「あ、あわわっ」
宮殿を一歩出ると、華琳が冕冠を外して投げ渡してきた。
飾り紐を前後にあしらった冠は周代より続く王の礼装である。歩く度に揺れる飾り紐はかなり煩わしいらしく、華琳は参内の折に被るだけだ。
「―――っ、て、天子様には何と?」
一人どたばたしながら冕冠を胸に抱き留めると、雛里は問う。
「御承認頂くよう、お伝えしたわ」
「……よ、よろしいのですか?」
劉玄徳を漢中の王に―――という上奏文が、劉備軍の諸将より奉じられていた。
天子からの急な召集は、如何に応ずべきかを華琳に問うためだ。そして華琳が認めたということは、桃香は正式に漢室から漢中王に冊立されることが決まったということだった。
「見透かされた様で少々腹立たしくはあるけれど、私が王なら桃香も王であって構わないわ。仮にも我が友にして好敵手であるからには、そうあるべきでしょう」
「しかし、漢中王というと」
華琳が魏王となったことに、大きな利があったとは雛里は思わない。華琳も大した意味を認めてはいないだろう。ただ群臣の願いを聞き届けたというだけの話だ。戦死した張燕の望みだったと言うから、あえて断る気にもならなかったのだろう。
しかし一方で桃香の漢中王の名乗りは、なかなか面白い手だ。朱里が考えそうなことである。漢中王と聞いて誰もが思い浮かべるのは、高祖劉邦の姿だ。同時に高祖の遺訓“劉氏にあらざるものが王位につけば、天下皆でこれを討て”、という言葉も思い起こされる。漢中王劉備の名は、これまで以上に反曹の響きを纏うことになる。
「構わないわ。それで桃香に靡く者が出たなら、叩くだけの事。あぶり出す手間が省けるというものよ」
実際、華琳の魏王就任に賛意を表していた朝臣達の中にも、今回の件で顔の色を変えた者達もいるようだ。
「それにこれで、私の腹の内を勘繰る輩も減るでしょう」
「華琳さんに、その“心算”はないのですか?」
「こんなところで話すようなことではないわね」
「あ、あわわっ、そうでしゅね」
宮門の衛兵が直立を保ちながらも、居辛そうに視線を彷徨わせていた。
「屋敷に戻る」
「は、はいっ」
華琳が言うと、季衣が先導に立った。雛里も慌てて従い、背後には流琉が続く。華琳はここのところ、城内でのお供は護衛に季衣と流琉、従者に雛里で通している。
「簒奪の意志はないわ」
「―――っ」
華琳は歩きながら、何気ない口調で言った。
慌てて周囲を見回すも、洛陽の大通りを行く人々は雛里達四人を特に気に掛けた様子はない。尾行などがあれば季衣と流琉が気付くのだろうし、下手に密談の場を用意するよりも却って安全なのかもしれない。
「それでは、漢室を今後も存続させていくお考えということですか?」
「下手に祭祀を受け継いで、もし身の内にあんな得体の知れないものを宿すことになったらたまらないわ」
「?」
華琳が意図の取れないことを言い、打ち消すように頭を振った。
「天子になどなってしまっては、民に畏れ敬われ、崇め奉られてしまうじゃない。そんなのは御免よ」
「それでは、華琳さんは一体この国の何になるのです?」
「私は、志ある全ての人間と競い合い、その上で彼らの主席でありたい」
「天子ではなく、人間の主席、ですか」
華琳がふっと微笑んだ。
「そういえば同じ話を、張燕にもしたわね」
それ以上問い質し難く、雛里が自問自答する間に曹家の屋敷へと到着した。
「お帰りなさい、華琳様」
先に屋敷へ戻っていた蘭々が、玄関まで出迎えてくれた。
城内では雛里達三人を連れるだけだが、さすがに城外の移動には軍の護衛が付く。蘭々は洛陽までの護衛隊の指揮官であった。
「秋蘭は?」
「お部屋でお待ちです」
漢中での敗戦後、夏侯淵は洛陽に留まっていた。といって朝廷に出仕するわけでもなく、曹家の屋敷に引き籠っているという。自ら推し進めた華琳の魏王就任の際にも、祝典に顔を出すことはなかったのだ。
ただ天子の諮問に答えるだけなら、文書で事は済む。わざわざ華琳が襄陽から洛陽まで足を伸ばしたのは、夏侯淵を引っ張り出すためだった。
李典の工兵隊が造船を終え、南征―――孫策軍との戦の用意が整っていた。夏侯淵の冷静な判断力と旗下の弓兵は、水軍の戦では大きな武器となるだろう。
「私一人で会うわ」
屋敷の奥へ向かう華琳は、そう言って雛里達を押し止めた。
どんな妖術を使ったのか―――は想像に難くないが―――、翌朝には華琳に伴われ夏侯淵が皆の前に姿を見せた。
「心配を掛けたな」
「いえ、お元気なら良かったです」
涙目の流琉に微笑みかける夏侯淵の顔は、西涼派遣前よりも幾らか痩せたようだった。
「華琳様、それでは私は襄陽へ戻り、姉者の補佐に付きます。華琳様はこの後?」
「一度許に立ち寄ってから戻るわ。貴方も一緒に来る、秋蘭?」
「いえ、敗将の身でこれ以上華琳様に甘えるわけにはいきません。姉者にも、早く顔を見せたいですし」
「そう。では襄陽を頼むわね」
「はっ」
夏侯淵は拱手すると、その足で襄陽へと出立していった。
「雛里、洛陽での残りの案件は?」
「はいっ、車騎将軍楊奉様、それに張繍さんが一度お会いしたいと。それと盧殖様から御昼食のお誘いが届いています。それから―――、こちらは昨日頼まれていた司空府の書類です。ご確認ください」
華琳は竹巻を受け取ると、目を通しもせずに二度三度と満足げに首肯した。
「えっと、何か?」
「仁のところの無花果を見て、私も従者を置きたいと思っていたのだけれど、確かに便利ね。ちょうど良いところで捕まってくれたわ、雛里」
「……華琳さんが望めば、私なんて使わなくてもいくらでも従者の候補はいると思いますが」
「それはそうだけれど、もったいないじゃない」
「もったいない?」
「私の要求に適うほど仕事が出来るなら、従者に留め置くのは国の損失よ。本音を言うと無花果も文官に転向させて桂花の下にでも付けたいところだけど、白騎兵になるというあの子の不似合いな夢は面白いし、今は見守っているのよ」
「なるほど、だから私ですか」
「ええ、貴方はいくら仕事が出来るからといって、上に上げるわけにはいかないからね。―――正式に私に仕えてくれるというのなら、話は別だけれど」
「それは……」
「ふふっ」
言い淀む雛里に、華琳が愉快そうに微笑んだ。
以前から曹操軍の政に惹かれるものはあった。しかしそれでも、勧誘の類にははっきりと拒絶を口に出来ていたはずだ。
雛里はぶんぶんと強く頭を振って、気を取り直した。
その後、華琳は雛里が立てた予定通りに動き、将軍府に楊奉を訪ね、司空府に張繍を招き、盧殖との会食を終え、昼過ぎには早々に洛陽を発った。
護衛隊は虎豹騎五百に加えて、騎馬隊五千騎である。
華琳らしからぬ大仰な構えであるが、長江や漢水流域を侵犯する孫策軍の騎馬隊の姿がしばしば目撃されていた。特に領内を荒らすということもなく、思うさま駆け回るだけ駆け回って去っていくらしい。孫策自らが指揮する精鋭二千騎だという、にわかには信じ難い報告も入っていた。替え玉を用いた挑発の類と見る向きも多いが、本人で間違いないだろう。
「そういえば貴方は、孫策とは黄巾の乱で共に戦ったのだったわね」
許へ向けて駆けながら、華琳が言った。
「はっ、はい」
雛里はいくらか息を弾ませながら答えた。
放浪生活が長かったから、今では馬術にも少しは自信がある。それでも、曹操軍騎馬隊の行軍はさすがに迅速だった。呂布軍の兵を受け継ぎ、曹仁と張遼が鍛え上げ、西涼兵をも打ち破っている。今や騎兵としては名実ともに大陸最強である。
「私と孫策なら、どちらの戦が上かしら?」
「そうですね。……もちろん条件にもよりますが、大軍の戦ならば華琳さん、寡兵の戦ならば孫策さんでしょうか」
「大軍と寡兵の境は?」
「二万。……いや、一万五千」
「そう。ではもし今襲われたなら、やりよう次第では私の首を持って行くかもしれないということね」
華琳も、騎馬隊を率いているのは孫策本人と考えているようだった。自領で五千五百は大仰だが、二千の孫策直属が相手となれば決して安心できる数では無い。
「まあ、さすがに二千でこんな奥深くまで侵入しては来ないでしょうけど」
華琳は言葉とは裏腹にどこか期待する様な顔でそう言い足したが、特に異変も無く七日の行程で曹操軍本拠の許へと至った。
本拠ではあるが、今は河北と中原で得られた兵糧を前線に送るための中継地という意味合いが強い。二つの前線―――荊州と西涼―――に人を取られ、しばらく手薄な状態が続いていた。戦を前に、一度華琳は自分の目で状況を確認しておきたかったらしい。
先触れも遣わさず出し抜けに役所を訪れたが、曹操軍文官筆頭の荀彧が後を任せた者達だけあって、官吏達の働きに緩んだところは見られなかった。華琳は自ら兵糧を満載した倉庫にまで足を運んで帳面と照らし合わせ、輜重部隊の兵舎を訪ねて軍規に乱れなく、装備に不備がないことを確かめた。
細事まで自らの目で見て把握しないと我慢ならないのが、華琳という人間だ。領土が拡張し、最近では荀彧や夏侯淵、曹仁らに一方面を委ねることも多いが、それでも本質は変わらない。
「ああーっ、鳳統先生だーっ!」
「本当だ! 鳳統先生ーっ!」
視察を終え、大通りを城門へ向けて歩いていると、幼い喚声が聞こえてきた。
視線を向けると、曹操軍に居候をしていた頃には毎日のように通い詰めた学校である。窓際に我先にと子供達が集まり始めていた。
「そういえば、許では講義をかなり受け持ってもらったのだったわね」
「は、はい。―――みんなー、久しぶりっ。でも、ちゃんとお席に付いて、先生のお話を聞かないと駄目だよーっ」
注意するも、興奮した子供達は聞く耳を持たない。困り切った表情の若い男性講師に雛里はぺこぺこと頭を下げた。何度か言葉を交わした覚えのある、かつての講師仲間だった。
「ふむ。良い機会ね、せっかくだから寄っていきましょうか」
「よろしいのですか? 出立の予定が」
「少しくらい遅れても構わないわよ。―――そこのあなた、この子と講師を代わってもらえるかしら?」
「はっ、もちろんでございます。さあ、お前達、鳳統先生が講義をして下さるぞ。ちゃんと席に付いて、良い子でお迎えしなさい」
講師は拱手して受けた。講師には専属の者と曹操軍の文官を兼ねる者がいるが、この男は確か後者だったはずだ。
「わーい、やったーっ!」
「―――えっ、鳳統先生が来てくれるの?」
「隣の教室だけ? そんなのずるーいっ!」
講師が着席を促すも、火に油を注ぐ結果となった。それどころか、他の教室にまで喚声が漏れ伝い、学び舎全体へと飛び火した。
「あ、あわわ」
「これは、少々軽率だったかしら? 雛里の人気を甘く見ていたようね。でもまあ、この調子なら私がいても―――」
「先生ー、ところでこの偉そうなお姉ちゃんは誰?」
子供達の一人が華琳を指して問う。
「こっ、こらっ、指をさすでないっ。―――その御方は我が主君、この許の支配者である曹孟徳殿下であるぞっ!」
講師の叫びを境に、子供達の喧騒はぴたりと静まったのだった。
最終的には、初めに雛里を見つけた子供達の教室に椅子をびっしりと敷き詰めて、希望者だけ参加という形をとった。当初の騒ぎを思えばとても席が足りたものではないが、意外にも定員の八十人ぴったりで治まった。
雛里が許で教鞭を取っていたのはすでに二年も前の話で、三年制の学校には最上級生しか当時の教え子が残っていないことが理由の一つだ。そしてもう一つは、教室の後方で見学する華琳の存在だろう。
「……ええと、そ、それじゃあ、はじめようか。な、何か勉強で分からないところはないかなー?」
常の講義ではないので、子供達から質問を受け付け、それを解説するという形を取った。しかしいつもなら率先して手を上げてくれる子供達の反応が芳しくない。
子供達は畏怖と好奇が綯い交ぜになった視線をちらちらと後方に向けては、慌てた様子で正面に向き直った。
―――あれは、そういうことだったのか。
二年前、華琳は朱里や雛里に講義に関する事細かな報告を求めた。当時は特に疑問を抱かなかったが、いま思えば華琳の性格なら実際に学校へ足を伸ばしたはずだ。
自分の存在が、子供達に過度な緊張を与えると理解していたためだろう。曹操軍の領内ですら、華琳の名には苛烈で冷徹な印象が付きまとう。
「これじゃあ、講義にならないわね」
ぽつりと呟いた華琳の声が、静かな教室中に響き渡る。
「雛里、貴方まで子供達に釣られて固くなってどうするの」
華琳はやれやれと肩をすくめながら教室の前へと足を進めた。
「そんなに気になるのなら、せっかくの機会だからよく見ておきなさい。私が曹孟徳よ。目が四つに口が二つあるかしら? 耳は肩まで垂れ 腕は膝まで届くほどに長いかしら?」
華琳は一段高くなった教壇の上に立つと、子供達を見回すようにしながら言った。俯きがちに視線を逸らしていた子供達は、華琳の言説に引かれて顔を上げる。
「がっかりさせて悪いけれど、私も貴方達と同じただの人間よ」
全員の顔が上がるのを待って、華琳は片頬で笑った。
「さて、せっかく教壇に登ったことだし、私も講師の真似事でもしてみようかしら。何か質問はない? 今なら鳳統先生だけじゃなく、この私も一緒に教えてあげるわ。別に勉強のことではなく、我が軍の政や戦に関する質問でも構わないわよ」
子供達は顔を見合わせ、小声で何事が囁き合うようにしていたが、意を決したように一人が手を挙げた。
黒髪を綺麗に切り揃えた少女である。成績はそれなりだが、いつも教室の中心にいる快活な子であったと記憶している。
「それじゃあ、そこの可愛らしい貴方」
「はいっ。……曹操様は、曹仁先生とお付き合いしているって本当ですか?」
「―――っ。ふふっ、ちょっと予想外の質問が来たわね。そういう質問が欲しかったわけではないのだれど。まあいいわ、別に隠すようなことでもないし、答えましょう。―――本当よ」
華琳が肯定すると、教室中から耳をつんざくような喚声が上がった。
「はいはいっ、どちらから好きだと言ったんですかっ?」
「どこまで進んでるんですか? 口付けはもうしましたか?」
「曹仁先生のどんなところが好きですか?」
華琳が指名するまでも無く少女達が捲し立てる様に質問を始める。一方で男の子達は今一つ乗り切れないようで、気まずそうに視線を彷徨わせていた。華琳は華琳で、子供達の勢いに圧倒されて目を白黒させている。
「みんなー、質問は一つずつ、真っ直ぐ手を挙げて、先生に当てられた子からしてねーっ」
華琳の珍しい姿に思わず頬を緩ませながら、雛里は事態の収拾に努めた。
先ほどまでの緊張はどこへやら、勢いよく挙手する少女達を一人一人指名していく。華琳はやはり圧倒された様子で、問われるままにかなり細部に至るまで曹仁との交際状況を曝していった。
「……質問はこれで終わりかしら?」
半刻(15分)余り後、ようやく静かとなった教室で華琳が問う。疲れ切ったという顔をしている。
「はっ、は、はいっ」
おずおずと手を上げたのは普段あまり目立つことの無い少女だった。
「では、貴方で最後としましょう」
「はっ、はいっ」
指名を受け、少女はぴしりと背筋を伸ばす。
筆記試験をやらせればいつも一番か二番に位置していた優秀な生徒だが、言葉が吃りがちなため講義中に発言することはほとんどなかったと記憶している。あがり症の雛里にとしては、密かに親近感を抱いていた少女だ。
「……そっ、曹操様は、私達農民にまでこうして知恵を付けて、い、いいったい、何をされるおつもりなのですか?」
ほう、という顔で華琳が一つ小さく頷いた。ようやく期待していた類の質問が来た、ということだろう。
「ふむ。……貴方、この国にどれほどの人間が暮らしているか、知っている?」
「ごっ、ご、―――五千六百四十八万六千八百五十六。で、ですが、この数は前の前の前の天子様がお隠れになられたときのもので、いっ、今現在の正確な数値を私は知りません」
少女の答えに、華琳は感心した様子でまた一つ頷いた。
天子の代替わりの度に中華全土の戸数と人口を調べて記録するのが、光武帝以来の伝統である。次代に対する戒めなのだろう。しかし先々代の天子が崩御したのは黄巾の乱の渦中、先代が廃位させられたのは反董卓連合の直前であり、戦の混乱に中でこの伝統が実施されることはなかった。
「そうね、少し意地悪な質問だったわ。戦乱が続き、国がいくつかの勢力に分裂した現状、正確な数を知ることは政に関わる者でも難しい。まして今の貴方の知り得るところではないわね。―――我が軍の調査では、二千万を切る」
「えっ、そ、それだけですか? ―――あっ! そ、それは、あ、あくまで戸籍上の数ということですよね?」
少女の問いに、華琳はやはり満足そうにまた頷く。
「ええ、そうよ。実際には流民となって戸籍を失った者が大勢いるでしょう。とはいえ、戦乱によって多くの命が失われたのも間違いない事実。中華全土で人口は四千万前後、というのが私達の予測よ」
こくこくと少女が頷く。
「さて、ここまでは余談よ。その四千万のうちに、生まれつき学問にふれる機会に恵まれた者―――士大夫はどれだけ含まれるだろうか?」
少女に向けて問う、という口調ではなくなった。少女も答えを返すでもなく、華琳が次に口を開くのをじっと待ち構えている。この場にいる全員に向けて華琳は語りかけていた。全員、の中にはたぶん雛里も含まれている。
「かつて洛陽には中華全土から三万人の学生が集まり、国の中枢を担う大夫達も居を構えていた。しかしそれでさえ百万近くを数えた住人全体から見れば、ほんの一割にも満たない。都の洛陽ですらそうなのだから、国全体となれば知識層は微々たるものに過ぎないでしょう」
そこで一度言葉を切って、華琳は教室に並ぶ顔ぶれを眺めまわした。一巡し、再び少女に視線を戻すと言った。
「だが、ただ学ぶ機会を与えられなかったというだけで、貴方達は士大夫の子と比べて何ら劣るものではない」
少女の身体が小刻みにふるえた。まばたきも忘れた様子で、食い入るように華琳を見つめている。
「これまで、学ぶこと、考えることは、士大夫の特権で貴方達には縁遠い世界のものだったかもしれない。これからは違うわ。学び、考えなさい。日々の暮らしを良くする方法でも良いし、詩をひねってみても良い。国の行く末を考えることだってもはや他人事ではない。そして十人で考えるよりも、百人千人で考えた方がずっと良いものが生まれるわ。―――貴方達はこれまで顧みられることの無かった、この国の大きな可能性よ」
教室に、わっと喚声が上がった。今度は先刻のように女の子だけではなく、子供達全員が沸き立っている。
華琳は子供達の興奮が静まるのを待って、少女への回答の締めに実に彼女らしいことを口にする。
「もっとも、百人で考えるよりも一人の天才が考えたことの方が良い場合もあるわ。そして十人に一人の天才よりも、千人に一人の天才の方が優れているのは、自明の理。貴方達の中からこの私を補佐する逸材が生まれることを待っているわ。―――あるいは、私にとって代わろうとするほどの英才が生まれることを」
主席という言葉の意味を雛里は改めて実感した。
桃香や孫策に限った話ではない。今は何の力も持たない子供達ですら、未来の好敵手候補なのだ。華琳にとって天下全てが戦場、あるいは巨大な試験会場のようなもので、己の能力で一番にならないと気がすまないのだろう。天子になりたがらないはずだった。天子は何者かと対等に競い合う存在ではない。
「―――っ」
華琳が、こちらを見てにやりと笑った。
お前も挑戦して来い。そう言われた気がして、雛里はぶるっと身を震わせた。