1998年1月15日 1350 朝鮮半島 光陽防衛戦区 独立第2戦術機甲大隊戦闘団 本部
「出撃不許可!? どうしてですか!? 何故友軍の支援に出てはいけないのですか! 大隊長!」
「説明した通りだ、美園大尉。 我々の任務はこの光陽の防衛だ、前線に出て戦力をすり潰せばここの防衛が覚束なくなる」
目の前で大隊長と美園がやり合っている―――いや、違う。 美園が大隊長に噛みついている。
3日前だ、1998年の1月12日。 谷城までの哨戒偵察行動の翌日、西部防衛線は西部海岸戦区方面の井邑(チョンウプ)直前でBETAの大規模地中侵攻を喰らった。
地中震動波観測を怠っていた訳では無かった、規定より多めのセンサーも設置していた。
それでも防げなかった。 BETA共は大深度を直前まで掘り進み、直前の地点で急角度の地下茎を掘り上げて地上に出現したらしい―――防衛線は大混乱に陥った。
韓国軍第7軍団が地中侵攻の直撃を受けて戦線崩壊、井邑(チョンウプ)から高敲(コチャン)にかけての西海岸部をBETAに蹂躙された。
後詰の大東亜連合軍の2個師団(フィリピン軍、インドネシア軍)が空いた大穴を塞ぎにかかったが、いかんせんその穴が大きすぎた―――BETA群は約3万2000
このままBETAが一気に南下した場合、避難民の脱出港湾拠点である木浦(モクポ)が直撃される。
西部防衛軍司令官の孫栄達韓国軍大将は、急遽韓国軍第6軍団に対し高敲(コチャン)南方30kmの霊光(ヨングァン)に防衛線再構築を命令した。
(―――これが更なる混乱を引き起こしたと言う訳か)
南原付近の防衛を担当する筈の韓国軍第6軍団が移動した事によって、光州付近に陣取っていた帝国軍第8軍団が光州の北20kmにある潭陽(タミャン)に進出した。
そこから谷城(コクソン)まで防衛線右翼に展開し、南原に移動した統一中華戦線軍(中国軍、台湾軍各1個師団)をも指揮下に入れて、約2万9000のBETA群と対峙した。
西部戦線のBETA群総数、約6万1000 友軍戦力、約4個軍団
(―――ここまでは良い。 戦線の再構築の意味では正解だ)
問題は・・・ 東部防衛線が大混乱に陥っていると言う事だ。
翌1月13日、H20・鉄原ハイヴからの新手の飽和BETA群・約3万8000が半島東海岸を驀進して南下し、そこを守っていた韓国軍第3軍団を文字通り粉砕したのだ。
H20・鉄原ハイヴから溢れだしたBETAの総数は、予想を遥かに上回った。
そのあおりを受けたのが国連軍―――米海兵隊第3遠征軍団。
韓国軍残余戦力を指揮下に入れて何とか善戦しているが、3万8000近いBETA群を食い止めるには戦力が足りない。
間の悪い事に、それまで東部戦線で暴れていた約3万2000のBETA群も未だ健在で、韓国軍第1、第2軍団、米第1軍団はこちらにかかりきりだった。
そして米第1海兵遠征軍団と米第8軍団が第3海兵軍団の支援に回った結果、東部戦線の西側面(小白山脈方面)を守る戦力が空白となったのだ。
急遽、最後の予備打撃戦力である韓国軍首都防衛軍団が小白山脈に近い地点に転用されたが・・・ これで臨時首都・釜山前面はガラ空き状態になった。
東部戦線のBETA群、約7万。 友軍戦力、7個軍団
今現在、半島で暴風の如く暴れまわっているBETA群は約13万1000、友軍地上戦力は11個軍団。
海上からの支援は黄海には帝国海軍連合艦隊から第2艦隊が、日本海には米第7艦隊がオン・ステージ―――阻止できるかどうかは、非常に微妙だった。
「しかし今現在は、この光陽は戦線の後方です! 他の・・・ 第1と第3大隊戦闘団もです!
3個戦術機甲大隊戦闘団―――1個戦術機甲旅団戦闘団の戦力があれば、少なくとも南原(ナムウォン)の手薄な箇所の防衛には十分な筈です!」
「―――そこで戦力をすり潰せば、後はどうする? 任務放棄か? もう一度言うぞ、美園大尉。
我々の任務は光陽の防衛だ、民間人の脱出支援任務だ。 それが上級司令部―――第8軍団司令部から課せられた使命だ、放棄は許されん!」
―――美園がかなり熱くなってきている。 大隊長―――荒蒔少佐も平静な振りをしているが、そろそろ堪忍袋の緒も限界か?
隣の祥子と視線を合わす。 俺が何を言いたいか彼女も判った様だ、無言で頷く。
「美園大尉」
―――良かった、何とか平静な声が出た。 よし、このまま続けよう。
「美園大尉、これは最早軍団司令部での決定事項だ。 今ここで大隊長に喰ってかかっても決定は覆らない事は、君も承知の筈だ。
我々の為すべき事は計画の一部である大隊行動の中で如何に任務を完遂し、部下達を生還させるか、その内容を論じるべきじゃないのか? どうだろう?」
―――昔に広江中佐からこっそり聞かされた台詞だったな、これは。 確か『双極作戦』の頃に広江さん自身が言った言葉だったそうだ。
「周防さん・・・ それは、確かにそうですが・・・」
「君も理解している筈だ、そうだろう? そうであるべきだ。 君は大尉で、中隊長なのだからな!
ならば我々の為すべき事は何か? 自ずと決定すると、俺はそう考えるのだが?」
「む・・・ それは・・・ 失礼しました、確かにそうです―――頭に血が上り過ぎました」
―――ふぅ、何とか上手くいったか? 慣れない口調と言い回しは疲れるよ。
祥子に目配せする。 最後は先任中隊長に締めて貰うとしよう、宜しく、祥子。
「ふふ、それでこそよ、美園。―――では大隊長、これよりは作戦概要に従い大隊行動の詰めと第1、第3大隊戦闘団との協同協議に入ると言う事で。 宜しいでしょうか?」
「うん、それで良いよ、綾森大尉。 確かに美園大尉の言う通り、3個大隊戦闘団の戦場参加は戦術的に意味が有る。
しかし上級司令部からの正式命令が無い今、それは独断専行だ、許されるものではない」
荒蒔少佐はそこで一旦言葉を切る。 やがて―――そう、まるで己に言い聞かせる様に、ゆっくりと言葉を繋げた。
「ならば我々は与えられた任務に対し十二分な状況想定を行った上で、大隊行動を完全にこなす。 その上で状況の急変にも備える、その対応をも確立させる。
それが―――我々の義務であり、忠誠であり、そして部下達への責任でもあるのだ。 そうだろう? 綾森大尉、周防大尉、美園大尉」
大隊本部での打ち合わせが終わり、それぞれの担当陣地に戻ろうとしていたら祥子に声をかけられた。
「直衛、今日は随分と大人な対応だったわね?」
―――失礼な事をおっしゃる。
「・・・あそこで俺まで美園に同調して、大隊長に噛みついたらどうなる? 部下の中隊長2人から噛みつかれてさ、荒蒔少佐も面子が無いじゃないか」
「そうね、あの場には他兵科の中隊指揮官達も居た訳だし・・・ それはちょっとまずい状況だったかもしれないわね」
なんだ、この大隊長は部下の中隊長さえ掌握できないのか―――臨時戦闘団に組み込まれている他兵科(機甲科や砲兵、歩兵)の中隊長達に、そんな印象を与えるのは拙い。
俺達だけ、戦術機甲科内だけならお互いに判る―――美園は大隊長に甘えていただけの話だ。
だが他兵科の連中はそんな微妙な事は判らない。 下手に誤解されたら、いざ戦場で生死のかかった場面でマイナスに働く危惧さえあった。
「でもな、美園にはああ言ったけれど。 俺も内心は同様なんだよ」
「そうでしょうね。 実はハラハラしていたのよ、直衛が何時激発しないかって」
「酷いなぁ・・・」
コロコロ笑う祥子を幾分恨めしげに見てしまう。
それよりも、美園は貴女の元部下でしょうが。 少しは躾けなさいよ。
「それは『鬼の先任』のお仕事です―――途中でほったらかして国連軍に行っちゃったんだから、誰かさんは? 責任もって指導してあげてね?」
―――祥子が小隊長で、俺が先任少尉、美園と仁科が新任少尉だったあの頃か、本当に懐かしい・・・
「今更戦場の事で言う事も無いだろうけどね。 ま、あいつが忘れかけているのなら思い出して貰うさ」
「―――最後まで諦めるな、足掻け」
祥子が懐かしい言葉を口にする。 そうだ、そしてその続きは・・・
「足掻け、生き汚くとも足掻いて生き抜け―――散々言われたよな、広江中佐に」
当時は俺達の中隊長だった。
今は本土でヤキモキしながら戦況を見守っているだろうか?
「そうね。 じゃ、最後まで見苦しく足掻く手筈だけは、お互いに整えましょう」
「同意するよ。 俺はこれから中隊に戻ってブリーフィングするから―――中央地区防衛、願います。 失礼します、綾森大尉」
「お互い様ね―――了解です。 東地区をお願いします、周防大尉」
俺と祥子、お互いに敬礼を交わしてその場を離れた。 俺は東地区、祥子は大隊本部と共に中央地区、美園は西地区を担当する。
戦況がこの先どう変移するか判らないが・・・ 準備だけは限られた時間でもしっかりしておきたい。
後方には脱出船団への乗船待ちの民間人がひしめいている、それに部下達への責任もあった。 そして―――それが指揮官の義務なのだ。
1998年1月18日 1830 朝鮮半島 西部防衛戦線 潭陽=南原防衛戦区 第8軍団司令部
『南原東地区、中国軍第16軍集団の戦力64%に低下! 可動戦術機42機、損失27機』
『南原西地区、台湾軍第3戦術機甲師団、押されています! 制圧支援砲撃要請有り!』
『淳昌(スンチャン)の第28師団より入電! ≪我、機甲戦力半減。 突破阻止は困難なれど全力迎撃中。 砲撃支援乞う!≫です!』
『軍団砲兵群司令部より、≪備蓄弾薬量、35%に低下。 全力効力射は5基数分(砲1門当り6000発。 重砲106門)のみ≫』
『BETA群6000、南原=谷城ラインに突入! 第39師団、応戦開始します!』
『第22師団より入電! ≪突撃命令、未だなりや!?≫』
司令部に次々と入電してくる通信内容は、どれもこれも悲鳴のような内容ばかりだった。
後手に回った防衛線構築、元より少ない戦力、常にイニシアティヴをBETAに取られる戦況。
「軍団総予備の戦術機部隊を出せ! 中国軍への支援だ!―――残り4個中隊しかない!? 構わん、3個出せ! 南原の東を突破されると東部防衛線が崩れるぞ!」
「砲弾備蓄が4割切っただと!? 木浦からの物資補充はどうした!―――何っ!? 列車ダイヤがパンクして貨物列車が動かない!?
馬鹿野郎! 運行司令部は何をしている! 鉄道連隊司令部を呼び出せ!!」
「第22師団(戦術機甲師団)を28師団の後詰に!」
「待て、待て! 22師団は最後の打撃戦力だ、まだ早い!」
「そんな状況か! 通信、28師団に確認だ、≪損失状況、詳細知らせ!≫―――急げ!」
司令部内でも各担当参謀が怒声を枯らしながら、なんとか状況を把握して戦線を維持しようと駆けずり回っている。
慌ただしいその動きの中、参謀長がそっと傍らに立ち囁いた。
「閣下、木浦(モクポ)の海軍―――第3海上護衛戦隊司令部から連絡が入りました。 避難民の約8割を収容完了、残り作業時間は18時間の予定」
「・・・光州に残っている数はどの位かね?」
「約2万1000人。 これまでに26万人近くを収容完了しました、木浦には2万人程が次の船団を待っております」
「光州の民間人、最後の脱出列車は?」
「5時間後に到着。 収容完了は8時間後、木浦到着は11時間後になります」
18時間。 船団が安全海域まで避難するのには最低でも2時間、つまり―――
「我々は明日の1630まで守らねばならないと言う事だね」
「正直申しまして、部下達へ顔向けができません」
増援は無い。 補給も満足に届かない。 届けられる事と言えば―――死守命令だけ。
それでも部下達は文句も言わずに苦闘を続けてくれている。 部下達だけではない、臨時に指揮下に置いた中国軍も、台湾軍も。
(―――我ながら浅ましいものだ。 あの様な情にしか訴える事が出来ないとは)
先刻、第8軍団司令部より発せられた受取人未指定の督戦通信
『我等、民を守る者也。 民は御国也。 御国の恃みは民の至誠也。 民の至誠は御国の御恩也。―――大亜細亜の民、其の出自を問わず。 総員、奮起せよ』
帝国軍将兵は思った―――友邦の民を死なすは、帝国軍人の勲に非ず。
韓国軍将兵は思った―――最後の最後だけは、自らの護国護民の誓いに殉じる。
中国軍将兵は思った―――何時の日か、きっと、必ず。
じりじりと押され始めた戦線が少しだけ、少しだけ息を吹き返した。
辛うじて戦線の崩壊を防ぎ、東へは小白山脈の東への突破横断を許さず、西へは光州に残る残留民間人脱出の時間を稼ごうと踏み止まっている。
数日前の情景が脳裏をよぎった。
あれは確かバークス大将から南原の東への全部隊移動命令、その督促通信が入ったすぐ後の事。 未だ最前線後方の光州前面に布陣していた時の事だ。
(『彩峰中将、我々は・・・ 我々は失敗しました。 祖国を守ると言う誓いに、その義務に、課せられた責務を全うする事に失敗したのです』)
まだ若い将官―――韓国軍の最年少、まだ40歳にならぬ白慶燁中将が、その若々しい精悍な顔を苦渋に歪ませていた。
(『多くの過ちを犯した、多くの時間を無為に喪った・・・ そしてより多くの無力な同胞の命を失わせてしまいました』)
まるでその責を一身に背負うかのように、まだ若い彼は自責していた。
(『我々は愚か者だったのでしょうか・・・ 無能者だったのでしょうか・・・ いいえ、判っております。 我々は愚かで、そして無能だった』)
自分は―――そうは思わない。 彼等は限られた状況の中で、与えられた責務の中で、全く尊敬すべき武人達だったと思う。
(『ですから・・・ ですから、非情を承知でお願いしたい。 部隊の移動を遅らせて頂けないか。 4日、いや、3日でも結構! 光州に残る同胞を助けたい!』)
戦場での明らかな命令無視、敵前逃亡とも受け止める事が出来る独断での遅延行為―――普通なら即時解任の上で軍法会議。 軍刑法に照らし合わせれば、最悪は銃殺刑。
(『我が軍はこのまま祖国を脱出する事になりましょう。 私は・・・ 私は部下達を率いてここを脱出せねばならない。
祖国を喪った無能な軍人よと嘲笑われるとしても、何時の日か再びこの故国の地でBETA共に再戦を果たすその日まで・・・!
自分勝手な―――誠に自分勝手な、独り善がりの自己満足よと、そう罵って頂いても結構! どうか! どうか!
愚か者でも、無能者でもいい、しかし・・・ 無力な同胞を見捨てた卑怯者にはっ それだけはっ・・・!』)
血を吐くような悲痛な声を上げていた若き僚将。
数々の戦場でその武勲を示し、戦術家として勇名を馳せ、国軍の将来を担う人物と目された勇将。
その人物が、自分に死んでくれと頭を下げている。 汚名を被って死んでくれと―――肩を震わせて泣いている。
(『・・・いや、戯言が過ぎました。 お許し頂ければ有り難い、彩峰中将。 他国軍の貴官に、先達である貴官に対して私は何と言う事を・・・
お忘れ頂ければ嬉しい。 私は―――私は、もう少しで卑劣漢極まりない者に堕ちる所でした』)
しかし自分の指揮する部隊が南原の東に移動すれば、西部防衛線は1個軍団の戦力を丸々失う。
健在なのは韓国軍の2個軍団と大東亜連合軍の3個師団のみ。 中国軍は最早1個師団程度の残存戦力しかない―――どうする気なのか?
(『ここはチョソンの大地―――我らが故国。 例え全将兵が倒れようとも、同胞を守ります。 それが、我々が祖国と同胞に誓った誓約なのですから・・・』)
西部防衛軍の残存韓国軍、その全ての全滅と引き換えに同胞の命を守り、友軍の撤退を助ける―――今や晴れ晴れとした表情になった彼は、そう言って微笑んだのだった。
(『思えば貴軍とは、長い時間を共に戦いました。 両国の間には色々な事が有りました、長い、長い歴史の中で・・・
しかしこの数年の共闘の時間を持てた、そして我が国での短い時間に於いてや・・・ 貴軍は我が軍にとってかけがえのない、得難い僚友で有りました―――感謝します』)
―――既に脱出して生き残った同胞達も、いずれか貴軍と、そして貴国の尽力を理解する事でしょう。
そう言い残して、彼は通信を切った。
1998年1月19日 0430 朝鮮半島 西部防衛戦線 光陽防衛戦区
「急いで! まずは病人と年寄り! 次に子供と母親、女性! 男は最後だ! そこっ! 割り込まないでっ!」
もう何時間声を枯らして叫び続けているだろうか? 目の前には我先に船に乗り込もうと眼を血走らせている避難民達。
それを何とか統制しようと躍起になっている駐留部隊の将校・下士官達。
「船は大丈夫です! 全員が乗船できる隻数を揃えて有ります! 押さないで! 順番を守って!―――だから! 列を乱すな! そこっ、大の男が何をやっているんだ!!」
港湾にはまだ1万人前後の避難民がごった返している。
本当ならこんなにいる筈も無い人々、この1/4程度で済んだ筈だった。
3日前に第1大隊戦闘団の宇賀神少佐から発案が有ったらしい、第3大隊戦闘団との連名で。
『この付近の港湾は、光陽が最も大きい。 いっそ光陽に全て集めて一気に収容した方が得策だ。 防衛戦力も集中出来る』
これを受けた我が第2大隊戦闘団指揮官の荒蒔少佐は、光陽の港湾施設を共有で使用している、麗水(ヨス)に展開中の海軍第341戦術機甲戦闘団の白根斐乃少佐に打診。
地形的に狭い麗水(ヨス)に収容予定の避難民も全て光陽に移動させて、一気に収容する事となった。
「大尉! 周防大尉! 病院船は『第8安宅丸』でしたか!?」
「最上、違う! 『安宅丸』じゃない、『第7章栄丸』だ! 『第8安宅丸』は女性と子供を中心に乗船させろ! 絶対に迷子を出すんじゃないぞ!」
「了解です!」
東岸壁で乗船する避難民の誘導役は、今現在は第2戦術機甲大隊の担当。 当直将校は第22中隊長、つまり俺が統制責任者となって乗船誘導指示を出している最中だった。
同じように中央岸壁では第1戦術機甲大隊の第11中隊長―――和泉大尉が声を枯らし、西岸壁では海軍の菅野大尉がキレる寸前の忙しさで避難民を捌いていた。
防衛線では機甲部隊、自走砲部隊、自走高射砲部隊が砲身を外に向けて警戒を続行中だ。
機械化歩兵装甲部隊、機動歩兵部隊は陣地内周部に簡易拠点を構築している。
残った戦術機甲部隊は半数が『コンディション・レッド』、残る半数が『コンディション・イエロー』の警急待機状態にある。
「た、大尉、大尉、大尉! 迷子です! この子、迷子ですー!!」
「親を探せ、渡会!」
「ええ!? ど、どうしよう・・・ お母さぁん! この子のお母さぁん! どこですかぁ!!」
「日本語で言っても判らん! 通訳を呼べ!」
後どの位だ? さっき残り1万を切った筈だ、岸壁3箇所だから1か所が3000人強。 1隻あたり2000人弱だとして・・・ 残り2隻!
「大尉! 最後の1隻の入港が30分遅れると連絡が!」
「理由は何だ、理由は! 聞いたのか、摂津?」
「出港時の機関トラブルだそうです! のろのろ航行しかできないと! 何せスクラップ寸前のお婆ちゃんだそうですぜ!」
「若い娘はいないのか・・・! おい、変な目で見るな、松任谷! 例えだ、例え! 新任2、3人連れて乗船口の整理に当れ!
四宮! 戦況確認! 作業が30分ずれ込む! 大隊長にも報告だ!」
「了解です!」
後ろで四宮が野戦電話機に飛びついて、大隊本部に連絡を入れている。
俺も部下も、多分目が血走っているだろう。 この2日というもの、碌に睡眠すら採れない状態が続いているのだ。
それでもこの寒さに震えている避難民を何とかして脱出させなくてはいけない。 彼等をこの地に残す訳にはいかなかった。
恐怖と絶望のどん底で死なせはしない―――多分全員がそう思っていた筈だった。
「大尉、大尉!」
「ッ―――今度は何だ!? 渡会少尉!」
次から次へと! 今度は何だ!?
「はい! 迷子の子供のお母さんが見つかりました!」
「・・・それは良かった、よくやった・・・」
「はい! それと海軍から通信が入りました! 空荷の戦術機揚陸艦を1隻廻してくれるそうです、入港は30分後。
麗水の海軍に聞いてみたら、港のすぐ外にいた艦に通信で聞いてくれました!」
海軍と通信確認―――我ながら呆れる、そんな事にも気付かなかったとは。
いや、ここは素直に部下を賞してやろう。 CPとして日頃から各方面へ通信連絡を取る事に慣れている渡会故か。
「―――よくやった! 越権行為も甚だしいが、大殊勲だ! 四宮、大隊長に修正報告! 『作業のずれ込みは無しに修正』だと!
摂津、のろのろ婆さんの船に連絡、『引き返せ』―――以上だ!」
よし、このままいけば。 このまま順調にいけば、何とかあと3時間もあれば・・・
「大尉! 周防大尉!」
大隊本部と連絡し合っていた四宮が血相を変えて振りかえって、走り寄ってくる―――何事だ!? 戦況に変化が有ったのか!?
息を切らせながらやって来た四宮が、周囲に憚るような小声で報告した。
「大尉・・・ 30分前に南原が破られました。 中国軍は壊走状態、台湾軍が退却支援に入りました。 BETA群1万2000が南原から東進を開始。
第8軍団本隊は正面のBETA群1万4000と、西海岸戦区から流れてきた7000の合計2万1000に圧迫されて身動きがとれません」
「・・・東部防衛線は?」
「東海岸戦区の米第8軍団は壊滅です。 第1、第3海兵軍団が何とか蔚山(ウルサン)付近で支えています。
第7艦隊の支援攻撃が行われています。 しかしBETA群は未だ3万を数えます、臨時首都・釜山への突破阻止は不可能であろうと」
蔚山―――蔚山だと!? 軍事的に見れば釜山から目と鼻の先じゃないか!
第7艦隊の支援があってもなお、ここまで押し込まれるとは・・・ 想定したより光線属種の個体数が多かったのか?
レーザー迎撃照射の密度が高ければ、通常砲弾は只の役立たずだ。 AL砲弾・ALMによる重金属雲の形成も限度がある。
「中央戦区は恐慌状態です。 韓国第1、第2軍団、それと米第1軍団は、正面と西側面から合流した4万以上のBETA群の圧力を受けて押されています。
韓国軍首都防衛軍団が何とか殿軍で支えていますが・・・ 時間の問題らしいです、西部防衛戦区のBETA群が小白山脈を次々に越えているそうです」
「ん・・・ 小白山脈をか・・・ こっち(西部防衛線)の西海岸戦区はどうした? 韓国軍の第6軍団と大東亜連合軍は?」
「帝国海軍第2艦隊が全力支援に入っています、ですが厳しいと。
西海岸のBETA群は2万2000、今のところ海上からの砲撃支援と母艦艦載戦術機甲部隊の制圧攻撃が功を奏している様子ですが、戦力が・・・」
頭の中で戦況を整理する。 東はダメだ、どこもかしこも地獄の釜の底だ。
辛うじて海岸線は米第7艦隊―――世界最強の機動打撃戦力―――が戦線を維持させているが・・・ 時間の問題か?
西はどうだ? 海岸戦区はまだ少し時間の余裕はあるか? しかし支援の第2艦隊主力は戦艦3隻と中型戦術機母艦が4隻―――戦術機は240機、2個師団分。
余力が出来れば西部中央戦区の第8軍団への支援は可能だろうか?―――いや、無理だな。 第2艦隊の戦力では支援が薄い、時間を稼ぐのが精々か。
問題は西でどれだけ時間を稼げるか、そして東への増援か。
とは言え早々に大規模な増援は送れないだろう。 少なくなってきたとは言え、未だ4万3000近いBETA群が西部防衛戦域に残っている。
その時1台の高機動車が走り寄って来た。 見ると第1大隊の和泉大尉に、海軍の菅野大尉だった。
何をしているのだ、この2人は? 自分の受け持ち地区はどうした?
「周防!」
車上から和泉大尉が大声で俺を呼ぶ。
「和泉さん、どうしたんですか!? 菅野大尉も! 受け持ち地区はどうしたんだ!?」
負けずに大声で怒鳴り返す。 そうでもしないとこの喧噪の中では声が届かない。
「周防、海軍さんに任せるよ!」
海軍に任せる? どう言う事だ?
その時まで俺は、高機動車に3人目の人物が同乗している事に気付いていなかった。
菅野大尉が1人の将校―――海軍士官だ、階級は少佐―――と一緒に高機動車から降りてきた。
「周防大尉、港湾の統制は海軍が引き受けるよ。 正確には海上護衛総隊が―――少佐?」
海軍の菅野大尉が声をかけた先で、壮年の軍人がこちらを向いている。
海上護衛総隊? その時気付いた、軍帽の前章が『抱き茗荷(正規海軍士官用)』じゃない、『錨に予備員徽章(予備将校用)』だ。
「陸軍大尉、ここは私が―――我が隊が引き受けよう。 海上護衛総隊、第3護衛戦隊第33護衛隊、第235海防艦長の松前海軍予備少佐だ。
今しがた脱出船団の護衛で到着した―――なに、1か月前までは商船乗組士官をしていてね、お客相手の交通整理は商売柄だよ」
高級船員(航海士や機関士)教育を受け、商船に乗り組む商船士官たちは同時に海軍の予備士官でもある。 餅は餅屋か、助かる。
「独立第2戦術機甲大隊戦闘団、第22戦術機甲中隊長の周防陸軍大尉で有ります。 当地区の誘導統制、願います。 松前少佐」
「うん、願われた―――引き継いだぞ、周防大尉。 ご苦労様でした」
「はっ!」
大隊本部へ急ぎ戻る途中、不意に摂津が話しかけてきた。
「中隊長、そう言や昨日の夕方聞きそびれたんスけど」
「昨日の夕方・・・? 何だ?」
高機動車の吹きっ晒しの後部座席。 助手席に座った摂津が振り向いて聞いてきた。
「言ってましたよね? 『気分が悪い』って・・・ あれ、確か第8軍団司令部から督戦通信が入った直ぐ後でしたよ」
「・・・耳聡い奴だな」
「耳も目も良いですぜ、ついでに鼻も。 じゃねえと突撃前衛長なんて商売、やってられませんぜ」
「ああ・・・ 思い出した、自分も聞きましたよ。 中隊長、何だったんですか、あれって?」
横に座る最上まで喰いついてきやがった。 ハンドルを握る四宮は無言のままだ。
他の部下達の前でなくて良かった―――古参連中だけあって、そこは場を弁えたか。
「・・・頭と感情が同調しなかった、だから気持ち悪くなった」
「はあ・・・?」
摂津が不要領な表情で首をひねる。 最上も同じだったし、多分四宮も同じだろう。
「軍団長の・・・ 彩峰中将の起案文だろうな、あの督戦電は。 頭の中じゃ、あれは間違いだって盛大に文句を言っていたのさ」
知らずに溜息が出る。
気乗りしない、気乗りしないが実戦を前に部下の疑問位は解いてやらないといけない。 仕方なく言葉を続けた。
「韓国政府の再三再四の避難命令を無視して居残った民間人が30万人、純粋に軍事目的で考えると切り捨てるべきだ。
知っているか? 93年の『九-六作戦』当時、中国軍は防衛戦力集中の為に自国民1000万人を切り捨てた」
余り思い出したくない記憶だな。
士官中最も下っ端の少尉だった頃だが、当時の国連軍第882独立戦術機甲中隊『グラム』の一員として錦州西方・承徳市への強行偵察に向かった時だ。
辺り一面を覆い尽くしている、市街を食い尽すかの様なBETAの大群。 あの中には国と軍に見捨てられた民間人が何10万といた筈だ。
大規模戦闘の経験が少なかったファビオとギュゼルの手前もあって平静を装っていたけど、あの時は知らずに胃がムカついて仕方が無かった。
―――末端とは言え、自分が民間人を見捨てた軍の一部である事に。
「俺は2年目少尉だった、酷な事だと思った。 同時に軍人としての頭では納得もした、純粋に軍事行動として考えた場合はな。
当時満州にいた連中で、今では中隊長クラス以上なら殆ど―――俺の1期下、美園大尉の代までは経験した筈だ」
3人とも無言だった。
確か先任の最上で美園の半期下、『九-六作戦』当時はまだ衛士訓練校の訓練生時代か。
「あの当時もあちこちから批判が出たがな。 そんなもの、現場を知らない後方の身勝手な言い分さ。
あの時、敢て見捨てていなかったら・・・ 中国東北部失陥は4年早まっていたと言われている、94年末には今のこの状況だっただろうとな。
それを考えると、半島西部の戦力を移動させずにいる今の現状は、戦力分散の愚を犯している様なものさ」
「・・・国連軍(実は米軍)太平洋方面第11軍司令官のバークス大将の命令は、『全部隊を東部戦線に移動させよ』でしたからね。
半島西部の防衛を諦めて、東部に戦力を集中させる。 確かに理に適っていますよ」
「それに対して大東亜連合・・・ 特に主力を構成する韓国軍が反発した。 東南アジアの2ヵ国軍も同調した。
連中は国連軍とは別枠の『大東亜連合軍』での参戦だ、バークス大将もなかなか強くは出られません。
それに93年の『スワラージ作戦』で国連軍には不信感を抱いていますからね、連中は。 余計ですよ」
摂津と最上の言葉が、今現在の混乱の根底にある事を云い現わしていた。
本当はバークス大将の方針が戦略・戦術的に正しい事は大東亜連合も統一中華も、そして帝国軍も理解している―――筈だ。
「・・・結局は政治か、そこに民族感情が絡みついたとあっては。 せめてもの救いは、この西部防衛線でも少しはマシな防衛戦が出来ること位か」
それでも西部防衛戦の戦力は手薄だった。
だから韓国軍と大東亜連合軍は要請した―――いや、懇願した、帝国軍第8軍団に。 彩峰中将に。
統一中華軍は米軍にイニシアティヴを取られる事を嫌ったのだろう、特に共産党あたりが。
「中将が何をどう考えたのかなんて、一介の大尉の俺には伺い知れんさ。 だけど93年のあの時と比べるとな。
第一、民間人の脱出と言うのなら、釜山付近には光州よりも多い50万人がまだ取り残されているんだぞ? 米海軍が根こそぎ収容していくのだろうが・・・」
「それで・・・ そう考えられた大尉の心中は、どうだったのですか?」
今まで無言で通してきた四宮が、妙に平静な声で不意に聞いてきた。
「ふん、心中か? 俺の心中?―――ああ、そうだよ、同調してしまったさ、あの督戦電にな!」
笑わせる、頭では軍事行動上明らかに間違えていると、そう判断しているのにだ!
『人は国の為に成すべき事を成すべきである。 そして国は人の為に成すべき事を成すべきである』
違和感だ。 猛烈な違和感―――あの時、それが俺の中を一瞬で支配した。
そして、痛切に自己嫌悪に陥りかけた。―――軍事行動の矛盾を許容してまで、民間人の保護を行う? 帝国軍人の矜持? 至誠?
馬鹿な―――いままで一体何人の民間人をこの手でBETAごと殺し、そして見殺しにしてきたのだ!?
大を守る作戦行動の為に、いくつの小を見捨てただろう! それを忘れたとは言わさない―――忘れる事は許さない、自分自身が。
「・・・つまりは、俺もその程度の薄っぺらな奴だって事さ」
大隊本部に着き、指揮官が本部テントへ向かうその後ろ姿を見ながら、摂津中尉が先任の最上中尉に話しかけた。
「・・・最上さん。 最上さんは気持ち悪かったッスか?」
「ん・・・ 違和感が有った事は確かだな。 でも大尉程には強烈じゃ無かった、そう思う」
「でしょうね、俺だってそうだ。 でも大尉の場合、帝国軍の色に染まり切っていないからなぁ、あの人は・・・」
「国連軍時代は欧州と米国だったと聞くからな。 それに米国の大学や軍事教育機関で教育を受けた経験もあると言うし」
「はん―――『米国かぶれの周防大尉』か! 国粋派の連中、皇道派・勤将派問わず影ではそう言って罵っていやがる。
大尉は『国連派』、その中でも『欧米派』だと思われていますからね!」
「・・・神輿を担ぎかえるか? 摂津?」
「おい・・・ 冗談だったら下手クソ過ぎるぜ。 冗談じゃ無かったら・・・ 最上さん、アンタ次の戦場じゃ、精々『後ろ弾』に気をつけろよ・・・?」
2人が一瞬睨みあう。
が、直ぐに最上中尉の笑い声が響き渡った。
「くっ、くはは! おい、摂津よ! それじゃまるで恋する乙女だぜ!? 熱くなるなよ、馬鹿。
米国かぶれ? 欧米派? 関係無いね! 戦場から生還させてくれる―――上官に対して求めるのは、極論すればその一点だけだ。
そして大尉は今まで生還させてくれる指揮官だった。 これからもそうあってくれると信じている、お前達だってそうだろう?」
「・・・ったく、性格悪いぜ、アンタ。 なあ? そう思うよな、四宮?」
「私は大尉の副官ですから。 上官は信頼しています」
「・・・面白くねえ女だな・・・」
「何か言いましたか? 摂津中尉!?」
四宮中尉のジト目に慌てて目をそらす摂津中尉。
摂津中尉の方が1年半先任なのだが、何故か四宮中尉には頭が上がらない所が有る。
「摂津と四宮、足して2で割れば丁度良いのにな」
「はあ!?」
「・・・失礼な」
「と、この前だ、大尉がそう言っていたぞ?」
「うへ・・・」 「ッ!!」
笑いながら中隊陣地へ向かって歩いてゆく最上中尉。
それを見ながらバツの悪い表情の摂津中尉と、何故か悔しげな四宮中尉。
彼等は生き残って来た。 そしてこれからも生き残ってゆくと確信していた、彼等の隊長の元で。
1998年1月19日の夜が明けて朝がやってくる。 未だ本当の混沌はその姿を現してはいない。