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No.8544の一覧
[0] 安倍晴明幻想郷にて調の呪を鎮めること(夢枕獏版陰陽師×東方 掌編)[わび法師](2009/07/20 01:41)
[1] 橘実之女遍照寺にて幻想の蟲に出逢うこと[わび法師](2009/06/24 21:49)
[2] 安倍晴明神泉苑にて鬼と宴をすること[わび法師](2009/06/24 21:54)
[3] 上白沢慧音という半妖人の楽師をおくること[わび法師](2010/04/18 00:50)
[4] 古明地さとりという妖地上にのぼること(前篇)[わび法師](2010/04/25 09:18)
[5] 古明地さとりという妖地上にのぼること(後篇)[わび法師](2010/04/25 09:18)
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[8544] 上白沢慧音という半妖人の楽師をおくること
Name: わび法師◆52d3591e ID:2d116a8e 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/04/18 00:50
 洛陽は長き歴史を刻んだ都市である。
 古くは東周から数々の王朝が都としてきた。
 何度かの災いもあったが、そのたび洛陽は蘇ってきた。
 暗き夜を越えれば、まぶしい陽は昇るものである。
 唐王朝は成立から百八十八年目を迎えていた。
 十四代皇帝憲宋の治世が始まり都である長安には新たな風が吹いているが、洛陽には未だに風は届いていない。
 男が一人、洛陽にいた。
 僧形で剃髪である。
 名を空海と言った。
 昔と町並みや人混みは変化していない。
 昔、と言ってもわずか二年前のことである。
 二年前に空海は留学僧として唐に、ここ洛陽に足を踏み入れたのだ。
 密教を求めて空海は入唐した。
 
 この密をもって――
 日本国を仏国土となす――

 阿弖流為、坂上田村麻呂と若き日の空海との約定であった。

 虚往実帰
 虚しく往きて実ちて帰る

 荘子の言葉であり、空海が師である恵果の碑に刻んだ言葉である。
 二年間で空海は空っぽだったこの身を密の教えで満たしていた。
 そして今まさに空海は密を日本に持ち帰る途上である。
 長安を発って、洛陽で三日ほど休み、これからの長い旅に備えるのだ。東の果ての日本国への旅路を。
 市の人ごみの中を空海は歩いていた。
 市には精妙な絵柄の壺や西からもたらされたであろう絹の織物が売っている。
 それらを横目に眺めながら空海は歩く。
 先には長大な橋が見える。
 雄大な洛水(らくすい)を南北につなぐ天津橋である。
 空海は一歩一歩橋の上を歩いた。
 空海の歩みと共にカタカタと板橋が鳴る。
 明日には洛陽から遣唐使節は発つ。もう天津橋を見ることも渡ることもないだろう。
 ふと空海は耳を澄ました。
 向こう岸に近づくにつれ、楽器の音色が聞こえてくる。
 音は月琴によって生み出されていた。
 音は複雑に絡み合い曲をなしていた。
 異国の、天竺の旋律であろうと空海はあたりをつけた。
 天津橋のたもと、洛水のほとりで楽師が一人、星と月の装飾が目を惹く五弦の月琴を弾いている。
 眉目秀麗な青年楽師である。
 肌は浅黒く、唐の人間でないことが一目で分かった。
 周りには人だかりができている。
 道を行く者もかなりの数が足を止め、月琴の演奏に聞き入っている。
 灯火に引き寄せられる羽虫の如く、さらに一人二人と人が集まっている。
 楽師の生み出す旋律に皆が惹かれているのだ。
 無論空海も同じであった。
 空海は人だかりに近寄る。
 明日には洛陽を去るのだ。洛陽の思い出として記憶に残すというのも悪くない。
 月琴によって紡がれるのは、憂いと哀切を伴う曲。
 すでに別れたものたちを偲ぶかのような旋律である。
 空海は目を閉じた。
 男がいる。
 女がいる。
 それぞれ商人、妓生、官人、詩人、僧侶である。
 それぞれ漢人、胡人、波斯(ペルシャ)人である。
 長安で空海と共に語り合い、笑い合った仲である。
 もう、会うことはない。
 空海のまぶたの内にとめどなく蘇ってくるのだ。
 空海は渦巻く情の奔流に身を任せた。
 徐々に楽師の旋律が変化する。それまでの哀切は身をひそめ、変わりに顔を出すのは、希望である。
 知己との別れを惜しみ、しかしそれを乗り越えて、新たな場所へたどりつく。
 そんな曲であった。
 どれほどたったか、楽師の指は弦から離れた。
 自然と人々から歓声が上がり、おひねりが楽師の前に置かれた籠に投げられる。
 楽師は深々と頭を下げた。
 灯火は消えたのだ。自然に羽虫も散っていく。
 周囲の人々もまた元の流れに戻っていく。
 ただ空海はまだ動かない。演奏の余韻に浸っていたのだ。
「わたしは漢多太(かんだた)と言います……もしや、空海先生ではないでしょうか」
 一人動かない空海を見て、楽師・漢多太が声をかけた。
 空海は目を開く。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか」
「いえ、先日までは長安にいましたので。空海先生の噂は耳にしていました」
 空海はその才を長安で示し、数々の噂となっていた。
 すべては密をその身に宿すために必要なことであった。
「日本国に、帰られるのですか」
「ええ、帰ります。日本へ」
「あちらの方角ですか」
 漢多太は東の方角を指差した。
 空海も東に顔を向ける。
 漢多太の指先の遥かな果てには日本国が確かにある。
「失礼を承知でお頼みします……わたしを日本国の船に乗せてもらえないでしょうか」
「遣唐使船にですか。日本国に行きたい、と」
「そうです。わたしは日本国に行きたい。日出ずる国へ」
「何ゆえに、理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「わたしは見ての通り、この国の人間ではありません。天竺からこの国に流れてきました」
 漢多太の肌は浅黒い、そして顔の彫りも深い。漢人でないことは一目瞭然である。
「わたしはこれまで様々な国を旅してきました。唐国まで来て、東の果てに日本という国があると知りました。故国を離れてここまで来たのです。わたしは、日本を見てみたい」
 漢多太は気恥ずかしそうに笑いながら言った。
「日本への航海は危険です。それに行けば恐らく戻って来られませんよ。遣唐使はあと一度か二度しかありません」
「承知しています。それにわたしの故郷はもはやありません」
 その言葉で空海は漢多太の故国がすでに存在しないことを悟った。
 事実、漢多太の故国はすでに戦乱で滅び去っている。
 故に漢多太は天竺を出て、唐国にまで流れてきたのだ。
「本当に日本に行きたいのですか」
「ええ」
「そこまで言うのでしたら、わたしが話をつけましょう。ついてきて下さい」
 漢多太は月琴を背負い、動く支度を始める。
 そして空海と漢多太は並んで洛水の河口へと向かった。
 遣唐使船が出港するのは洛陽をさらに東へ下った港からである。
 そこまでは洛水のような運河を通っていくのだ。
 洛水のほとりには船が何隻も停泊している。
 一人乗りの小さなものから、空海の乗ってきた遣唐使船に匹敵する大きさのものまで実にさまざまであった。
 洛水は黄河の大きな支流のひとつであり天然の運河でもある。唐以前の古代王朝の時代から人や物の往き来に使われている。
 船はいずれも喫水が浅い。内陸の運河で使われるのだから当然である。
「あの船で洛水を下ります」
 空海は目線で漢多太に示した。
 大きく立派な船である。憲宋皇帝の空海への好意で良い船が使えるのだ
 帆はなく、船首が船尾と比べて高い。
 船首を見て漢多太は最初それを船の装飾だと思った。銀と青の細かな細工の施された船の守護象だと。
 しかし長い銀の髪が吹く風に揺れている。
 それは動かぬ像ではなく人であった。青い服を着た目もと涼やかな女人であった。
 かすかに憂いを含んだ表情で女は舳先に立っている。
 女は西の方角に視線を向けている。その先にあるのは長安。距離の隔たりをものともせず長安を見ているようでもあった。
 漢多太はその姿に目を奪われた。風に流れる銀髪が煌めいて、星河のようであった。
「あの方も……日本に渡られます」
 漢多太の視線に気づいた空海はそれとなく言った。
「日本へ……」
 漢多太はつぶやいた。自分と同じく日本を目指すものがいるとは思っていなかった。
 洛水は流れていく。りゅうりゅうと、人の流れなど気にもせずに。





 蝉丸という歌人がいた。
 盲目の法師である。
 歌人であり音楽家でもあった多才な人物であった。
 琵琶の秘曲「流泉」「啄木」を受け継ぐ数少ない人物である。
 
 これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関

 かの有名な小倉百人一首に収録されている蝉丸の歌である。
 知る人も知らぬ人も東に行く人も西に行く人も、たとえ別れてもいずれ出会う。 それが逢坂の関なのだ。
 逢坂の関は山城と近江の国境にある。
 古くからの交通の要所であり、美濃の不破関、伊勢の鈴鹿関と並べて三関と呼ばれている。
 逢阪の関はいわゆる境界に位置している。
 人と人とが行き交うように、境界では世界も交差している。
 境界ではさまざまな層と相が交わり繋がり、また離れていく。
 鬼や怨霊などの妖しいものや、常世や陰態を垣間見やすい場所なのだ。
 逢坂とは逢魔でもあるのであろう。
 現代、蝉丸は逢坂の関にて明神として祭られている。境界の力によって蝉丸は常世に移ったのかも知れない。
 蝉丸は逢坂の関に庵を構えていた。
 小さく質素な庵だが、小柄な蝉丸にはちょうど良かった。
 嵐の夜である。庵の戸は全て閉め切っている。
 ごうごうと風が響き、屋根に雨粒が容赦なく叩きつけられる。
 逢坂の関の嵐は続古今和歌集の蝉丸の歌通り、一段と激しい。
 庵の中に座して蝉丸は楽器にふれていた。
 楽器は琵琶ではなく月琴である。まっすぐに伸びた弦は五本。
 とある伝手から蝉丸が手に入れたものだ。
 かなり使い込まれているようで、各所に補修した跡や何かの染みが伺える。
 蝉丸は指で弦を弾く。
 音は鳴る。造られた当時と何ら変わらぬような澄んだ音である。
 蝉丸は五弦の月琴を抱えた。
 嵐の夜である。蝉丸を訪ねる者は誰もいない。
 一人で気ままに楽器を操る、それも良いものだ。
 そう思い蝉丸が弦に指をつけた瞬間、庵の戸がとんとんと叩かれた。
 蝉丸はいぶかしむ。嵐の風ではないだろうか。
 だが逡巡の間に、戸はもう一度叩かれた。
 蝉丸は月琴を置いて立ち上がる。
 このような嵐の夜である。訪ねて来るのは人ではないかも知れない。
 鬼であろうか。
 しかし蝉丸は思う。
 鬼だったとしても、すぐに自分を喰らって嵐の夜に出て行きはしないであろう。
一夜の話し相手となってくれるのであれば幸いである。朱雀門に出没した鬼のような雅な鬼ならばなお良い。
 漢多太や朱雀門の鬼と存分に音楽について語り合ったのならば、喰われても良い。
「蝉丸法師でしょうか」
 蝉丸が戸に近づいたのが分かったか外の相手は声をかけた。
「いかにも、蝉丸でございます」
「蝉丸法師は近頃、唐国伝来の月琴を譲り受けたとお聞きしました。それを是非拝見したくやってきた次第です」
「……開けましょう」
 戸を動かぬようにしていた木の棒を蝉丸はずらす。
 手を戸にかけて横に動かす。水を吸った木の戸は大きくなっており普段より力がいった。
 土の床に雨が降り込む。
「客人よ、お入りなさい」
 雨を防ぐためか、外の人物は布を頭から被っている。
 戸が開けられてもすぐに入ろうとはしない。蝉丸の言葉を待って、ようやく敷居を跨いだ。
 声は蝉丸の頭より上から聞こえてくる。蝉丸よりも背は高い。
「お上がり下さい」
 板の間に上がるように蝉丸は勧めた。
 長身の客人は静かに一礼し、頭から布を取った。
 長い銀の髪が広がる。
 人間の白髪とはあきらかに違い、艶がある。
 そしてどこから取り出したのか、緋色に染められた布が何枚も付けられた冠を頭に乗せた。
「上白沢慧音と言います。まずは願いを聞き届けられたこと、感謝します」
 冠をかぶり、ようやく一息ついたという表情で上白沢慧音は言った。
 蝉丸と慧音は対面するように腰を下ろす。
「月琴とはこれのことでしょうか」
 慧音は蝉丸から差し出された月琴を受け取り、しげしげと眺めた。
 慧音の記憶にある五弦の月琴とは所々違いがある。
 漆は削げ落ち、色を変え新たに塗られている。
 星と月を象った装飾はすでにない。
 しかしこれは、間違いなく慧音の求めた五弦の月琴であった。
 弦を一本指で弾く。昔手にしたときと何ら変わらぬ音であった。
「五弦の月琴……これに違いない。蝉丸法師、これをどこで手に入れられました?」
「さるお方から頂いたものです。そのお方は平安京遷都の折りに手に入れたと語っておりました」
 蝉丸は月琴の出所を詳しくは知らない。
 平城京から平安京への遷都には多くの騒動があったと言われている。その中で散逸した名品は数知れない。
 この月琴もおそらくの一つなのだろう。
 ただ作りからして、日本ではなく大陸で作られたものだということは蝉丸にも伺えた。
「この月琴は、天竺にて作られたものです」
「天竺、唐のさらに西の国ですね」
「そして百五十年以上前に、空海和尚の遣唐使船で日本に渡りました。楽師の漢多太と共に」
「そうなのですか……楽師の漢多太、その名は耳にしたことがあります」
 漢多太という名前は蝉丸の心に残っていた。
「漢多太を、知っているのですか?」
 慧音は驚きながら訪ねた。
 当然である。百年以上前の楽師の名前を聞き覚えがあると蝉丸は言ったのだ。
「玄象という琵琶が少し前に内裏から鬼によって持ち出されたのです。その鬼が自ら名乗った名前が漢多太でした」
「漢多太……やはり鬼に変じていたか」
 慧音はぎゅうっと拳を握り締めた。
「鬼は、漢多太はどうなりました?」
「安倍晴明さまに調伏されたと伺っております。詳しく知りたいのならば晴明さまを訪ねるのがよいでしょう」
 蝉丸は晴明が漢多太を鎮めた夜には立ち会っていない。ただ話を聞いたのみである。
「……慌ただしくて申し訳ありません、わたしは安倍晴明の元に参るとします」
 そう言って慧音は腰を浮かしかける。
「外は天が荒れ狂っています。夜が明けるまで我が庵でお過ごし下さい」
 外の嵐は未だ弱まる気配がなく、庵には容赦なく風雨が叩きつけられている。
「……そうしましょう」
「漢多太が羅城門の上で奏でていた曲です。お聞きください」
 蝉丸は五弦の月琴を抱える。指を弦にあて月琴を奏で始めた。





 博雅は土御門大路にある安倍晴明の屋敷を目指していた。
 竹で編まれた籠を博雅は下げている。
 中に入っているのは大小様々な茸。まだ焼かれていない。
 晴明への土産である。
 冠位が上の博雅の屋敷に晴明が出向くのが普通だが、この二人にとっては気にならないことである。
 しかし博雅は晴明の屋敷におもむくにあたって気になることがあった。
 珍しく晴明の方から博雅にお呼びがかかったのだ。
 博雅の屋敷に童子が文を届けてきたのだ。あれも式神なのだろうと、博雅はあたりを付けている。
 気まぐれに博雅が晴明の屋敷を訪ねることはあっても、晴明の方から来てくれと伝えられることはほとんどない。
 それだけに博雅は真面目そうな顔をかしげながら土御門大路を行く。
 晴明の屋敷についたのは太陽が真上からすこし傾いたころであった。
 あいも変わらず屋敷の庭は荒れ放題であり、野の荒寺のようである。
 秋が始まっており、蜻蛉が風をきり舞っている。
「晴明、いるか」
 門は開け放たれているが、一応博雅は声をかける。
「博雅か、中に入ってくれ」
 晴明の声で返答があった。
 博雅はそれに驚く。なんと博雅の背後から晴明の声が聞こえたのだ。
 振り返ると博雅のうしろには一匹の萱鼠(かやねずみ)がいた。
 しかも後ろ足で直立している。
 博雅の顔を萱鼠はすこし眺めたあと、前足を下ろし四本の足で門をくぐっていく。
 少し逡巡したが博雅は萱鼠について行くことにした。
「来たか博雅」
 晴明は板張りの間にござを敷き座っている。
 庭が見えるように簾は巻き上げられおり、涼しげな秋風が入り込む。
「茸を持ってきた」
 博雅は籠に入れた何種類もの茸を差し出す。
「茸か。式にでも焼かせようか」
「いつも式に焼かせているではないか」
「いや呪で茸を焼くのも、良いかなと思ってな。博雅はどちらがいい」
 面白そうに笑いながら晴明が言った。
「……式だな」
 呪で茸を焼く。どのようなものか博雅に見当もつかない。
 しかし少なくとも食欲をそそられはしないだろう。
 普通に焼く分、式神の方が良い。
 博雅は式神とおぼしき女に籠ごと茸を渡す。
 式神の女は屋敷の奥に消えていった。
「晴明よ。おまえがおれを呼ぶなんて珍しいではないか。何かあったのか」
「まあ、な」
「もったいぶるなよ晴明。気になるぞ」
「もったいぶっている訳ではないさ。もう一人、来てからの方が早いのでな」
 晴明は微笑しながら弁解する。
「客が来るのか」
「うむ、だからそれまで酒は待っていてくれ」
 そう言われて博雅は待つことにした。
 ほどなくして萱鼠が短い足を素早く動かしながら晴明に近づく。
 晴明は指を萱鼠に向け、少しの間指を萱鼠を絡ませた。
「いらっしゃったか」
 晴明の言葉の少しあとに、客とやらが姿を現した。
 大きな青い冠と長い銀の髪が目を惹く女人であった。
 女人にしては背が高く、晴明と同じくらいである。
「上白沢慧音さまですね。お座り下さい」
「……よろしく頼みます」
 晴明は一つ開いているござに座るよう慧音に勧めた。
「ご存じかも知れませんが、わたしは安倍晴明と申します。こちらはわたしの友人で源博雅。玄象を見つけたのは博雅です」
「まて晴明。玄象だと」
 玄象の名前が出た時点で博雅は口を挟んだ。
「まだあの琵琶には何かあるのか」
 博雅の言葉通り、玄象は琵琶である。
 唐から日本にもたらされた名品であり、今は天皇家の宝として内裏に収められている。
 夏の始まりのころに鬼に盗まれた玄象を取り返したのは、まだ博雅の記憶に新しい。
「まあ待てよ博雅。慧音さまの話を聞こうではないか」
 晴明は話の軌道を元に戻す。
 そこへ式神が酒と茸を焼いたものを運んできた。
「酒とつまみなどはいかがでしょう」
「……頂きましょう」
 少し考えたのち慧音は首を縦に振った。
「さて慧音さま。話をお聞かせ願えますでしょうか」
「その前に聞きたいことがあります。漢多太を調伏したというのは本当なのですか」
「調伏まではしておりません。ただ呪はかけましたが」
 漢多太、玄象を内裏より盗み出した鬼の名である。
 羅城門の下で晴明は漢多太の怨霊が憑く対象を、犬の首から玄象に取り換えたのだ。
「では今も漢多太は玄象に憑いている……」
「そうなりますでしょうか」
 晴明は慧音の言葉を肯定した。
 玄象は時として意思を持っているようだと言われる。
 つい先日の小火のさい玄象は誰の手も借りず、知らぬ間に庭に置かれていたらしい。
「お話いたします。わたしは――漢多太と共にこの国に来たのです」
「漢多太と! ではやはりあなたは……」
 驚きつつも博雅はある程度予想していた。慧音が普通の人間ではないことを。
 変わった格好もそうだが何より銀の髪というのは珍しい。
「――唐の洛陽、始まりはそこからでした」






 唐の洛陽。
 わたしと漢多太が初めて出会ったのは洛陽でした。
 遣唐使船にて日本に帰る空海和尚の導きで日本に渡ったのです。
 漢多太、空海和尚、橘逸勢。みな良い人でした。
 何ゆえ唐から日本に来たのか。
 ――怪力乱神を語らず、との言葉を知っているでしょうか。
 論語に刻まれた一説です。
 それから千五百年、人の間で人外の者たちが忘れ去られていきました。
 そして百年ほど前から妖怪が唐の地から姿を消し始めたのです。
 神仙、鬼、妖怪、類を問わず次第に人の目から消えて行きました。
 わたしたちは、現実ではなく幻想になり始めたのです。
 わたしの名は上白沢。名前の示すとおり半分は人で半分は白沢。半端者であるが 故に、他の妖怪よりも長く人の中に留まることができました。
 そうそう二百年ほど前に白面金毛九尾の狐が来日したのもその為なのですよ。純粋な妖怪ほど唐の地では早く生きにくくなっていく。
 他に桃源郷とよばれる異界を作り上げ、そこに逃げ込んだものたちもいたようです。
 白面金毛九尾の狐が日本に去って五十年ほど経ったのち、いよいよわたしにも限界がきました。
 人の血が半分ほど入っているからなのでしょうか、わたしは人との係わりを断ちたくはありませんでした。故に未だ人外の力の強い日本に逃れたのです。
 漢多太、空海和尚、橘逸勢とは平安京にたどり着くまでの数年間共に旅をしました。年数で言えば短いですが、わたしにとってはかけがえのない濃い時間でした。
 今でも空海和尚の説法や橘逸勢の筆遣い、漢多太の月琴の音色は記憶に残っています。
 空海和尚と橘逸勢、共にこの世にはもうおりません。空海和尚の入滅、承和の変、彼らの死に際をわたしは見送りました。
 漢多太、そう漢多太です。
 彼が人の身をなくしているとは、あろうことか鬼に変じているとは、知りませんでした。
 わたしは人が好きです。どうしようもなく愛おしい。
 漢多太を、人の身にとして送りたい。
 玄象に憑く鬼ではなく、人として死なせてやりたいのです。
 どうか、ご助力願えないでしょうか。






 慧音の瞳は遠い昔を眺めているかのように虚空を見つめている。
 流れ去った過去をゆっくりと思い返すかのように
 晴明も博雅も黙っていた。
 慧音の、譲れぬ想いを感じたからである。
 慧音は言葉を一泊止める。
 何か言い出しにくいことを言葉にするために、一瞬の間を置く。そのような感じである。
「話した通りです。わたしは漢多太を救いたい……わたしを、満月の夜に玄象の元まで連れて行ってくれませんか」 
 玄象の元へ行く。それはすなわち帝のいる内裏へ入ることを意味している。
「お気持ちは痛いほどわかりました。しかし内裏へ入るのは……」
それまで黙っていた博雅が口を開いた。
 慧音の思いは存分に共感できる。できるならば協力してやりたいと博雅は思っている。
 しかしことはそう簡単には行かない。
 内裏へ入れるのは晴明や博雅のような官人だけである。
 秘密裏にことを運んだとしても、内裏は人の目が多い。いつ何時嗅ぎつけられるか分かったものではない。
 唯一無二の方法は、帝にこの件を願い出て帝の許しを得ることである。
「玄象を借りることはできないか」
「主上は玄象を大層気に入っている。内裏の外へ持ち出すのは無理だろう」
「主上は許してくれるかな」
「どうだろうなあ。主上には気まぐれなところがあるからなあ」
 両腕を組み、博雅は困ったように言った。
 許しを得られるか否か、博雅も図りかねている。
「近いうちに宿直はないか?」
「宿直か、明後日はおれの担当だが」
 おもむろに晴明は宿直のことを博雅に聞いた。
「その時に、入るというのはどうだろう」
「……晴明それはいかんぞ。もしどこかから漏れてみろ。お叱りを受けるだけでは済まんぞ」
「よい考えだと思ったのだがな」
「晴明、おまえは時折主上を蔑にしすぎる」
 博雅は晴明に軽く忠告した。
 晴明という男は帝のことをどうとも思っていない節があった。
 よく帝のことを、あの男、と不敬な呼び名をすることもある。
「やはり、おれが主上に願い出てみよう」
 ひとしきりの沈黙のあと、おもむろに博雅が口を開いた。
 どうにかして帝の許しを得る。やはりこれしか方法はないと博雅は思っている。
 それに玄象を取り返したのは博雅ということになっている。
 こと玄象に関しては博雅は帝の覚えが良い。
「先ほどもいったが主上は気まぐれなところがある。案外何とかなるかも知れぬな」
「頼んだぞ博雅」
「お願いします博雅さま晴明さま」





 晴明、博雅、慧音は宜陽殿(ぎようでん)にいた。
 内裏の正殿であり帝が重要な儀式を執り行う紫宸殿(ししんでん)のすぐ東に位置している。
 晴明たち三人以外の人影は宜陽殿にはない。
 博雅が帝にかけあい、特別に許しを得たのである。
 意外なことに帝は玄象をお祓いすることに難色を示さなかった。
 博雅が誠心誠意帝に願い出たというのもあるが、他にも理由が存在する。
 帝の元には先日の小火の際、玄象に手足が生え庭に駆けだしたという報告が寄せられていた。
 これが玄象でなかったのならば笑い飛ばすところだが、何分玄象は鬼によって盗まれた琵琶である。いかに帝といえど気にもなる。
 そこに博雅からお祓いの提案があったのだ。
 帝にとっては渡りに船であった。
「うまく許しがでたものだな」
「おう、時期がよかったのさ、先日の小火がなければ許しは降りなかったかも知れぬ」
「小火か、もう直されているな」
 晴明は目線で宜陽殿の中を見回した。
 火が小さかったのですぐに消し止められ、今では火が出たという痕跡はないに等しい。
 宜陽殿は天皇家に伝わる楽器や宝剣、玉などの宝物が納められている。
 幸いにも炎に当たった宝物もない。
 玄象は部屋の中央に置かれていた。
 玄象は紫檀で作られている。赤見を帯びた地に黒の縞が美しく流れていた。
 慧音は玄象の前に座っている。手を触れようとはしない。
 目を固く閉じ、何かが訪れるのを待っているようにも見えた。
 慧音の少し後ろに晴明と博雅が並んで座っている。
 博雅には慧音が何を待っているのか分からない。ただここまで来たら声をかけることもない。
 と、そこまで動きのなかった慧音が自らの冠を脱ぐと床に置いた。
 そこから先は長いようで一瞬であった。
 降ろされた簾の合間から、月光が宜陽殿に差し込む。
 晴明たちが宜陽殿に入ったのは黄昏時であった。
 夜と昼との境目が、月が昇ることにより夜へと傾きだしたのだ。
 慧音を見ていた博雅が驚き、思わず目を見開いた。
 慧音は変わり始めていた。
 ぼんやりと淡い光のようなものを纏っている。
 体内から湧き出る力が、光として身の内からあふれ出ているようにも見える。
 長い銀の髪一本一本が風もないのにゆらゆらと揺れる。
 銀の髪の中に何かが現れていた。
 頭に二つ。
 長く鋭い。
 それは二本の大きな角であった。
 まるで鬼を思わせるような角である。
 血の臭いはしない。
 頭から角が生えたにも関わらず、血は出ていない。
 やがて揺らめく髪が静まり返ったとき、慧音の衣は鮮やかな緑に塗り替えられていた。
 慧音は手を伸ばし、玄象を手に取り、胸に抱く。
 そして慧音は玄象に何事か語り始めた。
 晴明と博雅の耳には何を言っているのか聞こえない。
 あたかも幼子を抱き抱えているようである。
 慧音は微笑んでいるのだろか、それとも泣いているのだろうか。
 小さく聞こえる声の響きは親しげに、そして哀しげに聞こえた。
 そしてそれは突然始まった。
 数々の宝物が、辺りを照らす灯火が、宜陽殿が、晴明たちをのこして消え去ったのである。
 辺りは何もない闇である。闇の中を晴明、博雅、慧音の三人が浮かんでいる。
 ただそれも一瞬。
 辺りは瞬時に開けた。
 そこは宜陽殿ではない。内裏でも平安京でも日本でもなかった。
 そこは異国であった。唐ですらない。
「――天竺さ」
 晴明が静かにつぶやいた。
 晴明の言葉を聞き博雅は辺りを見回す。
 巨大な都市の一角のようであった。
 太陽の日差しがまぶしい。
 細かな彫刻が施された大きな石造の建物が並ぶ。
 建物の立ち並ぶ道の真中に一人の女が立っていた。
 薄く透けた赤色の布を頭から被っている。
 天竺の人らしく浅黒い肌で瞳が大きく、鼻筋が高く通っている。
 額には黒子がひとつ。あたかも如来の白毫(びゃくごう)、シヴァ神の第三の目を彷彿させた。
「玉草……?」
 博雅はある女の名前を口にした。
 それはすでにこの世にいないはずの女の名前であった。
 鬼となりし漢多太に見初められ、漢多太に切かかり、殺されてしまった女。
「すーりあ、さ」
 晴明が博雅の声に応えるように別の女の名前を口にする。
 漢多太の妻であった女の名前である。もともと漢多太が玉草に心移したのは、玉草とスーリアが瓜二つだったからなのだ。
 スーリアはずっと続く道の果てを見つめている。そこから誰かがやってくるのを待っているかのように。
 いや実際にスーリアは誰かを待っているのだ。スーリアはいつ来るとも知れぬ誰かを待ち続けている。
 そう博雅は直観した。スーリアは恋焦がれるものを思い続ける目しているのだから。
 浄、と玄象が鳴った。
 慧音が弾いたわけでない。ひとりでに弦が弾かれたのだ。
 そして、玄象の元から霧のようなものが空間に溶け込んでいく。
 霧は次第に一つに集まり、人型を作り出した。
 五弦の月琴を背負った楽師。
 スーリアと同じく肌は浅黒い。眉目秀麗な青年楽師であった。
「まさか、漢多太か」
 晴明の顔を見ながら博雅が問うように言った。
 晴明は何も言わない。ただ博雅の問を肯定するようにうなづいた。
 それは在りし日の、人だった頃の漢多太の姿であった。
 漢多太は一歩一歩と、スーリアの元へ近づいて行く。
 一歩踏み出すごとに漢多太の歩みは速くなっていく。歩みは次第に駆け足へあと変わっていく。
 漢多太に気付いたスーリアが満面の笑みで顔をほころばせる。
 瞳からは涙があふれていた。
 そして漢多太とスーリアは互いに手をまわし、抱擁した。
 二人の唇が重なった瞬間、周りは再び闇に落ち込んだ。
 だがそれも一瞬である。瞬きをする暇もなく周囲の風景は宜陽殿へと戻っていた。
 慧音は玄象を静かに床に置く。
 そして振り返り晴明と博雅の方を向いた。
 慧音の瞳は、紅に染まっている。
「慧音さま、あなたは満月の夜にしか本当の力を使えないのですね」
 晴明はおもむろに言葉をかけた。
 満月、その言葉を聞いて博雅は簾の合間から外を見た。
 天には巨大な満月が昇り始めている。
「その通りです。わたしは、満月の夜にのみ新たな歴史を紡ぐことができる」
「新たな歴史……では今のは」
「漢多太とスーリアの新しい歴史。わたしが創造した歴史です」
「漢多太は……死ぬまでにもう一度故郷を見たかったと言っていたな」
 博雅は漢多太との会話を思い出していた。
 玄象を奏でながら、漢多太はすでにこの世を去った妻の名前を唱え続けていた。
「その想いを叶えました。すでにあったこととして……もう玄象には何も憑いていません」
 役目を終えた、ホッとした表情で慧音は言葉を続けた。
 事実玄象にはこれまでの面妖な気配が、今は感じられない。
「ありがとう、晴明さま。博雅さま。漢多太は成仏することができました」
「いずれはこうなっていたことでしょう。同じ成仏するならば、漢多太にとって幸せな方がいい」
 晴明は立ち上がり、簾を開いた。
 涼しげな夜気が宜陽殿に入りこむ。
 空には一点も欠けることのない満月が昇っていた。





 安倍晴明の屋敷である。
 夜気がだいぶ降りており、風が吹き込めば少し肌寒い。
 晴明と博雅は酒を飲んでいた。
 つまみはこの前と同じ茸である。
 今回は晴明が呪を使って焼いたため、今一つ博雅の食が進まない。
 火を使って焼くのは同じであるが、台もなく火だけが出るのはどうも腑に落ちない。
 なので博雅はもっぱら酒だけを飲んでいる。
「今日発たれたそうだな」
「慧音さまか」
「ああ」
「東の方へ行くそうだな」
「今までは山陰道や山陽道のあたりで人と共に暮らしていたそうだ」
「漢多太を送ったように、人をどれほど見送ってきたのだろう。どんな気持ちで見送ってきたのだろうな」
「わからんさ。おれにもわからんよ。おれも……人なのだ」
 晴明はそう答えて酒を一口飲んだ。
 庭からは数多くの秋の虫たちが鳴いている。
「幻想が生きていける場所を探すそうだ」
「そのような所があるのか」
「あるさ。最も今はまだできてはいないがな」
 晴明は八雲紫の妖しい笑い顔を思い浮かべた
 それができるのははるかな未来のこと。
「いずれは日本からも、鬼が消えてしまうのかな」
 博雅は唐から人外の者が消えていりといった話を思い出していた。
 平安京では日常的にどこそこに百鬼夜行が現れたといった話題が口にされる。
 それだけに博雅には鬼や妖怪が消えるといったことが今一つ信じられない。
「鬼がいなくなる。本当にいなくなってしまったら――おれは何だか無性にさびしい気がするのだよ」
「さびしい、か。確かにさびしくはなるだろうな」
「……晴明、おまえは消えないよな」
 博雅は晴明を見据えて言った。博雅はときおり晴明から霞の如く消えてしまいそうな雰囲気を感じ取っていた。
「博雅、おれは、おまえの前からは消えないさ」
 晴明はしっかりと答えた。
 風が吹く。
 灯火がゆらゆら揺れる。
 しかし消えはしない。
 秋の虫たちは短い命を存分に輝かせるように、一心不乱に鳴いていた。


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