銀は、貴金属としては金と並ぶほどに有名であり、電気伝導率や可視光線の反射率が極めて高いなど、有用な性質を持ち、その美しい光沢から歴史上常に愛好され続けてきた金属である。
また、月や女性の象徴とするなど、どこか神秘的な意味を人間はその金属に見出してきた。
鉄には神秘のにおいがない。それは、鉄と言うものが日常に溢れた金属であり、また、太古から武器として用いられてきたという生々しい事実に基づくものであろう。鉄は実用的な金属であり、そこには徹底した現実がある。
半面、銀は主に装身具や貨幣などとして用いられてきた。
それは、その美しさや希少性から日常用品として用い難かったのもさることながら、武具や農具にするには銀が柔らかすぎる物質であったことも一つの原因だろうとユキヒトは思う。
そう。銀は柔らかい。その柔らかさ故に、宝飾品として用いる時でさえ一般に純粋な銀は用いられず、合金の形で加工される。そんな物質が武器や防具として使われるはずがない。
銀が武器として用いられる状況はただ一つ。悪魔退治である。
銀はその神秘性から、悪魔退治の魔術具としてしばしば登場する。鉛の銃弾では死なない狼男も、銀の弾丸を撃ち込まれれば死ぬのだ。
魔術など存在しない、あるいは存在が確認されていないユキヒトの世界においても、銀は魔的な要素を見出された素材であった。
魔術が日常の技術として存在しているファリオダズマでも、銀はやはり魔術と大きく関連付けられる金属である。
ミスリルやアタマンタイトとなど、魔術への親和性が極めて高く、その存在それ自体が魔力を放つ金属を魔法金属と呼ぶ。銀はそれらとは違い、自ら魔力を放たないという意味において魔法金属ではないが、魔力を増大させる触媒の役目を果たす、魔力の伝導性が高いなどの性質を備えている。
その為に、ファリオダズマでは、銀を武器や防具として用いることがある。ファリオダズマでは銀は比較的ありふれた鉱物であり、それほど値段も高くないため、銀で武具を作ったところでとんでもないほどの値段になる訳でもない。
とは言えそれも、魔術師の使用する魔術具としての場合がほとんどであり、剣や槍など、直接相手と打ち合う為の装備に向く金属ではない。
しかし今、ユキヒトが鍛えているのは、極めて珍しい純銀製の剣であった。
剣を打つのは楽しい。一心に鎚を振るい、思うような形が出来上がっていく過程など、思わず笑みがこぼれてしまう。
それでも、今回の仕事にユキヒトは喜びを覚える事が出来なかった。
普段よりもさらに細心の注意を払い、最高の出来のものをとの思いはある。決してつまらない訳でも、やりたくない訳でもない仕事だ。
ただ、その剣の使われようを思う時、ユキヒトは堪らない気持を抱えてしまう。
依頼人の名前はシオリ・ヨイノマ。
『死霊憑き』のエルフである。
知られている限り、ファリオダズマは二つの大陸と、その周辺に浮かぶ数多の島とで構成されている。
航海技術はさほど発達していない関係から、まだ見果てぬ遠い海の彼方には未知の大陸が存在する可能性もあるが、現在のところまだそれを探しに行こうという気運は盛り上がっていない。今のところは大陸内部で争うのに忙しく、外にまでは目が向いていないというのが実情だ。
大陸の周囲に浮かぶ島は、それぞれが大陸の中の国の領土であったり、独立した国家であったりする。そして、後者の例の一つとして、カミツ諸島とよばれるいくつかの島を領土とするカミツ国がある。
カミツ諸島は大陸から比較的遠い事もあり、独特の文化を持っている。
ユキヒトはその国に行った事はないし、その国出身の者の知り合いもそう多くはないが、伝え聞くところによれば、どうにも元いた世界の日本と共通するところが多い。
今回注文された純銀の剣も、形態としては明らかに日本刀だ。
「……シオリさんは、今日いらっしゃるはずですね」
珍しく、ノルンがそんな確認をする。その声は、どこか沈みがちな暗いものだった。
「ああ、そうだな」
ユキヒトはそれに相槌を打ちながら、ちらりと扉の方を見た。
今日来るはず、それは確かな事だ。ただし、死んでさえいなければ。
シオリはユキヒトの知り合いの中で最も死に近しい存在だ。
性格は無謀と言うにはほど遠いし、実力のほども確か。健康上の問題を抱えている訳でもない。それでもなお、彼女の持つ事情は重すぎた。
「……」
ノルンが不安を感じているのが、ユキヒトにも分かった。しかし、気休めを言う事も出来ない。
シオリはその抱えている事情から、夜にやってくることなどあり得ない。そしてその性格からいって、約束の日に連絡一つよこさないなどと言う事も考え難い。
つまり、後数時間の間に現れなければ、何らかの深刻な事情を彼女が襲っているという事になってしまう。そしてその可能性は決して低くない。
祈るような気持ちで、扉を見つめる。
しかし、未だにノックの音は聞こえてこない。ユキヒトは小さく溜息をついた。
来るかどうかわからない相手を待つというのは、かなり苦しいものだと思う。とはいえ彼女に罪はない。むしろ彼女は常々言っている。約束の日に自分が現れなかったなら、どうか自分の事はその日を境に忘れて欲しいと。
そんな風に簡単に割り切れる訳はないが、だからと言ってこちらから何かを出来る訳でもない。それはもどかしい事だった。
「……昼食にしようか?」
「ごめんなさい、まだお腹がすきません」
「そうか」
半ば以上答えを予想しながら投げかけた問いかけには、予想と全く違わない答えが返ってきた。
元々食が細いのに加え、心配事があると食事に手をつけなくなるのがノルンだ。そのせいでまた体を弱くすることもある。
そうして、ただじっとノックを待つ時間がすぎる。ただ待つ時間は長い。しかし、ノルンもユキヒトも、会話を楽しんでいるような心持ではない。時間とともにかすかな焦りにも似た感情にじわじわと侵されながら、その時をひたすらに待つ。
そうしてどれほどの時間が過ぎたか、コンコンと控え目なノックの音が部屋の中に響いた。
「はい、どうぞ!」
普段では考えられないほど大きな声で、ノルンは入室を促した。
入ってきたのは、黒いフード付きの外套で顔や体をすっかり覆った人物だった。
「……久しぶりね。どうにか今回も再会できて、とても嬉しいわ」
言いながら、その人物はフードを外した。
大陸出身の者と比べて、ややふわりと丸い輪郭。垂れ気味の眼は黒曜石の様に黒い。髪を肩までも届かないほどに短くしているのは、趣味と言うよりは動きの邪魔にならないようにするためだと聞いている。
そして、その耳は種族の特徴をあらわして、長くとがっていた。
「シオリさん……」
ノルンは立ち上がり、とことこと近づいて行って、手探りでシオリの位置を探り当てると、きゅっと抱きついた。
「甘えん坊さんなんだから」
シオリはノルンのしたい様にさせながら、ふわりと笑って頭を撫でた。
「ノルン、シオリさんは遠くから来て疲れてるんだ。外套くらいは脱がせてあげなさい」
「……ごめんなさい」
「いいの」
そう言って、離れようとするノルンを逆にぎゅっと抱きしめる。
「……ここのところはどうしてたんだ、シオリさん」
「うん。普段と変わらないわ。傭兵稼業よ」
「……」
「大丈夫。余り強力な『死霊』は、このところ現れていないから、怪我もしていないの」
高い魔力を持つ者が死んだ時、ごく稀にその魔力が発散されきらず現世に留まってしまう事がある。一般に深い恨みや悔恨を持って生に執着しながら死んだ場合にそうなりやすいとされ、他の生物に害を為すような存在になる事も少なくない。それを『死霊』と呼ぶ。
死霊は生前のような知性を残さない事がほとんどである。ただ本能的に、ある種の魔力に惹かれて集まってくるとされ、ファリオダズマに無数に存在する迷宮には、死霊が集いやすい魔力が満ちた迷宮も存在し、その中には死霊が群れをなしている。
それとは別に、滅多に生まれるものではないが、死霊を引き付けやすい魔力を身にまとってしまっている者も存在し、そう言ったものを『死霊憑き』と呼ぶ。
魔力は体質の問題であり、そう生まれついてしまったものは、決して死霊憑きと言う運命から解放される事はない。
いついかなる時に死霊が現れるかは分からない。そして、死霊は理性を持たず、怨念ばかりを抱えた存在だ。死霊憑きの殆どは、そう長くは生きられず、死霊に殺される。
そして、死霊憑きは一つの場所に留まる事を許されない。
死霊憑きに呼び出された死霊は無差別に害を為す。一つの場所にとどまれば、死霊憑きだけではなく、その周囲に被害が及ぶ。
死霊憑きである事が周囲に発覚すれば、恐ろしいほどの迫害が待っている。下手をすれば私刑により殺されかねない。その為死霊憑きの殆どは、必要最低限以外では人との接触を断つ。そして最後には、誰にも知られず独りで死ぬ。それが死霊憑きの宿命だ。
シオリは、優しくノルンの体を離すと、外套を脱いだ。
「……剣を取ってくる」
「うん。よろしく」
今回はノルンはついてこない。シオリの側から離れようとしなかった。
先天的な体質でハンディキャップを負っているという共通点があるせいなのか、ノルンはシオリに懐いている。その半面で、ひどくシオリに対して遠慮もしているのをユキヒトは知っていた。
ハンディキャップの為に自らできる事が制限され、周りの人間に手助けをしてもらって生きているノルンと、ハンディキャップは身体的な能力に影響を及ぼさないものの、その為に人の中で生きていけないシオリ。どちらがより苦しいのかは、ユキヒトには分からない。
丁寧に白い布を巻いたその剣を手に取る。
彼女の願いで、鋭く、鋭くその剣を鍛えた。柔らかな金属で出来た鋭いその剣を携えて、ユキヒトは戻る。
「お帰りなさい」
「……ノルン、今日は一体どうしたんだ」
戻った先に待っていた状況に、ユキヒトは苦笑した。
ノルンはシオリの為に出したらしい椅子に、ぴたりと自分のお気に入りの椅子をくっつけて、狭い訳でもない部屋の中で彼女にぴったりと寄り添うように座っていたのだ。
「……本当、どうしたのかしら。赤ちゃん返り?」
「赤ちゃんじゃありません」
言いながらも、ノルンはシオリから離れようとしない。確かにその様はどこか、母親の指を必死で握る赤子のようでもあった。
「……注文の剣だ」
「うん。ありがとう」
布を解くと、中から出てきたのは、ただただ無骨な黒い鞘だ。
剣を飾らないでほしいというのも彼女の希望。
彼女は静かに、左手でそれをとると腰のあたりに構え、右手で柄を握った。
「……しっ!」
鋭く、小さく気を吐くと、彼女はそれを突然に抜き放ち、ユキヒトへと斬りつけた。
ユキヒトは、反応するでもなく静かに、その剣の軌跡を見ていた。
放たれた刃は、ユキヒトの首のわずかに左の空間を鋭く切り裂いた。
「祓い給え 清め給え 神ながら守り給い 幸え給え」
きん、と音をさせて剣を鞘におさめながら、シオリは小さな声で、呟くように唱えた。
『オオオオオオオオオオォォォォォォォォ……』
ユキヒトの背後へと突然に現れていた不気味な影が、呻くような声を残して霧散する。
それこそがシオリの抱える呪い。『死霊』だった。
「ごめん、また迷惑をかけたね」
「いいんだ。こんな事迷惑だとは思っていない」
「でも、流石ね。私に斬りつけられて少しも動かないなんて。ちょっとでも動いてたら、首が危なかったのよ?」
「鋭すぎて動けなかったんだよ」
冗談めかしてユキヒトは笑う。それにつられるように、シオリは少しだけ微笑んだ。
「……ごめんね、ノルン。また私、貴女達を巻き込んじゃった」
「……」
ノルンは何も返事をせず、シオリの腹に顔を押し付ける様に、ぎゅっと抱きついた。
「ありがとう、ノルン。この世で私を赦してくれるのは、貴女とユキヒトだけ」
その髪を梳かすように撫でながら、シオリは穏やかに笑った。
「ユキヒト、ありがとう。とてもいい出来ね。抜いた瞬間、ちょっとぞっとしちゃったくらい。本当に清浄な魔力。私の実家に奉納してある宝剣にだって見劣りしないわ」
「誉めすぎだろう」
照れ隠しに少しぶっきらぼうに言うと、シオリは曖昧に笑う。
「……少しはゆっくりして行ってくれるんだろう?」
「でも……」
「……すぐに行っちゃ、嫌です」
抱きついたノルンがきゅっと力を入れる。シオリは困ったようにその頭を撫でる。
「ありがとう。少しゆっくりさせてもらうから」
諦めたような、安心したような、微妙に力を抜いた表情で言うと、シオリは優しくノルンの体を引き離した。ノルンはと言えば、少し不安そうな顔をしながら、迷惑になると思ったのか自分の椅子へと大人しく座った。
「無茶はしてないか?」
「大丈夫。自分の力は見極めているつもりでいるから。……でも、私が学んだ道とはずいぶん違う使い方になってしまっている」
「……何が違うもんか。シオリさんの剣は邪を祓う剣だろう。むしろ本来の使い方だよ」
「『祓う』と言うのなら、何よりも祓わなければならないのは、私自身なのにね」
「……シオリさんは、悪いものなんかじゃありません」
「……」
抗議するように言うノルンに言葉を返す事はせず、シオリはノルンの頭を撫でた。
シオリは元々、剣を神体として奉る神社の神主の家柄だ。剣を以って死霊を祓うというだけの事であれば、それは彼女にとっても本望であったことだろう。しかし、その死霊を自分が集めてしまうとなれば、それは全く話が違う。
死の穢れを何より忌むはずの神社に生まれてしまった『死霊憑き』の彼女。自分が『死霊憑き』であると知った時、彼女にどれほどの絶望が襲ってきたか、ユキヒトには想像することしかできない。そして恐らくは、その想像ですら生温いのだろう。自分がそれまで生きて築いてきた常識が自分を全て否定してくるのだ。それは世界が崩壊するにも等しい衝撃であったことだろう。
『死霊憑き』は、魔力の小さい幼い時期には発覚しない事が多い。しかし年を経て魔力が増大してくると、それに伴い死霊を呼び寄せるようになってしまう。シオリの実家は剣を以って穢れを祓うという家であり、シオリ自身幼いころから剣の扱いを学んでいる。そして、幸か不幸か、シオリはその道に類稀な才能を発揮した子供であったという。
本来であれば奉納の剣舞として、そしてごく稀に『穢れ』に取りつかれた者の『祓』としてのみ使われるはずだった技術は、今や彼女の命を支えるものへと変わり、皮肉にもますますの磨きをかけられている。
「どう? 暮らし向きに変わりはない?」
「相変わらずだよ」
「そう。何よりね」
彼女がこの静かな暮らし向きを何よりも羨んでいるという事実をユキヒトは知っている。言葉に困る事もあるが、出来る限りありのままに答えることが誠実だろうとユキヒトは考えている。
「どうなんだ、最近の世間は?」
「……少し騒がしい。商隊の護衛とか、盗賊団の討伐の依頼が増えてる」
シオリの稼業は傭兵だ。金で依頼を受けて仕事をするという意味では冒険者に非常に近しいところがあるが、冒険者が主に迷宮の探索やモンスターの討伐を生業とするのに対して、傭兵はヒト同士の争いも範疇とするという違いがある。また、冒険者はそれぞれの街の組合に登録をしなければ正規の職業として認められず、かなりの管理を受けるのに対して、傭兵ギルドは単に仕事を紹介する以上の事をほとんどしない。余程評判が悪い傭兵には仕事を回さず、さらに悪くなればかなり荒っぽい『制裁』も加えるが、それだけだ。
決して争いを好まないシオリがそのような職についているのは、他に術がないからだ。
身元を明らかにせず、住所も定めず、ふらりと現れては仕事をしてすぐに去る。そのような生活をせざるを得ないものが、まともな職に就ける筈もない。
静かな暮らしを望む者が、荒事の中でしか生きていく術を見いだせず、そして相応の技術を持ってしまっている。ままならないものだった。
それからしばらくは、ただ穏やかに、日常の話が続いた。
にこやかに談笑を続けていた三人だったが、ふとシオリが窓の外を見て言った。
「……もう、日が傾き始めているわ。楽しい時間って、本当に短いのね。それじゃ、私はもう行くわ」
日が傾いていると言っても、まだ夕方ですらない、昼下がり程度の時間だ。ユキヒトは慌てて立ち上がった。
「もう少し、良いんじゃないか」
「だめ。黄昏時は、逢魔時よ。昼はヒトの時間、夜は魔の時間。黄昏時は誰そ彼の時。出逢ったものがヒトか魔かも分からなくなる、昼でもなく、夜でもない時間帯。ヒトの時間でもなく、魔の時間でもないその中間こそ、ヒトと魔が最も出逢ってしまいやすい時間なのよ。私の『死霊』も例外ではないわ」
「……」
「それじゃあ、私はもう行くわ」
名残惜しさを振り払うようにきっぱりと言うと、シオリが立ち上がる。
「ありがとう。それじゃあまたいつか、会える時がくるまで」
そう言って笑うと、シオリはドアへと向かう。ユキヒトは、とっさにその手を掴んだ。
「……一晩、泊まって行ったらどうだ? 一晩くらいなら、俺が番をしていてやるから」
もうずいぶんと安心して寝た事なんてないんだろう、という言葉は飲み込んだ。それは余りにも残酷すぎる言葉だと思った。
「そうです! そうして行ってください!」
ノルンもユキヒトに同調して、彼女には珍しい、必死の表情でそう言った。
シオリはそれに対して、少し嬉しそうな表情で微笑むと、首を左右に振った。
「ありがとう。とても嬉しい。だけど、そう言う訳にはいかないわ」
「何でだよ、俺たちならそんな事、全然迷惑には思わない」
「……貴方の彼女に悪いもの」
穏やかに返された言葉に、ユキヒトは押し黙る。シオリは、ゆっくりと続きを口にした。
「貴方は誰にでもとても優しいし、それは貴方の大きな魅力だけれど……。貴方が選んだのは私ではなくて彼女なんだから。他のどんな女よりも、彼女に優しくしてあげないと。彼氏がどんな女にも優しいって言うのは、彼女にとっては欠点よ?」
「……彼女に後ろめたい事をする訳じゃないし、彼女はそれくらい分かってくれる」
「彼女に後ろめたい事はしてくれないんだ?」
冗談めかした口調で言うと、シオリはくすくすと笑った。
「分かってくれるのと、不満に思わないって言うのは、必ずしも等号で結べるものではないのよ」
きっぱりと、何かを断ち切るようにシオリはそう言った。
「……さようなら。またいつか、会いましょう」
そう言って出ていくシオリを、ユキヒトはもう引きとめることはできなかった。
自分ならばきっと彼女を救えたのだろうとユキヒトは思う。
例えばほんの数時間でも、安心して眠れる時間。例えば『死霊憑き』であることを知っても変わらずに傍にいてくれる相手。どちらも彼女が求めてやまず、そしてユキヒトが彼女に与えてやらなかったものだ。
シオリは好ましい女性だと思う。しかしそれでも、ユキヒトが選んだのは彼女ではなかった。『死霊憑き』であることは関係なく、もっと惹かれる人がいた。それだけの事だ。シオリもそれを分かっている。だからこそ、線を引き、決してユキヒトに甘えようとしない。
「ねえ、ユキヒトさん」
「何だ、ノルン」
「……もしも、もしも私がいなくて、ユキヒトさんが私を守ったりしなくて良かったら、ユキヒトさんは、シオリさんを選んでいましたか?」
「ノルン。ノルンのその言葉は、同時に四人のヒトを侮辱している。ヴァレリアと、シオリさんと、俺と、ノルン自身だ」
「……ごめんなさい。でも……いつか、私がいたんじゃ選べない事を選びたい時が来たら、その時はきっと、私の事は忘れて、ユキヒトさんのしたい様にして欲しいの」
「……馬鹿な事を言うなよ」
「約束してください。そう言う時が来たら、自分を優先するって」
「……」
「私、きっと、一人でも生きていける様になるから」
「……分かった。でも、そんな寂しい事を言わないでくれよ。一人で生きていけるようになったらもう俺は要らないみたいじゃないか」
「そんな! 違います!」
「分かってるよ。でもな、ノルン。俺だって嫌々ノルンの世話をしてる訳じゃないんだ。大切な相手から、自分の事は忘れろとか一人で生きていけるようになるとか言われる身にもなってくれよ」
「……ごめんなさい。ありがとうございます」
「後ろの方はいらないな。別に感謝される事じゃない」
「……少しだけ、泣いていい?」
「泣きたいなら、いつでも泣けばいい」
ユキヒトがそう言ってやると、ノルンはユキヒトに抱きついて、わっと泣き出した。
おそらくは、甘えることでしか生きていけない自分と、甘えることを禁じて生きている人との境遇を思って。ノルンは大きな声で、泣き疲れて眠ってしまうまで、存分に泣いた。
「清浄なるエルフの巫女へ この剣が貴女の闇を斬り裂き一筋の光とならん事を 行人」