「ふっっっっっ!」
曹仁は屋敷の中庭で、いつもの朝の修練に勤しむ。槍を構え、繰り突き、また構えに戻る。その一連の動作を、一呼吸の内に出来る限界まで、ただただ繰り返す。
槍が奔る。曹仁が自身に課している朝の修練4刻(2時間)はとうに過ぎていた。今日は槍が良く奔る。曹仁は時を忘れて槍を繰った。手、肘、肩、腰、股、膝、足首、足指、その全てがしっかりと意識され、それでいて散漫になってはいない。どんなに速く槍を繰り出しても、型が崩れない。心気は澄みきっていた。
曹仁は一度呼吸を落ち着かせ、大きく息を吸った。
「………………ごはん、まだ?」
「っ! …………はぁぁ」
渾身の連撃を繰り出すべく溜めた呼気は、一人の少女の登場で、ため息へと消えた。
「今すぐ作るから、少し待っていてくれ、恋」
「……ん」
こくりとうなずく、その少女の真名は恋といった。姓名は呂布。字は奉先。天下無双の呼び声高い、飛将軍その人だった。
何進の死より、すでに10日が経過していた。
今に至るまで、皇甫嵩の将軍職が解かれるということは無かった。その気になれば皇甫嵩を罷免させることなど、張譲には容易い事だろう。しかし現状においてそうなっていないのは、当の張譲が皇甫嵩の最大の庇護者となっているためだった。何進亡き今、洛陽における最大兵力を要する蹇碩に、武力でもって対し得る者は皇甫嵩のみとなっている。十常侍も外から見るほどに一枚岩ではないと言うことだろう。
7日前、つまり何進の死から数えて3日目に、麗羽は洛陽より脱出した。すでに洛陽の侠客達に一目置かれつつある角の伝手で、城壁の門番に顔が利く大商人の協力を得られたため、それはいともたやすく成功した。大商人と言われる者達のほとんどは、役人と結託することで金儲けに走っているというのが現状であった。しかし、盛んに金銭を要求してくる不正役人を憎み、まっとうな商売をしようとする者も、少数だが確かに存在しているのだった。また、意外なことに麗羽自身の、洛陽の民からの評判が決して悪くなかったことも、彼らの協力を得られた要因の一つだろう。唯我独尊を絵に描いたような麗羽ではあるが、ただ自分自身が格別に貴いと思っているだけで、あえて民に悪逆を働くような人物ではない。多くの者にとって憎悪の対象である十常侍と敵対していることも手伝って、麗羽の存在は洛陽の民から思いのほか好意的に受け止められていた。もっとも、愉快なおバカという評判は本人に聞かせられるものではないのだが。
そうして麗羽が無事に洛陽より去ったその日だった、曹仁が恋と名乗る生き倒れの少女を拾ったのは。
彼女が“あの”呂布であることを知ったのは、さらに2日が経過してからだった。恋の所在を探し当て、彼女に心酔する陳宮という少女が訪ねて来たのである。
恋の主君であった丁原自身が、何進に呼ばれて洛陽に来たばかりであった。そのため、いくら武勇名高い呂布といえども、その顔は皇甫嵩も知らなかったのだ。
呂布を見出したその丁原もまた、何進と共に首を刎ねられ晒されていた。その日、兵舎に設けられた私室に在った恋は、洛陽内の異変、兵が動く気配に気付いたのだという。しかし、恋が丁原の屋敷に駆けつけた時には既に彼は討ち取られた後であったらしい。恋自身は、飛“将軍”などと呼ばれてはいても、実際は丁原個人に使われる私兵のようなものであった。官位と言えるようなものを持っていたわけではない。そのため、今回の十常侍による何進達の誅殺に名を連ねることは無かったのだ。
恋は丁原に預けていた家族を屋敷から連れ出すことには成功したものの、丁原の擁していた兵は解散させられていた。その後は、行く当ても無く彷徨うしかなかった。手持ちの金も底をつき、途方に暮れているところを曹仁が見掛けたのだった。空腹でへたり込んだ恋と、彼女を囲む家族―――犬猫の大群の姿は周囲の目を引き付けて放さなかったが、あまりに異様な集団に声をかける者もいなかったのである。その様を実際に目にした曹仁は、都会の人間はいつの時代も冷たい、と批難する気も起きなかった。曹仁自身からして、彼女に声を掛けるには、非常な勇気を必要としたのだった。
厨房に付くと、曹仁はさっそく朝食の準備を開始した。厨房の中を忙しく立ち回る。恋は手持ち無沙汰な様子でとてとて付いて来ては、偶に袖を引いて、まだ、と上目づかいで聞いてくる。下拵えは昨夜の内に済ませてある。そう待たせずに済みそうだ。
「ほら」
恋と一緒になって、足元にまとわりついてくる犬猫の群れに、豚骨を放った。昨晩から熾火でじっくりと煮込んで、豚骨から出汁を取った湯(スープ)は良い香りを放っていた。将軍の地位に在りながら碌に贅沢もしない皇甫嵩の、無駄に貯め込まれた資産にものを言わせて集めた高級食材である。ほとんど肉の残っていない豚骨といえども、ただ捨てるには惜しい。1番に飛びついたセキトが、短い足を器用に使って骨を押さえ付け、肉をこそぎ取っている。これが鶏肋だと、骨が鋭利な割れ方をして危険なため、もったいなくても捨てるしかないのだが。
「………………」
「もうすぐ出来るから、将軍と音々音を起こして来てくれるか」
「…………………………ん」
そんな犬猫に向ける恋の視線に不穏なものを感じ取った曹仁は、恋を厨房から遠ざけることにした。恋は長い間の果てに頷くと、厨房から出て行った。その間と、去り際に犬猫――より正確に言うなら犬猫の齧っている豚骨――に向けた視線が怖い。
(……少しは人間らしい行動ってやつを教え込んだ方がいいのかな)
しかし、それで恋のあの自然体が失われてしまうのは惜しい。自然体こそが恋の強さの源である。それが、恋が呂布であると知って以来、何度も立ち会ってきた曹仁の得た答えだった。そしてその自然体故に、陳宮―――音々音が訪ねて来るまで、曹仁は恋の実力に気付けなかったのだ。
(それになにより、可愛いしな)
そう、恋の自然体が生み出しているものは、何も強さだけではなかった。犬の健気さと猫の気紛れを併せ持つ、その可愛さもまた天下無双の域だった。
考え事をしながらも、料理をする手は休まず動かしていた。もう直ぐ完成だ。自然と、恋が美味しそうに料理を食べる姿が思い浮かんでくる。頬が緩む。
「ちんきゅーきーーーーーーーーっく!」
「っと」
背後からの飛び蹴りを、曹仁は寸でのところで避けると、そのまま蹴り足を掴んだ。せっかくの奇襲も、自分から声を出して相手に教えてしまっては台無しである。思考が緩み切っていなければもっと余裕があっただろう。
「わわっ、は、放すのです」
足首を持たれ、吊り下げられた格好の音々音が、じたばたと暴れる。曹仁は慣れた手つきで蹴りに来る音々音の足を捌いた。実際、すでに両の指では数え足りないほど繰り返されたやり取りだった。半ズボンの様な形状をした、丈の短い下衣の隙間から水色が覗いた。今までの傾向からして、どうやら淡い色合いの下着を好んで着用しているようだ。
「張々、助けるのです」
音々音の呼び声に応じて、骨を齧っていた張々がのっそりと寄って来た。張々は恋の家族の一員の大型犬で、その姿はどう見てもセントバーナード犬である。そして、恋の一番の親友であるセキトは、コーギー犬であった。その辺りを深く考えることを曹仁はもはや放棄していた。考えて答えが出ることとも思えない。
「…………」
「わっっ、何するですか、張々! ちょっ、肉臭いです。ううっ」
張々は音々音をしばし無言で見つめると、その顔を舐め上げた。音々音の抗議の声も全く無視して舐め続ける。
「よっと」
さすがに哀れみを覚えた曹仁は、足を掴んでいた手を離した。離す瞬間、微妙に力を加えて補助してやると、音々音は器用に中空で半回転して足から着地した。非力ではあるが、生来の思い切りの良さも手伝ってか、なかなか身体能力は高い。曹仁に向けて再三放って来る飛び蹴りも、出鱈目ながらもその跳躍力は相当なものだった。
「で、何のようだ、音々音?」
「ねねに対して働いた無礼に関しては、後でたっぷり謝罪と賠償を要求するとして、まずは! 使用人の分際で、恋殿に指図するとは何事ですか!?」
恋に自分と皇甫嵩を起こすように頼んだことを、音々音は怒っているらしい。
「俺は使用人じゃないと、何度も言わせるな。そんな記憶力で、よく軍師が務まるもんだな」
「むぅぅ、減らず口を。おま―――」
「………………ごはん」
さらに何か言い募ろうとしていた音々音が言葉を詰まらせた。くいっくいっと、上衣の裾を引かれて曹仁が振り向くと、恋が真っ直ぐにこちらを見つめてきていた。その後ろには、まだ眠そうな顔をした皇甫嵩の姿もある。
「すまん、恋。音々音が邪魔するから、まだ出来てないんだ」
「ああっ! ねねだけ悪者にする気ですか!?」
「実際そうだろ?」
「こら。邪魔したら、ダメ」
「う!」
恋が音々音に軽く拳骨を落とした。
「モグッ、モグ、ングッ、モグモグモグ」
贅を尽くした高級食材。そして、食材の良さに鍛えられ成長著しい、曹仁自身の料理の腕前。料理はどれも自信作である。
「モグ、ングッ、モグモグ……コクン」
「………………」
「…………曹仁、箸が進んでいないぞ」
「…………ああ」
皇甫嵩の言葉に、気のない返事をする。視線は恋に釘付けだった。実に美味しそうに食べてくれる。そして、可愛い。この子のために一生料理を作り続ける人生も有りだ、と本気で考えてしまいそうになる。
「恋殿をヨコシマな視線で汚すなです!」
食卓の下で、音々音が曹仁の脛を蹴り上げていた。
「いてっ、…………この!」
曹仁も蹴り返す。十分に手加減はしているが、最近音々音の扱いが多少ぞんざいになっていることは、曹仁自身自覚するところであった。
「くっ! やりましたね!」
音々音の反撃をかわす。食卓の下を見るまでもなく、上半身の動きだけで蹴りの軌道はだいたい想像がつく。
「このっ! このっ! このぉっ!」
連続して繰り出される蹴りもすべて避ける。
「くーーーっ、ねねの怒りにふれましたね!」
痺れを切らしたのか、音々音が今度は拳を握って、曹仁に殴り掛かってくる。
「こら」
曹仁が避けるまでもなく、それは恋が手を伸ばして止めていた。
「とめないで下さい、恋殿! こいつが!」
「………………ねね、曹仁嫌い?」
「うっ」
恋は悲しそうな顔で言った。これはきつい。嫌いだ、とも言えず音々音が言葉を詰まらせる。見るに忍びない。曹仁は口を開いた。
「れ、恋、俺の国の言葉にこういうのがあるんだ。…………喧嘩するほど仲がいい」
「…………曹仁とねね、仲良し?」
「ああ」
音々音もこくこくと、何度も頷いて見せている。すごく嫌そうな表情で。
「ん」
恋はひとつ大きく頷くと、残されていた最後の肉まんを手に取り、半分に割った。割れた2つをじっと見つめ、大きい方を皿に戻し、もう一方をさらに半分に割る。
「……ん」
手にした4分の1ずつの肉まんを、それぞれ曹仁と音々音に向け、突きだす。
「ありがとう、恋」
「ありがとうございます、恋殿」
「んっ」
恋はもう一度満足そうに頷くと、皿の上の肉まんに手を伸ばした。ああ、残りの半分は自分で食べるんだ。
肉まんを頬張る恋を見ながら、曹仁と音々音も肉まんを口に運んだ。心温まる。これを機に、音々音とも少しは仲良くやっていけるかもしれないと、曹仁は思った。……のも、束の間のことだった。
「―――ぐっ!」
「ふふん」
音々音が曹仁の足を踏み付けていた。偶然なのか、狙ったのか、踏み締める踵は曹仁の足の小指を正確に捉えている。いくら音々音の体重が軽いとはいっても、これは相当に痛い。
「…………?」
「な、なんでもないぞ」
疑問符を浮かべて小首を傾げる恋に、曹仁は何とか笑顔で返した。音々音、許すまじ。
朝食より数刻、中庭にて曹仁は恋と対峙していた。両者の手には、それぞれ棒が1本ずつ。先端には布が何重にも巻かれて保護されている。棒とほぼ同じ感覚で扱える曹仁の槍と違って、恋の本来の得物である方天画戟と棒では重心がかなり異なる。方天画戟を使えと、そう言いたい気持ちを曹仁はぐっと押し殺した。これまでの数日間、その本来と違う武器を使った恋から一本も取れていないのだった。
いつも通り万全の構えを取る曹仁に対して、恋は何の構えも取っていない。内面、気持ちの上でも、特に構えた様子がない。
「…………」
「…………」
武人の目で改めて見た恋は、術を磨き、武を極めんとする曹仁とは全く正反対の強さを秘めていた。生まれながら身に備わった武、むしろそれは暴力と言い換えてもいいものだ。生まれたままの自然体での強さ。武の目指すところもその自然体であるといっていい。しかしそこには自然体を目指すという不自然、矛盾が存在している。恋の自然体には不自然なところなど一切無かった。それ故に、出会った当初、曹仁は恋の異質さは感じても、それが強さとは認識出来なかった。しかし、こうして対峙して見ると、その認識の誤りがはっきりとわかる。子猫が虎に、否、それ以上の強さを身の内に宿す化け物へと変貌していた。
じり、と曹仁は足指の動きで少しずつ間合いを詰める。同じ長さの棒を使えば、戟の要領でその中程を持って振るう恋より、槍のようにそれを繰り出す曹仁の方が、間合いはずっと長い。
まだ、曹仁の間合いにも入ってはいない。曹仁は呼吸を読まれない様に、静かに、しかし十分に深く息を吸った。そして、一気に自分の間合い―――恋からは届かない―――まで踏み込んだ。
「ふっっっ!」
上段、中断、また上段。今朝の好調はまだ続いている。前に突きだした左手の、有るか無きかの動きだけで高さを変えた3連撃。
それを恋は―――。
1撃目。首を傾げる様にして透かした。2撃目。わずかに腰を引いて避けた。
そして3撃目。2撃目で腰を引いたことで、恋は頭を前に突き出したような体勢だ。当たる。
「!」
次の瞬間、曹仁が感じたのは両の手に走る痺れだった。そして視界一杯には、恋の持つ棒の先端に巻かれた布の白。曹仁の突きを跳ね上げ、その眼前に棒を突き付ける。それを恋は無造作に、それでいて一切淀みがない動きでこなしていた。
曹仁の棒は、その手の内より離れ、大きく真上へ飛ぶと、そのまま二人の中間に落ちた。
華琳と初めて立ち会った時、曹仁はいつか必ず勝ってみせると心に誓った。春蘭との立ち合いでは、持って生まれた天稟の差を嘆いた。それでも、いつかは自分もと、そう信じて強くなる努力を続けてきた。そうして築き上げてきた武の成長を、春蘭と同等以上の強さを持つ愛紗との立ち合いで、実感することが出来た。
恋との立ち合いでは何の感情も浮かんでは来なかった。悔しいという思いすら胸を過ぎることはない。恋が動くと、その一手で勝負が決してしまうのだ。格が違った。差などという言葉では言い表せないほど、隔たりがあった。人は龍に敗れることに悔しさを感じることが出来るものだろうか。
駄目だ。弱気な思いに流されるな。どんなに強大な相手だろうが、いつかは必ず勝ってみせる。その思いが我が武の原動力だ。
「もう一本頼む」
「ん」
傍らで、音々音が野次を飛ばしている。それも、負けた悔しさへと変える。曹仁は地に落ちた棒を拾うと、軽く振るって埃を落とした。同時に心も奮い立たせる様に。
翌日のことである。夕刻、セキトにせっつかれた恋が、犬猫の餌を求めて厨房に顔を出した。それはいつものことで、曹仁は用意しておいた餌を渡した。餌をあげにいく恋に付きあって、曹仁も厨房を出る。これもいつものこと。今日1日、何となく恋の態度におかしなもの―――こちらを窺うような、あるいは避けているような―――を感じていたのだが、それも思い過ごしかと、曹仁は先を行く彼女の背中を追った。
恋に犬達が群がる。その犬を2本の手で押し退ける様にして、恋の手から餌を犬食いする男の子。いつもの長閑な風景だった。
「………………うん?」
おかしなものを見た気がした。
「……疲れてるのかなぁ」
曹仁は目を閉じて、目頭を軽く揉んだ。深呼吸をひとつして、再び目を開ける。
やっぱりいた。犬を両手で押し退けて、餌を独占している人間の子供が。
「恋」
「…………ん?」
「その子、どうしたの?」
「…………拾った」
「拾った!?」
男の子は、曹仁が思わず出した声の大きさに驚いたのか、飛び退いて距離をとった。目を向けると、こちらを睨みながら、威嚇するように低い唸り声を上げている。その様は獣と変わらない。が、どう見ても人間である。
「……朝、散歩のとき」
どうやら、恋が毎朝している犬の散歩の途中で拾ったということらしい。確かに今までも、散歩から帰ってくると犬の数が増えていたことは何度かあった。しかし、今回は人間である。捨て置くわけにもいかない。
「ええーと、ボク、名前は?」
「…………がうっ!」
「おわっ!」
中腰で視線を合わせて問いかけた曹仁の顔面目掛け、子供が歯を剥いて飛び掛かった。咄嗟に仰け反りつつ、子供の肩を抑えつけてそれを避ける。
「がうっ! がうっ!」
子供は肩を掴まれながらも、必死に首だけを伸ばして曹仁に噛み付こうとしている。
「噛んだら駄目」
そう言って、恋が子供の脇に手を入れて持ち上げ、曹仁から引き離した。
「謝って」
「……ごめんなさい」
「なんだ、言葉は喋れるのか」
狼にでも育てられたのかと思ったが、恋の言葉には素直に従うようだった。その後も恋に促され、少しずつ身の上を語り始めた。
少年の姓は高、名は順といった。高順は、いわゆる戦災孤児であり、もう3年以上も獣同然の暮らしをしてきたのだと言う。セキトを捕らえて食べようとしているところを恋に見つかり、取り押さえられたらしい。
「……家に置いてあげていい?」
恋が上目づかいで聞いてくる。いいよ、と反射的に答えそうになるのを、曹仁はグッとこらえた。
「犬猫じゃないんだぞ。ちゃんと世話出来るのか?」
「…………ん」
「本当に出来るのか? 最初だけそんなこと言っても、結局全部お母さんがやることになるんだから!」
「???」
「すまん。冗談は置いておいて、将軍には聞いてみたのか? うちの家長は将軍だからな」
「ん。…………曹仁がいいって言えば、いいって」
「そうか」
今まで言い出せずにいたのは、やはり恋にも人間は不味い、という思いがあったのだろう。しかし、結局こうしてなし崩し的に合わせてきたのは、考えるのが面倒になったというところだろうか。
曹仁は子供に視線を向けた。存外可愛らしい顔をした男の子である。身にまとった襤褸は、元の色が判らないほどに汚れている。ところどころが破れているのは、古くなったというだけでなく、成長した体を収めきれなくなったからだろう。
「ぐるるるるるるる」
「こら」
「痛っ!……うぅぅ」
喉を鳴らして曹仁を威嚇するのを、恋が拳骨をくれて止めさせた。それで、反抗するでもなく静かになった。本当に彼女の言うことは良く聞く。
「…………とりあえずは風呂だな。それに、服も用意しないとな」
言うと、恋の表情に変化が見られた。感情表現の乏しい彼女だが、これは嬉しいときの顔だ。曹仁はそれが分かる自分に満足感を覚えた。
薪は残っていただろうか。服は、買いに行かないと駄目だな。忙しくなる、曹仁は奇妙な楽しさを伴ってそう思った。