江陵と夏口への締め付けが厳しくなった。
夏口には穏を、江陵には冥琳自らが入り守りを固めてきたが、曹操軍は陸から城を攻囲するだけでなく、襄陽から船を発して水路も断ちに掛かり始めた。それぞれ長江北岸に孤立した拠点であるから、兵員や兵糧の輸送はそれでかなり難しくなった。陸上の軍勢の指揮も、これまでの于禁や張郃、韓浩らから、江陵は曹操自ら、夏口は夏侯惇と夏侯淵姉妹へ交代している。つまりは、本腰を入れて落しに来たということだ。
「頃合いか」
冥琳は江陵の放棄を決めた。
曹操軍の船団は、その気になれば打ち払うのは難しくない。しかし小さな勝利をいくら積み重ねたところで、大き過ぎる国力差をくつがえすことは出来ない。
劉備軍より譲り受けてから、すでに一年が経過している。この半年ほどは、陸上からの攻囲は絶えず受け続けていた。良く持ったと言うべきだろう。元々が只で譲られたものであるから、“何を”したところで惜しくはないのだ。
「ようやく決心がついた? 待ちくたびれたわよ」
床几に腰掛け、退屈そうに足をぶらつかせていた雪蓮が顔を上げた。軍議の間には、他に太史慈が一人いるだけだ。
「自分の間の悪さを恨むのだな」
本来なら、江陵の守備は冥琳と太史慈の二人である。雪蓮は、偶さか船で江陵に立ち寄った際に、水路の遮断に巻き込まれた格好だった。
「まっ、太史慈との試合にも勝ち越せたことだし、長期滞在も無駄ではなかったと思いましょうか」
騎馬隊の調練に明け暮れる雪蓮が江陵まで出向いた理由が、太史慈との剣での手合せだった。兵の相手ばかりでは自身の技が鈍るし、兵にも自分とは違った武人との訓練をさせたかったらしい。
「勝ち越せた、か」
「ええ、だいたい百戦して、六十くらいは私が勝ったわ。そうよね、太史慈?」
「はい。百十一戦して、孫策様の六十七勝です」
「ふふん」
太史慈の返答に雪蓮が胸を張る。
「さーてと、そうと決まれば、江陵に物資を残していくのはもったいないわよね。貯蔵庫にあったお酒を、飲んじゃわなきゃ。撤退の計画は任せたわよ、冥琳」
雪蓮は腰を上げると、逃げるようにそそくさと軍議の間を出て行った。
「お止めしなくて良いのですか?」
「まあ、珍しく大人しくしてくれていたことだし、少しくらいは大目に見よう」
せっかくだからと前線に出たがった雪蓮だが、冥琳の願いを聞いて目立つ行為は避けてくれていた。江陵に孫策有り、などと曹操に知られれば、一気に総力戦となりかねない。
「―――それよりも」
冥琳はそこで一端言葉を切ると、意を決して続きを口にした。
「実際のところ、雪蓮の調子はどうなのだ、太史慈。怪我をする前の力を、取り戻せているのか」
あわやというところまで追い詰められたとはいえ、一騎打ちで雪蓮は太史慈を破っている。その太史慈に練習で勝ち越せたと喜びを見せた雪蓮に、冥琳は引っ掛かるものを感じた。
「いいえ」
太史慈が小さく首を横に振った。
「それでは―――」
「―――お強くなっています、怪我をされる以前よりも」
「しかし、その雪蓮を相手にお前も随分と勝利したようではないか」
「もともと孫策様の苛烈な攻めと一瞬の閃きの剣は、仲間内の訓練などでは発揮し難きもの。以前ならば、私の方が勝ち越してもおかしくはなかったでしょう。―――もはや実戦では、私に万に一つの勝ち目もありますまい」
「そんなものか」
太史慈は主君だからと遠慮して世辞を言うような類の人間ではない。実際、雪蓮との手合せでも平気で勝ちを取りに行っているのだ。その太史慈が言うのだから、まず間違いないだろう。冥琳はほっと胸を撫で下ろした。
三日後、夜の間に兵を船着き場へ移動させ、静かに乗船させた。南門―――長江に面した水門―――の開閉をする工兵だけを残して、北門に西門、東門は守兵も全て引き払った。
陸上の敵兵からは絶えず喚声が上がっているが、実際に攻城が開始されるのは決まって夜明けを迎えてからだ。それは指揮が曹操に移ってからも変わっていない。どこかでこちらの兵の気の緩みを突きにくる、そんな単調さだが、こちらで先に利用させてもらう。
冥琳も旗艦に乗り込み、じっと夜明けを待った。
「周瑜様」
兵が近付いて来て囁いたのは、朝日が顔をのぞかせてから半刻ほど過ぎた頃だった。
「ああ、分かっている」
耳に届く曹操軍の喚声に微妙な奥行き生まれていた。城壁の反響を受けている。つまりは城内まで突入されたということだ。
南門の工兵に旗を振って合図を送ると、水門が重々しい音を立ててゆっくりと開き始める。
小型船から順に長江へと出る。中型船の中では一番に、雪蓮の乗った船が出航していった。雪蓮は小回りの利かない船を好まないため、大型の旗艦ではなく中型船に乗船している。
旗艦は工兵を回収して、大型船の中でも最後に水門を出た。
曹操軍の船が十隻、二十隻と集まって来ているが、寄せては来ない。行く手を阻むように、横列で長江を封鎖する。哨戒のために遊弋していた船隊だから大型船は数隻で、中型船を中心に小型船をいくつか随伴させた編成だ。
「ふむ。形ばかりはなかなか整っているな」
横目に江陵へ視線を向けると、南の城壁にも曹の旗が掲げられている。
「それでは一つ、曹操に水軍の戦というものを教えてやるとするか」
華琳が南壁を登ると、ちょうど水戦が開始されたところだった。
上流を占める孫策軍の船が、まず動いた。小型の船三十艘余りが、長江を遮断する曹操軍の横列へ向けて進む。
二度三度と櫓が水面を叩いたかと思えば、見る間に船足が跳ね上がった。船首に杭のようなものが見える。蒙衝のようだった。大型や中型の船の船腹に穴を開けて沈める突撃船である。
水軍の戦は詰まるところ、船上の敵兵を殲滅するか、船を沈めるかだ。前者ならば矢を射掛け、最後は接舷して直接乗り込むという戦法が取られる。後者の場合は船同士をぶつけ合うか、火矢で炎上させるか、あるいは蒙衝を使うかである。
こちらの船隊も、蒙衝を前へ出す。蒙衝の打ち合いとなった。北風―――両船隊にとって横殴りの風が強いから、火矢は味方の船まで延焼させかねない。この蒙衝の打ち合いが、勝負の肝となる。
互いの蒙衝と蒙衝がすれ違う。
「むっ」
曹操軍の蒙衝の多くがその場で勢いを失った。何艘かは転覆し、それを免れた船も方向を見失ったようにふらふらと流れに揺られる。
孫策軍の蒙衝の方は、そのまま見る間に曹操軍中型船の横列へと突っ込んでいった。
中型船は、蒙衝を避けようと右に左に舵を切る。船幅が狭く縦に長い蒙衝は、横の動きには弱い。が、如何せん船足に差があり過ぎた。却って船腹を曝すのみとなった。
「――――っ」
波濤と水飛沫が、遠く離れた華琳の耳にまで蒙衝が激突する轟音を感じさせた。
蒙衝一つ突き立った程度なら、強引に操船は可能だった。二つ突き立てば対処に追われ身動きが取れず、三つとなるとその船は放棄せざるを得ない。
孫策軍の中型船と大型船も前進を始めた。
蒙衝を打たれ江上の障害物となった船を巧みに利用している。こちらの船を寄せ付けず、あるいは死角を使って二隻、三隻で一隻を囲い込む。
水戦の経験に差があり過ぎた。やがて、孫策軍の船隊は長江下流へ進路を取った。今度はこちらが上流を占める形だが、追い縋る曹操軍の船は少しずつ引き離されていく。あれでは、戦闘に持ち込むこともできないだろう。
曹操軍は江陵を得たが、水軍の戦では完敗と言えた。
「こちら―――そ、曹操軍の蒙衝だけが一方的にやられたのは、どうしたことでしょう?」
隣に並んだ雛里が疑問を口にした。曹操軍をこちらと称し、慌てて言い直している。
「だいたいの想像は付くけれど、……季衣、流琉、見えた?」
「はい。すれ違う瞬間に、櫓に船首をぶつけられていました」
「むこうの蒙衝は、ぶつかる直前に櫓を船内に引っ込めたように見えました」
「なるほど」
雛里が小さく二度三度と首肯する。
「……黄祖が味方にいれば、もう少し違ったのかしら?」
江陵周辺の水軍には蔡瑁を、襄陽から夏口にかけての水軍には文聘を指揮官として置いている。
二人とも元劉表配下の部将であるが、蔡瑁は半ば文官のようなもので、文聘は水軍の調練をさせれば優秀な武官ではあるが、実戦経験に乏しい。それも当然で、これまで荊州での戦らしい戦と言えば孫策軍との抗争であり、常に夏口の黄祖が担ってきたのだ。
「どうでしょうか? 兵や水夫(かこ)の差も大きいように思います。流れの活かし方も違っていました」
雛里が言った。
同じ流れに乗るのでも、孫策軍の船の方が明らかに速かった。櫓の数自体は大型船で片舷十六、中型船ではその半分の八と違いはない。
「玄武池で調練を積ませた者達だけど、人口の溜め池に流れは無いものね」
荊州北部を手に入れた後は、漢水での調練もさせてきたが、やはり初めから長江周辺に生まれ育った者達には敵わない。南船北馬というが、北方の騎兵の精強さを思えば、孫策軍の水軍の強さは当然とも言えた。
騎兵は董卓、呂布と引き継がれてきた西涼兵を飲み込むことで、天下第一と言えるものを手に入れた。しかし水軍には今のところ当てがなかった。
「……荊州水軍の美味しいところは、桃香がすべて持っていってしまったのよね」
「あわわ」
じとりとした視線を飛ばすと、雛里は身を竦めた。
「それにしても、やはり“孫呉”の水軍は強い。特に上流を抑えられてしまえば、水を得た魚を相手にするようなものね」
―――孫呉。
いつからか孫策軍は自らをそう呼称している。
華琳と桃香の王位冊立の後、曹操軍を曹魏、劉備軍を蜀漢などと呼ぶ者も多いが、孫策軍にとって孫呉という呼称はそれへの対抗というだけではないようだった。呉は孫家の遠祖孫武が大功を立て、先代孫堅が勢力を張った土地である。華琳が偶さか魏に封建されたというだけの曹魏とは違い、呉の地への強い思い入れが感じられる。
何にせよ、口にした言葉の響きは敵ながら悪くはなかった。
「それで、本隊は水軍と並行して夏口へ軍を進めたのか?」
戦況を伝える荊州からの使者に、曹仁は問うた。
「いえ、水軍ともども烏林にて陣を布かれました」
「烏林? ええっと、どこだったかな?」
「そんなことで大丈夫なの? 貴方は一応、荊州都督でしょ」
詠が呆れ顔で言う。
長安の軍議の間、ではなく原野に張られた幕舎の中だった。戦陣である。馬超が涼州でいくつかの城郭を落とし、力を伸ばし始めていた。
曹操軍が孫策軍を攻めれば、劉備軍が曹操軍を攻める。それは予て想定されていた通りの動きであり、曹仁は白蓮に長安の守備を委ね、すぐさま出陣していた。
「ほんとに一応なものでな」
都督として曹仁がやったことと言えば宛に支城を建てたことくらいで、すぐに長安への赴任を命じられていた。今も、荊州では孫呉を相手に大戦が始まろうとしているなか、劉備軍と馬超に対する守りの要として西涼に残されていた。戦の相性を考えた結果だが、荊州都督の肩書はあまりに空しい。
「雲夢沢に囲まれた草地です。都督就任後の視察の際に、一度立ち寄りました」
「ああ、あそこか。江陵から長江沿いに東へ進んで、夏口の四、五十里手前だったか」
雲夢沢は長江北辺に広がる湿原である。戦国時代の楚の聖地であり、高祖劉邦が謀反の罪で国士無双韓信を捕らえた地だった。史書を読めば何度となく目にする地名である。
泥濘(ぬかるみ)が続く雲夢沢では騎兵の移動には難儀し、視察の際に足を休めたのが烏林だった。長江と雲夢沢に挟まれるように存在する、足元の確かな草地である。
「それで、なんだってそんなところに? 江陵を落とせば、次は夏口じゃないのか?」
「はっ。烏林の対岸に孫呉の水軍が集結しております。今は長江を挟んで対陣という形です」
「なるほど」
上流を取られるのを嫌ったということのようだ。華琳は一戦して、長江での戦の難しさと孫呉水軍の強さを悟ったのだろう。
「―――曹仁将軍っ! 錦馬超の軍勢がこちらへ向かっておりますっ、距離二十里っ」
斥候が幕舎に駆け込んできて叫ぶ。
「まったく、気が休まらないな」
報告が二十里ということは、すでに十里の距離まで迫られていると考えて良い。曹仁が床几から腰を上げると、蹋頓と龐徳、そして角も揃って立ち上がった。
騎兵は曹仁、蹋頓、龐徳の三隊。歩兵の指揮は角。幕僚として詠と春華。万全の陣容だが、桃香たち劉備軍の本隊が出てくれば劣勢となろう。
華琳の戦線も気掛かりだが、今は自分の戦に曹仁は頭を切り替えた。
※櫓についての捕捉。
作中で出てくる櫓は、正確には櫂です。
櫓は船尾に付けて推進力を得る道具。時代劇などに出てくる小舟で、船頭さんが船尾で漕いでいるアレです。スクリューなどはこの櫓の発展系。
櫂はいわゆるボートのオール。船腹から横に出して漕ぐ道具。
三国時代の戦船は、船腹から何本も櫂を出して漕ぐのが基本で、時に帆を併用したと考えられています。
というわけで作中でも櫂を船腹から突き出して漕いでいるわけですが、この場合の櫂のことは何故か櫓と表記するのが一般的です。「~丁櫓の戦船」などと感じで。そこで本作でも櫓という表記で統一させて頂きました。ご理解ください。