竜はファリオダズマ最強の種族である。
その通説を否定する者は極めて少ない。
無理もない事だ。まずもって、単純に質量が違いすぎる。例え力自慢のジャイアントであろうと、自身の質量の30倍以上の巨体から生み出される力にはまず勝てない。更に、体表を覆う硬い鱗。並の剣では、眠っている竜に向けて全力で振り下ろしたところで、剣の方が砕けてしまう。
そして極めつけは、高い知性と魔力。技術面ではエルフやヒューマンに劣り、特に魔法陣などは文化的にほとんど使用しないものの、その絶対的な魔力量の差で、最高の魔術使いと言う座までつかんでいる。
ほとんど完全無欠と言っても構わない種族である。しかし、ファリオダズマでもっとも繁栄している種族とは言い難い。
それは何故か。答えは単純であり、絶対的な数が少ないのだ。
弱い種族、生き延びるのが難しい種族ほど、種の保存の為に多くの子孫を残すという。強靭な肉体に高い知性、更には長い寿命を兼ね備える竜であれば、ごくごく稀に仲間を増やすだけで種は保存されてしまう。
竜はそれら全てを含めて、自らを貴種であると自称する。神からの寵愛を受けた種であり、生まれながらに尊い種族なのだ、と。
とはいえ彼らは、排他的な種族ではない。思い上がった愚者が挑んでくるのを笑って許すような種ではないが、弱きものが助けを請う時、彼らは無償でその絶対的な力を振るう。モンスターの群れに蹂躙されかけた村が、一頭の竜によって救われたというのは、それほどに珍しい話ではない。また、自らが積極的に他の種族と交流しようとはしないが、請われれば公的な場にも姿を出す。その際には、その圧倒的な魔力を使って、ヒューマンと同様の姿をとる。
また彼らは、宝石などの貴金属類、高価な魔術具などを嗜好することでもよく知られる。
つまるところ竜は、貴族的な性質を多分に備えた種族であった。
「どうした? その様に妾を見つめて……。いくら妾の美貌に目を奪われるとて、惑うではないぞ、ユキヒト」
妖艶に微笑むのは、齢百三十を重ねる、正真正銘、純血の竜種の女性である。
艶やかな銀の髪は、その一本一本が糸のように細く、さらりと長い。綺麗な卵型の顔の輪郭と合わせて、女性であれば誰しもが羨望の溜息をつくほどのものだ。瞳の色はルビーのような赤。竜種には珍しくないものの、ヒューマンには滅多に見られないその色は、姿を変えていても彼女がやはり竜の一族である証明である。鼻筋は綺麗に通り、小さな口元は、意思を感じさせるようにきりりと締まっている。
その美貌を前に、ややためらいがちな表情で、ユキヒトは重々しく口を開いた。
「シェリエラザード。君が美貌の持主だという事を認めるのはやぶさかではないけれど、女性として見るには少し年齢が足りないかな」
確かに、美しい。しかし、その美しさは健全な若木のようなそれである。顔立ちも、整ってはいるがまだ幼さが抜けきらない。体つきからも、まだ幼さ故の硬さが取れていない。開花を予感させてはいるが、未だ蕾であった。
彼女の名は、シェリエラザード。ヒューマンの十倍の寿命を誇る竜族としては、思春期真っ盛りの少女である。ヒューマンの判断基準でいえばあと五年で美女になりそうな彼女ではあるが、竜種である以上、女性としての魅力を存分に発揮するには、少なくともあと五十年は必要なのであった。
「詰まらぬのう……。妾が女として熟する頃には、そなたは男として枯れておるであろうよ」
「シェリエラザードさん……女性が、そう言うような事は仰らないものですよ」
ノルンが、少し気恥ずかしげにシェリエラザードをたしなめる。それに対して、彼女はころころと笑って見せた。
「相変わらず愛い事を言うのう、ノルン。そなたは妾の許可なく大人になどなるではないぞ。ヒューマンやジャイアントは少し会わぬうちにこの姿の妾の背丈を追い越して面白うない。エルフやドワーフはましなのじゃがな」
「残念ですけれど……ヒューマンは、自分の意思で成長を止めたりできません。竜だってそうでしょう?」
「む……。まあ、そうか。しかし、面白うないのは事実じゃ。何とかせよ」
長い年月を高い知性を持って生きてきた精神の熟練と、肉体的未熟からくる奇妙なまでの子供っぽさの同居は、幼い竜に特有のものである。
「それで……注文の、礼装用の剣だけれど。出来上がっているよ」
「性急なのはヒューマンの悪い癖じゃ。もう少し、ゆるりと再会を喜ぶ余裕を見せるが良いぞ」
「いや、性急と言われても俺にはこれが商売だからな……。渡して確認してもらうまでは、仕事中だ」
「ふむ……まあ良い。そなたのそう言った生真面目な線引きは、妾も好むところじゃ。妾の剣を持って参れ」
剣を注文して作って貰ったと言うよりは、本来は自分の持ち物である剣を預けてあったような口振りだ。
とは言えそれが、尊大にならないのは、貴種として育て上げられた教育の良さの賜物であろう。竜族は、己の力に見合った分だけ誇り高い種族であった。
ユキヒトが席を立ち工房へ向かうと、例の如く、ノルンがその後ろをとことことついて行く。それを見て、シェリエラザードはにこりと微笑んだ。竜は基本的に穏やかな種族であり、特に弱い者には愛護の念を強く抱く特性がある。ノルンの雛鳥のような行動は、竜族にとっては非常に愛らしく感じるものなのだ。
工房の棚の上、普段以上に厳重に布を巻いたそれを手に取り、ユキヒトは店頭へと戻った。
シェリエラザードが差しだす手に、それを恭しく手渡す。彼女は、自らの手で布を解く。
現れたのは、白を基調とし、金をあしらった文様を施された優雅な鞘。鍔の中心には宝石が誂えられ、柄も鞘に合わせて白。柄頭には小粒の宝石が埋められ、周りはやはり金で覆われている。
それらは、ユキヒトの作ではなかった。ユキヒトはあくまでも刀剣工房の鍛冶師であり、彫刻や装飾は、自作の武器を少々飾ると言う程度であればこなすものの、本職ではない。
今回、シェリエラザードの剣において、ユキヒトが担当したのは、その刀身だ。
彼女は、鍔や鞘の装飾を確かめると、それをすらりと抜いた。その仕草は、熟練した剣士の様に滑らかであり、近寄りがたいほどの整った容姿と相まって、儀式めいた美しさすらあった。
「……ほぅ……」
シェリエラザードは、その刀身に長く繊細な指を這わせ、初めて吐息を漏らした。
アダマンタイト製の刀身は、やや青味がかった冷たい光を放つ。直剣、片刃。刀身には竜族言語で彫刻が施されている。柄に覆われて見えないものの、茎にはユキヒトの得意とする魔法陣。効果としては全体の強度を上げるシンプルなものではあるが、魔力との親和性が高いアダマンタイトに施されていることもあり、刀身に一層の凄味を加えていた。
優雅な外見とは裏腹に、礼装用の剣というレベルには収まらない実戦仕様。それがシェリエラザードの要望であった。
「佳品である」
愛撫するようにひとしきり刀身に指を這わせた後、シェリエラザードは剣を鞘におさめ、満足気に言った。
シェリエラザードは、竜族の例に漏れず、眼が肥えている。ユキヒトとしては、己の作った品はあくまで実用品であると考えており、芸術品として評価されたいとは思わないが、その様に自分の剣を眺められるというのも、悪い事ではなかった。
「でも、良いのか? 礼装用の剣なんだろう? あまり実戦的なのもどうかと思うんだが」
「妾は、機能美を愛する。美しい装飾も結構であるが、やはり道具は使えねばならぬ。それに、案ずる事はない。礼装用の剣は、抜かぬことによって礼装用足りうる。抜いてしまった瞬間、たとえなまくらであろうと名剣であろうと礼装用にはならぬ。第一、妾が不埒者の襲撃でもうけ、傷を負うたらどうする。妾を招いたものの体面も傷つくであろうし、その様な事になれば責任問題じゃ」
事もなげに、シェリエラザードは言う。疑問を覚えない訳ではないが、彼女が良しとするのであればよいのであろうと、ユキヒトは納得する事にした。
「さて、これでそなたの言う仕事は終わった訳じゃな」
「まあそう言う事になる」
「ではこれよりは友と語りあう時間じゃ」
「友、か……」
「何じゃ、不服だとでも申すつもりか?」
心底以外だという声で、シェリエラザードは言う。傷ついたというよりも、きょとんとしたと言った方が正しいような声だった。
「そんな訳ないだろう。ただ、竜はあまり他の種族に心を開かないと聞いていたんでな」
「そのような事はない。誤解と言うものじゃ。とはいえ、友を選ぶのは何も竜に限った話ではあるまいよ」
「……選んでもらえるほど御大層な人間だとは思っていないんだけどな」
「馬鹿者。そなたはもう少し己を知るが良い」
柔らかく、シェリエラザードはたしなめる。いかに外見上は子供とはいえ、一世紀を超える時を生きてきた彼女の事、その言葉は無碍にはできない重たさを持つ。
「そなたの作る剣には心が籠っておる。妾など、この剣が言葉を発さぬのが不思議に思えるほどじゃ。その様に佳き品を作る職人は、敬われてしかるべきであるし、わが友とするに何の不服もない」
財宝の収集家である竜にその様に言われると、流石にむずがゆい。ユキヒトは、少し頬を赤らめた。
「……ところで、じゃ」
こほんと、シェリエラザードは一つ小さく空咳をして見せた。
「そなた何故、それほどの腕を持っておる?」
「……うん?」
「無論、これがそなたの弛まぬ努力と生まれ持った才の賜物であることを疑う訳ではない。しかし妾の見識からすれば、鍛冶は経験の世界じゃ。故に、名工には長き寿命を持つドワーフが多い。ヒューマンでは、経験が十分に備わる頃には体力が衰えてしまう事が多いのじゃ。そなた何故、それほどの若さにして、熟練の名工に引けを取らぬ腕を持つのじゃ? まして、己で魔術を施す鍛冶師など、そうはおらぬ」
職人とは本来、専門的なものである。ファリオダズマで理想とされる剣は、ドワーフが鍛え、エルフが魔法陣を施し、ヒューマンが装飾をしたものとされる。ドワーフは魔術を苦手とするし、エルフは力作業を汚れたものとして忌避する。ヒューマンは全てを行うが、それぞれの種族に専門性で敵わないとされるのが一般的だ。
しかしユキヒトは、剣を鍛え、その上に自分で魔法陣も施す。しかもそれがどちらも、専門とされるドワーフやエルフの一流どころに決して引けを取らないのだ。
「そんなに難しい事じゃない。金属の声が聞こえるんだ」
ユキヒトは少しだけ意地悪そうに笑うと、ややおどけた表情でそう告げた。
それを聞いたシェリエラザードは、しばらくきょとんとした後、ふっと小さく微笑んだ。
「職人たるもの、己の技術の秘訣は明かせぬか。もっともじゃな」
それに対してユキヒトは肯定も否定もせず、笑った。
「とはいえ、珍しいよな。竜族で、そんなに武器職人を評価してくれるって言うのは、さ」
竜族は、装飾品や魔術用具は嗜好するものの、ジャイアントの様に武具を収集するという事はほとんどない。
というのも、本来竜族には武装をする必要などそもそもないからだ。
その鱗を凌駕するほどに硬い鎧も、その爪より鋭い剣も、製作は極めて困難だ。今のシェリエラザードのようにヒューマンの形態を取っている際も、周囲に自身の膨大な質量を転換した、質量を伴う魔力を纏っている。それは、竜の意思一つで結晶化し、最高の盾にも、剣にもなる。そのまま叩きつければ、他の脆弱な種族など簡単に押し潰す事も出来る。
芸術品の一環として刀剣や鎧を集める者はいても、その機能性を求める竜と言うものを、少なくともユキヒトは知らなかった。
「確かに、妾とて剣を使うよりは元来の姿に戻る方が、戦闘能力としては高い。しかしな、ユキヒト。剣とは、弱き者の向上心の結晶の一つなのじゃ」
「……」
穏やかな沈黙を保ち、先を促す。満足気に、シェリエラザードは頷いた。
「モンスターに肉体的に勝てぬヒューマンやドワーフも、武器を手にすれば戦う事が出来る。弱さをそのままにして置くものを、妾は許さぬ。それは甘えである。武器を手に取ったものは即ち、己の弱さに克とうとするものじゃ。その心を、妾は尊いものと思う。妾は弱くない。故に、弱き者の事は分からぬ。弱さ故に卑屈になる心など分からぬ。しかし、己が弱さに克とうとするその思いは、美しきものじゃ」
きっぱりと、シェリエラザードは言って、どうだ、とばかりにユキヒトの目をまっすぐに見つめる。褒められるのを待つ子供のようなその視線にどこか微笑ましさを覚えながら、ユキヒトは微笑んで頷き、肯定の意思を伝えた。
「ところで、今回は一体何の式典に呼ばれたんだ?」
「ふむ。人間とエルフの街が協定を結び技術交換を行うというのでな、立会人として竜の出席を求めてきた」
外交の締結の際、立会人に竜を立てるのは、珍しい事ではない。古くより竜は他の種族を庇護する立場であるとの姿勢を崩さず、他の種族も概ねはそれを受け入れている。
とは言え竜の地位も、近年はかつてほどに圧倒的なものではなくなってきている。その象徴の一つが、今のシェリエラザードのように、人前に姿を現す際に人の形態をとる事である。
実のところを言えば、竜族は遠い昔、一度人の姿をとれば元に戻る事が出来なかった。しかし、ある時から、己の重量を変化させなければ、元の姿に戻ることが可能であると言う事が発見された。とはいえ、人の小さな姿に膨大な質量を詰め込むのには何かと無理を伴い、現在ではその欠陥を補って、周囲に質量を伴う魔力を纏う、という方法で人の姿をとるようになっている。
それはつまり、質量保存の法則なのだろうとユキヒトは思っている。
『魔力』という要素は、元の世界には無かったが、このファリオダズマでは、ごく当然のように、物質を魔力に変換する、と言う事が行われている。しかし、おそらくはその物質も、消えてなくなっている訳ではないのだ。目には見えない何らかの形で、魔力以外のなにものかに変換され、空気中に放出されるか何かしているのだろう。
かつての竜族の変身では、自身の質量を無造作に捨ててしまっていた。その為に元の姿に戻るには、圧倒的に質量が足りなくなってしまっていたのだろうと、ユキヒトは推測している。
「手を取り合うのは良き事じゃ。妾も、停戦協定の仲介などよりはよほど好ましく思う」
今回の様な平和協定よりも、竜族の仲介を求める事が多いのは、戦争や紛争の終結ないし休止時だ。なぜならば、竜族が立ち会った終戦や停戦の協定を然るべき理由なく破るという事は即ち、竜族の立場を蔑ろにすることであり、その様な事をした瞬間、竜族は傷つけられた誇りの回復の為に行動を起こすからだ。その結果は、他の種族との戦争などより、よほどすさまじい被害を残す事になる。そのため、終戦や休戦の協定に竜の立会人を立てるのは、常識とされていた。
「相変わらず、戦争は多いのか」
「多いな。どうにもこの頃は、北東方面のヒューマンとドワーフがきな臭い」
種族間の交流は進んでいる。大国の主要都市では、殆ど全ての種族が雑多に住んでいる事が多い。しかしながら、地方へ行けば、未だに種族間の差別や偏見も多く、種族ごとに町や国を作る地域も存在している。
「……ケンカは、嫌いです」
それまで、邪魔をしないようにとでも言うように静かにしていたノルンが、小さく呟いた。
「妾も必要のない争いは嫌いじゃ」
「……必要な争いなんて、あるんですか?」
争いの嫌いなノルンが、僅かに不快感をにじませた声でシェリエラザードに問いかける。シェリエラザードは、泰然と頷いた。
「ノルンは、ユキヒトと喧嘩をした事はないか?」
「……? いいえ、ありますけれど……」
「親しき仲でも喧嘩はする。それは、他人と共に生きる以上は止むを得ぬ事じゃ。時には喧嘩をしてでも、己の想いを相手にぶつけねばならぬ時もあろうよ」
「……そう言う事なら、分かる気がします」
「うむ。ノルンは賢いな」
よしよし、と、シェリエラザードはノルンの頭を撫でた。ノルンは僅かにくすぐったそうに身をよじるが、結局はシェリエラザードのなすままに撫でられていた。
そのまましばらく、三人はどうという事もない世間話に花を咲かせた。普段はおとなしいノルンも、少しはしゃいだ様子で、諸国を渡り歩くシェリエラザードに、様々な街の話をせがんだ。
結局そのまま日が暮れて、シェリエラザードは刀剣工房『コギト・エルゴ・スム』に一泊していくこととなった。
「世話になったな。それでは妾は行く。見送りはここまでで良いぞ」
刀剣工房『コギト・エルゴ・スム』の外、シェリエラザードは見送りに出てきたユキヒトとノルンに告げた。
「気をつけてな、シェリエラザード。いくら君でも、その姿のまま斬りつけられたりすれば、流石に危うい」
「うむ、妾とて分かっておる。案ずるな。妾はまだ死ぬつもりはない」
にこりとシェリエラザードは笑う。竜は基本的に善意の種族ではあるものの、様々な紛争地に顔を出す事に違いはなく、逆恨みを買う事も少なくはない。
「では、離れておるが良い。危ないぞ」
シェリエラザードは工房の隣、燃料とする為にユキヒトが樹を切ったため広く開けているあたりへと歩いて行く。何を始めるかを知っているユキヒトは、礼儀正しく後ろを向いた。
「見るでないぞ。こちらを見れば、ユキヒトと言えど許さぬ」
「分かってるよ。もうとっくに後ろを向いてる」
「……そなたは詰まらぬ男じゃ……」
全く矛盾した事をシェリエラザードは言う。ノルンが、不思議そうに首を傾けた。
「………おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
シェリエラザードが、雄叫びを上げる。その瞬間、光が弾ける。ユキヒトは、ぎゅっと、目を閉じた。
『良いぞ。こちらを向くが良い』
シェリエラザードの声が、上空から聞こえてきて、ユキヒトは振り返った。
そこにそびえるのは、幼いとはいえ、小さな家ほどの大きさもある竜であった。銀の鱗を全身に纏い、赤い目の竜だ。
先程シェリエラザードが後ろを向けと言ったのは、服を脱ぐためだ。服を纏ったまま竜の姿に戻ったのでは、服が裂けてしまう。そうなれば、次に人の姿に戻る時に着衣に困る。
竜の姿になったシェリエラザードの威圧感はやはりすさまじい。しかしユキヒトは、臆する事なく笑った。
「相変わらず、見事な鱗だな」
『そうであろう。三国一の美女と名高い姉上の、百年前の生き写しと呼ばれるこの身じゃ。もったいないのう。そなたがヒューマンでなければ百年後にはまたとなきほどの美を見られたのじゃぞ』
ヒューマンの身には、スケールの大きすぎる話だ。ユキヒトは苦笑した。
『さて、ユキヒト。妾から友情の証として、これを贈る』
そう言ってシェリエラザードは、その巨大な手を差しのべた。
「これは……君の鱗か!?」
『うむ。この間鱗が生え変わった折に抜け落ちたものじゃ。持って行くが良い」
ユキヒトは手を伸ばすのを躊躇ってしまう。
竜の鱗は最上級の素材だ。もしも仮に売りに出せば、一般的な家庭が数年ほども生活できるだけの値段がつく。もっとも、竜の鱗が売りに出される事は滅多にない。
竜の鱗を手に入れるには、竜を討伐、ないしある程度の傷を負わせるか、そうでなければこの様に竜自身に贈られるしかない。
竜は弱者を保護するとともに強者を敬う性質がある為、同族を討伐したとしても、それが卑劣な手段によるものでなければ報復に出る事はないものの、そもそも討伐が不可能にも近い難事だ。
また、竜に贈られた物を金に換えるなどと言う不敬をする者は、そうそういるものではない。その様な者に竜が己の鱗を贈る事もない。
『良い。そなたは妾の良き友じゃ』
再度、促すように手を突き出してくるシェリエラザードに、躊躇いがちながらユキヒトは手を伸ばした。
『うむ。その鱗を用いて、佳き剣を作るが良い』
「ありがとう。そうだな。いつかもっと腕をあげたら、その時は自分の最高傑作に挑戦させて貰うよ」
『出来上がったら妾にも見せるが良い。楽しみにしておる』
竜に戻ってしまった彼女の表情は、流石に読みにくい。しかし、笑っているに違いないとユキヒトには思えた。
『それではな。また会おう』
傍らに置いてあった、人の姿をしていた際に携帯していた道具や服を入れた袋をつまみあげ、シェリエラザードが羽ばたく。凄まじい風が起こり、ノルンはユキヒトの服をギュッと掴んだ。
『さらばじゃ』
凄まじい振動を起こし、シェリエラザードが大地を蹴る。そして彼女は、大空へと飛び立った。
蒼穹に銀の竜が舞う姿は、例えようもなく美しいものだった。
目が見えないノルンには、それを見る事が出来ない。それを伝える言葉すら、ユキヒトは持たない。それが歯がゆかった。
何を思ったのか、ノルンは、にこりと笑った。
「とても綺麗な風でした。シェリエラザードさんが飛ぶ時の風が、私は大好き」
その言葉を聞いてユキヒトは、こみあげてくる何かをこらえる様に、ぽん、とノルンの頭に手を置いた。
『いと貴き竜の幼き佳人へ 貴女の如く強く典雅な剣であらん事を 行人』