1996年4月24日 1550 北フランス カレー前進基地
戦術機の1隊がNOE飛行で帰還しようとしていた。 機種はトーネードⅡ、16機。
現在の戦場である第1防衛線からは約90km。 余程高度を取らない限り、光線級の認識圏外での飛行は可能だった。
『ティウ! しっかり! しっかり高度とバランスを取って!!』
『はっ・・・ はいぃ!!』
その内の1機は、片側の跳躍ユニットの爆音が明らかに不連続な状態だった。
BETAとの接触で破損したか、酷使がたたって不調を起こしたか。
不調の1機を囲むように、小隊の3機が随伴で飛行を続けている。
(あと少し・・・ あと少しだから、頑張りなさい、ティウ!)
小隊2番機の衛士、蒋翠華中尉は祈るような気持ちで、網膜スクリーンに映る、必死に機体を操る後任衛士の顔を見つめ続けた。
やがて―――
「ッ!! 基地を視認! 駐機場よ、もうすぐ! コントロール、こちら『グラム』! 損傷機あり! 応急班を!!」
『グラム・リーダーよりコントロール。 損傷機を最初に降ろしたい、もう殆ど保たん!』
中隊長のアルトマイエル大尉からも、損傷機の優先降着を求める通信が入った。
≪コントロールより、『グラム』! メイン駐機場はトラフィック・ジャム状態だ! 予備のB-3に降りろ!≫
B-3。 最も東寄りに近い、A-7と隣接する駐機場。 ―――保つか!?
『了解した! キュイク少尉、何とか東の端まで耐えろ! 中隊、B-3へ行くぞ! B-3! 応急班の用意を!』
大きく右に旋回し、B-3へ向かう。
ほんの僅かな時間、そしてB-3を視認。 後は降着するだけ。
「見えた! ティウ! 貴女が最初に・・・ 『うきゃああ!!』 ・・・ティウ!?」
悲鳴に反射して、損傷機であるティウ・キュイク少尉機を見ると、損傷した右跳躍ユニットが黒煙を吐いてストール(停止)している!
降着態勢に入った状態で急激にバランスが崩れた為、キュイク少尉機は横転状態に陥ったのだ。
そのまま急造駐機場の土砂を削りながら、滑り込むように数100メートルを滑り込んで停止する。
『ティウ! ティウ! しっかり! 返事して、ティウ!!』
『あ・・・ が・・・ ひゅ・・・』
エレメントを組む僚機のヴァン・ミン・メイ中尉が必死に通信回線で問いかけるが、聞こえてくるのは微かな苦痛の声だけ。
B-3に待機していた応急班が、消火チームの消防車と医療チームの救急車とで、大急ぎでキュイク少尉機に駆け寄る。
消防車が化学消火剤を盛大に機体へブチまけ、誘爆を阻止する。
何とか消火に成功した機体へ今度は医療チームが駆け寄り、管制ユニットの外部強制解放ボタンを操作して、損傷機体から衛士を引き摺り出した。
やがてキュイク少尉を収容した救急車は、猛烈な勢いで管理棟脇の野戦病院へと向かってゆく。
「医療チーム! ティウは!? キュイク少尉の状態は!?」
蒋翠華中尉が、必死の表情で医療チームに通信回線で確認する。
『がなるなっ! 嬢ちゃん! ちゃんと聞こえている! ―――ざっと見ただけで、多分肋骨4、5本は、いっちまってる!
肺も傷ついた様だ、血を吐いている! それとも内臓破裂か!? 右足が変な方向に向いてる、恐らく複雑骨折! ざっとこんなところだ、全治3カ月コース!』
医療チームの指揮官である、軍医中尉が応答してきた。
『命は!? 助かるの!?』
ヴァン・ミン・メイ中尉が聞き返す。
『助けて見せる! それが俺達の仕事だ! 判ったら、これ以上邪魔するな!!』
そのまま、キュイク少尉と医療チームを乗せた救急車は走り去って行った。
『中隊、B-3が塞がった。 間借りになるが、『スピリッツ』のA-7を借りるぞ。 第4小隊から降りろ。 第3、第2の順だ!』
やがて残った15機全機が、A-7駐機場へ降着する。
「はあ・・・」
管制ユニットから降り立った蒋翠華中尉は、思わず溜息をついてしまう。
疲労が溜まっている。 今日は2回目の出撃と戦闘を終えてきた。 この4日間、毎日2回か3回は出撃しているのだ。
隣に降り立ったヴァン・ミン・メイ中尉と目が合う。 落ち込んでいる様子だった。
「ミン・メイ。 思い込まないでよ? ティウの負傷は、ミン・メイの落ち度じゃ無い・・・」
「判ってるよ、翠華・・・ でもあの乱戦、正直ティウには荷が重かったかも。 私がもっとフォローしてあげていれば・・・」
未だ経験した事の無い乱戦の最中。 ティウ・キュイク少尉はエレメント・リーダーであるヴァン・ミン・メイ中尉の機体を一瞬ロストした。
そして焦りが生んだほんの一瞬の隙。 その隙を要撃級に突かれた。 跳躍ユニットを要撃級の前腕が掠ったのだ。
即座の反撃で要撃級は斃したが、跳躍ユニットは不調を極め、着陸寸前と言う肝心な場面で停止、事故に直結したのだ。
暫く無言で歩く2人に、中隊長のアルトマイエル大尉が声をかける。
「蒋中尉、中隊のダメージ・レポート。 5分やる。 ヴァン中尉、整備に確認。 どの位時間がかかるか。 こっちも5分だ、急げっ!」
「「 はっ! 」」
慌てて第2、第3、第4小隊へ駆け寄る蒋中尉と、ハンガーに走り去るヴァン中尉。
そんな部下を見ながら、アルトマイエル大尉が呟く。
「・・・正念場は、これからだぞ・・・」
1635 カレー前進基地 A-7駐機場
帰還後の諸々。
中隊の損害は、ティウの機体全損・負傷のみ。 整備には約3時間を有する。
今前線は、第1と第2大隊が支えている。 私達第3大隊が早く復帰しない事には・・・
でも、第2中隊は15機を有しているけれど。 第1中隊は11機、第3中隊は12機。
合計38機。 実に定数から10機減ってしまっている。
戦死者はいない。 これは不幸中の幸い。 でも負傷者が6名。
第1中隊のアンブローシア・ハート少尉、マリア・デ・パデリア少尉、クラウディア・ルッキーニ少尉。
第2中隊はティウ・キュイク少尉。
第3中隊のリュシオン・ティエリ少尉、アヴドゥル・ラミト少尉。
乗機を失った者は、私の中国以来の親友の朱文怜中尉、第1に移動したユーリア・アストラール少尉、アリッサ・ミラン少尉、そしてヴェロニカ・リッピ中尉。
『衛士はいるけど、機体が無い』状態が続いている。 予定では今夜入港する補給船団で予備機を揚陸する予定だと聞いているけれど。
なもので、この4人は今、管制の手伝いや、医療班の助手の助手をしている。 ブラブラとヒマしている部署はどこも無いのね。
「はふ・・・」
待機所から出て、駐機場を見ていると欠伸が出る。 どうしても眠りが浅いのだ。 睡眠導入剤を貰っているんだけれど、何ともね・・・
「疲れた? 翠華」
ふと振り向くと、ギュゼルとヴェロニカ。 2人とも疲れている様ね。
「平気、これくらい。 2人は?」
「大丈夫よ」 「へっちゃら、へっちゃら」
お互い無理して笑う。 無理にでも笑う。
その時、跳躍ユニットの轟音が聞こえてきた。
独特の重低音。 トーネードのRBBシリーズの音じゃないわね。 これは多分、GEのF110シリーズ。
「見て、F-15Eよ」
ギュゼルが、夕焼けの空の一角を指す。
真っ赤に燃えた様な空をバックに、一群の戦術機が飛行している。 近づく、降着態勢に入ったのだ。
「ああ、『スピリッツ』ね。 1、2、3、・・・ 14、15、16 16機。 中隊全機帰還ね、流石」
数を数えたヴェロニカの言葉に内心ホッとする。 全機帰還、無事だったのね。
やがて見事な編隊降着を決めて、16機全機が舞い降りた。 そのまま待機列線まで移動し、衛士達が下りてくる。
皆疲れ切った表情だった。 私達の中隊は、今日は2回出撃だけど。 彼等は既に本日3回目の出撃をこなしていたのだった。
連日4、5回の出撃を繰り返す、基地で最も酷使される部隊になっていた。
衛士達とすれ違う。 お互い敬礼はするけど、正直あまり馴染みの無い衛士達ばかり。
「あ、直人!」
ヴェロニカが久賀直人中尉を見つける。 彼は見知った顔、以前同じ大隊だった仲間。
「・・・おう。 そっちも無事だったか。 悪いが、後にしてくれ。 兎に角休みたい・・・」
直人は憔悴した表情だ。 彼とて歴戦の衛士。 こんな表情は見た事が無い。
引き摺るような足取りで、待機所へ歩き去って行った。
先程の駐機場を見ると、4人の衛士が固まって何やら話している。
1人は確か中隊長のジョルト中尉。 他は・・・ コリンズ中尉に、あ、圭介が居る。 そして・・・ 直衛もいた。 指揮官同士の打ち合わせかな?
やがて4人ともこちらに向かって来た。
「お疲れ様」
「ん・・・」
「大変・・・ だったの?」
「・・・ん」
直衛は声を出すのも辛いみたい。 圭介も無言だし。
「直衛、圭介。 待機所、借りているわよ?」
ギュゼルが声をかけるけど、只無言で頷くだけ。
不意にまた爆音が聞こえた。
振り向くと、A-5駐機場へ向かって降着態勢に入ろうとしているMig-29Mの編隊。
「・・・8、9、10機。 『ヴィリニュス』か。 さっき増援に駆け付けた時は、11機居たのにな」
圭介の呟きが耳に入った。
「喰われたか。 あの後、戦闘でもあったか」
「どこもかしこも、混戦さ。 どこまで本番で、どこから幕間か判らん」
コリンズ中尉の何気ない言葉に、ジョルト中尉が疲れに皮肉を滲ませたような口調で、吐き捨てるように言った。
「・・・多分、3小隊の2番機。 跳躍ユニットがイカレているぞ」
無表情で編隊を凝視していた直衛が抑揚のない声で呟き、皆が振り返る。
言われてみれば1機、挙動が怪しい機体が有る。 拙いわね、下手に降着態勢でユニットが停止したら、ティウの様に・・・
「ッ! 馬鹿がっ!」
直衛が急に怒気を含んだ声を出した。
出力の不安定な2番機をサポートしようと、3番機が近づいた時。 2番機のユニットが小さな爆発音を起こし―――2番機は咄嗟に3番機に掴みかかり。
2機は絡み合ったままの状態で、そのまま地上に激突。 爆炎と爆音を残して飛散したのだ。
「あ・・・」 「くっ・・・」
ギュゼルとヴェロニカも目前の事故に表情を歪めている。 かく言う私もそうだっただろう。
反対に、『スピリッツ』の4人は対照的だった。 無表情でその光景を眺めている。
そしてそのまま踵を返して立ち去る時。
「―――無能め」
誰かがそう言った。 聞こえた。
「―――無能ですって!? 誰よ、今言ったのはっ!!」
ヴェロニカが激昂した。 ギュゼルも聞こえた言葉に気を害した表情だ。
私は信じられなかった。 今の声、聞き間違える筈が無い―――直衛の声だ。
「無能だから、無能と言った。 聞き取れなかったか? ヴェロニカ?」
「直衛・・・ 貴方・・・!!」
「1機減る毎に、俺達が地獄の穴埋めをする機会が1回増える」
「こっちもボランティアじゃ無いんだ、プロならプロらしく、最後は1人でくたばれ」
「味方を巻き添えにしやがって。 それを制止出来なかった指揮官も無能者だな」
ジョルト中尉にコリンズ中尉、それに圭介も同じような抑揚のない声で罵倒する。
突破されそうになる防衛線の増援に、遅滞後衛戦闘、いつの間にか浸透してきた小型種の掃討。
確かに『スピリッツ』の任務は激務だけれど、こんな荒んだ雰囲気の部隊だったかしら・・・?
他の3人が待機所へ向かう中、直衛だけが未だにA-5に立ち上る黒煙を見つめていた。
「・・・直衛?」
「時折、意識が飛びそうになる」
不意に直衛がポツリと漏らす。
「我に返った時、思わず素に戻ってしまう。 戦場でだ、あれはキツイ・・・」
1日の出撃回数。 1回の出撃での交戦回数。 共に群を抜いている部隊。
その意味する所は、死を意識しなければならない回数の多さと、その間隔の短さ。
人は戦場での強さを、先天的に備えている訳じゃないわ。 それは努力して身に纏うもの。
自身を鼓舞して、恐怖を捻じ込んで。 そして戦意を高めて闘志をかき立てる。
そして死闘が終わった一瞬は、その闘志も思わず抜けてしまう程。 それが対BETA戦の実状。
私達前線張り付き部隊は、まだインターバルが有る。 その間に再び自身を鼓舞して、闘志を練り直して・・・
でも、彼等は次から次へと、異なる状況の戦場へ投入され続ける。 絶対固守、遅滞防衛、攻勢。
上手く気を抜くタイミングが有れば良いけれど、無ければ異常な精神状態のままに次の戦場へ投入される。
そして不意に集中力が抜ける時が来る。 直衛が言っているのはそう言う時の事。
「だから、無性に腹が立つ。―――手前勝手な感情だけどな」
そう言って、直衛も待機所へ無言のまま向かって行った。
やがて待機所に入るやいなや、直衛は年若い連絡兵の1人に『1時間したら、叩き起こせ』と言ったきり、ソファに倒れ込むようにして眠ってしまった。
他の衛士達も同じように、泥の様に眠っている。 例え1時間でも、30分でも、休める時には徹底的に休む。 彼等も最前線の衛士達だった。
直衛のソファに寄りかかって、寝顔を見る。
最近は彼が大人っぽくなったように見える。 さっきの様子なんか、今まで見た事が無い。 何だか取り残されたような気分になったものだけど。
こうして寝顔を見ていると、初めて出会った頃の彼そのままの様な気もする。
「・・・やっぱり、好きだな・・・」
最近、色んな想いが有って意識的に避けてきたのだけれど。 やっぱり、その気持ちは変わらないようだ。
「でも、このままじゃ・・・」
『好き』は、『愛している』と類似だけど、同意じゃない。 そう、同じじゃないのよ、翠華。
何だか、私も眠くなってきた。 疲れているし・・・
「翠華、あの娘。 あのままでいいかしら?」
ヴェロニカ・リッピ中尉が待機所を振り返って呟く。
「良いのじゃない? あの娘も最近、張りつめていたし。 それに・・・」
「それに、あんな安心そうな寝顔されたんじゃね。 いいでしょ、小1時間くらい、一緒に寝かしといてあげましょ」
1996年4月24日 1830 北フランス カレー前進基地 『スピリッツ』中隊待機所
前の出撃から帰還してすぐ、倒れ込むように眠ってしまって1時間。 起きてから50分。
最新の戦域情報を確認して、機体の整備状態をチェックし、クソ不味い野戦食を水で流しこんで腹ごしらえをする。
にしても、目が覚めた時に回りの連中からニヤニヤされたが、訳が判らん。 何かいい香りがしていたが・・・?
「増援? どこから!?」
思わず大きな声を上げてしまったが、いいだろう、別に。
増援が来ると判れば士気も上がる。 ならば多少オーバーなアクションも必要とされるのだ、指揮官には。
「欧州連合軍がスケジュールを前倒しにしたのか?」
圭介が身を乗り出して確認する。
「それは無いな」
マイケルが一刀に切り捨てる。
「頑固のジョンブルと、几帳面が生き甲斐のクラウドが手を組んで、傲岸不遜のカエル喰いを動かそうと言うんだ。
遅れる事は無いが、早まる事は断じてあり得ない」
「君も英国籍じゃないか、マイケル?」
イルハンが茶化す。
途端に憮然とした表情で、マイケルが言い返す。
「一緒にしないでくれ、僕はアイルランド人だ。 誇り高いケルトの民だ。 あんな喰い詰め者のアングロ・サクソンと同じに見ないで欲しいな」
周りの者は、そんな表情をニヤニヤしながら眺めている。
「マイケルの主張は置いておいて。 真面目な話、スカパ・フロー(英海軍艦隊泊地)の連中がようやく腰を上げた」
中隊長のエルデイ・ジョルト中尉が、疲れた声で説明する。
「スカパ・フロー? 英海軍の母艦部隊?」
「そうだ、周防。 ドイツとフランスの母艦部隊も、ローサイス(スコットランド・フォース湾の軍港)からお供でお出ましだ」
「やっとかよ」 「母艦部隊が、戦艦部隊より遅いって、どう言う了見だ?」
皆が口々に不満を漏らす。
だが決して不満では無いのだ、小躍りしたい程に嬉しいのだ。 だがそれをおくびにも見せる事は『最前線の流儀に悖る』
皆、救いようのない見栄っ張りの大馬鹿共だ。 ―――俺もだけど。
「でも、どうして今まで?」
イルハンが疑問を口にした。 そう、どうして今まで。 逆に言えば、どうして今になって。
「狐の孫―――モンティさ」
ああ――― エルデイの一言で皆、納得した。
要は頑固頑迷な欧州連合軍の南部方面軍集団司令官、あのおっさんが交替したお陰か。
3日前の唐突な人事だ。
それまで欧州連合軍、南部方面軍集団司令官だったウィルフレッド・ヒュー・モントゴメリー英陸軍大将が、英国陸軍参謀本部次長に『栄転』した。 後釜はパトリック・デイヴィッド・スリム英陸軍大将。
これは今まで問題視されていた『3つの呪縛』が絡んだ、いや、解決しようとした結果だと、欧州では囁かれている。
モントゴメリー大将は、彼の祖父同様『モンティ』の愛称で呼ばれていたが、これには少々、いや、かなり否定的な意味が込められていた。
『心配性』、『前例主義』、『超保守派』、『傲慢』、etc・・・ 中には英国人気質そのモノの言葉も有るが。
兎に角、何が何でも自分の『名誉』を第1に考えるきらいが有った。 この場合、『自己満足』と同意である。
そしてすべてを独占したがった。 今回、海軍の母艦戦術機甲部隊の指揮権を要求したのも、その一例だ。
そしてその石橋を叩きまくって、充填剤で補強しまくってようやく渡ろうとする性格!
今回、欧州連合軍の大半が既にイングランド南部に展開しているにも拘らず、出撃していない理由は何か?
未だフランスの海外県展開部隊が、英国に到着していないからだ。 モンティがそれを問題視した為だ。
「―――『マティーニをくれ』―――」 「―――『モントゴメリー将軍で』―――」
俺の言葉に、ライアンが合の手を入れる。
「ヘミングウェイか」
圭介が笑う。
彼の小説で、主人公がバーテンダーにマティーニを注文する時のセリフだ。
ジン15に、ベルモット1の割合のハードなドライ・マティーニの事だが。
これはモンティの祖父が戦力比15:1になるまで、攻勢を開始しなかった事に引っ掛けたものだ。
孫も祖父同様、ハードなドライ・マティーニがお好みの性格だった。
そしてもう一つ問題が有った。
欧州諸国に見られる傾向だが、元々欧州の空軍は、陸軍航空隊を母体にしている。
そして第2次世界大戦の頃のドイツの様に、『空を飛ぶ兵器は全て空軍の管轄!』と言う暴論を言い張る将軍も出る始末。
日米で発展した空母機動部隊は、欧州海軍では発展しなかった。 海軍機の整備に、空軍が横槍を入れ続けたからだ。
そしてその風潮は今も続く。
BETA大戦以降、各国の空軍は陸軍に吸収されて戦術機甲部隊となるか、航空宇宙軍に改編されていった。
そして陸軍に『再吸収』された旧空軍系の高級将校たちは、またもや先祖返りの様に言い出したのだ、『戦術機は全て陸軍の管轄!』だと。
モンティも、そんな一人だった。
「モルヒネ中毒のデブっちょが、あの世で感心しているとよ」
「何せ同じ弊害やらかしたのに、方や死刑宣告の末に服毒自殺、方や『栄転』だからな」
お陰さまで欧州海軍の母艦戦術機甲部隊は、日米に比較して貧弱だった。
最も、欧州陥落後は海軍の重要性が飛躍的に高まった為、海軍母艦戦術機甲部隊の重要性も高まり、急ピッチで整備が進んでいるが。
それでも先行勢力の日米両国海軍には及ばない。
最後の問題は、激情家だったモンティの性格だ。 これからやってくる米軍との関係上で。
傲岸不遜のモンティと、唯我独尊のヤンキー。 BETAに負ける前に内輪揉めで滅亡するな、確実に。
そこでより常識的な性格で、協調性もあるスリム大将が選ばれたと言う事か。
モンティと違い、現代戦にも良く理解のある大将だと、評判の人物だ。
「で、スリム大将。 着任してすぐの仕事が母艦部隊の指揮権云々を、海軍側に全て戻すって事だったのさ。
お陰でスカパ・フローのフィリップス提督(フィリップス英海軍中将)、喜び勇んで出撃したそうだ。
途中のローサイスで独仏の母艦部隊を拾ってな。 あと数時間で攻撃可能圏内らしい」
ネタの仕入れ主のエルデイが増援のネタを明かす、と言うか、バラす。
「それは有り難いけどな・・・ でもモンティの野郎、今度は参謀本部から横槍入れないかね?」
元々、北アイルランド出身で英軍からの出向組であるマイケルが、眉を顰める。 色々苦労してきたようだ。
「それはないだろう。 今、総参謀長はアラン・ロバート・ブルック元帥だ。 やり手の人だ。
元帥が参謀本部の全てを掌握しているから、実は次長は何もする事が無い。 態の良い『左遷』さ、モンティは」
やはり英軍出身のエイモンの、皮肉たっぷりの口調に皆が笑う。
その中にはホッとした安堵感も有った事は確かだ。 これで欧州連合の連中も、積極的に協同してくれるんじゃないかという期待。
何せ、エルデイが仕入れてきたネタには、『これで我々も、現代戦が出来る!』と、とある英軍将校が泣いて喜んだという噂も有った程だしな。
「ま、モンティの事は遠い過去に仕舞っておくとして」
「大英博物館にでも展示しろ。 『最近発掘された過去の遺物』だってな」 「茶化すな、馬鹿」
「海軍戦術機が増援か。 確か英海軍はF-4K (ファントム FG.1)だったな」
第1世代機のF-4Jを英国海軍向けに改修した機体だ。
今は主機を性能向上型とし、跳躍ユニットも初期のR&R社製RB-168-25RスペイMk.202から、RB-177-30RスペイMk.252に換装。
アビオニクスも最新型を搭載した、準第2世代機相当になっている。
「ああ、出撃したのはクィーン・エリザベスとセントー級が3隻で、合計214機。 戦術機甲5個から6個大隊規模か」
「ドイツはF-4F? あの米海軍仕様の」
「そう、ブロック221。 これも第2世代機相当だな。 ドイツ海軍は中型母艦が確か2隻か。 96機、増強2個大隊規模」
「東ドイツに小型母艦が無かったか?」
「戦力外通告、受けたらしい」
「フランスは? ・・・ああ、あれか、『シュペルエタンダール』か」
フランスの国産戦術機、海軍戦術機である。 元々はF-5改良型ライセンス機・ミラージュⅢから派生している。
陸軍機はミラージュⅢからミラージュF1(評価試験機のみ)を経て、現行主力機のミラージュ2000へと発展して行った。
対して海軍機はミラージュと同じダッスオーが手掛け、ミラージュⅢをベースに、『エタンダールⅣ』を開発(但し50機の発注のみ)
そしてこの『エタンダールⅣ』の改良発展型が、フランスのもう一つの第2世代戦術機、『シュペルエタンダール』となった。
「出張って来ているのは、『シャルル・ド・ゴール』か?」
「ようやくモンティの頑固おやじが居なくなったと思いきや。 今度はフランスゴーリストのお出ましだ」
「それでも良いよ。 60機搭載しているのなら、大歓迎」
「聖女様は?」
「あん? 『ジャンヌ・ダルク』か? あれは練習母艦だ」
兎に角も、海軍母艦戦術機甲部隊が合計370機。 日付が変わる頃には到着する予定だった。
「これで、米軍が来るまで足掻く事が出来るな」
「ああ、明日の正午前にはアメリカの5個大隊、180機も到着する。
今の時点で稼働機数は300機を割った。 多分日付が変わる頃には250機位か・・・
増援の海軍が370機、損耗率計算しても500機以上で明日の朝を迎える事が出来る。 それに180機・・・」
「700機近い戦術機戦力が有れば、米軍主力到着までは持ち堪えてやるよ」
嬉しい誤算だ。 本当に嬉しい誤算だった。
他人の不幸がこんなに嬉しいなんて! 今だったらモンティの靴の裏でさえ、キスしてやるぞ!
1996年4月25日 1930 カレー最終防衛線内周部 国連軍第4砲兵連隊(英国第4砲兵連隊)
「C.O(Commanding Officer:指揮担当士官)、砲撃準備完了」
連隊作戦幕僚の大尉から報告を受けた、バーナード・ヒュー・クレスター英国陸軍中佐は、僅かに頷いた後でまた、彼方の漆黒を見つめ直した。
今朝方カレーに揚陸され、ようやくの事であの忌々しいBETAに対して砲火を浴びせかけてやる事が出来たのだ。
思えば85年の敗走時以来、英国陸軍砲兵軍団がBETAへ砲撃をかけた事は無かった。
戦力回復の名目で出撃が厳禁され、大陸側への間引き攻撃はもっぱら海軍と、陸軍戦術機甲部隊、そして国連軍に任せっ切りだったのだ。
忸怩たる思いが無い筈が無い。 あの時、ロンドン手前で部隊が壊滅したあの日。 忘れはしないだろう、あの悔しさは。
であればこそ、先行派遣の命令を受けたクレスター中佐は、内心で小躍りした。 再びBETAに散々に砲弾をブチ込んでやる機会を得たのだ。
今回、国連軍へ『出向』で先行派兵された部隊は、殆どが砲兵軍団の所属部隊だ。
彼の第4砲兵連隊、第14砲兵連隊、第26砲兵連隊、第32砲兵連隊、第40砲兵連隊、第47砲兵連隊。 都合6個砲兵連隊。
連隊は最新の52 口径 155 mm自走砲『AS-90ブレイブハート』を21輛(3個中隊)と、MLRSを8輛(1個中隊)装備している。
カレー方面の火力支援には第4砲兵連隊を含む、英国砲兵6個連隊が配備されている。
因みに英国陸軍砲兵連隊は、『大隊』という組織を持たない。 砲兵連隊は実質的に、機甲野戦砲兵大隊規模の部隊だ。
そしてダンケルク方面へは西ドイツ陸軍から2個装甲砲兵連隊(『PzH 2000』155mm自走砲)と、東ドイツ軍の1個装甲防空連隊(MLRS)が。
ブーロニュ・シュル・メール方面はフランス軍から、英国駐留の第40機甲砲兵連隊、第68アフリカ砲兵連隊(『AMX-30 AuF1』155mm自走砲)が。
それぞれ先行派兵部隊として、火力支援を行うべく大陸側へ緊急展開。 BETAへ砲火を浴びせかけていた。
「この時を、どれ程待ちわびたか」
「作戦幕僚、逸るな。 紳士たる者、何時、如何なる時も冷静に、だ。 しかし、この誉。 『シェフ』殿も喜ばれような」
「ええ、何と言っても『ご自分の連隊』が、再びBETAへその雷を見舞うのですから」
『シェフ』、そして『ご自分の連隊』―――これは英国陸軍の特異性のひとつである。
英国陸軍において、『連隊』の形式上の所有者は連合王国ではなく、女王陛下でも無い。 『シェフ(Colonel-in-Chief)』である。
『シェフ』とは、かつて私財でもって連隊を養った実際上の所有者である。 中世以降、『連隊』は、『シェフ』の私兵集団であった。
更には国王(女王)以外の外国王族の『シェフ』も存在する。 欧州の複雑怪奇を極める、王族間の婚姻の賜物だった。
英国において、海軍、航空宇宙軍(旧空軍)はその名称に“Royal” すなわち王立の文字が付き、王権に基づく単一かつ国王(女王)に所属する軍隊であるのに対し。
陸軍は議会の許可に基づいて編成され、飽くまでも“British”を冠するものが正式名称である。
これは名誉革命後に権利の章典が成立して以来、議会の許可なく平時における常備陸軍を編成することが禁止された事。
そして一定期間毎に“臨時に”陸軍を編成する許可を、議会が可決する必要があった事に由来する。
因みに第4砲兵連隊の現『シェフ』は、フィレンシア・デ・ボルボーン・イ・デ・クリスティナ。 スペイン王女にしてパルマ・デ・マリョルカ公爵夫人。
そして英国陸軍全体に共通するが、『連隊長』は実質的に存在しない。
その役目はクレスター中佐の配置である『C.O(Commanding Officer:指揮担当士官)』が、中佐の『副連隊長』として実際に指揮を執る。
これは、英国陸軍において『連隊長』とは功績のあった将官、もしくは王族による形式上の名誉職である事。
そして彼らが連隊の実際の指揮を執ることは、現実ではまず考えられない為である。
現在は流石に形式上であるが、この『シェフ』の下位に『連隊長』がこれまた形式的に存在し、実質を『C.O』が指揮するのが英国陸軍の各連隊である。
「・・・そう言えば、カンタベリーに残してきた部隊。 未だに噛みついているのかな?」
「らしいですな。 まぁ、流石に出せませんよ、あの部隊は」
砲兵部隊と共に、国連軍への『先行派兵』部隊としてカンタベリーに進駐したかの部隊は、あろうことか当の国連軍直々に出撃を止められているのである。
少しでも多くの兵力が欲しいこの状況でだ。
「如何に陛下直々の勅命で有ろうと、『あれ』は流石にな」
かの部隊のC.Oは、未だに噛みついているのであろうな。 クレスター中佐はふと、そんな事を考えていた。
『彼女』は、白磁の肌を紅潮させて、さぞや派手に噛みついている事であろう・・・
155mm砲が、高初速砲独特の甲高い発射音をたてて砲弾を彼方へと叩き込む。
1発でも多くの砲弾を。 1秒でも早く。 1分でも長く目標へ叩き込み続ける事。
地味な作業であるが、彼らの支援無くして戦線は支えられないのだ。