「のんびりと様子見などしている場合ではありません。曹操軍が呂布との戦に疲弊した今こそっ、すぐさま軍を発し、決戦に臨むべきですっ!」
田豊は袁紹へ向けて、声高に叫んだ。
袁紹軍の本拠地―――冀州魏郡鄴城の謁見の間には、武官文官の主だった者達が勢揃いしていた。袁家らしい煌びやかな装飾に満ちた室内にあって、一段高くなった段上の玉座は黄金色の輝きを放ち、より一層際立って見える。
「短期決戦は控えろと言っていたのは貴方ではなくって、田豊」
「あの時とは状況がまるで違いますっ! 時勢をお読みくださいっ、袁紹様」
自明の理ともいえることを殊更言い立てねばならない現状への苛立ちが、田豊の胸に際限なく湧いてくる。
元々、国力に物を言わせた長期戦というのが、田豊の主張であった。中原には曹操と呂布が並び立ち、江南には孫策がいた。何れも反董卓連合で両陣営の主力になった武将で、戦の巧さという点では袁紹など足元にも及ばないだろう。三者が相争う中原の覇権に係るべきではなく、戦に疲れ果てたところで軍を進めれば勝利は手堅いものだったのだ。
田豊の進言を無視して二十万もの兵を動員して出陣した挙句が、曹操軍と呂布軍の連携を促し、なんの益も上げずに撤兵であった。その後は呂布と曹操という大敵二人に攻め込まれ、じりじりと領土を削り取られた。田豊の調略なって二勢力を反目させられたのは、袁術が呂布軍の庇護下にいたという幸運に助けられてのものだった。
そうして呂布軍が倒れ曹操軍が疲弊した今になって、今度は長期戦が論じられていた。曰く、陶謙統治下で荒廃した徐州を新たに領土に加えた曹操との力の差は、時を経るほどに開く一方だというのだ。
「しかし、田豊殿。やたらと戦端を開くばかりが、王道ではありますまい」
静かに口を挟む者がいた。きっと睨みつけた田豊の視線を受け止めたのは、審配であった。五十をいくつか過ぎ短身痩躯の田豊とは対照的に、長身で肉付きの良い身体に自信に満ち溢れた表情を浮かべている。他の文官連中であれば、鬼婆などと陰口を聞いて震え上がる田豊の眼光にも、審配はひるむことなく言葉を続けた。
「曹操軍ではあまりの力の差に、我らに対する降伏論も出ていると聞きます。曹操も、それを考慮するそぶりを見せているとか。自ら進んで傘下に加わろうとする者を拒むことなく、悔悟の機会を与えてやる。それでこそ、天下平定の王道事業というものでしょう」
王道、という言葉は、最近若い文官連中の間で好んで使われる語だった。覇道を標榜する曹操に対する当て付けであり、袁紹が好みそうな言葉でもある。口にする者の性根が伺えるというものだ。
そんな中にあって、審配はまだしもましな部類の女ではあった。さらりと口にした曹操軍の降伏論という話も、独自の諜報で調べ上げたものであろう。軍議の間に詰める他の者達は、降伏という二字に驚きの表情を浮かべていた。袁紹も玉座から身を乗り出して顔を輝かせている。
田豊の元にも同じ情報は入っていた。提案者が古参の重臣である曹洪であるために、曹操軍に一大論争を巻き起こしたという。曹洪は曹家一門の重鎮であり、天の御使いと称される曹仁の義姉でもある。その発言力は相当なものであろう。郭嘉などがそれに対抗する形で、曹操には十の勝因が、袁紹には十の敗因が有るなどと声高に叫んでいるという。その発言自体は曹操と諸将の心を打ったようではあるが、曹洪と比べると郭嘉はいかにも新参であった。
そして降伏の意志の表れとばかりに、曹操軍からは虜囚となっていた袁術の身柄が送り届けられていた。長く傅役を務め、袁術にとって肉親以上の存在と言っていい張勲は才覚を買われて曹操の手元に残されている。旧悪に関わらず人材を愛するというのは曹操らしい行為と見えるが、結局のところは体の良い人質であった。袁術は日夜、袁紹に張勲の身の安全、ひいては曹操軍との友好の道を説いているという。
「なればこそ、今なのだ。物事には時宜というものがある。曹孟徳の意志の元で盤石の結束を見せ続けてきた曹操軍に初めて亀裂が生じているのだ。今、曹操を倒さずして、天下平定への道は開かぬわ」
そもそも、降伏論自体が時間稼ぎのために曹操の仕掛けた謀略の可能性が高いと田豊は見ていた。曹洪が曹操軍の調略を担う人物であることは知れている。審配とてそれ位は知っていて、降伏論を頭から信じてはいないだろう。不確かな話でも、袁紹が喜ぶからと口にしているのだ。
ただ審配を論破出来るような証拠もなかった。曹洪には利に聡く蓄財を好むという噂もあるから、私財を守るためと考えれば降伏論にも一応の説得力はある。袁紹も降伏の二字に喜色を浮かべている以上、田豊は事の真偽には言及せずにそれこそ勝機と煽り立てた。
「それで弱みに付け込み袁紹様に軍を挙げよと? そんなものはすでにして王者たる袁紹様の戦ではありません。王者は悠然と構えていればよいのですよ。なにより田豊殿は、時を置けば我らが負けるとでもお考えですか? 長らくの戦乱で中原から河北へ逃れ来た民は多く、領土は肥沃。時を置けば置いた分だけ、我らは強大に育ちます」
本心からの言葉であろう。審配に一切の私心がないことを田豊は良く理解していた。忠節を持って袁紹に仕え、袁紹のためになることを常に考えている。だが、その忠義の在り方は田豊のそれとは大きく異なる。
自分は社稷の臣であるという自負が、田豊にはあった。
袁紹は王ではなく、乱立した諸侯の一人でしかない。否、河北四州を領するも漢王朝から正式に認められたものではなく、正確に言えば諸侯という言葉さえ当てはまらない。それでも、袁紹を主としたこの集団を国家と思い定め、その繁栄を誰よりも深く考えているのは自分である。ひいてはそれが、主君である袁紹に対する忠義ともなるのだ。
それに比べれば、審配など袁紹の私臣のようなものだった。袁紹が好むことを言い、袁紹の意志を忠実に実行するだけだ。
「審配、貴様は曹操を知らぬ。わずか一年前、あの女が五千の私兵を率いるだけであったことを忘れたか!?」
田豊はこれまで曹操が如何に戦い、如何に治めてきたのか、詳らかに説いてみせた。
特に大量に得た青州黄巾の降兵の扱い。どのように各地に振り分け帰農させ、安定した収穫を得るに至ったのか。曹操の政と言えば学校制度の施行や商業の奨励など派手な業績も多いが、こうした一見目立たない部分も巧みであった。河北と比べ、中原は黄巾の乱によりひどく荒廃しているが、曹操の領内はかなり生産力を回復していた。開墾には時に兵力を割くこともあり、曹操軍の本拠許の周辺は広大な農地が広がっているという。
嘆かわしいことに、文官の中にはやはり初めて耳にしたという顔をしている者も混じっている。まだ天下を取ったわけでもないというのに、河北に他を圧倒する一大勢力を築きあげたことで、すでに陣営内には緩んだ空気が流れ始めていた。
「曹孟徳がどれほど優秀人間なのかは、十二分に理解しました。―――思うに田豊殿は、戦上手で内政も達者、麗羽様の幼馴染でもあらせられる曹操殿が、文官筆頭というご自身の地位を脅かすことを恐れておいでなのでは?」
「―――小娘っ!!」
田豊が一歩踏み出すと、審配は受けて立つというように胸を反らした。
「お、落ち着いてください、二人とも」
常に袁紹の左右に侍る二枚看板の一人顔良が、段上から駆け下りて両者の間に割って入った。
「袁紹様、将軍達の中にもこれを戦機と感じているものが少なくありません。ここは田豊殿の言をお入れになり、兵をお挙げになるべきかと」
田豊にとって盟友と言っても良い沮授が、ここでようやく口を開いた。
田豊に並ぶ文官の筆頭で、二枚看板ら諸将の上に立って監軍として軍のまとめ役をこなしている。曹操軍と呂布軍が争うように仕向けた袁術への働きかけも、沮授と二人で企画したものだ。今も短期決戦という考えは当然一致しているが、二人並んで声高に叫ぶよりも監軍として別の所から賛意を示す方が、軍議が有利に進むと判断したのだろう。激しやすいところがある田豊にとっては実に頼りになる相棒であった。
「そうなの、斗詩?」
「ええと」
田豊と審配に挟まれた顔良が、曖昧に視線を彷徨わせた。
顔良には深いところまで考え通す頭はないが、一応の軍略と常識は備えている。ただ日夜袁紹と文醜に振り回される生活故か、優柔不断で他人に判断を委ねてしまうところがあった。
「猪々子?」
「あたいはもちろん戦を押します。どっちにしろ勝つか負けるかなんだから、どうせならすかっと暴れましょうよ、麗羽さま」
文醜が好戦的で博打好きらしい答えを返す。田豊の意見を支持した形だが、考え無しの発言はむしろ悪評に近い。
「……淳于将軍や張郃さん達はどうです?」
文醜の返答にはさすがの袁紹も眉を顰め、居並ぶ群臣へ質問を振った。
「私は、田豊殿を支持します」
二枚看板に次ぐ第三位の将軍である淳于瓊が田豊の意見に同意すると、他の武官達も口々に賛同の声を上げた。
袁紹のお気に入りで武勇に優れた顔良と文醜に地位を譲ってこそいるが、軍略という点においては淳于瓊に張郃、それに高覧辺りの方が上だと田豊は思っていた。普段袁紹に小間使いの様に使われている顔良らの分まで調練に当たっているから、兵からの信望も厚い。
「わ、我らは審配殿を支持します」
文官数人を代表する形で、男の声が言った。一睨みしてやると、郭図が首を竦めて身を縮こまらせる。文官ながら戦もこなす男で、能が無いわけではないが意見を二転三転させる節操の無さが目立つ人物だ。
「―――いずれにせよ、お決めになるのは袁紹様です」
自らの支持者を得たところで、審配がたおやかな口調で袁紹に水を向けた。段上に座した袁紹が頬杖を突いていた頭を上げる。
「そうね。……どうしようかしら?」
袁紹は中空を彷徨わせた視線を、まずは股肱の臣というべき顔良へと向けた。顔良はやはり自分には判断が出来ないというように、二度三度首を振る。
次に目を向けたのは古老たる田豊であった。やはり、審配などという若輩よりも先に袁紹は自分を頼むのだ。自信に満ちた表情を浮かべ、田豊が首を縦に振りかけた時だった。
「―――袁紹様、ご想像ください。あの曹孟徳が、御身の足下にひれ伏し、御裁定をあおぐ姿を」
審配が口を開いた。袁紹の表情が、ぴくりと動いた。
「おーほっほっほっ、それは愉快ですわね!!」
爆発した高笑いが、もはや覆しようもない袁紹の決定を告げる。田豊はがっくりとうな垂れるしかなかった。
「ふふふっ、あの華琳さんがついに私の膝元に。うふふふふっ」
軍議を終え私室に戻っても、麗羽の上機嫌は続いていた。いつも通り私室の中まで付き従わせている斗詩と猪々子が胡乱な瞳で見つめて来るが、気にもならない。
大軍を率いて打ち倒す瞬間をこそ今まで夢想してきたが、あの華琳が自ら頭を垂れて隷属を口にする様を思えば、これ以上の愉悦はない。
「そうですわ、斗詩さん。謁見の間の段、少し低過ぎないかしら?」
「段って、玉座のところの段差のことですか? いえ、普通だと―――」
「―――いいえ、確かに低過ぎますわ。今の倍。いいえ、三倍は高くなさい」
「謁見の間は少し前にも意匠が気に入らないと言われて、造り直させたばかりですけど」
「ええ、飾り付けの方は気に入りましてよ。良い仕事です。ただ、何かが足りないと感じておりましたの。そして今日それに気が付きました。私の偉大さを表現するには圧倒的に高さが足りませんわ。工人を呼んで、至急改装を命じなさい」
「……はぁ、分かりました」
幾分不服そうにしながらも首肯すると、斗詩は兵を呼んで二、三指図する。
「あの小さな華琳さんのこと、これでは私を見上げる度に首をつってしまうかもしれませんわね、おーほっほっほっ!」
「……麗羽さま、ご機嫌ですね。そんなに曹操に勝ったのが嬉しいんですか?」
「何を言いますの、猪々子さん。華琳さんに勝つのなんて、私、慣れっこですわ。私が同期で一番に出世して県令をしていた頃には、あの方は門番などしていましたし。なにより一緒に私塾に通っていた頃には、試験の点数でいつも勝っておりましたもの」
勝ったと過去形で語る猪々子にまた気を良くしながらも、麗羽は反論した。
「ええーっ、本当ですか? 麗羽さまが曹操に勉強で勝つなんて信じられないな~」
「……どういう意味ですの、猪々子さん?」
「だって麗羽さまって―――」
「ちょっ、ちょっとちょっと、文ちゃんっ」
兵に指示を終えた斗詩が慌てて駆け寄ってくると、猪々子の口を塞いだ。
「だから、ね。麗羽さまは名門の出だから。……ほらっ、私塾の先生もやっぱり」
「……ああ、そっか。……だから出世も早かったんだもんな」
「ちょっと斗詩、猪々子、聞こえておりましてよ」
身を寄せ合い小声で言い合う二人を麗羽は睨みつけた。
「い、いえ、麗羽さま。な、何でもないんです」
「そうそう、麗羽さまが試験の点数をおまけしてもらっただなんて、斗詩はこれっぽっちも口にしてませんよ、麗羽さま」
「ぶ、文ちゃんっ」
「あっ、いけね」
「もうっ、失礼しちゃいますわね」
二人がどたばたと騒ぎ出したところで、麗羽は諦めて行儀悪く寝台に身を投げ出した。
そのままふて寝に入れば、夢に浮かぶのは同じように苛立ち紛れに寝台に飛び込んだ幼少の日々だった。
「ああもうっ、腹が立ちますわっ!」
その日、麗羽は私塾から真っ直ぐに家へ帰ると、自室の寝台に飛び込んで手足をばたつかせた。
このまま目を閉じて眠ってしまいたい衝動に駆られるも、すぐに先生と今日の講義の復習と、明日の予習をしなければならない。先生と言っても私塾の講師とは別で、袁家で屋敷に雇い入れている麗羽専属の教師である。
―――今頃、華琳さんは遊び回っているのでしょうね。
忌々しげに、麗羽は心中ひとりごちた。
華琳と麗羽の通う私塾は、太学でも講義を行っている大学者何人かが交代で授業を受け持っている。入塾にはよほどの名家の出でもない限り試験が課され、私塾とはいっても太学への進学、ひいては官途への道筋を作る重要な場だった。
華琳とは入塾以来の付き合いだった。宦官の養子の子である。麗羽が免除された入塾試験では一人抜群の成績を収めている。宦官の家とはいっても、華琳の祖父はその最高位にある大長秋にまで昇り、多くの名士を取り立てたことで評判の良い人物だった。望めば、華琳も試験を免除することが出来ただろう。
初めに声を掛けたのは麗羽からだった。
名門の跡取りである麗羽が付き合う価値もない人間だと、耳元で囁く者もあったが気にはしなかった。お人形のように小柄な体躯は愛すべき従妹美羽の姿を想起させる。光を照り返し黄金色に輝く髪も美羽に似ていて、それは麗羽自身の自慢の髪とも同じということだった。左右で二つに束ねて螺旋を描かせた髪型まで麗羽の好みにぴったりと合致していて、大きな瞳も愛らしい。つまりは華琳の容姿は麗羽の好きなものがそのまま人の形をとったようなものであったのだ。
そんな訳で、一目見て麗羽は華琳を好きになった。そして一言言葉を交わして、憎らしさが募った。
―――ああ、あの名門の。
華琳はそう口にしたのだ。
四世三公の袁家は、麗羽の誇りだった。余人に名家の出を言われて、気を良くすることはあっても気分を害したことはない。
不思議なことに華琳だけは別だった。麗羽が宦官の家の出に目を伏せ、華琳という一人の人間に声を掛けてやったというのに、ただ名門の子弟とひとまとめにされたと感じた。湧き上がったのは敵愾心だった。
―――貴方は賤しい家の出のようですわね。
喧嘩腰で言い返せば、後は言い争いだった。
ぽんぽんと調子良く悪口を並べるのは華琳の方だった。それも、単に罵詈雑言というのでなく的を射てもいるのだ。累代が高位に付いているのなら、今日の御政道の乱れの責は袁家にあると言われた時には、思わず返す言葉も忘れ絶句したほどだ。
その後も顔を合わせる度に罵り争いを続け、十日余りも経ったある日ふと、これ以上悪口を言う種も無くなったことに互いに気付いた。それから先は、何でも言い合える友人となった。取り巻きを引き連れることも多い自分を相手に一人立ち向かう姿に麗羽は一層華琳を好きになっていたし、華琳は華琳で自分の口撃にめげない根性と無神経が気に入ったと皮肉交じりに言った。
私塾の試験では、いつも麗羽が首席で華琳が次席だった。麗羽がいつも満点で、華琳は必ず一つ二つ取りこぼす。その差は油断して解答を誤ればすぐに覆るもので、麗羽は講義の予習復習を欠かせなかった。私塾の講師の話したことを屋敷の教師とさらい直して要点を暗記してしまえば、満点を取るのはそれほど難しいことではない。ただ毎日毎日の継続は苦痛ではある。
対して華琳の方は、端から試験の成績など気にも留めていないと言わんばかりの暮らしぶりだった。簡単な筆記問題の解答欄で講師に議論を吹っ掛けるようなことをして、あえて点を落とす。講義中であれ講師の話が詰まらないと思えば昂然と噛みつきもするし、詩作に耽ったりもする。講義がはけた後には日夜悪友と街へと繰り出していく。
当然麗羽も遊びに誘われることはあった。大抵は断っているが、時折押し切られたという素振りで一緒に街へ繰り出すこともある。華琳は詩曲や茶の様な上等な趣味から、賭け事の様な粗雑な真似まで、何をやらせても上手に熟す。腹立たしいことに、付き合うこちらもつい楽しんでしまうのだった。
「くーーーっっ、忌々しいですわっ!!」
思い起こすほどに、腹が立った。
結局その日“も”、教師が呼びに来るまでの間、麗羽は悶々とした無駄な時間を寝台の上で過ごすのだった。