1994年11月16日 1630 瀋陽防衛線
昨日の南部防衛線に続き、今日の早朝から瀋陽防衛線に移動して防衛戦闘を開始していた。
独混大隊は解隊し、各中隊は本来の所属部隊に復帰していた。 私達の中隊は元の181連隊―――第18師団指揮下で瀋陽防衛の任にあたっている。
ここは昨日来、中国第4野戦軍の戦術機甲部隊が死に物狂いの防戦を行った結果、何とか押し戻しに成功していた。
そこに、早朝には南部防衛軍から第18師団(第11軍団)と、米第2戦術機甲師団、米第1空中騎兵師団(米第8軍団)が増援第1陣として戦闘参加。
5時間前には第4野戦軍の、1時間前には南部防衛軍の機甲部隊の一部も間に合った。
最も、何とか無事に事が済んだのはここまでだ。
瀋陽での防衛戦が響き、北部に回す手筈の韓国軍第11軍団は、第4野戦軍と共に瀋陽を防衛している。 本来は北部防衛線に回す予定だった部隊だ。
北部の第1野戦軍(3個軍団)は、H19からの≪圧力≫に抗しきれず、また側方の守りを担当する筈の第4野戦軍第77集団軍(軍団)が瀋陽防衛に足止めされた結果。
四平から大幅に後退、瀋陽から50km程北北西の鉄嶺に防衛ラインを再構築していた。
南部防衛戦―――輸送幹線路防衛で共に戦った≪セラフィム≫中隊は、親部隊である141連隊、そして第14師団と共に、急遽北部への増援に向かった。
結局、大連の第108砲兵旅団からの超遠距離砲撃―――それも、S-11弾頭弾―――での、広範囲殲滅砲撃に頼るしかなくなったのだ。
一気にBETAの数は減らせるものの。 S-11砲弾の炸裂は土壌を殺す。 腐葉土層を根こそぎ焼き尽くすのだ。
それでなくとも、満洲の大地は意外に土壌が痩せている。
元々、100年ほど前には腐葉土層が1m以上堆積していたそうだが、半世紀前から始まった中国の計画経済下での略奪農法で、一気に40cm程まで激減したらしい。
―――そしてBETAによる浸食。
数千年、数万年をかけて堆積して行った腐葉土層が無くなるのに、僅か50年足らず。 果たして、大地にとっての天敵はBETAなのか、人類なのか・・・
そんな事を考えていたら、急にCPの報告が入った事に吃驚してしまった。 ―――私も、まだまだだな。
≪CPより≪クレイモア≫、BETA群約400、小型種です。 法倉(ファークー)方面より南下中。 あと10分で遼河に達します! 阻止戦闘!≫
CPから新たなBETA群出現の報が入る。 でも数は大したことはない。 それに大型種も居なさそうだ。
『クレイモア、了解した。 中隊、陣形・フラット・ツー。 第2小隊、前面に出ろ。 第1、第3小隊で左右を固める』
中隊長の高山大尉の指示が出た。 私達第3小隊の『疾風弐型』4機が左翼へ展開する。
小隊長の市川中尉機と、2番機である私の機体が、若干前に位置。 3番機の宮本少尉機は小隊長機の右やや後方、4番機の佐倉少尉機は私の機の左やや後方に。
『宮本、佐倉。 こう言う時の対処方法は?』
小隊長が新任達に、これからの戦闘行動について問いかけている。
『はいっ! まず、光線属種の最終確認。 居ない場合、群れの最前面に誘導弾を撃ち込みます!』
『その後、外周から削ります。 攻撃の底に1機配置し、最終阻止点を作ります』
『光線級が存在する場合は?』
『誘導弾を光線級に対し発射。 強襲掃討装備2機で迎撃照射のインターバル中に突破戦闘。
残る2機は後方からバックアップ。 まず光線級の撃破を優先します!』
『つまり、君たちの行動は?』
『光線級の有無を問わず、1,2番機のバックアップ。 それから・・・ 外周部の小型種の掃討です!』
『そうだ。 間違っても前には出るなよ? それは僕と先任の仕事だ』
『『 了解! 』』
―――そう言えば。 小隊長は元々、教職志望と言っていたわね・・・
それでなのか。 彼は戦闘前やちょっとした休憩中など、良く新任達にこの手の『授業』をやっていた。
その事で、ちょっと可笑し気に聞いてみた事が有った。 小隊長の答えは―――
(『人に教えるって事は、自分が理解していなければならないって事だしね。 僕が2人に尋ねると言う事は、その事について僕自身が理解しておかなきゃならない。
彼等に対して、戦場での行動を理解させると同時に。 僕自身、指揮官としてどう動くか、どう判断すべきか。 ―――予習だね』)
そう言って、彼は少し恥ずかし気に笑っていた。
私は―――私は、そんな小隊長を恥ずかしいとは思えなかった。 寧ろ、そんな事に気づかなかった私自身が恥ずかしくなったものだ。
なぜって―――私自身、封印していた、そしてそれが外れてしまった事で思い出したかつての夢。 それは彼と同じだったから。
人としての失敗。 指揮官としての失敗。 色々な失敗があるものだ。 人として、それらは避けて通れない。
ならば、それを受け止め、自問し、答えを探して―――こうやって、部下に、後任に伝える。
これも、指揮官として、先任として―――戦場を生き抜いた者として、やるべき事じゃ無かったか?
私は初陣で何も出来なかった。 何をすべきか知らなかった。
それからの戦場でも、自分の事しか頭になかった。 周りに対してどう行動すべきか、考えもしなかった。
でもどうだろう? この2日間は? 私は何か出来ただろうか? ―――少なくとも、2人の後任は今、こうして生きている。
生き抜いて、戦い続けている。 これは―――少しは、私の経験も役に立ったのだろうか。
(だとしたら、私が生きている意味は・・・ 生き残った意味は・・・ 生かされた意味は・・・)
≪CPよりクレイモア! 接敵まであと1分!≫
CPの声に、我に返る。 また、戦場でごちゃごちゃと、私は・・・
≪クレイモアDの前面に光線級が5体、確認されています! 警戒を要する!≫
―――ッ!
遼河の対岸に姿を現したBETAの群れ。 後方に位置しているのか、光線級の姿は確認できない。
『D01より各機! 聞いての通りだ。 各人、やるべき事は判るな!?』
『『『 はっ! 』』』
『よし! ―――制圧攻撃、開始!』
『D04! FOX01!』
4番機の佐倉機から、ALMが発射される。 途端に迎撃のレーザー照射が舞いあがる。―――5本! ビンゴ!
『D02! 神宮寺、行くぞっ!』
『了解!』
私と小隊長の2機が飛び出す。 小型種の群れの直前で噴射跳躍―――インターバル中だ、気にしないっ! あと、6秒!
着地地点に120mmキャニスター砲弾を見舞い、スペースを確保。 その勢いのまま、前方に36mmをばら撒き、突撃路を切り開く。
やがて10秒経過―――『D02! FOX01!』 佐倉機がALMの第2射を開始する。 これで、光線級のレーザーは向うに・・・
『ッ! 拙いっ! 1体、こっちを向いているぞっ!!』
小隊長の声が終わらない内に、迎撃照射を行った4本の他に1本。 レーザー照射の帯がこっちに向かってきたっ!
『がッ!!』
『小隊長!!』
照射警報と同時に乱数回避に入ったお陰か、小隊長機は直撃を免れたようだ。 でも、跳躍ユニットが2基とも脱落している!
隊長自身のバイタルモニターも、不規則な波形を刻んでいる。 どうやら負傷したか!? 多分、火傷だ!
「佐倉! ALM全弾発射! 光線級に叩きこめっ! 宮本! 至急、前面展開! 隊長機をサポートしろっ!」
『神宮寺少尉! それじゃ、そっちの機体が巻き込まれますっ!』
『了解! ―――小隊長! 5秒間確保して下さい!』
宮本は指示通り、小隊長機のサポートに回ったな。 佐倉は―――
「佐倉! やれっ! ここで光線級を潰さなきゃ、こっちが殺やられるぞ! ―――回避して見せる! 撃て! 撃て!」
『ッ! くそぉ! 了解!!』
残った10発ほどの誘導弾が向かってくる―――正確には、光線級に。
今まで無駄にしてしまった時間は10秒。 あと2秒、1秒、ゼロ!
迎撃レーザー照射が舞いあがる。 きっちり5本全部!
「いやああぁぁぁ!!」
最後の小型種の壁をブチ抜いて、そのまま光線級に肉薄する。 1,2発、誘導弾が至近に着弾したようだ。 機体ステータスアラームが鳴り響く。
が、気にしては居られない。 地表面滑走で多角機動を行いながら、36mmで光線級を始末する。
高々5体、懐に入れば簡単なものだ。 ―――光線級だけなら。
―――ガクンッ
いきなり、右の主機がフレームアウトした。 どうやら先程の誘導弾の至近爆発。 右の主機を壊したらしい。
機体のバランスが崩れ、咄嗟にオートバランサーが強制起動する。
その隙に、瞬く間にBETAが群がってきた―――戦車級!!
「くうぅ!!」
心臓が恐怖で跳ね上がる。 光線級のレーザー照射で、一瞬に蒸発させられた方がどれだけ楽か。 『あいつ』に、生きたまま喰い殺される事を考えたら!
かろうじて回復した機体機動を立て直し、36mmを左右に乱射する。
『神宮寺少尉! 小隊長機、対岸へ運びました! これから支援に向かいます・・・「その位置で、攻撃続行しろっ!」・・・ええっ!?』
「私の機体はまだ動く! 宮本! その位置から支援射撃! 佐倉! 側方に回って外周部から徹底的に削れ!」
群がってくる小型種―――戦車級に、闘士級、それに―――見慣れない、更に小さいのも居る! 速い!
36mmで至近の奴を、距離のある奴に120mmを撃ちこむ。 が、動きが早くて半数に逃げられた。
噴射滑走も、半分の推力では急激に機動力が落ちる。 自分で空きスペースを作って、そこに逃げ込むしか方法が無い。
「小隊長は負傷している! 2機ともそこを離れたら―――誰がサポートするんだ! 少しでも早くここを殲滅して、野戦病院に担ぎ込むんだっ!」
『うっ・・・! くっ・・・!』
『く、くそ・・・!』
「馬鹿野郎っ! 昨日から私が何を教えた!? 貴様達、何を聞いていたぁ!!
私がここで綱渡りしているのは、貴様達が支援攻撃をやってのけてくれると考えたからだぞっ!?」
『くっそぉ! 了解! 支援攻撃、入りますっ!!』
『側方から攻撃開始! 隙を見て突入します!』
(―――やっと、動いてくれたか。 全く、手のかかる連中ね・・・)
にしても、自分が助かるまで時間を稼げるかどうか。
宮本は突進してくるBETA連中への対処と同時に、ダウンした小隊長機を確保しなきゃいけないし。 佐倉はまだ融通の利く戦闘機動は無理だろう。
「ッ―――!?」
いきなり、突撃砲が沈黙した。 嘘だ! まだ残弾は有った筈!!
ステータスをチェックする―――クソッ! ジャムった!?
そこで私は致命傷を犯した。 慌ててジャムった砲弾を取り除こうとしたのだ。 ―――咄嗟に捨てるべきなのに。
「うわっ!!」
戦車級が群がってきた。 ここで短刀を取り出す時間が無い!(長刀なんか取り出す暇は余計に無い!)
強引に跳躍ユニットを吹かして距離を取ろうとした時。
―――ボンッ
嫌な音と同時に、推力が瞬く間に落ちて行く。
(くそぉ! 跳躍ユニットまで!)
絶望的だ。 笑い出したくなった。 跳躍ユニット全損。 主機は片肺。 これでこの煩わしい連中から逃れられたら、それこそ奇跡だ。
群がってきた戦車級に、役立たずの突撃砲を投げつけて吹っ飛ばす。
『神宮寺少尉!』
『先任!』
「五月蠅い! 仕事に集中しろっ! ここを突破されるなっ!」
ぎりぎり、短刀の保持に間に合った。 左右に鋭く、小さく振り続けて群がってくる小型種を切り落とす。
大振りはするな。 刃先は前に。 細かく、鋭く。 数体切り裂いたら、少しづつ後退しろ!
「はっ! ふっ! はっ!」
支援攻撃が微かに残る起伏に邪魔をされて、却って小型種を撃ちづらくさせている。 その分が私の周りにBETAが集まり始めていた。
(―――保つかな?)
そう思った瞬間。
『D小隊! 下がれっ! 神宮寺、そのまま動くな! 掃討射撃開始する!』
中隊長の声が耳をうった。 同時に機体の周りで36mm砲弾が弾け飛ぶ。 120mmが離れた場所のBETAを吹き飛ばした。
―――第1と、第2小隊だ。 2km離れた場所で掃討戦をしていた筈。 終わったのか・・・
1機の『疾風弐型』が私の機体の傍に着地した。
『―――機体は、まだ動くのか?』
スクリーンに現れたその姿は・・・ 折り合いの悪かった神崎少尉だった。
「動くわ。 ・・・でも、跳躍ユニットは全損。 主機は片肺」
『なら、掴まれ。 後ろまで持って行ってやる』
「・・・神崎?」
『≪死神≫じゃ、なかったよな? ・・・D小隊は皆、生き残っている』
それっきり無言で、神崎少尉の機は私の機体を保持して噴射跳躍に移った。
ふと、戦場を見る。 中隊本隊の戦闘参加で、BETA共は粗方片付いていた。
佐倉と宮本の2機が、小隊長機を保持して続行している。 ―――小隊長はまだ生きているようだ。
ふと、安堵から全身の力が抜けそうになる。
『・・・気を失うのは、後ろに着いてからにしてくれ』
「・・・判っているわよ」
神崎の一言に、悔しながら負け惜しみを言いつつ、一体何が彼をこう変えたんだろうか? ふとそんな事を考えていた。
1994年11月25日 大連 統合軍大連病院
今日、市川中尉を見舞った。
彼はあの最後の戦闘で負傷し、火傷を負った。 幸い症状は軽く、1か月ほどで退院できるらしい。
あの後、S-11砲弾の集中砲撃―――と言っても、30分に1斉射―――で、何とかBETA群を削り取った。
第108砲兵旅団は、山東半島方面への支援砲撃も担っていたから、全門とは言えなかったけれど。
それでも、もう後が無かった方面軍はそれしか方法が無かった。
衛星情報で、各ハイブ周辺のBETAの出現数が激減したことが確認されたのが16日の2000時頃。
翌17日の未明には前線でも、≪圧力≫が激減した事が確認された。
そして夜が明けた0730、強行偵察戦術機甲部隊が、各ハイブ方面へ移動していくBETA群を確認。
これで、ようやくの事で防衛戦は終結したのだ。
「神宮寺、どうやら君も、佐倉も、宮本も。 みな無事だったようだね。 ドジを踏んだのは、僕だけか・・・」
市川中尉が苦笑する。 が、その苦笑に卑屈さはなかった。
「中尉が散々、≪授業≫されていましたから。 あの2人も、否応なく体が動いたのでしょう」
本音だ。 あんな事をやる指揮官は珍しい。 本当にこの人は、『先生』だったのだ。
「・・・そう言えば。 神崎少尉に言われました。 『これからは≪死神≫じゃなく、≪鬼軍曹≫に昇格してやる』、と・・・」
―――あっはっはっは!
不意に中尉が腹を抱えて笑い始めた。―――ちょっとムッときたが、抑える。
「・・・何でも、中尉が見舞いに来た者達に散々、吹聴しまくったとか・・・?」
「良いじゃないか? ≪鬼軍曹≫ これで君に教えられた連中は、なかなかしぶとい衛士になりそうだ。
立派に、生き残った者の役目を果たしているじゃないか。 甘受しろ?」
納得いかない。 うら若い乙女を捕まえて、何が悲しくて≪鬼軍曹≫よ。
訓練校に居た鬼のような訓練教官達を思い出す。―――私が、あんなむさ苦しい鬼達と同じだとでもっ!?
「・・・生き残った者が、誰かがやらなきゃならない事だよ、神宮寺」
「中尉?」
「君が生き残った意味。 君が生かされた意味。 まだ出ないかい?」
唐突に胸を突かれる言葉だった。 全く、こう言う所は気が抜けない人ね。
「・・・はっきり、判ったとは言えません。 まだしつこく絡まってはいます。 でも・・・ でも、以前の様な、自分すら見えていなかった様では、無くなった気がします」
「じゃ、佐倉に宮本、それに今後もやってくる新任達には・・・?」
「教えます。 それこそ、≪鬼軍曹≫として」
そう言った私を、中尉は嬉しそうに見やって。 そして・・・
「・・・帰還したか?」
満腔の感謝を込めて、私は敬礼と共に報告する。
「小隊長。 神宮寺まりも少尉―――只今を以って、帰還しました!」
1994年12月10日 上海特別行政市 中華人民共和国 政治局常務委員会
「・・・忌々しい。 結局、我が国の一方損ではないか」
習金平・国家副主席(兼国家中央軍事委員会副主席)が会議の席上、吐き捨てるように呟く。
目の前には、約1ヶ月前の全土での防衛戦の損失結果報告があった。
「第4野戦軍は、戦術機甲戦力4割減、機甲戦力7割減、歩兵も5割減。 最早1個集団軍(軍団)分しか残っておらん。
第1野戦軍にしても、3個集団軍の半数を失った。 山東半島の第2野戦軍も同様だ。 満洲軍区(旧北京・瀋陽軍区)には最早、攻勢などあり得ん・・・」
「華南に華中も、無視はできんのぉ・・・」
呉宝生・全人代常務委員長(兼党中央企業工作委員会書記)が、眠そうな表情で続ける。 抜け目なく何かを警戒するような目の老人だ。
「満洲程では無いがの。 南京の3野軍(第3野戦軍)、杭州の5野軍(第5野戦軍)、共に結構な被害じゃわい。
何せ、華南軍区の手助けがホネじゃったからの・・・」
「左様。 特に統合軍に踊らされた満洲軍区、それも4野軍、そして余所の軍区の支援を早々に求めるような6野軍(第6野戦軍)、7野軍(第7野戦軍。いずれも華南軍区)
お陰で1野軍、2野軍はもとより、この首都を守るべき3野軍、5野軍さえ大きな被害。 これはどなたの責任でしょうなぁ・・・?」
李克興・国務院副総理(兼党中央政法委員会書記)が同調する。
習金平、呉宝生、李克興、彼らの目の前には、憮然として眼をつむる曽慶青・国家主席(兼党中央委員会総書記・兼・党中央軍事委員会主席・兼・国家中央軍事委員会主席)が居た。
その傍らには、明らかに狼狽の色を強める朱鎔奇・国務院総理(兼党中央金融工作委員会書記)が主席の顔色を窺っていた。
今回の『大陸打通作戦』 これは元々中国軍内の非主流派である、第4野戦軍系の政治局常務委員である国家主席。
そしてその系列の太子党(権力者の子弟出身者)である朱鎔奇国務院総理が、党中央軍事委員会を押し切って押し通したのもだった。
無論、韓国の軍事政権(大韓民国は10年前のクーデターにより、軍部独裁政権となっている)、日本帝国軍部とも調整した結果であったのだが・・・
「儂の筋からじゃと、日本の海軍はえらく反対しとったらしいのぉ、現実的ではないと・・・
陸軍の所謂 『統制派』 も、疑問視しとったとか。 乗り気じゃったは、『勤将派』 とか、『国粋派』 とか、そんな連中らしいのぉ・・・」
呉宝生・全人代常務委員長が老人とは思えない、ねっとりした目つきで政敵を眺めて言う。
「連中の望みは、自国内での発言権の拡大。 そして昨年来止まったままの、渤海油田の再開利権ですからな。 バックには右派の政商連中が居る。
云わば、面子と欲にかられた強行作戦。 はてさて、碌に作戦内容の検討もしていたのか・・・」
李克興・国務院副総理が冷ややかに皮肉る。
「・・・で、諸君は私に何を言いたいのだ?」
曽慶青・国家主席がようやくの事で口を開く。
その様を見た習金平・国家副主席は、一切の感情を殺して事務的に言い放った。
「全ての役職を降りて頂こう。 何、全人代委員の椅子程度は残しておいてやる。
最早、軍は貴様の命令には従わんよ。 頼みの綱の第2、第4野戦軍があの調子ではな」
習金平・国家副主席の権力母体は、曽慶青・国家主席の権力母体と対立する軍部主流派・第1、第3、第5野戦軍で有った。
今回の大損害を受けて密かに軍部主流派を固め、国家中央軍事委員会にも根回しは済んでいた。
国家中央軍事委員会は、党中央軍事委員会が殆どを兼務しているから、党中央の意向をも纏めたに等しい。
後は退陣要求を突きつけるだけであった。
「・・・ふん、随分と緩くなったものだな? 我が党は。 昔なら、問答無用で銃殺だ」
「考え無しの文革(文化大革命)当時と同じに考えないで貰おうか。 仮にも一国の代表が代わるのだ。
それに対して命で購うのは、封建社会の昔だな。 ・・・いや、今でも余り変わらん国はあるか」
くっくっく・・・ 含み笑いがあちこちから聞こえる。
成程、ここにいる他の連中。
賀国共・党紀律検査委員会書記、李張瞬・党中央組織委員兼国務委員、周永校・党中央金融工作委員会書記、賈慶森・中国人民政治協商会議主席。
この4人の政治局常務委員も、習金平派に回ったという訳か。
くそっ、良いだろう。 降ろしたければ降ろせ。 登りたければ登ってみろ。
但し覚えておけ? 主席の椅子など、貴様達が考える程に座り心地の良いものじゃない。
国土の過半をBETAに浸食され、主要産業とて壊滅し、国土防衛には他国に頭を垂れねば維持できない。 それが今の中国だ。
貴様達が内心蔑しむ韓人や、侮る日帝共の靴の底を舐める日が来ない事を、精々祈ってやるよ・・・
1995年1月10日 中華人民共和国全人代(全国人民代表大会)は、満場一致で新国家主席として、習金平主席を選出した事を発表した。
同時に習主席は党中央委員会総書記、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席を兼ねる事も発表された。
1995年1月25日 副帝都・東京府 荒川警察署
「捜査を打ち切れ!? どう言う事です、課長!」
荒川警察署の刑事課に所属する有野巡査部長は、刑事課長である大友警部に思わず掴みかかった。
3日前に管区内の荒川自然公園に接する荒川に、死体が浮かび上がったのだ。
司法解剖の結果、体内からは大量のアルコールが検知され、『酔ったはずみに転落、溺死』とされたのだが。
刑事課畑20年のベテラン捜査員である有野には納得がいかなかった。
酔っていたにしては服装がまともすぎる。 それに遺族に聞けば、ホトケは普段から酒は飲まないそうだった。 臭すぎる。
「仕方あるまい。 上からだ」
「上? 署長ですか?」
「本庁だよ。 所轄が手を出すな、だとよ」
自身も叩き上げの大友課長も面白くないらしい。 が、長年警察組織の中で生き抜いてきた身が、この件から手を引けと警告していたのだ。
「有野よぉ、お前さんも昨日、今日、デカになった訳じゃあるめぇ?
それによ、こりゃ本庁の審議官とよ、何故か特高(警保省特別高等公安局)の奴がよ、連れ添って釘さしに来やがったんだぜ?」
「特高? 芝(東京府芝区。特別高等公安局所在地)の連中ですかい? 名乗ったんですか?」
「馬鹿野郎。 芝の連中が名乗るかって。 国家憲兵隊の特務局と同じだぜ、連中は・・・
でもよ、あの『空気』は芝の連中さ。 憲兵とも、情報省とも違うわな。 って事はよ、あのホトケさんはよ・・・」
「・・・国家謀略の、後始末・・・」
―――そう言うこった。 ま、俺たちゃ、火傷しねぇ内に手を引くに限るわ。
課長席を離れて自席に戻る。 無意識に煙草に火をつけ―――報告書に目をやる。
死んだホトケさんは、市ヶ谷の衛星情報中央センターに勤務していた外務省からのノンキャリアの出向組。
今回は何故か外務省もやたらと非協力的で口が重かった。
(・・・そう言や、半月前にもおんなじ勤務先の、外務省のキャリア出向組が死んでたな。 確か、自宅の火事で逃げ遅れて・・・)
あの時の管轄は麻布署だったが。 確か今回同様、早々に捜査は打ち切られたらしい。
キナ臭い。 限りなくキナ臭い。 が、どうしようもない。
(本庁のお偉方直々の指示に、芝の連中か・・・ ひょっとしたら、憲兵の特務も動いているかもな。 そんなヤマに首突っ込んだら、命が幾つ有っても足りやしねぇ・・・)
有野巡査部長は捜査報告書を閉じ、書類棚に仕舞い込んだ。 ―――『解決済案件』の棚に。