「愛紗ちゃん、このままだとっ!」
「わかっていますっ、桃香様!」
眼前の敵を斬り伏せながら、愛紗は義姉にして主君でもある少女に視線を向けた。
後方で待機しているはずの桃香は愛紗とともに前線に立っていた。
(いや、前線がここまで押し込まれてしまったのだ)
元々が無謀な戦いだった。義勇軍の求めに応じてくれた200名ほどは、士気高く、こちらの指示にも出来る限りの反応を返してくれているが、十分な調練も行えてはいなかった。対する敵軍は5倍近い兵力を持ち、戦というよりは略奪を繰り返してきただけとはいえ、武器を振るって人を殺すという行為に慣れていた。
しかし、村を襲おうと進軍する軍を前にただ手を拱いているなど、桃香はもちろん、愛紗にとっても不可能な話であった。
愛紗が青龍刀を振るうたび、数人の賊徒が斬り倒され、あるいは打ち飛ばされていく。しかし既に疲労の色は濃い。このままでは数の力に飲み込まれてしまうのは時間の問題だろう。
前方に視線を送ると、ほぼ全軍が歩兵で構成される敵兵の中、数騎の騎兵の姿が目に付いた。
(あれが、敵軍の大将か)
こちらを包囲するように兵が動いているせいか、その距離は意外に近い。あそこまで斬り進んでいくことも不可能ではないと、愛紗には思えたが、集の力を前にここまで前線が押し込まれてしまった事実を考えると、やはり不可能に近いことなのだろう。
「鈴々!」
「な、なんなのだ、愛紗?」
少し離れた位置で同じく前線の維持に奮闘していた義妹に声をかける。一騎当千の武勇の持ち主とはいえ、やはり声には疲労の色が含まれている。
「桃香様の守護を頼む!私はこれより敵大将を討ちにいく!」
「ちょ、ちょっと愛紗ちゃん!?」
「桃香様、このままでは全滅は時間の問題。他に手はありません」
「で、でも、そんなの無茶だよ」
「鈴々、任せたぞ!」
「・・・わかったのだ、愛紗!」
「鈴々ちゃんまで・・・。そんなの駄目だよ」
「桃香様、我が武をお信じ下さい!」
「あ、愛紗ちゃん!」
愛紗は桃香の静止の声を振り切り、敵兵の中に飛び込んだ。桃香の声はまだ聞こえてくるし、桃香なら後を追うようなこともしかねないが、鈴々がうまく止めてくれるだろう。鈴々は単純なところもあるが、それだけにここぞというときにするべきことを見失うようなことはない。うまく導いてやれば、自分などよりよほど優れた将になる資質を持つと愛紗は思っていた。そして彼女を導く役を為すのは自分であると、軽い独占欲を伴いつつ考えてもいた。
(私は、こんな時に何を考えているのだ)
まるで今から死に逝くものの言ではないか。馬鹿なことを考えるのはよそう。
(今はただ、我が武を振るうのみ)
左右から槍が突きかけられる。思わず下がろうとする本能を抑え込み、前に踏む込み、槍と槍の間に身を滑り込ませる。正面からも敵。さらにその左右からも。無防備な状態にある左右の二人を仕留めている余裕もない。別に構わない。この混戦だ、槍をもったまま反転してこちらを攻めてくることはないだろう。それよりも今は正面の敵だ。多少なりとも心得があるのか、先の二人の様には無防備に突きかかってこない。その左右から二人。こちらは先の二人よりさらにひどい。がむしゃらに槍を振り回しながら突っ込んでくる。正面の敵はこの二人に対処する隙を突くつもりだろう、油断なく槍を構えている。
「はあっ!」
左右の二人は無視して正面の敵を一気に斬り伏せる。驚愕の表情を浮かべて倒れる敵。油断なく構えを作ろうが、多少の心得があろうが関係ない。体を反転させながら後方にひと振り。がむしゃらに槍を振るっていた二人の体がそれぞれ二つにに分かれる。余勢を駆って前方にも一凪。二人斬り倒す。倒した分は確実に前に進む。そして決して後退はしない。しかし、まだまだ騎馬の姿は遠い。
「あ、愛紗ちゃん!」
敵兵の中に飲み込まれていく愛紗の姿に、桃香は思わず後に続こうと駈け出した。
「待つのだ、お姉ちゃん!」
いつの間にか正面に回ってきていた、鈴々の小さな背中から静止の声が響く。桃香は構わず進もうとする。
「!」
大きく振りぬかれた鈴々の蛇矛にさすがに足を止める。それは敵兵を斬り倒すために振られたものであったが、ただそれだけのために振られたものでもなかったようだ。
「お姉ちゃんが行っても足手まといになるだけなのだ!」
「だからって、愛紗ちゃん一人を危険な目にあわせるなんて、私には」
「お姉ちゃんの仕事は、愛紗を信じて待つことなのだ!」
桃香に語りながらも、鈴々の手は止まらない。敵兵を確実に斬り倒していく。いつもは猛々しく大きく見えるその小さな背中が、今は実際以上に小さく見えることが、言葉以上に桃香の胸を打っていた。
(鈴々ちゃんも、本当は愛紗ちゃんと行きたいんだ)
「うりゃりゃ~っ!」
桃香は前に進むことを諦め、ただ鈴々の背中を見つめていた。自分を守れという愛紗の言い付けを守るために、ただ矛を振るうその背中を。
(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!)
「鈴々ちゃん!」
「にゃっ!危ないのだ、お姉ちゃん!」
「良いこと思いついちゃった!」
突如思い浮かんだ名案に、桃香は思わず鈴々に飛びついた。
呼吸が定まらない。振るう青龍刀もわずかに狙いから逸れる様になってきた。
「くぅ!」
愛紗は突きかかってきた槍を寸でのところで避け、敵兵を斬り倒す。倒れた敵の影から、すぐさま敵があふれ出る。前に進む余裕がない。敵将に近づくほど敵兵の練度が上がっているという気もするし、ただ自分が疲れ果てているからだという気もする。
このままでは敵将まで届かない。それだけではない。ここで自分が死ねば、もはや我が軍に打つ手はないのだ。なんとしても敵将をこの手で討ち果たさなければならない。
「・・・・・・?」
疲れて目がおかしくなったか、と愛紗は思った。もう一度見直す。
「・・・・・・!」
敵将までの距離は近づくどころか、むしろ遠のいていた。そこまでは起こり得る事だと、愛紗も想定していた。自分の奮戦に気が付けば、敵将が距離を取ろうとすることは十分考えられたことだ。おかしいのはそこではない。兵の数だ。後退した分、敵将後方に控えていた兵力を間に差し込んでくることは十分考えられたし、実際後方の兵は半分ほどに減っている。しかしそれにしても多すぎる。これではまるで全軍を挙げて自分だけを包囲しようとしているようではないか。これではさすがに―――
「!」
深い絶望と物思いに捕らわれた隙をついて、敵兵が一斉に突きかかってきた。
(しまった!)
避けきれない。そう思った瞬間、目の前に影が走った。小さな影だ。
「うりゃりゃりゃりゃ~~~っ!」
影が矛をひと振り、敵兵の姿は視界から消えていた。
「愛紗、こんなやつら相手になにやってるのだ」
「愛紗ちゃん、助けにきたよ」
「り、鈴々、桃香様!」
「一緒に愛紗ちゃんを助けにいこう!」
桃香は、自信有り気に自らの考え出した妙案(?)を鈴々に披露した。
「鈴々ちゃんのお仕事は、私を守ることでしょう?なら、愛紗ちゃんを助けにいく私を守ってくれるよね。鈴々ちゃんが一緒なら、愛紗ちゃんの足手まといにもならないし。ね、一緒に行こう!」
「わかったのだ!」
即決であった。
「行くよ~!」
「にゃ~!」
二人が敵兵に飲み込まれていく姿に、兵たちも奮い立った。
「桃香様を死なせるな~!」
「敵本陣、みんなで行けば怖くねえだぁ~!」
義勇軍全軍による、決死の突撃部隊が誕生していた。
「なるほど。ふっ!!」
愛紗は迫る敵兵を斬り倒しながら、冷たい視線を二人に送った。
「あ、あの~、愛紗ちゃん?お、怒ってる?」
「ええ、もちろん。鈴々、お前が付いていながら」
「にゃ?鈴々、ちゃんとお姉ちゃんを守ってきたのだ」
「はぁ。少し前の自分が恨めしい」
敵兵が増えた理由もはっきりした。正面で義勇軍に当たっていた敵兵も反転させ、突撃する全軍を包囲するよう兵を動かしたのだ。特に前面には重厚な布陣がなされたらしい。
「うう~。お姉ちゃん。愛紗が怖いのだ」
「あ、愛紗ちゃん。ごめんね」
「はあっ!」
一息で三人斬り倒す。疲れてもう動かないと思っていた体がよく動く。
「あ、愛紗ちゃん」
「・・・もう起こっておりませんよ、桃香様。それに鈴々も。」
「ほんとに?」
「ほんとか?」
「ええ、ただ呆れているだけです」
「うう」
二人の顔を見ただけでこんなにも力が湧きあがってくる自分自身に、と愛紗は心の中で付け足すとさらに青龍刀を振るった。多勢に無勢なうえ、包囲まで完了されてしまっている。そう長くは持たないだろう。桃香様も死なせてしまうかもしれない。それでもこの瞬間だけは、幸せな思いが胸に満ちていた。
「愛紗、うれしそうなのだ」
「そ、そんなことはないぞ!私は怒っているのだ!このまま我らは全滅するかもしれんのだぞ」
「う~~。やっぱりまだ怒ってるのだ」
「ごめんね、愛紗ちゃん。わたしのせいで」
「うっ。まだまだ勝負はわかりませんぞ!なんといっても桃香様には天命がおありです。こうしている間に天の助けが」
「あ、愛紗ちゃん、それ無茶ありすぎ」
「ううう」
「・・・そうでもないのだ」
「鈴々ちゃんまで」
「あれを見るのだ」
鈴々が指さす先、敵将のいるあたりに向かって砂塵が迫っていた。
「・・・」
戦場から少し離れた丘の上から、曹仁は戦の成り行きを見つめていた。
「兄貴、まだですかい?」
「まだだ。今行けばこちらも共倒れするだけだ」
同じく戦場を見つめる牛金に急かされても、曹仁は首を縦には振らなかった。こちらは全軍騎兵とはいえ、わずか20騎しかいないのだ、慎重に機を窺わなければならない。もし付き従う者のない自分一人だったなら、すぐにでも駆け込んでいるだろう。しかし今の曹仁には、自分を慕い、従ってくれる兵がいる。そして、今戦場で戦う気骨ある義勇兵達を一兵でも多く救える道を選ばなければならない。
戦場には変化が見られている。賊軍の中央で凄まじい武を振るっていた者に引っ張られたのか、義勇軍全軍が一丸となって突撃を仕掛けていた。すぐにでもあの勇敢な義勇兵達を助けに行きたいという思いと、彼らを死なせてなるものかという、二つのよく似た思いが拮抗することで、曹仁はなんとかこの地に留まることができた。機はもうすぐだ、とも感じていた。
「兄貴、そろそろ」
「・・・」
今度は曹純が声をかけてきた。この血のつながらない妹は、兵の影響で日々口が悪くなっている。いつもなら注意するところだが、今はそんな余裕はない。戦場に変化が見られていた。それも、待ち望んでいた変化だ。賊軍後方に控えていた兵が、前方へと投入されていく。
「良し。全軍、俺に続け。」
大声は出さない。仲間にも敵兵に30歩の距離に迫るまでは、鬨の声をあげないよう厳命してある。わずか20騎の軍隊だ。大声を出さずとも声は届くし、これ以上鼓舞する必要などないほどに士気は高まっている。それならば敵軍に奇襲を直前まで気付かせずに、一気に動揺を誘いたい。
愛馬・白鵠もこちらの意を組んで静かに、それでいて他を引き離す勢いで駈け出した。目指すは賊軍の将。ちょうど賊軍後方に位置しているこの丘を駆け下りれば、もう目と鼻の先だ。
丘を駆け下りる。あと100歩。まだ敵は気付いていない。
あと80歩。数人がこちらに気付いたようだ。もう遅い。
あと60歩。敵兵が騒ぎ始める。
あと40歩。敵軍の騎兵がこちらを向いた。
あと30歩。騎兵を観察する。全部で5騎。
あと20歩。騎兵が1騎を守るように移動する。敵将と判断。
あと10歩。後方から鬨の声。兵もあと30歩の距離まで到達したようだ。ならば俺も名乗りを上げよう。
「我は、曹子孝!我が槍を受けよ!」
曹仁は敵陣へと突入した。