1994年10月1日 1600 北アイルランド・ベルファスト
どんよりした空模様。 肌寒そうな気温。 何とはなしに、俯き加減になりそうな雰囲気。
上空から見たベルファストの第一印象は、余り宜しくは無かった。
それまで、陽光の眩しい北アフリカ・地中海戦線に居た為だろうか。 欧州に着任した当初に駐留していたグロースターの街より、陰鬱に見えた。
ベルファスト湾の奥に位置するこの街は、同時に港湾都市でもある。
湾に面したベルファスト・シティ空港(軍民共用空港)に着陸態勢に入ったC-130K(ハーキュリーズC.1)が減速し、ギアダウン。
そのまま滑り込むように着地する。 うん。 軍用輸送機のC-130Kを、人員輸送型に改装しただけの機体にしては、滑らかな着地だった。
(最も、居住性は最悪だった。 飛行中も、隣の人間とは大声で話さないと聞き取れない程の轟音が、機内に充満していた)
そのまま滑走路から、誘導路に侵入し。 停止した時には軍用ターミナルへ横づけしていた。
エンジンが停止し、ようやくの事で轟音地獄から解放される。
「・・・頭が変になりそうだったな・・・」
「乗り心地、最低だ・・・」
「下手糞のパイロットめ・・・」
BETAの認識範囲外(光線級の照射範囲外)を飛行する為、一旦北アフリカから大西洋上のカナリア諸島へ移動。
そこから空路を大きく迂回しながら、北アイルランドへようやくの事で到着した。
「も、もう、あとは陸路だ。 助かった・・・」
「勘弁してほしい・・・」
俺も、圭介も。 流石にこの、荒っぽい飛行にはうんざりだった。
「・・・お前らはまだ良いよ。 俺なんか、給油が終わったらこの後また、アイスランドまで乗ってかなきゃならん・・・」
久賀がげんなりした顔で呟く。 と言うか。 顔色が死人のようだ。
「・・・がんばれ」
「・・・死にゃせんって」
「・・・戦術機の機動の方が、遥にマシだ・・・」
3人とも、ぐったりしていたその時。
『レディース!・・・じゃねぇ、今回、女は居ねぇや。 ファッキン・アーンド・バスタード野郎ども! サイコーの空の旅は、堪能してくれたかい!?
国連欧州軍最高の空のエスコート、≪ドラッグ・シューター≫がお届けしたサイコーのひと時、満喫してもらったようで、嬉しいぜッ!
今後とも、空の旅のご用命は! 第2空輸航空団≪ドラッグ・シューター≫にお任せを! だぜ!!』
「「「ド阿呆!! 誰が2度と乗るかぁ!!!」」」
余りと言えば、余りに能天気な機長(アイリッシュの中尉だ)のアナウンスに。 思わず3人ともハモってしまう。
誰が2度と、手前ぇの機になんか搭乗するものか! 例え、BETAに襲われている最中であったとしてもだ!!
「・・・あ、久賀はまだまだ、先は長かったな」
「直衛・・・ 止めを刺さんでやってくれ・・・」
「・・・・はぁぁぁ・・・・」
1630 ベルファスト市内
空港から、バイパスのA2を通り、クイーンズ・ブリッジを渡ってオックスフォード・St.に入る。
メイ・Stへ右折し、そのままグレート・ヴィクトリアSt.からドネガル・ロードに。
意外と、小奇麗な街並みだった。 上空から見た印象とは違う。
欧州の古い街並みと、近代的なビル群が上手く調和している。 緑も豊かだ。
薄曇りの弱々しい夕暮れの陽を受けて、街全体が返って一種幻想的な雰囲気を出している。
軍用高機動車に乗りながら、そんな感想を抱いて街並みを見ていた。
「意外と。 まともに小奇麗な街だな」
「そりゃな。 仮にも、欧州連合と、国連欧州本部の所在地だ。 欧州連合軍総司令部に、国連欧州軍総司令部もある。
廃れた、小汚い街じゃあな。 面子ってもんも有るだろうよ。 連中にも」
俺が漏らした感想に、圭介が皮肉交じりに答える。
確かに、見た目はそうだけど。 ふと、停車中に脇道を見やったり、ビルの陰を見れば。
案外、バラックとはいかないまでも、粗末な作りの建物が密集している。
「・・・難民街、じゃないな。 まともすぎる。 定職を得た、難民上がりの低所得者層の住居か」
「美味しい話だろうな。 低賃金で、散々にこき使える。 文句を言えば、頸を切ればいい。 職を求める難民は、幾らでも居る」
「こき使われる方も。 安い賃金であっても、難民に逆戻りするよりはマシ、と言う事か。
市民権を得るまでの身元保証は、雇用主が行うからな。 クビになれば、一切の保証を失って。 難民キャンプに逆戻りだしな・・・」
些かやりきれない思いを抱きつつ、そんな街並みを眺めながら、高機動車を走らせる。
ドネガル・ロードを真っすぐ高架を潜って直進し、フォールズ・ロードに突き当たる先を左折。
そのまま南西に走ると右手に見えてくるのが、緑豊かなフォールズ・パーク。
その一角にひっそりと佇む、中世然とした古い5階建ての建物―――それが、実は国連欧州軍総司令部だった。
空港から軍用車で送って貰った俺と圭介は、運転手の伍長に礼を言ってから建物を見上げる。
「・・・古い、な・・・」
「間借り人だからな・・・」
国連軍の、肩身の狭さをまざまざと、見せつけられた気がしてきた。
なんか、蔦(かな?)が絡み合って、建物全体を覆っている。 時と場所さえ違えば、これはこれで趣のある風情なんだろうけど。
周りが静かな公園の一角に、この建物。 まるで・・・
「幽霊屋敷か・・・?」
「・・・言うなよ」
溜息ばかり付いていても仕方がない。 建物の前の衛兵と。 国連旗と国連軍旗が掲げられている事で、辛うじて国連軍の建物と判るその古びた建物へ。
衛兵から敬礼を受ける。 同時に、パス(身分証明書)と、命令書の確認を求められる。
2つして渡す。 穴が開くほど、じっくりと身分証の写真と顔を見比べられた時には、流石に居心地が悪かったが。
「失礼しました、中尉殿。 確認致しました。 どうぞ中へ」
20代半ばかと思われる衛兵の伍長から、パスと証明書を受け取る。
「ああ、すまん、伍長。 我々は、ここは初めてなのだが。 受付は何処に?」
「はっ! 館内に入られまして、右手すぐの扉の部屋がそうであります」
「ん。 いや、有難う」
「はっ!」
館内に入り、言われた通り右手の扉の部屋へ入る(扉は開け放たれていた)
受付にいた女性下士官に身分証明書を提示する。
「周防直衛中尉だ。 副官部への出頭命令がある」
「長門圭介中尉。 第4部(教育担当)に出頭だ」
「はい。 只今確認します。 そちらのお席でお待ち下さい」
受付の女性下士官(赤毛の軍曹だった)が、照合システムと、俺達の命令書のコードを照会している。
その間、何する事もなく、ぼんやりと部屋の中を眺めていた。
以外に明るい。 外観からは判らないものだ。 軍の施設とは思えない感じの、何やら判らない様式の、欧州の古い室内装飾が印象的だ。
帝国ではこんな感じの建物って、あったかな・・・?
最も。俺のような下っ端将校が足を踏み入れられる場所なんか、限られていたが。
「照会終わりました。 周防中尉、副官部までどうぞ・・・ 3階の西の奥の部屋になります。
長門中尉。 第4部は2階の中央、階段を挟んだ北寄りの部屋になります」
軍曹に礼を言って、部屋を出る。 そのままリフト(エレベーターは英国ではこう言う)に乗り込もうかと思ったが。
『青年将校は、階段使用』の立て札(なんだ、これは?)を見て断念する。
これまた、如何にも欧州と言った感じの装飾が施された手摺の付いた階段を上がる。
2階で圭介と別れ、3階へ。 絨毯が敷かれている廊下を歩き突き当り、西の奥の部屋へ。
プレートを確かめ、ドアをノックする。
『どうぞ』
中から、意外に若い女性の声がした。 ドアを開けて入る。
入るとすぐ、また受付けらしき小部屋になっている。 女性将校が2人、デスクに向かって執務中だった。
「周防直衛中尉。 本日付で副官部出頭の命を受けております」
辞令書を、取りあえず2人のうちの大尉に渡して見せる。
金髪をアップにまとめ、フレームの無い眼鏡をかけた、20代後半くらいの女性大尉殿だった。
大尉が辞令書の中身を確認している間、残りの1人と目が合う。 こちらは、栗色の髪と瞳の、20歳前後の明るい感じの女性少尉だ。
軽く笑みを受けべて、片目をつむってやる。 向うも笑みを浮かべて、軽く手を振っている。
「・・・確認しました。 周防中尉、そちらの第3室の方へ。 室長は、ヘンリー・グランドル大佐よ。 それと・・・」
「はっ!」
「着任早々、ナンパは感心しないわ。 ナタリーには恋人もいるのよ?」
ふむ。 あの女性少尉。 彼女はナタリーと言う名前か、覚えておこう。
しかし。 俺もこの1年で、随分こっちの習慣に感化されたかな?
「はっ! では、次は時と場所をわきまえて、作戦を実行いたします! オードリー・チェスター大尉殿!」
ネームプレートで、フルネームは確認してある。
呆れたように首を振るチェスター大尉と。 さっき、やはりネームプレートで確認した、ナタリー・ヘイズ少尉が笑いを堪える中。
俺は、指定された『第3室』をノックして入って行った。
―――『第3室』 正式名:国連欧州軍総司令部・副官部第3副官室。
そこの主である、ヘンリー・グランドル大佐は。 50代前半の、見事に頭頂部が禿げ上がった、恰幅の良い中年である。
見た感じは軍人と言うより。 気の良い校長先生、そんな感じの人物だった。
「国連軍・周防直衛中尉! 本日付を以って、総司令部副官部へ出頭致しました!」
「やあ、遠路ご苦労だったね、中尉。 まぁ、楽にして掛けたまえ」
「はっ!」
お言葉に甘えて、大佐のデスク前のソファに腰掛ける。
いや、見事にさっぱりした室内だ。 前に中学の頃に観た、欧州映画の一コマの学校の校長室内、正にそんな感じだ。
壁一面の書庫。 小さな額縁に入った風景画が、唯一のアクセント。
「うん。 君の軍歴は読ませて貰ったよ。 日本帝国軍から昨年に国連軍へ出向。
日本軍時代と、国連軍の1カ月は満洲の激戦地で戦い抜いた。
その後は主にイベリア半島と地中海方面・・・ ああ、シチリア島にも行っていたな。 そこで、約1年、これまた激戦地。
うん。 立派に、歴戦の野戦将校だ」
「恐れ入ります」
「うん。 で、今回。 私の処へ・・・ うん。 ようやく、希望していた通りの人材が来てくれたよ」
・・・希望通り? 副官部で、なぜ野戦将校が?
「最初に言っておくと。 君の任務は所謂『副官』ではない。 これは承知しておいてくれるかな?」
「はい」
思わず、ホッとする。 今更、慣れない、しかも気疲れする副官任務なんて、やれるものじゃない。
「うん、宜しい。 では、まず我が『第3室』なのだが・・・ まずもって、ここには『副官』など居ない」
「・・・は?」
「いや、私だって、そんな肩の凝る仕事は御免だよ。 他の者達もね。
便宜上、副官部所属だがね。 その任務は、言ってみれば『萬何でも屋』だね」
「・・・は?」
「いや、だからね。 各種調査から、苦情処理、人手が足りない部署への応援・・・
まあ、色々な人材を取り揃えているからね。 お陰で引っ張りだこでね」
「・・・はぁ!?」
「・・・面白い反応をするね、君は。 まぁ、いろいろと便利なのだよ、そういう部署を一つ持っておくと。
軍も所詮は縦割り組織。 横の繋がりなんて、突撃級BETAの装甲殻みたいに硬くて、繋がらないのだよ。
で、まぁ、そう言う訳で。 最も各組織との関係上、衝突の少ない副官部に、使い勝手の良い部署を作ったという訳さ」
「つまり・・・ 何でも屋の便利屋、と・・・?」
「察しが良いね。
いや、色んな方面に通じた人材は居るのだがね。
流石に、現役の。 それも歴戦の衛士となるとね。
前線部隊は何処も、手放さなくてね。 いや、今回は幸運だったよ」
はっはっは。 そう高笑いする大佐を見つつ。 これはババを引いちまったか? そう思わざるを得なかった・・・
1730 総司令部副官部・第3副官室 通称『第3室』(別名『ザ・ユーティリティーズ』)
室員との顔合わせをした。 俺を含め、総勢9名。
まず、室長のヘンリー・グランドル大佐。 52歳。
実は最近になって予備役招集された、小学校の元校長先生だった。 兵科は砲兵出身。
次に、次席のローズマリー・ユーフェミア・マクスウェル少佐。 27歳。
スコットランド系の、見た目は怜悧な亜麻色の髪と瞳の美女。 が、実は結構ドジな一面があるらしい。
こちらは、大学で物理学の助教授をしていたそうだ。 召集で軍に。 因みに、軍歴無し。
眠たそうな表情の、まったりした雰囲気のアロイス・クルーガー大尉。 45歳。 元は商社勤めだったとか。 ドイツ系。
予備役主計大尉で、No.3がこのおじさん。
気だるそうで、妖艶な雰囲気の美女が、ドロテア・バレージ中尉。 29歳。 離婚歴有り。
前職は、酒場のイベントがメインで歌っていた『歌姫』(と言う年では無いが・・・)
軍に居た時は、情報管制官だった。 情報収集も得意のようだ。 イタリア系。
無表情で、無口なぺトラ・リスキ少尉。 フィンランド出身の女性衛士(なんだ、衛士が居るじゃないかよ) 19歳。
昨年は北欧戦線で戦っていたらしい。 プラチナブロンドの髪と、ブルーの瞳。 その豊満な胸は、反則級だ。
最初、ミドルティーンかと思った程、童顔で小柄なエステル・ブランシャール少尉。
フランス出身の18歳。 胸はミドルじゃなく、ローティーン並みだ。 リスキ少尉の対極を張る。
8ヶ国語を自在に操る、言語学の天才。 これでもスキップ(飛び級)で、今年大学を卒業しているそうだ。
2mを超える長身と、幅広の横幅を持つ巨漢は、レオニード・チェレンコフ曹長。 亡命ロシア人で、機械化装甲歩兵出身。 25歳。
見た目は厳ついが。 彼はロシア人の存在意義を真っ向から否定する男だった。 全くの下戸で、酒が一滴も飲めない(ロシア人がだ!)
代わりに大の甘党だ。 この巨漢が表情を崩しながら、甘ったるいホットチョコレートを飲んでいる姿を、想像するがいい・・・
最後に、第3室の庶務全般を引き受けるアネット・シモンズ軍曹。 22歳。
前職は近所の会社の、庶務をしていたそうだ。 会社が倒産して途方に暮れていたところ、大佐がリクルートしてきたとか・・・
こちらも、軍歴無し。 地元、ベルファスト出身。 コロコロとよく笑う、「近所のお姉さん」タイプだ。
で、最後が俺。 周防直衛中尉。 言わずと知れた、帝国軍からの左遷組・・・
―――おい、大丈夫か? この部署・・・
使い勝手が良い組織、じゃなく。 あちこちから弾き出された者の、寄せ集めのような気がしてきたのは、気のせいだろうか・・・
2300 ロックビュー・ロード 下宿
総司令部で世話をしてくれた下宿に転がり込んだのは、2300に近い時間だった。
顔合わせの後、室員全員で『親睦会』なる食事会を開いてくれた。
丁度、衛士訓練校への正式配置命令を受け取った圭介と、ばったり会ったので巻き込んでやった。
本部にほど近い、一見すれば判らない「穴場」的なレストラン。
アイリッシュシチューと、コルカノン(キャベツを混ぜた、マッシュポテトサラダ)、ビーフ・アンド・ギネス(牛肉のギネス煮込み)、ソーダブレッド(アイルランドのパン)
いや、意外に結構、美味かった。
ギネス・ビール(黒スタウト)は、初めて飲んだ。
飲んで、食べて、話し込んで。 レストランを出たのは2200頃。
そこからクルーガー大尉に車で送って貰って(飲酒運転じゃないか)、下宿に転がり込んだ。
3階建てのアパートメント。 寝室にリビング、キッチン、バスとトイレ。 まぁ、独り者には十分だ。
「ふあ・・・ 眠い。 おい、俺は何処に寝ればいいんだ?」
圭介が欠伸を上げながら、周りを見渡す。
今晩は、ここに泊る気でいるらしい。 さっさと将校クラブへ行けば、宿泊施設もあるって言うのに・・・
「お前のベッドなんか無い。 そこらに転がってろ」
「・・・なぁ。 かれこれ7年来の親友に、それは無情なんじゃねぇか?」
「・・・男2人、一緒のベッドに入る気か?」
「・・・毛布、借りるわ」
「んじゃ、おやすみ・・・」
―――やれやれ。 ようやく、休める。
北アフリカからこのかた。 正直、色々と心の隅に引っかかる事もあって。
何気に疲れていたのかな。 ベッドに入った途端、眠りに落ちて行った・・・
1994年10月10日 2130 国連軍総司令部 副官部第3室
総司令部は実のところ、同じベルファスト市郊外の別の場所に、実質的な『ヘッドクォーター』が存在した。
そちらは本庁舎が地上20階・地下5階建で、他に別棟が8棟もある、正しく『総司令部』然とした場所だった。
普段の総司令部機能は、そちらで行われている。
では何故、この古色蒼然とした建物が『正式の』総司令部と言うのか。 理由は・・・詳しくは判らない。
まぁ、世間の目を全く引かないこんな所ならば。 ひそひそ話にはもってこいではあるが。 大方、そんなところか?
そして俺は今、仕事と格闘している。 書類の山が無くならない。 やってもやっても、仕事が終わらない。
着任して以来、10日目。 俺の今の仕事は、ひたすら書類仕事ばかりだ。
今日の仕事は、『戦場実態調査』 各戦線で聞き取り調査を行った将兵たちの、そのコメントの確認と、分類分け。
「んあ・・・ 何ぃ・・・? 『俺は見たんすっ! BETAがBETAをかっ喰らっている所! あいつら、共食いしてたんすよっ!』 ・・・ふぅ~ん?
そうか、そうか。 んなら、BETAが腹をすかせる方法を発見すれば、この戦争は楽勝だな・・・」
『未確認・情報確度D』の箱に放り込む。
「お次は・・・ 『せめて! トイレだけは男女別々にして下さい! あのXXX野郎の後のトイレなんて! あの悪臭は、BETAでも耐えきれないっ!』
・・・我慢しろ」
『苦情・ランクE』行きだ。
「はぁ・・・ 何々? 『2段ベッドの上で、夜ヤリまくるの、規則で禁止できませんか?
俺、寝不足で、寝不足で・・・ このままじゃ、BETAに殺られるより早く、過労死しそうです』
馬鹿、そんな時は手前ぇも混ざれ・・・」
『苦情・処理の要無し』 決定。
「・・・まだ、終わらんのかよ・・・
『合成ニンニクエキスをぶっかけたやったら、戦車級BETAがのたうちまわった・・・』
『合成香辛料セットの匂いで、闘士級BETAが逃げて行った・・・』
あれは、人外の代物だ。 あんなの、ぶっかけられたBETAが気の毒だな・・・」
『戦訓・重要度・度外』 これしかないだろ?
・・・ああ、くそっ! 気が狂いそうだ! 何なんだ、この三文コントのネタにもならんような、くだらないコメント集は!!!
挫けそうになる。 でも、終わらさないと帰れない・・・
他の連中は皆、さっさと終わらせて帰りやがった。
同じ書類を処理していたバレージ中尉は、一瞬の隙を捉えて脱走しちまいやがったし。 くそ!
大きく伸びをする。 体中がコキコキ音を立てている。 くあ、疲れた・・・
煙草に火をつけ、窓を開ける。
別に禁煙と言う訳じゃないが、マクスウェル少佐にブランシャール少尉、シモンズ軍曹の視線が、昼間痛かったからだ。
「・・・ふぅ」
―――俺、ここで何やっているんだろう?
ガキさながらに、衛士に憧れて訓練校に入校した。
卒業して、少尉に任官してすぐ、満洲に配属されて。 多くの戦場で戦った。 何人もの戦友の死を見送ってきた。
国連軍に出向になってから、主に地中海方面で戦い続けた。
戦って、戦って。 とうとう、おかしくなっちまって・・・
―――今、ベルファストで書類仕事?
何か、急に阿呆らしくなってきた。
・・・いいか。 今日はこれで終わりだ。 期日を決められている訳じゃない。
今の書類をかたしたところで。 また他の処理が回ってくるだけだ・・・
煙草をふかしつつ、窓から夜の街を眺める。
無意識にカップのコーヒーモドキを口にする。 ―――不味い。
不意に、ドアが開いた。 ―――グランドル大佐だった。
「おや? まだ残っていたのかい?」
俺の敬礼に答礼しながら、苦笑気味に大佐が笑う。
「・・・仕事が終わりませんので」
「やれやれ。 本当に日本人は生真面目だね」
そう言いながら、大佐は自分のデスクに歩み寄る。 引き出しを開けて何やら探している。
「あった、あった。 やはりここに忘れていたな」
古びた、小さな懐中時計だった。
「昔、女房からプレゼントされたものでね。 持っていなかったら、機嫌が悪くなっていけないね」
―――いや、何ともコメントのしようが無いが。
思わず苦笑した俺を見やって、大佐が話しかけてくる。 ―――校長先生の表情だった。
「時に、周防中尉。 今日までの感想は、どうかね?」
「・・・正直、面喰っております。 ご存じの通り、自分は最前線での勤務が長かったものですから」
「うん。 でな、今日までの間。 前線の事を思い出したかい?」
「いえ。 不慣れと忙しさで、失念していました」
「・・・それは、良かった」
「大佐?」
どういう意味だ?
「私も、覚えが有るよ。 君のような、直接対峙する兵科じゃ無かったがね。
それでも、戦場疲労症に罹ってね。 『パレオロゴス』は、酷かった・・・」
―――『パレオロゴス作戦』!? あの、史上最大規模の大作戦か? あれに従軍したのか? 大佐は・・・
「命からがら、帰りついた後もね。 夢にうなされるわ、幻覚は見えるわでね。 正直、保たないと思った。
軍医の診断もね。 軍務に耐えられない、とね。 お陰で、予備役編入さ」
そうか。 元々は職業軍人だったか、この人も。
「ひたすら、何かしら忙しくしたよ。 何かに没頭しておかないと、怖かったな。
君の場合、未だ初期症状のようだからね。 今なら、環境を変えれば改善は速いだろう。
ここで、ボォーッとするより。 何でも良いから、何か集中していた方が良かったのだ。
一時でも忘れられれば。 その内、気にしなくなる」
「・・・ご自身の、ご経験ですか?」
「最早、戦場では役に立たない老兵だがね。 リハビリには丁度良いだろう?」
案外。 そう言った面も考えて受け入れているのかな? 俺にせよ、どうやらぺトラ・リスキ少尉にせよ。
戦場で心身が少々、おかしくなりかけた衛士を、わざわざ配しているという事は。
「・・・本当に。 『校長先生』ですね、大佐は・・・」
「唯一の取柄だね。
・・・正直、これ以上昔の教え子が戦場に向かう姿を、見ていられなくなった。
だからかな、軍に復帰したのは。 だが、最早こんなロートルが戦場に出る幕は無いしな。
なら、自分の得意な事をするまでだ」
戦場で、心身を疲れさせた者達の居場所を、か・・・
「・・・それでも。 再び送り出す事は、辛いに変わりないのだがね・・・」
―――それでも、『校長先生』 あなたの学校で休めたら。 それはどんな後方配置よりも、運が良いのかもしれない。
「・・・このコメント処理は、BETAとの戦闘より強敵ですけどね」
「良かったじゃないか。 君はこれ以上ない強敵を、屈服させようとしているのだから」
1994年10月15日 0830 総司令部副官部・第3室
「スコットランドへ?」
「うん。 次の仕事だよ。 向うに飛んでくれたまえ。 詳細はグラスゴーにある国連支部の、軍務部で確認できるから」
「はっ しかし、概要も判らんのでしょうか?」
「いや、なに。 向うの、ちょっとした『重要人物』の身辺警護だよ。 人手が無くてねぇ・・・
ああ、今回はリスキ少尉と2人で仕事になる。 なに、そう難しくない。 1カ月程、風光明媚なスコットランドを楽しんできたまえ」
―――書類仕事の次は、身辺警護? 本当に、何でも屋なんだな・・・
「しかし。 小官はSPの訓練は受けておりませんが?」
「大丈夫だよ。 リスキ少尉も同じだ。 なに、他に専門の連中もこっそり配置される。
君達は、『対象』の最後の楯になってくれれば良いよ。 大体、そんな事態はほとんど発生しないだろうしね」
―――休暇配置?
まあ、いいか。 折角の命令だ。 欧州では今や、貴重な自然の残る風光明媚なスコットランド。
精々、満喫して来いという訳か。
「了解しました。 周防中尉、要人警護任務につきます」
「うん。 あ、そうだ。 期間は場合によっては多少、延長になるかもしれないかな。
その時は、連絡を入れよう。 じゃ、頼むよ」
第3室を出て、受け付けを通る。 ナタリーが手招きをしている。
「何だい? ナタリー」
「ハイ、ナオエ。 貴方今度はスコットランドでしょ? はい、これ。 出張経費前渡し。
それと、私服類は揃えて行った方がいいわよ。 そろそろ冬の季節なのだし」
そう言って、カードを手渡される。 限度額は有るが、その範囲内なら、必要経費で有れば使ってよい。 そう言う事だ。
他に、寒冷地装備手当(要は、防寒服他、自前の服を購入しておけと言う事だ)
「ああ、サンキュ。 ところで、ナタリーはスコットランドへ行った事は?」
「残念ながら、無いわね。 ・・・向うで見繕いなさいな、案内してくれる女の子の、一人や二人」
「・・・そこまでの甲斐性は無いよ。 残念ながら。 あ、そうだ。 ぺトラは?」
「さっき、命令受領していたわね。 今は下(1階サロン)じゃないから?」
「ん、わかった。 じゃ、行ってきますよ」
「お土産、欲しいなぁ?」
「代金前渡しで、承るよ」
「何よ、ケチっ!」
思いっきり顔をしかめ、舌を出すナタリーを。 笑って交わしながら部屋を出る。
1階に下りて、奥にあるサロンを見ると。 ぺトラ・リスキ少尉が居た。
「おい、ぺトラ」
声をかけると、ソファから立ち上がり敬礼する。 答礼して返し、今回の任務について確認する。
彼女も今日初めて言われたそうだ。 それに、俺同様、SPの訓練も受けていなかった。
「ハッキリ言って。 役立たずだぞ? 俺達」
「でも・・・ 楯には、なれます・・・」
「それも、ぞっとしない」
「でも・・・ 任務」
「お前さん、割り切り良いね?」
「任務、です・・・」
・・・何か、本当に無表情と言うか。 それに話し方も、独特の間と言うか。
「ま、いいか。 それより、明日出発する。 今日はこれで帰っていい。 荷物を纏めておけ。
明日の0900、ベルファスト・シティ空港の軍用ターミナル。 いいか?」
「・・・了解」
それだけを確認して、分かれる。 詳細は、グラスゴーに着いてからだな。
ふと、同じ欧州に散らばった2人の悪友を思い出す。
(圭介は・・・ 今頃、嬉々として扱きまくっているんだろうな。 訓練生も、可哀そうに。
久賀は・・・ ま、色んな毛色の戦術機を乗りまわせる分、楽しんでいるか。
くそ、俺だけかよ。 書類仕事や、専門外のSPモドキなんてさ・・・)
愚痴を言っても、始まらない。
本部を出たその足で。 市街の中心部へ。 兎に角、寒い冬の私服でも買っておかないと。
―――今まで、そんな必要無かったものなぁ・・・
今更思うが、本当に・・・ 『思えば遠くへ来たのものだ』