1992年9月13日 2130 遼寧省 大連 天津街
「あ、あれ。なにかしら? ほらっ」
「あら、このアクセサリー、可愛いわね・・・」
「ほらほら! このぬいぐるみ! 可愛いっ!」
「ね、向こうも行ってみましょうよっ」
・・・・因みに、4人が話しているのでは無い。
全て、興奮してはしゃいでいる、祥子さんのセリフだ。
今、夜の9時過ぎ。
場所は天津街の濱江道購物広場。 小さな店(と言うより、屋台に毛が生えたものか)が所狭しと立ち並ぶ、若者の多い場所だ。
今、俺は彼女と二人でこの街をぶらぶらしている。
昨日で「出張」任務も無事終了し、大隊配備分の機体は軍用列車便で、チチハルまで送り出した。
で、今日から4日間の休暇となった訳だ。
で、今朝、宿泊先のホテル(将校クラブ=僭行社(※)の指定宿泊先)で朝食をとりながら、どうしようか思案していた所。
和泉少尉は、元々予定を入れているから、と、さっさと出かけてしまい。
神楽と愛姫も、端っから予定を考えていたとかで、2人で出かけた。(昨夜の酒は、抜けたか・・・)
圭介は、「有言実行」して、現地の中国軍の女性将校(どう見ても年上の中尉殿)が「ガイド」に現れ、同伴出勤。(酒と悶絶から、さっさと回復しやがった)
で、「あぶれた」のが、俺と祥子さんの2人。
・・・けっして、「あぶれ者」同士が一緒に、って訳じゃないぞ? ちゃんと誘ったぞ?
『え~~・・・っと。 良かったら、一緒に観光してもらえませんか?』
・・・・うぅ、なんて芸のない奴なんだ、俺って・・・
ま、まぁ、それでも喜んでくれたから、良いか。
で、2人でロシア街や旧日本人街(昔の風情が残っていた)、アカシア通りを散歩して。
人民広場前で、女性騎馬警察隊の交代式なんかも見て。(「かっこいい!」とか、祥子さんがはしゃいでいた)
西安路で昼食を食べた後、京劇を観た。(元々、東本願寺の寺院跡だとか)
その後、高爾基路の旧家屋街を眺めつつ、夕食に誘った。
初めての街で、二人して四苦八苦しながら道を尋ね。 あるいは迷って右往左往しながらも、楽しかった。
任務でもなければ、基地での待機でもない。
普通に、二人して、はしゃいだ。
俺としては、彼女と二人での休暇になったから、どこ行っても正直嬉しかったけど。
彼女も楽しそうだったから、余計嬉しかったな。
こんなに楽しかったのは、子供の頃以来だ。 本当に久しぶりだ・・・
夕食に海鮮料理を食べて(大連は海鮮料理が美味いんだよ、ホント。中国では珍しく)、その後、天津街に繰り出した。
・・・なんて言うか。
年中お祭りの屋台状態、みたいな場所だった。
それにしても意外だ。 祥子さんって、こう言う場所だと余計にテンション上がるのか?
まぁ、俺もちゃっかり楽しんではいた。
バッタモノのブランド品、如何にも安物っぽい衣服類。
仕上げの荒いアクセサリーなんかも、こんな空気の中じゃ、それなりに面白く思える。
「街の光が、綺麗ね・・・」
うん。綺麗だ。
夜景の光を受けて見る彼女の横顔は、とても綺麗だった。
ん? どこにいるかって?
・・・・観覧車だよ。
労働公園の近くにあるんだ。 いいだろ、別に。
決して、狙ったとか、そんな訳じゃ・・・ 少しは・・・ あるけど・・・
「そうですね。 あの灯り、ひとつひとつが、人の喜怒哀楽、なんでしょうね。」
「まぁ? ふふ・・・ 時々、詩人になるのね、直衛君は。」
微笑む彼女が、眩しかった。
「・・・私ね、今日はドキドキしてたの。すっと。」
「えっ?」
「同じ年頃の男の子と・・・ こんな風に、一緒に遊んで、はしゃいで、食事して。
初めてだったの。」
「・・・・・」
「ふふ・・・ 私、訓練校入隊前までは、学校で典型的な『委員長』タイプだったのね。
もう、堅物というか、融通が気かな過ぎと言うか・・・
当然、男の子と遊んだのって、小さい頃以外無かったの。」
・・・まぁ、帝国は世界中でも指折りの、男女交際に厳しいお国柄だけどな。
「だから、ドキドキしているの。 今も・・・」
窓を向いて。 俺の方を見ないで。 でも、その表情はしっかりガラス越しに見えている訳で。
・・・・チクショウ
「俺も・・・ ドキドキしてますよ。」
「えっ!?」
「俺もです。 女の子と、まともに付き合った事なんか、今まで無いし。」
あー・・・ 恥ずかしい。
「・・・でも。 女の子の友達、多かったって、長門君が・・・」
・・・・圭介。 悶絶・第2弾、決定な?
「どっちかって言うと。 今の俺と愛姫みたいな感じですよ。 一緒に騒いだり、馬鹿やったりするみたいな。
そんな、色気のあるようなモンじゃないです。」
「・・・・じゃ、私は? 私は・・・・ その・・・・」
「ドキドキしてます。 ・・・俺も、祥子さんの事、もっとドキドキしてあげたいですよ。」
「えっ!?」
言うなり、顔を近づける。
一瞬、祥子さんが後ろずさろうとした所を、両手で彼女の肩を掴む。
そのまま、ゆっくり引き寄せる・・・
彼女、両眼がびっくりしたように見開いてる。
あ、右眼の瞼に、小さな黒子。
だんだん、顔が近づく。
彼女が、瞼を閉じた。
「・・・・・・んっ・・・・」
何秒か、何十秒か、それとも一瞬か。
俺達が唇を合わせていたのは。
「・・・・意地悪ね・・・・?」
くそっ! 思いっきり、抱きしめたい!
・・・・そう思った時には、観覧車が乗り場に着いた後だった。
あれや、これやで、ホテルへ帰る頃には、2300時近くになっていた。
「今日は、凄く楽しかったぁ。 ありがとう、周防君。」
うわっ その笑顔は、反則ですよ。 まともに顔、見れませんって。
道々歩きながら、俺って、顔真っ赤になってるんじゃないか? ってくらい、ヤバかった。心臓が。
「あの」光景、思い出してしまった・・・
「あ、えっと。 いや、誘ったの、俺ですし。 その、俺も楽しかったです。
・・・・思いきって誘って、良かったです。」
「・・・ふふ。 意地悪されちゃったし、ね?」
「あ、いえっ、その・・・」
ああ! くそっ! もっと気の利いたセリフ、言えないのかよっ!
そんな風に焦っていたから、不意に近くに居た人を避け損ねた。
ドンッ
「あ、失礼!」
「・・・・・」
振り向けば、女の子がよろめいている。 帽子が落ちたようだ。
「失礼しました。 よく見ていなくって。 怪我は有りませんでしたか?」
帽子を拾い上げ、謝る。
良く見ると、アジア系じゃない。
淡い金髪、緑の瞳と白い肌。 年の頃は、15,6歳位か?
「спасибо(スパシーバ)」
ん? ロシア語だ。 ロシア人か。
良く見ると、まだ幼い顔立ちだった。 訂正。13,4歳くらいか。
「スヴェータ!?」
後ろから呼ぶ声が聞こえた。
目の前の女の子より、4,5歳ほど年上の(つまり、俺達と同年輩の)やはりロシア系に見える少女が走り寄ってくる。
よく似た娘だ。 姉妹だろうか。
何事か、ロシア語で話している。 (生憎、俺も祥子さんも、ロシア語は専攻外だ)
暫くして、その少女が向き直り、話しかけてきた。
「申し訳ありませんでした。 どうも、この子が先に、ふらついてしまったようで・・・」
「いえ。 ぶつかってしまったのは、こちらですし。 お怪我は?」
「いえ、大丈夫です。 ええと、Mr・・・?」
「周防。周防直衛です。 ・・・日本人です。」
そのまま日本式の表記法で答える。 欧露系の人たちには、アジア系の区別はつかない。
次いでに国籍も答えておく。
「日本の方ですか。 Mr.スオウ。
申し遅れました、私はエリザヴェータ・フョードロブナ・アルテミエフスカヤ。 この子は、妹のスヴェトラーナです。
そちらの方は?」
「サチコ・アヤモリ。 綾森祥子と申します。 エリザヴェータ・フョードロブナ(※)。」
「Miss.アヤモリ。 妹が失礼しました・・・ 申し訳ございません、少々、急いでおりますので、これで・・・」
姉が妹の手を引く。
ん? こっちを見ながら、妹さんの方が動こうとしないな。
「・・・・・楽しい色、嬉しい色・・・暖かい色、いっぱいね・・・」
にこっ、と微笑んで、Пока.(パカー:じゃあね)と言って去って行った。
「?・・・ 楽しい色? 何の事だ?」
「さぁ・・・?」
二人して「「ん?」」と首をひねったが、解らない事は、解らない。
「・・・ホテルへ、戻りましょうか。」
「ええ。」
あ~~・・・・ くそっ 何か、何となく、機を逸した様な気がする・・・
僭行社宿泊施設=ホテル 2315時 ロビー
「じゃ、明日は確か、1600時に兵站司令部、でしたね。」
「ええ。 でも、パーティーとは、ね・・・」
「このご時世ですしねぇ・・・」
何となく、二人して納得がいかないのだ。
こうしている間にも、戦場ではBETAと命がけで戦っている戦友たちがいる。
今まさに、死なんとしている同胞達がいる。
それなのに、だ。
「・・・でも。 少佐の頼みでしょう? 直衛君は特に、断りきれないでしょうし。
私もこの際、ご相伴する事にするわ。
じゃぁ、おやすみなさい。」
ふぅ。俺も寝るとするか。
1992年9月14日 2030 遼寧省 大連 某迎賓館
だまされた、だまされた、だまされたぁーーーーっ!!!
私、綾森祥子は、今夕何度目か判らない、心の叫びを上げていた。
今日の1600時。 予定通りに後方兵站本部に出頭した。
ところが、そこに河惣少佐は居らず、女性主計将校(主計大尉だった)が待ち受けていた。
『ああ。君達が、少佐の言っていた作戦要員ね。 私は被服装備局の三枝主計大尉。
付いて来なさい。』
作戦要員? その言葉が非常に引っ掛かったのだが。 私達はあくまで休暇中だった。
まさか、急に何かの作戦に!?
直衛君も、顔色を変えていた。 表情が険しくなる。
『・・・何も、取って食いはしないわよ。 貴様。 男はそっちだ。
貴女はこちら。 付いて来なさい。』
直衛君が、別室に入っていく。
で、私が通された部屋は・・・・
「えっ!?」
色とりどりの、各種ドレスが有った。
化粧台には、様々なコスメが。
言わば、ドレスルーム。
「あ、あの! 大尉殿! 質問が有ります!」
「ん? どうした? ええっと・・・」
「綾森。 綾森祥子少尉であります。」
「ん。 で? どうした? 綾森少尉?」
「・・・小官の礼装は、どこに・・・?」
「? 目の前にあるだろうが?」
「!! ドレスでは有りませんかっ!」
「? おかしいな? 河惣少佐から聞いていないのか?
貴様は今回、ドレスアップして出席して貰う手筈なのだが・・・?」
「ええっ!?」
聞いていない。 断じて、絶対、天地神明に誓って、聞いていないわよっ!!!
「ま、これも命令だ。 貴様は形の上とは言え、未だ兵站本部へ『出張中』の身だぞ?
現地司令部の命令には、従わねばな?」
(やっぱり、河惣少佐。 貴女も、中隊長の同期だったんですね・・・ )
してやったり、と、ほくそ笑む少佐の顔が浮かんで、私は観念した・・・
そして今、パーティー会場にいます・・・
内々の、懇親会、と。 そう少佐は言っていたのに。
ざっと100人以上居るわ。
軍人だけじゃなくって、民間人も。 男女比は・・・ 3対1位、かしら?
結局、私はフォーマルなワインレッドのドレスを選んだ。
他に、ベージュのヌーディミディアムドレス。ワインレッドのコサージュミディドレス。、パールホワイトの、フェミニンなミディアムドレス。
色々あったけど。 流石に、恥ずかしい・・・
「ほう。 流石、咲き誇っているな、見事な華が。 そう思わんか? 周防少尉?」
「河惣少佐!?」
入院中じゃなかったんですか!?
当の少佐の装いは・・・ 薄紫の、クロスプリーツドレス。 うわぁ・・・バストの下が、ほんのり透けているわ・・・
でも、凄くお似合いで、綺麗だった。
直衛君は・・・ ずるい。 軍の通常礼装だ。
・・・ あ、顔を赤くして、あっちを向いてる。 ふふ。可愛い。
「ん? どうした?周防少尉?」
「は、はっ!」
「・・・だから。 見事な華だな? と言っているのだが?」
「はっ! あ、あの、はいっ!」
「くっくっく・・・ まぁ、いい。 では。 綾森少尉を借りて行くぞ? 貴様は向こうで、御婦人のお相手をして差し上げろ。」
そう言って少佐は、私を引っ張ってホールの中央へ向かい始めた。
途端に、軍のお偉いさんや、高級官僚、民間企業の役員クラス、その他の民間人に捕まる。
少佐は慣れているのか、堂々としてられるけど。 私はとてもじゃないけど、恥ずかしさが勝ってしまう。
「時に、河惣少佐。いえ、Ms 河惣。 こちらの方は、どなたかな?」
発音からして、中国系だろうと思われる、初老の紳士が少佐に問いかけた。
「これは。失礼しました、Mr.汪。 彼女は一時的に私の『部下』である、綾森祥子少尉です。」
「・・・日本帝国軍衛士少尉、綾森祥子です。 Mr.」
「衛士!? 貴女のような淑女が!」
・・・淑女、って・・・
「それだけではございません。
彼女はかの『92式』が、最初に配備された部隊に所属し、数々の実戦に参加してきた、歴戦の衛士ですわ。」
周りがざわめき始めた。 どうしたんだろう? 私位の年齢の女性衛士なら、中国軍には珍しくも無いだろうに。
「Miss・・・、いや、綾森少尉。 お聞きしたい事が有るのですが。」
これまた、どこぞの会社の重役、と言った貫禄の中年男性。
「何でしょうか。」
「92式は・・・ あの機体のポテンシャルは、どれ程のものなのかね? 例えば、今、我が国が配備している殲撃8型(J-8)と比べて。」
・・・軍需企業関係者だろうか?
「殲撃8型は、我が国の77式『撃震』と同じ、F-4改良機です。
戦闘力の観点からすれば、純粋にスペック比較した場合、92式1機で、77式や殲撃8型の1個小隊を上回ります。
2個小隊でようやく有利、と言った所でしょうか。 勿論、原型となったF-16C/Dより大型化、大出力化している他、様々に改修されています。
F-16C/Dと比較した場合でも、1対2までなら、互角に戦えましょう。
私は、77式と92式。 両機でBETAとの戦闘を経験した上での、判断です。」
「それでいて、あの安価か・・・」
「ふむ。これは検討の価値有り、か?」
「聞けば、ASEAN軍でも採用を決定したらしい。」
「帝国での正式採用も決定したな・・・ これでは、遅れれば遅れるほど、配備が難しくなるぞ。」
・・・ここは、パーティー会場? それとも、戦術機検討会議の場なの?
いつの間にか、中国軍の高級将校や、将官級まで集まって来ていた。
河惣少佐が目線で合図する。 興奮し始めた小父様方を尻目に、そっと抜け出した。
「ふぅ。御苦労さま、少尉。 どうやら、上手くいきそうだわ・・・」
『軍人モード』から、『大人の女性モード』に切り替わった河惣少佐が、満足そうに微笑んだ。
でも、上手くいきそうって。 もしかして・・・
「実は、生産メーカーから泣きつかれてしまったのよ。 中国軍への商談が、最後の詰めで、煮詰まっているって。
で、最後の手段に出たって訳。
でも、私一人ではインパクトが少なくって。
若く、可憐で清楚な華。 それでいて、実戦を潜り抜けた歴戦の衛士。 この意外性が欲しかったの。」
・・・などと、ウインクなんてしちゃってくれたり。
少佐? 乙女の羞恥心と引き換えの、この『作戦』
代償は、高くつきますわよ?
「ふふ。 その代り。 これからは自由時間にしていいわよ。 後の面倒は引き受けるわ。
ほら。 彼が御婦人方に捕まって、窮地のようよ。
本当は、騎士が姫君を救うのでしょうけど。 彼は未だ 『騎士見習い』 の様ね。
『主君たる姫君』としては、将来の 『騎士』 候補の窮地を、救っておやりなさい?」
そう言い残して、少佐はドレスを翻し、軽やかに彼女の『戦場』へ戻っていった。
「まぁ。 では少尉は、歴戦の衛士なのですね?」
「まだ年若いご様子ですのに・・・ 御立派ですわ。」
「い、いえ。小官は未だ、任官5か月になったばかりの新任ですし・・・
それに、隊には部隊長始め、優秀な先任衛士が揃っておりますので。
小官の戦績などは、上官の教導に拠る処でして・・・」
「まぁ・・・ お若いのに、先達への敬意も、お忘れでないなんて。 益々、頼もしいですわ。 そう思われません? 奥様。」
「ええ。 本当に。 娘の伴侶となる男性には、少尉のような誠実な方に、是非、と思いますわね。」
「ま。 ほほ。 お嬢様は未だ10歳になられていなかったのでは? 少々、お気が、お早いかと・・・
如何かしら? 少尉。 私の娘は14歳ですの。 あと4年もすれば、娘は18歳。 少尉は22歳。 お似合いと思いません事?」
「は・・・ はっ!?」
「あら・・・ 少尉? 年の差8歳の夫婦など、珍しくございませんわよ?」
「あ、あの・・・」
おい。 誰か。 俺をこの、香水臭い煉獄から、救いだして下さい。 お願いします!!
いっその事、BETAの中に単機突っ込め。と言われる方が、未だ現実的だ。 俺にとって。
少なくともそれなら、戦い様も、脱出の術も分かる。 だけど、こんな状況、生まれて初めてだよっ!!
「周防少尉?」
振り返ると、美しい姫君がいた。 ・・・じゃねえ、祥子さんだった・・・
「あ、綾森少尉っ!」 大げさに敬礼などして見る。
・・・さっきまで俺に「からんで」きてた御婦人たちも、びっくりしているな。
そりゃそうだろ。 ドレスを着こんだ、妙齢の「美女」が、軍人から敬礼されているんだから。
「どうかしたの? ・・・・失礼しました、皆様。 『部下』が何か失礼を?」
・・・「部下」ね・・・ ま、そう言う設定で行きましょ。
「あ、あの? 少尉。 こちらのお嬢様は、あの・・・」
「はっ! 小官の上官、綾森少尉です。 階級は同じ少尉ですが、小官の方が後任ですので、現在は綾森少尉の指揮下にあります。」
「そ、そうですの・・・」
「失礼、Mrs. 部下が、何か失礼でも? 何やら、問い詰めておられたご様子でしたが?」
にっこりと。 この上なく、上等の美女振りなのに。 背後からはBETAと対峙する時のオーラが・・・
「い、いえ。別にそのような・・・ ねぇ?奥様?」
「ええ。本当に・・・ では、私達はこれで・・・ ごきげんよう。少尉」
・・・・あ、逃げて行った。 そりゃそうだ。 俺だって逃げだしたい。
目の前には、見知った姿の般若がいるのだから・・・
「・・・・ちょっとの間に、許嫁が2人も出来て、宜しかったわね? 少尉殿?」
「あ、あの? 綾森少尉?」
「14歳に、10歳の御令嬢ですか。 そうですか。 周防少尉は、少々特殊なご趣味をお持ちのようですね。」
「んなっ!?」
「では、『年増』は、これで消えますので。 ごきげんよう?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。」
さっさと離れる祥子さんを追う。
丁度バルコニーの手前で追いついた。
慌てて、声をかける。 ひそひそと。
(「な、何本気にしているんですかっ! そんな趣味、有りませんって!」)
(「あら。そうかしら? 随分、嬉しそうだったわよ?」)
(「冗談じゃないですよっ! こっちだって困っていたんですよっ!?」)
(「その割には、にこにこ、していたけどっ!?」)
(「ひ、引きつっていたんですっ! きっとそうですっ! 本当ですっ!」)
(「でも内心、『将来が楽しみ』とかなんとか、思ってたりしなかった?」)
(「全然っ! 全くっ! これっぽちもっ!」)
全力で否定してみる。
当然だ。 あらぬ誤解どころか、いらぬ事まで言われた日には。
俺、本気でハイブの真っただ中に、投身自殺するしかなくなるぞ!?
部隊の連中の、嬉しそうな顔が浮かんで、冷や汗が止まらない・・・
「ふふ・・・ 冗談よ。」
「はぁ!?」
「冗談よ、って言ったの。 私が92式の『売込み』のお仕事しているって言うのに。
直衛君は、御婦人方に囲まれて、チヤホヤされているんだもの。
ちょっと、意地悪したくなったの。」
そう言って、くるりと後ろを向く。 ドレスの裾が翻って、あ、可愛い。
じゃなくって!!!
「・・・随分、ヤツ当たりされている気がするんですけど・・・」
「・・・姫君を迎えに来れない、『騎士』に与える罰です。 甘受なさい?」
「うっ・・・」
まだまだ、「騎士 『見習い』 ね」 等と、止めを刺されて、落ち込んでしまう。
くそぉ~~・・・ 『見習い』かぁ・・・ はぁぁ・・・・
手摺に摑まり、落ち込もうとした所に人影が目に入った。
女性。 いや、少女だ。 アジア系じゃない。 明るい金髪。 ヨーロッパ系の幼い顔立ち。
確か・・・
「「 スヴェトラーナ? 」」
あ、ハモった。
その少女はこっちを振り向き、最初は不思議そうな、そして、誰か判って、嬉しそうに笑った。
「ナオエ! サチコ!」
「スヴェトラーナは、どうしてここへ?」
軽食(サンドイッチだ)とオレンジジュースを持ってきてやってから、尋ねてみた。
今、ここには軍関係者、メーカー、官僚・・・ 兎に角、軍需、政府関係者ばかりしか居ない筈だ。
どうして彼女がここに?
祥子さんも同じだったらしく、首を傾げている。
「? リーザといっしょだよ?」
「リーザ?」
リーザって、確か愛称だったよな。 えっと・・・
考えていると、もう一人の少女が姿を現した。
「スヴェータ? そこに居るの?」
「エリザヴェータ・フョードロブナ。」
祥子さんが振り返り、その名前を呼んだ。
ああ、確か、スヴェトラーナのお姉さんだったか。
って事は、彼女が軍関係者? いや、彼女もスヴェトラーナと同じで、ドレス姿だ。
関係者の娘達、と言ったところか?
「Mr.スオウ、Miss.アヤモリ? 貴女方・・・」
彼女も吃驚している。
そして、軍服姿の俺を見て、一瞬表情が硬くなったのが分かった。
もしかして、ソ連軍関係なのだろうか?
そんな表情も一瞬で、直ぐにこやかに話しかけてきた。
暫く、部屋の片隅で歓談する。
彼女達の「両親」が、外交官だと言う事。
今は大連のソ連総領事館に勤務していると言う事。
両親の赴任に伴い、アラスカのタルキートナから、大連へやって来た事。
厳しい冬の「故郷」や、タルキートナと比べて、大連が心地よい街だとびっくりした事。
リーザ(エリザヴェータの愛称)も、外交官の見習いをしていると言う事。 等々。
姉のリーザが話している間、妹のスヴェータ(スヴェトラーナの愛称)は、興味深そうな笑みで見ているだけだったが。
時折、祥子さんが果物を取ってきてやったりと、世話を焼いていた。
懐いたのか、スヴェータは彼女の横にぴったりと、ひっついて座っている。
その内、一人のロシア系の男性がこちらへやって来た。 年の頃、40代半ば位か。
「お父様」
リーザの言葉で、その男性が彼女達の「父親」だと判る。
「リーザ、スヴェータ。お邪魔して、失礼は無いかな?」
ふん? ソ連の外交官と言う先入観が有ったからか。 意外な程、穏健な印象が些か、意外だった。
いや、剣呑な印象の外交官など、仕事にならないか・・・
「娘達がお邪魔しまして、申し訳ありませんな、少尉。 ああ、失礼。 私はフョードル・アレクセーエモヴィチ・アルテミエフスキィ。 この子達の父親です。
大連の総領事館に勤務しておりましてな。」
「はっ。 日本帝国陸軍衛士少尉、周防直衛であります。」
「同じく。 帝国陸軍衛士少尉、綾森祥子です。」
「ほう・・・ 少尉は衛士ですか。 こちらのお嬢さんまで・・・ いや、失礼。
まさか、こんなお綺麗な方も、衛士殿とは思わなかったものでしたな。」
祥子さんがその言葉に、少し照れながら、苦笑している。
こんな場で、こんな姿は初めて、と言っていたから流石に恥ずかしさもあるのかな。
そう言いながら、彼は娘達に帰り仕度するように言った。
「では、我々はこれで。 娘達と懇意にして頂き、感謝しますよ。 綾森少尉、周防少尉。」
「いえ、何も出来ませず。 では、失礼します。 ガスパージン・アルテミエフスキィ。
リーザ、スヴェータ。 また。」
「また、お話しましょうね。 リーザ、スヴェータ。」
「はい。 サチコ、ナオエ。ごきげんよう。」
「Пока.(またね) ナオエ、サチコ。」
親子3人、会場を後にしてから暫く、俺と祥子さんの2人でぼんやりと庭園を眺めていた。
「幸せそうね・・・」
そうだな、と思う。
今の時代。 親子3人、それも年頃の子供達が揃って親と暮らせるなんて。
俺も祥子さんも、17歳で軍に志願入隊した。 最も、18歳で徴兵だったが。
今のリーザとスヴェータの姿は、とても眩しく見えた。
仲睦まじい親子、それを見守る2人の男女。
一見、何の変哲も無い光景。
それを見やりながら、1人の女性が呟いた。
「ふん。さて、役者は揃ったか。 で? どうするのだ、脚本家としては?」
傍らのスーツ姿の男に語りかける。
「いえいえ、脚本家などと滅相も無い。 私など、単なる小道具係に過ぎませんよ。
それよりも、偉大なプリマドンナの舞台を観れない言う事は、寂しいものですな。
おお、そう言えば、ABT(アメリカン・バレエ・シアター)でのナターリィ・ロマノヴナの「ラ・バヤデール」が如くの結末は、悲しいものです。」
「ふん。 『神の怒りに触れし寺院の者共、皆死にたり』 貴様の用意した結末は、それか? かの、亡命ソ連人プリンシパルの願望の如く。」
「私的には、『オーロラ姫』が如く。 あぁ、しかし、どうした事だろうな。 かの姫は1人だけであったか。 ふむ。」
「・・・ふん。 『椿姫』でも用意しておけ。」
「おお。何と薄情な結末か。 世はなべて、かくが如し。」
全く、喰えない男だ。
「鎧衣。 私は君とバレエ談義をする為に、此処に居るのか?」
「であれば、光栄至極。」
「ふん。 さっさと君の『仕事』に戻るがいい。 放っておくと、役者が勝手に踊り始めるぞ?」
「おお、これはいけません。 では、これにて。 ラハト『大佐』殿。」
「ああ。出来ればこれ以上、君の顔は見たくないよ。 鎧衣左近。」
おやおや、どうやら振られてしまったようだ。 鎧衣と呼ばれた男は、飄々とした態度のまま、姿を消していった。
ラハト大佐、と呼ばれた女性の背後に、もう1人の女性が近寄る。
「聞いたか? 河惣少佐。 君の国は、どうやら、こちらの提案に乗ったようだ。」
「・・・・小官は、単なる戦術機行政に関わる一軍人です。 国家戦略も、ましてや国家間の謀略も、与り知らぬ事。」
河惣 巽少佐が、顔を強張らせながら呟く。
「ふん。軍と情報機関。 国家の2大暴力だが、往々にして犬猿。 まぁ、貴官がそう言うのも無理はないか。
しかし今回の『取引』は、君の仕事の可否が掛っているのだがな。」
「・・・・判っております。 本国からの指示は理解しておりますので。」
「ならば。 期待させて貰おう。 では、私はこれで失礼するよ。」
1人残された河惣少佐は、その端正な顔を歪ませて悔しげに呟いた。
「くそ・・・ まさか『カナンの魔女』のお出ましとは。
見て見ぬふりをしろ、か・・・
周防少尉、綾森少尉、許せよ。 私は君等に、そうとしか言えぬ・・・」
亡命対象のソ連総領事館員の家族。
帝国軍人として、そんな対象と知らずに接触する事は、許されるべきでは無い。
本来なら、筋を通して警告すべきだ。
だが今回、彼女の「仕事」の助力の代償に求められたのは、『見て見ぬふりをしろ』だった。
一体、どうした事か・・・
もう一度、河惣少佐は呟いた。
「許せよ・・・ 何か、妙な胸騒ぎがするのだ・・・」
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
注1:※僭行社・・・陸軍将校の、将校クラブ。 運営は社団法人。 経費は現役将校が、俸給の一部を毎月積立で賄う。
海軍の「水交社」と、同様の存在。
注2:※ロシア語に「敬称」はありません。 そのような場合は、「名前+父称」で敬意を表します。