「ええぞ、撃てっ!」
華琳の見つめる先、李典の号令で投石機より放たれた石は、大きく弧を描いて城塞内へと姿を消した。どっと、投石機をあやつる工作兵から喚声が上がる。初め、投石の狙いを定めるのには3発が必要で、4発目からようやく城塞内へと届いた。それが昨日は2発目から、そして今日は1発目から見事汜水関を捉えていた。
「よっしゃあ! 次いくで。次は高さはそのまま、向きを少し変えよか」
飛距離も高さも、従来の投石機は汜水関の城壁を超え得るものではないが、李典の工夫によってそれを克服していた。工夫と言っても単に発射地点を高くする台を設けただけだが、効果は十分だった。投石機の軸構造自体に手を加え、さらに飛距離と威力を高めることも可能らしいが、その工夫は華琳が自分のところで留め置いている。現状では味方とはいえ、他の軍には秘しておきたいことだった。
李典は黄巾賊討伐の折に華琳に臣従することとなった者で、今は校尉の扱いである。今後、曹操軍が大きくなった暁には真っ先に昇進させて将として取り立てるつもりだった。李典と同郷の出で、同時に曹操軍に加わった楽進、于禁も同様だ。それぞれに得意分野の異なる三人の個性は、曹操軍の軍略に厚みを持たせることとなるだろう。
三人に先立って、黄巾党が姿を現す以前に旗鼓に加わった許褚―――季衣には、いずれは親衛隊の隊長を任せたいと思っていた。それは彼女がもう少し多くのことを学び、判断力を養ってからということになるだろう。
人材は揃いつつあった。新参の将達の上には、絶大な信頼を置くことの出来る春蘭ら親族集団がいるし、軍師としては桂花がいる。兵力も今は少ないが、徴兵の算段はすでに整っている。乱世を勝ち抜く、その用意はすでに完成しているのだ。だが、それもここで連合軍が敗れ、董卓の世を迎えることとなれば全てが無駄に終わる。
董卓が天下への階の最後の一段を昇り切るのか、それとも自分を含む諸侯達がその最初の一歩を進めるのか。劉備の義勇軍を除けば連合軍中最弱の兵力しか持たない華琳だが、それ故にこの戦の持つ意味を誰よりも正確に、そして深刻に捉えていた。
「撃てっ!」
李典の号令で放たれた投石を目で追いながら、負けるわけにはいかないのだと、華琳は心中決意を新たにした。
攻城開始からはすでに十日が経過している。引き続き昼夜を問わず攻め続けていた。兵に支給される糧食は半分に減らしてあるが、士気は依然として高いまま維持されている。元より守る側に比べて攻める側の方が士気を維持しやすいものであるし、兵達自身が董卓の悪行に対して義憤を感じてもいるのだった。この士気はそう容易く崩れはしない。
逆に士気に不安を抱えているのは、董卓軍側だろう。元々の董卓軍も涼州守護の官軍であることには違いないが、中央の支配の及ばない彼の地においては、将兵共に漢朝の官軍というよりは董卓の私兵という思いが強い。だから、正規の官軍と董卓子飼いの涼州軍の連合という形だった。両軍の軋轢は今のところ感じられないが、苦しくなってくれば必ず表面化してくる。
いくら負けられない勝負とはいえ、ただ我武者羅に力押しすれば良いという訳でもなかった。袁紹や袁術の軍は真正直に城門や城壁を打ち壊すというような攻めを繰り返しているが、曹操軍は極力自軍の損耗を抑えつつ、敵兵に圧力を掛けるという戦へと移行させている。城塞内への投石もそのひとつだ。孫策軍や公孫賛軍も同様で、時に舌戦を交えての攻めを見せ始めている。それは城塞ではなくそこに籠る将兵を敵と見定めた証だろう。
董卓軍に動きがあるなら、兵力の少ない自分達か、舌鋒鋭く挑発を繰り返す孫策軍が包囲第一軍に配された時だろう。華琳はじっとその時を待っていた。
守兵は5万に達していた。対して、連合軍は8万。残る12万は後軍として関へと続く狭道の前で陣を張っているようだ。
5万は、汜水関の構造から考えると、多すぎるほどだった。守備面、敵軍に取っての攻撃面は、一面だけしかない。そもそも大軍でもって守らなければならない城塞など、存在の価値はないだろう。そうした意味でも、汜水関はやはり優れた城塞だった。5万は、兵力差に兵の士気が下がることを懸念しての数だった。適正な兵力は2万から3万といったところで、残りは余剰の兵力と言っていい。
篭城は十五日目を迎えていた。攻撃は昼夜を問わず、間断無く続けられている。攻める軍は日に何度か交替しているようで、常に気力に満ちた敵兵が向かって来る。こちらも守備に当たる兵は交替して休ませてはいるが、攻める側とは違って、兵達の気が休まるということはなかった。城壁を超えて飛び込んでくる投石も、兵に必要以上の緊張を強いている。
「一度、関を出て大きく攻めるべきでは?」
華雄が、もう何度目かになる、同じ進言を繰り返した。皇甫嵩は無言で首を横に振った。
「しかし、このままでは兵の士気が!」
華雄の言も、間違ってはいなかった。城外で矛を交え勝利すれば、それで兵の気力は奮い立つだろう。いくらか押し込むことが出来れば、兵に休息の時間も与えられるかもしれない。しかし、賭けだった。陣を固められてしまった今となっては、涼州騎馬隊の機動力を生かした戦いも出来ない。連合軍側も騎馬隊には特に警戒を払っているようで、攻囲側とは思えないほど幾重にも馬防柵を張り巡らせている。そうなると、歩兵による正面からのぶつかり合いをするしかないのだ。連合軍を押し込めるだけの兵力を投入すれば、当然兵の回収も難しい。
「駄目だ」
「くっ!」
華雄が踵を返し去っていく。足取りからははっきりと不満がにじみ出している。
少し、兵に近すぎるな。皇甫嵩は思った。華雄は兵を率いさせれば勇猛で果敢でもあるが、兵ひとりひとりを見過ぎるところがあった。自分が先頭に立っての突撃は命じられても、得意の戦斧の振るいようのない場所でただ兵が苦しみ続けている様を見続けるのはつらいのだろう。それは人間としての美徳ではあっても、軍人としての美点とはなり得なかった。だが、それがゆえに、多くの兵が華雄を慕ってもいるのだろう。
どこかで賭けに出る。それは皇甫嵩自身の好む戦のやり方でもあった。騎馬隊による二度の奇襲、それが今回打った賭けだ。一度目の賭けは成功。二度目の賭けも、敵総大将を討ち取るまでには至らなかったが、その意気を幾分挫くことはできたはずだ。後は、篭っていれば確実に勝てるのだ。敵がこれほどの力押しを続けてくるのは、兵糧が残り少ないためだろう。
兵站線を乱す別働隊からの報告も届けられていた。連絡には、洛陽を経由して黄河の水上路が使われている。狭道の入口から汜水関までは十五里しか離れてはいないが、さすがに伝令が行き来するような隙はなかった。
汜水関から虎牢関までは二十里で、虎牢関を抜けて五里も進むと狭道が終わり、広大な平地が広がる。その平地のほぼ中心に位置する首都洛陽までは、さらに五十里ほどだ。汜水関から洛陽までは馬を飛ばせば四刻も掛からないが、そこから船が別働隊の元に行き着くまでには丸一日以上は掛かる。さらに実際には、縦横に駆け回る別働隊と伝令が行き会うには、もう少し時が必要だろう。逆に別働隊からの連絡は、黄河をさかのぼる分、船足が落ち、最低二日は必要だった。
それ以外にも狼煙を使った通信も可能だが、複雑な連絡には不向きだし、中継地点が取れないため汜水関からでも別働隊の目に届くぎりぎりの距離だった。当然虎牢関からでは使えない。関を放棄する時は赤みがかった狼煙を、攻城軍が撤退する時は黄色みがかった狼煙を上げることが決められているだけだった。
もうすぐ、黄色の狼煙を上げる。攻城軍の攻撃が激しい分だけ、その時はそう遠くは無いと皇甫嵩は感じていた。
華雄指揮下の校尉数人が兵を率いて出陣したという報告を受けたのは、翌未明の事だった。皇甫嵩が城壁に駆けつけると、すでに城門は堅く閉じられていた。城壁上にはすでに華雄がいて、じっと眼下を見据えている。皇甫嵩は黙って、その横に並んだ。
攻囲軍第1段に翻る旗には孫の一文字。孫策軍のものだ。それが、今回の暴走の引き金にもなったのかもしれない。孫策の母孫堅と華雄の間には、過去の因縁があるという。そのことと絡めての挑発が繰り返しなされていた。挑発に乗らぬよう華雄自身には良く言い含めてあった。そして、華雄を慕う董卓軍の兵達が挑発に応じようとしない皇甫嵩に対する反感を強めている、という報告も上がってきていた。兵達の方が続く挑発に耐え切れなくなったのかもしれない。
一千名程の一団が、小さくまとまって突き進んでいく。狙いは居並ぶ攻城兵器の数々のようだ。正面の雲梯に群がっていく。ゆっくりと、雲梯が傾いていく。迎撃する敵軍の中に、それは倒れた。敵兵に衝撃が走る。一団は次なる獲物を求め、駆ける。雲梯。一斉に飛び乗っていく。倒れた。今度は横に並ぶ別の雲梯を巻き込んでいる。これで3つ。攻囲軍が後退していく。それをさらに押しやるように、一千が突出していく。
「むっ、いかん」
「何がいかんというのだ。敵第一陣はもはや壊滅寸前ではないか。ここは我らも続くべきだ」
「孫策はそこまで甘い将ではない」
皇甫嵩の言葉を合図にでもするかのように、敵軍の動きも統制だったものへと変わっていく。一千を包み込んで、絞り上げていく。こうなると、兵力差がものをいう。一千は円陣を組んで必死の抵抗を試みるも、その円は周囲から削り取られるように小さくなっていく。
「華雄!」
駆け出した華雄を呼び止める。
「どこへ行くつもりだ?」
「知れたこと。あの兵達の救援に向かう」
「駄目だ。認めるわけにはいかん」
「……眼前の一千を切り捨てて、確実な勝利を得る。それが上手い戦というものなのだろう。私の指揮ではこうはいかない。いたずらに突撃を繰り返し、犠牲ばかりが増えるだけだ」
「ならば―――」
「だが! あの一千のしている戦は、正しく私の戦だ! なればこそ、私が私の戦をしないでどうする!」
叫ぶように言うと、華雄が駆けだした。皇甫嵩は、今度は止めることが出来なかった。
「開門っ!」
馬に跨り、戦斧を振りかざすと、華雄は言った。城門が押し開けられていく。敵兵が、殺到してくる。
「おおおおおおっっっ!!」
そこに突っ込んだ。戦斧を大きく使った。敵兵が、まとめて2,3人と吹き飛んでいく。5回も戦斧を振るうと、城門前の敵兵は一掃された。
「今だ! 城門を―――」
背後を振り返って、華雄は口を開いた、その時だった。
「おおおおおおおおおおっっっっっーーーーー!!!」
閉めろ、と続けるつもりだったその声は、背後から響く喚声にかき消された。そして、視界一杯には、駆け寄ってくる兵達。
無謀な戦をしようという自分に、付いてきてくれるのか。自分の暴走に、この兵達を巻き込んでも良いのか、そんな迷いが華雄の中で生じた。
兵の一人が、旗を掲げた。漆黒の華一文字。それが、華雄の迷いを打ち払った。
正面を向き直った。窮地に陥った兵達を、視界の中心に据える。行く道を遮るように孫策軍が布陣を始める。その動きはよどみなく素早い。
「華雄隊、前へ! 我らが同胞を救うぞ!」
陣形が完成される寸前に、華雄は正面から兵をぶつけた。当然、先頭に立つのは華雄自身だ。
未完成の陣形、しかもその内に敵を孕んでいるというのに、反発は驚くほど強かった。単純に兵一人一人が剽悍で、練度も高い。陣形は未完成のままでも、巧みに左右の兵と協力した動きを見せる。負けじと華雄は大きく戦斧を振り回して、真っ直ぐ包囲された一千へと突き進む。
8の字を横向けたような軌道を描いて、間断なく戦斧を振るう。重心が極端に先端に寄った戦斧を混戦の最中で使うには、一時も止めないということが肝要だった。止めてしまえば二の撃を放つまでに大きな隙を生み、無駄に体力も消耗してしまう。一撃を振るったその勢いを、止めるのではなく向きを変えてやることで次なる一撃に繋げるのだ。振るえば振るうほどに、戦斧の勢いは増していく。
華雄の戦斧が作り出す刃圏のいくところ、敵兵の首が、腕が、上体そのものが、空を舞った。その光景に、さしもの孫策軍の精兵達も及び腰となっている。包囲された味方の軍までの距離を、華雄はぐんぐんと縮めていった。もうすぐだ。すぐに助け出してやるぞ。戦斧を握る手にも、自然と力が入った。
「華雄!」
女が、立ちはだかる様に長剣を構えた。人目を引くような装飾は無くとも、その吸い込まれるような刀身には確かに見覚えがあった。
―――孫策。
そのすぐ背後に、孫家の軍に圧されようとしている董卓軍の兵。包囲された軍と救援に向かう軍、その両軍に挟撃を受けかねない、そんな危険な位置に孫策はいるということだ。母の孫堅と同じく、果敢な戦をする。華雄の脳裏に、一敗地にまみれた苦い記憶が甦った。その娘が、今、自分と兵達を遮っている。
あれは、孫策だ。同じ剣を持ち、よく似た容貌を持ってはいても、孫堅ではない。同じように、自分もかつての自分とは違っている。あの時は、主君董卓とも未だ巡り合ってはいなかったのだ。以前の自分なら、簡単に挑発に乗って自ら城を出ていただろう。忠誠を捧げる主君に出会ったことで、自分は変わったのだ。
華雄は董卓を胸の内に想った。次に、自分を慕ってくれる兵達を想う。
「……まったく、私が耐えていたというのに」
華雄は呟いた。自然、口元がほころぶ。自分を想っての兵達の暴走。それを嬉しく思ってしまう自分は、やはり将としては未熟なのだろう。
すっと大きく息を吸った。
「―――そこをどけぇっ!!」
兵達と自分を遮る孫策へと、華雄は大喝した。
「敵将華雄! その首、孫伯符がもらい受ける!」
華雄の武威を真正面から受け止め、孫策が馬を寄せる。
「子猫の分際で吠えるなっ!」
叩きつける様に振るった戦斧が空を切った。すり抜ける様に避けた孫策が迫る。手を伸ばせば触れられるような距離で、一瞬視線が絡み合った。かつての孫堅を想わせる強い瞳。
馳せ違った。すぐに、自軍の兵達。辿り着いた。
「…………? どうした、お前達」
静かだった。救援に湧く歓喜の声も、士気を掲げる鬨の声もない。まるで時が止まったような、不思議な空間が現出していた。戦場にあって、ただ、静かだった。
どうしたのだ。もう一度、今度は兵ひとりひとりの顔を覗き込むようにしながら華雄は問い掛けた。直後、兵達の顔が悲痛に歪んだ。
「華雄将軍っ!」
どこからか声が上がった。それを皮切りとして、先程までの静けさが嘘のように、怒号が巻き起こる。それは、慟哭だった。まるで答える様に、ふらり、と大地が揺れた。
「虎の子は、やはり虎か」
右のわき腹。大地を確かめようと走らせた視線が、そこで止まっていた。あふれる様に、血が流れ出している。命、そのものだ。命が、流れ出している。他人事の様に、そう思った。ふらり、とまた大地が揺れた。自分へ向けてせり上がってくる地に、華雄は否応なく身を投げ出した。
真っ直ぐに向かってくる二千騎が、ぶつかる瞬間五つに分かれて散った。馬超は躊躇なく董の旗が立つ一隊を追った。二千の中核となる四百騎。この四百騎だけは、口惜しいことに自分の育て上げた騎馬隊よりも上だと認めざるを得なかった。だが、それだけにそこさえ潰してしまえば、後は何とでもなる。
四百騎は、こちらを挑発するように蛇行しながら駆けていく。それでもなお追いつかない。馬の差は如何ともし難かった。
「お姉様、後!」
従妹で副官の馬岱が叫んだ。
「ああ、わかってる! ちょこまかと、面倒くさい戦をする奴らだ」
分かれた五隊の内の、前を行く一隊を除く四隊が後方で一つにまとまって、追撃を仕掛けて来ていた。
馬岱に二千騎を、馬超自身は一千騎を率い左右に分かれた。後続の千六百騎が、錦の旗が立つこちらを真っ直ぐ追ってくる。前を駆けていた四百騎も、反転して向かってくる。一千騎で敵軍二千騎に追われる形だが、その後ろから馬岱の二千騎も戻ってきているはずだ。つまり、先程とは逆にこちらが敵軍を挟んだ格好である。
しばし駆けると、やはり敵軍の四百騎が突出して追い付いてくる。
ここ数日、似たような展開が続いていた。本格的にぶつかり合うことなく互いに機を計りながら、機動力と攻撃力に優れた敵軍の四百騎によって、自軍が削られる。少しずつだが確実に、劣勢へと追いやられていた。三千騎は、実際にはすでに二千八百騎ほどまで減らされている。逆に敵軍は、ほとんど減っていない。特に四百騎に関しては馬超自身が三騎を討ち取っただけだ。
馬超は、一千騎の最後尾まで下がった。四百騎。すぐ目の前まで迫っていた。
「一か八かだ、行くぞ!」
一気に、馬首を返した。真正面からのぶつかり合い。それもこちらは馬の駆ける勢いが使えない。状況は不利だった。それでも、少しずつ削られ続け、いつしか取り返しのつかない状況に追い込まれるというよりはましだ。
馬超は鋭気を漲らせた。それをくじく様に、四百騎が左右にぱっと別れた。正面からは千六百騎。精鋭四百騎ではなく、数で押すつもりか。しかし、ここでわずかに踏ん張れば馬岱の二千騎が背後から千六百騎を食い破ってくれる。やはりここが正念場か。
「っ!」
槍を握り直した馬超の視界の片隅に、左右から入り込んでくるものがあった。先程二つに分かれた精鋭二百騎の二隊が、大きく弧を描く様にして再びこちらに向かってくる。ちょうど馬超軍一千騎の先頭、自分のところで千六百騎と合流する進路だ。
千六百騎から見覚えのある白馬が一騎、すっと前に抜け出た。左方の二百騎からも同じく、こちらは何の変哲もない一騎。しかして相応の武人であることを馬超の肌は感じ取っていた。敵将二人。その気勢が、鋭く突き刺さる様に馬超を射抜いた。
「最初から、狙いはあたし一人ってわけか。……面白いっ! 我が白銀の槍捌き、その身に受けよ!」
二将が迫る。ほとんど同時。わずかに、白馬の方が前に出た。馬超はそちらに槍を向けた。ぶつかる瞬間、白馬が今度は急激に速度を落とした。備えをいなされ、一瞬、馬超の鋭気が向かう先を見失う。そこに、左方から風を巻いて槍が迫った。
「くぅっ!」
馬超は槍を立てて、紙一重でその一撃を防いだ。しかし、下半身の備えが不十分だった。勢いを殺しきれずに押しやられ、体勢が崩れる。そこに、白馬の将の槍が、真っ直ぐに伸びた。
「あの馬術、というよりも馬そのものも、お前と白鵠に負けていないな」
照が歩み寄って来て言った。
駆け続けの馬のために、小休止中を取っていた。戦場からひと駆けした丘の陰で、周囲には敵の気配はない。見晴らしの良い丘上に伏した兵が警戒にも当たっていた。
「……そうだな」
照の豪槍に体勢が崩れたところに放った曹仁の突きを避けた動き。確かにそれは馬超自身の意図したものというよりは、馬が彼女を守るために取った回避運動というように思えた。それは自分と白鵠の動きと同質のものであることを、曹仁も認めざるを得なかった。
「本来の目的は果たした。馬超を討ち取るには至らなかったが、それで良しとしよう」
馬超というのは、ただそこにいるだけで軍の格とでも言うべきものが一段跳ね上がる、そんな類の武将だった。そういった人間を曹仁は幾人か記憶している。従姉である春蘭がそうであったし、愛紗や鈴々、孫策もその類の将だった。そしてその最たるものとして恋がいる。逆を言えば、馬超一人を討ち取ってしまえば騎馬隊の圧力はぐっと落ちる。副官として馬超によく似た少女の姿を何度か確認しているが、馬超ほどの鋭気は感じられなかった。だから、騎馬隊同士のやり合いでは、常に馬超の首を狙っていくというのが照の決めた方針で、曹仁にも否やはなかった。
今回、かなり惜しいところまで馬超を追い込んだが、その首を落とすまで至らなかった。しかし、馬超の一千騎は潰走させることが出来た。というよりも、馬超自身がそう導いたのだろう。すぐに散ったことで、討ち取った敵兵の数は数えるほどだった。一千騎はほとんど無傷のまま残っていると見ていい。ただ、馬超が兵をまとめるまでの間隙をついて、騎馬隊が護衛していた輜重は焼き払うことが出来た。兵站線を乱す。それがこの別働隊の役割である。
「しかし今回はうまくいったが、あの馬超がいる限りそう何度も続かないぞ。やはりどこかで討ち取るしかない」
改めて、曹仁は方針を口にした。
「今回の様な一瞬の交錯でなく、一度どこかで腰を据えてやり合う必要があるかもしれないな。しかし、一対一では分が悪い。俺でも良くて五分」
曹仁の突きをかわし様に放ってきた、苦し紛れのはずの一振りにも必殺の威力が込められていた。自分でも照でも分が悪いというのは曹仁も同感であった。しかし、照の言葉には引っ掛かるものがある。
「その言い様、俺よりも自分の方が上だって言っているように聞こえるな」
「模擬戦での勝率は俺が上だろう」
「それは地に足をつけての勝負だろう。馬上なら俺の方が上だ」
「まあ、確かに白鵠は良い馬だし、お前との呼吸の合わせ方も尋常じゃないことは認めるが」
「不服そうだな。何ならここで―――」
「張繍将軍!」
丘上から見張りの兵が、ほとんど転がり落ちるような勢いで駆け下りてくる。
「どうした!?」
「狼煙が!」
何色だ、と曹仁が問い質そうした時には、すでに照は丘を駆け上がっていた。曹仁も自らの目で確認するべく、その後に続く。
昇る丘の坂道が、妙に険しく曹仁には感じられた。