籠城戦が始まって20日が経過していた。朝靄の中、張曼成が城壁に上ると、守備兵達が直立して居住まいを正した。それを手で制して休ませると、張曼成は一人一人の兵に労いの言葉を掛けて回った。どの兵も疲労の色が濃い。そしてそれは張曼成自身にも言えることだった。張曼成は憂鬱な気分で、眼下に広がる敵陣を眺めた。
広宗の城は東方に川を持つため、3方向から攻撃を受けることとなった。官軍は、まず防備をしっかりと固めた上で攻撃を開始した。既に城周囲の堀は完全に埋められ、城壁に向けて直接攻撃が繰り返されている。
元々、張角達が居ることで兵の士気は高いのだ。何度攻め立ててきても退けてみせるという自信があった。しかし攻撃は思ったほど苛烈なものではなく、半日以上続けられることはなかった。ただ、こちらの隙をついて攻めかけてくる。夜襲からそのまま夜を徹して攻撃してくることもあれば、夜更け前に一当てだけして去っていくこともある。守備兵の交代の瞬間を狙って攻めてくることもあった。こちらの士気をうまく逸らされている。ぶつける相手もいないままに士気は少しずつ落ち、兵達は気が休まる間もなく少しずつ消耗していっている。
張曼成は少し身を乗り出すようにして、城壁の壁面に目を送った。3か所、大きな割れ目が見えた。それは張曼成が立つ上辺にまで続いている。小さなひびは数え切れないほどだった。城門も大きく歪んでいる。他の2面を同じようなものだった。あと何回、衝車の直撃に耐えられるだろう。陥落は時間の問題だった。張角達3人だけは何としても守りぬかねばならない。それが馬元義に代わって指揮を執る自分の、最重要の任務であった。
視線の先で、敵陣が動いた。
「張曼成様!」
「ああ、わかっている。火矢の用意をしろ! 来るぞ!」
楯を並べた兵に守られながら、衝車と雲梯(梯子車)が近寄ってくる。
強引な力攻めは一度だけで良い。皇甫嵩は緩急入り混ぜた攻撃を意識した。兵達には十分な休息を与えつつ、最小の犠牲で最大の効果を得られる機を狙って攻撃を仕掛けた。敵軍の士気は、異常とも言えるほどに高かった。相手の援軍は既に絶っている。皇甫嵩は無駄に兵を失わずに済むよう、皇甫嵩は散発的な攻撃を繰り返すことで、敵兵の士気と体力を摩耗させるつもりだった。防備だけを固めて、相手の兵糧が尽きるのを待つという手もあったが、先の奇襲で敵軍の兵数は大きく減っている。兵糧にはまだ十分に余裕があるだろう。そして何より、今の朝廷の状況を思うと、あまりのんびりと構えてもいられない。盧植の例もある。皇甫嵩自身、帝の傍に仕える宦官たちからの評判が良いと言えない。つまらないことで首をすげ替えられないとも限らないのだ。
雲梯と衝車が、城壁に近づいていく。衝車は城門だけでなく、城壁自体にもぶつけている。それが、敵の守備を分散させている。
雲梯は、城内に乗り込むためではなく、衝車を援護するために使われている。城壁の上の敵兵が、雲梯から降り注ぐ矢に倒れていく。
攻城兵器は豊富に取り揃えられていた。洛陽に移送された盧植が用意していたものも回してもらったのだ。
大気を震わすような大きな音が響いた。衝車が城壁にぶつかった音だ。音の大きさからして、ほとんど抵抗も受けず、かなりの速度を維持したままぶつかった様だ。続いて、他の場所からも音が響く。城壁に走るひびは、すでに相当に深いものとなっていそうだ。その数も多い。一つ所に割れ目が生じても、皇甫嵩はそこに執着はしなかった。しかし守備側は、そこを重点的に守らざるを得ない。兵の配置に偏りが出れば、その分他が攻めやすくなるのだ。
抵抗は明らかに弱まっていた。皇甫嵩は、時が来たのを感じた。
曹仁は、広宗の城に攻め寄せる官軍を眺めた。今回の攻撃は官軍のみによるもので、義勇軍は休息をとっていた。
皇甫嵩の城攻めは、心配した自分が馬鹿に思えるほど巧みだった。ここまで、味方の犠牲は攻城戦という戦況を考えれば、最小限と言っていいほどしか出ていない。それでいて、敵軍の力は確実に削いでいた。大胆な奇襲をするかと思えば、こういった手堅い戦も無難以上にこなしてみせる。やはり、皇甫嵩の軍略には目を瞠るものがあった。
しかし、今日の攻めはいつもより長い。明け方から始まって、すでに日は暮れようとしている。少し攻め込んでみる気になったのだろうか。
それでも、こちらの被害は多くはなさそうだった。雲梯からの援護と楯に守られながら、衝車は着実に城壁へとぶつかっていく。そして楯を失えば、無理せずに退いてくる。雲梯もそれは同様で、火矢から燃え移る炎が大きくなれば、速やかに下がる。
ひと際大きな音が腹に響いた。
「はわっ!」
「あわっ!」
城壁にまたも巨大な割れ目が走った。そこに衝車を集めれば、と曹仁は思うが、皇甫嵩はそうはしなかった。そしてそれが、大した被害も出さないままに、城壁全体を崩しかけている現状に繋がっているのだろう。
曹仁は、隣に視線を向けた。先ほどから衝車が城壁にぶつかる轟音が鳴り響くたびに、はわあわ言いながらも、朱里と雛里が真剣な表情で戦場を見つめていた。時には、手にした竹管に何か書きこんだりしている。攻城戦にて卓越した戦果を上げた楽毅を尊敬していると言っていた彼女たちも、実際にその現場を目にするのは初めてのはずだ。それも指揮をしているのは、もはや当代きっての軍略家であることは疑いようのない皇甫嵩だ。学ぶところは多いのだろう。最も、歴史に特に詳しかったわけではない曹仁にとっては、皇甫嵩はもちろん楽毅の名も、この世界に来てから知った名であった。楽毅や皇甫嵩の名を抑え、後世において自分達が中国史における名軍師の代名詞になるなどと、今の二人は想像してもいないだろう。
「兄貴」
角が、官軍の伝令兵を伴ってやって来た。曹仁は視線で伝令兵を促した。
「曹仁殿と劉備殿、それに義勇軍の将校の皆様を将軍がお呼びです」
「わかった。すぐ行くよ」
戦闘中の呼び出しなど初めてのことだった。戦況を動かす気になったということだろうか。曹仁は伝令兵に答えを返しながら、腰を上げた。
夜明け近くまで続いた攻撃がようやく止んでいた。攻撃は、ほとんど丸一日続いたことになる。3方から攻め寄せる官軍に、こちらも総力を当てて戦った。
張曼成は周囲を見渡した。これまでにない苛烈な攻めに、兵の死傷も多く、城壁の被害も甚大だった。しかし、凌ぎ切ったという思いが強い。兵達の疲れ切った表情にも、どこか満足気なものが混ざっている様に見える。
張曼成は肩の力を抜くと、ゆっくりと腰を下ろした。兵達の間に流れていた緊迫した空気も、少しずつだが緩んでいく。
自身も目を閉じ、深呼吸を繰り返した。兵達に言葉を交わす余裕が戻ってきたようだ。張曼成の耳に、兵達の声が少しずつ届いてくる。
張曼成は立ち上がると、しばしこの場を離れることにした。指揮官がいない方が、兵達の気も休まるだろう。
―――あれは?
背中で聞いた兵の声に、妙な響きが混ざった気がした。張曼成は向き直った。
その眼に、上りつつある狼煙が移った。
何のためのものなのか。考える前に、官軍に動きがあった。兵達の間に、絶望感が漂うのが分かった。張曼成自身、投げ出してしまいたい気分だった。
「官軍の馬鹿どもは、まだ懲りていないと見える! 再び奴らに、我らの力を見せつけてくれようぞ!!」
思いを振り払うよう、声を張り上げる。再び詰め寄って来た官軍を、張曼成は睨み付けた。
かつて堀があった場所を、敵兵が難なく駆け抜けてくる。
張曼成自身も弓を取ると、狙いを定め、放った。衝車を守る兵の持つ楯に、火矢が突き立った。1本では敵兵の歩みを止めることは出来ない。しかし、2本、3本と当たれば兵はその楯を放さざるを得なくなる。張曼成は次の矢をつがえた。
「張曼成様!」
弓を引き絞ったところで、背後から名を呼ばれた。思わず放した矢は狙いを大きく反れて飛んでいく。
「なんだ!」
張曼成は苛立ちの表情を隠せぬままに振り返った。声を掛けてきた兵は、それに気付いた様子もなく続けた。
「街で火が上がっています!」
「―――! そうか、あの狼煙!」
今まで攻撃や撤退の合図に狼煙が使われたことはなかった。今回に限って何故使ってきたのか。気に掛かってはいたが、眼前に迫る敵兵の姿に、放置してしまっていた。
「くそっ!」
一体何人入り込んでいる? 火を消し止めるのは住民に任せるとしても、侵入者を捕えるのは兵でなくては無理だ。こんな時だというのに、内側に対する備えもしなくてはならない。
如何に兵を割り振ればいいのか。張曼成は絶望的な計算を始めた。
孫策を乗せた雲梯は順調に城壁までの距離を縮めていた。敵兵に動揺が見られる。目を凝らすと、城内から火が上がっているのが孫策の眼にも映った。
城内には、皇甫嵩配下の間諜が10人ほど入り込んでいた。元々、奇襲を警戒していたわけでもない。交戦前であれば、街に入り込ませることはさして難しいことではなかった。しかしその信仰ゆえか、広宗の民の横の繋がりは強固なものがあった。これ以上多くの者を潜ませることは難しかった。この人数では内側から城門を開けるというのは難しいだろう。しかしそれでも、十分な働きをしてくれているようだった。
大した抵抗も受けないままに、雲梯が城壁まで3丈(6m)の距離まで近付いた。敵兵の動きに混乱が見られる。今まで、雲梯は衝車の援護にしか使って来なかったのだ。それでも何人かは、こちらに向けて矢を放ってくる。孫策は飛んでくる矢を剣で払い落した。祭が、弓を構えている者を狙い撃った。瞬く間に4、5人が倒れ伏す。
「祭、援護お願いね!」
孫策は、そう言い捨てると雲梯から跳び出した。槍が阻む様に突き出された。空中でそれを薙ぎ払うと、孫策は敵兵の真ん中に降り立った。
近い方から2人が、孫策が剣を向けるまでもなく祭の矢に倒れた。
孫策も負けじと、3人を一息で斬り倒す。その隙にも雲梯はさらに近づき、祭が、孫家の兵達が、こちらに飛び移ってくる。
孫策はひとつ大きく息を吸うと、高々と剣を掲げ、名乗りを上げた。
「我が名は孫伯符! 黄巾の賊徒よ! 我が前に立つ勇有らば、掛かってまいれ!
孫家の勇者達よ! 官軍の精兵達よ! 義勇軍の同志よ! 我に続け!」
「おおおおぉぉぉーーーーーー!!」
喚声が巻き起こる。城壁に立つ孫策の雄々しい姿と、勇ましい号令に兵達は奮い立っている。それは孫策の私兵や官軍だけではなく、義勇軍にも言えることだった。
「我らも続くぞ!」
曹仁は工作兵を率い、城門を攻め立てていた。衝車がぶつかる轟音が鳴り響く。
孫策達が城壁上で敵兵を引き受けてくれているため、降り注ぐ火矢は目に見えて少なくなった。狙いも反れているものが多い。曹仁は楯を持つ兵の数を減らして、衝車を押す兵に加えた。兵達は衝車を勢いよくぶつけることだけに集中している。
さらに大きな轟音が鳴った。城門が大きく揺らぐ。
「もう一度!」
衝車を退くと、今度はより遠くからさらに勢いを付けてぶつけさせた。
轟音。しかし、先ほどまでとは違う音がそこに混ざっているように聞こえた。城門が、ゆっくりと城の内側へと向けて傾いでいく。
「工作部隊は下がれ! 歩兵隊、前へ!」
まるで地面そのものが揺れたような重厚な音をたて、城門が倒れた。
一瞬の間を置いて、そこから敵兵が湧き出てくる。工作兵と入れ違う様に前へ出た歩兵が、それに当たる。歩兵部隊を率いる鈴々が先頭で蛇矛を大きく振りまわしている。
「たあっ、やっ、たっ!」
その一振り一振りで、3,4人の敵兵が宙に舞う。
曹仁も先頭に進み出て槍を振るった。
城門前の敵兵を一掃するのに、そう時は掛からなかった。
城門が破られると、張曼成はその場を部下に任せ、10人ばかりの手勢を率いて三姉妹がいる宮殿へと急いだ。三姉妹だけは守りぬかねば。それだけを考えてひた走った。角を曲がる。宮殿が視界に入った。
「あれは!」
宮殿は炎に包まれていた。愕然として、頭が真っ白になる。体だけは何とか動いてくれていた。炎の中、張曼成は宮殿に飛び込んだ。
「張角様!」
煙をかき分けるように真っ直ぐに駆け抜けると、その姿を見つけることが出来た。駆け寄る。血だまりの中、倒れ伏す3人の元へと。
うつぶせに倒れる張角を、抱き上げる様にして仰向けた。ずっと触れることを夢見てきたその体は、温もりを失いつつあった。まず、その喉元に目がいった。短刀が突き立つその場所は、もはやあの美しい調べを奏ではしない。次いで、視線を上げる。
「―――これは」
少女の、その安らかな死に顔を見て、張曼成はようやく思考を取り戻すことが出来た。
振り返ると、部下たちが泣き伏せていた。
「お前たち、立て!」
顔を上げる者はいなかった。
「官軍に、我らの無念を見せつけてやるのだ! 張角様の仇を討つのだ!」
その言葉で、全員が顔を上げた。その顔はどれも等しく憎悪に満ち満ちていた。
「行くぞ!」
張曼成は先ほど駆け抜けた廊下を、今度は逆方向に駆け抜けた。心の内も先ほどまでの絶望感とはまるで違ったものになっていた。部下達は、無言で後ろに付いてくる。
宮殿の入り口を抜けると、周囲には官軍の兵が充満していた。張曼成は部下を止まらせると、1人そこへと近付いた。
「官軍の指揮官はいるか!」
張曼成は声を張り上げた。その声に一歩進み出た者がいた。
「私だ。左中郎将、皇甫義真という」
いかにも歴戦の将軍という感じの、堂々とした名乗り様だった。ならば自分も、その責務を果たそう。
「俺は張曼成。―――張角様の仇、討たせてもらう!!」
言って、馬上の皇甫嵩目掛け、跳び上がった。
「くっ!」
振り下ろした刀は、皇甫嵩の剣に阻まれ、その身を傷つけることはなかった。しかし、皇甫嵩の体勢は大きく崩れていた。部下も怒号を上げて駆けてくる。張曼成は再び跳びかかった。部下に本当のことを告げなかったことに、少し心が痛んだ。そう簡単に死を覚悟出来る者ばかりではないのだ。判断に間違いはない。この痛みも指揮官の責務の内だ。
刀を振り下ろす。皇甫嵩は体勢を立て直せていない。とった。そう思った瞬間、左右から何かが走り抜けた。
首を飛ばされ、胸を穿たれた自身に、張曼成が気付くことはなかった。
戦いから数日が経過していた。
張角達3人は遺体となって、炎を消し止められた宮殿から見つけ出された。それは、孫策に首をはねられ、曹仁が胸を刺し貫いた張曼成の遺体と共に洛陽へと移送されることとなった。
見つけ出された張角達は、やはり女、それも曹仁と同じような年頃の少女達だった。そんな少女達が、如何にして数十万の民を動かしたのか。激戦の跡が色濃く残る城壁から移送部隊を見送りながら、曹仁はそんなことを思った。
「ここにいたか」
皇甫嵩が城壁に登って来ていた。
「劉備が探していたぞ」
「そうか」
特に意識をしているわけではなかったが、桃香達と出来るだけ合わないようにしている自分に曹仁は気付いた。気付いてみると、その理由にも思い当たるものがあった。
「そういえば、お前に礼を言っていなかったな」
皇甫嵩が隣で、移送部隊を眺めながら言った。
「礼?」
「張曼成に襲われた時、助けられただろう」
「ああ、そのことか。あんた、剣の腕はそれなりでしかないんだから、不用意に前に出るなよな」
「ふむ。まあ、気には留めておこう。何にしても助かったぞ。……ありがとう」
皇甫嵩が礼の言葉を口にした。面と向って礼などを言うような人間ではないと思っていたし、実際その通りなのだろう。意外な思いで曹仁が見やっても、少し照れくさそうに眼下を見据え、決してこちらと視線を合わせようとはしない。その様子に曹仁も照れくささを感じる。
「…………」
「…………」
しばし、静寂が流れた。移送部隊はもはや小さな点としか見えない。この場には皇甫嵩と自分しかいない。いい機会だと、曹仁は思った。
「……感謝してくれているなら、実はあんたに1つ頼みがあるんだが。」
「頼み?」
「ああ。――――――」
曹仁は頭の片隅にずっとあった思いを口にした。それは、桃香達を避ける様にしてしまっていることとも、密接に係ることであった。
「疲れたー。お姉ちゃん、もう歩けなーい!」
「ちぃも、もう限界」
「……はぁ、姉さん達、こんなところで座り込まないで」
人和は地面に座り込んでしまった2人の姉の手をとった。目的とする街までは、あと半日は歩き続けなければならない。そこもすでに官軍の手に落ちているかもしれないが、水も食料もわずかしかない現状では、他に取るべき道もない。
宮殿で震えていた自分達の元に3人の少女達がやって来たのは、もはや落城寸前という状況であった。自分達の替え玉であると名乗った3人は、城壁の一角、官軍の攻撃がない川沿いに作られた坑道へと三姉妹を案内した。坑道は軍が用意したものではなく、三姉妹の信奉者である町人達が作り上げたものだった。そこから城外へ抜け出て、葦に紛れて小舟で対岸に渡ってから、既に2日間歩き通しだった。
「ほら、立って」
手を引くと、渋々といった感じで2人は立ち上がった。以前は歩いて移動することが当たり前だったが、最近は馬車に乗ることがほとんどだった。2人の気持ちもよくわかるが、座っていてはいつまでたっても目的地には辿り着けない。
「さあ、行きま……っ!」
正面に土煙が舞い上がっていた。次いで馬蹄の音が聞こえてくる。騎兵のみで駆けているようで、すぐにその距離は縮まった。“曹”と書かれた旗が見える。人和は官軍を率いる曹操の名に直ぐに思い至った。
「ど、どうしよう、二人とも」
「か、隠れる場所なんてないわよ」
「大丈夫よ。私達のことは知られていないはず」
自分の心臓の音が耳にうるさいほど聞こえた。それでも2人を落ちつけようと、人和は努めて平静を装った。
半里ほど距離を置いて集団が止まった。騎兵の数など見ただけでは分からないが、1000以上はいそうだった。
集団から抜け出し、200騎ほどがこちらに向かって駆けてくる。全員が揃いの鎧を身にまとった、いかにも精強そうな一団だ。
「ちょっと、こっち来るわよ!」
「ど、どうするのー」
「姉さんたち、落ち付いて。普通にしていれば大丈夫だから」
一団は3人の前で綺麗に整列すると、中から2人が進み出てきた。自分達とそう年も変わらなそうな少女達だ。
「あなた達、広宗から来たのかしら?」
「!」
金色の髪を左右に結わえた少女の言葉に、人和は声を失った。髑髏を模した髪飾りが、鈍い光を発している。
「そう怯えなくてもいいのよ。あなた達に何かするつもりはないわ。広宗の街の様子を聞きたいだけよ。戦は終わったと聞いたのだけれど」
やはり城は落ちたのか。人和は何とか頭を落ちつけると、口を開いた。
「すいません。わたし達は戦をしていると聞いて、広宗には立ち寄らずに迂回してきましたので。街が今どうなっているかはわかりません。そうですか、戦は終わったのですね」
「そう。無駄に呼び止めてしまって悪かったわね」
「いいえ、それでは私達はこれで」
「あーーーーーーっっっ!!!」
その場を立ち去りかけた瞬間、もう一人の少女が声を上げた。自分よりも年下に見える、まだ顔にあどけなさが残る少女だ。
「突然大きな声を出して。どうしたの、季衣?」
「はい、思い出したんです!」
季衣と呼ばれた少女は1歩、こちらに馬を進めてきた。
「お姉ちゃん、張角さんだよね?」
「「「っ!」」」
真っ直ぐに天和を見据え、少女が言った。
「確かなの、季衣?」
「はいっ、華琳さま! ボク、3人が歌っているところ見ました」
「あっ、わたし達の歌、聞いてくれたんだね―。どうだったー?」
「ちょ、ちょっと姉さん!」
「あっ」
「…………はぁ」
自らの生死に関わる緊迫した状況であるにもかかわらず、人和は思わずため息をこぼしていた。先ほどまでの緊張が嘘のように、開き直ったような気分だった。天和は失言に気付き、しまったという表情を浮かべている。地和は慌てて何か言い訳をしようと捲し立てている。しかし、疑いを持たれた時点で言い逃れる術などなかっただろう。反乱軍の首謀者ともなれば、疑わしいというだけで捕らえる理由には十分だろう。
「……姉さんたち、諦めましょう」
「人和……」
「れんほーちゃん……」
姉2人が、すがる様な瞳を向けてくる。抵抗すれば殺されるだけだろう。投降すれば、自分達が重罪人であるだけにすぐに殺されるということはないはずだ。その間に何か手を考える。妙案が浮かぶとも思えないが、今ここで殺されるよりはましだった。
「ふふっ、良い判断ね」
少女が、不敵な笑みを浮かべた。