鬱蒼と茂る森の中を、毒々しい白い肌をもつ兵士級BETA達が続々と進んでいく。木々の間からかいま見えるその数は、次第に増加の一途を辿っていき、まるで生白い虫の大群が這い回っている様にも見える。
発達した顎を軋ませながら、彼らは目標を感知した。彼らのその『存在』を察知する力は、他の同類達の中でも抜きん出ている。彼らの進行するその先で、何とかして自分たちから逃れようとする数多くの『存在』を彼らは確実に補足していた。
炭素を主成分にした有機活動体、四肢を持ち、彼らの作業の障害となるそれらを排除することが、異形達に与えられた役割だった。彼らにとって、その存在が知恵を持ち、考える生き物であることなどは大した了見ではない。
彼らのすべきことは、それらの存在をその顎で食い散らし、その腕で捻り潰し、存在すべてでもって虐殺することである。残虐な兵士級BETAたちは、その存在意義を発揮すべく着実に避難民たちに迫ってきていた。
BETA達の口内に唾液が分泌され始める。彼らは、人間を排除するために創造された存在であり、その体の機能は根底にプログラムされた基幹本能から全て、人類を殺害する為に創造されていた。彼らは人を殺すという行為を、本能的な欲求として組み込まれてるのである。
兵士級BETA達は恐るべき速度で侵攻する。彼らはただひたすらに、前方で知覚された避難民の集団に向かっていった。
そして遂に人間達の集まるそこに辿り着いた。人々がそれを見たら、おぞ気を感じるに違いないだろう。汁を垂らした歯を慣らしつつ、恐るべき異形達は避難民に殺到した。
人間達にとっての恐怖の具現ー兵士級BETAの群れが、避難民たちを護送する歩兵部隊の後尾に食いつこうとしていた。
最初にそれらの接近に気がついたのは、熱源センサを操作していた通信兵である。
「っ! コード911接近! 対人級BETAおよそ五十を確認! ……っ、いえ、七十、八十……続々と数を増やしていますっ」
「……総員、迎撃準備だ。移動速度は落とすな、愚図愚図していたら即座に囲まれるぞ」
「はっ!」
兵士達は総員敬礼して部隊事に散っていく。その表情は一様に冴えない。無理もない話だ。救援が駆けつけられない以上、彼らは限られた装備のみを使用して、尚且つ一般人を背後に守りながら戦闘を行わなければならないのだ。
絶対的な人数不足。元々はただの護送任務だったせいで装備は基礎装備である。弾薬も、半時間ほどの戦闘を続けることすら不可能と思えるほどの量しかない。
勝敗など、最早わかりきっていた。それでも、彼らがその絶望的な戦いに挑んだのは、その背後にある一般人たちを護るという使命と自負があったからに他ならない。
兵士たちが持ち場についたその直後に、木々の間から兵士級達が飛び出してきた。データを感知してからおよそ二分弱。兵士たちはその異常な行軍速度に怖気を走らせた。
「くっ! この、野郎っ!」
数人の兵士達が突撃砲のフルバーストを兵士級に叩き込む。数体の異形達がその生白い肌を毒々しい体液に染めて崩れ落ちた。だが、その死骸を乗り越えてさらに十数体の異形が兵士たちに向かってくる。さらに悪い事に、その中には闘士級や戦車級などの強力な対人級達の姿もあった。
「くそっ! くそっ!」
あっという間に取り囲まれてしまった兵士たちは、乱射する銃を振り回しながら異形達を近寄らせまいとする。だが、弾の量も、味方の量も絶望的に足りなかった。
必死の足止めも功を奏すことなく、彼らは兵士級たちを背後に突破させてしまった。
「畜生!」
空のマガジンが銃身から吐き出されたのに、一人の青年兵士が悪態をついた。即座にその場から下がり汗の滲んだ手で腰のポーチをまさぐった。小刻みに震える腕に苛つきながら即座に替えのマガジンを取り出すと、それを差し込みリロードする。そして、仲間が守っている位地に再度戻ろうと顔を上げ、その目を見開いた。
先ほどまで隣で戦っていた二人の仲間が、ただの肉の塊に変化していた。一人はぴくぴくと痙攣する下半身を、戦車級BETAの口から生やして。もう一人の仲間は、あらぬ方向に曲がった四肢をくたくたと揺らしながら、兵士級のその太い腕に振り回されていた。まるで癇癪もちの子供が人形遊びをするような兵士級の動きに耐えられなくなったのか、太いゴムが弾けるような音と共に仲間の首があらぬ方向に飛んでいく。
「う、あ……」
「おい! しっかりしろ! 今は引き金を引くことだけを考えろ。でなけりゃ……!?」
仲間の無残な死に我を失いかけた青年を、上官である壮年の男が叱責する。だが、その言葉が最後まで続く前に、その上官の頭が首の上から掻き消えた。吹き上がる血の柱の向こうに居たのは、長く強靭な腕を振り上げた状態の闘士級BETAだった。
絶叫か咆哮か、喉が焼けきれんばかりに叫びながら、必死で青年はその異形に向かって引き金を絞る。だが、既に闘士級は彼の銃の射線から姿を消していた。青年は無理やり体を捻って照準を合わせようとする。だが、その甲斐もなく、彼の頭は頑丈な闘士級の腕に掴まれた。
「う…あ……がっ!」
本来掛けられてはいけない方向に力を加えられ、青年は苦悶する。首の骨が軋む音に、一瞬後には自分の首は飛ぶのだろうと、青年は朧気に悟った。
自分の運命を確信した青年は、その瞬間に備えて目を瞑った。頭を締め付ける力が急激に強る。
思い出すのは故郷に残した家族の顔。それを再度この目で見ることは叶わない。そう思って絶望する。勇んで、BETAを倒す、衛士になると言って故郷を発った自分が、このような所で家畜のよう殺される。なんと無様なことか。
そこまで思ってから、青年は急に吠えた。
「う、ああああああああっ!」
ただで死んでやる訳にはいかない。青年の死の恐怖すら超えた、兵士としての意地が、人間としての意地が、青年の体を操り、手の中の鉄の塊を構えさせた。
「死、ね!」
ごきり、という彼の骨が折れる音と、突撃砲の乱射音はほぼ同時だった。
「少し、遅かったか……」
シンジが、苦虫を噛み潰す。その場は兵士達の血液と臓物と、装備の残骸によって地獄の様相を呈していた。
「う……が……」
ぎりぎりになって助け出すことができた青年兵士も、腕や足の骨を折っていた。
本当にあと数コンマの時間差で彼を助けることはできなかっただろう。シンジはその青年に近づくと、その額に掌を翳す。
「少し眠っていて下さい。起きた時には全て終わっている筈です」
既に精神的にも体力的にも限界だった青年には、その言葉は聞こえなかっただろうが、それでも青年は安堵の表情をしてその瞳を閉じた。
青年を装甲車に押し込めた後、シンジは装甲車をイロウルの能力で遠隔操作して安全な場所に避難させた。なんとか青年が本隊と合流できることを祈ると、シンジはその視線を、先ほどから機を伺うようなそぶりで近づいてきていた異形達に向けた。
足元に転がる、先ほど青年を締め殺そうとしていた闘士級の残骸を踏みつけながら、シンジは無表情に視界を埋め尽くすBETAの群れを睨めつける
。
ちかり、とその瞳に紅い光が瞬く。
「私怨も何も、僕は君たちに持っていない」
振り上げた手は細く脆弱。それだけ見れば、その少年がその場に存在する全ての者たちよりも、一つ上の階梯に属する者だとは思えないだろう。
「そもそも、人を殺したからという理由で、他でもない僕が君たちを殺すというのは間違っている」
硝子でできた獣が吠えるような、そんな音が辺りに響く。その音の波形は、この世界に存在するものではなかった。
「この行為には正当性は無いし、それを求めることは間違っているのかもしれない」
存在すら知らないものを、知覚するなど不可能だ。であるからして、その音が空間の裂ける音だということを、BETA達が察知できなかったのは当然だった。
一際高い澄んだ音がして、今にも飛びかからんと腰を屈めていたBETA達の体がずれた。まるで最初からそうであったかのように、彼らの体は軒並み二つに割れていた。
「だから、これは」
この世に存在することのありえない鋭さをもつ処刑の刃。
それは、裁かれない殺戮者達への、裁いてくれる者を失った罪人の嫉妬による断罪の剣。
その裁きが理不尽であることを誰よりも理解している少年は、その自分の有様を自嘲しながら紅く輝く心の壁を、断頭の刃に変えた。
「ただの八つ当たりだ」
再度シンジはその腕を振るう。一拍してさらに数体のBETAがぼとぼとと身を分けて崩れ落ちる。
それを見たBETA達は、その得体のしれない事象に戸惑ったのか、それとも、目の前の得体のしれない存在を恐れたのか、その速度を緩めた。だが、それでも次の瞬間にはその停滞は存在しなかったかのようにシンジに殺到した。
当然ではある。彼らにはモノを恐れるという機能は与えられていなかったのだから。――それが、碇シンジに対することに対して幸とするべきか不幸とするべきかは判らないのだが。
十数体の兵士級が迫る、それをシンジは薙ぐ。吹き飛んでいく兵士級たちが空中で解体されるが、その様を見届けずにシンジは脇に迫ってくる影に向かって視線を向ける。
闘士級の剛腕が彼のその細い体を叩き折ろうと迫っていた。しかし、それすらシンジの紅い瞳を揺らがすことはなかった。
「無駄だよ……」
肉の塊が引きちぎられる音がその場に響く。数瞬後に地面に落ちた肉塊は、闘士級の歪な形の腕だった。
シンジの頭の横に展開されたA・Tフィールドの応力には、頑健なBETAの体組織でさえも耐えられなかったのだろう。根本からその腕、最大の攻撃手段を失った闘士級は、その後なす術もなく切り刻まれた。
紅い刃が煌く度に、崩れ落ちる肉塊が増えていく。だが、それでも湧き出るようにBETA達は後から後から現れ、シンジの背後に抜ける個体も増え始めた。どうやらBETA達はシンジを撃破することよりも、その背後を進んでいるだろう多くの人間達を殲滅する方に優先順位を傾けたのだろう。
「ふっ!」
シンジが横を通り過ぎようとしていた数体の兵士級を薙ぐ。だが、間合いから漏れた一体が後ろに抜けた。さらに薙いだ側とは反対側でも、数体の対人級がこことばかりに通り過ぎていく。
「数の差はわかっていたけど……」
これほどとは、と目を細めて正面に紅い刃を殺到させる。密集していた兵士級達が軒並み斃れるが、それでもやはり、数体が逃れて抜けていく。
抜けていったBETA達は確実にその先で避難を続ける民衆たちを襲うのだろうが、それはそれで構わない。もとより、全ての個体を抑えることができるとは、端から考えていない。
数と、密集さえ削れれば、後は民衆達を守る為に配属された歩兵達でも対処できるだろう。自分は、その状況を作ることが出来ればそれでいい。それに、別行動しているエミヤの作戦も直に作動するだろう。
「だけど、君のような大型種は通さない」
シンジはそう言って、木々をなぎ倒しながら現れた突撃級を睥睨する。この欝蒼と茂った森が大型種の進行を妨げていたのだが、それも最早限界らしい。暫く、この場はユーラシアの大部分の大地がそうであるように更地へと変わるのだろう。
モース硬度十五の硬さを持つ甲殻がシンジの眼前に迫る。もともと突撃級は対人探知能力が欠如しているため、こちらに向かってきたのは偶然か、それとも地理的な要因からだろうが、それには関係なく、シンジには好都合だった。
普通、人だけでなく戦術機ですら回避が絶対であるはずの突撃級の突進も、絶対領域をもつ少年には問題ではなかった。さら言えば、彼にはそれを正面から打破しなければいけない理由も存在していた。。
「は、ああっ!」
上体を逸らした状態から、力を溜めて正面に特大の刃を放つ。それは、金属の裂かれるのに似た音とともに突撃級の正中線を割って、丁度左右対称に切り分けた。
左右に流れていく巨大なBETAの半身の間で、シンジはその先を見た。
そこには無数の対人級と、その前を守る様に走る突撃級、そして数体の要撃級の姿があった。今まで傲岸不遜にBETA達を屠っていたシンジも、その数に額に汗を浮かべる。
流石に一人で足止めを買って出たのは無茶だったか、と心中で後悔しかけたシンジだったが、それを思っても始まらない。
正面の群れに向かって再度刃を放つ。が、それは一瞬BETA達の進軍を遅らせただけで、大した効果が得られなかった。彼らのその圧倒的な数量差が、確実に機能してきていた。
「くそっ」
悪態をついて、シンジは右手を向かってくるBETA達に向ける。使徒の顕現を行い、現状を打破する。群れの最中に大穴でも開ければ進行も遅れるだろう。そう考えて、目線を上げた。その直後、シンジは一瞬でもBETA達から視線を逸らした己の過ちを悟った。
数対の光る眼が、彼を見つめている。
「っ!?」
咄嗟に正面にフィールドを展開する。その直後、膨大な熱量が、シンジの身を包んだ。
―――光線級。対BETA戦における最大の障害と言っても過言では無いだろう、その攻撃がシンジに殺到した。あと少しでもフィールドを張るのが遅くなればシンジは蒸発していたに違いない。危機一髪であったが、それを喜ぶ余裕はシンジには無い。断続的に降り注ぐ光線をただひたすらに防ぐことに集中しなければならなかった。
どうにかならないか、とシンジは臍を噛む。このままこの場で硬直していれば、それだけの数のBETAを後ろに流すことになってしまう。それは避けなければならない。しかし、シンジにはこの攻撃を避けずに防ぎ続けなければならない理由が存在した。だから、焦燥しながらも、光線が止むのを待つ他にない。
レーザーとは光の凝集である。その光エネルギーが熱に変換されることにより、それを受けるシンジの周辺も異常な高温になりつつあった。皮膚から立ち昇る蒸気が、いよいよ危機を露にする。
「く、はっ! はぁっ! ……衛宮さん、急いでくださいっ。もう持ちそうに無いです」
熱によって汗が出る端から蒸発していく中、絞り出すように念話で相方に言う。もう、
A・Tフィールドを張る精神力が尽きようとしていた。
十数体の光線級によるレーザーの照射リレーは、執拗にシンジを追い詰めていく。数十度目の照射に、シンジは耐えきれずに片膝をついた。
いよいよ不味い。フィールドの軋みにシンジの焦燥が限界に達した時、ようやくエミヤの声が届いた。
《手間取って済まない、シンジ。暫く用意できた》
「了解っ、決行してください!」
《な!? だがシンジ! 君も巻き添えを食うことになるぞ》
「耐えきる自信はあります。……というより、この光線を受けたまま回避はし辛そうですっ。やってください!」
少しでもフィールドの維持以外に意識を逸らそうものなら、即座に光線がフィールドを突破しかねない。それほどに現在のシンジは切羽詰まっていた。
《っく、わかった! 死ぬなよ》
「はいっ」
ぎり、と絞り出したシンジの返事と同時に、その場を極大の震動と地鳴りが支配した。