「曹仁、いるか?」
「ここだ、将軍」
川沿いに集まる義勇兵達の中に、手を振る曹仁の姿を認め、皇甫嵩はそちらに足を向けた。
「お前、何をしている?」
「見て分からないか?」
川の中には何かの縄の様なものが浮かんでいて、それを兵達と共に洗っているようだった。辺りには鼻を突く強烈な臭いが漂っている。血の匂いも混ざっているようだ。
「それは内臓か?」
「そうだ」
「人間のではあるまいな」
「まさか。孫策殿と黄蓋殿が獲ってきた猪の腸だ」
そう言って、曹仁は持っていた内臓をちょっと持ち上げて見せた。人の物とそれがどう違うのか、見せられたところで皇甫嵩には分からなかった。
「で、お前は何をしている?」
「料理の下ごしらえだ。見れば解るだろう」
「ほお。お前、料理など出来るのか」
「まあな。野営で作る雑多なものだけだが、これでも結構自信はある。まずいものを出すとほんとに食わない女に鍛えられたからな」
「ふむ」
昼飯時まではまだ少し時間がある。今から準備をすれば、ちょうどいい時間になるのだろう。辺りには到底食欲を喚起することない臭いが満ちているが、空腹自体は感じている。
「で、用件は?」
作業の手を休めてこちらを見る曹仁を、皇甫嵩は見つめ返した。
「…………」
「…………食いたいなら、向こうで待っていてくれ」
曹仁が指さす先には、孫策に黄蓋、それに義勇軍の将達が集まってこちらに視線を送っていた。
波才を撃破してから、10日程が経過していた。皇甫嵩達は、未だ長社の地に留まっていた。決戦の地と思い定める広宗までは、500里以上も離れている。最も城内の兵は少しずつ彼の地に向けて進発させている。曹仁達の義勇軍2000の出発は、最後と決まっている。義勇軍は進発する少数部隊と、無人と成りつつある城を覆い隠すように、城の周囲に陣を敷いている。
「いいところにやってきたな、嵩殿」
寄っていくと、黄蓋が声をかけてきた。自分と近い年齢の彼女とは、すでに気の置けない関係となっている。江東の虎孫堅に従い、今はその娘孫策の私兵のような立場にある彼女だが、もし官軍の下で功を積み続けていれば、自分と同じ地位にいてもおかしくはない。皇甫嵩はそう思うほどに黄蓋の実力を買っていた。もっとも、ただ漫然と功を積み、今や将軍の地位にいる自分と彼女、どちらが充実した人生を送っているかは定かではないが。
「随分と大猟だったのではないか、黄蓋殿」
内臓を洗い終わった曹仁が兵達と共に肉を切り分けている。10頭分近くはありそうだった。水を張られた大鍋が20ほど火に掛けられていて、そこに解体された猪の骨が放り込まれていく。同時に、香草や野菜のようなものもいくつか入れられている。
「うむ。曹純と張飛から、曹仁が野営地で作るものが旨いと聞いて、作らせようと思ったのだがな。あやつめ、義勇兵全員の分がないと作らんと言いおってな」
皇甫嵩も野営では兵達と同じものを食べる様にしていた。それで、兵達の状況が頭ではなく体で少しは理解出来るのだ。曹仁にそこまでの考えがあるかはわからないが、少なくとも急造の義勇軍を良くまとめてはいた。精神的な支柱として劉備がいて、実際的なまとめ役として関羽と曹仁がいる。そしてもう少し兵に近いところに張飛や曹純、牛金がいる。良い軍だった。
眺めていると、鍋の中に肉と内臓が入れられていく。肉は入れる前に軽く火で炙っている。肉が入るものと内臓が入るものの二つが別に作られているようだ。山菜や茸、野菜も次々に切られ、鍋に入れられていく。猪の解体には参加していなかった諸葛亮と鳳統もそれを手伝っている。なかなかに手際が良い。可愛らしい外見と相まって、まさに女の子という感じだ。曹純と牛金は最初から手伝っていたし、劉備も危なっかしい手つきで野菜を切っている。
「二人は手伝わんのか?」
皇甫嵩は傍らに座る関羽と張飛に尋ねた。張飛は待ちきれないという表情で料理の様子を見つめていた。対する関羽は居心地悪そうに小さくなっている。
「は、はいっ!?」
「んにゃ? 鈴々は食べる係なのだ!」
狼狽する関羽と、無邪気に微笑む張飛。関羽がふてくされた様に続けた。
「ひ、人には得手、不得手というものがありますから」
「なるほど。ま、私も料理などは出来ん。適材適所というものだな」
関羽が、我が意を得たり、とばかりに深く首を縦に振った。
「そろそろ出来るみたいよ」
孫策の声に視線を戻すと、曹仁が一つ一つの鍋を回って、何か香料の様なものを加えている。食欲を刺激する良い匂いが、ここまで漂って来ていた。
「曹仁、この汁は中に何か溶かし込んでいるようだが、脳か? それとも肝か?」
「両方だ。良く分ったな。ひょっとして黄蓋殿は料理をするのかな?」
「意外か?」
「いや、そうでもないな」
「何じゃ、つまらん反応じゃな」
「猪がちゃんと血抜きされていたからな。そうじゃないかとは思ってた。まあ、理想を言えば抜いた血も持ってきてくれると良かったんだけどな。煮込む時に少し混ぜると味が深まる」
「ほぅ、次からはそうしよう」
「まあまあ、おいしければ何でもいいじゃない。お酒にも合うし」
孫策が、曹仁と黄蓋の間に割り込むようにして言った。皇甫嵩も同感だった。とろみのある汁で煮られた内臓が皇甫嵩は気に入った。内臓を洗うところを見なければ、なお良かったのだが。
食事を終え、城内に戻ろうとする孫策達を、曹仁は呼びとめた。
「これは何?」
「肝臓の腸詰だ。周瑜殿に。癖があるから嫌いかもしれんが」
「冥琳に?」
「ああ。あんたら二人が朝っぱらから狩りに行って、将軍もここにいるってことは、割を食ったのは彼女だろ」
孫策、黄蓋と皇甫嵩が食べたとはいえ、結局狩りの獲物はほとんど全てが義勇軍の腹の中だった。昼間からそれを肴に酒を飲んでいる3人には感謝の気持ちも沸かないが、その尻拭いで働いているだろう周瑜に対しては別だった。
「へぇー、なかなか気が利くのね。……お酒に合いそうね」
「どんだけ飲むんだ、あんたは。周瑜殿にだぞ。あんたら二人で食べるんじゃないぞ」
「……冥琳は私のだからあげないわよ」
変に邪推されていた。
孫策も華琳と同じで女好きなのだろうか。それとも周瑜だけは特別か。とりとめのないことが頭に浮かんだ。
「それとも、あなたがわたし達の軍に来る? 歓迎するわよ。もちろん料理人としてじゃあなくて」
「孫策、貴様!」
続く孫策の言葉に、曹仁が何か答えるより早く、愛紗が詰め寄っていた。
「なあに、関羽? 聞けば、あなた達ただ同盟を結んでいるだけだそうじゃない。私が曹仁を誘うのを、あなたに止める権利があるのかしら?」
孫策は冷ややかな表情を浮かべている。
「うっ、それはそうだが。しかし、曹仁殿は我々の――」
「盛り上がっているところ悪いんだが」
曹仁は二人の間に割って入るようにして、口を開いた。
「俺はまだ誰にも使えるつもりはないよ、孫策殿」
「あら、残念」
言って孫策は、愛紗に向けいたずらっぽく微笑むと、あっさりと城へと向かって踵を返した。冗談半分に口にしただけだったのだろう。
「周瑜殿にだぞ!」
孫策は手だけを振ってこちらに答えると、真っ直ぐ城へと引き返していった。それに付き従う様に、黄蓋も戻っていく。
「…………」
後には微妙な空気だけが残った。
「そうだ、将軍。あんた、俺に何か用があるんじゃなかったか?」
曹仁は気を取り直すために、思いついたことを口にした。
「おお、すっかり忘れていたわ。……お前に、使者を頼みたいのだ」
「使者? 俺に?」
思いの外重要な話に、曹仁は意表を突かれた。皇甫嵩がのんびり食事などしているから、大した要件ではないと思っていたのだ。
「ああそうだ」
「俺は、何の官位も持っていないんだぞ」
「分かっているさ。しかし今回はお前が適任で、そしてお前たちの軍師の策を実行する上で必要な任務だ」
朱里と雛里の策に必要なことなら、否やはなかった。
「そういうことなら引き受けるが。……で、どこに行けばいいんだ?」
「うむ、それはな―――」
「良く来たわね、仁」
久し振りに会った華琳は、にこやかな表情で言った。それと分かっていてもつい見惚れてしまうような、見事な作り笑いだった。
曹仁が使者として送られたのは、決戦の地広宗より西に300里ほど言った地点、華琳が本営を置く場所だった。通された幕舎で待つことしばし、華琳が供も連れず一人でやって来たのだった。騎兵10騎に鈴々と蘭々を伴って来ていたが、ここには曹仁一人だけが通され、鈴々は兵をまとめて外で待機している。蘭々は到着するや、幸蘭に会いに行くと言って何処かに行ってしまった。
幕舎は、華琳が私室として使っているもののようだった。うず高く兵法書の類が積まれているかと思えば、詩集が列をなしてもいる。そんな中、これ見よがしに机上に置かれる一本の竹簡に、曹仁はすぐに気付いた。捨てたはずのものである。いったいどうやって手に入れたのか。間諜でも家に潜り込ませていたのだろうか。あえて目立つ場所に置いてある以上、わざと見せてつけていると考えるべきだろう。
「お久しぶりです、曹孟徳殿」
「仁?」
意図的に出した硬質な声に、華琳の表情がわずかに険しくなる。曹仁は構わず続けた。
「旧交を温めたい思いはありますが、我が身は左中郎将皇甫嵩殿の使者。公私は分けねばなりません」
「ふぅん、そういうやり方。……ならばこちらも、相応の対し方をする必要があるわね。このような私室に通してしまった非礼をお詫びします、使者殿。しばしお待ちください」
華琳は意地の悪い笑みを浮かべながら、幕舎から出ていった。馴染み深いその笑顔を見るのは、実に一年半ぶりであった。あの笑みを前に、自身が無事に済んだことはないのだ。曹仁は背筋に冷たいものを感じた。
「おおっ、仁! やっと帰ってきたか!」
「……」
「おいっ、仁!」
「……」
「仁! お姉ちゃんを無視するやつがあるか!」
案内の者に連れられてやって来た幕舎は、華琳が私室として使っていたものと比べかなりの広さがあった。そこには華琳に春蘭、秋蘭、そして幸蘭と、彼女に寄り添うようにして蘭々の姿もあった。幕舎内に入ると、早速春蘭が声をかけてきた。曹仁は久しぶりの再会に沸き立つ心を押さえ、口を開いた。
「…………夏候元譲殿。私は皇甫嵩将軍の使者として来ています。私事に費やす時間を持ち合せておりません」
「はっ!? 何を言っているのだ、お前は」
「駄目よ、春蘭。曹仁殿は官軍の将軍様からの大切な使者の任に当たっているの。私語は慎みなさい」
「し、しかし、華琳さま!」
「曹仁殿、皇甫嵩将軍からの指示を聞かせて頂戴」
「はい」
「華琳さまぁ~、仁~」
「姉者、使者殿の御前だ。静かにしろ」
「うぅ~」
曹仁は、まず現在行っている作戦計画についての説明を行った。その間も春蘭の拗ねた様な声が何度となく耳に届く。その度に、秋蘭と幸蘭がわざとらしくも慇懃に春蘭を注意する。
「なるほど。挟撃に備えて周囲の黄巾党の拠点を私達で押さえて欲しい、そんなところかしら?」
「さすがは曹孟徳殿。その通りです」
曹仁は持っていた地図を開くと、具体的な作戦指示を行った。華琳には必要のないことだろうが、こちらの意図を理解した上ではずしてくるというのも、いかにも彼女がしそうなことだった。いざという時に、そんな指示は聞いていないでは困るのだ。
「うぅ~~、仁~」
「駄目ですよ、春ちゃん。お仕事の邪魔をしては」
(聞こえない、聞こえない)
曹仁は自分に言い聞かせた。
「それでは、皇甫嵩将軍からの指示は以上です」
「やっと終わったか!」
「駄目ですよ、春ちゃん。家に帰るまでがお使いです」
「そうだぞ、姉者。黙って見送ってやれ」
「部下が失礼をしたわね、使者殿」
春蘭の最後の攻勢に備えていた曹仁は、肩透かしを喰った思いだった。
「そ、それでは曹孟徳殿、作戦の方お願い致します」
「ええ、また会いましょう、曹子孝殿」
「そんなっ! 華琳さまぁ!」
「……蘭々、戻るぞ」
曹仁は蘭々を呼び寄せると、踵を返した。背後からは春蘭のすがる様な声が聞こえてくる。その声に後ろ髪を引かれ、曹仁は一歩が踏み出せずにいた。
「うぅ~、仁~」
「……」
「久しぶりに会ったというのに、どうして話してくれないのだ~」
「……」
「兄貴、行こうぜ」
「……ああ」
一歩踏み出した。
「うぅ~~、仁~~。…………ひっく」
「……」
春蘭の鼻にかかった声に思わず再び足が止まる。ゆっくりと振り向くと、春蘭と目が合った。合ってしまった。その目にはわずかに涙が溜まっている。
「ぐすっ、仁~」
曹仁の負けだった。
「……任務は終わったよ、春姉」
春姉、そう呼ぶと春蘭の表情が晴れ渡った。これで良かったんだ、曹仁がそう思っていると、春蘭の表情が再び一変した。視線から怒気が感じられる。
「お姉ちゃんを無視するとは何事だ!」
「ぐはっ」
飛んできた拳を、曹仁は避けずに受け入れた。もっとも、避ける気があっても避けられるとは限らない、本気の拳だったのだが。
「仁」
吹き飛ばされた体を立て直すと、いつの間にか華琳が目の前に立っていた。
「くっ!」
退路を求め振り返る。幕舎の出入り口。走った。
「幸蘭!」
「はいっ!」
「!」
一瞬の浮遊感。気付くと曹仁は地面に倒れ伏していた。足元を見る。右足首に軟鞭が絡み付いていた。30以上もの短鞭を鎖で繋ぎ合わせたその武器は、幸蘭の得意とする得物である。その先に視線を走らせると、やはり彼女の姿があった。
「うふふ。逃げられませんよ、仁ちゃん」
「姉ちゃん! どうして!?」
「今の私は華琳様の家臣ですから。……楽しそうですし」
「なっ!」
「それに仁ちゃん。蘭々ちゃんの言葉遣い、あれはどういうことでしょう? 蘭々ちゃんは仁ちゃんに許可はもらったと言っていましたが?」(*第3話参照)
「……そ、それは」
最近ではすっかり馴染んで、失念していたことだった。家を出るまでは、自分のことを“わたし”と言い、曹仁のことを“お兄さま”と呼んでいたのだ。
(…………あの頃の蘭々は可愛かったなぁ。今だって可愛いけど、また格別というか。またお兄様って呼んで―――)
「仁」
曹仁の現実逃避は長くは続かなかった。華琳が近づいてくる。
「お仕置きが必要ね」
「くっ! しゅ、秋姉、助けて」
「……骨は拾ってやるぞ、仁」
秋蘭の言葉が、無慈悲に曹仁に突き刺さった。
戒めを解いてやると、曹仁はその場に頭から崩折れた。打ちひしがれる曹仁の姿に、華琳は満足感を覚えた。
曹仁の私生活を丸裸にした「仁ちゃん日記(作:曹子廉)」の、幸蘭による朗読。これは良かった。話自体も興味深いものだったし、縛りあげられ猿轡を噛まされた曹仁の表情も最高だった。またやろう。
「うう、もうお婿に行けない」
「心配するな、仁。その時はお姉ちゃんがもらってやる」
「「「「!」」」」
その余韻を、春蘭の一言が吹き飛ばした。
「……春蘭、あなた、仁のことが好きなの?」
春蘭が曹仁を実の弟の様に可愛がっているのは知っていたが、そこまでの感情を抱いているとは思ってもみなかった。
「か、華琳様、顔が怖いですよ。何か怒ってらっしゃいます?」
「いいから答えなさい。仁のことを男として好きなの?」
「男としてどうかと聞かれますと、ぐじぐじと女々しく思い悩むところとか、直してほしいところもありますが」
「そ、そうよね」
「でも、私の知る男の中では一番好きですよ。いずれは私も曹家の未来を担うような子を作らねばですし、これから先、仁より好きな男が出てくるとも思えません」
「それで仁を婿にもらうと」
「はい!」
「……そういうこと」
自分にとっての曹仁の評価も、似た様なものであった。気の置けない家族であり、それなりに優秀な人材。男としては評価の対象外ではあるが、最も近しく、唯一愛情の様なものを感じる男でもある。その感情はあくまで家族に対するものではあるが、春蘭の考えも分からなくはない。
「ほぅ、姉者は時に真理をつくな。しかしそうなると、私も仁を婿にもらわねばならんな」
「なっ、秋蘭!」
「私と蘭々ちゃん、それに華琳様だってそうですよ~」
「ちょ、ちょっと姉貴!」
「幸蘭! 私がどうして仁なんかと」
図星を刺され、華琳は自分でも声が上ずっているのに気付いた。
「へぇ、華琳様。うちの仁ちゃんより素晴らしい男性とお知り合いなんですかぁ?」
「そ、それは知らないけど。ちょ、ちょっと幸蘭、顔が怖いわよ」
華琳は幸蘭の剣幕に思わずたじろいだ。この従妹は、時に自分に対しても強気に出ることがある。もっともそれこそが、春蘭や秋蘭には無い、幸蘭を傍に置く最大の利点であった。自身の在り方に厚みを持たせられるし、何より面白い。
「うふふ、よかったですね~、仁ちゃん。よりどりみどりですよ」
幸蘭に釣られて、先程から一言も口を開いていない曹仁へと目をやる。
「…………あれ、仁ちゃん?」
そこには、先ほど解いた縄と猿轡が置いてあるだけだった。
「……逃げたわね」
「なんとっ! 我らに悟らせず逃げ去るとは!」
それだけ腕を上げたということか。それとも、自分達が思った以上に狼狽していたということか。
「追いますか、華琳様?」
秋蘭が聞いてくる。一人冷静に見える彼女も、内心は動揺していたのだろうか。
「まあいいわ。十分に楽しめたし、使者としての要件は済んでいるのだからね」
春蘭は不満そうな表情を浮かべているが、今はここまでで良いと華琳は思った。いずれは必ず自分の元に帰ってくるのだから、少しぐらいの勝手は許そう。その方が次に会う時の楽しみが増えるというものだ。
「そ、それじゃあ、お――私も、ここら辺で」
蘭々がおずおずといった感じで言うと、出口へと向かった。幸蘭がその前に立ち塞がる。
「あ、あの、何かな? あね――お姉さま」
「蘭々ちゃんは少し残って、行儀作法の復習をしていきましょうね」
幸蘭の浮かべる笑みに、華琳まで背筋が凍えるのを感じた。
「お兄ちゃん、今、蘭々の叫び声が聞こえたのだ!」
「振り返るな、鈴々!」
曹仁の耳にも、確かに蘭々のこちらに助けを求めるような悲鳴は届いていた。その情景も思い浮かぶ。今の曹仁ほど、怒った曹子廉の恐ろしさを知る者はいないのだ。
(すまない、蘭々。強く生きろよ)
曹仁は心の中で謝罪すると、白鵠を駆った。