白蓮から城外での野営及び調練の許可を得ると、曹仁はすぐに調錬を開始した。装備が整っていなくてもやれることはいくらでもある。兵達には3日の調錬の後、1日の休息を与えることに決め、3日間は厳しく調錬を行った。そして今日はその最初の休日であった。曹仁は頼んでいた武器の試作品が完成したという知らせを受け、街までやってきていた。白蓮は城内に居室を用意してくれていたが、曹仁は城外の野営地で兵達と寝食を共にしていたため、街の中を落ち着いてみるのは初めてだった。
活気のある街だ。白蓮の統治は上手くいっているようだ。街並みを眺めながらしばらく歩くと、目的の鍛冶屋が見えてきた。
鍛冶屋の男から槍を受け取ると、曹仁は軽く振ってみた、普段自身が使っているものより2倍近くも長い。趙雲の言ったとおり、扱うにはかなりの困難を伴うだろう。曹仁自身も自在にとはいかない。今度は静かに構えをとって、正面に穂先を向ける。重心が槍の中心よりかなり根元の方にあり、長さの割りに意外なほど構えは安定する。
「うん。いい感じだ」
そう感想を漏らすと、鍛冶屋の男は意外そうな表情を浮かべた。
「いいんですかい?かなり扱いにくいと思いますが」
「ええ、良い出来です。同じものを全部で200本、お願いできますか?」
「わかりました、少し時間はかかりますが。」
「お願いします」
一礼すると、曹仁は鍛冶屋を後にした。
通りを歩いていても、頭の中にはまだ先ほど手に取った槍のことがある。長さ、重心ともに曹仁が注文してあった通りの出来だった。あれだけ長柄の槍だ、兵達は初め途惑うだろう。
そんなことを考えていると、一人の少女の顔が思い浮かんできた。彼女ならあの槍も手足の如く軽々と扱いそうだ。
「お兄ちゃ~~~~~~~んっ!」
ドドドドッと慌ただしい足音と共に、ちょうど今頭に思い浮かべていた少女の声が、通りに響いた。
「探したのだ、お兄ちゃん!」
一直線にこちらに駆けてきた少女は、キキッと音でも聞こえてきそうな急停止を見せると、曹仁に笑顔を向けてきた。
「張飛殿、何かあったか?」
その様子に、なんとなく頭にやった手で撫ぜながら曹仁は問いかけた。
「にゃはは。今日は調錬はお休みって聞いたから、お兄ちゃんを遊びに誘いに来たのだ。鈴々、今日は1日お兄ちゃんと遊ぶ日なのだ」
気持ち良さそうに撫でられながら張飛は答えた。曹仁は少し頭を悩ませた。調練は確かに休みだがやることは多い。明日からの調練のために兵を隊分けしなければならないし、兵糧や武具の調達にかかる軍資金を考え、計算したりと、他にも細々とした雑務が貯まっている。
「……だめなのか?」
表情に出てしまっていたのか、張飛ががっかりと項垂れる。
(……ま、夜やればいいか)
こういった人間が自分の泣き所だ、と曹仁は思った。こうして真っ直ぐに感情をぶつけられると、つい期待に応えて嬉しそうにする姿を見たいと思ってしまう。
「それじゃあ、今日は一緒に遊ぼうか」
「~~~~♪」
張飛の表情が、パアッっと晴れわたる。その様を見て曹仁は、大剣をとれば敵無しと言われる従姉のことをなんとなく思いだした。
「お兄ちゃん、次はこっちなのだ!」
目的地目指して駆けだした張飛に手を引かれ、曹仁も足を急がせた。街の中のことをまだほとんど知らない曹仁のために、張飛は街の案内を買って出てくれた。
「ここ! ここのラーメンはすっごく美味しいのだ。特にチャーシューがばつぐんに美味いのだ。鈴々のおすすめなのだ!」
「そ、そうか。えっと、さっきの店は何が美味しいんだっけ?」
「さっきの店は餃子! もう、お兄ちゃんしっかりしてほしいのだ」
「すまん」
(…ええと、その前に行った店が肉まん?で、その前の前もラーメン?だっけか。前の前の前は……)
記憶を辿る曹仁の手を引っ張って、張飛が店の中に入る。
「おじちゃ~ん、鈴々盛り2つ!」
「鈴々盛り!? いや、俺は普通盛りで」
「お兄ちゃん、ちょっぴりしか食べないのだ。おなか痛いのだ?」
「い、いや、大丈夫。ところで張飛殿、次はどこに案内してくれるんだ?」
「にゃ? う~ん、お兄ちゃんは何食べたい? 点心でも炒飯でも麻婆豆腐でも、鈴々におまかせなのだ。あっ、点心はね、肉まん、餃子、焼売、春巻、それぞれ美味しい店が違うから要注意なのだ。それともそろそろ甘いものが食べたいか?」
「えっと、そろそろ食べ物屋以外のところも見てみたいんだけど……」
「食べ物屋以外かぁ。……それはなかなかむつかしいのだ」
「そっか、難しいかぁ」
張飛は難しい顔をしてうんうんと頭をひねっている。その表情に思わず頬が緩む。
「へい、鈴々盛りに普通盛りお待ち!」
そうこうしている間に、注文の品が来た。
(…注文しなくてよかった)
鈴々盛りは常軌を逸した大きさだった。曹仁は先ほどの自分の判断に、ほっと胸をなでおろした。そもそも普通盛りでさえ、すでに完食出来るかどうか微妙な腹具合いである。
「……あっ、ひとつ良い所思いついたのだ!」
張飛がラーメンをすすりながら、思い出したように声を挙げた。
「おお、じゃ次はそこに行こう」
「そうと決まれば、腹ごしらえなのだ。おじちゃん、点心ちょうだい、カゴにてんこ盛りで!」
「……」
懐は痛むが、ほっぺたを一杯に膨らませた張飛の微笑ましい姿に、曹仁は満足感を覚えた。
「お兄ちゃん、勝負なのだ!」
「おお、来い!」
球門目掛けて駆けてくる張飛の前に立ちふさがるようにして曹仁は立った。兄ちゃんがんばれ、と周囲から曹仁を応援する声が聞こえてくる。右に避けるか、左に避けるか。張飛の動きを注視する。
「とりゃ~~!」
「なっ!」
張飛は両足で鞠を挟み込むと、そのまま跳躍して曹仁の頭上を飛び越えた。この世界にあってなお群を抜いた身体能力。完全に虚を突かれた形の曹仁が振り返った時にはもう遅い。
「にゃ!」
「……やられた」
球門に鞠が吸い込まれていた。
張飛が案内してくれたのは子供たちが集まるちょっとした広場だった。そこではちょうど子供たちが集まって蹴鞠をしていた。蹴鞠といっても曹仁が日本にいたころにイメージしていたものとはまるで違う。球門と言われるゴールに鞠を蹴りいれた点数を競う、サッカーに近いものだ。元は軍事訓練の一つだったが、子供たちにも人気の遊戯の一つとなっている。
張飛は昨日一昨日と遊戯に参加し、加入した組に圧勝をもたらしたらしかった。今日は曹仁が別の組に入ることで拮抗した勝負が期待されたが、まるで歯が立たずにいた。
「もう、兄ちゃんしっかりしてくれよ」
「すまん」
同じ組の少年の言葉に曹仁は素直に謝った。組同士の力は互角か、少しこちらが上だと曹仁は見ていた。曹仁が張飛を止められるかどうかで勝負が決まると言っていい。
「にゃはは、また鈴々の勝ちなのだ! お兄ちゃん情けないのだ」
(うう、憎らしい)
先ほどまで微笑ましいものであった張飛の笑顔が、今は苛立たしい。大人げないとは分かっていても、沸々と沸き起こるものが止まらない。自身でもはっきり自覚出来る程に、曹仁は負けず嫌いだった。
「次は止める! 来い、鈴々!」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
曹仁は天を仰ぎながら、弾む息を整えた。惨敗であった。化け物じみた身体能力に加え、無尽蔵な体力、こちらの虚を巧に突いてくる動き。どれをとっても超が付く一級品でこちらが付け込む隙は皆無であった。それでも後半はある程度喰らいついていた、と曹仁は思いたかった。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
初めは煽り立てるような調子だった子供たちも、今は気の毒そうな顔で覗き込んでくる。
「う、うるせい。はぁ、はぁ……もう一試合するぞ」
子供たちは顔を見合わせると気まずそうに、そろそろ帰らなければならない、と伝えてきた。そういえば既に日は落ちかけている。街灯の一つもない時代だ、親も心配するだろう。
「わかった。4日後。4日後にもう一度勝負だ。今度こそ勝つぞ」
はーい、と元気に返事をすると子供たちは散り散りに帰っていった。
ようやく息が整った曹仁が身を起こすと、隣で鈴々が去っていく子供たちの方を見つめていた。その横顔がなんとなく気になって、曹仁も鈴々の視線を辿った。視線は一組の親子に注がれていた。曹仁と同じ組にいた少年だ。心配した母親が迎いに来たのだろうか、手をつないで二人歩いている。少年がそっぽを向いて照れくさそうにしているのが、後ろから見ていてもよく分った。そういう年頃なのだろう。
「……」
鈴々はそんな様子をただじっと見つめていた。
不意に、曹仁は思った。そういえば、この子の両親はどうしたのだろう。一騎当千の強者といえども、まだまだ親に甘えたい年頃のはずだ。少なくとも志なんてものを持って戦場を駆けるにはまだまだ幼すぎる。何か、志を胸に抱かざるをえないようなことでもあったのだろうか?
「よっと」
脇に差し込まれた手に持ち上げられ、鈴々は曹仁の肩の上へと下ろされた。
「わっ、お兄ちゃん。いきなり何するのだ?」
「えっと、…敗者は勝者を肩車して、その勝利を称える。俺の国の風習だよ」
「お兄ちゃんの国って、天の国のことか?」
「うっ、まあ、そんな様なとこだよ。……嫌か?」
「ううん、なんだかあったかい感じがするのだ。」
鈴々はそう言うと、ギュッと曹仁の頭にしがみついた。
「そっか」
「うん。いい習慣なのだ」
「じゃあ、家族のところに帰るか」
「家族?」
「ああ。劉備殿と関羽殿は、鈴々の家族だろ」
どんな時も優しくて、一緒にいると暖かい気持ちになる桃香。いつも厳しいことを言うが、誰よりも鈴々のことを思い、見守っていてくれる愛紗。
「……うん!そうなのだ。二人は鈴々の大切な家族なのだ!」
「……それじゃあ帰ろうか、鈴々」
「あっ」
「どうした、鈴々?」
「真名」
「へっ?……あっ、すまん。俺、いつから」
いつから真名で呼ばれていたのか、鈴々自身も気付いていなかった。それは、あまりに自然だったからだろう。
「いいのだ!」
「えっ?」
「お兄ちゃんには、鈴々のこと真名で呼んで欲しいのだ!」
「そっか。それじゃあ、改めてよろしく、鈴々」
「うん! よろしくなのだ、お兄ちゃん」
暮れゆく街並みを、鈴々はいつもより高い視点で眺めた。