少年は夢を見ていた。
少年の両親は腐敗しきった役人に有りもしない罪を着せられ殺された。ほんのわずかな金のためだった。少年を拾った商人の男は彼に美衣美飾を与え、学問もさせてくれた。感謝する気にはなれなかった。こちらを見る目がいやらしい男で、嫌悪すらしていた。今にして思えば自分を‘女’として傍に置くつもりだったのだろう。役人に媚びへつらい、汚い商売をする屑の様な男だった。そして、そんな男に養われている自分自身にも嫌悪感を覚えた。次第に、今ここにいる自分は本当の自分ではないと思うようになっていた。
商人の屋敷に盗賊が押し入ってきた。商人は一人、部屋と部屋の間に作られた隠し部屋で震えあがっていた。少年は不思議と怖いとは思わなかった。殺されるかもしれない。しかしここにいるのは偽りの自分なのだ。少年は生気のない瞳で盗賊達を見つめ続けていた。
盗賊達が蔵を壊し始めた。体が震えた。何故か、蔵が壊される度、偽りの自分も壊れ、内から本当の自分が姿を現すように感じた。蔵が完全に壊された。体はまだ震えていた。少年は自分が怖がっていることにようやく気が付いた。
盗賊達は、家の者に手は出さなかった。商人の男だけはしきりに探していたが、隠れ場所を知っているのは自分だけだった。盗賊の中から一人の男が進み出て一人一人に声を駆けて回っている。男は他の盗賊達から御頭と呼ばれていた。自分の順番がきた。商人の居る場所を教えようと思ったが、震えて声が出なかった。男は自分たちは義賊だと言って、少年の肩に手を置いた。義賊という言葉が、少年の胸に妙に残った。
盗賊達は諦めて引き上げていった。声は出なかったが、体は動いた。美衣を脱ぎ捨て、盗賊達の後を追って駆け出していた。
1年後、自分を囲っていた商人の男の首を、自身の手で刎ねたとき、真に偽りの自分に終止符を打てたと少年は感じた。
「御頭、起きてますか!?」
褚燕はまだ眠い目を擦りながら、上体を起こした。明かり取りからの光が、もう昼過ぎであることを教えていた。ここのところ、昼夜の感覚が完全に狂ってしまっていた。
兄貴が死んだ。
あの日、商人の屋敷で初めて兄貴に声を掛けられた時、褚燕はただ震えることしか出来なかった。義賊の仲間に入って半年ほど過ぎたころから、自分の何を気に入ったのか、兄貴に義弟として扱われるようになっていた。そして兄貴が死んだ今、皆を束ねるのは褚燕しかいないと、兄貴に代わって自分が御頭と仰がれる立場に立っていた。
「御頭!」
「いいぞ、入れ」
褚燕は寝台から降りると、部屋の外から自分を呼ぶ声に答えた。男が一人入ってくる。
「白繞か、どうした? 何かあったか」
「はい、黄巾党の奴らが」
「また、あいつらか。今度は何だ?」
黄巾党と組むと決めたのは兄貴だった。今まで手をつけられなかった巨悪を、国の腐敗を打ち倒す力を手にするためだった。黄巾党から兵と共に送られてきた副官2人は、腐敗した役人どもと同じようにしか褚燕には見えなかった。二人が近くの村から兵糧を奪ってこいと言ってきたときは、殺意すら覚えた。兄貴も最初は断っていたが、現実に多くの兵を抱えてしまっていた。黄巾党に物資を送るよう要請しても、返事は返ってこなかった。
兄貴が出兵を決めた。役所やそれに繋がる商人を選んで襲い、無辜の民に手を出させないために、兄貴自らが兵を率いた。褚燕は留守を守るように言われた。気の乗らない戦に自分を巻き込まないようにしてくれたのだろう。兵を率いて砦を出た兄貴は、そのまま帰ってこなかった。付いていった黄巾の副官2人は、傷一つ負わずに帰ってきた。
兄貴の死そのもの以上に、望まぬ戦で、黄巾の賊徒として死んでいったことが褚燕には何より悲しかった。
「なんでも、官軍の補給部隊が近くを通るそうで、物資を奪ってこいと」
「官軍の?」
村を襲え、などという前回に比べたらずいぶんとましな話ではあった。しかし、あの2人の言う通りにする気にはならなかった。
「てめえらで勝手に兵を率いて奪ってこいと、あの二人に伝えろ」
「それが……」
「なんだ?」
「あいつら前回の敗戦でビビっちまったみたいで、もう戦には出たくないとかぬかしてやがります」
「ちっ、屑が」
「……俺が行きましょうか?」
目の前の男、白繞は兄貴が生きていたころからその副官をしていた者で、今は褚燕の副官だった。褚燕が加わる以前から義賊として戦ってきた男で、年齢も褚燕より10以上も上だろう。
頭領の地位に就いてからは、白繞も含め皆が褚燕に意図的に敬語を使うようになっていた。
「ああ、任せた。必要なだけ兵は連れて行っていい」
「わかりました」
白繞は十分に一軍の指揮を執る実力がある。部屋を出ていくその背中を見送ると、褚燕は再び横になった。
「長槍隊、構え!」
曹仁達が釣り出した敵兵は、白蓮が伏せる丘の前で足を止めた。曹仁が補給物資を装って運ばせていた長槍を兵達に構えさせると、さながら眼前に刃の壁が出来た様で、止まらざるを得なかったのだ。先鋒の敵兵が急に足を止めたことで、敵軍の陣形に乱れが生じた。その隙に全軍が陣形を固めていく。作戦を決めてから、何度も調練した動きだった。曹仁は安心して眺めることが出来た。縦に5、横に40並んだの長槍隊の横陣。その後方に50の弓兵隊と曹仁を含む30の騎馬隊。長槍隊の左右を守るようにそれぞれ50ずつの遊撃隊。そして後方に目を向けると、桃香を囲むように本隊が円陣を敷いていた。
桃香が心配そうに送る視線には、今は気付かない振りで前方に目を戻した。もはや同盟という態は失われつつあったが桃香は盟主であり、なにより紛れもなく義勇軍の総大将だった。彼女を慕って結成された軍なのだ。曹仁は囮となるような今回の作戦には桃香を参加させたくはなかった。出来れば白蓮と共に丘上に伏せていて欲しかった。しかし、それを是としないのが桃香であり、そんな彼女だからこそ義勇軍がここまで大きくなることが出来たのだろう。
「前進!」
構えを保ったまま長槍隊を前進させると、敵兵の乱れはさらに大きなものとなった。後方の兵に押されるような形で、幾人かの敵兵が槍衾の餌食となっていく。
追い討ちをかけるように、そこに矢が降り注ぐ。弓兵隊の指揮は、その調練を取り仕切った愛紗が行っている。彼女の武勇の無駄遣いになるが、他に弓兵隊の指揮に適した者がいなかったのだ。白兵戦の際には彼女の武勇を存分に奮ってもらわなければならない。その際に代わりに指揮をする副官は、愛紗自身が選出していたし、いずれは弓兵隊の指揮自体をその者に任せることになるだろう。長槍隊の頭上を抜けて敵軍に次々に矢が降り注いでいく。
矢の脅威に曝され陣形が乱れることで、槍衾による被害はさらに増えていく。
「全軍、後退せよ! 陣形を乱すな、乱せば隣の同胞が死ぬぞ!」
敵陣の中から声が上がる。その言葉に、敵兵の動揺がわずかに収まる。的確な指揮だった。しかし―――
「おぉぉぉぉーーーーーーっ」
鬨の声が上がる。その声に再び敵兵に動揺が走った。
丘上から逆落としの勢いを持った白蓮の騎馬隊が、敵陣向けて一直線に押し寄せていた。
「残っている兵全員に戦闘態勢を取らせろ。400は砦の守備を、400は俺と共に出陣するぞ」
報告を受けたのは白繞の背を見送ってから6刻(3時間)以上も経って、日も陰り始めた頃だった。白繞が立てた伝令兵の話を聞くと、褚燕はすぐに出陣を決意した。
官軍の補給部隊と思えたものは罠だった。罠に嵌った仲間たちは半ば潰走しつつあるらしい。
「くそっ」
黄巾党から送られてきた副官達からの言葉を、特に考えもせずに聞き流してしまった自分の招いた失敗だった。きっと兄貴なら裏を取ることをしただろう。
「褚燕殿、どうなっているのだ」
戦闘態勢を整える兵達の様子に慌てたのか、その二人の副官が姿を現した。
「あんたらの教えてくれた官軍の補給部隊は、罠だった。俺は今から兵を率いて仲間の退却を援護する。あんたらは砦に残って守備に当たってくれ」
自分たちは出撃しなくて良いことに安心したのか、二人は安堵の表情を浮かべた。
「御頭、白繞から次の伝令が!」
「通せ」
伝令兵が持ってきた情報は、白繞が潰走しつつもなんとか200ほどの兵を集めてこちらに退却してきているということと、敵軍の情報だった。
「……そうか。敵軍の中に、……居るのか」
敵軍を率いる者達の名を聞いて、二人の副官は震えあがっている。褚燕は暗い笑みを浮かべた。
「全軍に通達しろ!守兵は置かん、全軍出撃だ!」
「な、何を考えているのです、褚燕殿!この砦を放棄するお積りか」
「勝って戻ればいい。兵力はむしろこちらが上、負けるとは限らん」
兵数という意味での兵力が上なのは事実だが、褚燕自身勝てるとは思っていなかった。精鋭の騎兵部隊を含む敵軍に対して、こちらの軍はほとんどが歩兵で、お世辞にも精兵とは言い難いのだ。
「し、しかしですな」
二人がさらに言い募ってくる。どんなに言葉を弄そうと、褚燕の胸には響いてこない。立てるべき義を失ったこんな軍は、潰れてしまえばいいとすら褚燕は思っているのだ。
「―――そうか。兵を残さねば、あなた方を守る者もいなくなってしまうな」
「わ、我々はそういう意味で言っているのでは―――」
「なら、守る必要の失くしてやろう」
2つの首が同時に飛んだ。床に落ち、転がる頭には、殺されたことにも気付かずにいる間の抜けた顔が張り付いていた。
「追え! この地を脅かす賊徒を討ち、この地に平穏をもたらすのだ!」
曹仁達義勇軍と白蓮率いる騎馬隊は追撃に入っていた。
戦はほぼ曹仁の立てた作戦通りに事を進めていた。逆落としの騎馬突撃に見舞われた敵軍は、散り散りに潰走するよりなかった。
誤算があったとしたらむしろ、作戦が図に当たり過ぎたということだった。敵軍の兵力を確実に削ぐためには、出来るだけ多くの敵兵を討ち取るか、捕虜にするかしたいところだった。しかし今回は敵軍の潰走が早過ぎたため、満足のいく戦果は逆に得られていなかった。散った敵兵はいずれ山中の砦へと戻るだろう。
「曹仁殿、あれを」
愛紗が指さす先では、200ほどの兵が再び一つになりつつ、砦の方へと引きつつあった。あの潰走から、よくぞあれだけの兵をまとめあげたものだと、曹仁は敵将に感心すら覚えた。しかし、兵がまとまってくれるのは、こちらとしては好都合だった。
「山中に入られると厄介だ。騎兵だけで一気に追うぞ。桃香殿と鈴々、それに角は歩兵を率いて後から続いてくれ」
「えー、鈴々も一緒に行きたいのだ」
「駄目だ。鈴々は桃香殿の護衛。行くぞ、愛紗さん、蘭々」
「はい」
「おお」
「みんな、気を付けてね」
「うぅー、二人だけずっこいのだ」
鈴々がまだ何か言っていたが、曹仁は桃香の気遣いを背に白鵠を走らせた。愛紗、蘭々を含む義勇軍の騎兵30騎もそれに続く。遅れて、白蓮の率いる300騎の騎兵隊も続いてくる。先頭を駆ける100騎は全騎白馬であり、隊列も見事なまでに整っている。その中から抜け出して、星がこちらに馬を寄せてくる。
「見せてもらいましたぞ、長槍隊。確かに効果的ではありますな」
星の表情から、わずかに不満の様なものが覗いていた。曹仁には星の気持ちもよく分ってはいた。
「気に入りませんか、個人の武勇を排除するような戦い方は?」
星はちょっと驚いたような顔をした。
個々人の槍働きを否定する集団での戦いだった。曹仁自身も、兵として長槍隊の中で戦いたいとは思わないのだ。戦に勝って名を上げようという軍ではなく、桃香の天下を想う思いに惹かれて集まった義勇軍だからこそ出来た戦い方だろう。そして、元々は民であり、いずれはそれぞれの生活へと戻っていく義勇軍の被害を、最小限に抑えたいという思いから出た戦法だった。
「うむ、私の様な武人の立場から見れば、あまり気持ちのいい戦い方とは言えませぬな。愛紗よ、お主はどう思っているのだ?」
「わ、私は、曹仁殿の作戦に不満などない。こちらの兵にはほとんど被害も出ていない、完勝ではないか」
愛紗が慌てた様に一瞬言葉を詰まらせながらも答えた。愛紗にもやはり好ましい戦い方ではないらしい。こちらの被害を最少で抑えられる戦い方だけに、兵を大切にする愛紗には複雑な思いがあるのだろう。
「ははっ、まったくお主は正直者だな」
「どういう意味だ!」
二人が言い合いを始めた。この二人の関係が、曹仁には羨ましく感じることがあった。出会ってほんの1月ほどしか経っていないが、お互いに深く理解し合っているように思える。頻繁に諍いを起こしているが、その中にも相手を思う気遣いがあるように感じられる。二人を見ていると、親友という言葉が浮かんでくる。
「兄貴! ニヤついてないで前見ろ」
「っと、すまん」
蘭々の言葉に前方に注意を向ける。逃げる敵軍の向こうに、わずかに砂塵が巻き起こっているのが見えた。
「全軍止まれ! 白繞の部隊を招き入れた後、敵に備えよ!」
褚燕は陣の中ほどを開ける様にして、そこに白繞の軍を合流させた。その軍はそのまま後方に移し、開けた道はすぐに左右から兵を寄せて埋める。
騎馬隊が猛烈な勢いで、直ぐ側まで迫って来ていた。満足に陣形を整える間もない。しかし如何に堅陣を敷こうと、練度の低い自分達の軍ではその勢いを止めることは不可能だろうことを、褚燕は理解していた。
「「うぉぉぉぉーーーーーー!」」
敵味方双方の鬨の声が重なる。
瞬時にして、味方の陣が崩れる。こちらの陣の中に突入した騎馬隊は、陣内を駆け廻り、兵を分断していく。
「……」
褚燕は駈ける敵騎兵を注視した。
10騎ごとの集団が、30から40ほども駆けている。いずれの隊も精強だが、特に目を引くのは三つの隊。
1つは黒髪の女が率いる一隊。彼女が黒髪を靡かせ青龍刀を振るう度、こちらの兵の首が飛んでいく。
次に、白衣を身に纏う、青みがかった髪の女が率いる一隊。真っ赤な刀身を持つ槍を舞うように振るい、こちらの陣形を切り崩していく。
最後の1つは白馬を駆る男が率いる一隊。他にも白馬に乗るものは多いが、中でもひときわ美しい光をその馬体から放っている。先陣を切って味方の陣を崩したのもこの男だった。今もこの隊が最も縦横無尽に駆け廻り、こちらの軍を混乱させている。
「……あれか。よし―――」
褚燕は狙いを定め、指示を出した。白繞の率いていた軍を他の兵に紛れる様に静かに前進させ、件の一隊にぶつける。潰走の中、行軍体勢を組み直しここまで退いてきた兵達である。他の兵よりも練度は高い。それをわずか10騎にぶつけるのだ。
「! なんだ!?」
まるでこちらの思惑を察したかのように、騎馬隊の動きが変わった。騎馬隊は再び一つに固まると、こちらの陣を真っ二つに割る様に駆け、陣外へと抜けた。白繞の軍は一隊に近付く間すらなかった。
「くそっ! 全軍反転して、騎馬隊の再突入に備えろ! 騎馬の者は俺と共に来い、やつらを後方から追い討つぞ!」
「御頭! 敵の歩兵隊が迫ってきます!」
振り返ると、確かに歩兵隊が直ぐ側まで迫りつつあった。駆け廻る騎馬隊にばかり気を取られ、歩兵隊の存在を失念していた。いや、気が付いたところでどうにかなるものでもなかっただろう。そもそも指揮官である褚燕の目的が戦に勝つ方向に向かっていないのだ。
騎馬隊の方に視線を戻すと、すでに反転し、挟撃の機を窺っているようだ。
(……戦の勝敗などは幾らでも譲ってやるさ。しかし、貴様の首だけはこの地に置いて行ってもらう)
褚燕は騎馬隊を見据えると、そう心に強く念じた。
「御頭、やつら、なぜ攻めてこないんでしょう?」
「わからん。とにかく迎撃の構えをとっておけ」
歩兵隊、騎馬隊共にこちらを挟み込むように陣を敷いたまま、沈黙を保ち続けていた。何度か二つの隊の間で、早馬のやり取りがあったが、こちらはじっと陣を固めて待ちに徹することしか出来なかった。兵数ではこちらが勝っているとはいえ、先ほどの騎馬隊の威力に、兵達の間には既に悲壮感が漂いつつあった。
褚燕はただ、騎馬隊が突入してきた際に、恐らくその先頭を駆けてくるだろう男の首を飛ばすことだけを考えた。兵の配置も、そのために組み直してある。あとは秋を待つだけだった。
「歩兵隊から誰か出てきました」
褚燕は騎馬隊を見据えていた目を、歩兵隊へと転じた。女が二人、進み出ていた。一方は子供と言っていい年齢に見えるが、大人の背丈よりもさらに長大な矛を手にしている。もう一方は腰に剣を佩いているようだが、鞘に納めたまま抜くそぶりは見えない。
二人は歩兵隊と、褚燕の敷いた陣の中心あたりで馬を止めた。剣を佩いた方の少女はそこからさらに一歩馬を進めると、口を開いた。
「みなさん、悪いことはやめて、わたし達と一緒に、世の中を変えるために戦いませんか!?」
降伏勧告とも採れる言葉に兵達がざわめく。さらに少女が言葉を続ける。要領を得ない話し様ではあるが、不思議と引き込まれる声だ。
(……何を考えている、俺は)
すぐにその考えを打ち消す。兵達の間に動揺が走っている。なんとかせねばならない。
「お前ら、まどわ―――」
「みんなぁ! 劉備様のいうとおりだ! こっちへ来て一緒に戦おう!」
褚燕の声を遮るように、敵軍の歩兵隊の中から声が上がる。何人かが、その中から進み出てきた。
前列の兵達の間で大きなざわめきが起き、それが波紋のように広がっていく。進み出た男は、かつてはこちらの仲間だった者達らしい。それだけではない。歩兵隊を構成する者の多くがかつての同胞であることに、兵士達が気付き、ざわめきは際限無いものとなった。
「御頭、これはもうどうにも……」
「……兵達には好きにさせろ」
褚燕は一度天を仰ぐと、騎馬隊へと向き直った。そのまま馬を進める。
「御頭、どこへ」
答えず、褚燕は馬を進めた。兵の中には、既に武器を置くものも見え始めている。もはや、兵に頼ることは出来ない。黄巾党を妄信する者達は自ら降りはしないだろが、褚燕ではなく二人の副官の私兵という感じがあった。あの二人がいない今、士気も低く、大した役に立つとは思えない。
自陣を抜け、さらに進み出る。憎悪に濁りきっていた思考が、少しずつ澄んでいくのを感じる。
(そもそも、大事な仇を黄巾の兵達に譲ろうなんて、俺も馬鹿なことを考えたものだ)
さて、一気に斬り込むべきか。それとも……。先ほどの女の姿がまだ目に焼き付いているためか、おかしな考えも浮かぶ。
(この戦況で、受ける馬鹿はいないよな)
そう思いつつも、女たちの正反対の位置、自陣と騎馬隊の中心に辿り着いたとき、褚燕は口を開いていた。
「曹子孝! 一騎打ちが望みだ! 臆さぬならば、出て来い! ―――我は、張牛角が義弟、褚燕なり!」