1996年10月25日 1400 東京 表参道付近
国連軍時代の各種報告書を、三宅坂の参謀本部まで提出した帰り。 ふと思い立って青山の辺りで地下鉄を降りた。
同行していた圭介は、所用があるとかで神田へ行ったし(どうせ、古書店で史書でも買い漁るのだろう)
今は西部軍管区の第9師団に居て、九州から出張してきた久賀は用事が終わると、そそくさと東京駅へ向かってしまった(何でも明日、西部軍管区司令部の査閲が有るらしい)
取り立ててやる事も無く、時間を持て余してしまっただけなのだが。
三宅坂から別宮(お江戸のお城だ)を右手に見つつ、千鳥ヶ淵をブラブラと歩き。 そのまま九段へ行き、逝ってしまった連中に挨拶をし終えた後。
そのまま新宿まで出れば基地へは電車で1本だったのだが、時間が有った事と、何だかボーっとしたくなったのが正直な理由だった。
表参道から宮益坂へ至る途中、骨董通りを左折し六本木通りに至る途中で脇道にそれた所に、程良く古びた喫茶店を見つけた。
壁には蔦が絡まり、外国の田舎家を彷彿させる造り。 辺りは瀟洒な場所故、軍服姿の自分が野暮にも思えたが。
店内は意外に若い客層が多かった。 近くに大学が有るからだろう、そこの学生たちか。
思えば俺も、軍に入らず学問の道を志していれば、未だ彼等と同じ学生だったかもしれない。
丁度空いていた窓際の席に着き、学生と思しき彼等を見ている内に、ふとそんな思いがよぎった。
彼等は、なり得たかも知れないもう一人の自分なのだと。
不味いコーヒーモドキも、それなりの雰囲気が有れば味覚が錯覚するのか。 意外にも美味だった。
流れる音楽はジャズか。 世の中、ギスギスし始めているが、こんな雰囲気は好きだ。 欧州や米国を思い出す。
近くのテーブルで数人の学生が話し合っているのを何気なしに見ていたら、1人の学生と目が有った。 実は先程から視線を感じていたのだ。
その学生が、何かを言いかけて開いたままの口を紡ぎ、俺をまじまじと見た後で言った。
「―――もしかして、周防? 周防直衛?」
「―――え?」
誰だ? 東京の大学生に、知り合いなどは・・・
「―――ッ! ああ、君か! 佐川、佐川良治。 陸軍付属中学で同級だった・・・!」
思い出した、中学時代の同級生だ。 確か級長(クラス委員長)もしていた。
常に成績が学年で1、2を争う秀才で第1高等学校を受験したのだった。 その後はどうしたのだろう?
「久しぶりだね。 僕? ああ、一高から帝大の文科へ進んでね。 今4回生だ。
皆、紹介するよ。 彼は周防直衛君。 中学の同級だよ、軍・・・ 陸軍の衛士訓練校に進んで、今は・・・ 大尉?」
階級章を見ながら紹介してくれた佐川に頷き、彼の友人達に軽く会釈する。 向うは佐川を入れて6人。 男が4人に、女が2人。
挨拶はしてくれたものの、何か硬いと言うか、ぎこちないと言うか。 それ程軍人と同席するのは緊張するのかな?
「彼等は、帝大と近くの大学の同級生に、後輩達だよ。 同好の士の集まりでね、『文学愛好会』さ。 芝居もやっている」
「そう言えば、君は学年随一の秀才だったけど、同時に文学少年でもあったな。
正直、あの頃はモーパッサンやらユーゴーやら。 君に薦められる本に辟易していたけれど。
今になって思えば、1冊でも完読しておけば良かったと思うよ」
「へえ・・・? どう言う風の吹きまわしだい? 君や長門君、君たちは興味が無いのだとばかり・・・」
佐川の面喰った顔に、思わず苦笑する。 他の学生達も同じだ。 何しろ俺は一目瞭然の野戦将校、そして衛士。
日々、BETAとの殺し合いや訓練に明け暮れている、文学などとは程遠い野蛮人。 多分そんな先入観でもあるのだろう。
そんな軍人が、文学を否定する事無く、むしろ肯定的な言葉を吐くのだから。 昨今の将校、特に陸軍将校には珍しいかもしれない。
「そうだね、正直昔は興味無かったね。
・・・『この世のあらゆる書物も、お前に幸福をもたらしはしない。だが、書物はひそかにお前自身の中にお前を立ち帰らせる』―――へルマン・ヘッセ。
正直、ヘッセの作品は難解で理解し得なかったけど・・・ この言葉は好きだ。 実は3年近く、欧州や米国に行っていてね。 色々と読んだよ」
その言葉に、佐川も他の学生達も目の色を変える。 今の帝国では望むべくも無い、文学的環境。
欧州は英国やアイルランド、アイスランド位しか国土が残っていないが、それでも帝国に比して向うの文学的環境は良好に残っていた。 米国は言うに及ばずだ。
それからいきなり文学談義が始まった。 流石に最高学府で文学を専攻する者や、文学にのめり込んでいる者。
付け焼刃の俺の読書歴では到底ついていけない程、聞いた事も無い作家や作品、そしてその感想や批評が飛び出した。
だけど、聞いているだけでも楽しかった。 今のこの帝国で、精神的創造活動の粋である文学を愛し、熱っぽく語れる若者たちがいる。
殺伐とした世界しか経験してこなかった俺としては、彼らが眩しかったのだ。
楽しいひと時だったが、何時しか時間も過ぎ去っていた。 何時までもここに居られる訳でも無い。 そろそろお開きにする事になった。
ふと、佐川の持っている本に挟まれた封筒に目がいく。 あれは―――軍の封筒だ。
「佐川、その封筒・・・」
「え? ・・・ああ、これか。 僕もいよいよ、年貢の納め時だよ。 召集令状さ・・・」
聞けば、ここにいる6人全員がそうだと言う。 男子学生も、女子学生も。
帝国は1980年から徴兵制度を復活させ、88年には教育基本法を大幅に改正した。
そして2年前の94年には、徴兵年齢をそれまでの20歳から18歳へ引き下げている。 昨年95年にはそれを未婚女性にも適用させた。
そして今年8月の国会で、徴兵年齢をさらに引き下げ16歳とした。―――事実上の全面動員だ。
そんな中でも、大学生だけは徴兵猶予特権を与えていた。 最高学府に学ぶ彼らまで動員する事は、国の根幹が揺らぐと言う事か。
しかし今年9月、徴兵年齢を引き下げた直後に、今までは志願制だった大学生の―――文系学生の徴兵猶予特権を部分停止したのだ。(理系は猶予のまま)
これによって、大学生は20歳以上の学生が、男女問わず召集される事になった。
そして今月に入った10月21日、日本全国で『出陣学徒壮行会』が実施された。
東京でも明治神宮外苑競技場で行われた様子を基地のTVで見た。 将校集会所で見ていて、やる瀬ない気分になったものだ。
木伏さんが、『あほんだら・・・』と呟いて、唇を噛みしめていた姿が印象的だった。 それこそ、『いつか来た道』じゃないかって・・・
彼ら大学生は、陸軍や航空宇宙軍の甲種幹部候補生・特別操縦見習士官や、海軍の予備学生・戦術機甲予備学生として、不足していく野戦指揮官の下級将校充足に当てられるのだ。
「そうか、学徒出陣か・・・ 入隊は年末に?」
「ああ、そうだよ。 12月に全員入隊だ。 僕は陸軍。 彼等は2人が陸軍、2人が海軍、1人が航空宇宙軍。
・・・致し方ないのかな。 僕の弟は17歳だけれど、この9月に徴兵されたよ。 妹は15歳、来年には徴兵検査だ・・・」
寂しく笑う佐川の顔を見ていられない。
俺は職業軍人だ。 戦場で死ぬ事は―――死にたくないが―――言ってみれば、俺の俸給の範囲内だ。
だが彼等は民間人だ。 俺の様な職業軍人が、護らねばならない人々だ。 それが―――戦場へ送られる。 あの、BETAとの戦場へ。
「・・・なあ、周防。 一つ聞きたいのだけどな・・・」
「何だい?」
佐川が、聞いて来たのに非常に言いづらそうにしている。
が、意を決したような表情で俺に向かって、こう言った。
「BETAって・・・ どんな奴らなんだい? 僕等は知らない。 政府も軍も、詳しい事は何一つ公表していない。 教えて欲しい・・・」
皆、同じ表情だった。 縋りつくような目、目、目・・・
そうだろう、不安で仕方ないだろう。 人間相手の戦争なら、その本当の怖さは判らずとも、相手は想像できるだろう。
戦場の悲惨さは判らずとも、色々と自分なりの覚悟をある程度は固められるかもしれない。
でもBETAは違う。 BETA―――『人類に敵対的な地球外起源種』 人類が過去数万年の間、経験した事の無い相手。
それだけで不安は増大する。 ましてや、この数十年でユーラシアの大半を奪われた相手となっては。
「―――済まない、ここでは言えない。 軍機に抵触する」
「そうか。 いや、つまらない事を聞いて済まなかったね・・・」
くそっ、結局、こんな事しか言えない。
実態が明らかになれば。 下手な噂話が横行すれば。 確実に国内はパニックになるだろう。
今現在、世界中で難民キャンプが隔離状態のような厳重な監視の元に置かれている訳も、実はBETAの実情を外部に漏らさない為の処置でもあるのだ。
言い辛そうな俺を見る目は、バツの悪そうな、軽く失望したような、諦めたような、そんな目だった。
―――どんな事前知識が有っても。 実際の所、実経験を越えるものじゃないんだ・・・
彼等に言い聞かせる様で、実の所、言い訳のように自分に言っている様な気がした。
「―――周防大尉、レオポルト・フォン・ランケって人、知っていますか?」
不意に、この面子の中では最年少の―――と言っても20歳だが―――男子学生が俺に聞いて来た。 確か帝大生で、佐川の後輩だという若者だ。
「ランケ? ―――確か・・・ 昔の歴史学者だったっけ? ドイツかどこかの?」
圭介にチラッと聞いた事が有る。 歴史好きのあいつは、本当は大学の文科に進みたかったのじゃないかなと、最近良く思う。
「ええ、19世紀ドイツの指導的歴史学者です。 僕が今読んでいるのって、実はランケの撰集なんです。
・・・実は大学に、末期癌に侵された先生がいらっしゃって。 先日、友人達とお見舞いに行った時にこう仰ったんです。
『諸君、ランケの撰集くらいは読破したまえ。 僕も今から再挑戦する』 ―――感動したなぁ。
それから頑張って、入隊までの間に何とか読破しようとしているんですが。 まだ3割しか読めていません。 後は、戦争が終わってからです・・・」
そう言って、その青年は撰集の本を静かに閉じた。 そして皆、店を出ていった。
その後ろ姿を見送って、ふと目に入った。 床に落ちた紙―――いや、ノートを切り取ったものか。
多分、鞄に仕舞い込もうとした時に落ちたものか。
誰のものだろう? 判れば店の店主に預けておくのも手か。
何気に拾い上げ、紙面に目を落とし、その文面を見た時―――本当に、やり切れなくなった。
『我が青春は未完成 我が人生もまた未完 全てこれ未完』
同日 1700 国鉄立川駅
夕暮れの駅前に人々の歓声が聞こえる。 ―――何が嬉しくて、あんな歓声を・・・
視線の先には、招集され出征してゆく者を万歳三唱で祝う人々がいた。
緊張して、甲高い絶叫でお礼を述べる出征兵士。 まだ少年と言っていい年齢のようだ。
恐らくは家族だろう、父親と思しき中年の男性は、口をきつく結んだままだ。
母親だろうか、必死に涙を堪えている様が良く判る。 まだ幼い弟妹達が、不安そうな、泣きだしそうな表情で兄を見送っていた。
見れば、あちらこちらに出征兵士を祝う幟が立てられている。
『祝! 入営! XXXX君! 第○○陸軍付属中等学校生一同!』
『祝! 入営! △△△嬢! 東京府立□□□高等女学校生徒一同!』
『武運長久! 祝! 入団! ○○○君! XXX製作所社員社宅有志一同!』
帝国の人口は約1億1000万人。 そして徴兵対象人口は16歳以上。
今現在、帝国全軍の総兵力は約260万名。 これは後方の事務職も含む数字だが。
その内、20歳から24歳までは男が65万5000人、女が10万5000人。
25歳から29歳までの年齢層は、男が64万4000人、女が7万2000人。
19歳以下の未成年層では、男が43万1000人、女は30万4000人。
―――合計で約221万人。 総人口の1.98%に達する。
逆に30歳以上は激減する。 30代以上で現役は将校か下士官。 その数は軍全体の15%に過ぎない。
将校は5%、約13万人。 下士官は約30万人弱。 それ以外は―――兵だ。
そして30代は後備兵役に相当するが、その後備兵役総数は約150万人。
彼等は社会の各階層で無くてはならない中核を占める世代だ。 そうそう徴兵出来ない。 社会機構が崩壊する。
徴兵は、徴兵検査の結果次第だ。 甲種、第1乙種、第2乙種、丙種、丁種、戊種。
このうち、第2乙種までが所謂『検査合格者』なのだが。 そこで全員を招集する訳じゃない。
第一、そんな大人数を養っていける予算は軍部には無い。 もちろん政府にも。
現状は甲種合格者(大体、30%位)の中から抽選で選ばれる。 甲種合格の70%程、徴兵検査を受けた者全体の2割程が徴兵される訳だ。
残った第2乙種までの者は補充兵役者として、甲種合格の人員が不足した場合に、志願か抽選により現役として入隊する。
何も皆が皆、徴兵される訳じゃない。 皆が皆、あの地獄を見なければならない訳じゃない。
だけど―――こんな少年まで! まだ16歳かそこいらだ! くそっ!!
無意識に厳しい表情になっていたのか。 周りの人がちょっと驚いた顔をする。
そんな時、俺の姿を目ざとく見つけた人達がいる。 出征する少年少女たちの学校関係者だった。
「あの・・・ 失礼ですが、大尉殿。 お願いがあるのですが・・・」
年齢的に、校長先生とか教頭先生と言った所だろう。 俺よりずっと年長の男性が、恐る恐る、恐縮したように話しかけてきた。
「・・・何か?」
流石に良い気がしない。 俺の様な20代も前半の若造に、何故、彼の様な人生経験も、社会経験も豊かな人が謙らねばならないのか。
なるだけ、ゆっくり、威圧的にならない様に答える。 軍服を着ているだけでふんぞり返る馬鹿が最近多い事は、帰国してから気が付いた。
そんな俺の雰囲気に少し安心したか、その男性―――校長先生だと判った―――は、とんでもない事をお願いしてきたのだ。
「何か、一言・・・ あの子達に、かけてやってくれませんか? 失礼は承知で、お願いしたいのです。
私の教え子に、何か言葉を・・・ お願いします・・・」
―――進退極まった。
正直、予想外だった。 俺が、彼らに。 出征してゆく少年少女に。 その家族の前で、一体どのような言葉を言えば良いのだ!?
気が付くと、他の人々も俺を見つめていた。 どうやら複数の学校が出征祝いで駆けつけているようだった。
出征する先輩たちを、不安そうな目で見守る後輩の少年少女たち。 遣る瀬無い想いで一杯だろう、先生方。
そして、愛する我が子を見つめる父母。 大好きな兄や姉を見つめる多くの幼い弟妹たち―――涙を浮かべている子も居る。
「お願い・・・ します」
校長先生も、うっすらと目尻を湿らせていた。 教育者として、護り、導くべき教え子を戦場へ送らねばならない心情は・・・
喉が渇く。 知らずに汗をかいている、10月も下旬だと言うのに。
なかなか、足が進まない。 体が重い。 なんだ? これは。―――恐怖だ。
出征する少年少女たちの前に歩み寄った。 まだ幼いと言っても良い、10代半ばくらいの子供たち。
その瞳を見た時、俺は怯みそうになった。 BETAとの死戦とは別次元の恐怖だ。 俺は―――俺は、この純真な瞳に、何と言えば良い?
「―――私は。 帝国陸軍衛士大尉、周防直衛と言います」
俺に向けられる、顔、顔、顔。
「本日、出征される君達に何か一言を。 そう、君達の校長先生から依頼を受けました」
神妙な表情。 現役の陸軍大尉。 さぞ、勇壮な言葉が出るのか、そんな表情。
「私が君達に言う言葉、それは―――『生きる理由を見つけて欲しい』」
皆がちょっと驚く。
「戦う理由は皆、様々です。 実際に戦地へ行けば、似通って来る場合も多い。 しかし―――生きる理由は、誰一人同じではありません」
言葉を切る。
「何でも良いのです。 大好きな家族。 想いを寄せる初恋の相手。 君達の好きな事、趣味、もう一度やりたい事。
或いは、故郷の風景。 育った懐かしい街。 楽しかった思い出の場所。 目を閉じて―――心に浮かんだ、大切な、大好きな何か」
誰も声を出さない。
「その理由を胸に抱いて、戦って下さい。 私は―――私は、自分の生きる理由を見い出し、戦って来ました。 そして、戦ってゆきます。
どうか―――どうか、君達は、君達の生きる理由を見い出して欲しい。 大義でもない。 名分でもない。
君達をして、個人を前に進ませる何か。 それを―――見い出して下さい」
急に居た堪れなくなった。
俺は少なくとも本心で言ったのだが、あれは本当にあの子達に贈る言葉で良かったのか?
国民を、少年少女を戦場へ送り続ける政府、そして軍部。 その一構成員である俺自身。
あれは、プロパガンダ(Propaganda)ではなかったか?
一礼して彼らの前から去る。 通り過ぎ様、校長先生が深く頭を下げていたのが遣る瀬なかった。
同日 2100 立川基地 第141戦術機甲旅団 将校集会所
「・・・成程、そんな事がね」
酒保で買い求めた酒を、欧州からこっそり持ち込んだビーフジャーキーをツマミにして飲んでいる。
実は6月に米軍の酒保から仕入れたヤツだ。 購入はウォーケン大尉に頼み込んだ。 ・・・4カ月か、腐って無いかな? これ・・・?
酒の相手は圭介。 こいつにとっても、佐川は同級生だしな。
「佐川のヤツ。 将来は小説家になりたい、だから帝大で文学を勉強するんだって言っていたっけな」
「そんな事を? 初耳だな」
「直衛はあまり接点無かっただろ? 俺はあいつとは、小学校からの同級だ、良く知っている」
圭介はさっきから少々、ピッチが速い。 俺以上に酒飲みな奴だから、そうそう潰れはしないが。
「あいつの運次第だ。 未来の大小説家の誕生を確信して・・・」
「ん・・・ 乾杯」
カチン―――グラスが鳴る。
机の上にはアルバムが有った。
俺は実家に置きっぱなしだが、偶々愛姫が持っていた。
陸軍衛士訓練校、各校の合同卒業アルバム。 だがそこに写る若者達は既に4割がいない。 何気なしに眺めつつ、酒をあおる。
―――帝国陸軍衛士訓練校 第18期生。 この、若い顔、顔、顔は。 何処へ行ったのだ!
ふと、駅で見送った少年少女たちを思い出す。
彼等も、こんな風にアルバムの中で笑っているのだろうか・・・・・
圭介と2人、しんみりしていると急に外が騒々しくなった。
何やら大声で喚く奴。 走り回っている奴も居るのか?
「・・・一体どこのどいつだ、こんな時間に。 週番将校は何をしている?」
「様子見てくるか?」
そう言って圭介が立ち上がりかけた時。 集会所の扉が乱暴に開かれた。
「はっ・・・ はっ・・・ 直衛、圭介・・・ ここに居たの!?」
「愛姫? ・・・緋色も?」
息せき切って入ってきたのは、伊達愛姫大尉と、神楽緋色大尉―――同期の2人だった。
「おい、愛姫、緋色、どうした? 中隊長が規定違反じゃ、示しが・・・「大変なのよっ!!」・・・あ?」
圭介が良い終わらない内に、愛姫が表情を強張らせて叫んだ。
見ると緋色も、顔が青白い。――― 一体、何が有った!?
その緋色が硬い口調で言う。
「先程、全軍に緊急警戒令が発令されたのだ。 国防省で・・・」
「国防省? 国防省で、何かあったのか?」
2人とも、なかなか声が出ない様子だった。
「今日の1900時頃、国防省内で・・・ 軍務局長の永多鉄山中将が、刺殺されたとの報が入ったのだっ!!」
「「 なっ!? 」」
国防省軍務局長が? 殺された? 刺殺!?
「犯人は、帝都防衛第1師団の相田三郎中佐だよ・・・ 北海道に転属する事になっていたらしいんだけど。
その時に国防省に立ち寄って、軍務局長室に乱入して軍刀でいきなり。 他にも戦備部長や、軍事部の軍務課長が巻き添えで重傷だって・・・」
「・・・なに?」
思わず聞き返す。 愛姫は今、何と言った? 殺されたのは軍務局長の永多中将。
それに軍務局戦備部長が巻き添えを食って、そして・・・ 軍事部の、軍務課長!?
―――『何も卑下する事は無い、立派な実績だ。 胸を張れ』
先日、酒を注いでくれた顔が蘇る。 国防省軍務局軍事部、そこの軍務課長。
帝国軍の編成計画全般を司る部署の責任者。 帝国軍での有数の要職。
「叔父貴・・・」
俺の叔父、周防直邦海軍大佐は、国防省で軍務課長の任を担っていたのだ。
地中に燻っていた火が、静かに、密かに、しかし大きく広がっていた。
帝国陸軍―――いや、帝国軍全体がこの日を境に、時に流血をも辞さぬ、軍内部の派閥抗争に突入した日となったのだ。