1996年10月10日 2010 日本帝国副帝都・東京 神楽坂
国鉄の飯田橋駅を降り、外堀通りを早稲田通りに向けて抜ける。 そのまま坂下からの坂を上り歩く。
途中、右に折れて仲通りに入る。 暫くすると右手に芸者新町。 入ると置屋が軒を連ねる。
御座敷に向かう途中か、芸者達がカラン、コロンと鳴らしながら粋にそぞろ歩く。 後ろに半玉がくっついていた。
そんな情緒も、如何にも日本的だ。 もう何年も―――新配属以来だから、4年以上か―――味わっていなかった事を思い出す。
坂をゆっくり歩き、本多横町に突きあたると、そこを右へ。 そして直ぐの道を左に折れた行き当り。―――料亭、『満喜久』の暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ。―――周防大尉でいらっしゃいますね?」
「ああ、そうだ」
「お連れ様方が。 どうぞ、こちらへ」
係の仲居だろうか? 30代半ば位の、妙に艶っぽい仲居に案内されて屋内に入る。
静かな廊下を進むうちに、庭に出た。 山水を模したものか、なかなか見事な庭だ。
やがて仲居は一室の前の廊下で止まり、正座する。
「―――お連れ様が、お見えになられました」
「ああ、入って貰ってくれ」
中から渋い男性の声が聞こえる。
スッ、と障子を開けた仲居が、「どうぞ」と案内してくれた。 部屋の中に入る。
「ああ、酒を持ってきてくれんか? 冷やで良い、4、5本な」 「畏まりました」
またスッ、と背後で障子が閉った微かな音を聞きながら、座に座りこんだ。
目の前には、壮年から初老にかけての男性が3人居る。 いずれも言い知れぬ迫力のある面構えだ。
少なくとも、まともな堅気の仕事に就いている人間の感じでは無いな。 筋者の親分衆か、若しくは・・・
「・・・おい、直衛。 久方ぶりに会った叔父に対して、筋者はなかろう?」
「わざわざ、声に出しおって。 何時からこんな、捻くれた甥になったものか・・・」
「いや? こいつは昔からこんな所は有ったと思うがね? 義兄さん達はこいつの子供の頃の印象が強いのじゃないか?」
―――それも、そうか。
くそ、好き放題言ってくれる。
横合いから差し出された銚子を、酒杯で受ける。 まずはそのまま乾杯―――杯を飲み干す。 ・・・美味いな、日本の酒は。
「折角、お前の帰国と帝国軍復帰を祝って、一席設けてやったのだ。 そんな叔父たちに言うに事欠いて、筋者だと・・・?」
「そう思うのなら、言ってて自分で笑うな。 直邦叔父貴」
俺の横に座っている壮年男性は、周防直邦海軍大佐。―――言わずと知れた、直邦叔父貴。 親父の弟、俺の叔父だった。
何を考えているか判らんが、さっきから含み笑いばかりしやがる。 こう言う時の叔父貴は要注意だ。 何度冷や汗をかかされる目に遭った事か。
「ふ・・・ん。 あの、ヤンチャ坊主がなぁ。 すっかり、帝国陸軍大尉殿じゃないか? なぁ、直衛。 お前も成長したと言う事か」
「人間、4年も死ぬ様な目に遭い続けりゃ、少しは身につくモノもあるさ、 義郎叔父貴」
向かいに座る、初老(と言ってはまだ失礼か)の男性は、右近充義郎。 この人も俺の叔父にあたる。 正確には叔母(父の妹)の夫だ。
「はは! 確かにな! ・・・直衛。 良く、生きて戻ってきた」
破顔した後、妙に神妙な表情で酒を注いでくれたのは、藤崎慎吾。 この人も俺の叔父―――父の下の妹で、俺の叔母の夫だ。
因みに父は4人兄弟の長男で、下に妹(俺の叔母)が2人と弟が1人―――直邦叔父貴が居る。
「義兄さんも、来れればよかったのだがな。 仕事とあっては致しかた無いな」
「・・・親父がこんな場所に? 想像つかないな・・・」
俺の中の親父は、子煩悩な家庭人だった。 仕事が終われば、真面目に家に直行で帰って来ていた。
家族との団欒が、何よりも好きな人に思えていたんだが・・・?
「兄貴も、必要が有れば顔を出すさ。 それに今じゃ、現場の仕事より折衝なんかの方が多いそうだしな」
「ああ、ぼやいていたな。 何と言っても、開発本部長だ、取締役の。
義兄さんの会社は、合成食材の関係で政府や軍とは繋がりも有るしな。 接待のひとつやふたつ、顔を出さにゃ、ならんだろうて」
「気苦労も多いんじゃないか? 何と言っても、義兄さんは根っからの技術屋だしな。 開発現場で一生を過ごしたかっただろうな」
叔父貴達の会話には、俺も同感だ。
帰国して驚いた事は、俺の親父さんが予想外の出世をしてしまったと言う事。
もっとも、営業には相変わらずノータッチらしいから、こんな酒席の場と言っても相手は技術屋相手なのが救いだと言っていた。
「親父に腹芸は出来ないしね。 ・・・それより、俺は今の状況の方が恐ろしいよ、全く・・・」
「うん? 何をだ? 数年ぶりに戦地から生きて帰国した可愛い甥をだ。 こうやって労っての酒宴だぞ? 何が悪い?」
「だったら、なんで兄貴(周防直武海軍主計少佐)が居ない? 従兄弟達の中にも、東京近辺に居る連中も居るだろう?
第一、俺を労うってんなら、実家でも良かったじゃないか。 こんな所、その筋の連中に見られてみろ、明日から俺には保安本部の監視が付くぞ?」
思わず出た愚痴にも、叔父貴達はニヤニヤと笑っているだけだ。 ―――ったく、この狸共めっ!
俺が言っているのは、叔父貴達の公の立場だった。
直邦叔父貴は今年、今までの統合軍令本部―――今年に入ってから、統合幕僚総監部に改編―――の作戦局第1部第2課長から、
帝国軍の軍政全般を統括する、国防省軍務局軍事部の軍務課長に移動していた。―――本人は、またまた海に戻る機会を失したと嘆いていたが。
そして義郎叔父貴―――右近充義郎憲兵少将は、帝国国家憲兵隊・東京管区憲兵隊司令官。 泣く子も黙る、国家憲兵隊の親玉の一人だ。
慎吾叔父貴―――藤原慎吾氏は、外務省国際情報統括局・第1国際情報統括官室長。
まともな軍人ならば、出来れば関わり合いになりたくないと思うお歴々ばかりなのだ、叔父貴達は。
直邦叔父貴ならまだしも、義郎叔父貴や、慎吾叔父貴の2人と会っている所を見られてみろ。
何かよからぬ国内・国際謀略に手を染めているのかと、警務隊の保安本部が動き出すに決まっている。
それでなくとも1950年代に分離して以来、軍内部の司法警察執行官である警務隊(従来の憲兵隊、外国で言うMP)と。
国内の公安治安維持を特高警察(内務省警保庁特別高等公安局)と、いがみ合いながらも担っている国家憲兵隊は犬猿の仲だ。
特に国家憲兵隊は有事の際には、重武装機械化歩兵部隊として実戦に参加する任務も帯びている。 所謂、武装憲兵故に規模も大きい。
言ってみれば近親憎悪なのだが。 兎に角、警務隊と憲兵隊は仲が悪い。 俺としては痛くもない腹を探られるのは、勘弁して欲しい。
「安心しろ、仕事絡みの話は抜きだ。 純粋にお前の帰国祝い―――それと、昇進祝いも兼ねてな」
―――そう。 今の俺の正式な立場は、帝国陸軍衛士大尉。 つい10日前に中尉から大尉に進級したばかりだったのだ。
「本当にな。 ついこの間、訓練校を卒業して少尉に任官したものと思っていたのにな。 もう、大尉か・・・ 4年半が経つのか」
「慎吾義兄さん、俺としてはよくぞこいつが訓練校を放り出されずに卒業できたものだと・・・」 「叔父貴、余計な御世話だ」
全く、好き放題言いやがって、この年寄り共め。
いい加減、急ピッチで飲んでいる為か。 ほろ酔い加減になってきた。 国連軍出向中は日本酒より強い酒など、いくらでも飲んだ事が有るのにな。
祖国に帰って来て、気が緩みでもしたか・・・
「確か、お前たちは半年繰り上げ進級だったな?」
不意に直邦叔父貴が聞いて来た。 そう、俺の大尉進級は本来の時期的には早過ぎるのだ。
「うん、そうだよ。 俺の期は中尉を2年6カ月、半期先任の17期後期組(B卒)は、今年の6月に進級したから2年9カ月か・・・
中尉を3年やったのは、1年先任の17期前期(A卒)で最後だな。 士官学校卒業者もそうじゃ無かったか? それに海軍も」
陸軍・海軍・航空宇宙軍共に、『少尉2年、中尉3年』と言うのが従来の進級速度だった。
だがここにきて、半期先任の期が中尉を2年9カ月で大尉に進級した。 そして俺の期は中尉を2年6カ月で大尉に進級。
これは衛士訓練校出身者だけでは無く、陸軍士官学校出身者も同じだった(士官学校出身者の方が、少しばかり進級自体が早い)
そして海軍―――兵科将校(海兵卒業者)、機関科将校(海機卒業者)、主計将校の内、海経卒業者で中尉にある者の進級が早まった。 航空宇宙軍も然り。
「軍備拡充に、下級将校の数が追いつかん。 特に、中隊長級の大尉の損耗が高い。 このままでは、大隊長の下には小隊長しかおらん様な事になりかねん」
「・・・流石に、それは無いんじゃないか? 義郎叔父貴? でも、まあ。 中尉の中隊長の数が急増している事は事実だよな」
叔父貴達の酒杯に酒を注ぎながら、漠然と考えていた。
今、帝国は軍備の拡充に追われている。 満洲戦線が風前の灯なのだ、次は朝鮮半島なのは火を見るより明らか。
既に徴兵制は復活していたが、兵ばかり増えて指揮官がいないでは、話にならない。
そして将校の内、戦争で最も消耗の激しい世代は、最前線指揮官である若い尉官―――大尉、中尉、少尉達だ。
91年に大陸派兵を帝国が決定して以来、この若い尉官世代の損害は日増しに拡大している。
現に俺の同期生達は、訓練校卒業後4年半を経た今。 生き残っている連中は6割弱しかいない。
―――戦死率、40%強。 同期生の4割は既に、この世に居ないのだ。
「―――大尉の数が足りん。 予備将校やら何やら、補充はしておるが・・・ いかんせん、実戦を経験した現役の大尉の数がな。
中隊長不在では、軍は話にならん・・・」
その為に、古参中尉達を繰り上げ進級させたと言う訳だ。 その穴は特操出身者や、予備士官学校出の予備将校の中尉、少尉で埋めている。
「ま、いいさ。 純粋に進級を祝おうじゃないか? 直衛、お前も3年近く実戦を経験した。 立派に大尉殿だ」
「そうだな、極東戦線に、欧州戦線。 お前と、あと同期の2人か? この3人位だぞ、今の帝国であちこちの戦線を経験してきたのは。
何も卑下する事は無い、立派な実績だ。 胸を張れ」
義郎叔父貴が破顔し、慎吾叔父貴が酒杯を満たしてくれる。 横で直邦叔父貴も笑っていた。
―――変な考えは、止めよう。 少なくとも今だけは。
久しぶりに、身内と飲める酒だ。 どうせなら美味く飲みたい。
暫くすると、芸者衆が入ってきた。 俺自身は実を言うと、芸者遊びなど経験が無い(何せ、経験する前に戦地に派遣させたのだし)
叔父貴達に囃し立てられ、酔った勢いで芸者踊りの真似事をしたり。 大杯で酒を鯨飲したり。 酒席での歌を教わったりと。
愉快な一晩だった。 今、少なくとも俺は日本に居る。 それが酔わせた。
欧州での事を忘れた訳じゃない。 欧州の戦友たちの事を忘れた訳じゃない。 大切だった人を忘れた訳じゃない。
でも、今俺は日本に居る。 あれ程、夢にまで見て恋い焦がれた祖国に居る。 今は―――その事に酔わせてくれ。
1996年10月11日 1800 東京・多摩 帝国陸軍立川基地 第14師団司令部、第141戦術機甲旅団駐屯地
完全に二日酔いの頭を振って、基地の営門をくぐる。 営門脇の詰め所に詰めていた週番将校(当直将校)の中尉が苦笑している。
「周防大尉、二日酔いですか?」
「・・・うん。 ああ、飲み過ぎは良くない。 良くないな、本当に・・・」
目が覚めたら、もう陽が高かった。 一体、何時まで呑み明かしていたのだろう? 俺は何時、酔いつぶれたんだ? 覚えていない。
いや、それよりも問題は・・・ どうして目覚めたら、同じ寝間に芸者が寝ていたんだ!? ―――全く覚えていないっ!!
そう、全く記憶に無い。 覚えていない。 それなのに・・・
チクショウ、お陰で花代(明かし代。 お持ち帰り代の事だ)は倍額請求された。 俸給日まであと14日。 どうやって遣り繰りしよう・・・?
だいたい、あんな高級料亭の払い、貧乏大尉に出来るかっ!!
「ああ、大尉。 第3戦術機甲大隊長より伝言です。 『頭をシャキッとさせて、とっとと顔を出せ、馬鹿者』 ・・・以上です」
俺の顔色は益々悪くなった事だろう。 週番将校は、お気の毒です、などと言ってくれるが。 何、目が笑っている。 コンチクショウ。
営門からの道を、旅団本部棟まで歩く。 そろそろ寒くなってきたな。
だけど今日は天気が良い。 夕焼けに染まった赤富士が綺麗だ(立川基地からは、本当に富士が綺麗に遠望出来るのだ)
せめてもの現実逃避をしながら、本部棟に入る。 ここの3階の西の奥が第141戦術機甲旅団第3大隊長室だ。
扉の前で息を整え、ノックする。 誰何の声。
「第3中隊長、周防大尉」 「入れ」
扉を開けて、部屋に入ると―――笑みを浮かべた夜叉がいた。
「昨夜は、豪気にお盛んだったようだな? 周防?」
「あれは単に、叔父達に乗せられた為で。 第一、大尉の薄給であの様な場所など。―――時に。 どうしてご存じで?」
「何、偶々昨夜、あの料亭には夫と早坂さん、それに宇賀神さんも居ただけの話さ」
―――俺、死んだな。 よりによって、部隊の上官連中。 藤田中佐に早坂少佐、それに宇賀神少佐に目撃されたか。
聞けば旅団長に師団先任参謀(藤田中佐だ)、他の大隊長連中まで居たとか。 で、回り回って、昨夜は当直だった、この夜叉姫の耳に入ったと。
昨夜は旅団上層部が参謀本部まで出払っていたが、そのついでに、か・・・ ついてない。
「何やら、美人の芸者衆相手に鼻の下を延ばしていたそうじゃないか?―――綾森は、中隊事務室だったかな?」
「済みません、勘弁して下さい。 ―――別に、軍紀違反をした訳では・・・」
「さて、内線は・・・「以降、軍務に精勤いたしますっ!」・・・ふっ、これ位にしておくか?」
くそ、遊ばれているな・・・
面白いオモチャを手に入れた様な表情だものな、目前の夜叉姫―――第3戦術機甲大隊長・広江直美少佐は。
散々、いぢめられた後(そう、広江少佐は再会後、とみに俺を“いぢめる”のだ)将校集会所に顔を出すと、これまた懐かしい顔ぶれがいた。
「よう、芸達者」
全然懐かしくも無い、俺はいい加減コイツとの腐れ縁を疑う―――長門圭介大尉がニヤついている。
「ま、お前もいっちょ前の男やしな。 別に何も言わんわい」
えらく理解が良いのが、昨年の6月に大阪の第8師団へ転属し、この10月に『出戻って』きた木伏一平大尉。 2期上の先任。
「周防君、程々にな。 あまり派手に遊ぶと、流石に僕らもフォローしきれないよ?」
苦笑するのは、源 雅人大尉。 こちらは1期上。 相変わらずの気配りの人だ。
「喧しい、圭介。 ご理解どうも、木伏さん。 そんな遊んでいる訳では、源さん。―――で? 野郎ばかりで酒盛りですか?」
卓上にはビールとウィスキー。 それに刺身(モドキ)
「言うとくけど、モドキやないで? 正真正銘の刺身や、美味いで?」
「えっ!? どこから仕入れたんです? 主計の連中、最近渋いでしょうに・・・?」
それでなくとも、軍の食事はほぼ100%合成食材だ。 天然モノ、それも刺身だなんて。
海軍なんかじゃ、『特別別課』とか言う名目で、軍艦がトロール漁船に早変わり、などと笑えない事もするらしいが。
「神楽の実家からな。 流石は武家、エエもん食うとるわ」
「失礼ながら、木伏大尉。 私の実家は質素倹約を旨としております。 それは懇意にしております綱元から贈られてきたモノ。
姉が気を利かして分贈してくれたのですが・・・ 要りませんか?」
「要ります、要ります! いや、ホンマ、感謝しとりますよって!!」
片手に日本酒の一升瓶、片手に何か料理を盛った皿を手にしながら、静かに、ジト目で木伏さんを脅すのは、同期の神楽緋色大尉。
「緋色~! 料理これだけ? ・・・って、何よ、鼻が鋭いわねぇ、早速嗅ぎつけたんだ? 直衛ってば・・・」
「喧しい。 にしても、本当にお前ほど食い物が似合う奴はいないな? え、愛姫よ?」
憎まれ口に、憎まれ口で対抗する。 相手はこれも同期の伊達愛姫大尉。
「夜間演習中の彼女達には申し訳ないけれど・・・ 折角の頂き物だしね、美味しく頂きましょう」
やはり美味しいものは嬉しいのか。 それでもどこぞの食いしん王より余程節度のある三瀬麻衣子大尉。 1期先任。
「こら? 『食いしん王』って、誰の事?」
「自覚症状なしか。 ―――末期だな」
「何をー!! ふん、バラシテやるっ!・・・「黙れ」・・・痛ったぁ~!!」
すぱぁーんっ! 愛姫の頭が良い音を立てる。
「いったぁ~~っ! ぽんぽん叩くなぁ! バカになったら、どうしてくれるのよっ!」
「心配するな。 お前はこれ以上、バカの底は無い」
「むかつくぅ~!!」
―――ん? なんだ? 何か、既視感のようなものが・・・?
「・・・懐かしいわね、周防君と愛姫ちゃんの、そのやり取り」
「ええ、新任少尉時代を思い出します。 なぁ? 長門?」
「ああ、良くやっていたよなぁ・・・」
「それだけ、成長してへん、っちゅーこっちゃ」
「はは、成長していますよ、木伏さん。 でも、仲が良いのは変わらないね、君達2人は」
―――そうか。 そうだった、よく俺はこうやって愛姫とふざけ合っていたっけな。 あとは美濃がノホホンと感想を言い出して・・・
「・・・お前も、変わらんな。 愛姫?」
「どーゆー事よっ!? アンタだって成長してないじゃん!!」
いや、変わらないでいてくれて、嬉しいよ。 うん・・・
同日 1900 第3大隊第3中隊事務室
「へっ!? 天然モノの刺身!? 食っちまったんですか!? 全部!?」
「・・・中隊長、恨みますよ・・・」
悲鳴を上げる野郎は、摂津大介中尉。 傍らでうらめしや~、な感じで呟いている野郎が、最上英二中尉。
新たに俺の第3中隊で、小隊長を任された2人だった。
摂津は俺の2期下になるから、20期の前期組(A卒)。 今年の4月に中尉に進級している。最上は1期半下になる19期の後期組(B卒)
最上は以前、木伏さんの下に居た。 散々扱かれたらしい、ご愁傷様だ。 だが腕は良い、左翼迎撃後衛指揮を任せられる安定感が有る。
摂津は・・・ 何と、美園とエレメントを組んでいたらしい。 一時は、小隊長になった美園の補佐もしていたと言うから・・・ 突撃前衛しかないわなぁ・・・
「来るのが遅い。 軍で重要な素質は?」
「「 要領! 」」
「宜しい。 と言う訳だ、次回に期待しろ?」
今やっているのは中隊の事務書類処理。
いやホント、軍人にとって最大の敵と言えば、外にBETA、内に事務書類だな。
国連軍時代、小隊長をしていた時にも思ったが。 中隊長の書類処理量はハンパじゃ無かったよ、くそっ!
いざ、我が身になってつくづく思う。 今まで接してきた中隊長達―――広江大尉(当時)、戦死した美綴大尉(当時)、そして国連軍時代のアルトマイエル大尉。
書類仕事など、平然とこなしていたな。 尊敬するよ、本気で。
部下の人事考課、部隊訓練計画立案、消耗品請求の承認、あれや、これや。
生き残っている同期達はほぼ全員、大尉に進級しているから。 今頃は皆、苦しんでいる事だろう。
「・・・うん? ああ、夜間演習が終わったみたいですね。 第1大隊が帰還しましたよ」
最上の声に窓の外を見ると、第1大隊が降着していた。
「ご苦労さんだな。 しかし、何だな。 流石に内地じゃ夜間訓練も制限が色々と付くな。 2000時以降の戦術機の訓練は禁止か・・・」
「近くは住宅地ですしね。 色々と煩いですよ、政党絡みの連中も居るし・・・」
「軍も流石に好き勝手は許されんしな。 ましてや今の軍務局長(国防省軍務局長)は、あの永多鉄山中将だ。
軍の綱紀引き締めは厳しいしな。 仕方が無い」
永多中将が推し進める軍政改革。 その一つが軍の綱紀引き締め。 簡単に言うと軍中央よりの統制の元、今まで散見された軍人の政治活動を厳禁する事だ。
それに付随して、様々に国民からの要求(つまり、議会からの突き上げ)も了解した。 2000時以降、住宅地近辺での訓練厳禁もその一つだ。
もう一つは軍制改革。
今現在の第14師団は編成が甲編成師団になっている。 つまり昨今進行中の軍制改革、その第1弾に指定されたのだ。
師団は、主力として戦術機甲旅団(5個大隊)を有し、他に機甲連隊、機械化歩兵装甲連隊、機甲砲兵連隊、機動歩兵連隊を各1個保有する。
これに各種支援部隊を含めた、完全な諸兵科混成部隊。 継戦能力を高め、戦略単位として自己完結出来る様に再編された部隊だ。
現在は陸軍部隊が中心に再編されている。 予定では97年以降、本土防衛軍も同様の再編予定だが・・・ 予算が足りないとも聞く。
師団長は松平孝俊陸軍少将。 以前、北満州で所属した事のある第119独立混成旅団、その旅団長をしていた人だ。
師団先任参謀(参謀長)・藤田伊予蔵中佐。 奥様の復帰と入れ替えに、参謀職に。 流石に夫婦で同じ戦術機甲指揮官はさせられないよな。
第141戦術機甲旅団長は若松幸嘉陸軍准将。 最古参の衛士出身の将官だ。
そして最先任大隊長・兼・第1大隊長が、早坂憲二郎中佐。 現役最古参クラスの衛士だ。
第1大隊指揮下の中隊は、水嶋美弥大尉と、綾森祥子大尉が指揮を執る。
第2大隊長・宇賀神勇吾少佐。 人手不足も有って、訓練参謀も兼務する。
第2大隊には木伏一平大尉と、神楽緋色大尉が各中隊長として指揮を執る。
第3大隊長・広江(藤田)直美少佐。 見事に復帰した『お母さん衛士』 育児に専念したらどうです? との部下の進言は、拳骨で返す相変わらずの女傑ぶり。
お子さんはご実家のご両親に預けているとか。
この大隊には源 雅人大尉と、俺、周防直衛大尉の2人が中隊長をしている。
第4大隊長・岩橋譲二少佐。 『帝国軍の至宝』と評価の高い名指揮官。 大尉時代、指揮中隊は50回以上の実戦出撃を敢行し、損失は僅か2機だけだった。
指揮下の中隊長は三瀬麻衣子大尉と、長門圭介大尉。
第5大隊長・荒蒔芳次少佐。 大隊長のなかでは最後任(10月1日進級) だが衛士としての腕は超一流。
第1世代機の『撃震』を、自由自在に操る様を見た国連軍衛士(米軍衛士)から、『あそこまでファントム(F-4)を自在に操る衛士を見た事が無い』と言わしめた。
指揮下の中隊長は和泉沙雪大尉と、伊達愛姫大尉。
36機の『疾風弐型』が駐機場からハンガーへと向かっている。
そう言えば、疾風も随分と変わったものだ。 俺が搭乗していた頃の初期型から大きく性能が向上している。
今は跳躍ユニットも、海軍の第3世代戦術機『流星』と同じ、AK-F3-IHI-95Bを搭載している。
弐型の泣き所と言われていた継戦時間の問題も解消され、更に出力も向上したパワー・ユニットだ。
搭乗した印象だが、欧州時代に主に搭乗していたトーネードⅡより明らかに上。 最後に搭乗していたF-15Eと良い勝負かもしれない。
いや、部分的には上回るか? ―――最も、整備性などはF-15Eの方が優れているかな?
でも程度問題か。 『疾風』は元々、F-16から派生した。 整備性も元々優れている。
その『疾風弐型』の1機。 機体番号『141-A-301』 彼女の機体。
「俺はそろそろ、帰り支度するよ。 最上、当直宜しく頼む」
「了解です。 お疲れさまでした、中隊長」
最上と摂津が敬礼して見送ってくれる。
最上は当直だが、摂津は基地内の独身士官用官舎に移り住んでいる。
が、将校全部が全部、基地内居住じゃ無い。 中尉・少尉は基地内居住者が殆どだが、逆に大尉以上の者は基地近隣で借家暮らしが多い。
かく言う俺も、マンションの1室を借りている。 僭行社(陸軍将校の互助組織)が格安で契約している部屋だった。
一見、侘しい独り暮らしだが。 はてさて・・・
2300時
「それで? 叔父さま方には、キチンとお礼言ったの?」
「言う暇も無く、消え失せたよ。 ・・・ま、次の正月には会えるかもしれないから、その時改めて言うよ」
―――ここは祥子が借り上げている部屋。 俺は殆どをこの部屋で『暮らして』いる。 自分の部屋は物置状態だ。 何せ未だ荷解きが終わっていない。
「次の休みには、荷解きよ? いい加減自分の部屋、何とかしないと・・・」
「俺はここでも良いけど?」
「駄目です。 部下に示しが付かないじゃない」
呆れたように祥子が嘆息する。
再会して気付いた事。 俺はどうやら祥子の前ではトコトン、何もしない男になる様だ。
彼女が性格的に何でもキチンとしないと気が済まない事と、基本的に世話好きなのも有るのか。
いや。―――何もしないと言うのは語弊が有るか。 『軍人として』の自分の事、身の回りの事は自分でちゃんとやっているし。
ふむ、何と言うか―――
「ふふ、ホント、世話の焼ける人ね。―――その調子で、お姉様にも甘えていたのでしょ?」
「いや、逆。 姉貴が俺に構い過ぎだった。―――よく兄貴が小言を言っていたよ」
―――そうか、甘えたかったのか、俺は。
どうしようもないな、男ってのは・・・
「明日も早いし、もう寝よう。 灯り、消すよ?」
「うん。 おやすみなさい」
サイドテーブルのランプを消すと、辺りが真っ暗になった。 ベッドの中で祥子が身動きする。
「ん・・・」
彼女を抱きよせ、その温もりを感じながら。 何時しか眠っていた。