本音はそうだ。
「・・・いきなり、随分な手段ね。 話し合いの余地はもう無いと?」
李大尉の声がキツイ。 その気持ちは判らんでも無いが・・・
「前線は多分、もう幾らも持ちませんよ? 居残っている民間人は光陽だけで約6万人、脱出船団は日韓両国が用意した船が光陽向けで10隻。
1隻の収容人数は約2000人、日本の九州まで3往復が必要です。 諸々含めて1往復に2日を要します、最短で都合6日。
その脱出船団の第1陣が九州を出港するのは3日後、避難民全てを収容して日本本土に送り届け終わるのは9日後―――防衛線は保ちますか?」
あざといな、こんな言い方。 李大尉も言葉に窮している。 当然だ、彼女も指揮官だ、俺が把握している戦況は彼女も同じく把握しているのだから。
西部戦線は何とか保っている―――だがそれも時間の問題だ、光州には未だ残留する民間人が約30万人。 その脱出計画が立案されていた。
日韓の現地軍上層部が計っているのは、恐らくそのタイミングだろう。 光州(クァンジュ)から羅州(ナジュ)、そして港湾都市の木浦(モクポ)
光州から木浦に至る幹線道路と鉄道路が走るこのルートを、帝国軍第8軍団ががっちりと抑える布陣を行っている。
最前線を指揮する韓国軍の白慶燁中将と、後方指揮の帝国軍の彩峰萩閣中将、前線と後方で連動している様にも見える。
西部防衛軍司令官の孫栄達韓国軍大将も恐らく、一枚も二枚も噛んでいるだろうな。
本来は国連軍指揮下の帝国軍第8軍団が未だ西部防衛戦に張り付いているのは、孫大将の政治的駆け引きの結果か。
「・・・それならば、あと『3日は時間が有る』わ。 お願い、強制執行はまだ待ってくれないかしら?」
「そちらで説得出来るのでしたら」
「やってみます、だからあと3日間だけ待って。 3日だけ時間を頂戴」
「・・・判りました、但し2日間です。 それと戦況の急変次第でここの状況も変わります、それは承知しておいて下さい」
了解―――そう答えて李大尉が自分の部隊へと戻ってゆく。
充てはあるのだろうか? あの手の残留避難民は説得が酷く難しい、俺自身の経験でも過去2回の説得は随分と運にも助けられた。 それでも戦況次第でどう転ぶ事か。
ふと昔の部下の死に顔が脳裏に浮かんだ。 BETAによって無残に食い殺されたスペインの少女の姿も。
(―――そうなった時、貴女はどうしますか?)
李大尉の後ろ姿を見ながら、心中で無意識にそう呟いていた。
「国連軍司令部―――米陸軍のバークス大将は、頭から湯気が出る程激怒しているらしいわね」
不意にその場に残っていた朴大尉が話しかけてきた。
相変わらず投げやりな口調だ。 気になるが今はその事は口にしないでおく、彼女の内面の問題か?
プライベートに関わる事かも知れない、あと数日も同じようならそれとなく李大尉にでも探りを入れるか。
それよりも今しがた朴大尉が話した事は事実として話が広まっている。 それも当然か、BETAの圧力は東部の方が激しいのだ。
そして東部防衛戦を指揮しているのがバークス大将。 本当なら直ぐにでも脱出できる釜山に移動したいところだろう。
だが『国連軍』の看板の手前、致し方なく釜山の北50kmの密陽(ミリャン)に司令部を構えたままだ。
「バークス大将の手駒は、もう切り札の米海兵師団まで根こそぎ防衛線に投入している状態よね、我が軍の首都防衛軍団も既に最前線に投入されたわ。
残るは軽歩兵編成の予備師団が8個だけ―――老兵ばかりでクソの役にも立ちはしない、頭数だけの部隊。
当然と言えば当然かな? そんな状況で指揮下の彩峰中将が動かないのだものね」
「・・・バークス大将は恐れているのでしょう、東西両戦線の節足点とも言える小白山脈をBETAに横断される事を」
西部防衛戦の最前線から20kmほど南の南原(ナムウォン)が陥落すれば、そこからBETAに東進されたら最後、東部防衛軍は無防備な横腹を突かれてしまう。
そうなったら―――全滅だ。
だから彼は本来自分の直接指揮下部隊である、帝国軍第8軍団を南原に移動させようとしているのだ。
ここから東、小白山脈は標高の低い峠となる。 BETAの移動速度が速まる。 その東西両戦線の『かんぬき』として第8軍団を・・・ と言う戦略だろう。
―――以上が、この地を踏んで2週間の間にあちらこちらから聞こえてくる話の内容だ。 公式の見解ではなく、現場の中級・下級指揮官同士の噂話レベルだが。
但し信憑性は高いだろうと思っている。 何故か? 同じ噂話が別のルートでも囁かれているのを聞いたからだ。
各部隊の先任下士官、もしくは准士官達の間でも同じ事が噂されている。
ああ言う連中は軍隊の背骨、伊達に15年、20年と軍の飯を食ってはいない。
要所、要所に配された同年兵同士の繋がりは総司令部の情報管理など、時にはザル同然にする。
俺も大隊本部付きの先任下士官から、先日そっと耳打ちされたものだ。
「大隊本部で聞いた話では、米第7艦隊と脱出用の大船団が到着するのは6日後の1月16日、そこから一気に撤退する予定らしいですよ。
だからその前後に東部防衛線は縮小するでしょう。 そうすれば向うの連中の前に群がっていたBETA群が、幾らかはこっちに向かってくると思われます。
1個大隊戦闘団に、そっちの戦術機甲2個中隊―――それも定数割れで支えきれる話じゃ無い」
「だから、邪魔になる民間人残留者は強制執行を用いてでも、さっさと後方へ送りだす?」
「勘違いしないで下さいよ、朴大尉。 彼等を死なせたくないのは本音だ」
それにもう一度民間人をBETAごと吹き飛ばす様な真似はしたくない。 少なくとも、あれを部下達に味あわせたくない。
「・・・もしそうなった時は撃たない? 民間人の保護を最優先する?」
「いいや、撃ちますよ。 そう命令します」
まったく、判らない人ね―――そう呟いて李大尉は自分の部隊に戻って行った。
強制執行の件は・・・ 黙認したな、そう判断する。
俺だって撃ちたくないさ。 あんな後味の悪い経験は1度で十分だ。
だけどそれと、BETAの阻止に部下の命、どちらを天秤にかけるかと問われれば・・・ 撃てと命令するだろうな。 命令しなくてはならない。
畜生、どっちにしても後味が悪い。 そして更に最悪なのは・・・ その時は『当然の如く』振舞わねばならないと言う事だ、指揮官が命令を躊躇してどうする。
ふと視線を感じた、朴大尉だ。 途中で足を止めてこっちを振り返っている。
本当にどうしたのだろうか? さっきから覇気が見受けられないこと甚だしい。
「・・・強制執行でも何でも、そうする方が良いのかもしれないわね」
そう言ったきり、歩き去って行った。
何なんだ? 片や強制執行は待て、片や強制執行でも何でもやる方が良い―――混乱させてくれるなよ、全く。
1998年1月11日 0830 朝鮮半島 西部防衛戦後方30km 谷城(コクソン)付近
第22中隊『フラガラッハ』は緩やかな丘陵地帯を慎重に進んでいた。
明け方0655時に光陽を進発。 以来約2時間30分、俺にとっては喜ばしい事に未だBETAとの接触は無い。
『02より01、西側の谷筋にBETAを認めず』
『03より01、東側は異状なし』
最上と摂津から報告が入った。
B小隊とC小隊はA小隊を基点に左右1km程離れた丘陵部の谷間を捜索させていた。
『04より01。 正面尾根筋より観測していますけど、有効視界は2000。 BETAは存在せず』
エレメントで目前の尾根筋から北側を観測していた四宮からも報告が入った、どうやら最前線からの浸透はここまでは無さそうだ。
「01より02、03、了解した。 04、四宮、2000以上の視界は確保できないのか?」
『04より01、正面丘陵部の標高の方が高いです。 自動光学センサー・振動感知センサー、設置完了』
「よし、04戻れ。 02、03、B小隊とC小隊は現在地より1000進出しろ、バックアップはA小隊が行う」
―――『了解』
3人が同時に応答した。
同時に左右から駆動音を音響センサーが捉える。 やがて噴射跳躍をかける戦術機―――部下である8機の94式『不知火』が一瞬姿を見せ、やがて丘陵の陰に消えた。
正面は取りあえず光学と振動で補えるだろう、開けた小盆地の地形だ。 東西は戦術地形MAPによれば、それぞれ1000m先で谷間を抜ける。
そこから先は、果たして・・・
『拍子抜けしました、未だ1匹のBETAとも接触無しだなんて』
『・・・強がっても良いけど、状況を舐めない事。 いい?』
新任の4番機―――倉木少尉の声に、今は先任少尉になっている松任谷少尉が注意を付ける。
1年ほど前の初陣での遼東半島撤退戦で負傷した松任谷だったが、傷も癒えて部隊に復帰した。
丁度今年の新人が配属されてきた時で、言われるまでも無く先任役を自らに課している様だ。
良い傾向だと思う。 昨年の自分を見て復習する様なものだ、戦場で生き残る奴はこういうタイプだと思う。
『でもちょっと不気味だわ、昨日はこの辺りで中国軍が掃討戦をしていたのよ? 中隊長、どう思われます?』
昨日だけではない、この1週間程の交戦データをCP経由で仕入れて分析していた四宮が首を傾げる。
「BETAが未だ浸透していないのなら、それはそれで結構な事だ。 防衛線が機能している証拠だからな。
―――A小隊、前進する。 躍進距離2000 B、C小隊、バックアップ開始」
スロットルをゆっくり開け、跳躍ユニットの推力を上げる。 跳躍ユニットの噴射制御パドルを全閉塞から徐々に開度を開け、緩やかな暖加速水平跳躍に移った。
無意識に周囲を見渡す。 この辺りはまだ自然の大地が残されている、緩やかな起伏に冬枯れの木々。
季節が廻れば鮮やかな新緑を、熱い陽光の元で常緑を、そして鮮やかな紅葉を。
その命は間もなく終わろうとしている。 長い年輪を共にした人類がこの地を放棄するのだ。
『LZ(ランディング・ゾーン)視認! 距離300!』
「パドル閉塞」
四宮の声に我に返った。
跳躍ユニットのパドルを閉塞。 逆噴射パドルを半開にして逆制動をかけ着地する。
丁度小高い丘陵部が目前に有る。 歩行前進で周囲を確認しつつ、ゆっくり登りきって頂上付近でカメラを丘陵の向こう側に伸ばす。
網膜ウィンドウに別枠でカメラ画面が映る。 左右―――問題無し。 ズーム―――異常無し。
「リーダーよりB、C小隊、躍進開始」
『B小隊、了解』 『C小隊、躍進開始します』
BとCの2個小隊が後方より接近、A小隊の左右後方100に占位する。 同時にエレメントに分かれて左右の側面警戒に入る。 正面には谷城の駐留基地が見えた。
先程から重低音が鳴り響いていたのは、ここに陣取っている野戦重砲連隊が203mmと155mmの榴弾砲をひっきりなしに前方へ撃ち込んでいるからだった。
重砲連隊の左側面5kmと離れていない場所に機甲部隊。 中国軍だ、90-Ⅲ式戦車がおよそ1個大隊。 そして機械化歩兵装甲部隊も見える。
山腹や木々の中に紛れている連中も多いのだろう、見た目は1個大隊程度だったが・・・ 戦術情報モニターには1個連隊が展開していた。
そして戦術機甲部隊。 重砲連隊の右前方3kmに1個中隊、左前方2kmに1個中隊。 いずれも殲撃8型・・・ 所々、純正パーツじゃ無い機体も見える。
「―――確認した、中国軍第16集団軍。 混成機甲旅団だな」
『南原(ナムウォン)の後詰の部隊ですね。 戦術機甲部隊が2個中隊だけと言うのは寂しい気がしますけれど』
「四宮、中国軍の台所具合を察してやれ。 彼等は俺達の様に後方に無傷の策源拠点―――本国を持っていない」
前方の中国軍を見る。 あそこに居る戦術機甲部隊はジューファ(菊花)とムーラン(木蘭)の2個中隊―――美鳳と文怜の率いる中隊だ。
周少佐の容態を伝えたいとは思った。 久しぶりのあの2人に会って話をしたいとも思った。
だが中隊は谷城(コクソン)までの進出は許可されていない。 あくまで『谷城までの中間エリアの哨戒任務』だったからだ。
「―――よし、状況終了。 哨戒偵察を終える。 リーダーよりCP! 『フラガラッハ』、RTB!」
≪CPよりリーダー、『フラガラッハ』、RTB、了解! 帰路にBETAの警戒情報無しです。
現在、『セラフィム』中隊がD9Bエリアを、『ステンノ』中隊がC1Rエリアを哨戒中、BETA発見の報は無しです≫
祥子の率いる『セラフィム』と、美園が率いる『ステンノ』の2個中隊が隣接エリアを哨戒中。 BETAは居まだ発見されず―――今回は取りこぼしは無さそうだ。
「リーダーよりCP、了解した。 帰路はC1R寄りで帰還する。 最上、右翼。 摂津、左翼。 センサーは高感度モードで。 特に地中震動波に注意!」
―――『了解』
往路とはややコースをかえて帰途に着く、少しでも広いエリアをカヴァーする為だ。
BETAの浸透は今のところ報告されていない、前線は数10km北だ。 だが安心は出来ない、こんな状況で今までに何度地中侵攻を喰らった事か。
地中震動計は設置されているが、数は十分とは言えない。 それにこんなにあちらこちらで砲弾が炸裂している状況では、震動波を見落とす事もあり得る。
小隊間の間隔を出来るだけ広げ、より広範囲をカヴァーできるようにしながら陣地へと帰還する。
その帰途、朝から曇天だった空模様が遂に粉雪を降らせてきた。 それは次第に勢いを増し、やがて視認視界を著しく阻害するまでになった。
LANTIRN(夜間低高度赤外線航法・目標指示システム)をセットアップしつつ、つい半月ほど前のイメージが再び湧いて出てきた。
―――夕暮の空の彼方の大地から、BETAの禍々しい大群が押し寄せてくる。