前回のあらすじ:怪しさ爆発の中年オヤジ、【ドクター矢沢】との邂逅。 精密検査をしてみて分かったこと。ソレはこの身体のスペックのことだった。 劉機関のHGS研究の集大成になる予定だったことから、スペック上は最強のモノ。 リスティ、フィリス、セルフィ、知佳――――そしてフィアッセ。 彼女らのうち、リスティしか使えないテレポートの使用が可能であり、フィールド出力はソレに特化したセルフィをも上回る。 情報処理能力はフィリスを凌駕し、ポテンシャルは知佳を超える。 そして何より、メンテナンスが必要不可欠であるHGSでありながら、一切のメンテナンスを必要としないというデタラメさ。 このメンテナンスとは手術(機械の埋め込みも含む)、投薬、そして大規模な検査を意味する。 よってコレらをパス出来るということは、それだけ費用が喰われずに済むようになる。 そして喰われずに済んだ費用で、新たにクローン体を作れる。研究者たちにとって、そして兵器として運用するモノたちにとって、これ程使い勝手が良いモノはないだろう。「(……でもまぁ。世の中そんなに、都合良く出来てはいないんだよねぇ……?)」 だが少し考えれば分かるハズだった。 肉体を強化・改善する策も無しにそんなことを実行すれば、一体どのような結果が待っているのかを。 能力に肉体が追いつかないという結果。つまり肉体の崩壊だ。 ボクと同タイプのクローン体は、幾つも作成された。ソレはフィリスとセルフィの時と同じ。 優秀なモノを残し、劣っているモノを淘汰させるため。 しかし今回は、そうはならなかった。 能力をきちんと発現出来たモノには肉体崩壊が起こり、逆に能力が殆ど開花しなかったモノ――作成者たちに言わせれば【失敗作】に該当するモノだけが、生き残ったのだ。 失敗作は生き残る。つまりボクは失敗作なのだ。辛うじて発現した能力は、テレパシーのみ。 そして【ある意味】成功作とも言える、メンテナンスのいらない身体。「(……まぁ、なんだ。ちょっとテレパシーが使える以外、普通の少女――――ってことになるんだろうなぁ……?)」 本来ならテレパシーが使える時点で、既に【ちょっと】の枠を超えている。 だがココはとらハの世界だ。ソレぐらい普通のカテゴリーに含まれるだろう。 ……というか、含ませて下さい。 ついでに言えば、リアーフィンすら出ない状態だ。 出ないというよりは、恐らく出す必要がないのだろう。 つまり、そこまでの放熱を必要とする能力ではない、ということだ。 有難い。コレならテレパシーさえ隠せれば、HGSとして狙われることは殆どなくなるだろう。 しかし裏を返せば、狙われたらすぐにでも捕まってしまうことも確定したということだ。 普段は欲しくない能力だろうが、いざ狙われたとなると欲しくなる。ソレがHGSの能力。「(……ってことは別の、何らかの自衛手段が必要だよな……) もしも狙われた時に何らかの対抗手段を持っていなかった場合、待っているのはモルモット化だろう。 死ぬことも許されない実験の数々。 想像しただけで背筋が凍りそうだ。 「(さて……どんな方法で身を守れるようにしようかねぇ……?)」 方法はいくつか存在する。 だがそのどれもが、簡単に手に出来るモノではない。 しかし手にすることが出来れば、ソレらは強力な力となるだろう。 「(一つ目――HGSの能力を発展させる方法……)」 現在この身体は、十歳位の身体なのだ。 ならば今後、身体の成長と共に能力も成長する可能性がある。 本来のHGS患者からすれば望まざる事態。だが副作用などの心配がないであろうこの身ならば、望むモノになるのだ。 能力の発展という発想は、知佳の能力の成長という事例で既に検証されている。 それとは対照的に、LCシリーズは最初から圧倒的な力を持たせることが目的だった為に成長が描かれたことはない。 だから能力を発展させることが出来るかは不明。実際になってみないと分からないだろう。「(そんで二つ目は……霊力を用いた戦闘技術、か……)」 退魔の技。ソレを使用できるようになるかは、本人の資質によるところが大きい。 霊が見えることや、霊力の大小。そして霊力技を行使出来る武具など。 超えねばならないハードルは山程存在する。 そしてソレらは、特殊な一族によってのみ教えられるモノだ。 とらハの世界で登場し、退魔の一族として存在する者は確かにいる。 だが彼女らの本拠地は鹿児島。分家があるのは東北と関西。ココ海鳴からでは遠すぎる。「(……三つ目。ココ海鳴に拠点を構えていて、それでいて本人の才能と特訓次第で化け物レベルになれる技術を伝えし一族――――御神流、か……)」 コレはまず無理だろう。 検討する前から、そうだと断言出来る。 ソレはもう、これでもかっていうぐらいの自信を持って。「(たぶん今は、香港警防隊と海鳴を行ったり来たりしている時期だよな……?恭也にしてみれば、これ以上自分の鍛錬時間を減らすようなことはしたくないだろうし、彼が美由希以外に弟子を取るとは到底思えない……)」 彼らの学ぶ剣は表舞台に立つモノではない。 故にその力を持つ意味を正しく理解し、ソレを正しく振るえるモノにしかその業を教えてはくれないだろう。 ましてや今の二人は、剣士として完成にまでは到っていない段階。ならば尚のこと、弟子は取らないだろう。「(…………っていうか、ソレは神咲も同じだよなぁ……?)」 御神流とは違った意味で表舞台に立たないその業。 ソレらをこんな訳の分からん少女に教えてくれるということは―――恐らくないだろう。 それこそ、かつて耕介が見せたような圧倒的な才能の片鱗でも見せない限りは。「(つまり、現時点では打つ手無し。HGSの能力だって、完全に解明されてる訳じゃないし……)」 打つ手無し。まさにそうとしか言えない状況だ。 コレがもっと年が上だったら話は別なのだが、この年齢ではしょうがない。 出来ることは殆どないのだ。「(それより……もっと重要なことがあったな。ハァ……)」 現状で十歳くらい。ということはバイトをして金を稼ぐことも出来なければ、その金で部屋を借りることも出来ない。 もっと言えば、入院費の支払いすら出来ない。 流れ的に、誰かに引き取られることは確実だろう。「(この精神年齢でもう一度子ども時代をやり直すというのは…………地獄だな)」 人間一度は、【大人の精神を持ったまま子ども時代に戻れたら……】と考えたことがあるだろう。 つまりはコ○ン君現象。コレを夢見る大人はさぞ多いことだろう。 だが実際にこの状態になった時、そんな夢は儚く消え去る。 隣の芝は青く見える現象。そんな名前を付けてやりたい位だ。 傍で見てる分には天国に見えるが、実際に経験すると天国なんかではないということが明らかになる。 コレは一種の恥辱プレイだ。幸い大人の精神のまま赤ん坊に戻るよりかはマシだったが、それでも【マシ】だという程度だ。「(まぁ、今何を言っても無駄だよなぁ……。なるようになるさ、だから今は……)」 死んだように寝るのみ。 子どもの一日の活動時間は短い。コレは体力などによるところが大きい。 だから今は寝るだけ。何かあった時に――有事の時に頭がキチンと回るようにすること。ソレだけが今出来ることだった。 【その時】は、意外にもすぐ訪れた。 ボクが意識を取り戻してから二週間後、その男はボクの病室に現れた。 矢沢医師に伴われて。そして二人の女性を連れてご登場である。「君がフェアリィちゃんだね?」「……そうだけど。アナタ、誰……?」 その男性は、かなり大柄の男性だった。 人の良さそうな容姿に、腰の低そうな態度。典型的なお人好しと見える。 こういう人間は生きていくのに苦労する。まさにそんな人物だった。「率直に聞くよ?君は見知らぬお兄さんに引き取られるのと孤児院に行くの、どっちが良い?」 ちょっと待て。ソレは某運命の名を冠する、超有名ソフトに出てきた台詞じゃないか。 一部、特に【おじさん】という部分が修正されているが、内容は殆どそのまま。 この男、見た目はかなり純朴そうな人間だ。だがその実、かなりのA系なんじゃないのか?「……【おじさん】、何言ってるの……?」 一瞬、目の前の男の顔が引き攣った。 ソレを見て、一緒に来ていた女性――――セミロングの銀髪の方が吹き出した。 彼女の口には、病院内だというのに煙草が挟まっている。 銀髪セミロングで、銜えタバコ。 ふてぶてしい態度に、両手には手袋を填めている。 もしかしてこの人物は…………【銀髪の悪魔】か……?「済まないね、お嬢ちゃん。この【おじさん】はね、『ウチの子にならないか?』って聞いてるんだよ」 【おじさん】という単語を殊更強調して、その女性は説明した。 その横では男性が涙を流し、もう一人一緒に来ていた女性に慰められている。 栗色の襟足ぐらいで揃えられた髪に、桃色のヘアバンド。特徴的な、長い三つ編みが既に切られていたから気が付かなかったが、コッチの女性は……。「大丈夫ですよ~、とても三十過ぎには見えませんからー」「愛さんっ!?俺はまだ三十路行ってませんからっ!?……っていうか、夫の年齢を忘れないで下さいよっ!?」「あらあら、ごめんなさい。ついうっかりしてました……」 銀髪の女性は【リスティ・槙原】。 そして栗色の髪の天然さんは、【槙原愛】なのだろう。 ……そうなると、あの妙にカッコ付けてた痛い【おじさん】は……。「(……【槙原耕介】って、ことになるよね……?)」 天然の愛のボケに、それに絶叫ツッコミする耕介。 ゲームで擬似的に体験したことはあったが、目の前で実際に見られるとは思わなかった。 まぁ結果的に、非常に面白いものをタダで見られたので、何だか得した気分ではあるが。「……矢沢先生。この人たちは……?」 事前情報があるとは言え、目の前の槙原家御一行様とは初対面なのだ。 うかつにコチラから話せば、何らかのボロが出る可能性がある。 なので矢沢医師に説明を求める。そうすれば、彼らのことを語ってくれるだろうと思って。「この人たちは、高台の上に住んでる槙原さんだよ。君の引き取り手を探していた時に、自ら名乗り出てくれたんだよ?」 確かに引き取り手を探してくれるように頼んではあった。 だがコレはいくら何でも出来過ぎだ。 事前の検査で、ボクの証言や記憶に嘘がないことは証明されている(その検査員の心を読んだので、まず間違いないだろう)。 ということは、ボクの正体をリスティに探らせようとしている訳ではないだろう。 では一体、何の為に彼らが来たのだろうか? まさか本当に、引き取ろうとして来ただけなのか?いくらお人好しを絵に描いたような夫婦だからって、二人も子どもを引き取ろうとするものか?「(……そうだった。それが【とらハの世界の住人】だったよな……?)」 リスティは基本的に斜めに構えたスタンスを取っている。 だから愛や耕介のようにお人好しという訳ではない。 だがフィリスやセルフィに対しては、きちんと姉として接しており、見た目には分かり辛い優しさを持った人物だった。「(なら本当に、引き取ってくれるつもりなんだ。…………でもそれじゃ、あんまりにも面白くないよねぇ……?)」 このまますんなり行けば、ボクは愛・耕介夫妻の(恐らく)二人目の子ども。 つまりリスティの三人目の妹になるのだろう。 ……でもそれじゃあ、面白くない。面白味に欠けるというモノだろう。 「(せっかくこの世界に来たんだ。もっとイレギュラーに動いてみたいよね……?)」 最終的には向こうの思惑通りになるのだろう。 だがそれならば、途中で面白いことをして――イレギュラーな動きをして、皆をあっと言わせてみたい。 ソレは心から思っていることだった。 普通に、無難に生きてきて面白くもなんともなかった一生。 ソレが終わり、新たに受けた一生。 ならばこれから、今までとは違った生き方をするべきだ。そう思い、銀髪の小悪魔様の方を見やる。「……ん?どうしたんだい、お嬢ちゃん?ボクの顔に何か付いてるのかい?」 怪訝な顔でコチラを見返してくるリスティ。 コレはチャンスだ。ざさなみの二大魔王の一人に一撃入れる、最初で最後のチャンスなのだ。 コレ以降は、どうせからかわれ続ける人生を歩むのだろう。ならば最初くらいは、せめてこの瞬間だけは勝ってみたかった。「(よしっ!作戦実行っ!!)」 小首を傾げる。そして純真な目をする。 ……実際に出来ているかは不明だが、多分問題ないだろう。 もっとも、精神年齢的には大幅にアウトなしぐさなだけに、自分に戻ってくる精神的ダメージも結構ある。「(……準備完了。――――行くぞ、さざなみの魔王。覚悟の貯蔵は十分か?)」 耕介が某運命ネタをやったせいか、コチラも自然にそのネタになってしまった。 だが問題ないだろう。親(耕介)の責任は、娘(リスティ)に取って貰えば良いのだ。 いざ行かん。最初で最後の攻撃へと。「ママ……?」『……エ゛ッ!?』 いつもニヒルな笑みを浮かべているハズの銀髪の小悪魔。 しかしその笑顔は、今は凍結している。 轢き潰れた蛙のような声と共に。そしてその声は耕介と矢沢医師からも同時に発せられていた。「あぁ~、なるほどー。同じ銀髪だし、顔も似てますからねぇー…………リスティとフェアリィちゃん」 愛の天然が炸裂する。 そう、まさにそう勘違いしたと思って欲しかったのだ。 幼い子どもだ。そういう間違いはあってもおかしくはない。 年齢的にも不可能ではない。 だからそう勘違いしてもおかしくはない。 だがコレ程【年頃の女性】にとって、心臓に突き刺さる攻撃はないだろう。 更に言えば、怒りの矛先をコチラに向けることは出来ない。 初対面の子どもに怒りをぶつけられる程、彼女は子どもではない。 だからこそ出来る、一回限りの攻撃。アンコールに応じられないのが、誠に残念だ。「ま、待てっ!?ボクはママじゃない!!」「でも矢沢先生が……」「矢沢っ!?」 微妙に涙を溜めつつ、捨てられた子犬のような目をする。 うん。アカデミー賞モノとは言わないが、それでも結構良い線だろう。 蚊帳の外にいた矢沢医師に話を振り、リスティの意識をそちらに向ける。 既に矢沢医師にはネタを仕込んである。 もっともソレは、彼が共犯という意味ではない。 彼には無意識のうちに自爆するように、ある質問をしておいた。後は、上手く作動してくれることを祈るのみ。「いや、確かに母親が誰かって聞かれた時、【遺伝子上】は君だって説明したけど……!?」「あ、アホか~~~~っ!!そんな勘違いしそうな説明、こんな子どもが理解出来ると思ってるのか!?」 細工は流々。矢沢医師はボクが仕掛けておいた罠に気が付かずに、ソレを発動させる。 よって、トラップ発動。 これにより矢沢医師は、フルボッコ確定に。「(……さよなら矢沢医師。おかしい人を亡くしたなぁ……)」 【惜しい】人ではなく、【おかしい】人。 目が覚めてからの二週間、その間に彼の人となりは把握した。 確かに優秀な人間のようだ――――ことHGSのことに関しては。 人柄も良く、医師・看護士・患者からの信頼も厚い。 ココまで聞けば「そんなパーフェクトな人間がいるかぁ?絶対どっかに欠陥があるんだろう?」とか思うだろう。 安心して欲しい。ご期待の通りだ。彼には重大な欠点が存在するのである。「何ぃぃぃぃっ!!ウチのフィリスは、子どもの頃からソレぐらい分かってたぞ――――っ!?」 親バカ。この場合はバカ親と言うべきだろうか。 コレが欠点。矢沢医師の、人間としてのダメなところだった。 以前は本当に欠点がない、極めて有能な医者だったが、フィリスを引き取って以来、バカ親父の一途を辿っているらしい。 曰く、「フィリスは絶対に嫁にやらないぞっ!!『フィリスはお父さんのお嫁さんになるんだー』って言ってたんだ!!」とか、真剣に口走る位。 つまり完全無欠のバカ親。 医者を相手に言うのは何だが、付ける薬がないとはこのことだろう。「子どもの頃って……それって、十年くらい前のことだろうがっ!!いくらフィリスが小さいからって…………えぇぇぇぇっ!?」「何だとぉぉっ!?フィリスは今も可愛いじゃないか…………って、どうしたんだいぃぃぃぃぃっ!?」 リスティの激しいツッコミ。だがソレは当然のことだった。 十年前のフィリスは、肉体的には既に小学校を卒業しているハズの年齢だったハズ。 特殊な育ちをしているから、精神年齢が微妙に幼かったらしいが、知識はその時点で大人レベル。 まぁコレには説明がいるだろう。 フィリスはリスティのクローン体であり、同時期に生み出された十体(この中にはセルフィも含まれる)の指揮官タイプとして生み出された。 だから彼女は、他のクローン体より知能面や知識面がもっとも高めに作られている。 よって彼女は、生まれながらにして並の大人以上の知能と知識を持った、スーパー天才児だったのだ。 そんな彼女と比較するなんて、どうかしてる。ソレはリスティだけでなく、矢沢医師の発言を聞けば誰でもそう思うだろう。 だか今話題にするべきことはそんなことではない。リスティ、そして矢沢医師のセリフが、変なところで切れたところに目を向けるべきだろう。「あら?私なんかに構わずに、続けてくれて良いのに……?」 ソコには銀髪の妖精さんがいらっしゃいました。 リスティそっくりな顔に、煌くシルバーブロンド。性格に比例するかのように、大変控えめな某所。 表情は素晴らしいほどの笑顔で飾られているハズなのに、何故か底冷えするほどの冷気。「フィ、フィリス……一体、何時からいたんだい……?」「そうねぇ?リスティが、【ママ】って呼ばれたところ辺りからだったわね?」「…………ソレって、ほとんど最初からじゃないかい……?」「……そうとも言うわね?」 つまりアレだ。この妹君が自分をネタにされていたのにソコまで怒髪モードに入っていないのは、普段見られない姉のうろたえる様子が見られたからなのだろう。 そうでなかったら、とっくにこの病室は戦争地帯になっていただろう。 ネタでやったことなのだが、結果的には被害が少なくなった。 いや。もしかしたら、ボクが最初から余計なことをしなければ…………こうはならなかったのか? ……まぁどちらにせよ、フィリス先生のご登場だ。 この入院生活でまだ出会うことはなかっただけに、ココで知り合っておけるのは都合が良かった。「二人とも!いつも病院で騒いじゃダメって、言ってるでしょう!?」「いや、それは……」「フィ、フィリス!?お父さんはお前の聡明さを訴えてただけだぞ!?」「同罪ですっ!!」 少し思考の渦に巻き込まれてただけなのに、帰ってきたらこの騒ぎ。 槙原夫妻は未だにコッチの会話に戻ってこれてないし、目の前に繰り広げられているのはフィリスによる説教タイム。 ……カオスだ。物凄い混沌とした空間が、ソコには広がっていた。「あ、あのぉ……?」 流石にこのままにしておく訳にはいかないだろう。 というか、このままにしておいた場合、被害とか割を喰うのは間違いなくボクの方だろう。 この世界の法則でいけば、ソレはまず間違いない。だから収拾する。何としてでもこのカオスフィールドを、早急に撤去しなくては。「……エッ?あ、ごめんなさい!?貴女のこと、すっかり忘れてたわ!?」「…………(一人の人間として素直なのは大変良いことなんだけど、一人の医者としてはどうなんだろう?)」 すっかり置いてけぼりな、ボクの状態。 遅まきながら。非常に遅まきながらそれに気付いたフィリスは、慌てた拍子に思ったことが口から出てしまった。 憎めない人物。だからこそ許されるのだが、もしコレをさざなみ寮の二大魔王にやられたのなら…………。「(……何か、物凄くムカつきそうだなぁ…………?)」 彼女らにからかわれる人物たちは、こういったことをきっかけに突っかかっていくのだろう。 ソレが魔王様たちからの、仕掛けだということには気が付かずに。 そしてその後に待っているのは、良いように踊らされる自分だとは知らずに。「リスティ、さっきの【ママ】っていうのなんだけど……」 フィリスが再び口を開く。 そこから出てきたのは、先ほどの続きを意味する言葉。 それは同時に、リスティの機嫌を損ねるモノだった。「……まだその話題を引っ張るか。よっぽど後の仕返しが怖くないと見えるな……?」 普段やられている、その仕返し。 リスティはそう取ったのだろう。 だから予想できなかった。この後に続く、先ほどのボクの発言よりも凄い返しが待っているとは。「なってあげれば?フェアリィちゃんの【ママ】に……」『…………エッ?』 今度はリスティと矢沢医師だけでなく、槙原夫妻も呆然とした。 それはそうだろう。自分たちが引き取りに来たハズなのに、いつのまにか話は別の方角に行っているのだ。 そういう意味でも当然の反応。 ついでに言えば、勿論ボクも同じ心境だった。 冗談で言ったのに、まさか本気で取られるとは思わなかったのだ。 だから今更、「実はからかっただけなんですよ?」とは、とても言える雰囲気ではない。「……あー、済まないフィリス。一瞬だけ、耳が遠くなったようだ。悪いんだけど、もう一度……」「フェアリィちゃんのママになってあげたら?」 間髪入れずに返ってくる返事。 ソレは空耳ではなかったことを意味していた。 リスティがどう返したら良いものかと考えていると、フィリスが続けてこう言った。「リスティ。ちょっと廊下まで付き合って……?」「ちょっ!?ちょっと待て、フィリス!?一体、どういう……!?」 片手を引っ張られ、妹に廊下に連れ出されるリスティ。 予想外に次ぐ予想外の事態。 彼女には妹が何を考えているのか、理解出来なかった。「フィリス!一体、どういうつもりなんだ!!」 訳も分からないうちに連れ出されたのだ。 リスティの反応は当然のモノだろう。 それに対してフィリスが取った対応は、リスティの質問に答えるというモノではなかった。「……リスティ。私たちは今まで、様々な人たちのお世話になってきたわよね?」「なんだい、やぶから棒に……?」「良いから答えて」 有無を言わせぬ迫力。 普段のフィリスからは想像も出来ない行動。 その迫力に押され、リスティは詰まりながら返した。「あ、あぁ……。確かにその通りだよ……」 元々身寄りの無かった自分たちを引き取ってくれたこと。 温かい家族の一員にしてくれたこと。 そして特殊な生まれである自分たちに、生きるということを教えてくれたこと。感謝の念は尽きない。「……でも私たちは、未だにその恩を返せてないわ」「…………確かに、ね……」 リスティは警察の民間協力者からキャリアを積み、特例措置でようやく刑事として働き始めたところ。 そして、フィリスは研修医に毛の生えたようなモノ。 年齢的に仕方ないとは言え、二人はまだまだひよっ子なのである。 つまりそんな彼女らからすれば、【まだ何も返せてない】という気持ちがあった。 彼女らの引き取り手からすれば、「もう、いっぱい――色んなモノを貰ったよ」とか言うだろう。きっとそうだ。 だがリスティたちからすれば、そういう訳にもいかない。 ソレは彼女たちの(ココにいないセルフィも含めて)、一致した考え方だった。 だからこそ彼女たちは、少しでもはやく大人になって、親たちに恩返しがしたいと思っていたのだ。 まぁそれが原因で、リスティの人生は少し遠回りなモノになってしまったのだが、ココで語ることではないだろう。「もちろん、金銭的なモノで子ども一人養うのは無理よ。私たちにはまだ、そこまでの経済力はないんだから」「だったら……」 リスティからの言葉を手で制するフィリス。 まだ続きはある。ソレを聞いて欲しい。 まるでそう言っているかのような仕草だった。「……でもね?ソレ以外なら、貴女にも出来ると思うわ」「他人事だからと思って……。そんなに言うんなら、フィリスが引き取れば良いだろう?」 厄介ごとを押し付けるな。 言外にそんなことを言っているように聞こえる。 だがフィリスにはそう出来ない理由があった。「リスティ、私はまだ自分を一人前の医者だとは認められないわ。それに、私があの子を引き取ったら……」「…………あー、なるほど。確かにフィリスとあの嬢ちゃんが並んだ場合……」 まず親子には見えないだろう。 良くて姉妹。もしフェアリィが成長したら、双子くらいにしか見えないだろう。 その点リスティなら、親子に見えなくもない。それでも、ヤンママが精一杯だろうが。「フゥ……出来るだけ、手伝いに来いよ?」「当然でしょ?そうなったら、あの子は私にとっては姪ってことになるんだから……」「……シェリーのヤツ、自分の知らないところでオバサンになったなんて知ったら……」「大丈夫よ。あの子も――シェリーもこの場にいたら、私と同じこと言ってくれると思うわ?」「ソレは双子だから……っていうワケだけもなさそうだね?」「まぁ、ね……」 独特の、ある種の空気が緩やかに流れていく。 ソレは決して不快なモノではなく、とても心地良いモノだった。 無言で微笑む二人。数年前までは他人だった者たちは、今では立派に姉妹をしていた。 「……まぁ、良いさ。結局、日中は耕介に丸投げすることになりそうだし……」「それは…………否定できないわね……」 もしリスティが結婚し子どもを産んだとしても、それは変わらないだろう。 彼女はキャリアウーマンタイプだ。 そして何より、彼女たち三姉妹は自分たちの能力を世の中の役に立てることに行使したいと考えている。 自分たちの力と生まれ。ソレから逃げるのではなく、ソレを背負って尚立ち向かう。 そういったスタンスを持っているので、もし子どもが出来たとしても日中は誰かに世話を頼み、自分らは仕事に行く。 そうなれば、子どもは誰かに世話して貰うしかないだろう。リスティの場合は、一番都合が付きそうな【主夫】――耕介に頼むことになるのだろう。「あ~あ、これでボクもコブ付きか~……」「リスティの性格なら一生独身だったかもしれないんだし、コレで良かったんじゃないの?」「……やっぱ一度、お前がお姉さまをどういう目で見ているのか、確認する必要があるな……」 彼女たちは気が付いているだろうか。 今の会話が、かつての仁村姉妹のソレに良く似ていることを。 かつて姉妹同士で――同じ遺伝子を持つ者同士で闘い合った姿は、もうソコにはない。 ソコにいるのは、少し意地悪だけど本当は優しい姉。 そして普段はまだ幼さが残るが、イザという時には毅然とした態度を取れる妹。 そんな二人が作り出す、仲睦まじい光景があるのみだった。