1992年6月5日 1210 黒竜江省 依安臨時キャンプ
「で? 結局、お前はその中国娘から、好きや言われて。
んで? モノにしたんかいな?」
「・・・してませんて。
もともと、いきなり告白されて。 正直、頭真っ白け、ですよ。
その後も、ずっと任務中でしたし。
長春郊外までの護衛任務が終わったら、彼女たちの部隊は、華南に移動しましたし。」
「なんやっ!?勿体ない・・・
おい、長門。 その子、べっぴんさんやったんやろっ?」
「ええ。 ちょいと元気の余ってる所は有りましたが。
活動的な美人、と言うより。 見た目はまだ美少女、でしたね。 蒋翠華少尉は。」
「うわっ!もったいなぁ~・・・
おい、周防? お前、まさか<漢汁>不足か!?」
「木伏中尉。 まぁ、周防少尉の理性ある行動、と言う事で・・・」
「はぁ? 源。 お前さんみたいに、黙っとってもオンナが寄ってくるみたいなヤツは、そうそうおらんねんで?
チャンスはモノにせなっ!」
ふぅ、何でこうなったんだ?
俺と圭介が、臨時任務で<フェンリル>に加わり、避難民の護送を完了させて帰還したのが、昨日の夜。
で、今は昼飯時。
皆、タンクトップと作業跨衣姿。 因みに泥だらけ。
俺達の部隊は戦術機部隊。 俺達は衛士。
なのに、肝心の戦術機が1機も無い。
だもので、今は施設工兵科の助っ人要員。
てっとり早い話が、土木作業員の真似事をしている。
で、俺。 周防直衛帝国陸軍衛士少尉は、上官に昨日までの「経緯」を、根掘り葉掘り聞かれている。
(ってもなぁ・・・ 正直に話して、後で馬鹿見るのは目に見えているしなぁ・・・)
俺は、昨日までの数日間を思い返していた。
<<7日前>>
1992年5月29日 1420 吉林省 通楡(トンユ)近郊。
戦術機数機と、戦闘車両が4両、輸送車両が10両の小集団が、平原を南下していた。
よく見てみると、オープントップの輸送車両に乗っているのは皆、民間人だった。
―――っ!
いきなり、機体のステータスアラームが喚き始めた。
元々、調子の悪かった右脚部膝関節だ。
ガクンッ!
次の瞬間、衝撃が走る。 右足がロックした。 バランスが崩れる。
オートバランサーが作動し、辛うじて転倒をまのがれる。
『フェンリル04より、レッド03! 大丈夫っ!?』
『フェンリル01より、レッド03。 どうした? 機体の不調か?』
「レッド03より、フェンリル04。大丈夫だ。
フェンリル01。こちらレッド03。 右足が逝っちまいました。 作動不能。」
『むっ・・・ 他は? 右足だけか?』
「左脚足首部緩衝機構、左肩部回転機構、上方視認モニターが、イエローアラートです。
推進剤残量、10%切りました。」
『・・・・解った。 レッド04。そっちはどうだ?』
『レッド04よりフェンリル01。 左脚部全体がイエロー。 跳躍ユニットは昇天しました。』
『そっちも時間の問題か・・・ 解った。 レッド03、04。 機体を放棄しろ。
貴様らに合わせていては、埒が明かん。
レッド03は、フェンリル04に便乗。 レッド04は、フェンリル03に便乗しろ。』
「レッド03、了解」
『レッド04、了解』
『フェンリル01より、サラマンダー。 機体を2機、爆砕放棄する。 発破のセットを頼む。』
『サラマンダー、了解。』 機械化歩兵部隊の小隊長が答える。
はぁ、とうとう、機体放棄か。 正直、ここまで良く保ったが。
できれば、最後まで保たせたかったな・・・
『レッド03。 こちらフェンリル04。 今から機体を前付けするわ。 コクピット解放して。』
「レッド03。了解した。」
フェンリル04の殱撃8型(J-8F)が前付し、コクピットを解放。 両腕をその下に移動さす。
「落下防止」の為だ。
俺も「撃震」のコクピットを解放。
フレームを伝って、フェンリル04に乗り移る。
コクピットに備え付けの簡易補助シートに着座。ハーネスを取り付ける。
「準備OKだ、蒋少尉。」
「ん。 フェンリル04より01。 レッド03収容完了しました。」
『よし。 レッド04の収容も完了した。 ―――サラマンダー?』
『準備OKです。 起爆タイマーは2分後にセット。』
『よーし。 全隊、出発!』
車両群が動き出す。 戦術機は残った6機が、その周りを円周上に囲んで護衛する。
移動を開始して暫くすると、後方で轟音が2回。
俺達の「激震」の最後だった。
「でも、よくあんな、ガタのきた機体に乗っていたわね?
日本軍って『兵器に兵士が合わせろ』なんて、言われているって聞くけど。
まさかこれ程だなんて・・・」
蒋少尉が、信じられない、と付け加える。
俺は憮然としつつ、一応抗弁する。
「翠華。 いくらなんでも、それは無い。 そんな話は、半世紀以上昔の話だ。
俺と圭介の機体が、ガタが来ていたのは、18日以降、まともに整備していなかったからだよ。」
実際は、何機も予備機を使い潰したんだけど。
「えっ!? どうして・・・?」
「俺達の元の部隊は、日本軍の第21師団。基地は依安基地だ。」
「あっ・・・ ご、ごめんなさい・・・」
翠華も、日本軍第21師団が壊滅した事。 依安基地が機能停止な程、破壊された事は知っているようだ。
だけど。
「気にするな・・・ って、翠華。何気に謝りすぎだぞ? 昨日から・・・」
「う、うん・・・ ごめん、直衛 ・・・・あっ!」
「また・・・ はぁ。」
「うぅ・・・」
そうなのだ。 昨日からこの方、翠華は何かあるとやたらと謝る。
元々の印象が、元気の良い女の子、だったのだから、ギャップが大きい。
だもので、なんとなく、会話が続かない。
お互い無言で、ひたすら戦術機の揺れに身を任している。
俺なんか、只の便乗者だから、余計に気まずい。
「18日・・・」
「ん?」
「18日からの戦闘。 直衛も参加したんでしょ?」
翠華が話を振ってきた。 助かった・・・
「あぁ。18日から22日まで。 休み無しだったよ。
翠華は? <フェンリル> は戦闘参加したんだろう?」
「私達は元々、こっち方面の部隊じゃないの。 偶々、南の大連にいて。
で、戦略予備として、最後の局面・・・ 長春からの反攻部隊に急遽加わって。
最後の半日だけよ。 戦闘に参加したのって。」
使える戦力は、根こそぎ投入だったんだな・・・
「そうか。 ま、でも俺達防衛線の部隊は、ズタボロだったから。
正直、増援が来てくれた時は、泣けてきたよ。嬉しくってさ。
これで助かったって、思ったな・・・」
「泣いた? 4日間もBETAの大侵攻に耐え抜いた、猛者が?」 クスクスと笑う。
あ、やっと笑った。 ちょい、嬉しい。
「猛者なもんか。 俺はあの戦闘が初陣だったんだぜ?
最初は訳がわからず、上官に怒られるし。
2日目に奇襲を受けて、包囲された時なんかは、怖くてデカイ方まで、漏らしちまった・・・
生き残れたのは、何かの奇跡だよ。 ホント・・・」
「初陣っ!? うそぉ!?」
「ホント。 って、何でそう思うよ?」
「だって・・・ 直衛って結構、戦場の雰囲気に慣れしている感じ、するし。
あ、長門少尉もね。 同い年でも、私や文怜とは、ちょっと違うかなぁ?って・・・」
「違わないって。 そう見えるんなら、きっとまだ麻痺したまんまなんだろうな、感覚が。
・・・って、翠華と朱少尉は? 初陣じゃないんだろ?」
「え? うん。 でも、私達の初陣って、大隊規模のBETAと遣り合った時だったし。
味方は戦術機1個大隊と、機甲部隊も1個大隊いたから。
あっという間だったよ。 1ヶ月前ね。
2回目の出撃が・・・ 21日の長春からの反攻作戦。
でも到着した時には、ほとんど勝負がついていたし・・・」
やっぱり、凄いよ、直衛って。
翠華はそう、呟いた。
昨日の朝の、出発前のゴタゴタ以降。 何となく、お互い名前で呼び合うようになっていた。
彼女の、『君の事。 本当に好きになったみたい。 私。』 と言う衝撃発言が引き金、かどうかは解らない。
最も翠華自身、意識せず口に出た言葉だったらしく。 言った後、顔を真っ赤にして慌てふためいていたが・・・
兎に角。 その時までは、そんな感じで。
別段、「モノにする」どうこう以前の話だったんだよな・・・
1992年6月5日 1830 黒竜江省 依安臨時キャンプ 仮設炊事給食場
「あら。でもそれじゃ、その娘はやっぱり、周防少尉に好意以上の感情を持っていたってことよ?」
三瀬麻衣子少尉が、晩飯のライスカレーを混ぜながら言った。
「そ、そうなんでしょうか?」
思わず、確認形になってしまう。
「結構ニブイわねぇ~、君わぁ・・・ 折角、祥子の驚く顔が見れる所だったのに。」
「鈍くてスミマセンね? 水嶋中尉・・・ って、どうしてそこで、綾森少尉なんですか・・・」
「ん? だって。 面白いじゃない? 君を挟んで、日中三角関係♪」
く、くそ・・・ 駄目だ。
やっぱりこの人、木伏中尉の同類だ。 水嶋美弥中尉と言う人は・・・
面白けりゃ、基本何でもOKな人だった・・・
「水嶋中尉? 祥子の同期として、言わせて頂きますが・・・
あの子はそっち方面は、至って純情と申しますか。 初心な子なんです。
からかうのも、ほどほどにお願いしますね?」
「OK、OK。 んじゃさ。周防少尉<だけ>なら、いいの?」
「それは、中尉のご自由に、と言う事で。」
「ちょっ! 三瀬少尉っ!?」
プルータスよ、お前もか・・・
にたり、と笑った水嶋中尉(ある種の捕食動物みたいな目だった)
「ほらほらほらっ! きりきり吐けぃ!」
「有る事、無い事、千里を突っ走らないうちに、ね?」
・・・くそう。 先任たちが、性悪の魔女に見えてきた・・・
<<7日~6日前>>
1992年5月29日 2350 吉林省 通楡(トンユ)南東10km。
「・・・・んっ・・・」
仮眠から目が覚めた。 時間は2350 夜間当直交代、10分前。
「ふわぁ・・・ やっぱり、疲れてんなぁ・・・」
こきこき、と、首を鳴らす。
夜空は満天の星空。 日本じゃこんな凄い夜空は見えないぞ。
寝袋から抜け出す。
当直中のフェンリル04の機体まで、眼を覚ます為にゆっくりと歩み寄る。
「翠華。交代5分前だ。 コクピットを開けてくれ。」
『直衛? うん、ちょっとまってて。』
コクピットが解放する。 俺はウインチに摑まり、コクピットフレームを足場にして中に入る。
「外、星空が綺麗だぜ。 でも、夜は冷えるなぁ~・・・」
「まだ5月だしね。 夏でもこの辺は、夜は冷え込むのよ。」
確かに。 緯度的には北海道北部。 稚内とほぼ同じだしな。
日本の、本州の生まれ育ちには、ちょっと涼しすぎる気候だ。
「・・・よし、データリンク、確立。 翠華、お疲れさん。寝てこいよ。」
「・・・・め?」
「うん?」
「ここにいちゃ、だめ?」
うっ! 一瞬、心臓の動悸が止まりかけたぞっ!?
縋る様な、不安そうな、なんて表情するんだよ・・・
「・・・ここ、って言ったって。 寝れないじゃないか。」
「簡易シート、あるもの。」
「疲れ、とれないぞ? やっぱり、横にならないと・・・」
「・・・・・だめ?」
反則だ。 反則だぞ? 翠華。 その顔と声は・・・
「・・・・しょうがねぇな。 自己責任だぞ? 翠華・・・」
「うんっ!」
ちぇ、嬉しそうな顔して・・・ やっぱり、可愛いや・・・
「・・・空、綺麗だねぇ・・・」
「うん。日本じゃ、お目にかかれないな。」
「そうなの?」
「少なくとも、俺の育ったトコじゃね。」
「直衛の故郷? どこ?」
「生まれは大阪って街。 そこから、博多、横浜、名古屋。 今、実家は東京の東の外れ。」
「・・・つまり、都会っ子?」
「そうだな。 街の灯りが、明る過ぎてさ。 夜空が余り見えない。」
「へぇ。 私は成都の外れの、四川省の田舎町だったから。 夜空は綺麗だったわ。
小さい頃、あんまり星空が凄過ぎて。 怖くなって泣き出しちゃったのよ。」
「あははっ! 意外と女の子っぽい。」
「ひどぉいっ! <女の子>よっ!? 私はっ!」
ぽかぽか、と、翠華が俺の二の腕をたたく。
「ごめん、ごめん。 でもま、俺も田舎の婆様に同じ事言われたな。
『あんたは小さい頃、星空見て大泣きして、ばあちゃんにしがみついたんだよ。』って。
覚えてないんだけど。 多分、3,4歳の頃の話しかな?」
「お婆さん? お元気なの?」
「ん? 3年前に死んだ。 老衰でさ。
天寿を全うしたから、満足だったんじゃないかな?」
「・・・そっか。 良いお婆さんだったんだね・・・」
あ、やべ。 翠華の婆様は、確かBETAに・・・
≪お婆ちゃんもっ! 叔母さんもっ! 従弟の亜嶺もっ!
美蘭姉さんのお腹には、赤ちゃんがいたっ!
みんなっ! 喰い殺されたっ!≫
彼女の慟哭が蘇る・・・
「ご、ごめん・・・ 俺、考え無しで・・・」
「・・・ふふっ 直衛も、何気に謝ってばかりだね?」
「うっ・・・」
「ねぇ?」
「ん?」
「直衛って、<戦う理由> 持ってる?」
戦う理由、か・・・
漠然と、BETAが憎いとか、国を守りたいとか。
訓練校に入る前はそう思っていたな。
訓練期間中は、家族を守りたい、ってもの理由に入った。
でも、最近は・・・
と言うか、「あの」激戦の最中、そう言った思いは、全く浮かばなかった。
あの時を振り返れば。
ただただ、中隊の仲間が死んでいくのが、悔しくて、悲しくて、怖くて。
そんな思いが嫌で、嫌で。 必死で戦っていたな。
これ以上、死なないでくれ、って。
俺がここで下手を打ったら、他の仲間がやられるかも、って思うと、怖かった。
だから必死で戦った。 だから戦い続けられた。
思うに、祥子さんが2日目の最後、佐伯郁美中尉(戦死・1階級特進)がBETAに囲まれた所へ無謀に突っ込んだのも。
同じ思いだったんだろうな。
彼女の場合、同期で、親友同士だったし。
「戦う理由か・・・ 今は、仲間の為、かな。
俺が下手打ったり、怖くなって逃げ出したりしたら、仲間がやられるかも知れない。
そう思うと、もの凄く怖かったよ。
そんなの、絶対嫌だしな・・・」
「うん。 そうだね。 私って、まだ実戦経験は全く不足しているけど。
それでも、そう思う。
周上尉や、趙少尉、文怜が死ぬところ、見たくないし・・・
私が怖がって、震えて、何も出来なくって。
それで皆が死ぬなんて、絶対に嫌。
そっか・・・ 直衛も同じだったんだ。」
「ん・・・ ま、大なり小なり、皆同じ思いは持っていると思う。
理想論や、大義なんてのを貫いて戦うなんて。俺には、きつ過ぎるな。」
「うん。でね・・・」
「ん?」
「サチコ、って人。直衛の好きな人なんでしょ?」
「なっ!? なんで、祥子さんの事っ・・・・!」
「・・・長門少尉から、聞いたの。 と言うか。聞き出した、かな?
直衛の好きな人って、誰?って・・・」
「・・・・あ、あの阿呆わぁ~~・・・・」
「ふふ。 私が無理やり聞き出したんだから。許してあげて。
凄く、言い辛そうにしていたわ、彼。」
「はぁ~・・・」
「ごめんね?」
「ま、いいよ・・・」
「その人が、BETAに囲まれそうになった時に。
直衛、単機で突入して救出したんですってね?」
「そんな事まで・・・ 」
「だから。多分、その人が、直衛の <死ぬ理由> だね・・・」
「 <死ぬ理由>?」
「うん。<死ぬ為の理由> <死ねる理由>
今、正に死ぬ時に、<最後に思い浮かべる存在>・・・
<戦う理由> とは、似ているけど、最後で決定的に違う理由で、存在の事。」
「それって。死を受け入れる為の、理由と言うか、存在、みたいな? と言うより、想い?」
「そうだね。 何も、恋人とか、そんなんじゃなくってもいいの。」
ああ、そう言う意味か。
・・・・そうだな。 どうだろう?
確かにあの時、気が付けば単機で突っ込んでたけど。
明確に、そう意識していた訳じゃ無いだろうな。
でも、改めて言われてみると・・・ どうだろうか・・・?
「私、怖いよ。死ぬのって・・・」
そりゃ、誰でもそうだよ。翠華。
誰だって、死にたくないさ・・・
「でも。もしかしたら。
自分の死を選択しなくちゃいけない時が、来るかもしれないでしょ?
選択するのは、覚悟、だろうけど・・・
でも、怖い。
せめて、何かにしがみ付きたい。 何かの想いに支えて欲しい。
私は、怖がりだから・・・」
俺だってそうさ。 怖いよ。 死ぬのって。
「だから、直衛を好きになった時、私、自分が嬉しかった・・・」
「えっ?」
「好きな人の事、想っていたら・・・ 思い出を、思い出していたら・・・
きっと、嬉しいから・・・ 死ぬ事、紛れるから・・・」
翠華、お前・・・
「私は・・ 私もっ! 死ぬ理由、欲しかったのよっ!
怖かったっ! 今でも怖いのっ! 気が狂いそうっ!
だからっ・・・ だからっ・・・」
気がついたら、翠華を抱きしめていた。
こいつは・・・ 一生懸命で。 明るく振舞って。
でも、怖がりで、臆病で。
きっと、一人で震えて、泣いていたんだろうな・・・
決して、皆にはそんな姿を見せないで・・・
俺だから、か・・・
「好きになっていいさ。
俺、お前の想いに、答えられないかもしれない。
でも。 すっげえ勝手な言い分だけど・・・
好きになってくれるのは、嬉しいさ・・・」
馬鹿っ! そんな事! お前、何言っているっ!?
お前は翠華をどう思っているっ?
頭の中で、<もう一人の俺>が喚き立てる。
ああ、奴の言い分は正論さ。
「・・・うっ、うえっ・・・・ ひぃん・・・・」
「俺、忘れないから。
俺のこと好きになってくれた、一生懸命な、それでいて、怖がりで。
そして・・・ 優しい心の女の子の事、絶対、忘れないから。」
「うっ・・・ うわあぁぁ・・・んっ・・・」
「その女の子の想い・・・ それは、俺の思い出の中に、ずっと在り続けるから。
ずっと、ずっと、覚えているから・・・
だから・・・ だから・・・ 翠華・・・」
「ふっ・・・ふえっ・・・ええぇぇ・・・ん・・・」
「お前も、忘れないでくれ。 俺の事。
こんな、自分勝手な事をほざく、自己中心な最低野郎だけど・・・
俺の事。 お前が俺の事を好きになった、その事。
忘れないでくれ・・・ 俺も、忘れないから・・・」
「な・・・え・・、なお・・えっ!」
「翠華・・・ ありがとな・・・ ありがとう・・・」
「直衛っ・・・ 直衛ぇぇ!!」
コクピットの中に、翠華の泣き声が響き渡る。
夜空を見上げる。 満天の星々。
あぁ、この星は。 こんなにも美しいのに。
この星で生きる事は。 こんなにも、残酷だったのか・・・
1992年6月5日 2330 黒竜江省 依安臨時キャンプ
性悪な魔女(?)や、厄介な上官から解放されて。
俺はキャンプから夜空を見上げていた。
3日前の夕刻、<フェンリル> は避難民を長春南郊外の難民キャンプまで護送。
任務を終了した。
ウィソやユルールが、「またねっ」と言って手を振っていた、その姿を思い出す。
辛い事の方が多いだろうけど、皆で生き抜いてほしいと思う。
<フェンリル>と、<ブルーバード>とは、2日前に別れた。
<ブルーバード>の朴少尉と、李少尉の二人は配置換えで、朝鮮半島北部の清津基地に配属だそうだ。
半島北東部の要衝だから、張りきっていたな。
<フェンリル>は・・・ 華南戦線に移動していった。
重慶ハイブと対峙する最前線だ。
マンダレー・ハイブからの攻撃もある。
彼女達は、大連から海路、華南戦線の中枢、広州へ向かうと言う。
周上尉とは、握手して別れた。 微笑んでいた。
趙少尉は、体に気を付けてね、と。
朱少尉は、翠華と俺を交互に見やって、小声で「感謝します」と。
俺は何も言えなかった。
ただ、握手を返した。 ただ、頷いた。 ただ、微苦笑した。
翠華とは、結局そのまま別れた。
俺自身、彼女と、どうこうなろうと想っていた訳じゃない。
俺は、まだまだ、臆病で、自分勝手な餓鬼だ。
彼女の想いを知りつつ、結局自分の身勝手を押し付けたんじゃないのか?
俺の中の<奴>がそう呟く。
ああ。そうだろうよ。 そうだろうさ。
俺は、自分の自分勝手を、翠華に押し付けたんだろう。
<奴>の言い分は、本当さ。
だから。
だから、俺は謝罪もしない。 許しも乞わない。 罵るなら、罵ってくれて構わない。
だから、俺は・・・ ――――――翠華を忘れない。
(「こんな、狂った世界だけど・・・ 貴方を想えば、私は戦える。
貴方の思い出が有れば、私は恐れない。
貴方が覚えてくれる限り、私は生きていける。
そして・・・
貴方を好きになった事を。 死の瞬間まで、私は嬉しく思うの。」)
さようならっ! 直衛。 ありがとうっ!
そう言って翠華は大連に向かう軍用列車に乗り込んだ。