1996年4月26日 0730 イギリス海峡 CTF-20(合衆国海軍第2艦隊・第20任務部隊)戦術機母艦『ジェラルド・R・フォード』
右舷艦尾近く。 比較的コンパクトに纏められた艦橋構造物―――アイランドの頂点から『神託』が下る。
『エア・ボス(飛行長)より“Diamondbacks”(ダイヤモンドバックス:VFA-102。第102戦術機甲飛行隊)、発艦を許可する。 オーヴァー』
『ダイヤモンドバックス・リード、ラジャ。 リードより発艦する。 オーヴァー』
『OK、ダイヤモンドバックス。 全員帰還しろよ? でないと軍法会議に送ってやるぞ?』
飛行長のセリフに、指揮官は思わず苦笑する。
『帰還せず』とはすなわち戦死と同意だ。 今更軍法会議も何もない。
飛行長の声に滲んでいた含み笑いが全てを物語っていた。 “全員、何としても無事に戻って来てくれ” 彼の本心だろう。
網膜スクリーンの中、イエロージャケットの誘導員が誘導方向に合図を送っている。
指揮官は戦術機の右腕をL字に曲げ、上下に振る。―――脚部ロックを外せ。
誘導員は注意深く主脚に取り付けてあったロック解除ボタンを操作し、固定が外れたのを確認。 元の位置に戻り、右腕を水平に伸ばしてサム・アップする。
そして別の誘導員を指し示す。 誘導引き継ぎ。
誘導員が両腕を肘から先だけ上に曲げ、前後に揺らす。―――前進せよ。
『タキシング―――デッキ・アプローチ』
スティックに設けられたオート・ラン・ボタンを作動位置に入れる。 ゆっくりと歩き出す戦術機。
誘導員の指示に従い、機体を発進甲板前部に設けられた2基のカタパルト、その左舷側真後ろへ進入さす。
レッドジャケットの兵装要員が機体各部の目視点検を行う。
搭載装備―――問題無し。 機体状態―――問題無し。
兵装要員が機体から離れるのを確認したグリーンジャケットのカタパルトクルーが、射出重量の書かれたボードを衛士とカタパルト・コントロール・ステーションに示す。
指揮官は網膜スクリーンの機体情報エリアからその数字を確認。 機体の右腕を前に突きだし、肘から先を2度、上に曲げて同じ値である事を合図する。
衛士とコントロール・ステーションの確認を取り、この重量に合わせたカタパルト蒸気圧がセッティングされる。
先ほどとは別のカタパルトクルーが、制御用のトレイルバーを主脚につける。
衛士はスティックの別のボタンを押し、機体のランチバーを下ろし、カタパルトクルーがこれを、カタパルトシャトルのスプレーダーにくわえ込ませる。
―――発艦準備が完了した。
JBD(ジェット・ブラスト・ディフレクター)が立つ。
カタパルト・オフィサーが右手の人差し指と中指でV字を作って合図する。 常用定格推力(ミリタリー推力)―――A/Bを使用しない最大推力だ。
指揮官はスロットルをミリタリーまで押し込む。 2基のF414-GE-400が咆哮を上げた。
推力値を確認し、異常が無い事を確かめ、網膜スクリーンに映るカタパルト・オフィサーに大きく敬礼を送る。
これを合図に、カタパルト・オフィサーが大きく脚を曲げ、甲板に倒れ込むようにしながら手を振りおろしカタパルト操作員に合図を送る。
カタパルト操作員が射出ボタンを押し―――カタパルト作動。 射出。
機体は2秒の間に300km/hまで加速され、猛烈なGを衛士に加えながら中空へと舞い上がってゆく。
振り向いて母艦を見ると、既に2番機がカタパルトにセッティングされていた。
僚艦の『ジョージ・ワシントン』、『ジョン・C・ステニス』からも、 “Golden Dragons”(VFA-192:第192戦術機甲飛行隊)、 “Dambusters”(VFA-195:第195戦術機甲飛行隊)が発艦しつつあった。
15分後、全機発艦を終えたVFA-102“Diamondbacks”、16機のF/A-18E(Block 2)は一路内陸を目指す。
専用の可動兵装担架システムに、比較的大型のミサイル・セル・ユニットを2基背負っているのが特徴的だった。
『リードより各機、目標、カレー第2防衛線前方5kmのBETA群。 陸軍が相手にしている。 先程ドラ猫(F-14D)がフェニックスをお見舞いしているが、数が多い。
最後に仕上げは我々が締める、いいな!?』
『『『 ラジャ! 』』』
やがて目標から80km地点に達する。 衛星情報リンクで目標の座標は掴んでいる、既にロックオンした状態だ。
そして75km地点、ミサイルに『火を入れる』様に指示を出す。 兵装担架システム起動。
70km地点―――『各機、AMRAAM(AIM-120C 中距離空対地ミサイル)発射!』
1ユニット6セルから構成されるミサイルユニット2基から、1機当り12発のAMRAAMが発射される。 16機合計で192発。
アクティブレーダーホーミングによるレーザー誘導弾が、音速の6倍の早さで低空を突進してゆく。
F-14Dに搭載されるフェニックスミサイルに比べると、小型で威力も劣る。 反面、小型・軽量故に搭載弾数は倍となり、自律誘導性能、飛翔速度は大幅に向上した。
射程距離70-80kmで『撃ちっ放し』能力が有る為、光線級のレーザー照射を直接気にしない位置から攻撃が可能になっている。
戦術MAPにミサイルを示すマーカーと、BETA群が映し出される。―――BETA群は赤色でほぼ塗りつぶされている。
発射後、20秒―――レーザー照射が開始された。 自律回避が起動するも、やや高度が高かった2割程が墜とされる。
25秒―――レーザー照射がいったん止まる、光線級のインターバルだ。 残ったミサイルは70%、134発。
30秒―――インターバルは、後7秒で終わる。 だがこちらの勝ちだ、AMRAAMはマッハ6.0 到達時間は34秒。
戦術MAP上でミサイルのマーカーが、BETA群の中で次々と消滅する。 続いて通信回線から初めて聞く声。
『ハンター01より、ダイヤモンドバックス! オン・ターゲット! 素晴らしい腕前だ、BETA群は吹き飛んだ!』
スクリーン情報には『第1155戦術機甲大隊・B中隊(ハンターズ)』とあった。 恐らく中隊長だろう。
『ダイヤモンドバックスより、ハンターズ。 デリバリーのリクエストはこっちにどうぞ。 ドラ猫より迅速だぞ!
ところで地上戦闘支援は必要無いのか? なんなら戦闘参加も可能だが?』
『ハンター01より、ダイヤモンドバックス。 気遣い感謝する。 が、必要無い。 取りあえず3個中隊の戦力はある。
それより、また支援要請をするかもしれん。 早速母艦に戻って再出撃準備をしてくれないか?』
『人使いの荒い事だ。 ハンターズ、持ち堪えろよ! ああ、それに『グラム』に、『スピリッツ』もな! 健闘を!』
機体を翻して母艦へと向かうF/A-18Eの編隊を見やり、彼は再び戦場に視線を向けて問いかける。
『では、アルトマイエル大尉、ジョルト中尉。 我々は両翼の底としてストッパー役を務めよう。 宜しいか?』
『感謝する、ウォーケン大尉』
『頼みます。 2個中隊じゃ、どうしても穴が出来る。 援軍、感謝しますよ、ウォーケン大尉』
『何、友軍同士、遠慮は無用と思う。―――それに、この様な場所で知人にも再会できた。 ではないかな? 周防中尉?』
アメリカ陸軍第1155戦術機甲大隊・B中隊『ハンターズ』中隊長・アルフレッド・ウォーケン大尉は、網膜スクリーンに映った衛士に語りかける。
東洋系、未だ20代前半くらいの若い顔。 だが、戦場での何かが刻み込まれた顔。
『一瞥以来です、大尉』
『うん。―――はは、今の乗機はストライク・イーグルか?』
『N.Y、一昨年のクリスマス。 ええ、持論は変わりませんが、汎用戦術として認めるに吝かではありませんよ』
『それでいい。 では、始めようか』
その一言を合図に、右翼の『グラム』のトーネードⅡ12機と、左翼の『スピリッツ』のF-15Eの12機が両翼からBETA群に襲いかかる。
突っかかっては引き、引いては突っかかる。 完全な混戦にはしない、あくまで戦闘をコントロールしていた。
『・・・大したものだ。 戦場で冷静さを保っている。 ―――よし、『ハンターズ』! B小隊、左翼の支援砲撃、C小隊は右翼だ!
A小隊は中央部の大型種を集中して狙え!―――ファイア!!』
1996年4月27日 1030 イギリス海峡 カレー沖 合衆国海軍第2艦隊旗艦・戦艦『ユナイテッド・ステーツ』
L50・508mm砲3連装3基、9門の巨砲が唸りを上げて遥かな内陸へ巨弾を送り込む。
僚艦である『オハイオ』、『ニューハンプシャー』、『ルイジアナ』の3隻も、L50・458mm砲3連装3基、9門を槍の如く振り上げ、猛砲撃を加えていた。
「紀伊クラスに対抗して建造された本艦の、最初の実戦砲撃がBETA相手の艦砲射撃とはな・・・」
アレキサンダー・レイモンド・スプルーアンスJr米海軍中将は、艦橋からの眺めを見つつ、苦笑していた。
日本帝国海軍の誇る超々弩級戦艦『紀伊』級。 45口径508mm砲3連装4基12門を備えた、正真正銘のリヴァイアサン。
それに対抗する為に計画されたのが、『ユナイテッド・ステーツ』だった。
砲数こそ、紀伊級の12門に対して9門と、75%であるものの。 紀伊級は45口径、こちらは長砲身の50口径。 発射速度も上回る。
総合的に見て、個艦戦闘能力はほぼ同格と目されている合衆国海軍の象徴。
その艦が、強敵と砲火を結ぶ事を夢見た太平洋上では無く、大西洋―――イギリス海峡でBETAに対してその巨砲を唸らせている。
着弾点は洋上からでは目視し得ない、遥か80kmほど先である。 ロケットアシスト砲弾により、昔とは比較にならない射程距離を得た結果であった。
「閣下、第7軍司令官、バンデクリフト中将より入電です。 『環は繋がった』 以上です」
喜ばしい便りだ。 人類にとって、そしてこの欧州の人間にとって。
このまま後、数時間も猛攻を加えれば、BETA群全ての殲滅は適うであろう。
一昨日の4月25日、1105時 先遣隊である第26任務部隊と、陸軍第38旅団がカレーに上陸を成功させた。
これにより、それまで何とか凌いできた国連欧州軍、及び欧州連合軍(主に海軍)は物理的・時間的余裕を得た事になる。
同日夜半には、第20任務部隊(母艦部隊)が艦隊制限速度無視の突進に次ぐ突進で戦場へ突入。 広域支援を開始した。
明けて翌26日夕刻、米第7軍指揮下の第7軍団がダンケルク北東10kmの海岸線に上陸を開始。
更にその5時間後の26日、2130時。 後続の第9軍団がブーロニュ・シェル・メール南西8kmの海岸線に上陸を果たした。
以来、約12時間にわたり東西から電撃戦を敢行。 今朝に至りようやくの事でBETA群をその環のなかに封じ込める事に成功する。
無論、地中侵攻と言った厄介な可能性も捨てきれない。 だが対応可能であろう。
先程、欧州連合軍南部方面軍集団司令部より、緊急電が入った。 発信者は司令官のパトリック・デイヴィッド・スリム英陸軍大将。
通信内容は、欧州連合軍陸上部隊―――その打撃戦力主力部隊を本日昼過ぎには、大陸側へ急派するという内容だった。
英国陸軍野戦軍(第1、第3、第6師団)、西ドイツ陸軍第1装甲軍団、東ドイツ陸軍第5装甲軍団、フランス陸軍第1機甲師団、第4外人戦術機甲准旅団。
英軍はカレーから上陸し、正面戦力主力を形成する。
ドイツ軍はダンケルク方面、フランス軍はブーロニュ・シェル・メール方面より上陸し、各々第7、第9軍団と協同の予定であった。
洋上よりの支援戦力も大幅に強化された。
戦艦は4カ国合計で15隻。 正規戦術機母艦が10隻。 陸軍を運んだ艦を除く、軽戦術機母艦は12隻(護衛母艦、強襲戦術機揚陸艦を含めると50隻近い)
巡洋艦32隻、駆逐艦50隻以上、フリゲート艦52隻。 ミサイルコンテナ艦は100隻に達する。
300隻近い大艦隊が、イギリス海峡―――ドーヴァー沖合に遊弋していた。
(更に、後方支援の輸送船団を含むと1000隻を超す)
これ程の火力投射量。 そして継戦力。 合衆国あってこそ、合衆国あって初めて実現が可能な『火力の長城』
事実、前線では戦術機甲部隊、機甲部隊、機械化歩兵装甲部隊の積極的交戦を一時的に停止している。
下手に戦場に手を出せば、洋上からの業火に自らが焼き尽くされかねないのだ。
連続した砲撃音、と言う言葉は最早当てはまらない。
腹に響く重低音の轟音が、甲高い飛翔音が、最早一つの音として混じり合って、戦場を支配し続けている。
「閣下、砲撃支援はあと2時間継続いたします。
その後、欧州連合軍地上部隊主力の上陸に前後して、一旦補給を欧州海軍、次いで我が艦隊の順で行います。 再砲撃可能予定、1530 」
「ご苦労」
情報参謀からの報告に一言つぶやいたまま、スプルーアンスJr海軍中将はまた押し黙った。
その姿を見ていた情報参謀は、何やら不安になってきた。―――提督は、何か危惧する所でもあるのだろうか?
作戦は今のところ順調だ。 可能な限り不測の事態に対する備えもした筈だ。 だが、まだ不足しているのか? BETA戦とは厄介なものだが、他に何か?
情報参謀の心配は杞憂だった。 スプルーアンスはただ不満だっただけなのだ。
(―――全く。 本艦、初の実戦砲撃の相手が。 事も有ろうにBETAだったとは!)
1996年4月27日 1440 北フランス カレー前進基地
1群の戦術機が帰還してきた。 機種はF-15E、機数は6機。
『コントロールより、グランドクルー! 『スピリッツ』が帰還する! 応急班待機!』
火を吹いている機体は無い。 跳躍ユニットの爆音がおかしい機体も無い。 負傷している衛士がいる報告も入ってはいない。
だが、それでも万が一の為に応急班が待機する。
やがて8機が次々に駐機場に降り立った。 そのまま待機列線に移動し、衛士が降りてくる。
疲れ果てた表情だ。 無理はないかもしれない。 この部隊は7日半にわたって連日の出撃を敢行してきた部隊だ。 出撃回数、交戦回数ともに最も多い。
その衛士達を迎える者が一人いた。 国連軍制式フライト・ジャケットに身を包んでいる。
右腕を吊るしていた、負傷したのだ。―――中隊長のエルデイ・ジョルト中尉だった。
「ご苦労だった、周防。 ・・・2機足りないな?」
「・・・久賀(久賀直人中尉)と、スタニスワフ(スタニスワフ・レム中尉)が墜とされた。
ああ、2人とも生きている。 米軍の歩兵部隊に救出された。 第9軍団だ、今頃はブーロニュ・シェル・メールに向かっている筈だ」
「負傷は?」
「判らん。 久賀は盛大に罵っていたから、ありゃ、殺しても死にはしないよ。
スタニスワフも、自分から脱出していたから大丈夫だろう。―――圭介の所は?」
「ラカトシュ(ラカトシュ・ゲーザ少尉)と、フィル(フィル・ベネット少尉)が墜とされた。
ラトカシュは重傷だが、生きている。 野戦病院に収容された。 フィルは戦死だ。 要撃級の一撃をモロに喰らったらしい」
暫く2人は無言で歩く。
その内にハンガーから1人の衛士が姿を見せた。―――今日の出撃で、別動隊4機を率いていた長門中尉だった。
「よう・・・ 直衛、大丈夫か?」
「・・・ふらふらだ。 お前は?」
「疲れたよ・・・」
ジョルト中尉は立ち止り、そんな2人の後姿を見ていたが。 不意に大声で言った。
「兵団司令部が発表した! 国連欧州代表部と、欧州連合の合同声明だ! 『Our Finest Hour』だと!」
言った者も、聞いた者も。 暫く無言だったが。
次に声を出した時は、3人一緒だった。
「「「―――クソッ喰らえ!!」」」
待機所は溢れ返っていた。
本来の住人である、俺達『スピリッツ』の他に、米軍の第1155戦術機甲大隊のB中隊(『ハンターズ』)も間借りしているのだ。
急激な人口増加に、基地の造成が追いついていない。
ソファに倒れ込むようにへたり込むと、『同居人』達の隊長であるウォーケン大尉が話しかけてきた。
「どうだ、周防中尉。 前線の様子は?」
「・・・戦術機甲部隊の大半は、開店休業です。 俺達は細々したややっこしい任務が有りますけどね」
―――それで今日、4機喰われた。
本当なら、そうそう簡単に喰われる様な連中じゃ無かった。
もう、疲労も限界なんか、とうに越している。 集中しようにも、集中しきれない。
「・・・今後、『スピリッツ』は後方警戒任務にシフトするそうだ。 今まで酷使され過ぎだ、信じられん程にな。
こんな言葉は、今更だろうが―――ご苦労だった、貴官達の奮戦に敬意を表したい。 では、我々は今から出撃する、君たちはゆっくり休みたまえ」
そのまま、敬礼する暇も無くウォーケン大尉は待機所を出て行った。
ふと、近くのテーブルに目がいく。―――ノートが有った。 手に取ると、それは今日戦死したフィル・ベネット少尉の『詩集』だった。
『I know that I shall meet my fate Somewhere under the clouds;Those that I fight.(僕は大空に浮かぶあの雲の下の何処かで、いずれ死ぬだろう)』
『I do not hate, Those that I guard I do not love.(敵が憎いのでもなく、護るべき人を愛するのでもない)』
『Nor honor, nor duty bade me fight, Nor country, nor my lover,(名誉ではない、義務で戦うのではない。 まして国の為でもない。 ・・・愛する人の為でも)』
『A lonely impulse of delight, Drove to this tumult under the clouds;(静かに湧き上がる衝動が、僕をこの雲の下の戦いに駆り立てるのだ)』
『I balanced all,(すべてを思い起こし、僕は思う)』
『The days to come seemed waste of breath,A waste of breath the days behind In balance with this life, this death.(明日を生きる事に何の価値があるのか。 昨日生きた事も無意味だ。 今のこの、生と死の一瞬と比べたなら)』
ノートを閉じ、ソファに寝転んで目を閉じる。
「―――キツイですか?」
不意に、聞き慣れない声に目を開ける。
見るとまだ若い、20歳位の米軍衛士―――少尉だった―――が、俺の方を見ていた。
少し緊張でこわばった表情だ、恐らくは今回が初陣なのだろう。 そばかすの残る顔に、ぎこちなく笑みを浮かべている。
「今日は・・・ 僕は、出撃し損ねました。 はは、中隊長に、『貴様はまだ早い』って・・・ 戦い損ねましたよ・・・」
(―――まだ、早い、か・・・ )
他の国の連中が聞けばどう思うか、大体想像はつくが。
米国も知っている俺にすれば、それもまた、『アメリカの良心』なのだ。 ウォーケン大尉はそう言う人柄だ。
―――なかなか、他国では理解されにくい事だが。
「・・・明日かもしれない。 今日かもしれない。 その内、嫌という程味わう事になる。―――運が良かったな、貴様」
圭介がぶっきら棒に言って、待機所を出てゆく。
その後ろ姿をぼんやり眺めていると、また聞かれた。
「―――キツイですか? 中尉・・・」
―――正直、今の僕は中隊のミソッカスだ。
搭乗経験は最も浅い。 実戦は未経験。 先任達には『訓練校出たてで、どうしていきなり実戦部隊に配属なんだ!?』などと驚かれた。
他の国はいざ知らず、合衆国じゃ訓練校を卒業しても最低1年間は、練成部隊で扱かれる。
同期生達は皆そうだった。 それなのに、どうして僕はいきなりこの部隊に配属されたのだろうか?
不安でしょうがなかった。 部隊は一足先に欧州へ進出していて、僕は支援要員と一緒に遅れて進出したのだけれど。
着いてみれば、もう殆ど戦闘は終息していたんだ。
ホッとしたけど、まだ判らない。 散発的な小規模戦闘は続いているのだから。 そして戦死者も未だ出ている。
だから聞いてみたかったんだ。
僕の部隊じゃ無い、本来このベースに駐留している国連軍の衛士。 東洋系の若い中尉だった。
多分、僕より2、3歳年上だろう。 東洋系は若く見えるけれど、中尉と言う階級ならその位の年齢だと思ったんだ。
「―――キツイですか? 中尉・・・」
恐る恐る。 隊でこんな事聞いたら、何を言われるか判ったものじゃない。
歴戦だろうと思われる(何しろ、7日間以上も戦い続けた部隊なんだ!)その東洋系の中尉は、ゆっくりと僕の方を向いて。
疲労のにじんだ笑みだったけど。 今の僕には判らない、戦場で何かを刻んだような笑みだったけど。 そして、何となく哀しそうな笑みだったけど。 こう言ったんだ。
「大丈夫だよ。 ―――『 Piece of Cake(これしき)』」
1996年4月29日 国連欧州軍総司令部、欧州連合軍総司令部は、リヨンハイヴ、ブダペストハイヴより飽和した、約8万以上のBETA群の殲滅に成功した、と発表した。
1996年5月10日 国連、欧州連合、アメリカ合衆国合意にて、米国陸軍第7軍が国連欧州方面軍第4軍として、ブリテン島南部へ駐留が決定する。
1996年5月15日 『ドーヴァー・コンプレックス』に、新たにカレー、ダンケルク、ブーロニュ・シェル・メールの3基地を加え、恒久基地化する事を決定した。
1996年6月1日 1300 カンタベリー基地 国連軍第1即応兵団本部
「「「―――転属!?」」」
驚きの声を上げたのは、俺と圭介、そして久賀の3人。
いきなり兵団本部に呼び出され(中隊は本部直轄だから不思議ではない)、あろうことか兵団長であるブロウニコスキー少将直々に、転属命令を言い渡されるとは。
「うむ。 貴官達がこの地に赴任して2年と8カ月。 本来の貴官達の戦場は極東戦線であるに関わらず、本当に今まで良く戦ってくれた、感謝する」
「「「 はっ! 」」」
最敬礼で返す。 兵団長などと、今まで直接話しした事も無い人だ。
「しかしながら、所属中隊は解隊だ。 戦死3名、負傷して衛士資格を喪った者が2名。 残った者も皆、他の部隊へ転属が決まった」
欧州出身者は、それぞれの母国軍への復帰が決まり、先月までに赴任して行った。
トルコ軍出身のイルハンもまた、明日にはエジプトへ出立する。 中東連合軍に属するトルコ軍への復帰だ。
・・・そう言えば、イルハンのヤツ。 ギュゼルを口説いていたけど、どうなったのかな?
「当初は、貴官達の古巣―――第88大隊―――への復帰を考えていたのだが。 アルトマイエル大尉がな・・・」
「―――大尉が?」
「『そろそろ、帰してやって欲しい』とな。 元をただせば、彼がこの欧州へ引っ張ってきた人材だ、貴官達は。
この先、いずれ戦いが続くのならば。 せめて祖国を護る戦いに戻してやって欲しい、そう言ってきてな」
―――極東に戻っても、暫く・・・ そう、数カ月は国連極東方面軍の所属だが。 遅くとも秋には日本軍への復帰が叶うだろう。
ブロウニコスキー少将の、その言葉が未だ信じられなかった。
そう、俺達は3人とも半ば諦めかけていた。 祖国への復帰を。
いずれ、この欧州のどこかで戦死するのではないか。 多分、そんな末路なのではないかと、思い始めていたのだ。
本部を出て、並木道を歩いている間も信じられない気分だった。
「・・・信じらんねぇ・・・」
久賀が茫然と呟く。
「まさか、新手の詐欺なんかじゃないよな?」
圭介も茫然としている。
「・・・今、夢か? 現実か・・・?」
俺自身、自信が無い。
3人で茫然としていると、不意に声を掛けられた。 いや、頭を叩かれた。
「痛ってぇなぁ! 誰だ!?」
「俺だぁ!」
見ると、ファビオだった。
「よう、聞いたぜ? 極東に戻るんだってな? いや、良かったじゃねぇか!!」
「ファビオ、お前・・・」
「何だ、何だ? しんみりしやがって! 向うはお前らのホームだろうがよ!? もっと嬉しそうにしなって!」
「あ、ああ。 だけどよ・・・」
久賀が言いにくそうに口ごもる。 俺も圭介もだ。
言いたい事は3人とも同じ。
「あぁ~ん? ・・・ひょっとして。 お前ら、後ろめたいとか思ってないよな?」
―――うっ! 鋭いじゃねぇか・・・
「ばぁ~か! そりゃ違うぜ? 俺は寧ろ嬉しい! それに感謝もしている。 お前達が欧州で戦ってくれた事にな! お前達と戦えた事にな!
俺は、俺の大切な人の為に、人達の為に、この地で戦っている。 それを誇りにしている。 だからこそ、戦える!
だからお前達も、お前達の大切な人の為に、大切な事の為に、極東で戦え! 俺はそれが嬉しいんだよ! ―――おれもこっちで戦うからよ!」
「ファビオ・・・」
もう、これ以上ないってくらい、カラッカラの笑顔でそう言い切るファビオ。
そうだったな、お前はあの南満州で、お前の戦う意味を話していたな。 その場所がここだったよな。
色々、世話になったな。 初めてこっちで出来た友だった。
一緒に苦戦したな。 一緒に苦労したな。 馬鹿な事も一緒だったな。 ―――有難う。
「ああ、そうだな。 俺達は極東で戦う。 お前はこの欧州で戦い抜いてくれ。―――有難う、戦友。 またな」
途中でギュゼルとヴェロニカに出会った。
「良かったわ、本当に、良かった」
良い笑顔でギュゼルがそう言ってくれた。
最初は同僚、次いで補佐役をしてくれた。 本当に、彼女がいなかったらどうなっていただろう?
今ではすっかり、歴戦の指揮官になっている。 でも、彼女の本質は全く変わっていない。 良く気が付いて、世話好き。 かけがえのない戦友だ。
「ふ、ふん! 良かったじゃない、国に帰れて・・・」
ヴェロニカは・・・ なんだか、最後まで彼女の事は判らない。 俺、何か悪い事でもしたかな?
でも、それでも何かと気にしてくれていたな。 有難う。 ―――イタリア、何時の日か奪回出来れば良いな。
ミン・メイに出会う。 負傷した後任衛士を病院に見舞った帰りだとか。
「何とかねぇ、無事に退院できそうなんだよ! 衛士資格も失わずに済みそうだって! 良かったよぉ~!」
ニコニコ、ニコニコ。 相変わらず、癒されるな。
彼女はもう暫く欧州に居るつもりらしい。
「だってね。 せめて、あの娘の面倒位は見てあげなきゃね!」
件の後任衛士の事だ。 ミン・メイ曰く『ほっとけない』らしい。 しかし、ミン・メイにそうまで言わすとは・・・?
案外、妹みたいに思っているんじゃないかな?
「だからぁ! いい加減、『フローレス』って呼べよ!」
「アンタなんか、『フローラ』で十分よっ!」
フローレスとアリッサに出くわす。 この2人、変わっていないな。
隊は変わったらしいが、いつも2人で見かける。 ひょっとして・・・?
「隊長! そんな縁起でもない事、言わないで下さいよっ!」
「何が、『縁起でも無い』よっ! それは私のセリフ! そうでしょ!? 隊長!!」
「おい、俺はもう、お前達の『隊長』じゃないぞ・・・?」
「判ってますよ。 でも、『隊長』は、『隊長』なんです」 「そう、そう!」
「やれやれ・・・ これはギュゼルも相当苦労したかな・・・? フローレス、アリッサ、もう十分だな。 2人とも中尉になった事だしな」
そう、この2人は今日付けで中尉に進級している。 あの、危なっかしかった新米達が・・・
「へへ・・・ やっと、『フローレス』って呼んで貰えましたよ」
当然だろう? 十分歴戦になったよ、お前も。
・・・ん? アリッサが大人しいな?
「あ、あは・・・ つい、リュシエンヌを思い出しちゃって・・・ スミマセンッ! 私、用事が有りますのでこれで!
隊長! 極東に行っても時々思い出して下さい、私達の事! 思い出してやって下さい、あの娘の事! それじゃ!!」
「あ、おい! アリッサ!? っと、スミマセン、失礼します、隊長!」
―――まるで、暴風の様に過ぎ去って行きやがった・・・
「忘れないさ・・・ 最初の部下だ。 最初に喪った部下だ。 最初に手放しちまった部下だ。
済まなかった・・・ 有難う。 忘れないさ・・・」
「周防」
呼び止められた先に、アルトマイエル大尉が立っていた。 敬礼する。
―――少し、印象が変わったか?
「長門と、久賀は?」
「長門中尉は、第3中隊に。 久賀中尉は、第1中隊に顔を出しております」
「そうか、古巣だしな。 積もる話も有るだろう」
何となく、話が進まない。
本当だったら、いくらでも話す事が有った筈の人なのにな。
そんな事を考えていた為か。 口に出た言葉は・・・
「―――大尉。 今更ながらですが、ニコールの事・・・「周防」・・・はい?」
「周防、私は道を歩き始めたよ」
そう言ったアルトマイエル大尉の顔は、何と言うか。
澄み切ったと言うか、哀しいと言うか。 それでも穏やかで、瞳には力が宿っていて。
「私は、道を歩き始めたよ。 感謝している、私も、彼女も。 君に。―――君たちに」
(―――君たち?)
「多くは言わん。 感謝する。 そして・・・ いずれ、また会おう」
「・・・はい。 では、またの再会を」
お互いに敬礼して別れる。
お互い振り返らず。―――道を、歩き始める為に。
「周防中尉?」
振り返ると、趙美鳳大尉(6月1日進級)と、朱文怜中尉が居た。 2人とも、何やら大荷物だ。
「趙大尉、朱中尉。 何です? その荷物・・・?」
2人はキョトンとして顔を見合わせ、そして・・・
「何って・・・ 荷造りよ? 向うに帰る為の」
「向う?」
「極東よ。 私も、文怜も。 貴方達と一緒よ、向うに転属なの」
驚いた。 驚いたが、正直嬉しかった。 そうか、彼女達も。 そうか、良かった。
しかし、文怜がなにやら寂しそうな表情をしている。
「・・・でもね。 ねぇ、直衛。 翠華、あの娘を説得してくれない? あの娘、帰らないって言って・・・」
大きな菩提樹の木があった。 別の場所から移してきたそうだ。
歌声が聞こえる。 澄んだ、良く通る綺麗な声だ。
感情が溢れそうなのか、不安定になりそうな歌声だった。
“Ich weiß nicht, was soll es bedeuten, Daß ich so traurig bin;(なじかは知らねど 心わびて)”
“Ein Märchen aus alten Zeiten, Das kommt mir nicht aus dem Sinn.(昔の伝説(つたえ)は そぞろ身に沁む)
風が吹いて、木々が揺れる。
「―――翠華」
彼女に声をかける。
歌声が止んだ。
「・・・この歌ね、『Die Lorelei (ローレライ)』 ニコールが好きだったんだって。 ドイツ語の歌なのにね? 彼女、フランス人なのに」
再び、歌い出す。
“Die Luft ist kühl und es dunkelt, Und ruhig fließt der Rhein;(寥(さび)しく暮れゆく ラインの流れ)”
“Der Gipfel des Berges funkelt、Im Abend sonnen schein.(入日(いりび)に山々 あかく映ゆる)”
「・・・翠華、あのな・・・「私、まだ帰らないから」・・・」
先、越しやがって・・・
「決めたから。 私が、自分で、そう決めたの。 ね? 直衛。 喜んで。 私、自分で決めたの」
振り返って、嬉しそうに微笑んだ翠華は。 また、あの『Die Lorelei 』を口ずさんだ。
何を思っているのか。 何を考えているのか。 本当の所は、俺には判らないだろう。
だけど、良い。 それで良いのかもしれない。―――今は、それで良いと思う。
手を広げて。 薄く眼をつむって。 菩提樹の木を仰ぎ見ながら。 翠華は歌い続けていた。―――『Die Lorelei』 ローレライの歌を。
“Die schönste Jungfrau sitzet, Dort oben wunderbar,”
“Ihr goldnes Geschmeide blitzet, Sie kämmt ihr goldenes Haar.”
もう4年になるのか、初めて出会ってから。
“Sie kämmt es mit goldenem Kamme, Und singt ein Lied dabei;”
“Das hat eine wundersame, Gewaltige Melodei.”
もう、震えて泣いていた君はいない。 どうすべきか判らなかった俺もいない。
“Den Schiffer im kleinen Schiffe, Ergreift es mit wildem Weh;”
“Er schaut nicht die Felsenriffe, Er schaut nur hinauf in die Höh'.”
君は、君が歩きだそうとする道を、君自身で見つけ出したんだね。
“Ich glaube, die Wellen verschlingen, Am Ende Schiffer und Kahn;”
“Und das hat mit ihrem Singen, Die Lorelei getan”
俺は、俺の歩く道を目指すよ。
「・・・またな、翠華」
小さく、小さく呟く。 さよならは言わないでおこう。 そう、さよならじゃ、ないのだから。
来た道を、歩き始める。 緑が濃い季節になっていた。
―――いつまでも、彼女の歌声が聞こえ続けていた。