「今回の討伐、俺たちにも手伝わせてくれないか、白蓮さん?」
「いいのか? そりゃあ、そうしてもらえると私としては助かるけど」
「ええ、劉備殿とも既に話し合った結果です。愛紗さんに鈴々も、いいよな?」
「はっ、お任せください。黄巾の賊徒どもに我らの力を見せつけてやりましょう」
「鈴々にまかせるのだ!」
曹仁、愛紗、鈴々へと順に送られた白蓮の視線が、桃香の前で止まる。桃香は大きく頷いた。
「白蓮ちゃん、私たちもお世話になったこの街のために力になりたいの。だからお願い、手伝わせて」
「……ありがとう、みんな」
急遽、軍議が催されていた。曹仁の放っていた斥候からの情報で、周囲にある賊徒の拠点が判明したのだ。さらに時を同じくして、朝廷から黄巾賊討伐軍への参加命令が白蓮の元に下っていた。賊徒の拠点を残したままに街を留守にするわけにはいかない。白蓮は早急に賊徒の討伐に踏み切らねばならなかった。そんな白蓮に、曹仁は賊徒討伐への助力を申し出ていた。そのために集まった義勇軍である、桃香にも否やはなかった。
「それじゃあ、まず斥候からの情報を詳しく説明しよう。賊はここの山中にある放棄された砦を根城としている。兵数は少なく見積もっても1000以上」
曹仁は近隣の地形が描かれた地図の一点を指し示した。
「……それだけの人数が領内の砦を占拠しているのに、気付かなかったなんて」
「いや、砦はかなり前に放棄されたものらしいので、赴任したばかりの白蓮さんが知らなくても無理はないよ。それにやつら、ただの賊徒にしてはなかなか用心深い。山中には罠の類も多く仕掛けられていたとか」
「なるほど。容易に踏み込むわけにもいかないのですね」
「ああ、出来れば引っ張り出して野戦にもっていきたいな。白蓮さんの騎馬隊も活かせるし」
軍議は細かい戦略の話に移り始めた。そうすると、桃香は暇を持て余す形となった。白蓮、曹仁、愛紗の3人が話し合い、それに相槌を入れるだけという格好だ。鈴々も同じように手持ち無沙汰な感じで、視線をきょろきょろと彷徨わせている。白蓮の客将である趙雲の姿はない。呼びにやった者が彼女を見つけられずに戻ってくると、白蓮はいつものことだ、と呆れた風にこぼしていた。
「砦から釣り出すのは俺たち義勇軍でやるから、白蓮さんにはここ、この丘の陰に兵を伏せておいてほしい」
「お前たちがうまく賊徒を誘い出してきたら、丘の上から逆落としに攻めかかると。……私の方はそれでいいけど、結局どうやってやつらを引っ張り出す積もりなんだ?」
「う~ん、いくつか考えはあるけど、まだまとまってない。白蓮さんの方も準備があるし、すぐに出撃ってわけにもいかないだろ? 後で角と蘭々も入れてもう少し練ってみるよ。愛紗さんに鈴々もそれでいいか?」
牛金と蘭々は、曹仁と愛紗に代わって調練の指揮に当たっていた。
「はい、問題ありません」
「う~んとね。鈴々、よくわからないから、考えるのはお兄ちゃん達に任せるのだ」
「こらっ、鈴々!」
「にゃうっ!」
「お前というやつは、我らは兵達の命を預かっているのだぞ」
「……まあまあ、愛紗さん。その辺で」
(……うぅ~、いいなぁ、愛紗ちゃんたち。)
軍議中ではあるが、目の前で繰り広げられる光景に、桃香の思考はつい脇道へと逸れていった。
白蓮の居城に着いて以来、桃香は曹仁と話す機会をほとんど持てずにいた。曹仁は野営で過ごすことが多いうえ、お互い警邏と調練という別々の任に当たっていため、仕方のないことではあった。共に警邏をする蘭々から曹仁のことを聞いて、少しでも彼を理解しようと、桃香は初め前向きだった。
「しかし、曹仁殿」
「鈴々には後で俺から言っておくから」
「……まったく、曹仁殿はすぐにそうやって鈴々を甘やかす」
そんなある日、曹仁が義妹を肩車して城へと送ってくることがあった。そしてその日から、曹仁は義妹のことを鈴々と、真名で呼ぶようになっていた。義妹の方は、相変わらず曹仁をお兄ちゃんと呼んでいた。しかしその響きには、自分をお姉ちゃんと呼ぶ時と同じ、親愛の情の様なものが含まれ出したように桃香には感じられた。曹仁もそんな鈴々を可愛がって、よく一緒に遊んでいるのを見掛けるようになった。
「ふーんだ、愛紗、お兄ちゃんの前だからって真面目ぶってるのだ」
「鈴々!」
「落ち着いて、愛紗さん。鈴々も挑発しない」
「はーいなのだ」
「むむぅ」
「愛紗さんが兵の皆のことを真剣に考えていることは、ちゃんと分ってるから」
「……曹仁殿」
もう一人の義妹も、気付けば曹仁に真名で呼ばれるようになっていた。毎朝早くに野営地に行って、曹仁と修練を共にしていることは聞いていた。そうした日々が続く中、義妹が調錬に行ったまま帰らず、夜更け過ぎに曹仁に担がれて戻ってきたことがあった。飲めない酒にやられたらしい。曹仁が義妹を愛紗と、真名で呼ぶようになったのはその頃からだった。共に兵を調練した武人同士で何か通じあう部分があるのか、桃香には理解できない妙な信頼関係が二人の間にはあるようだった。
「劉備殿も、それでよろしいですか?」
「……はい」
自分に対してのみ余所行きのものになる曹仁の口調に、桃香は暗澹とした思いのまま返事した。
「それじゃあ、今日のところはこんなもんかな。仁、作戦の詳細が決まったら報告に来てくれ。……良し、軍議を終ろう」
「―――伯珪様!」
白蓮が軍議の終わりを告げると同時、計ったように兵士が一人駆け込んできた。
「華蝶仮面?」
「なんだそれ?」
愛紗が不思議そうに声をあげた。曹仁も初めて聞く単語に疑問が口をついて出た。
「ああ、私もまだ実際に見たことはないんだが、最近街で暴れまわっているやつの名だ」
白蓮がため息交じりに答える。
「鈴々は見たことあるのだ! すごくカッコいいのだ。ねっ、お姉ちゃん」
「うん。それに、すっごく強いんだよ。どこからともなく現れて、悪い人たちをあっという間に倒しちゃうの」
「へえ、正義の味方ってやつか」
まるでテレビのヒーローみたいだ、と曹仁は心の中で付け足した。
「しかし、兵の報告では其奴が暴れているという話では?」
「そうなんだよ、聞いてくれよ、関羽!」
「は、はあ」
白蓮は如何に華蝶仮面が迷惑な存在なのか、声を大にして語り出した。真面目に働いている警備の者が街の者に軽視される。姿を見ようと聴衆が集まるから、道が混雑するし、無駄に人々を危険な目にあわせることになる。なにより派手に立ち回るものだから、逆に被害が大きくなることがある。
「なるほど。確かに街の治安を預かる者としては、そのような無法者を野放しにしておくわけにはいきませんな」
「おお、分かってくれるか、関羽! 桃香達はその辺りまったく理解してくれないんだよ」
(……そうだよな。ヒーローっていうのは警察とか体制側とは相容れないものだよな)
愛紗とはまた違った意味で、曹仁はうんうんと頷いた。
「そ、そうだ! 興味があるなら一緒に見に行こう、曹仁さん!」
そんな様子を見ていたのか、劉備は両手で曹仁の手を取ると、多少上擦った声でそう誘いかけてきた。
「い、いや、俺は調錬に戻らないと。角がいるとはいえ、蘭々に任せておくのはちょっと不安だし」
「うぅ。…………愛紗ちゃん」
劉備は曹仁の手を放さないまま、愛紗へと視線を送る。何かを懇願するような表情と、わずかに潤んだ瞳に、自分に向けられたものではないというのに、曹仁は落ち着かないものを感じた。
「…………はぁ、先に抜け駆けしたのは私ですしね。今回は譲りましょう」
「やった」
「?」
意味の通じない二人の会話に曹仁が付いていけずにいると、愛紗が何か諦めた様な、それでいて少しの悔しさを含んだ表情で口を開いた。
「曹仁殿、今日の調練は私にお任せください。曹仁殿もたまには街の警邏に当たるのもいいのでは?」
「うーん、でもなぁ」
華蝶仮面というヒーローの存在は確かに気になるが、進軍が決まった以上、調練は最重要の任務である。
「私に任せるのは不安ですか、曹仁殿?」
「いや、それはないよ。愛紗さんのことは信頼してる」
「…………ならば、たまの息抜きがてらに」
愛紗の顔がわずかに赤らむ。自然に口を突いて出た言葉だが、思い返すと曹仁も少し照れ臭く感じた。
「むぅ~。……えいっ」
「わっ」
劉備が豊満な胸の谷間に挟み込むように、曹仁の腕を抱え込んだ。思わぬ不意打ちに、曹仁の鼓動が一気に高まる。
「ね、行こっ」
そして、息のかかるような距離から、上目づかいに覗き込んでの一言。桃色がかった髪の中から覗くのは、わずかに濡れた瞳。これは断れない。
「う、うん。それじゃあお言葉に甘えて、行ってみようかな」
「決まり♪」
劉備は、パアっと笑顔の花を咲かせると、抱え込んだ腕で曹仁を引きずるようにして歩き出す。
「鈴々も行くのだ!」
「おっと」
曹仁の肩に重みがかかる。鈴々の声が聞こえた瞬間に何となく予感されたので、曹仁は体勢を崩すことなく、飛び乗ってきた彼女を肩の上に座らせる。初めて肩車をして以来の鈴々のお気に入りで、すでに曹仁と共に行動する際の定位置と言っていい。
「それじゃあ行きましょうか、劉備殿。……劉備殿?」
「……うぅ」
急に足を止めた劉備を窺うと、先ほどの花が咲いたような笑顔はどこへやら、ぷくー
っと頬をふくらませて如何にも不機嫌顔だった。
「それじゃあ、私も一緒に―――いや、なんでもない。政務に戻らないとな」
「わ、私も調練の方に向かいますね」
白蓮と愛紗がそれぞれ理由をつけて去っていく。
「? お兄ちゃん、お姉ちゃん。早く行かないと、華蝶仮面見逃しちゃうのだ!」
「あ、ああ、そうだな。行きましょう、劉備殿」
もう一声かけると、劉備は頬を膨らませたままではあるが、ゆっくりと歩き始めてくれた。
「華蝶仮面?もうとっくに悪党どもを懲らしめて、姿を消したよ。兄ちゃん、もっと早く来ないと」
桃香達が華蝶仮面が現れたという場所に着いたころには、すでに人ごみはまばらになっていた。その場に残っていた職人風の男に曹仁が声をかけると、呆れたようにそう返された。
「はあ、そうですか。ありがとうございました」
「あーあ。お姉ちゃんがもたもたしてるからなのだ」
「えへへ、ごめんなさい♪」
ここまで来る間に桃香の機嫌は直っていた。そもそも曹仁には何の落ち度もないし、鈴々とて悪意があったわけではないのだ。何より―――
「おや、劉備様。今日は御亭主も一緒かい?」
「えへ♪」
「あらあら、ずいぶん頑張ったのねえ。こんな大きな子を連れて。」
「えへへ♪」
曹仁と腕を組んで歩いていると、警邏で知り合った街の人達が耳に心地いい言葉を掛けてきてくれるのだ。
初めは訂正していた曹仁も、その余りの多さに諦めたのか愛想笑いを浮かべている。
「もう、お姉ちゃん。はんせーの色が見えないのだ」
「ごめんなさい♪」
「華蝶仮面もいないことだし、これからどうするか?」
「―――おや、これは珍しいものを見た」
「あっ、趙雲なのだ」
「星さん、こんにちは」
「―――!」
背後から声を掛けられ、曹仁が振り返る。その腕にしがみついている桃香はちょっと引きずられるようになったが、そんなことより気になることがあった。
「曹仁殿も隅に置けませんな。このような昼間からそのように」
「いや、これはその」
「ははは。そう照れることはありますまい、ねぇ、劉備殿」
「……」
「劉備殿?」
「……むぅ」
「……なるほど。お邪魔をしてしまったようですな。……しかしそうなると」
「ん? なんなのだ」
趙雲が鈴々に視線を向け、次いで桃香へと移す。桃香を見つめたまま、しばし考え込んむようにしている。その視線に、桃香は少し居心地の悪さを感じた。
「曹仁殿、一度劉備殿をお借りしますぞ。」
「わわっ、趙雲さん!?」
趙雲は曹仁にここで待つよう言うと、桃香の手を取り建物の陰へと引いていく。突然のことに、桃香は為すすべもなく引かれていく。曹仁にくっつけていた体が、妙に肌寒く感じた。
「あの、趙雲さん。いつの間に曹仁さんと仲良くなったんですか?」
劉備を曹仁からは見えない場所まで引いて行くと、それまで無抵抗だった彼女が、おずおずと口を開いた。
「いやあ、曹仁殿の話には参考になることが多いもので。特にひーろーのはな……げふんげふん、まあとにかく偶に酒など酌み交わしながら話すことが多いのですよ。姉上に鍛えられたとかで、酒の方もそれなりにイケる口ですしな」
「うぅ、そうですか」
星はなんとなく劉備の手助けをしてやりたい気分になっていた。
「ご心配召されるな。あくまで友としてのことです。別に劉備殿から彼を奪うつもりはありませぬよ」
「う、奪うだなんて、そんな。別に曹仁さんは、わたしのものじゃありませんし、……ただ、わたし達のご主人さまになって、共に乱世を鎮めるために戦ってもらいたいだけで」
「ほぅ」
関羽からも同様の話は聞いていた。曹仁という人間はなかなかに面白いし、調練を覘いた感じでは将としても優れているようだった。星もそういった部分を認めたからこそ、真名を許したし、得難き友になるのではないかとも思っていた。しかし主君として仰ぐに足る人物かと聞かれると、甚だ疑問であった。曹仁には、劉備や関羽のように明確な志をもって、それに突き進もうという意思が感じられない。義侠心に富んではいるが、この乱世そのものを自分の手で鎮めてみせるという気宇の壮大さは持ち合わせていないように星には感じられた。
(仕えるならば、劉備殿の方が良い)
言葉にこそしてはいないが、星は劉備の持つまっさらな志に惹かれるものがあった。劉備ならば決してぶれずに志を持ち続けてくれる気がしていた。そして中心にぶれない一点があるからこそ、将は存分に戦場で槍を振るえるのだ。
「あのう、趙雲さん。大丈夫ですか?」
劉備の顔を見つめたまま、少し考え込んでしまっていたようだ。怪訝そうに劉備が声を掛けてきた。
「おっと、すいません。……この趙子龍、貴方に力を貸しましょう。」
「力を貸す?」
「ええ、曹仁殿を二人きりになりたいのでしょう?」
劉備は頬を真っ赤に染めながら、少し迷ったふうにしてから、こくりと頷いた。
劉備と星が物陰から出て、こちらに向けて歩いてくるのが見えた。
「一体、なんだったのだ?」
「さあ?」
頭上からの問い掛けに簡単に返す。本当は、なんとなく思うところがないわけでもない。曹仁はそこまで鈍感なつもりもなかったし、愛紗の件もある。しかし自分から切り出すのは、自意識過剰のようでためらわれた。
「お待たせしましたな、曹仁殿」
「ああ、お帰り」
「……」
劉備は無言で寄ってくると、先ほどまでと同じように曹仁の腕をとった。この体勢にもようやく慣れかけたところだったが、一度離れたことでまた振り出しに戻り、またも曹仁の鼓動が乱れる。
「何をしてたのだー?」
「うむ、実はな、劉備殿に呼有好夢に付き合って欲しいと思ったのだがな」
「こありずむ?」
「おや、張飛殿はご存じないのか。夜那とかいう将が舞踏を組み合わせて作った仙術の鍛錬法でな」
「仙術? 面白そうだな」
元の世界では胡散臭すぎる話だが、こちらの世界では現実に仙人なんてものが存在していると聞いていた。寡聞にして曹仁は未だ出会ったことはなかったが。
「うむ、それで劉備殿も共にと思ったのだが、副作用が問題で断られてしまったのだ」
「副作用?」
「胸がな、大きくなるのだ」
「!」
肩の上で鈴々がピクリと反応したのが伝わってきた。
「劉備殿はこれ以上の胸は必要ないということでな。……二人組でやった方が効果があるのだが、困ったな」
「鈴々がやるのだ!」
「おわっ」
曹仁の耳元で鈴々が大声を挙げる。
「ほぅ。つらい鍛錬になるが、耐えられるか?」
「まかせるのだ!」
とんっと、曹仁の肩から鈴々が飛び降りる。曹仁の前に立つその背中からは、やる気が満ち溢れている。
「ならばいっしょに来るがいい、張飛殿。」
「鈴々でいいのだ。趙雲、いいやつそうだから真名で呼んでくれていいのだ」
「う、うむ、そうか。ならば私のことも星と、真名で呼ぶが良い」
「うん、わかったのだ、星」
「それでは曹仁殿、鈴々を借りていきますぞ」
そう言うと、星は曹仁に微笑みかけた。その微笑みが意味深なものに思えるのは、気のせいではないのだろう。
二人の姿が遠ざかっていく。雑踏にまぎれ、その姿が完全に見えなくなったところで、無言だった劉備が口を開いた。
「そ、そそそれじゃあ、わたし達も行こうか、曹仁さん」
調練に戻る、などと言うほど曹仁も無粋ではなかった。
一応街の警邏という名分を与えられているので、二人は軽く見回りをしながら街を歩いて回った。街の人たちからは引き続き冷やかしを受けているが、桃香は曹仁の腕を放さなかった。
「ん? どうかしたか、劉備殿?」
街を見ずに、曹仁の顔をじっと覗き込むようにしていた桃香に気付いて、彼が声を掛けてきた。
曹仁の自分に対する口調や態度が、気が置けないものになりつつあることに桃香は気付いた。これも散々に冷やかしてくれた街の人達のおかげだろか。桃香は改めて街の皆に対する感謝の思いを胸にした。
(あとは、わたしが勇気を出すだけだよね)
二人の姉妹と同じように、まずは真名で呼んでもらいたい。断られるはずはないと思ってみても、やはり勇気は必要だった。主従でも夫婦でもない男女間で真名を許すというのは、その相手がよほど特別な相手だということだ。そしてあらゆる意味で、今の桃香にとって曹仁ほど特別な存在はいなかった。
「曹じ―――」
「あ、兄ちゃんが女連れて歩いてる!」
突然の声に桃香は息をのんだ。男の子達が二人を取り囲むように集まってきた。
「兄ちゃん、それ彼女か?」
「えっと、なんて言えばいいのか」
「兄ちゃん、顔が赤いぞー」
ワァっと男の子たちが歓声を挙げる。
「あーもう、うっせえ! 散れ散れ」
「逃げろー」
曹仁が追い立てるように身を乗り出すと、子供たちは楽しそうに笑いながら離れていった。
「はあ、まったく」
「……曹―――」
「おや、劉備様。今日は男連れかい?」
「……うぅ」
この辺りは普段桃香達が警邏で回る道であり、道行く人はほとんどが見知った顔ばかりだった。多くの人が桃香に声をかけてくれたし、先ほどの様に曹仁の知り合いの男の子が集まってきたりもした。掛けられる言葉は嬉しいものばかりだし、それに助けられてもいたのだが……。
(……こんなことなら、もっと人気のない場所に行けば良かったかも)
「……」
「劉備殿、どうかしたか?」
「い、いや、へ、変な意味でじゃなくてだよ!」
「へ?」
「……あぅ。なんでもないです」
夕日が街を赤く染め上げ始めた。日が暮れるに従い、曹仁達に話しかける者も減ってきた。その分、家路を急ぐ人が増えている。
暮れていく街並みを眺めながら、先ほどまでの百面相とは打って変わって真面目な顔で劉備が口を開いた。
「この街の人達みんなのために、今度の戦、頑張らないとね」
「そうだな」
「それが終わったら、いよいよ世の中を変えるための戦いだね」
「世の中を変えるため、か。劉備殿は立派だな」
曹仁はそこまで先のことを考えたことはなかった。天の御遣いの名から逃れたい自分。華琳に対して負けたくないと思う自分。そんな自身に突き動かされて戦ってきただけな気がしていた。そこには天下も民もなく、自分しかなかった。
「立派だなんて! わたしなんか何も出来なくて、いつもみんなに助けられて。この先の戦いだって、きっとみんなに助けられてばかりで」
「だけど、その戦いを闘い抜くだけの強さを持っている。それは俺にはないもので、きっと愛紗さんや鈴々ですら劉備殿無しには持ち得ないものだ」
そして、腹立たしいことに華琳はそれを持っている、と曹仁は心の中で付け足した。
「う~ん、そんなこと言われても、わからないよ」
「ははっ、そんなものなのかもしれないな。…………そろそろ城に戻ろうか?」
「あうっ」
曹仁が城の方へ足を向けると、劉備が困ったような表情を浮かべた。劉備がさっきから何か言いかけていたことには気づいていた。その内容にも察しはついている。こちらからは言い出しづらい内容だったし、拗ねてみたり、赤面したりする劉備が可愛らしくて、つい気付かないふりを続けてしまっていた。
「……劉備殿」
「は、はいっ」
曹仁の側から声をかけた。照れ臭さにわずかに赤らんだ顔を隠すように、前を向いたまま、足も止めずに続ける。
「あなたのこと、真名で呼んでもいいかな?」
言ってみて初めて、自分がそうしたいと強く思っていたことに曹仁は気が付いた。それが今日1日の間に育った思いなのか、初めて会った頃、あの捕虜への呼びかけを聞いた時から胸中に眠っていた思いなのかは、曹仁にも分からなかった。
「ただいまー♪ 愛紗ちゃん」
調練を終えて戻ってきていた愛紗に桃香は声を掛けた。
「お帰りなさいませ、桃香さま。どうでしたか……って、その様子では聞くまでもないようですね」
「んふふ♪ わかる? 今度の休みも、また二人で街に出かける約束しちゃった」
「なっ」
「うふふー」
「……ずるいですよ、桃香さま」
「抜け駆けしたお返しだもーん♪」
「うううぅ~~~」
悔しげな声を漏らす愛紗を余所に、桃香は次の休日へと思いを馳せた。